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§940: 墓から出た人々(霊人達)の出現: X-74 (1981-)

大団円としての幸福の科学10 墓から出た人々の出現

第十サンチュリ第74詩 墓から出た人々霊人達の出現 (1981-)X-74 (§940).
七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて

赤トンボの飛翔が次々と現われるであろう。
千番目の大きな年から離れていない頃、
中に入っていた者たちがその墓から出て来るであろう。

§940, X-74: Spiritual beings appear by turns (1981-).
Years of the seventh great number having passed one after another
Shall appear by turns the flights of Akatombo,
Not far from the thousandth great age,
When the enclosed shall come out of their tombs.

(An revolu du grand nombre septiesme
Apparoistra au temps Jeux d’Hacatombe,
Non eslongné du grand eage milliesme,
Que les entres sortiront de leur tombe.

 この詩の二行目と四行目は、夫々が特異な表現で同一の事態を語っていると思われる。それは、多分、大川隆法氏の霊言集の数々を意味しているであろう。そして、一行目と三行目も、矢張り異なる表現において、共に、或る同じ時期について語っている。『日蓮聖人の霊言』(1981) を嚆矢とする大川隆法氏の数々の霊言集は、日蓮のように既に過去の人となっている人々の現存する霊との対話集であるとされるから、「その墓から出て来た者たちの言葉」ということになろう。なお、先に「ノストラダムスは同じ四行詩の中で同一事項を繰り返し語ることはしない」という点を注意喚起したが(大団円としての幸福の科学9(続& 1/2§955-§956, I-1 & I-2 ノストラダムスの「発声的書記」参照)、それは「腰を掛けている」と「椅子に寄っている」というような「全く陳腐な表現の重複の無用性」を指摘したのであって、逆に「重要、且つ、解読困難な事態に関する多面的描写、複層的表現」は、ノストラダムス預言詩に固有の特質と見ることは、解釈者が身に着けるべき解読戦略の構成要素である。

 

ところで、土葬の墓であれば、そこからの復活は聖書に見られるように、身柄自体の蘇生という形が当然とされるであろう。これはいわゆるイエス・キリストの再臨と最後の審判における死者たちの復活において信者から期待されている形態であろうが、この詩での復活はどうもそうではない。それは単なる霊的復活である。そのことは二行目の注意深い解釈により判明する。

 

そこで問題なのは、Jeux d'Hacatombe (Actions of Hacatombe) の意味であり、「赤トンボの飛翔」といったような我々の解釈が可能かということである。Hacatombe Hécatombeの一字置換による変形と思われる。Hécatombe は「雄牛百頭を生けにえに捧げるギリシアの供儀」であり、それを僅かに変えてHacatombe としたのは、いつものノストラダムスの細工である(例えば、§352, VIII-24におけるParpignan§353, VIII-22における Parpignam参照)が、この細工にはどんな意味が隠されているのだろうか?

 

我々がそこに「赤トンボ」という意味を見るのは、勿論、この単語の発音に基づく。Hacatombe のフランス語の発音は「アカトンブ」であるが、tombe (トンブ、墓)と同義語の tombeau(トンボ、墓)を用いてHacatombeau にすると「アカトンボ」と読める(尤も、だからと言ってHécatombe -tombeが墓の意味という訳でない)。また、Hacatombe Hacaは、Hをアスピレ(有息)と考えると「ハカ」(墓)と読めないこともない。つまりここに我々はノストラダムスの語呂合わせに応じて、日本語的平面の語呂合わせを敢えて行う。そうすると、大川隆法氏がそこで産れた日本文化の中でのこの詩文の解釈が可能となる。このようなノストラダムスの「語呂合わせ手法」は、II-91 (§868)安芸の地に米国の原爆炸裂 (1945.8.6)」にも、極めて重要な実例が見られる。即ち、そこに出てくるフランス語のAquilon (アキロン)という単語で、これは本義が「北風」という事で、多くの研究者は「北方」「ロシア」等と解釈する。そうすると詩の他の部分が果たして原爆災害を述べているようでも、どうしてもこの語が整合的に解釈出来ない恨みが従来残ったが、全く観点を変えて、「アキロン」という音声に注目した時、「アキロ= 安芸路」という語呂合わせ的な解釈が浮かび出て来るのである。「安芸 アキ」は正に「広島地方」の古称であり、「安芸路 アキロ、アキジ」とすれば「安芸の地、安芸方面」という意味になる。フランス19世紀 (1835) の有名な地理事典 (MacCarthy) は「AKI, 北西を IVAMI (石見)、東をBINGO (備後)、南をSikoko [Sikoku] (四国) 水道、そして西南をSUVO (周防) の各国に囲まれた日本本島の西方の一国」として安芸を説明している。また、安芸を実際にAQUI, Aqui と表記した17世紀の古地図も存在するから、これなら、より一層、Aquilon というノストラダムスのテキストに近い(P.ブリエ作「日本図」1640年代刊、国際地学協会出版部編『総合世界/日本地図』(株)国際地学協会、東京、1989, 見返し参照)。

