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§954 -§955, I-1 & I-2: ノストラダムスの「発声的書記」(続)

 

大団円としての幸福の科学9(続& 2/2ノストラダムスの「発声的書記」(続)

A3.
恐れと声とが一つになって両袖口の辺りで顫動する。My fear and the voice in unanimity tremble about my cuffs. (Un peur & voix frémissent par les manches.)

先ず、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy = i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。そもそも第1詩の「微小火炎が語らしめる」という句が、第2詩における「声」の登場を必然的なものにしている。また、「恐れ」という語は、「神々しい輝き」「直ぐ側におわします神霊」に対する素直な人間的反応の一つである。

だが、ここでの文法的に重要な問題は、「恐れ」と「声」の両者が、「一つ」のもののようにして「顫動する」という表現の妥当性に存する。

Un peur & voix (One fear & voice) というのは、peur voix もフランス語では共に女性名詞ではあるが、「その二つが区別もつかず一体的に」振動する様子をunという形容詞(「一体をなす」という意味がある(Suzuki))で表している(その場合、その形容詞は副詞的に機能する)。しかし動詞が frémissent という複数形であるのは、実際は二つのものが別々のものであることを示している。つまり、ノストラダムスの両手の袖口あたりが顫動するのは、一つには彼自身のおそれおののく心の表れであり、と同時にそれは彼の身近かに神々しくも輝きとして臨在している神霊の意思に基づく「羽弁」が生じる声の響きの振動でもある。

では、 « 形容詞が副詞的に機能する » という点を、フランス語の歴史に照らして検証してみよう。

「或る種のフランス語形容詞は数世紀来、副詞として用いられている、clair (clear), droit (straight), ferme (firm), fort (strong) などがそうである。例えば、『chanter clair朗々と歌うto sing clear』『marcher droit直進するto march straight』『parler ferme断固たる口調で話すto speak firm』『crier fort激しく叫ぶto cry strong』」。マレルブ[1555-1628]はこれらの言い回しを採用している。 彼はそれらを使うのみならず、使うべきだとしている。 デポルトが『qui m'a coûté si chèrementそれは私には大変高価的についた。 It has costed me so dearly』と書くのを彼は認めない。 彼が云うには、『cela me coûte bien cherそれは私には大変高くつく。It costs me very dear』と云うべきであって、『bien chèrement大変高価的に so dearly』と云ってはならないのだ。但し、彼の真意としては、このように使われる形容詞は一個の本当の副詞と看做さねばならないものであって、それはどんな場合でも不変化詞invariableであるのだと。 この種の表現法はラテン語では全く常用のもので、フランス語に於ても未知のものではなく、既に15世紀の終り及び16世紀の初めの著者達に見出されるが、彼等は古代の著者達を模倣したのである。 ロンサールと彼の仲間達には沢山の用例があり、またデュ・ベレーはそれを強く推している:『副詞の代りに実詞 [形容実詞、今日の形容詞のこと] を使いなさい、例えば、『ils combattent obstinéement, 彼等は粘着的に戦う、they combat obstinately』の代りに、『ils combattent obstinez, 彼等は粘り強く戦う、they combat obstinate』と云い、『il vole legerement, 彼は軽快的に飛ぶ、he flies lightly』の代りに、『il vole leger, 彼は軽く飛ぶ、he flies light』と云いなさい。 マレルブの時代には、この種の表現法は古式言語のテキストに於てのみならず、レニエやベルトーのような全くの同時代人に於ても頻繁に使われている。」(F. Brunot, La doctrine de Malherbe d'après son commentaire sur Desportes, Armand Colin, Paris, 1969, p.359-361)

フランス語の歴史自体の中に市民権を持つこの種の表現法から云えば、«Un peur & voix frémissent» という文は、«Une peur & une voix frémissent un» という形に書き換えることが許されるだろう。そして、その « un » という語は、「副詞として用いられた性質形容詞」ということになろう。その辞書的定義は以下の通りである:「UnUne。(性質形容詞)。 諸部分を持たず、且つ、分割され得ないもの;諸部分を持つことが出来るけれども、矢張り一個の有機的全体を形成しているもの。 統一性のある、調和的な、一個の総体を構成しているもの。」(Petit Robert) つまり、「一つの振動する恐れ」と「一つの振動する声」とが、「あたかも一体的であるかのように一緒に振動している」状況を表現するのが、性質形容詞の副詞的用法としてのUNの文法的機能である。これは「副詞として不変化である」ので、主語 (peur, voix) がいずれも女性ジェンダーであるにも拘らず、un という原形が妥当するのである。

依って、我々の解釈は次のようになる:「一つの恐れと一つの声が、統合された一個のものとして、それら両者が同期した振動を持つが故に、揃って振動する。それは両者が共に同一の源泉を持つからである。その恐れは、傍らにおわします荘厳なる輝きの神霊に対する預言者の強い畏怖に由り振動し、その声は顫動を帯びたことばとして、大いなる永遠の神からの伝令に依って、羽弁に生じさせられるのです。」

フランス語規則のレパートリーの中にこの用法を見つけることが出来なかったブランダムール等は、このun という用語を処理するのに困惑して、19世紀の解釈者ビュジェ(Buget) に倣って、un peurvapeur(蒸気)という形に改竄して、「ブランクスの神殿の予言する巫女が吸い込む蒸気」(№8,p.47-50; ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店, 1999, P.11-13)と同じものだと理解しようとしたが、徒労に終わった、と云うべきだろう。

次に、「voix, voice)」という問題について集中的に検討する必要があるだろう。というのも、従来、大方の研究者等は、その重要性、斬新性を見逃している憾みがあるからである。実際、ノストラダムス自身、「図らずも発声によって不意に襲われることを伴う発声的書記(pronouncing writing(№1, p.35)という一見奇妙な表現で、彼の預言詩作成の態様を説明している。

先に触れたように、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy = i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。

そして、この声は、書記の動きと一体的に生起する:「図々しい饒舌に構われる惧れなしに、発声的書記は、諸々の発声によって把捉されるのです。(aux prononciations étant surpris écrits prononçant sans crainte moins atteint d'invérécondieuse loquacité.)(id., p.35) 換言敷衍すれば「私の書記の作業は、諸々の発声によって捉えられているので、それ以上の事を無暗に書き足す必要がなく、まさに発声的書記(声の通りに書く)と云うべきものです。」ということになろう。ここで、フランス語原文の « être surpris à ...» は、« se laisser surprendre par ... » と同義で、「... につけこまれる」(cf. Suzuki) という意味だという。だとすれば、ここでは、「捉えられる」といった意味で十分解釈可能だろう。ということは、この書記とこの発声は、お互いに忠実に相手をなぞるような関係にある (l'écriture et la prononciation se moulent complètement l'une sur l'autre) と推測することが出来る。即ち、書記は、あたかも「口述筆記」のように声に合わせて書くのであり、声は声で、あたかも「読み取り読み上げ機械」のように、書記に合わせて発声するのである。

「全く変てこな預言作業だ」とノストラダムスをあてこすった所で、それを又聞いた彼は直ちに反論するだろう。「何を言うんだい?全ては、善きものすべての源泉である、永遠なる大御神様のみいつ(御稜威)から出てきたものなんだよ。」
« Mais quoy ? Tout procédait de la puissance divine du grand Dieu éternel, de qui toute bonté procède (id.)

