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§941, I-48 (続): ノストラダムスの幸福預言

大団円としての幸福の科学18

§941, I-48 (続) ノストラダムスの幸福預言

先に、大団円としての幸福の科学11 §941, I-48 補論において、「第八千年紀(21世紀)初頭の世界平和実現」について考察した。それは、「アンリ二世宛書簡」の次の一節に係るノストラダムスの予言内容であった:

(ア)  「偉大な法  [ ロシア正教 ] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINSが例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169)

実は、同書簡には、これ(ア)と同じ内容が、他の二個所(イ)、(ウ)でも言及されているので、それらを解釈することによって、「21世紀の世界平和実現」という、我々にとって最も運命的、且つ、喫緊の問題を、一層深く正確に理解したいと思う。

既述したように、この文章 (ア)は「第七千年紀に近い時期」、つまり、「第六千年紀の終り頃か、第八千年紀の初め頃」の世界情勢の予言である。ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々…。」 (№1,p.42) と述べている所からすると、問題なのが「第六千年紀ではなくて、第八千年紀」であるのは明白である。言い換えれば、これは、大団円としての幸福の科学14-15: §944, X-72 キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7); §945, X-75 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000)において見るように、「イエス・キリストに代る天からの再臨者大川隆法氏」の登場という画期的事実を考慮しつつ解釈しなければならない、ということである。

そこで、文中の「イエス・キリスト」を「大川隆法氏」と読み換えてみると、以下の解釈が導き出される。

「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日 (注1)]。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様に大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放される:これは、「tribulation 試練」という語が、「宗教的な苦悩、苦難」(Suzuki) という意味を主として持つので、「大川隆法氏の最初の配偶者が信仰逸脱によって惹き起こした諸々の法難(toute tribulation: あらゆる試練)から、その離婚(2012年)に依って解放された」という事実が当てはまる(大川隆法『現代の法難①』『現代の法難②』『現代の法難③』『現代の法難④』幸福の科学出版, 2011, 参照)。

** 大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならない:ここで「北方」とは、「21世紀初頭において旧ソ連になぞらえられる勢力」であるから、「日本国首都・東京より北の緯度にある北京を首都に持つ中華人民共和国、及び、〝北朝鮮〟と俗称される朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家」と比定してよい。

** AZOARAINS この謎語は、未だ誰も十分に説明し切っていない。但し、フランス語古語に一縷の手掛りがある。即ち、Azoras と Ar ないし Ara という2語があり、いずれも「à présent 現在 At present、maintenant 今 Now、à l’instant ただ今 Just now」といった意味である (cf. P.R.Auguis, Les Poètes François depuis le XIIe siècle jusqu’à Malherbe, tome premier, Chapelet, Paris, 1824; Vocabulaire des mots du vieux langage qui se trouvent dans les deux premiers volumes des Poètes François jusqu’à Malherbe, p.463; p.460)。するとles Azoarainsは、les(定冠詞複数)+ Azoras + Ara + ain(形容詞接尾語)+s(名詞複数語尾)といった語構成と考えられて、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味になる。従って、それは「21世紀初めに於いてキリスト教 [幸福の科学] と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になるだろう。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものだろう。

** AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: AZOARAINSとは、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味の造語で、従って、それは「21世紀初めに於いて指導的宗教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になる。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものを指し、この場合は具体的に、「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」ということになる。そして、彼らが「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に混入しようとする「胆汁と疫病的誘惑の種」とは、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」であろう。

** 世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも:「ある種の大きな紛争」という曖昧な表現は、「決して戦争には到らないような国際摩擦・地域紛争」と解されるだろう。しかも、原文は文字通りには「ある種の大きな紛争に近づくけれども」であるから、「実際に大紛争になることにはならない」という意味である。

** そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: 後半は「譲歩の従節」で、それが、前半の二つの主文に掛かっていると考えられる構文である。従って、これを分解すれば次の二項になる。

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: この場合の AZOARAINS(永遠の生命を信じる真の信仰を欠いた刹那主義者・現実主義者たち)は、「幸福の科学に法難をもたらした大川隆法氏の最初の配偶者及びその協力者」という意味で理解してよい。

