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§941 ノストラダムス大預言の完成と終了 (2000 -): I-48

大団円としての幸福の科学11  ノストラダムス大預言の完成と終了

第一サンチュリ第48詩 ノストラダムス大預言の完成と終了 (2000 -): I-48 (§941).
月の支配の二十年が過ぎたら、
七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。
太陽がその[月の]倦まれし日々を自らの手にするだろう時、
その時太陽は我が預言を完成し終わらせるのだ。


§941: Nostradamus’ prophecies accomplished and finished (2000-): I-48.
Twenty years of the reign of the Moon past,
For seven thousand years the other shall hold the monarchy:,
When the Sun shall take its tired days,
Then it accomplishes and ends my prophecy.


Vingt ans du regne de la Lune passés,
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:
Quand le Soleil prendra ses jours lassés,
Lors accomplit & mine ma prophétie. (№2)

 ここには、ノストラダムスが、自分の大預言が遂に終了するその時を自ら示している。彼の預言は何時までの世界史の出来事を扱っているのか、研究者によって色々に解釈されているが、それを解決するにはまさにこの預言詩を正しく解釈出来なければならない。

そこで、先の事例(大団円としての幸福の科学7:§937,III-4: 神託の開始 (1981)「月的なものどもが欠如に近づくであろう時、一者と他者が互いに大きく離れておらず、境界帯には寒さ、乾き、危険、まさにそこに於いてこそ、その神託活動は始まったのだ。」参照)から推して、「[月とは]別のものの支配」、即ち三行目で明言されているように「太陽の支配」が開始されるであろうまさにその時こそがそれである。

そしてその時、太陽は、ノストラダムスの預言を「完成し終わらせる accomplit & mine,  accomplishes and ends」と明言されている。

この二つの動詞は、ノストラダムスの全予言詩の中では例が限られている「直説法現在時称の動詞」であり、この場合は単なる予言的性格を越えて「歴史的必然の事態」を語ろうとしていると考えられる。accomplit (it accomplishes) という動詞は、1555年版 (№1, №6, №7) では、accomplir (to accomplish) というように、未来意味を負わされた不定詞になっていたから、1557年版以降 (№2, №3, №9, №10)で、ノストラダムス自身が、accomplit と改定したことがわかる。しかも「太陽は」ノストラダムスの預言を完成し終了させるというのだから、極めて権威とパワーの高い神的存在であることになる。この「太陽」とは、既述のように、「太陽の法を掲げた大川隆法」幸福の科学総裁である。

 差し当たり、月の支配と太陽の支配の交代に関わる年代の特定に議論を集中したい。

 そこで、先の解釈に基づけば、「1981年(大川隆法氏における神託の開始)という年」は、「月の支配の最終期」に属する一年であるから、それとの関係から「太陽の支配の始まり」を知る手掛かりが得られると期待される。ここで既述事項から参考となることを取り上げると、第1章17歌において、虹の四十年にもわたる不出現(第二次大戦終了後の日本及び日本人の大多数の精神状況、いわゆる国家神道的日本民族固有信仰という精神的主柱の喪失。この場合、四十年は 1945 年(昭和 20 年)から数えると 1985年(昭和 60 年)にわたる。)の後の、昭和 60 年になっての「虹」の出現(「幸福の科学」の最高指導者・大川隆法氏が霊的世界からの通信に基づいて初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』を昭和60年8月15日に刊行。これは年度がピッタリ一致する上に、終戦記念日たる8月15日という日付までも一致するという驚異的符合さえ存在する。)という事柄を想起すると、「虹」が出るには空気中の適度の湿り気と共に「太陽の光」が不可欠であるから、ここにまさに「太陽の支配の時代の曙光、つまりその開始」を見て取ることが許されるであろう。

即ち、昭和 60 年[西暦 1985 年](8月15日)という日付(初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』の刊行年月日)が、まさに、「太陽の支配の時代の出発日」なのである。(ここに、「日蓮」つまり「太陽の蓮華」という美しい名前の人が関わっているのも偶然ではあるまい。)