ここに出て来たキーワード「諸々の発声」( prononciations )、「発音する」( prononceant ) について、ピエール・ブランダムールは「ノストラダムス的神秘的個性の抹消」へと趣向するいつもの彼の路線上で、「その第一の意味は、前に告げる (annoncer avant) (ラテン語のpronuntiare) という意味である」と解釈した (Brind’Amour, 1996, p.14)。但し、「前に pro-」という接頭辞には、「時間的前に」と「空間的前に」という異なる二つの基本義がありうる。彼はそれ以上明言していないけれども、釈文の中では具体的に、「prononciations (発声)」を「 prophétiser (to prophesy 予言すること)」、「prononceant (発音する)」を「 prophétisant (prophesying 予言する)」と訳しているので、明らかに「時間的に前に」という意味でそう唱えているのだと思われる。

しかしながら、prononciation (pronunciation), prononcer (to pronounce) という語における接頭辞pro- の場合は、それを「時間的に前に」と解する余地は皆無であって、主要な辞書に依れば、全て、「空間的に前に」という一つの意味に限定されると断言できる。つまりそれは、「公的に、公に、公衆の前で、公開的に、広場に露出した形で、国民の前に正式に(告知する)」といった意味での「空間的前に」ということである。以下、主要な辞書の定義を枚挙しておきたい。

まず、ブランダムールが遡及しているラテン語pronuntiareから調べてみると: « prō-nūntiō exposer, raconter, relater; annoncer publiquement, proclamer; promettre publiquement; [en parlant d’un juge] rendre son verdict, décider, prononcer (un jugement); RHÉT. déclamer, réciter.» (Nimmo).(プローヌーンチオーとは、開示する、語る、話す;公に告げる、宣言する;公約する;[裁判官が] 彼の判決を出す、[判決を] 決める、宣告する;[修辞術用語] 朗読する、朗誦する。)

次に、標準的な仏々辞典:« PRONONCER. Rendre ou lire (un jugement), prendre ou faire connaître (une décision), en vertu d’un pouvoir; Dire (un mot, une phrase); Articuler d’une certaine manière (les sons du langage); Faire entendre, dire ou lire publiquement (un texte).» (Petit Robert).(プロノンセ (発音する) とは、一つの権力の名のもとに、[判決を] 下す、又は読む、[ある決定を] 行う、又は知らしめる;[単語や句節を] 言う、[言語の諸音声を] 一定の仕方で、明瞭に発音する;[文章を] 公衆に聞かせる、唱える、又は読む。)(『リトレ』大辞典を見ても、より詳細な説明はあるが、その全ては、ここに掲げた『プチ・ロベール』辞典に概括された意味範囲を出ることがないし、他方で、「時間的に前に言う」といった意味での語義は全然存在しない。)

因みに、ドイツ語によるフランス語語源辞典では:« prononcer „aussprechen‟.» (Gamillscheg). (プロノンセとは、言葉を言い放つこと [i.e., to speak out, to utter, to vocalize, to enunciate] )

従って、prononcerの接頭辞pro- を、「時間的前に」と取るブランダムールの解釈は、先ず、語史的、文法的に成り立たないことが確認された。では、彼のこの解釈を、ノストラダムスのテキスト通りの文脈に入れて読んでみよう。ノストラダムスのテキストの直訳は以下の通りである:

「精妙な火の精霊に依ってようやく手に入れることが出来る諸々の神秘的予言 (vaticinations) に関して言えば、それは時々は、覚醒している時に高き天空の星々を観察する活発な知性に依って [得られる]事もあり、また更には、発声的書記が、図々しい饒舌に構われる惧れなしに、諸々の発声により把捉されて[得られる]事もあるのです。」

これを、発声(する)= 予言(する)というブランダムールの解釈を基に読むと、彼自身が次のように訳をしている:

「夜間目覚めていて星辰を熱心に観察している知性をしばしば活性化することもある精妙な火の精霊が、我々にインスパイアーする諸々の予言に関しては、私は、このように予言するように付け込まれて、書記するのです、不遜なおしゃべりに嵌めらることは全然なく、何らの心配もなく予言しながら。」(id., p.14)

この訳文について、「声」に関わる最も基本の要素のみを摘出すれば、諸々の予言に関しては、私は予言するように付け込まれ書記するのです、予言しながら。」という事になるし、これを更に突き詰めれば、「諸々の予言に関しては、私は予言しながら書記する。」ということになろう。これは、その意味核心において、要するに、「 [] 予言は [私の] 予言なり。」というトートロジー(同語反復)に外ならない。

 

所で、「セザールへの序文」の冒頭部分には、矢張り「予言する」という意味の « prenoncer » ( prénoncer プレノンセ、to announce in advance) という語が使われている。これは「発音する、プロノンセ prononcer」とはたった一字違いで、非常に似た単語であるが、しかし意味は非常にはっきりしていて、正に「予言する Présager (to presage)」という意味である (cf. Huguet)。そして、ブランダムール自身もそのように理解していて、 « prédire » (to predict) という語で説明している(Brind’Amour, 1996, p.6)。従って、ブランダムールがやったように何もかも一緒くたにして「予言する」という枠に嵌めるのではなく、「発音する、発声する」という固有の意味を持つ語については、その特徴を活かした解釈が求められるのである。なお、ノストラダムス『預言集』の初版本(1555年版)にのみ見られるこの prenoncer という語について、19世紀のノストラダムス研究家ウジェーヌ・バレストは次のように註解している:「1555年の版より後に作られた全ての版で我々の知る限りのものは、この個所の読みが prononcées (pronounced、発音された) となっている。だが明らかなことだが、それは、オリジナル版にある通りに、prenoncées, 即ち、annoncées d’avance (announced beforehand、前もって告げられた) でなければならない。」(№7, p.268-269)

他方、第一サンチュリ第1詩のproferer (proférer) という語は、ここで問題のprononcerいう語と類義で、「発話する、言葉に出す」という意味であるが、ブランダムールはそれを「予言する」とは直接は説明していない。ただその解釈全体の中で、「oracles神託、託宣を下す」という意味に取っている (id., p.49-50)。従ってそれは結局、「予言は神託なり。」ということになり、彼の同語反復的解釈(その内実は、ノストラダムスの独自の予言方法を、その個性的特徴を捨象して、古代の巫女等の予言に関する伝統的記述の定式に還元するという事であるが)は、その限り一貫している。

B1. 神秘の研究は夜間に基礎づけられるが故に、The foundation of the secret study being laid by night (ESTANT assis de nuit secret estude,). +

B2.
孤独者が青銅の小椅子に寄れば、The solitary being reposed upon the stool of bronze (Seul repousé sus la selle d'ærain).