** 人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: 「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」が「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に、「胆汁と疫病的誘惑の種」、つまり、、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」を繰り広げても、「ある種の大紛争に近づく」だろうが、「決して本格的な大紛争や戦争」には到らず、全世界的平和が実現されるであろう。ここで、「平和 Paix」のフランス語原語は「大文字のイニシャル」となっているから、「強調された確固たる平和」の意味が込められていると解釈できる。従って、これは既に、明確な「ノストラダムスの世界平和到来宣言」(21世紀初頭に立つ今現在、すでに実現しつつある預言)なのである。但し、「平和」と言っても、ノストラダムスの「諸世紀にわたる俯瞰の眼」からすれば、例えば第二次大戦後の長期の世界時期(1945年から、1991年の第一次湾岸戦争まで)が「長期の平和」と称された(§928,I-63: 第一次湾岸戦争 (1945-1991)参照)ように、波乱一つない完全な凪状態ではなくて、世界が生きて動いている証拠とも言うべき「各地各期の小地域小摩擦」を含みながらも世界大戦には到らない静穏状態のことである。

第二の言及:
(イ)  「そして十月に、なにか回天の大事件(十月革命)が起こり、その凄まじさは、重力と共に地球もその自然の運行を失って永遠の闇深くへ沈んでいくかと思われるほどのものでありましょう。それに先立って、春分の時期(三月)に、別の大変革(三月革命)がありましょう。こうしたことの結果、《大地震》(第一次大戦)によって、政府転覆のような極端な変化が続々と起こり、それと共に、最初のホロコースト(フランス革命)に輪を掛けておぞましいその惨めな娘、《新バビロン》が増殖するでありましょう。しかして、この(状態は)、きっかりと、七十三年と七ヵ月しか続かないでありましょう(ソ連邦の体制:1917年11月ソヴィエト権力成立から1991年6月ロシア共和国成立までの73年と7カ月)(注1)。 それから、その後で、50度から出て (注2) かくも長い間実りを結ばなかった幹 (イエス再臨の無いキリスト教) から、キリスト教会全体を更新するような純粋な宗教 (幸福の科学) が生まれ出て来るでしょう。そして、道に迷い込んだ子供たちや、また、様々な政治体制によって分断された子供たち夫々の間に、大いなる平和、合致および調和が成就されるでしょう。そしてこのような平和が成就されるのは、宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国をまとめ上げるような者 (サタン) が、一番深い淵に繋がれてしまうからなのです。」(№3,p.11; №10,p.161)
ここでは、ソヴィエト権力崩壊の年次が時代画期点を示している。

第三の言及:
(ウ)  「その頃、第三の〝北風の王〟(ムッソリーニ) が、自らがその国家の首位であるその人民の嘆願を聞いて、巨大な軍隊を押し立てて、その最近の先祖たち父祖たちの[渡ったことのある]海峡 (地中海) を越えさせて、大部分(エチオピア)を自国のものにしてしまうでしょう。そして、キリストの偉大な代理人たる教皇はその元の状態に戻されるでしょう (1929年のラテラノ条約)。しかしながら、〝至聖所(Sancta sanctorum)〟(ヴァチカンを擁するローマ) は寂れ、それから完全に見捨てられ (ムッソリーニは北イタリアに逃れサロ共和国を作る)、そして異教 (カトリックに対して、プロテスタント主体の連合軍) によって破壊されてしまうでしょう。そして、旧約 (ユダヤ教) も新約 (主として新教国オランダを云う) も追放され焼き払われて、その後で地獄の君王がアンチキリストとなるでしょう (ヒトラーの登場)。これを最後として又もや、キリスト教世界の全ての王国と、また異教徒たちも、25年の期間 (1921-1945) にわたって戦争を行うでしょう (熱戦前の潜伏期も含めた第二次世界大戦)(注3)。それは以前にも増して悲しむべき戦乱であり、町や都市や城塞、その他あらゆる建物が焼かれ、荒らされ、破壊され、乙女の血が大量に流され、既婚の婦人たちや寡婦達が暴行を受け、乳飲子たちが町の城壁に括り付けられて裂かれ、非常に多くの悪行が地獄の君王サタンによって犯されるでしょう。その結果、ほとんど世界全体が壊れ荒れた姿になるでしょう。そしてこのような出来事の前には、ある種のけったいな鳥が空中で〝ヒューヒュー〟と鳴き叫ぶでしょう (これは、第二次大戦で顕著だった空爆に対するけたたましい空襲警報を指す)。そしてその後しばらくは鳴りを潜めるでしょう。そしてこのような期間が長く続いた後に、土星のもう一つ別の支配が、而して黄金時代が、ほぼ、再開されるでしょう (注4)。造物主たる神は己が人民の苦悩を耳にして仰せられるでしょう:「サタンは深い濠の中の淵の中の奈落の中に入れられて縛られよ」と。そしてそれから神と人間たちの間に世界平和が開始されるでしょう。そしてサタンは凡そ1000年間は縛られたままであるでしょうし、教会の勢力 (注5) はその最高の強盛に達し、そしてその後でサタンは解き放たれるでしょう。」(№3,p.21-22; №10,p.171-172)
ここでは、第二次大戦の年次が時代画期点を示している。そして、この第二次大戦は、「これを最後として、第一次大戦に次いで起った」ものであるから、少なくとも向こう千年間はこういう世界大戦は無い、ということになる。

