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§935,V-24; §936,V-72 「幸福の科学」に対する妨害・中傷事件

大団円としての幸福の科学5、同6  「幸福の科学」に対する妨害・中傷事件: V-24, V-72.
    
前節 (§934,1-25) で、「我意の強い頑迷な思考者」がメシア的人格の認知に躓き易いことへの警告の予言詩を考察したが、ノストラダムスの予言はこの件に関して更に深く突っ込んで、大メシアに指導される「幸福の科学」の救世運動の社会的展開を阻害し、故なく中傷非難する講談社『フライデー』を始めとするマスメディアの悪しき潮流の予言にまで及んでいる。それはV-24, V-72の二つの四行詩である。(初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(10)」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第51巻第1号、2000年 [一部改稿])

第五サンチュリ第24詩:金星と太陽:V-24 (§935).

金星(ヴィーナス)の下の統治と法が高揚して、
土星(鉛)が木星(錫)を支配するであろう。     
太陽による法と統治が立ち上がる時、
鉛毒症患者たちによって最悪のものが支持されるであろう。


§935, V-24: Venus binds the Sun (1991).
The reign and law under Venus elevated,
Saturn shall gain a hold over Jupiter:
The law and reign by the Sun exalted,
It shall suffer from the worst because of the Saturnians.


Le regne & loy soubz Venus eslevé,
Saturne aura sus Jupiter empire:
La loy & regne par le Soleil levé, 
Par Saturnins endurera le pire.

第五サンチュリ第72詩:金星と太陽(2):V-72 (§936).

色欲的勅令の快楽のために、
彼等は合金の中に毒を混入するであろう。     
金星(ヴィーナス)が烈しく時流に乗るので、
太陽の全ての合金が晦まされてしまうだろう。


§936, V-72: The Sun poisoned by Venus (1991).
For the pleasure of voluptuous editions,
They shall mingle poisons in the alloy:
Venus shall be in so virtuous a vogue,
That it shall obcsure all the alloy of the Sun.


Pour le plaisir d'edict voluptueux,
On meslera la poyson dans l'aloy:     
Venus sera en cours si vertueux,  
Qu'obfusquera du Soleil tout aloy.

「両詩を結合するキーワードは、「合金 aloy, alloy」であり、これは「活字合金 type metal」のことであろう(注1.「印刷工業に使用している活字合金は、主としてアンチモン-錫-鉛合金でとくに硬さを必要とするときは銅が添加される。」日本金属学会編『金属便覧』1960年、丸善、P.934 。)実際、活字合金の主要組成は錫 (Jupiter) と鉛 (Saturne) であり、従ってここでは活字に象徴される出版メディアの動向が問題になっている。そして「鉛(Saturne) が錫(Jupiter) を支配する」とは、出版における善なる裨益情報の最優先原則ではなくて「最悪のもの le pire」の露出・暴露を事とする行き方が優勢になるということである。そのような悪徳出版遂行者たちが「鉛毒症患者たち Saturnins」と呼ばれている。
 
さて、このような鉛毒症患者たちが跋扈する環境は何かと言えば、「金星(ヴィーナス)の下の統治と法が高揚して(Le regne & loy soubz Venus eslevé)」という状況である。この場合、「金星(ヴィーナス)」とは、「色欲的勅令の快楽のために(Pour le plaisir d'edict voluptueux)」という直視的表現自体から明白であるように、「官能愛の嗜好一般」を意味する。そして、人類の高度な文明文化の歴史的伝統的標準的観念においては、「官能愛の嗜好一般」は本能的なものとして根源的是認を受けながらも、その有り様は必然的に、ヴェールに覆われ、オブラートに包まれていなければならないものである。ところがこの人類の根源的美徳を破って、「官能愛のための官能愛による官能愛の激甚表現」をモットーに掲げる悪徳者の出現を見る非常時は、「金星(ヴィーナス)の下の統治と法が高揚して」いる時である。それは言い換えると「金星(ヴィーナス)が烈しく時流に乗っている」ということである。そして、le plaisir d'edict voluptueux「色欲的勅令の快楽」のedict 「勅令」という語は、edition 「出版」という語を連想させるから、この快楽は特に出版活動に関わるとの解釈が自然に得られる。又、「合金の中に毒を混入する On meslera la poyson dans l'aloy 」というのは、文字通り活字合金の中に何か毒物を混ぜるというのではなくて、特に雑誌形態の出版物のような多くの記事から成る編集物に何らかの割合で「精神的な毒物的色彩の濃厚なページや記事」を意図的に嵌め込むということであろう。それは、もはや説明するまでもなく、徒らに官能愛を刺激するだけのグラビアや人々の名誉をセンセーショナルに毀損するような記事の類いである。poisonは現在男性名詞であるが、古くは女性詞であった。その意味には「邪説、毒舌」というのもあるから、まさにこれである。