 B1.の主語は何かというと、secret estude (神秘な研究)という名詞句以外には該当するものがなく、estant assis(基礎付けられて)がそれに対応する述部である。ところが大抵の研究者はestant assisを見ると直ちに「人が座っている様子」を思い浮かべ、従ってB2.repousé sus la selle d'ærain(青銅の小椅子の上に掛け)と同じと取る。
 しかしこれでは、一つの四行詩の一行目と二行目が同じ事を重複して述べることになり、貴重な四行という枠を無駄に使うことになるばかりで望ましくないのみならず、secret estude という単純な名詞語句が文法的に入る余地がなくなってしまう。何故ならその場合、estant assisを述部とする主語は、二行目のrepousé sus la selle d'ærain 青銅の小椅子の上に掛け)という述部の主語seul(孤独者)と同じもの、要するに結局ノストラダムスその人とされるからである。
 では、その場合、secret estude が論者達の云うように「隔絶した書斎」という場所的意味だとして、「その書斎の中に」、「その書斎に於いて」(dans secret estude, en secret estude)という場所の副詞句的意味が、前置詞を持たない単なるsecret estude という語句のみでも表現できるという保証はどこから得られるのであろうか、ノストラダムス時代のフランス語のいかなる文法規則もそのようなことを許容してはいないのに。
 所が、驚くべきことに、大抵の研究者はestant assisを見ると直ちに「人が座っている様子」を思い浮かべると同時に、それは「隔絶した書斎の中に於いて」である、と解釈しているから、前置詞を持たない単なるsecret estude という語句だけで、dans secret estudeとか、en secret estude とかの前置詞を伴う副詞句の機能を果たしていると事実上主張しているのであるが、誰もその主張の根拠を説明してはいないのであるから、あたかも彼らは、暗にノストラダムスがこのような不具合なフランス語を使用した責任があるものとみなしているかのようであることになる。
 例えば、1960年代の代表的な研究の一つであるエドガー・レオニ『ノストラダムスと彼の予言集』では、Being seated by night in secret study,(下線筆者)となっている(Leoni,1961[1982], p.133.)
 また、1980年代の代表的な研究の一つであるエリカ・チータム『ノストラダムスの決定版予言集』では、Sitting alone at night in secret study, (下線筆者)となっている(Cheetham,1981, p.41)

 
次に、その最も新しい例の一つを挙げるとすると、フランス16世紀学研究者の一人であるカナダ・オタワ大学古典学科教授 (当時) ピエール・ブランダムールは、1996年に、ノストラダムス『預言集』初版本であるリヨン1555年マセ・ボノム版のオーストリア国立ウィーン図書館所蔵原本(この初版本の公的図書館所蔵としてはあと一部が現在フランスのタルン県アルビ図書館に有るだけである)を底本とする校訂版 (№8) を出版し、その彼なりの厳密で良心的な仕事は今後のノストラダムス研究への大きな励みと援助を提供するものとはいえ、個々の部分においては解釈に直結する未決問題を多く抱えたままであることに変わりはないし、彼は土台から「預言能力否定論者」なので、多くの錯誤を犯して平気でいる点が眼に付く。つまりブランダムールもまた、第1章1歌第1行について旧態依然たる読み方を脱していないのである。彼の校訂原文は、ESTANT assis de nuit secret estude,であるから、我々のと同一であるが、その読み方はこうである。

   Lorsque le prophète est assis la nuit à l’écart dans son cabinet d’étude, (№8, p..46).
   「予言者が夜中に、書斎でひとりぽつねんと……座っていると、」
              (
ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店, 1999, P.4)

ここで奇妙なのは、詩中のde nuit (by night, at night)という前置詞付きの副詞句を、彼は読みでは、前置詞を欠いた単なるla nuit (the night) という副詞句で置き換えていながら[時を表すこの種の表現ではこれはフランス語では許されることであるが]、逆に詩中のsecret estude という前置詞の無い語句を、今度は前置詞を伴うdans son cabinet d’étude (in his cabinet of study)という副詞句に読み直しているという事実である。ということは、彼は、前置詞の無いsecret estude という語句をdans son cabinet d’étude(自分の書斎の中で)という意味を持つものとして理解しているということであるが、「時」とは違い、「場所」を表す表現では前置詞を伴わない副詞句的語句は存在しないのである。

 確かに、時の表現の場合にだけ、例外的に、単なる名詞的語句とみなされるものが、前置詞無しに副詞句的機能を果たすとの現在のフランス語 (及び英語) の慣用(e.g. l’année dernière「去年, last year, cette année「今年, this year, l’année prochaine 来年, next year」等)は、溯れば、古フランス語(9世紀~13世紀)の二格体系(主格 cas-sujetと斜格cas-régime)の時代に行われていた斜格(被制格とも言う)に特有の用法がそのまま残存したものである。

 e.g. Set anz tuz pleins ad estet en Espaigne.Sept ans tout pleins il a été en Espagne.
「満七年間、彼はスペインに居た。Seven full years he stayed in Spain.下線筆者(Brunot & Bruneau, p.188)