注1 : 「§924,VI-74: ロシア共産主義体制の寿命73年」参照。
注2:50度(から出てかくも長い間実りを結ばなかった幹):これは、2000年にわたるキリスト教のその開始点に関するものであるから、イエス生誕の年として最も蓋然性が高いとされる紀元前4年を意味すると思われる。そして、「50度」を「第五千年紀」(従って第六千年紀は「60度」、第七千年紀は「70度」、第八千年紀は「80度」となる)と捉えるならば、それは「紀元前1000年から紀元前1年」の期間であり、従ってそこに「紀元前4年」も含まれる。
注3:25年の期間 (1921-1945) にわたって戦争を行うでしょう (熱戦前の潜伏期も含めた第二次世界大戦):この開始の「1921年」とは、ドイツが第一次大戦後の「賠償支払いを受け入れてその履行政策を開始した年」として、第一次大戦の清算が始まると共に、それが結局は第二次大戦への最も早いドイツ的伏線であり(注6)、また、イタリアではムッソリーニの国家ファシスタ党が結成され大攻勢を開始した年である(社会主義者のボローニャ市長就任を妨害)。
注4:土星のもう一つ別の支配が、而して黄金時代が、ほぼ、再開されるでしょう:ノストラダムスによれば、月の支配 → 太陽の支配 → 土星の支配 という順序で惑星支配が交代するが、ここではその本来の土星支配ではなく、黄金時代(§943, V-41 : 「黄金時代開鑿者の誕生」参照)としての「太陽の支配」の開始を指していると思われる。
注5:教会の勢力はその最高の強盛に達し:ここで「教会」というのは、「宗教団体としての幸福の科学」である。即ち、「幸福の科学」は21世紀からの1000年間に最盛となるというノストラダムス予言である。
注6:「ヒトラーの野望を見抜いて「警告」を発したドラッカー 王陽明 これについては、近年、「ヒトラーによってヨーロッパが席巻された」という事実が、新しい現実として、まだ記憶のなかにありますよね。もし、「ヒトラーは、そういう野望を持っている」ということを見抜いていたとしたら、ヨーロッパ諸国は,いち早く防衛に入ったはずです。だけども、ヒトラーは、そうではなく、「第一次大戦において廃墟になったドイツを、二十年間で立て直し、国力をつけて国民を幸福にした」ということで、英雄として扱われていました。だから、ナチス党は、小さな党だったのに、急速に熱狂的な支持を得て、国を改造し、あっという間に国会のほうも動きを止めてしまい、授権法を通して、ヒトラーの一存で何でもできるようにしていきました。要するに、「第一次大戦の賠償金で苦しんでいたドイツを魔法のように回復させた」ということで、経済的には見事に成功したわけです。「そういう人は、政治的にも成功するのではないか」と、人々が期待するのは当然ですよね。ところが、ヒトラーは、その経済力を軍事力に変え、次には、自分たちのエネルギー源や食料などの兵站部分を確保していきました。石炭などが出る所を、まず割譲によって取っていったのです。その後、いきなり(ポーランドに)侵攻していき、イギリスやソ連も攻めたのです。彼が、ここまでの野心を持っていることを見抜いていた人がいたならば、その人は、周りの九十何パーセントの人が拍手喝采しているときに、「彼は危険な男だ」と警告したでしょう。近年のドラッカーという人は、そういう人だったと言われておりますね。」(大川隆法『王陽明・自己革命への道』幸福の科学出版,2013,p.85-89)。

以上三言及に共通している「サタンの捕縛」とはいかなる状況を言うのか?