 しかしここでまた細部に入るならば、「太陽がその [月の] 倦まれし日々を自らの手にするだろう時」という文学的表現は興味深い示唆を含んでいる。何故なら、「太陽が捉えたその日々は、月の日々であり、その最後の疲れ果てた日々」に他ならないというのは、その限りで確かに「太陽の日々」であるけれども、しかし同時に未だ月の支配下にも属する日々と考えてよいような、そういう二重国籍的な日々であろう。従って、「昭和 60 年[西暦 1985 年]8月15日という日付(初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』の刊行年月日)がまさに太陽の支配の時代の出発日なのである」と言うことは可能であるが、他方、その日には既にもう月の支配は終わっているということでもない。つまり両者の交代は点的なものではなくて、重合的推移でしかない。換言すれば、月の支配の最終期と太陽の支配の最初期は二枚の向き合う対称的な楔が微妙に重なり合って凹凸を見せない感じで連結しているのであろう。従って、ノストラダムス大預言の終結もピンポイント的な時点ではなく、或る程度の幅を持った期間に於いて想定すべきである。それはとりもなおさず、月の支配の最終期と太陽の支配の最初期が二枚の向き合う対称的な楔の重合のように形成する推移期間である。

 他方、詩文中に見える月の支配の「20年」と、太陽の支配の「7000年」というのは、正確な根拠ある数というよりも、象徴的なものであり、月の支配よりも太陽の支配の期間が圧倒的に長期に及ぶというような理解で本詩内的には満足すべきだろう。しかしながら、別の関連詩(§940,X-74)を参照すると、月の支配のこの「20年」というのは、紛れもなく「2000年」のことであると理解される。つまりそれは西暦紀元2000年間を意味する。よって、先に述べたように月の支配の最終期と太陽の支配の最初期は事実上二枚の向き合う対称的な楔が微妙に重なり合って凹凸を見せない感じで連結しているのであるが、理念上は、西暦2000年を以て月の支配の期間が終わり、2001年を以て太陽の支配の期間が始まると考えられる。」[初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(9)」北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号、1999年。一部改稿])

 なお、本詩の「月の支配の終了」と同じ趣旨を詠う他の四行詩が存在する。

 III-97詩(§860): オスマン帝国崩壊と中東諸国独立 (1920-1948)「新しい法が新たな地を占拠するだろう、シリア、ユダヤ、及びパレスチナ方面において。巨大な野蛮の帝国が潰えるだろう、フェベがその時代を締め括る前に。Collapse of the Ottoman Empire; Independent countries in the Middle East (1920 - 1948): III-97. The New law shall occupy the new territories, Towards Syria, Judea, & Palestine: The grand barbarous empire shall collapse, Before Phebe shall have finished its age. ( Nouvelle loy terre neufve occuper vers la Syrie, Judee, & Palestine: Le grand empire barbar, corruer,  Avant que Phebés son siecle determine.) 」「フェベがその時代を締め括る前に」という規定は、Phebés = 「 Phebeフェベ:(ギリシア神話) 月の女神としてのアルテミス (ダイアナ) 」(Obunsha) とすると(日付のある預言詩2(続) : VI-2(その2)参照)、「月の支配の二十年が過ぎたら」という本詩 (I-48, §941) の趣旨と重なる。

 I-25詩(§934):「月がその大循環を完了するより前に。Before the Moon finishes its grand cycle,  Ains que la lune acheve son grand cycle 」三行目「月がその大循環を完了する前に」とは、太陽の光で僅かに輝く月のような絶対他力的原理の宗教のイエス・キリストという基軸を巡って来た西暦2000年間の終末期ということ、換言すれば「太陽の時代の開始期」に相当し、キリスト再臨約束の実的履行者・再誕のブッダ大川隆法氏の<太陽の法旗>のはためき始めた年々ということになる。なお、「月がその大循環を完了する」という表現は、後で取り上げる予定の関連詩I-48(§941)との繋がりによって一層明白となる (大団円としての幸福の科学4参照)。