しかし、「時」に関するこのような「斜格用法」は、「場所」に関しては存在しない。
 
他方、「斜格」用法ではなくて、単なる「省略法」という観点から言えば、確かに、「場所」に関しても、前置詞省略法は存在する。

場所に関する前置詞省略の実例
1. « Après avoir quitté mon hôtel rue* Molière (After having left my hotel Molière Street) (* With the name of the street prepositions are frequently omitted.)» (Collins, p.150);
2. «Les royalistes se donnaient rendez-vous
boulevard des Italiens...»
(The royalists promised their rendezvous Avenue of the Italians) (Pariset, 1920, p.336);
3.
«...logée place Saint-Jean» (...lodged Saint-Jean Square) (Champion, 1937, p.91);
4. « Étienne Dolet qui venait d’être brûlé
place Maubert » ( Étienne Dolet who has been burnt Maubert Square ) (Schlosser, 1985, p.151);
5. « Bertrand avait acheté la partie de la maison paternelle (sise
rue de Barri)» ( Bertrand had purchased the part of the paternal house (located Street of Barri)) (Schlosser, 1985, p.155);
6.
« The years later his ashes were transported Venice and buried in his liberated native city.» (HH, IX, p.601).
7. «
la Princesse de Clèves citée p.88-90 de la Concordance de Guynaud» (the Princess of Clèves cited p.88-90 of the Concordance of Guynaud) (Le Pelletier, I, p.14);
8. « aller
page 173» (Go page 173) (le site Web de Gallica, BNF).
9.
« Dans une longue lettre du Ier mars 1559 (1558 ancien style)» ( In the long letter of the first of March, 1559 (1558 ancient style)) (Brind’Amour, 1993, p.34).

これらの実例から帰納すれば、前置詞のこの種の省略は、「通り、広場、都市()、本のページ等、極めて公共的な場所」又は「暦法のような社会的に広く普及した行動様式」に関して許されるもののようだ。他方、それほど公衆に無条件に開かれていない場所や私的な場所、個別的事柄に対しては、この省略法は適用されないもののようだから、ましてや、「預言者の秘密の書斎」に至っては、全くの問題外ということになろう。

ノストラダムス『預言集』における前置詞省略の実例:
なお念の為、ノストラダムス『預言集』における「前置詞省略例」と思われる顕著な事例を枚挙してその性格を分析してみよう。

a1. « Chef seille d’eaue » ( A vessel-of-water chief ) (IV-58, §106).
a2. «
Lieu obscur nay » ( A humble-place born ) (VIII-76, §291).
a3. « Le vieux plein
barbe » ( The full-beard oldman ) (II-85, §538).
a4. « Triremes pleines
tout aage captif » ( All-the-age-captif-filled triremes ) (X-97, §4).
b1.
« Le grand mené croc en ferrée caige.» (The great brought crock in an iron cage.)
(III-10, §569).
c1. « La vie à
Royne fils on desniera.»
(They shall deny the life to the Queen son.) (IX-77, §369).
c2. « Premier grand fruit
le prince de Pesquiere » (The first great fruit the prince of Pesquiere) (VIII-31, §660).
c3. «
Roy Orleans donra mur legitime.» (The King Orleans shall give a legitimate wall.)
(X-45, §207).
c4. « Par le Rosseau
senez les entreprinses » (By the Rosseau senez the enterprises) (I-7, §326).
c5. « Premier filz vesve malheureux mariage » (The first son a widow an unhappy marriage) (X-39, §73).
c6. « Sept ans sera
Philip. fortune prospere.» (Seven years shall be Philip. the fortune prosperous.
(IX-89, §625).
c7. « 
Quinze souldartz vie derniere & chef de sa chevance
(Fifteen soldiers the last life & a chief of his properties.) (IV-64, §616)
d1. « 
Cueur, vigueur, gloire le regne changera.»
(Heart, vigor, glory the reign shall change.) (III-15, §323).
d2. « son oncle,
qui ses enfans par regner trucidez » (his uncle, who his children to rule bumped off) (VIII-89, §324).
d3.
« Quand Rod. & Gennes leur faudra le biscuit.» (When Rod. & Genoa for them shall be necessary the biscuit.) (II-3, §99).
d4. « Tous assoumez
rouge » (All knocked down red ) (IX-58, §525).
d5. « Environnez comboulz » (Surrounded cymbals) (X-41, §830). 
d6. « Duc yeulx privé » (Duke eyes deprived) (IX-95, §834).

e1. « Les sauterelles terre & mer vent propice.» (The grasshoppers land & sea propitious wind.) (III-82, §551).
e2. « De paix & tresve terre & mer proteste.»
(They protest against a peace and armistice land & sea.) (VI-64, §782).
e3. « Le grand d’Asie terre & mer à grand troupe.» (The great of Asia land & sea with a great troop.)
(VI-80, §864).
e4. « la pestilence lentour de Capadille.» (the pestilence around Capellades) (VIII-50, §134).
e5. « De Gand lentour » (around Ghent)
(X-83, §799).


a:
複合名詞における前置詞省略。
カテゴリー aの用例は、「名詞がそれ自体複合要素として一名詞の中に、或いは他の形容詞に対して、前置詞無しで取り込まれる」という様式であり、これは基本的に「名詞が名詞或いは形容詞に対して修飾機能をもつ」用例であって、簡潔とスピードを誇る現代英語が最も発達させている語形成の方法である(e.g. a record number of ... )。しかしフランス語ではそれほど有力な技ではないが、実例には事欠かない。

b:
前置詞代替字の措定。
カテゴリー b は、詩意韜晦のため、単純な前置詞が他のアルファベットに置き換えられているもので、b1 « mené à roc » (brought to a rock) という形に復元できる。

c:
被制格(斜格)の使用。
カテゴリー c は古フランス語のいわゆる「被制格(斜格)cas-régime (oblique cases)」を、それが14世紀には廃れたにも拘らず、16世紀のノストラダムスが敢えて用いた用例である。被制格の前置詞無しの用例とは、それが「神または人を指す語」である場合、単独で属格として、又は与格として機能するものである。ここでは英語に置き換えて説明する。

 
属格的用法:the two servants his father = the two servants of his father.(彼の父親の二人の侍僕。)[所有]
 
与格的用法:The ship was the king of Carthage. = The ship was to the king of Carthage.(その船はカルタゴの王の物であった。)[帰属]
 
Cf. 島岡茂『古フランス語文法』大学書林, 東京, 1982, p.11; Brunot & Bruneau, p.188f.