「サタン」を捕縛したり、解放したりする主体は、(ウ)で明言されているように、「造物主たる神」である。この事は、人類の歴史の有為転変の根本基調となる「盛衰のリズム」が根本神によって決定されているというノストラダムス的歴史神学理論である。

故に、「そしてこのような平和が成就されるのは、宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国をまとめ上げるような者 (サタン) が、一番深い淵に繋がれてしまうからなのです」という(イ)の中のテーゼは、21世紀初頭という時代制限を置いてみるならば、「20世紀の旧ソ連邦体制(宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国に纏められたS)に類似した21世紀の中華人民共和国(宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国に纏められたC)」を誑かしているのが「サタン」だとして、その「サタン」が、今は神の手の中に囚われてしまっており、思うようには動けない状態にあるので、従って、この21世紀において、「中華人民共和国は一部の論者達が強調するようにそんなに思いのままに暴れる」ということは出来ないのだ、という世界情勢に関する新たな根本的理解が可能となるのである。

所で、今現在、「中共脅威説」の最も過激な主張者が、ほかならぬ「大川隆法氏が総裁として統括する幸福の科学と幸福実現党」であるが、あにはからんや、実は当の大川隆法氏自身が、その有名なる「エル・カンターレ宣言」において、「地獄の底の底を支えているのも神の愛の手」であると説いているのである。これは、言い換えれば、「サタンの動きも根本神の掣肘からは自由ではない」というノストラダムス神学と軌を一にするものである。

「あなた方は、肉体に宿りたる大川隆法という名の人間の存在にも、迷うてはならぬ。あなた方の前に立ちたるは、大川隆法であって、大川隆法ではない。あなた方の前に立ち、永遠の神理を語るは、エル・カンターレである。われは、この地球の最高の権限を握りたるものである。われは、この地球の始めより終わりまですべての権限を有するものである。なぜならば、われは、人間ではなく、法そのものであるからだ。
あなた方のなかで、言葉にて、理屈にて、神を否定せんとする者は、「神がそのように完全無欠であり、われもまた神の子であるならば、何ゆえに人は悪を犯すか、何ゆえに人に悲しみがあるか、苦しみがあるか」― そう問う。しかし、そのような疑問は、あなた方一人びとりが不完全な人生を生きることの、罪滅ぼしの証明、証拠には、なんら、なりはしない。あくまでも、その自由は完全であるからこそ、すべての可能性のなかで、選び取ることができるのだ。
さすれば、あなた方が忌み嫌う地獄という世界であっても、その地獄の底を支えたる神の愛の手があることを知るであろう。支えているのだ。数十億の人が苦しんでいる、その地獄の底をも、神は支えているのだ。抱きとめているのだ。その事実を知らなければならない。」(大川隆法『理想国家日本の条件』1994,p.16-28)

この事は、仏陀の「降魔成道(ごうまじょうどう)」(大川隆法『仏陀の証明 偉大なる悟りの復活』幸福の科学出版, 1995,p.282-316参照)、イエス・キリストの「サタン撃退」(新約「マタイ伝」IV,1-11参照)と同等の「救世主の自己確立」に通じるものであり、おそらく、ノストラダムスのいう「サタンの捕縛」とは、それが第二次大戦にすぐ続く時代に位置づけられるものだとすれば、具体的には「現代の大メシア大川隆法氏の降魔体験」(1980年代)を指すと思われる。

人を愛し、人を生かし、人を許せ 日蓮聖人は、私にある時は自動書記で、ある時は霊言という形で様々なことを教えてくれました。今もはっきりと覚えている言葉は、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という言葉でした。これはごく初期の頃に日蓮聖人が自動書記の形で私に与えてくれた教えでした。「私の使命はどこにあるのか。一体どういう使命を持っているのか」。そうした問いに対して応えられた答えが、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」この三つの言葉でした。そして「この言葉がお前の思想の核になるであろう」。こういうことを日蓮聖人は語ったわけです。しかし、それ以上のことは言われなかったのです。この後、この考え方は私のなかに長く眠り、そしてその後、約六年の歳月を経て、「愛の発展段階説」として実っていくわけです。すなわち、人間の愛の形には単に人生の途上で出会った人、そして当然愛すべき人、自分の身内、肉親であるとか、同僚であるとか、そうした人生の途上で出会って当然愛すべきである人に対する愛、この「愛する愛」という段階が、まずあるということに気がついたわけです。そしてこれは万人にとってある意味で出発点の愛である、このように考えました。さらにこの上の段階の愛がある。それは何かと言えば、人を生かす愛である、こう思いました。それは、世の中を観察すると、指導者と言われる方々が数多くいます。そしてその指導者と言われる方々は一体何ゆえに指導者となっていったかというと人を生かすという気持、こうした愛のさらに大きな部分、愛の進化した部分、これをもって自分の信条としている人たちが、実は指導者となって人びとを導いているのです。当然、自分が人生の途上で出会うべき人を愛するのみでなく、立場上多くの人を愛していかねばならない。指導という名の愛を与えていかねばならない。こういう人たちがいるということ。そして彼らは傑出した人物でもあるということ。こうして私は「生かす愛」という、さらに発展した段階があるということに気がついていきました。そしてさらに、こうした優れたリーダーたちでも持てないような、「許す愛」という段階があるということを知りました。これは宗教的見地です。この世的に優れたる人は、人を生かすためにさまざまな活動ができますが、人を許すという段階になるためには大いなる大悟が必要です。宗教的なる目覚め、神への目覚め、神仏を知るということ、神仏の境地に入るということが大事です。こうした、さらに上なる段階があるということ。善悪を超えた段階へと昇華していく、そういう許す愛の段階があるということ。そうしたことに私は気がつきました。」(大川隆法『平凡からの出発』PP.172-177)