実際、トンボは神武天皇が日本の国土の形状を「蜻蛉の臀舐 あきづのとなめ」に似ていると評したことから日本国の古名となったように、我々には縁の深い昆虫であり、「民間では、初秋に突如として群れをなして飛来するところから、祖霊が姿をかえてやってくるとみてこれをとらえることを忌み、とらえると<盆と正月礼にこい>と唱えて放つ風習があった。」(千葉徳爾「トンボ」『平凡社大百科事典』1985年、第10巻、P.1137)。

つまり、日本では、トンボは「この世に戻って来た祖霊の姿」として表象される。日本的に考えると、死者の復活は肉身蘇生といった重厚なものではなくて、さわやかに飛ぶトンボのように軽快で、真に精霊的である。そして雄牛「百頭」の犠牲を意味するHécatombe の変形であるHacatombe にも、そういう多数という意味を含ませてよいから、Hacatombe は「多数の赤トンボ」の意味になる。そしてjeu (action, play, game) は、或るものの固有的活動・機能であって、トンボならさしずめ「飛翔」ということになろうが、ここでは昆虫自体ではなく、トンボに象徴される「霊人たち」が問題となっていて、そのあるべき活動としては、「人間との交流」が考えられよう。

従って、大川隆法氏との交流、及びそれに基づく霊言集の刊行ということは不可解ではない。そして、au tempsというのは、「元に戻って一斉に」体操するといった場合の整然とした動きの拍子のよさであり(cf. Ibuki; Thomas, s.v.temps)、従って「同様の事が次々と繰り返し起る」という情景を表すから、英語の by turns 代わる代わる、順番に)を当てることが出来る。また、apparoistra (shall appear) という動詞は単数形であるから、先の日興、日蓮二人の霊人の到来が単数形動詞surviendraによって個別分配的に表現されていたと同様、ここでもJeuxという複数形主語に対するこの単数形動詞は、個々のJeu が次々と拍子に乗って現れて来るとの分配的表現となっているのであろう。

なおJeux d'Hacatombeという頭文字の大文字表記は、日興、日蓮等の個人名を持つ霊人たちを意味するからと思われる。このようにして、日本において、日本語を用いて開始された大川隆法氏の霊言活動が、このノストラダムスのフランス語預言詩の中で捕えられるためには、幾つかの語句の含みが「日本文化的なもの」を暗示する必要が確かにあったのであり、そのことを作詩者ないし霊感能与者はあやまたず実行したとの深い感慨を禁じ得ない。

 では次に、一行目と三行目の検討に移ろう。「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて」と「千番目の大きな年から離れていない頃」とは、「同じ時期」を指していると思われる。先ず「七番目の大きな数le grand nombre septiesme the seventh great number」というのは、ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)に記述されている「第七番目の千の数le septiesme nombre de mille the seventh number of thousand」のこととしてよい。そこでは「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々」と述べられている(№1, p.42)