従って、c1- c7 の各用例は、英語で表せば次のような意味である。
c1: They shall deny the life to the Queen’s son.
ルイ17
c2: The first great fruit of the prince of Pesquiere.
君候
c3: To the King Orleans shall give a legitimate wall.
王様
c4: By the Rosseau to Senez the enterprises.
スネ司教
c5: The first son’s  widow’s unhappy marriage.
フランソワ二世とメアリー・スチュワート
c6: Seven years shall be Philippe’s fortune prosperous.
フランス人の王ルイ・フィリップ
c7.
Soldiers [shall give] the last life to fifteen & to the chief of his own properties. ()

ところで、問題の「secret estude」は「神」でも「人」でもないから、「被制格」としての用法は許されず、従って「単独の属格形」でもありえ得ないし「単独の与格形」でもあり得ない。依って、それは「前置詞を省略した名詞、又は被制格の名詞」ではなくて、「主語足り得る本来の名詞、主格の名詞」である。

d: 預言意味韜晦のための破格的な前置詞省略。
カテゴリー d は、カテゴリー a とカテゴリー c が「慣用的に容認された前置詞省略法」であるのに対して、カテゴリー b と共に「ノストラダムスに特有の破格的な前置詞省略法」として性格づけることが出来るだろう。カテゴリー b が代替字を持つのに対して、カテゴリー d はそのようなものを持たない全くの前置詞消去である。第一例文: « Cueur, vigueur, gloire le regne changera.» (Heart, vigor, glory the reign shall change.) (III-15, §323) は、主動詞が changera (shall change) という三人称単数未来形であるから、その主語は、複数形名詞 (Cueur, vigueur, gloire) (Heart, vigor, glory) ではなくて、単数形名詞の le regne (the reign) である。従って、差し当たり文意は、「その政権は心情、活力、栄光を変化させるだろう。」と云うことになろう。この表現は、日本語としてはかなり明瞭で、「一国の或る政権が、その国情を大きく変える。」といった趣旨に捉えられるだろう。但し、フランス語原文では「心情、活力、栄光」が定冠詞や指示詞等を持たないから、「誰のものか」は不明であるから、一概に「国情」と解することは出来ない。他方、フランス語本来のchanger (to change) という動詞はこう云った純然たる「他動詞」とは別に、「自動詞」として « changer de + 無冠詞の名詞 » という用法があり、「主語自体の或る属性を変える」という趣旨になる(人が意見を変える、顔色を変える、等々)。そして本例では、Cueur, vigueur, gloire が無冠詞なので、changera changera de の省略形と考えることが可能となる。その場合の意味は、「その政権はその心情と活力と栄光を変えるだろう。」となり、「或る政権の変質」を意味すると解される。実はこの読み方こそが、文脈(「大摂政 le grand regent」という表現があり、ルイ十四世の甥で、その死後、幼王ルイ十五世の摂政政治を担当したオルレアン公を示唆する、等々)から推定される「長期間に亘ったルイ十四世の政権の終末期におけるルイ大王の心情・精力・内外の権威の一定の衰弱」という史的実態に妥当するのである。同様にして、第二例文:« son oncle, qui ses enfans par regner trucidez» (his uncle, who his children to rule bumped off) (VIII-89, §324) は、何も省略がないとすれば、「彼の伯父、この者は彼の子供たちを支配上殺戮してしまって。」といった意味になる。本詩もルイ大王とオルレアン公の関係を扱った預言詩と推定されるので、「彼の伯父」というのは当然「オルレアン公の伯父にあたるルイ大王」である。そうすると、先の読みは、「ルイ大王がオルレアン公の子供たちを殺戮してしまって。」となり、歴史的に全くナンセンスである。むしろ、歴史上は「オルレアン公がルイ大王の王太子たち (dauphins) を次々に暗殺した」という噂話が絶えない。しかしこれは証拠が全然ない作り話であって、ルイ大王の王太子たちが次々に「殺された」のは単に「病魔によって」であった。実際、時に「殺戮する」という動詞は「病気」が主語になってもおかしくない。その線で行くと、ses enfans par regner(支配することによる彼の子達)という表現が意味を持ち、それはまさに dauphins(単なる子供達ではなくて、政権を引き継ぐ予定の子供達=王太子達)を意味するだろう。故に、ses enfans par regner trucidez (his children to rule bumped off) は、現在分詞 étant (being)を補って、ses enfans par regner étant trucidez (his children to rule being bumped off) 「彼の王太子達は(病魔によって)殺戮されてしまって」と読めるだろう。その上で、問題の関係代名詞 qui (who) の扱いが考察可能となるが、それはもはやその形のままでは、居場所を誤っていると云うしか無いほど、文法的位置づけが得られないのである。そこで、省略されたと推定される前置詞 pour (「主体たる人物に関して」という限定を示す機能語 [cf. Petit Robert]) を補えば、« son oncle, pour qui ses enfans par regner trucidez» (his uncle, for whom his children to rule bumped off) 「彼の伯父、その人にとってはその人の政権後継予定者たちが病魔に倒れてしまったのだが」と明快な文になる。また、第三例文: « Quand Rod. & Gennes leur faudra le biscuit.» (II-3, §99)は、何も省略がないとすれば、「ロドス島とジェノアが彼等にビスケットを必要とするだろう時に」といった意味になる。そして実際、日本語ではこれで問題なく意味が通るのだが、フランス語では、faudra の原形falloirは非人称動詞なので、代名詞IL を用いて、« Quand Rod. & Gennes [il] leur faudra le biscuit.»とすべきであり、それと同時にRod. & Gennes という名詞が文法的位置を失うので、例えば pour Rod. & Gennes (ロドス島とジェノアに関しては)という風に適切な前置詞を補う必要が出てくる。第四例文は、そのままでは、rouge の位置づけが出来ないので、par rouge(赤いものによって)とすれば、史実的にも意味が通ることになり、第五例文はそのままでは、「取り囲まれた、シンバル」という乱文であるが、de comboulz(シンバルで)environnez(取り囲まれた)とすれば統語的に成立する。そして第六例文もそのままでは「Duke、両眼、奪われた」という統制のない並列文であるが、Duc privé des yeulx (Duke は両眼を奪われて)とすることにより完成文となる。

e: 成句(イディオム)の簡約的表現としての前置詞省略。
カテゴリー e は、« par terre & mer/par terre & par mer » (by land & sea/by land & by sea) という前置詞付きの成句を、« terre & mer » (land & sea) という前置詞抜きの名詞群だけで代替するもので、この手法の意義は、特にIII-82詩において、成句自体 ( par mer & par terre) とその簡約形 (terre & mer) とが同時に一緒に用いられていることから明瞭に見て取ることが出来る。また、ノストラダムスの『預言集』全体の中で見た場合、完全な成句の用例が16例(I-50, I-63, II-15, II-40, II-74, III-5, III-82, IV-4, IV-19, V-48, V-64, VII-10, VIII-60, IX-64, X-95 et X-100)あるのに対して、その簡約形は上記3例のみであることから、この手法の成立の経緯、即ち可能な限りの詩句数の有効活用の作詩意図が伺い知られるだろう。同様に、« lentour de » (e4 et e5) についても、« à l’entour de » (V-30 et IX-67) という成句の簡約形として説明できる。