 さて、しかし、「太陽が我が預言を完成し終わらせる」という本詩の趣旨は、今述べたような、単なる「時期的な接続と継起」という意味だけに止まるとは思われず、そこには同時に、もっと内容的な大切な意味が込められていると思われる。何故なら、単なる「時期的な接続と継起」という意味だけであるならば、「終わらせる」という一語で足りるであろうからであって、そこに敢えて「完成する」というもう一つの他動詞が付け加わっているのは、「我が預言には、太陽に依って完成されるのを俟っている不足部分が有ります」ということを、本詩作者たるノストラダムスが告白している、と解釈されるからである。

こういう問題が出て来る所以は、我々が従来力説して来た「ノストラダムス預言西暦2000年終了説」だけでは律しきれない歴史と預言の幅のある持続ないし期間が実在し、それを無視する事が出来ないからである。つまり、ノストラダムス『預言集』のカバーする範囲が、原理的には、西暦2000年迄だとしても、ある特定の四行詩または「セザール宛序文」や「アンリ二世宛書簡」で取り上げられた事項が、主なテーマはなるほど例えば20世紀内の事だとしても、時間的にその先へと持続して行く要素がそこに必然的に含まれているならば、そしてそれが21世紀へと延伸されてゆく性質のものならば、21世紀に関する預言が避けられない場合もあり得るだろう。しかし、その預言を、他の2000年内に完遂される預言と同様に「本格的に扱っていたら切りが無くなる」から、ノストラダムスは、そういう点で「十分には預言事象の判断材料を提示しなかった」と考えることが許されるだろう。

 具体的問題に当てはめるなら、例えば、前節で取り上げた「21世紀初めからの世界平和」という問題は、実際、それ以上の説明材料がノストラダムスからは提供されていない。もし、本詩が云うように、「太陽が我が預言を完成する」というのであるならば、この問題についての十分な説明を提供し得るのは「太陽、即ち、幸福の科学総裁大川隆法氏」その人以外には存在しないのではあるまいか。

そして、西暦2013年8月11日(日曜日)の今現在、「世界平和」の問題を、理論的にも、実践的にも、主要な課題として自らに課し、日々敢闘している「不惜身命を地で行く人」として、我々は大川隆法氏自身を見出すのである。ここでは、氏の最近の著作『政治と宗教の大統合』(幸福の科学出版, 2012)の中から、関連する章句を引用しておきたい。

「唯物論・無神論」勢力には、断じて屈するわけにはいかない
 私たちは、「宗教的に見て正さなければいけない」と思う部分については、教義上の戦いを行います。いろいろな宗教に関して、「宗教的に間違っている」と思うものについては、批判し、修正を求めたいと思います。ただ、それはそれとして行いつつも、「宗教は要らない」とか、「唯物論・無神論の国が正しい」とかいう考え方には、断じて屈するわけにはいきません。なぜなら、そういう思想を信じたならば、その人は、将来、地獄に堕ちて苦しむことになるからです。それについては、「マルクスの霊言」などを読んで、彼が、今、どうなっているのかを知ってください(『マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ』〔幸福の科学出版刊〕参照)。あれだけ大きな影響力を持ち、共産主義者たちから神様のようにいわれていたマルクスが、地獄の無意識界で、自分が死んでいることさえ分からない状態になっているのです。また、「丸山眞男の霊言」も収録しました(「日米安保クライシス」〔幸福の科学出版刊〕第1章参照)。霊言収録の時点で、死後、十四年がたっていたのに(一九九六年没)、彼は、自分が死んでいることが分からずにいたのです。彼は、「体の具合が少し悪くて、まだ病院のベッドの上にいる」と思っており、死んだ時点で時間が止まっていました。質問者が、「今は、二〇一〇年です」と言っても、まったく信じず、まだ一九九六年だと思っていたのです。「体の具合が少し悪いので療養しているのだ」と言って、霊界の存在はまったく信じていませんでした。そういう人が、安保闘争のリーダーだったわけです。彼に引っ張られて大勢の人が安保反対の方向へ動いていきましたが、アメリカとの同盟に反対した「六十年安保」「七十年安保」のリーダーたちは、まだ政界でくすぶっています。そういう人たちが、今、この国を悪くしようとしているため、何とかして、これを浄化しなければいけません。」(p.86-88)。