これは、西暦紀元前と紀元後を通算してその全体の初年を1とした時、1乃至1000年を第一千年紀、1001乃至2000年を第二千年紀、2001乃至3000年を第三千年紀、3001乃至4000年を第四千年紀、4001乃至5000年を第五千年紀、5001乃至6000年を第六千年紀、6001乃至7000年を第七千年紀、7001乃至8000年を第八千年紀とする紀年体系である。「序文」にあるように、序文の日付としての1555年が第七千年紀に属するならば、第七千年紀の範囲は、理論上、1555年がその最終年の場合とその初年の場合の両極端の中間期間に合致することになる。つまり、1555年がその最終年の場合の第七千年紀の初年は556 年であり、1555年がその初年の場合の第七千年紀の最終年は2554年となる。従って差し当たり 556年乃至2554年の間の或る1000年間が第七千年紀の期間である。それを特定するためには第二の規定に頼らなければならない。

その第二の規定「千番目の大きな年le grand eage milliesme the thousandth great age」(eageâge (age), milliesme millième (thousandth) と読む)というのは、「単なる千番目の年が1000年を表す」のに対して、「千年ごとに現われて来る千番目の年」であって、つまりは1000, 2000, 3000, 4000, 5000, 6000, 7000, 8000, 9000というような年々であろう。するとこのような年を「 556年乃至2554年の間」に求めると、1000年と2000年の二つの場合が浮かび上がって来る。この二つのうち、問題とされるのは、例えば1985年(昭和60年)という「太陽の支配の時代の事実的開始」と同じ時期なのであるから、「2000年」という年のみが唯一の適合例として残ることになる。

そして、「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて Years of the seventh great number having passed one after another」と補足を入れて訳した原文 An revolu du grand nombre septiesme an (year) は無冠詞の単数であるから、その原義は「1001年乃至2000年の期間内の任意の一年が過ぎ去って An du grand nombre septiesme [étant] revolu」であるが、これも矢張り配分的に見て、「そういう同じ事態が次々と繰り返されて行って、遂には最終時期に到って」というニュアンスが文脈上汲み取れるのである。但し、それは文法上はあくまでも可塑的な表現であって、具体的には第三行目との結合によってのみそういうニュアンスが発生し得るのである。従って、信頼できるテキストを採用しながらも、Cheetham (1973, p.417-418)Hogue (1997, p.801) が、An revoluを、「第七番目の大きな数の最終の決定的な一年」と解釈しているのは、正鵠を射損なっている。

他方、An revoluという信頼できる諸版 (3, 10, 5) の原文テキストを、Au revolu (= à + le + révolu) と読み換えるLe Pelletier (Le Pelletier, II, p.311; Fontbrune, 1939, p.279; Leoni, (1961)1982, p.434; Ionescu, 1976, p.424; Brind’Amour, 1993, p.195; Guernon, 2000, p.178; Clébert, 2003, p.1141) の解釈について言えば、そもそも、révoluという形容詞が名詞として使われる例はない (cf. Littré; cf. Huguet) から、許容出来ないのである。それに対して、例えば、après l’an revolu (After the year passed, completed) という用例が、ノストラダムスと同時代のフランス16世紀の著者Jacques Amyot (Les vies des hommes illustres, Grecs et Romains, comparées l’une avec l’autre par Plutarque de Chæronee, Translatees premièrement de Grec en François par maistre Jaques Amyot lors Abbé de Bellozane, III. Vοlume, Vascosan Imprimeur du Roy, Paris, 1567, p.1525) には認められるから、我々の読み方はテキスト的にも語史的にも妥当と言える。

このようにして、「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて」、並びに「千番目の大きな年から離れていない頃」というのは、「西暦2000年を目前にした時期」ということになる。ここから逆に見れば「第七千年紀」としてノストラダムスが設定しているのは「西暦1001年から2000年までの千年間」なのであるということが改めて確認される。故にノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々 (№1,p.42) と述べているのは、1555年が第七千年紀の半ばを過ぎているから、正確な表現であることがわかる。