悪魔との対決 このようにして、私は日蓮聖人を初めとする高級諸霊からさまざまな霊示を受け、霊指導を受け始めておりました。しかしそうしたなかにも、私は商社に勤め、さまざまな仕事に埋没する日々を送っておりました。このなかで、いったん第一段階の悟りを開いた私であるにもかかわらず、途中で何度も何度も心揺れました。そして、また新たな執着をつくっていったわけです。仕事において思うようにいかない、失敗をする。こうしたことを繰り返すと、非常に自分が傷つく、あるいは上司と自分との間、同僚と自分との間、その中で、私は学生時代に思わなかったようなさまざまな障害を感じました。そして、心のなかで葛藤が生まれていきました。自分の神性としてはかなり高いものに目覚めていながら、日本の社会というものは、新入社員、あるいは入社して間もない人間というものを、まったく兵隊としてしか扱っていない。二等兵としてしか扱っていない。そうした現実に気がついていったわけです。この日本的年功序列の世界、そして人間の価値を入社年度によってはかるような世界、こうしたものに対して非常な疑問というものを感じていきました。その人の魂の高さ、心の高さ、悟りの高さではなく、単に入社年次で決めていく、こうしたことに大変な不満を感じたものでしたし、また上に立つ人が本当に優れた人であればよいが、人によってさまざまな人がいる。先輩として仰ぐべき人もいれば、そうでない人もいる。しかしそれなりに同じように遇されているということを見て、信じられない気持がしました。また霊的な目で見れば、善なる方向へ傾いている方、悪なる方向に傾いている方がいるわけですが、どちらかというと神の心から見たならば、神理に則してみたならば、悪なるものへ傾いている人、自我我欲の強い人、自己顕示欲の強い人、こうした方の方が世の中では遇されていることを知って、大いなる驚きを感じたものです。
 こうして、なんとか本当の価値に基づいた、人間の心の段階に基づいた職場を創らねばならない。そうした会社や組織や世界を創っていく必要がある。こういうことを心密かに願い続けていたのですが、なかなか現代日本を代表するような総合商社のなかで、その一コマとして働いている私にはそうしたことを実現することはできませんでした。せめてできることは、良い仕事をすること、周りの人にできるだけ多くの愛を与えること、その愛というものも、これが愛ですという形で現すのではなくて、陰になり日向になって、目に見えぬ形で多くの人に愛をもって接するということ、そうしたことにとどまっていた私があったわけです。この間、私はそうした人間関係の軋轢で自分を苦しめていたわけですが、それ以外にも異性への憧れ、異性への欲望の目覚めというものがあったように思います。心の窓を開いて、そして高級諸霊とも話ができるような自分であったにもかかわらず、社会に出てさまざまな異性の姿、美しい人の存在を知るにつれて、心が揺れたのです。心がさまざまに揺れ、これはいけないこととは思いつつ、目だけの恋をしたこともあったように思います。魂を奪われるという経験です。このように、心は騒ぎに騒ぎ、なかなか精神統一ができない日が続いたと思います。こうした地位への欲望や、あるいは異性への欲望というようなものが心を波打たせた時、悪魔が人知れず近寄ってくるものです。そして私も過去の宗教者たちが対決したように、何人かの悪魔との対決をせざるを得なくなっていきました。歴史上有名な悪魔としては地獄の帝王とも言われるルシファー、またイエス・キリストが四十日間の荒野の修行の時に惑わかしを受けたというべルゼベフ、こうした者も次つぎと私の前に現れてまいりました。また、曾て弘法大師以降に出て、密教の修行者として名を残したある巨大な法力を持った悪魔もいました。こうした者たちが、次つぎと私を苦しめようとして立ち現れてきたのです。彼らは、霊的体質である私の弱味につけ込んでくるのです。