ここで挙げられている「唯物論・無神論」勢力」というのは、ノストラダムスが、まさに、AZOARAINS(刹那的現代人たち)という独自の新造語で言い表わそうとした当の人々であるに違いない。

「よい国」と「悪い国」とを見分ける明確な基準
 アメリカは、確かに強大な軍事力を持っており、その軍事力を行使している部分をミクロ的に見れば、悲惨なこともたくさんあるだろうと思います。神仏は公平平等だから、どの国も同じように見ているかといえば、そのようなことはないのです。やはり、「どちらの国のほうが、人間がより幸福になるか」という観点から、はっきりと判定が下っているのです。私は、一九八〇年代に『ソクラテスの霊言』という霊言集を出しましたが、その中に収録されている「リンカンの霊言」で、リンカンの霊は、「神は、ソ連よりもアメリカのほうを愛している」と述べていました。当時は、ソ連という国がまだ存在していた時代ですが、このリンカンの言葉に対して、ある読者から、「そんなはずはない。神ならば、ソ連もアメリカも平等に愛しているはずだ」というような意見が来たことを覚えています。しかし、その数年後、ソ連邦は崩壊しました。ソ連邦崩壊後、蓋を開けてみたら、国のなかはひどい状態でした。国家が、外側をうまくごまかして、よい国であるかのように宣伝することはいくらでもできますが、やはり、「どちらが、よりよいか」という方向を指し示して、国をそちらのほうに変えていかなければいけません。もちろん、アメリカにも、病んでいる面はたくさんあります。しかし、私たちに、その病んでいる面を学ぶ必要はありません。立派なところだけを学び、日本型の素晴らしい国家モデルをつくって、それを世界に広めていくことが大事です。日本には、次の世界のリーダーになるべき使命があるのです。「アジアやアフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、これらをすべて結ぶ懸け橋になることが日本の役割である」と、私は信じてやみません。」(p.88-91)

東アジアにおける「最後の冷戦」を終わらせるために
 今、国際的、外交的な面で、私たちが立ち向かわなければならない大きな課題は、二つあります。一つは、この東アジアの地における「最後の冷戦」です。かつて、アメリカとソ連邦という二大陣営を中心とした冷戦がありましたが、中国や北朝鮮においては、今もまだ、政治的には共産主義体制が残っています。そして、今、「この極東アジアで、最後の冷戦が終わるかどうか」という局面に来ています。私は、この冷戦を終わらせ、世界の人々が同じ土俵で話し合いができるような世界に変えていきたいのです。価値観の相違や政治体制の違いによって、お互いに憎しみや不信感が生れ、そこから戦争が生まれてくるのであるならば、価値観を共有しうる一つの思想を宣べ伝え、広げることによって、平和を樹立しなければならないと思います。北朝鮮の九十九パーセントの国民は、「もっと幸福になりたい」と思っているはずです。わずか一パーセントの人たちが、権力を握って離さないだけなのです。私は、かの国を仮想敵国として見るのではなく、かの国の人たちも、自由に日本に来ることができ、ディズニーランドで遊んで帰ることができるようになる日が来ることを、夢見ています。近い将来、そういう日が来ることを、心より祈っています。
 また、中国は、自由主義経済を一部に取り入れて、経済的には西側寄りになりましたが、政治的には依然として共産主義の一党独裁体制を維持しています。しかし、これ以上、その体制を続けることは、十三億の国民を苦しめることになります。私は、中国に対し、『そういう現実を率直に認めて、価値観の転換を図るべきである』と提言したいと思います。今、この大国が、自由と民主主義の方向へと、大きく舵を切ることができたならば、世界は平和へと大きく前進します。そうなれば、次の大きな世界戦争は起きずにすみます。そちらの方向へ導いていきたいと、私は、強く強く願っていますし、できれば、私が生きている間に、この冷戦を終わらせたいと強く念じています。
 もう一つの問題は、宗教を中心とした戦いです。「キリスト教圏、プラス、ユダヤ教圏」と「イスラム教圏」との間には、思想的な違い、相互理解のなさによる戦争や、怒り、憎しみが続いています。この問題について、価値判断を間違えたならば、今後、百年、二百年、三百年と、戦いが続いていきかねません。私は、今、「キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の違いを乗り越えて、世界が、一つの神の名の下に、その思想の下に融合し、平和への道を拓いていく」という未来の構築を目指しています。世界が争いのなかにあるならば、宗教がその使命を果たしているとは言えません。教義や修行の方法、儀式や礼拝の仕方に違いはあるでしょう。しかし、そういう違いはいったん横に置き、「この地球に神なる存在があるとするならば、何を願っているか」ということを、全世界の人々に想像していただきたいのです。神が、民族間の戦争や憎しみ、怒りなどを願っているはずはありません。また、無神論、唯物論が世界を覆うことを望んでいるはずがありません。神は、正しい世界観の下に、人々が協調し、繁栄する世界をこそ願い、望んでいるはずなのです。」(p.114-118)