ところで、上記のように
「前置詞の破格的省略」を想定する必要性が出てくるのは、原文解釈が史実対応的に途方に暮れるような場合に限られるであろう。所が、今問題の ESTANT assis de nuit secret estude という原文は、そのような困難さを持っていないのである。何故なら、Secret estude estant assis de nuict,という風に並べ変えてみれば一層容易に判明するように、これはいわゆる絶対分詞節(participe absolu)であって、Flambe exigue fait proferer qui n’est à croire vain.(微細の炎が信じて虚しからざる事柄を語らしめる。)という主節に対置されるものである。そして、Seul repousé sus la selle d’ærain,(ただ独り、青銅の小椅子に寄り)もまた同様にその主節に対するもう一つの絶対分詞節である。

結局、絶対分詞節の主語は、主節の主語とは異なるのであるから、ここでの主節の主語がFlambe exigue (微細の炎)であるのに対して、二つの絶対分詞節の主語は、それぞれ、secret estude(神秘の研究)とseul(孤独者)である。
 もし、Estant assis secret estudeが、ブランダムール及び他の多くの解釈者の提起する読みに於けるように、assis dans son cabinet d’étude (彼の書斎に座って) という意味を表そうとした表現だとすれば、ノストラダムスは、必ずや、dans, en 等の適切な前置詞を「書斎」という場所語の前に置いたであろうとの合理的推測は、彼がこの同じassis という語を使用している他の三例を見たら容易に得られるであろう。この語は第1章1歌第1行以外に次の三例に見られる。

1° Demourra
assis sur la pierre quarree,
「四角い石の上に座り続けるであろう」(V-75, §240).
2° La grand dame
assise sur l’orchestra,
「特等席に座った貴婦人」(X-25, §505).
3° la cité libre,
constituee & assise dans une autre exigue mezopotamie,
「もう一つ別の小さなメソポタミアの地に建設され、置かれた、自由な町」(アンリ世への書簡,№10, p.162).

これら三例にはすべて、assis(e) との関係で場所を示す前置詞(SUR,DANS) が使用されていて、それは省略しても構わないという様な、いい加減な取扱いを示唆する弛緩をノストラダムスは我々に全く感じさせていない。所で、先に、「場所に関する前置詞省略例」の中に、« la maison paternelle (sise rue de Barri)» ( the paternal house (located Street of Barri)) (バリ通り所在の) 父の家」(Schlosser, 1985, p.155) という事例を見た。ここで、「sis(e), situated」は「assis(e), seated」と意味は全く同じである。しかし「バリ通り」という公共の場所に関する故に、慣習的に、前置詞が省かれている。それに対して、上記3例の関わる場所は、それだけでは「人口に膾炙した場所や地名」ではないから、前置詞が完備されている。

更に、同様にして、estudeという語に関して、ノストラダムスの他の箇所での用例を参照することが有益であろう。
 「この語は16世紀にはしばしば男性であり、人が研究をする場所、仕事部屋である。」というブランダムールの説明 (№8, p.46) に従うならば、このフランス語は、あたかも「書斎、研究部屋」という意味以外の意味を持たないかのような印象を受けざるを得ない。

 しかし、実際には「 application d'esprit pour apprendre ou approfondir les sciences,les lettres,les beaux arts;研究、専心、熱心」というもう一つの主たる意味を同時に持っているから (Littré)、この場合に、何故ブランダムールはこちらの意味は採用されないと判断するかのはっきりした説明が是非とも望まれるところである。ノストラダムスより少し時代的後輩で、フランス詩史上、「言語潔癖主義者 puriste」として名高い詩人マレルブ(François de Malherbe,1555-1628)ならば極めて明快に、断固として、「この語の意味はこの場合、研究・専心の意味でなければならない」と主張するはずである。というのも彼によれば、「人が仕事する場所としての étudeは女性である;研究仕事の意味でのétudeは男性である。これと反対の用法を為す者はこの語の心得が全く無い者である。」と極言しているからである (Littré)。これはどうやら、彼の詩論の敵対者デポルト (Philippe Desportes,1546-1606) の作品の語用に向けられた厳しい批評の一コマであるようで、デポルトこそ、我らが預言者ノストラダムスとほぼ同時代のフランス詩人であるから、これは確かに、当時でも既にétude (estude) には主要な二義があったことを間接的に証してくれるエピソードなのである。
 もっとも我々は、マレルブのような基準でその二義の判別を行う訳にはゆかないであろう。それはあくまでも彼の理論的立場の純粋な適用に過ぎず、当時の一般的用法の反映とは見られ得ないのである。従って、我々はノストラダムス自身の用語例を参照しつつ、文脈に適合した文法的読みを注意深く追求しなければならない。ただし、先に引用した古典的なフランス語辞典『リトレ』が既に、「Étudeという語は、長い間男性であった。それはそのラテン語語源が中性だったことに依る。今日では、女性語尾(語末のe)が勝ちを収めてしまった結果、étudeは女性ジェンダーということになっている。」(Littré) と説明しているから、16世紀の著者たるノストラダムスの場合、その « secret estude » という用例は、男性ジェンダーと取って差し支えないだろう。

 
さて、当のestudeという語を、第1章1歌以外に二箇所で、つまり重要な二つの書簡のそれぞれ一箇所に於いてノストラダムスは使用している。

1° les estudes nocturnes,
「夜間の諸研究」息子セザールへの書簡(Chomarat,op.cit.p.32.)
2° le souverain estude que j'ay de obeyr à vostre serenissme Majesté,
「今上陛下に対して捧げ奉るわたくしめの心服の至上の赤心」アンリ世への書簡(Chomarat,op.cit.p.173.)

 
この二例とも、estudeの意味は、「書斎、仕事部屋」ではなくて、「研究、専心、専念」という意味であることは明らかである。les estudes nocturnes は、もし「書斎」の意味だとすると「複数の夜間の書斎書斎」ということになるが、これは文脈上適合しない。これが「研究」の意味なら、「夜間の諸々の研究」として意味明瞭となる。また、le souverain estude que j'ay de obeyr à vostre serenissme Majesté は、「書斎」とすると意味が全然通らなくなる。結局、このようにして、「仕事をする場所」としての「書斎」について特に言及するというようなことは全く当然の陳腐な事柄などつゆ述べる必要も余裕もないノストラダムスにとっては、関心の外のことであったに違いない。決定的に重要なのは、まさに、言及する必要もなく自明の彼のその仕事部屋に於いて行われる「夜間の秘密の研究」の態様を、半ばは隠蔽し、且つ、半ばは開示する最小限の手掛かりを読者に与えるという彼独自の、固有の課題の水も漏らさぬ実行なのである。

 
では、本稿の終りにもう一度、assis という語に集中して、「基礎づけられ」というその意味用法がいかに可能であるかを、検討しておきたい。先ず、現代の最もポピュラーなフランス語辞典の一つ (Le Petit Robert,1967) からその語義説明の要点を引用しよう。
 1) Appuyé sur son séant.
 2) Places assises: où l'on peut s'asseoir.
 3) Magistrature assise, par opposition à Magistrature debout.
 4)Fig.Affermi, assuré, ferme, stable. 