体調の悪い時、また心が乱れている時には必ず、彼らは私に惑わかしの言葉を投げかけ、そして私の心を違った方に向けようとするのでした。そして、何らかの執着を持っている時にはその執着を増幅させ、頭の中がそれでいっぱいになり、悩乱するようなそうした方向へと増幅していくのでした。疲れは二倍、三倍となり、夜な夜な苦しい苦しい気持でのたうち回るような日々も、無きにしもあらずでした。こうした日々が続いていくうちに、私は次第にこの悪魔との対決をしていかざるを得なくなっていったのです。それは結局は私の心の弱さに起因していたのでした。悪魔というのは外にあるのではなくて、実は己心(こしん)の魔、自分の心のなかにある弱い心、ここに忍び込んでいるのだということを知ったわけです。結局、彼らが私に忍び寄ってくる原因はどこにあるかというと、私自身のプライドの部分に忍び込んでいたのだということを知ったのです。彼らが私にささやいたことは、結局「高級霊からの通信を受けることなどをやめて、神理を人に教えようなんていう気持を捨てなければ、お前は幸福にはなれないぞ」「神理を捨て、悟りを捨て、人びとを教えようなどとそんなことをやめた時に、お前は会社の中でも出世をする。偉くなれる。収入も増える。そして美しい女性も手に入れることができる」。彼らはこのように世にあるような悟りの時のこうした惑わかし、誘惑というもので、私の弱味へつけ込んできたわけです。この間何度か苦しい思いをして、悪霊たちのささやきに負けそうになったこともあります。ただそうした時に私が貫いたことはとにかく自分を磨いていくということでした。先のことはわからない、自己実現を焦っても先は見えない。ただ人を愛し、人を生かし、人を許せと教わっても、それを具体的にどうすればよいのかがわからない。けれども、神の欲する人には必ず天命が下るだろう。私も世に立つ時が来るだろう。それまでは、自分を磨いていくしか道はないではないか。もとより平凡から出発した自分。謙虚に自分を磨いていこう。霊道を開いたからといって、自分が偉大なる人物であるかのように誤解したことが間違いであったのかも知れなない。そうではない。自分は一平凡人である。平凡なる市民として、善良なる市民として生きていこう。善良なる市民として霊的能力を取り去ったとしても、それを拭い去ったとしてもそれがなかったとしても、立派な人間と言われるようなそうした生き方をしてみよう。平凡のなかに、自分というものを輝かしていこう。こう思うようにしたわけです。
 こうして、霊能を持っているということに関するプライド、それによって自分は特殊な人間なんだという気持を、私は全く捨て去りました。そして、そうしたものを捨て去っても、人間として自分が他の人びとにとって素晴らしい人であるように、よい人間であるように、人生で出会ってよかったと言われるようなそうした五月の風のような爽やかな人間になれるように、平凡なる市民として善良に生きられるように、そうした自分の生き方というものを検証する。具体的に自分が間違っていないということを検証する。そういう考えで生きることを決意しました。有能な人間となり、そして心地よい人間となるように、霊的なるものを一旦捨て、そしてそのなかで自分を見つめ直すということをやったわけです。
 こうした時に、次第次第に私は内なる悪魔に克っていきました。平凡のなかに光を放つという生き方を発見した時に、悪魔は私のもとを去っていきました。彼らは非凡ならんとするその気持を、その非凡とならんとする気持のなかの隙に、つけ込んでこようとするのです。特に霊的能力を求めんとして、非凡ならんとしている人のその心の隙に、悪魔は忍び込んできます。彼らを退却させるのは、一喝でもなければ強い霊能力でもありません。平凡のなかに自らを光らせていこうとする、その不退転の決意そのものでありました。」(大川隆法『平凡からの出発』PP.178-186)