幸福実現党の使命
 私が二〇〇九年に幸福実現党を立党したのは、この日本のなかに小さな利益団体をつくり、自分たちの団体に有利になるような利益誘導がしたいためではありません。日本の国民を没落から救い、全世界の人々に、幸福への道しるべを指し示すために幸福実現党をつくったのです。幸福実現党を支持し、応援してくれている人々の声は、まだ小さいかもしれませんが、私は、その声をとても心強く感じています。私たちの政治活動の根本にあるものは、天上界からの強い強い願いです。私がスピーカーとなって、この天上界の願いを地上の人々に伝えているのです。私は、スピーカーとして声を伝えるしかありません。言葉として、思想として、訴えかける以外に方法はありません。しかし、あなたがたが、その足で、その手で、その口で、その目で、「人を愛し、幸福にする」という活動を日々実践していくならば、世の中は、毎日毎日、毎週毎週、毎月毎月、毎年毎年、変わり続けていきます。そして、その活動は、単に、「日本を救う」という小さな目標で終わってはなりません。私たちの目標は、世界の未来を指し示すことにあります。世界の人々に、向かうべき方途を指し示すことが、私たちの最終目標なのです。
 私は、千年、二千年の未来に向けて、人々を幸福に導く源流でありたいのです。
 そのための、愛の原点でありたいのです。
 そのための、悟りの出発点でありたいのです。
 そのための、勇気の原動力でありたいのです。
 それが、幸福の科学の目指すものであり、幸福実現党を立党した私が心底から願うものでもあります。」(p.119-121)

補論 第八千年紀(21世紀)初頭の世界平和実現について:

以上の、「幸福の科学」による補足を俟って、再度、前節の「第八千年紀初頭の世界平和」について考察を進めてみたい。先に見たように、「アンリ二世宛書簡」には次のような一節があった:

「偉大な法  [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINSが例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169)

さて、既述したように、この文章は「第七千年紀に近い時期」、つまり、「第六千年紀の終り頃か、第八千年紀の初め頃」の世界情勢の予言である。ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々…。」 (№1,p.42) と述べている所からすると、問題なのが「第六千年紀ではなくて、第八千年紀」であるのは明白である。言い換えれば、これは、大団円としての幸福の科学14-15: §944, X-72 キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7); §945, X-75 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000)において見るように、「イエス・キリストに代る天からの再臨者大川隆法氏」の登場という画期的事実を考慮しつつ解釈しなければならない、ということである。

そこで、文中の「イエス・キリスト」を「大川隆法氏」と読み換えてみると、以下の解釈が導き出される。

偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日]。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様に大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるこれは、「tribulation 試練」という語が、「宗教的な苦悩、苦難」(Suzuki) という意味を主として持つので、「大川隆法氏の最初の配偶者が信仰逸脱によって惹き引き起こした諸々の法難(toute tribulation: あらゆる試練)から、その離婚(2012年)に依って解放された」という事実が当てはまる(大川隆法『現代の法難①』『現代の法難②』『現代の法難③』『現代の法難④』幸福の科学出版, 2011, 参照)。

