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§941, I-48 (続2): 危機の予言と幸福預言

大団円としての幸福の科学19

§941, I-48 (続2):  危機の予言と幸福預言:

 
従来のノストラダムス解釈者たちは、ノストラダムス『預言集』の中に、専ら「危機の予言」しか見ていないが、我々は、今、初めて、21世紀に関して「世界平和の予言=その実現宣言」を解釈し出すことに成功した。そして、ノストラダムスが、「自己の預言を完成し、終わらせる」新たな預言者として待機していた「幸福の科学」総裁大川隆法氏も、ノストラダムスをやはり「危機の予言者」と見ており、しかも、自身の巨大な霊能力によって天上界のノストラダムス自身を、16世紀に出版された『預言集』以来、初めて、この日本の「幸福の科学」という舞台に登場させて、新たな予言を語らせているが(大川隆法『ノストラダムスの新予言』土屋書店,1988; 大川隆法『ノストラダムス戦慄の啓示 人類の危機迫る』幸福の科学出版,1991)、その新予言も、危機の色彩は同じで、むしろより一層色濃いものとなっている。そこで、旧来の預言と、この新予言がどのように関係するのか、その点を検討してみたい。

「われはすでに数多くの予言をなした。その多くは、恐るべき事実にいろどられていたであろう。しかしながら、それはあくまでも警告である。人類への、あなた方への警告である。今後、ノストラダムス以下の予言者たちの戦慄の啓示(注1)を、この予言をはずれさせるか否かは、あなた方の活動にかかっている。一九九一年七月十五日というこの日を、魂のなかに刻印せよ。この日を忘れてはならぬ。これが、全人類救済の旅立ちの一里塚であるからだ。」(大川隆法『理想国家日本の条件』1994,p.32-47)(注1:これは、『アラーの大警告』『ノストラダムスの新予言』『ノストラダムス戦慄の啓示』の内容を指すと思われる。)

この場合、「予言は本質的に警告の意味合いがあり、厳格不動の予言とは違う」という根本的理解があるが(そこで大川隆法氏は、ノストラダムス予言の的中率を、「七割から八割を超えるのではないかと推定している」(『ノストラダムス戦慄の啓示』p.192))、しかし、ノストラダムス『預言集』(1555-1558)の場合に言えるのは、「彼の預言は正確な予言であり、確率論的なフィールドにある単なる警告・予想ではない」という前代未聞の事態であった(私のBLOGでの発表はまだ未完であるが、手元の研究ノートでは全部解釈済みである)。しかしながら、このことは、「彼の預言表現としての言語作品が、通常の素朴な読解法ではほぼ100%理解不能」という逆説が前提となっている。その結果、ノストラダムスは、自分の預言全体が解読され終わり、公衆に喜んで受容されるのは、公刊後500年経ってから(つまり、2055年頃)だと言っている(§958, III-94 Terminus ante quem「日付のある預言詩9:ノストラダムス預言の年代軸」参照)。という事は、彼の預言は、事実上は「予言としての使命・機能は持たない」のであり、「人類が経験した最近諸世紀間の実際の世界歴史には明らかに天上超越世界の神からの予定的影響が何らかの形で及ぼされている」という歴史哲学的意味合いにおいて捉えられるべきものとなるのである。他方、彼の最近の「新予言」は、言語表現自体が日常的常識的であって、何らの理解上の困難がなく、従ってその「歴史的当否」は時間軸上の過去になった段階で容易に判定可能となっている、という点を見逃してはならない。

原理論的には、以上のような捉え方が出来ると思われるが、とは言え、「新予言」と「旧預言」が重なり合う1990年代と、21世紀に入ってからとでは、様相は必ずしも同一ではない。そこで、別表「新旧預言比較表」(次節: 大団円としての幸福の科学20 参照)によって、「新予言」と「旧預言」との比較対照を整理してみた。
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