そして、この問題は、両詩を通じて、「太陽」との関わりの中で言及されているのであるが、これまで論究して来た我々の文脈の流れの中では、「太陽」の意味は明々白々である。特に、「太陽による法と統治が立ち上がる時 La loy & regne par le Soleil levé 」という表現によって、「太陽の法」を携える「大メシアたる大川隆法氏」(§942,V-53詩参照)及びその指導下の「幸福の科学」の活動が大々的な社会的弘法へと展開し始めた時がここに想起されて来るのである。この思い切った弘法運動は、「幸福の科学」自身では「サンライズ ナインティ(90)」と呼ばれて、1990年に位置づけられた(注2.大川隆法監修『救世の源流を探る 幸福の科学・法と組織の十年』1991年、幸福の科学出版、P.74)。ちなみに、フランス語でle Soleil levéとだけ言えば、「日の出、上り始めた太陽、サンライズ」の意味である。しかも、大川隆法氏の第一理論主著たる『太陽の法』の第一章は「太陽の昇る時」と題されている。
 
「幸福の科学」の「サンライズ90」は翌年、一層活力を増して「ミラクルダッシュ91」へと拡大再生産されたが(注3.同上書、P.85)、出版上の事件が起きたのはこの年であった。事件の首謀的主役は株式会社講談社が発行する写真週刊誌『フライデー』であったが、このフライデー(Friday金曜日)に相当するフランス語Vendrediは、文字通り、「ヴィーナスの日 jour de Venus」(ラテン語 Veneris dies)という意味である。何故なら Vendre-diの Vendre-は、vendre(売る)という動詞と形は同じでも語源的関連はなく、Venus の属格(genitive)であるからである。その『フライデー』を始めとする悪徳出版遂行者たちのために、「太陽の全ての合金が晦まされてしまう Qu'obfusquera du Soleil tout aloy」というのは、「太陽」つまり「幸福の科学」の弘法活動自体も「合金」(活字)即ち出版物を主要な媒体とするものであったという事情から来ている。

なお、原語 obfusquer は、obf- が off- と同値なので、offusquerとなり、これはラテン語動詞 offūscō「暗くする、貶黜(へんちゅつ)する(落し退ける)」から来ている(cf. TanakaH)。

講談社フライデー事件の総括(1)

では、その事件とはどのようなものであったのか、「講談社フライデー全国被害者の会代表」としてこの社会的悪に決然と勇気を以て闘い、あたかもその力強い実践を自己の人生の最高の成果と心得て潔く早くも昇天して行った直木賞作家・景山民夫による総括を引用しておきたい。

「1991年、テレビや新聞、週刊誌などを賑わした“講談社フライデー事件”は、まだ読者の皆様の記憶から薄らいではいないことと思う。しかし、あの“講談社フライデー事件”とは、つまるところどういうものであったのか、どういった出来事を発端として発生したのかに関しては、多くの方々が正しい認識を持たれてはいないと思う。当時、世間の大半の認識は「宗教団体が教祖の悪口を週刊誌に書かれ、それに怒って非常識な抗議行動を行なった」といったレベルであったのだろうと推察される。しかし、本書をお読みになれば判るとおり、これは大いなる誤解であり、その視点は明らかに間違っている。私たち「講談社フライデ-全国被害者の会」の主張、そして「精神的公害訴訟」の原告たち一人ひとりの思いは、そのような私怨に満ちたものでは決してない。そして、この件を論じるとき決して忘れてはならないのは、講談社による、事実にまったく反した捏造、つまり「嘘」の記事の掲載が、すべての発端であったという点である。ジャーナリズム、あるいはマスコミュニケーションが、報道に於いて意図的に「嘘」をつくというのは、メディアの自殺行為である。そしてそれはまた、読者に対する裏切り行為であるだけでなく、人の心を毒水で汚染する公害のたれ流しにも等しい行ないなのだ。それ故に、私たちの抗議や活動、そして「精神的公害訴訟」は、マスコミという、現代の日本社会に於いて本来は人を啓蒙し、人の心を向上の方向にいざなうべき使命を持っているはずのメディアが、そのまったく逆の方向に向かいつつあることへの警鐘でもあり、正しき方向を指し示す灯台の意味を果たす行動であったと確信している。
 