このような「救世主たる自己基盤の確立に到った大川隆法氏の降魔体験(悪魔撃退)」の上に、「救世事業の組織体としての教団の不断の防御的営為としての弟子たちの降魔活動」がある。その「幸福の科学」教団的手段の中核は、《 正義の言葉『仏説・降魔経(ぶっせつ・ごうまきょう)』 》(大川隆法『仏陀の証明 偉大なる悟りの復活』幸福の科学出版, 1995,p.281-345参照)という仏陀・釈迦牟尼が天上から下した根本経典の一つである。

「(前略)
教団組織は悪魔に対する正規軍仏陀は この世の 光なり しかて 宇宙の 生命(いのち)なり」仏教の教えは、宇宙の理法です。そして、人間を創って、この世に生かしめようとする方向性そのものです。ですから、三宝(さんぽう)を誹謗し攻撃してくるということは、もう存在根拠(レーゾンデートル)そのものがなくなることを意味しており、本来、生かしておいてよいことではないのです。

宇宙の 叡智に 刃向かいて 逃るる すべは なかりけり」このあたりは、釈尊と孫悟空の話を思い浮かべたらよいと思います。一時期、悪魔が戦いに勝利したように見えても、最後は必ず滅ぼされることになっているということです。地獄そのものが、もはや釈尊の手のなかにあるのです。あるいは、地獄そのものが、すでに天上界から隔離されているということです。悪魔は天上界に上がることはできないのです。ただ、悪魔は、天上界の菩薩や天使たちが、苦しんでいる人たちを助けに地獄へ行っているときに、悪さをします。菩薩たちが地獄の霊たちに説教をして、彼らを救おうとしているときに、必ず邪魔をしにくるのです。あの世でのこうした戦いは、常に続いています。

これより後 悪魔は 法剣に撃たるべし 地上の悪魔は 撃退せん 地下の悪魔は 粉砕せん」強い決意です。あの世の世界は念のみの世界ですから、こちらが強い念を持てば、大砲で砲撃して、砲弾を撃ち込んでいるのと同じなのです。逆に、こちらの念が弱いと、悪魔は弱いところに攻め込んでくるのです。しかし、悪魔の軍隊というのは、たいして組織化されていません。悪魔は〝自由主義者〟であって、たいして組織性はないのです。それぞれ勝手に動きます。数は非常に多いので、全部が共同して当たってきたら大変な勢力だと思いますが、悪魔というのは個人主義でバラバラなのです。お互いに協力し合わないで、バラバラに攻めてきます。ですから、正規軍としての力はないのです。これは、ありがたい話です。逆に、三宝帰依体制をつくり、教団を組織として固めるのは、正規軍をつくるのと同じなのです。ゲリラは、やはり正規軍には勝てません。
(後略)」 (大川隆法『仏陀の証明』p.330-333)

以上のように見た場合、()「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日]。」という部分は、第一に、§931 大河と小川 (1991): XII-71において取り扱った「大河と小川は悪をせきとめ」という主題と関連し、第二に、ソ連問題の具体的解決者は「ミハイル・ゴルバチョフ」という神意を受けた大政治家であった、ということが銘記されなければならない。

第一に、「大河と小川」が「悪をせきとめるであろう(悪を阻止するであろう)」というのは、「幸福の科学」の伝道活動が本格化し始めた1991年に生じた出来事を指していると考えられる。特に「講談社」の写真週刊誌『フライデー』の人権侵害的記事に対する抗議に端を発した「幸福の科学」側のデモや訴訟活動によって、マスコミに巣くう「悪の勢力」が厳しく批判され非難され、人権侵害的記事やポルノグラフィー的写真等の排除・撲滅運動が活発化した社会事象はなお多くの人々の記憶に新しい。そして、「仏国に神託として流布するであろう。」というのは、「幸福の科学」の運動が、紛れもなく、神仏からの霊言の数々を受けてそのメッセージを人々に伝え、宗教的真理への覚醒を社会に起こそうとする一大宗教活動として行われるものであるということであろう。日本におけるこの「救世の社会的エネルギー」が霊的にソ連に波及して、「悪しき共産主義体制の崩壊」が加速・促進されたと見ることが出来るのであるが、この事態がまさに、ノストラダムス大預言が語る「サタンは捕縛されることになります」という予言と合致すると考えられるのである。

第二に、ソ連体制の清算の具体的政治プロセスは、ゴルバチョフの根本政策方針たる「ペレストロイカ(体制再構築)」の進展の最終的帰結として起ったことが確認されるだろう。そして、このゴルバチョフという政治家は、いわば「トロイの木馬でソ連体制内に送り込まれた神の使者」といった意味合いの人物であったのである。

ゴルバチョフとエリツィン 今世での決着なるか「大英雄 VS 挑戦者」 赤い帝国を内部から平和的に解体したゴルバチョフ。その前世は、人類史上に燦然と輝く大英雄シーザーである。そして、そのシーザーの命を奪うことで名を残したブルータスこそ、エリツィンの過去世だ。転生輪廻が生み出す壮大なドラマに、今、私たちは立ち会っているのだ。無神論帝国・ソ連を内部から解体した男 シーザーの魂は、一九三一年、スターリン圧政下のソ連で生まれた。ミハイル・ゴルバチョフである。彼の母も祖母も敬虔なロシア正教信者であり、いくら上から無神論を押しつけられても、スターリンの額のうしろにはイコンを飾り、教会にも通いつづけたという。ゴルバチョフも洗礼を受け、その宗教的雰囲気あふれる家庭で育った。やがてコムソモール(共産主義青年同盟)を経て早くから共産党員となり、若くしてそのトップの座にまで登りつめるゴルバチョフだが、その絶大なる信頼感=人間味は、彼が無神論者にはなりきれなかったことによるのではないだろうか。のちにワシントンで演説したゴルバチョフは、宗教についてこう語っている。「宗教が何百年にもわたって育て、自己の中に体現化した道徳的価値はソ連においてもまた改革という事業に... 現に貢献している。」(『ゴルバチョフ回想録』下巻)」(ザ・リバティ編集部 [編]『過去世物語 生まれ変わりの人物伝』幸福の科学出版, 1997, p.155-161)