更に、先に(「日付のある預言詩1(1999年): その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう(X-72)参照)預言詩第1章48 (§941, I-48参照) で「月の支配の20年」とあったのは、「20世紀」という表現が普通に存在する点から見ても、それは単なる20年というよりも、やはり2000年の暗号的表現である事が明確になったと言えるのである。よって、「月の支配の20年」とは「月の支配の2000年間」のことであり、つまりキリスト紀元元年から西暦2000年までの2000年間のことである。換言すればそれは、第六千年紀プラス第七千年紀のことである。

しかし、これはいわゆる紀元前の時代たる第一千年紀が確定された上での積み上げによって得られた年代ではなく、あくまでも紀元後の時代の方の確実性が先行しているのである。つまり、ノストラダムスの大局的紀年法の体系構成においては「キリスト紀元(A.D.ANNO DOMINI 主の年々)」が採用されていることがわかる。実際、「アンリ2世宛書簡」(1557年)の中の二箇所で、ノストラダムスは、紀元前の年代特定を聖書の諸記事から求める試みをわざわざ行いながらも、結局確実なことは言えないとしており、ただ「イエス・キリストの贖罪」を起点とする紀元後の年代[英句in the year of our redemption 参照。]だけが確実であると述べている。何故ならそれは、完全な一致を見ない世に知られた学者達の説に依るのではなく、我が諸々の預言の源泉と同じ「天文学的計算と伝家の預言本能」に基づく考え方であるからだ、と(№10, p.157, p.167)。因みにノストラダムスは、ここに、彼の用いた方法の適用の一例示として、諸天体の同時期の極めて複雑な運行のリストを掲げ (№10, p.167-168)、暗に「1606年」という年を提示しているが、「1606年」という年は、同じ「アンリ二世宛書簡」の先行箇所 (№10, p.155) に既出の年である(これに関しては、「フランス革命1、2、3」参照)。

 もっとも、それだからと云って、この紀年法では、矢張りどうしても、紀元前の全年次が「5000年」である、という仮定が必要である、ということに変りはない。そして、ノストラダムス自身もその年数を、議論の上では種々の案を提起しているが、その中に、「5000年説」も含まれているから、これが彼の本当の考えと見なし得るだろう(Brind’Amour, 1993, p.176-177参照)。

 なお、§944 - §945 では、『預言集』中で近年最も有名となっている四行詩第十サンチュリ第72歌 (§944, X-72) を取り上げる。これは内容的に、実に深く「イエス・キリストの贖罪」並びに「その再臨」という思想に関わっており、従ってまたその中に出てくる「1999年」という特定の年号も、本節で述べたような紀年法の脈絡の中に位置づけて解釈されるであろうことも当然である。また、これは直ぐ後に続く同第75歌 (§945, X-75) と本来的にペアを組んでおり、その全体の構造を解読すれば、丁度先に第一サンチュリ第1歌と同第2歌のペアを解決し得たと同様に、完全解決が達成されると予想されるので、二つの詩を一緒に考察することにしたい。[初出:北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号, 1999, pp.23-45。一部改稿。]

 

第七千年紀 (le septiesme millenaire, the seventh millenary) について(補足)
「アンリ二世宛書簡」には、既出の「七番目の大きな数」「千番目の大きな年」「第七番目の千の数」に関連する「第七千年紀 (le septiesme millenaire, the seventh millenary)」という直接的表現が、以下の様に、二度出て来る。

「預言四行詩の大部分は極めて厄介な作品でして、解決の道は誰も示せない程ですし、誰も解釈が出来ない程ですけれども、それにも拘らず私はこの書物によって、大方の出来事が生起する年月や、都市や、地域を残しておきたいと希望しています。そこには、1585年及び1605年という年も刻印されておりまして、[この書簡をしたためております]1557年3月14日の今現在から始まって、遙かその先の先まで経過して、私の天文学的計算とその他の知識が及び得る限り深く算定された第七千年紀の初めに対して、後の方 [第七千年紀の終り頃] に生じるであろう大事件までこの時はイエス・キリストとその教会との敵共が非常な勢いで繁殖を開始するでしょうが - 私の力の及ぶ限り、全てが選り抜きの日時において構成され計算されて、そして見事に、且つ最も正当に配置されている、そういう書物を残して置きたいのです。」(№3, p.5; №10, p.155).