私たちが抗議の行動を起こし、「正義」という言葉を口にしたとき、「いまのこの時代に、正義なんて」と嘲笑した人も多い。しかし、「正義」の本当の意味を考えれば、その考えが間違っていることは明らかだろう。「正義」とは、善悪を分かつ力であり、その、善というものは神の念いに発している。この世界が、善悪の区別もつかないものになったとき、すべての人の心は暗黒の世界に沈む。

本書が、これをお読みになるすべての方に、もう一度「正義」あるいは「正しさ」というものを見つめ直すよすがとなれば、私たちにとって大いなる喜びである。1993年8月 講談社フライデ-全国被害者の会会長 景山民夫」(注4.景山民夫・小川知子編『宗教の反撃 講談社フライデー事件と裁判のすべて』1993年、幸福の科学出版、PP.3-5。)

講談社フライデー事件の総括(2)

こうして“事件”は始まった  景山民夫

あの一般的に“講談社フライデー事件”として知られている出来事から、丸二年が経過した。当時、マスヒステリアとすら呼べるほどの拒否反応を、僕たちの抗議行動、そして主張に対して示した人々の反応が、明らかに好意的なもの、行動そのものを評価する方向に変化してきたからといって、二年前のあの出来事を忘れ去ることはしてはならない。そしてまた『週刊フライデー』『週刊現代』『現代』などの講談社メディアが、幸福の科学と大川隆法主宰[現・総裁。以下同様…筆者]先生に関する、まったく事実無根の捏造記事、あるいは悪意に満ちた誹謗中傷記事を掲載したことの責任は、決して時間の流れの中で消えるものでも風化していくものでもない。
 
まず、講談社関連のメディアに、幸福の科学に関する中傷記事が最初に載ったのは、いわゆる抗議行動に先立つこと四ヵ月の1991年5月である。掲載誌は講談社の子会社であるスコラ社発行の男性誌『スコラ』5/23号である。記事の構成者は宗教関係の仕事を多く手がけているフリーライターの米本和広である。そしてこの記事の執筆に際して米本が幸福の科学に直接取材を申し入れたというような事実はない。その翌週には『週刊現代』5/25号に「問題摘出リポート/大川隆法『幸福の科学』教団のファジ-な“商法”」として、主宰先生が納税者番付で部門7位であったことをまるで「だからこの宗教団体は金銭面に怪しいところがある金集めを目的とする団体なのだ」と決めつけたがっているような語調で紹介した記事が掲載される。『週刊現代』の記者によるこの件に関しての取材は発売の五日前に幸福の科学総合本部で行われ、主として広報宣伝部の職員が対応したのだが、勿論、それが「問題摘出リポート」などといった扱いをされるといったことは、取材に来た記者(講談社社員と契約社員の二名)は語りはしなかった。この『週刊現代』の記事が出た二週間後の5月31日には、『フライデー』が東大五月祭における「黎明の時代」の御講演の写真と共に、「『謎の教祖』大川隆法氏『東大凱旋講演』の中身」と題する記事を掲載した。特筆すべきなのはこの『フライデ-』の記事の中で、後述する『フライデ-』8/23・30合併号の捏造記事を書いた早川和廣が、既に“宗教評論家”という肩書で、コメントしていることである。

翌月になると、6月24日発売の『週刊現代』の広告の見出しが「『3000億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”」と、さらに攻撃的になる。どうやらこの段階で『週刊現代』は、幸福の科学という宗教法人を金銭面の問題から叩こう、という方針を定めたように見てとれる。それが“大野望”という表現につながってくるのだろう。当時から会員であった方なら誰もが知っているように、第一回御生誕祭で、それまで月額2000円であった会費が1000円に切り下げられこそすれ、合計3000億円もの献金を会員が強制されたなぞという事実は全くない。それはあくまでも、やはり宗教法人である以上、会社でいう自社ビル的な、講演会の出来るホールや大きな礼拝場のある総合本部ビルがあると嬉しいという気持ちの表われといえよう。そして当時の地価や建築費でいえば3000億円ぐらいはかかるであろうというところから出た数字である。それに対して講談社メディアは「これが幸福の科学の本心」といった、鬼の首でもとったような弾劾記事を連続掲載する。