この主要な四義は、日本の現代の代表的仏和辞典の一つ (伊吹武彦ほか編『仏和大辞典』白水社, 1981) では次のようになっている(同順)。
 1) 座って〔腰掛けて、着席して〕いる。
 2)【劇】座席(反意:places debout 立席)。
 3) 判事側と検事側(判事は着席したまま判決を下すが、検察官は立って論告するところから)。
 4) 基礎の固い、確立した(établi, solideréputationfortunebien ise 揺るぎない名声〔財産〕。

 従って、ここで我々が、ノストラダムス『預言集』第1章1歌第1行の assisの意味解釈のために採用しようとするのは、第四義である。即ち、Secret estude estant assis de nuict (語順変換済み)という独立分詞節において、assis とは、Affermi, assuré, ferme, stable という意味 要するに「基礎の固い、確立した(établi, solide)」という意味なのであると我々は判定する。

 

 勿論、これで我々はまだ現代の語義の一つを採用しただけであって、ノストラダムスが生きた16世紀のその当時[15031566]の用法には当たっていない。では、当時はどうであったのであろうか。ここでもやはり我々は高名なフランス語辞典Littréの語義説明欄に加えられてある歴史記述を参照することにしたい。その項目 assisの歴史記述の中の16世紀の項の例示に次のものがある。引用文はいずれも、ノストラダムスとほぼ同時代の名高い著者のものであり、且つ、当該作品は『預言集』(1555年)に若干先立つ年代の刊行となっているから、ノストラダムスのフランス語使用の妥当な環境の一端を知らせてくれるだろう。

1° Ils alleguent qu’on ne peut
assoir un jugement, sinon que la cause soit cognue,
Calvin, Instit.501.)[1541](下線筆者「根拠が知られぬままに 判断を固めること(to establish a judgment ) は出来ないと彼等は申し立てている。」(カルヴァン『キリスト教綱要』501頁)
2° Il estudioyt quelque meschante demye heure, les yeulx assiz dessus son livre,Rabelais,Gargantua, I,21.)[1534年](下線筆者)「彼は、ざっと僅か半時間、勉強し、彼の両目は 彼の書物の上に固定され(fixed on his book) ていたが、……」(ラブレー『第一の書 ガルガンチュア』第21章)

 カルヴァン(Jean Calvin,15091564)及びラブレー(François Rabelais,1494頃~1553頃)に見られるこれらの用法は、Secret estude estant assisというノストラダムスにおけるassis の用法と本質的に同一の意味合いのものである。先ず、カルヴァンにおける assoir un jugement という表現について検討するならば、assis を自己の過去分詞として持つ原形動詞assoir(現 asseoir)の現代的語義は次のようである(Ibuki)
 1) 座らせる、腰掛けさせる、席に着かせる。
 2)【文】据える、築く(poser, placer, établir)。
 3)[比喩的に]堅固な基礎の上に置く、確立する。 son opinion sur des preuvessur des faits 証拠〔事実〕に立脚して自分の意見を形成する。 ~ son jugement 決定的な判断を下す。
 4) un impôt sur les tabacs  たばこに課税する。
 5)【俗】(議論・意外なニュースなどによって人を)手も足も出なくする。Cet argument l'a assis. この論証は彼に口をつぐませた。

この中で、3) の「asseoir son jugement:決定的な判断を下す。」という用例が、そのまま、時代の経過に関せず、カルヴァンにおける assoir un jugement という表現について妥当することは自明であろう。次にまた、ラブレーにおける「les yeulx assiz dessus son livre:彼の両目は書物の上に固定され」という表現は、先に引用した assis(ラブレーの綴りは assiz)の語義のうち、4) Affermi, assuré, ferme, stable を採用すれば完全に妥当する意味が得られることも自明である。従って、これらの用例と共にその同一の語義に与かると判断してよいノストラダムスの『預言集』第1章1歌第1行の Secret estude estant assis de nuict 語順変換済み)という独立分詞節において、assis とは、Affermi, assuré, ferme, stable という意味、要するに、「基礎の固い、確立した、堅固な基礎の上に置かれた、確立された」(establishhed, based, grounded, seated) という意味なのである(なお、ノストラダムス時代に遙か先立つ古フランス語において、assis(名詞)の意味の一つとして、appui solide(堅固な支え)という意味もあった(Godefroy))。

このようにして、Secret estude estant assis de nuict を、「神秘の研究が、夜間、基礎付けられる、確固とした内容を得る。」という風に読み込むことに特別の無理は存在しないことが論証されるのである。これは要するに、「《原四行詩》と呼び得べきものが、神霊の臨在によって、ノストラダムスに伝授される」という不可思議な業(わざ)が成就される、ということなのである。その分詞構文の機能は、主節に対して、「神秘の研究は、夜間に、基礎付けられるが故に」という理由説明を有すると考えてよいだろう。「預言四行詩の作成という秘密の研究、この神秘の作業は、夜間に基礎的部分が出来上がるので、それ故に、孤独者は青銅の小椅子に掛けて、準備していると、その孤独の境地の中から、微小火炎が湧き出て来て、信じ得べき未来の事柄を語る声を発生させるのです。羽根ペンが手に執られて、孤独者はインクを楷書文字に形取ります。羽弁が形取ります、ペン先が形取ります。孤独者の畏怖と神霊が羽弁に起す声とが両袖口の辺りで一緒になって振動します。神々しい輝きが静謐を満たしています。直ぐそばに神霊がおわします。

なお、原文 «repousé sus» repouserは古形で、現代形は reposerである。その語史は以下の通りである。
 se repauser (10e s.) → reposer (11e s.) → reposans (12e s.) → se repose (13e s.) → se sont reposé (14e s.) → reposoit (15e s.) → reposé, se reposoit, reposer; Tout ce jour madame a fait bonne chere, se repousant sur son petit lict, MARG. Lettre 52. L'asseurance que j'ay de vous me faict entierement repouser sur vostre promesse, ib.58. Je vous supplie vous en repouzer sur moy, ib.38 (16e s.). (Littré)