「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS(**) が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に接近するような時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169).

** この謎語は、未だ誰も十分に説明し切っていない。但し、フランス語古語に一縷の手掛りがある。即ち、Azoras Ar ないし Araという2語があり、いずれも「à présent 現在 At presentmaintenant Nowà l’instantただ今Just now」といった意味である (cf. P.R.Auguis, Les Poètes François depuis le XIIe siècle jusqu’à Malherbe, tome premier, Chapelet, Paris, 1824; Vocabulaire des mots du vieux langage qui se trouvent dans les deux premiers volumes des Poètes François  jusqu’à Malherbe, p.463; p.460)。するとles Azoarainsは、les(定冠詞複数)+ Azoras Ara ain(形容詞接尾語)+s(名詞複数語尾)といった語構成と考えられて、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味になる。従って、それは「21世紀初めに於いてキリスト教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になるだろう。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものだろう。

 
ここには、ノストラダムスの預言の二つの精髄が第七千年紀という時間軸との関連で語られている。第1文は、キリスト教会が弾圧迫害される「大事件」が、第七千年紀の終り頃に起ることを述べており(従ってこれは反キリスト教の性格を有し、20世紀に起ったロシア革命と見られる)、第2文は、第七千年紀に近接した時に、ということは、第六千年紀の終わりか、又は、第八千年紀の初めに、ということだが、第六千年紀はノストラダムス預言刊行前のこと故除外されて、残るは当然、第八千年紀の初めに、従って北方の人々であるロシア人達の20世紀の大革命とその結果の清算(ソ連邦の崩壊=サタンの捕縛)の後で、「世界平和」が実現するだろうという事を語っている(従ってこれは、21世紀に起ることだとして期待される)。

論証1:「第七千年紀の初めに対して、後の方 [第七千年紀の終り頃] に生じるであろう大事件」の文法的読みについて。

ここでのノストラダムスの文章は必ずしも理解容易なものではない:原文は、 « l’advenement [l’avènement] qui sera après au commencement du septiesme millenaire » となっていて、英語に直訳すれば、« the happening that shall be after in the beginning of the seventh millenary »となる。しかし、ここでのAFTER は前置詞ではなく副詞だから、それに直ぐ後続するフランス語前置詞àは、in the beginning of the seventh millenaryin に対応する意味のものではなく、「副詞又は形容詞に対して補語の役割を為す後続語の導入機能を持つ前置詞としてのà(要するに、比較対象を導入するàである」」(cf. Petit Robert) に対応する「~に比して、~に対して, against..., in comparison with..., toward...」でなければならない。つまり、「この出来事は、第七千年紀の初めに対しては、逆にその終りの方で起る」という意味が意図されていると考えられる表現である。

論証2:「それは第七千年紀に近接しているでしょう」の文法的読みについて。

上述のように、第七千年紀に近いのは、その外部に位置する第六千年紀の終り、又は、第八千年紀の初めということで、前者は1000年頃に当り、1555年以降の未来予言たる『預言集』には妥当しない。残るのは、従って、第八千年紀の初め、即ち2001年開始の21世紀の初めである。

ここにおいて、正確無比のノストラダムスの予言である以上、「21世紀初めからの世界平和」という託宣は、21世紀の世界の人々にとって、大きな希望の大きな光である。しかし、そこには何の人間的課題も無いのであろうか?我々は、ただ座していれば、世界平和を享受できるのであろうか?

ここで考慮しなければならないのは、矢張り、四行詩第一サンチュリ第48歌 (I-48, §941) の「太陽が、我が預言を完成し、且つ、終わらせる」という詩句の真意であるから、次に早速、その詩を研究することにしたい。(update: le 24 avril 2015)

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