そしてその件に関する取材で幸福の科学総合本部を訪れた取材記者は、無断撮影はしないことという広報宣伝部の取材に応じる際の条件を無視して勝手に総合本部内の写真撮影をした。幸福の科学では、この『週刊現代』の記事が事実無根であることと写真を無断掲載したことに関して6月29日に抗議文を編集長宛に送付した。しかしそれに対する回答や釈明は一切なかった。そして明らかにこの『週刊現代』の“大野望”記事をきっかけに講談社メディアとその関連会社である『日刊ゲンダイ』は嵐のような幸福の科学叩きを開始することになる。 つづく7月と8月は講談社の大攻勢のニヵ月である。この7、8月以降の記事はそれ以前にも増して単なる誹謗中傷、幸福の科学叩きの内容であるだけでなく、捏造、つまり現実にはありもしないことをさも事実であるかのように書く度合いが非常に激しくなっている。それは、ある種、なりふりかまわぬ、といった様相をすら呈している。どんなウソでもかまわないから、とにかく世間が幸福の科学と大川隆法主宰先生を、白眼視する、あるいは危険視するように仕向けよう、という意思が、そこには見える。

注意しておかなければならないのは、この時点では、抗議文書の送付以外に、幸福の科学あるいはその会員から、講談社に対する抗議は行われていないということである。9月以降のような、明らかな対立関係の図式はまだ成立していない。にもかかわらず何故講談社がそのメディアを通じてここまで激しい攻撃を幸福の科学に対して仕掛けてきたのかはその理由が定かでない。中でも特に捏造の度合いのひどいのが8月9日発売の『フライデー』8/23・30合併号の記事である。この号の問題点をあらためて振り返ってみよう。早川の文章はGLA元幹部であるという石原常次氏の証言を紹介するのだが、石原氏がGLAの元幹部であったということも事実ではなくデッチ上げである。早川が何故ここで事実に反してまでGLAという団体の名を出したのかもその理由がよく判らない。記事の中で東京・墨田区で人生相談の「石原相談室」を開いている石原常次氏は次のように語ったことになっている。「彼がまだ商社にいるころでした。ぼくのところにノイローゼの相談にきました。『GLAの高橋佳子先生の[真創世記]を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました。」
 
そしてこれが、まったく事実に反する文章、つまり嘘だったのである。この号のフライデーが発売された四日後、幸福の科学総合本部に石原常次氏自身から電話がかかってきた。応対した広報宣伝部員に石原氏は憤りを抑え切れないような口調で次のように語った。「あの『フライデー』の中で早川ジャーナリストが書いていた中川一郎と名乗る二十歳(相談当時)の青年は大川先生ではありません。早川氏の聞き違いだと思います。早川氏とは、電話で二分か、せいぜい五分ぐらい話しただけですから。」
 
そういった電話を貰いはしたものの、それだけでは正確さに欠けるため、総合本部では石原氏にその証言の内容を文書にして送ってくれるように依頼し、快諾した石原氏から、二日後に文書が送付されてきた。
 
さらに細部の確認のために、職員が直接石原氏と面会し、次のような内容の証言をきちんと証言文として受け取った。証言文の内容を要約すると、次のようになる。「早川氏は、ある女性を仲介に立てて、“取材に応じてくれ”と依頼してきて、計二回、私に電話をしてきました。あの『フライデー』が出る一週間くらい前、(1991年)8月2日頃の最初の電話で、まず『大川さん知ってるそうですね?』と私に尋ねました。私は、幸福の科学の大川隆法氏のことはあまり詳しく知らなかったのではっきりとは答えなかったところ、早川が次に『中川という人が来たことがありますか?』と聞いたので、『中川さんという人は来たことがある』と答えました。実際、中川一郎という二十歳くらいの大学生の人が、ノイローゼの相談にやって来たので、そのときの状況をお話ししたのです。」そのときの状況の描写が『フライデー』の記事では大川隆法主宰先生のこととして掲載されることになるのである。さらに、石原氏の証言文は驚くべき内容を含んで、次のようにつづく。「早川氏は、大川隆法氏の本名が中川隆であることを告げ、そして『幸福の科学が大きくなる前に、何とか、つぶしたいので、悪い評判があれば教えてほしい』と言いました。」
 