** 大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないここで「北方」とは、「21世紀初頭において旧ソ連になぞらえられる勢力」であるから、「日本国首都・東京より北の緯度にある北京を首都に持つ中華人民共和国、及び、〝北朝鮮〟と俗称される朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家」と比定してよい。

** AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: AZOARAINSとは、既述のように、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味の造語で、従って、それは「21世紀初めに於いて指導的宗教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になる。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものを指し、この場合は具体的に、「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」ということになる。そして、彼らが「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に混入しようとする「胆汁と疫病的誘惑の種」とは、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」であろう。

** 世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも:「ある種の大きな紛争 (quelque grande conflagration, some large conflagration) 」という曖昧な表現は、「決して戦争には到らないような国際摩擦・地域紛争」と解される。しかも、原文は文字通りには「ある種の大きな紛争に近づくけれども」であるから、「実際に大紛争になることにはならない」という意味である。例えば、優れた国際政治学者・副島隆彦の近著『日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社、東京, 2015, p.145)は、国際紛争の諸段階を、①議論・対立・交渉(Argument)②軍事衝突(Military conflagration = Armed conflict)③事変・紛争(Military conflict)④戦争(Warfare)⑤和平交渉(Peace talks)⑥平和条約(Peace treaty)の6段階に分けて説明しているが、時代的性格を持つ用語をも見通していたノストラダムスの場合、その「Conflagration」というのは、副島氏の言う「警察公務員の5~10人程度の死亡を伴う第二段階の軍事衝突」というニュアンスで理解してよいだろう。或いは、「Large conflagration」として第三段階の「事変(両軍で各300人程度の死亡)」と見做すことも可能だろうが、いずれにしても、「そういう事態に近づく」だけということなら、殉死者が全く出ないか、あるいは出ても10人程度の小競り合いが預言されていると解される。

** そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: 後半は「譲歩の従節」で、それが、前半の二つの主文に掛かっていると考えられる構文である。従って、これを分解すれば次の二項になる。

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: この場合のAZOARAINS(永遠の生命を信じる真の信仰を欠いた刹那主義者・現実主義者たち)は、「幸福の科学に法難をもたらした大川隆法氏の最初の配偶者及びその協力者」という意味で理解してよい。

** 人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: 「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」が「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に、「胆汁と疫病的誘惑の種」、つまり、、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」を繰り広げても、「ある種の大紛争に近づく」だろうが、「決して本格的な大紛争や戦争」には到らず、全世界的平和が実現されるであろう。ここで、「平和 Paix」のフランス語原語は「大文字のイニシャル」となっているから、「強調された確固たる平和」の意味が込められていると解釈できる。従って、これは実に明確な「ノストラダムスの世界平和到来宣言」(21世紀初頭に立つ今現在、すでに実現しつつある預言)なのである。但し、「世界平和」と言っても、ノストラダムスの「諸世紀にわたる俯瞰の眼」からすれば、例えば第二次大戦後の長期の世界時期(1945年から、1991年の第一次湾岸戦争まで)が「長期の平和」と称された(§928,I-63: 第一次湾岸戦争 (1945-1991)参照)ように、或いは又、フランスの歴史において、多くの小規模な国境拡張対外戦争を仕掛けたルイ14世治下の長期の繁栄(1659 – 1715 の57年間)が「平和な年々」と称されたように(§320, X-89参照)、波乱一つない完全な凪状態ではなくて、世界が生きて動いている証拠とも言うべき「各地各期の小地域小摩擦」を含みながらも世界大戦には到らない静穏状態のことである。

 