核戦争の危機から全人類を救ったゴルバチョフ。 これからの世界平和の鍵を握るエリツィン。 無神論国家ソ連の解体という歴史的事業を成し遂げた今世のふたり。とくにゴルバチョフは、ソ連の最高指導者として、世界最大規模の核兵器保有という危機的状況を、内部からの政治改革とアメリカとの巧みな外交によって解消した。いわば核戦争という地球的危機の回避を、平和裏に実現したのだ。この功績は、遠く未来にわたって語り継がれるであろう。片やエリツィンは、ゴルバチョフの改革を「独裁」と決めつけたクーデター派には加わらず、結果的に彼を差し置いてロシア大統領になった。シーザーのめざした「パックス・ロマーナ」(ローマによる世界平和)が、結果的に後継者によって実現されたように、エリツィンもゴルバチョフの後継者として、ロシアの民主化と経済改革をやりとげ、「平和ロシア」を実現してほしいのだ。なぜなら、大国ロシアの安定は、やはり世界平和の大きな条件のひとつであるからだ。」(ザ・リバティ編集部 [編]『過去世物語 生まれ変わりの人物伝』幸福の科学出版, 1997, p.155-161初出:幸福の科学出版『ザ・リバティ』1996年11月号)。

この評論が初めて出た1996年から更に1999年12月31日まで、エリツィン大統領は何とかこの期待にこたえて重責を果たし、後継者プ―チン大統領にバトンタッチしたのだった。そして、そのプーチン大統領という人物も、極めて興味深いことに、その魂の出自は日本人(徳川八代将軍吉宗)であるという(大川隆法『守護霊インタヴュー ロシア・プーチン新大統領と帝国の未来』幸福実現党, 2012, p.173)。このことは、日本を中心とした21世紀の世界平和実現というノストラダムス予言にとって、大きな、積極的な意味合いがあるだろう。

それに対して、()「宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国をまとめ上げるような者 (サタン) が、一番深い淵に繋がれてしまう」と、()「造物主たる神は己が人民の苦悩を耳にして仰せられるでしょう:「サタンは深い濠の中の淵の中の奈落の中に入れられて縛られよ」と。」における「21世紀に入ってからの降魔活動の主体」は「唯物論国家共産中国並びにその類似勢力を霊的に封印する霊的パワーを有する幸福実現党」であると考えられる:「賀茂光栄(かものみつよし) また、今、「『時の [民主党] 政府が悪魔の支配下にある』ということを、堂々と断じることができる宗教になった」と申し上げましたけれども、同じく、「お隣の、十三億人という大きな人口を抱えた国家に対しても、『その政治指導部のあり方は間違っている』ということを堂々と言える宗教が日本に現れた」ということは、革命的な事実であり、すごいことなんですよ。これ以上の抑止力はありません。日本から、そういう宗教思想が現れて、「中国のあり方は間違っている」と言っているわけです。中国指導部は、国民を不幸にした責任を、すべて日本に転嫁し、共産主義思想によって貧しさの平等をもたらしてきたことを、すべて棚上げにしています。そして、「共産主義は正しい」という考え方のまま、欧米のよいところだけを取り入れて、経済的に豊かになろうとしているのです。そのなかに、また侵略の芽があって、「あわよくば、韓国や日本、台湾、その他、近隣諸国を支配下に置こう」と思っているのは、もう明らかです。これに対して、やはり、堂々たる言論を吐き、〝侍の国家〟として、「正義に対して忠実である」という態度を表明することが大事です。」(大川隆法『日本を救う陰陽師パワー 公開霊言安倍晴明・賀茂光栄』幸福の科学出版, 2010, p.113-115)

なお、幸福の科学の「降魔論」に関しては、次の書籍も参考になる。
大川隆法『悪霊撃退法 高級神霊が直示する – これで勇気百倍だ- 』角川書店, 1989.
大川隆法『エクソシスト入門 実録・悪魔との対話』幸福の科学出版, 2010.
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