石原氏は、早川の電話取材に対して、五年前に訪れてきた中川一郎という大学生が、二十歳ぐらいだったと述べている。しかし『フライデー』の文章では、その、大学生であるとか、二十歳ぐらいだとかいう説明は削除されている。1991年の五年前、1986年というのは、大川隆法主宰先生はとうに東大を卒業、その後に勤めておられた総合商社を退社して幸福の科学を創立された年である。いくら何でも商社マンとしてニューヨーク駐在勤務まで終えた人間を二十歳の大学生と見まちがえるわけもない。このタイム・パラドクスをごまかすために早川は、明らかに、中川一郎という人物の年齢を、石原氏からは聞いておりながら、記事には書かなかったのである。
 
しかも、取材したとはいえ、早川は石原氏に対して、たった二回、電話をかけて話を聞いただけである。一個人の問題としても、ノイローゼだ、鬱病だ、キツネがついている、といった重大な内容を雑誌に書くのにあたって、直接会って話を聞く努力すらせず、電話だけでの取材というのは、いいかげんを通りこした行為である。ましてや、当時の時点で会員百五十万人以上を有する宗教法人の主宰者に関して、そういったことを書く以上、その記事の影響力を考慮すれば、正確な取材と事実確認の作業が為されて当然だろう。さらにご丁寧なことに、9月2日、つまり、幸福の科学の会員による講談社への抗議行動が始まったその日に、あたふたと石原氏の下へ駆けつけたフライデー編集部員が「記事での石原氏のコメントは事実であると認めてほしい」ともちかけている。しかしこの申し出は、石原氏に「自分がGLAの元幹部であったとか、相談に来た人物が中川隆氏だったなどと書かれている点を、事実と認めるわけにはいかない」と、拒絶されているのである。
 
そして、この号の『フライデー』が発行される二日前の8月7日夜、編集部の人間であるという二人の人物が、幸福の科学総合本部を訪れた。取材申込みということで、応対に出た職員に対し、二人が述べたのは「今後、お宅についての連載記事をはじめますよ、連続五回はやりますからね」とか、「もう、印刷に回ってますから」という趣旨の取材ともいえないような言葉だけであり、それだけを言うと、二人は総合本部を後に去っていった。この事実が何を意味するのか、当事者にはまったく判らず「あの人たちは何をしに来たのだろう」と話題になったほどである。発売二日前というと、通常の週刊誌の場合、既にほとんどの入稿は終わっている。たしかに、総合本部にやってきた『フライデー』の人間の言うとおり、もう輪転機は回っていて、電車の中吊り広告の文面なども、印刷済みである。その時点での、編集者の来訪は単に、一応は通達だけはしたのだからな、という既成事実作りのみを目的としているように、そのときは思われたものだ。これもまた、『フライデー』の常套手段であるらしく、7月12日発売の『フライデー』に「……『幸福の科学』の有名人会員たち」という見出しで、隠し撮りされた僕の写真が掲載された際も、発売の二日前に『フライデー』編集部の人間から事務所に電話がかかってきている。そのときの電話の内容は「幸福の科学について、電話インタビューをしたい」というものだったのだが、僕は基本的に電話のみでのインタビューは正確さを欠くという理由で、受けないことにしている。その旨を事務所の人間が伝えると、相手は「それじゃ結構です」と言って、電話を切っている。むこうの考えでは、「内容はともかく、一応、コンタクトしたという既成事実は作ったぞ」ということなのかもしれないが、いざというときの言い逃れのために、形式的にそういったことをするような考え方自体が、ジャ-ナリズムのあるべき道に反するものであることは、言うまでもない。
 