なお、大川隆法氏を「第八千年紀のイエス・キリスト」に見立てる解釈には、氏が「イエス・キリストの再臨約束の債務弁償者である」という根拠が第一に想定され得るが、第二の強力な根拠が存在する。それは、霊天上界にあるイエス・キリストは、いわば「幸福の科学のCEO(最高経営責任者)」といった責務を負い、同教団の具体的な地上の宗教活動を指導する天上の最高責任者である、という体制である。このことは、「幸福の科学」の初期の段階でも明言され(下記A)、また最近においても同様に確言されている(下記B)。

A:  イエス・キリストは「幸福の科学」の最高指導霊である(1986)。
大川 - イエス様お出で下さい --。
イエス イエス・キリストであります ―。

善川 イエス様ですか。

イエス そうです。もう四年近く、私はあなた方と話をしておりませんが、いまこうして機会も熟し、あなた方とまた話しあえる機会ができたことを嬉しく思います。

善川 過去、お教え願って以来この方、私たちの「正法流布」の使命がどれ程もなされていないということを申し訳なく存じております。しかしながら、以来多くの諸如来、諸菩薩の方々から、正法、神理について、多方面、多角度からご指導をたまわり、「法」そのものを己れの血肉となし、生きていこうとする覚悟ができ、ささやかではありますが、各自の立場において世の人びとに語りかけることができかけておりますことを感謝いたしております。つきましてはこの機会に、イエス様から、大所高所から私たちにご指導のお言葉をたまわれば幸いと存じます。

イエス そのような格式張ったことは言わないようにして下さい。あなたは何か勘違いをされているようです。私はあなた方の指導霊なのです。だから、あなた方のできが悪いということは、私の指導が悪いということなのです。あなた方の学習、あなた方の行動、あなた方の「法」もそのでき具合は、私自身のでき具合とからんでいると思っていただきたいのです。あなた方を離れて、私があるわけではないのです。私はあなた方と一体です。そう思っていただきたいのです。全く別な人間であって、高所からあなたがたを見下ろしている人間だと思っていただきたくないのです。私もあなた方の仲間であります。あなた方を指導する霊たちの最高指導霊は私だということです。あなた方の今回の計画の、指導の最高責任者の立場にあるのは、この私であります。余り将来のこと、悪いことや、不自由なことばかり想像しないでください。私たちは大きな眼で見ていますが、もちろんあなた方にとって必要なものは、既に用意されているのです。あなた方が心の中に思い浮かべ、あなた方が希求し、要求する前に、私たちは、あなた方の必要なものは知っておるのです。既に用意しておるのです。その必要なものが、あなた方にとって、適切な時期に、その時機、その時機に与えられるようになっているのです。」(善川三朗『キリストの霊言 過去の教義を超えて』潮文社、東京、1986, p.42-45)。

 

B:イエス・キリストの「現在の仕事」(2013)。

「幸福の科学の世界宗教化」がメインの仕事

綾織 幸福の科学に対しては、このようなかたちでイエス様からメッセージを頂いているわけですが、普段、キリスト教世界の中で指導されている方はいらっしゃるのでしょうか。

イエス それは、いろいろと、導くべきところで、まめに働いてはおりますがね。いろいろな活動を世界各地でやっていますから、関係があるところには、多少なりとも霊的な力を加えようと努力していますけれども、今は、「幸福の科学が世界宗教になるように、その道をつくりたい」ということが、いちばんメインの関心事です。どのようなかたちで、キリスト教国にこの教えを広げていくか。あるいは、イスラム教との関係で、どのようにして広げていくか。そのへんを考えたりすることの方が、中心的な仕事にはなっていますね。ある程度、準備しなければいけないところがあるので、「大きくなればいい」というだけではないんですよ。つまり、急速に大きくなってきた場合に迫害が来ることは、歴史的に、繰り返し、いろいろなかたちで起きていますし、急速に広がるものは迫害を受ける可能性があるので、やはり、それを乗り切れるだけの準備が必要ではあります。その意味で、「急いではいるけれども、急いでいないところと両方ある」ということですね。」(大川隆法『イエス・キリストに聞く「同性婚問題」性と愛を巡って』幸福の科学出版、東京、2013, p.107-109)。
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