同様に、poser の語史は以下の通りである。
 
pouser (12e s.) → soit posé (13e s.) → posé (14e s.) → sus elle il eust à se pouser et repouser, RAB. Pant.IV,47. L'harmonie si posée, MONT.II,363. poser, AMYOT, Cicéron,59. en posant, D'AUB.Hist.II,63 (16e s.). (Littré)

このようにして、ノストラダムス『預言集』における reposer としてのrepouser の使用は、彼の著名な同時代の著者であるマルグリット・ドゥ・ナヴァールとラブレーの用例に合致している。

また、«sus la selle d'ærain» 「青銅の小椅子に寄りて」という表現は、「アンリ二世宛書簡」の中の « tripode æneo: au trépied d'airain » 「青銅の三脚椅子にて」という表現に呼応している。それに関し彼は自分の夜間の研究作業を以下のように要約して語っている。

私は陛下に対しまして私の預言の仕事の真相を開陳申し上げます。私の生来の本能的能力に関しましては、それは我が父祖達からの賜物でございまして、予言しようとも思いませんのに予言してしまうという性向でございます。私はこの生得の能力を、私の長時間の天文学的計算と調和させ合致させて、両者の統合を求めるのでございます。第一番に肝要なことは、精神の休息と平静とによって私の霊魂、理性、心情からあらゆる危惧、不安、怒りを除き去るということでございます。ところで、両者のこのような調整と合致を経て到達いたしました統合の全成果の中には、青銅の三脚椅子に由来する部分というものがございます。」(№3,p.155-156)

ノストラダムスの語り口には、常に、何らかの「謎を秘めた言い回し」が認められるが、ここで「両者のこのような調整と合致を経て到達した統合の全成果」というのは、「作成済みの預言四行詩」のことであろうし、その中にある「青銅の三脚椅子に由来する部分」というのは、「神霊に由来する発声的書記の記録」、即ち「自動書記で書かれた原四行詩」のことであろう。明らかに、予言者は、「原四行詩」を最大限忠実に保存しようとしながらも、明瞭な自我意識の知的作業として、「天文学的知見と照合しながら原四行詩を点検し、再検討し、吟味して、最小限度の加筆を行なった」のであろう。実際、彼自身、「だが、週に数回、精神弛緩の症状 [これは、神霊からの働きかけを受け容れる人間精神の受動化を意味する] に襲われ、そして長時間の計算で夜間の研究を甘美なものと化しつつ、私は、夫々が100篇の天文学的預言四行詩を収める複数の預言書を作成した。これらの預言を私は若干分りにくく工夫して仕上げ (raboter, to plane, to polish) ようと欲した。」(№1,p.39) と語っている。ここでノストラダムスは明らかに「細心の仕上げ」という意味でRaboterという語を使用している。じっさいそれは木工作業で木材の表面の仕上げを意味する「鉋かけrabotage」の道具である「鉋rabot」から来た動詞形である。

しかし、ノストラダムスを預言者として認めることが出来ない狭量のブランダムールは、その作品が「鉋をかけたようによく練り上げられたもの」とは見えず、「徒に難解で破格に満ち、不規則にパッチワークされた鈍作でしかない」としか見えないらしく、この語についても次のような推測を披露している:「rabouterというのは、assembler bout à bout 端と端を一緒にする(切り貼りする、パッチワークをする)ということである」(№6, p.24)

確かに、「ノストラダムスは、ストロッツィ枢機卿宛の書簡の中で、au boutの代りにau botと書き, boutonの代りにbotonと書いている; cf. Astrophile, p.451(id.)また、幾つかの版 [1557 (№9, p.12), 1568 (№10, p.33)] には、ブランダムールが採用するrabouter というテキストが見られる。けれども、最も信頼性が高い三種の1555年初版 (№1, p.39; №6, p.11; №7, p.277) のテキストは、等しくraboterとなっているのである。 この点について、幾つかのフランス語辞典では以下のように記述している:

Raboterの語源: 「衝突する」という意味の古フランス語 rabouterと同様、「衝突」という意味は、矢張り「ぶつかる物」という意味の「raboteux 凸凹した」という語の中にも見て取れる。ディエズ (Diez) によって指摘されたこの語源は確かなものに思われる。 Rabouterという語は、reàbouterから構成されている。rabouterに関しては、「端と端をくっ付けるmettre bout à bout」と考える向きも居られるかも知れない。しかし、ブルゴーニュ地方のraibôという語(不均等 inégalitéという意味)が示すように、問題になっているのはrebouter(脱臼をなおす、脱臼して凸凹した関節を元通りにする)又は rebuter(撥ね付ける [ぶつかって押し退ける])と同様に、rabouter(ぶつかる 鉋が凸凹に衝突する 平らにする)という動詞なのである。(Littré)

Bouter この語は今日では若干の古風な用法でしか使われない。多様な意味を持つ:先ず、«打つ、押すfrapper, pousser» (1080年頃(Roland)), そこから、«芽を出すgermer» (XVI世紀)、或いは単に«置くmettre» (XII世紀, 未だXVII世紀にも使用)。今日bouterは、東部、南東部及び南西部の口語に於いて「置く」の意味で使用。」(O. Bloch et W. von Wartburg, Dictionnaire étymologique de la langue française, PUF, Paris, 1950)

事実、rabouterには二つの動詞が区別される。 一つは、Raboter と同義のrabouterで、古いその同義語raboterを駆逐して、それから完全に分離独立した。もう一つは、もっと最近の、同形のrabouterで、比喩的に用いられる中で、最後は「文学的捏造」という意味にさえ到達することとなった。「切り貼りをするassembler bout à bout」(文学的捏造)という意味でのRabouter という語の最初の使用例は1718年に遡る。「RABOUTER. v.tr. (1718; de re-, et abouter). Abouter. – Fig. « Le texte des originaux, interpolés, coupés, raboutés... » 書き入れのある、削除のある、捏造箇所のある原文...( [1910-1913, É.] Henriot )。」(Petit Robert)ABOUTER. v.tr. (1247; de à, et bout). Mettre bout à bout, joindre par le bout (端を端に付ける、端で結ぶ).(Petit Robert).

16世紀の人ノストラダムスはこの新しい意味を知らない、或いは、「鉋で仕上げる」という意味のrabouterという古い語に親しんでいてこちらの新しい意味を無視できる所に居る。実際、鉋というものは、木材の凸凹した表面とぶつかり、それを均すことによって機能する。それだから、反対にブランダムールの方こそが «Un» «peur» を現代的意味でrabouterして(切り貼りして)«蒸気Vapeur»という語を捏造して、ノストラダムスの真正の原文を歪めようとしたのである。
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