『フライデー』8/23・30合併号の記事の内容と、写真の無断掲載に対して、幸福の科学は8月22日、講談社野間佐和子社長、『フライデー』の元木昌彦編集長(当時)、そして早川和廣の三者に対し、内容証明郵便で通告書を送った。通告書では、記事はまったくの虚偽であり、大川隆法主宰先生と幸福の科学の名誉を著しく毀損するものであって、かつまた、プライバシーの権利と肖像権を侵害するものであるから、それに対する謝意を表明せよ、と三者に告げてあった。しかし、これに対して、講談社側はなんの回答もよこさなかった。それどころか、『フライデー』の「連続追及」の内容は、ますますエスカレートしていくばかりであった 通告書に対して、何の返事も得られなかった幸福の科学は、8月28日に、再び、講談社野間佐和子社長、『フライデー』元木昌彦編集長(当時)、及び早川和廣に対し、警告書を送付した。これは、記事そのものが、意図的に捏造されたものであると判明した場合には法的処置をとる、とした、前回の通告書よりも厳しい内容のものであり、野間社長らに、記事が誤りであることを認めて、すみやかに謝罪と訂正することを求めたものだった。また、この警告書には、石原常次氏による抗議書も同封された。これに驚いたのか、8月31日になって、やっと、警告書の前に送付した、8月22日付けの通告書に対する回答文が、講談社『フライデー』からとして、幸福の科学に届いた。しかしその内容は、「記事の内容は、取材において石原氏が語ったことを、そのまま正確に引用したものであって、『フライデー』編集部では、その言葉に何の作為も加えてはいない」と主張する、厚顔無恥なもので、その上「なお、この企画は、今後も続けていく所存である」と結んであった。これは、幸福の科学に関する事実誤認に基づく批判的な記事を書いた他のメディアの反応とは、あまりにも違うものであった。1991年の春以来、幸福の科学の活動を誹謗するような内容の記事を掲載したメディアは、いくつもあったのだが、そういった雑誌などに対し、文書による事実誤認の訂正を求めた結果、講談社以外のすべての新聞社、出版社などは、相応の対応をしてくれたのだ。明らかに捏造、デッチ上げの記事を書きながら「なんだ、文句あるのか、あるならやったろうじゃないか」といった、喧嘩ごしの回答を送ってきたのは、講談社だけである。つまり、通常の編集部レベル以上の、幸福の科学叩き、あるいは、幸福の科学つぶしを意図する力が、そこにかかっていたとは考えられないだろうか。とにかく、講談社及び『フライデー』は、この回答書によって「俺たちは、自分のしたことを少しも悪いとは思っていないぞ、まだまだ誹謗中傷の記事を載せつづけてやるぞ!」と、書面で宣戦布告してきたわけである。そして、この時期に講談社から送られてきた回答書が、事態の解決には結び付かない内容のものであったということが、結果的に、9月2日以降の抗議活動へとつながっていくことになる。」(注5.景山民夫・小川知子編『宗教の反撃 講談社フライデー事件と裁判のすべて』PP.3-5。)

我意の強い頑迷な思考者」の罪への自戒

以上の考察は、本論上、迂遠のように見えるにしても、実はそれは、ノストラダムス『預言集』I-25詩において警告されている「我意の強い頑迷な思考者」の罪に自ら落ちることを防ぎ、回避する智恵と決断と勇気を確保し、増強するために必要なものであった。また、次の考察も同様の意義を持つものとして継続されねばならない。即ち、V-72詩:「色欲的勅令の快楽のために、彼等は合金の中に毒を混入するであろう。金星(ヴィーナス)が烈しく時流に乗るので、太陽の全ての合金が晦まされてしまうだろう。」において、講談社写真週刊誌『フライデー』編集・出版者を始めとする悪徳出版遂行者達のために「太陽の全ての合金が晦まされてしまう Qu'obfusquera du Soleil tout aloy」というのは、「太陽」つまり「幸福の科学」の弘法活動自体も「合金」(活字)即ち出版物を主要な媒体とするものであったという事情から来ていると述べたが、実は、私自身も、そのような「目晦まし」の被害を受けてしまったことを、反省とともに再確認しておきたい。
 
『フライデー』8/23・30合併号におけるジャーナリスト早川和廣が事実の捏造によって記述した「幸福の科学・大川隆法氏の異常心理状態」は、その記事が景山民夫氏のように当時の「幸福の科学」の内外の諸事情に通じていて、確証によって、捏造と断定し得るのと同じ判断レベルに、正に後の景山氏の報告『宗教の反撃 講談社フライデー事件と裁判のすべて』(1993年)を通して初めて到達することが出来たその前までは、必ずしも一概に不可解とは断じ得ない性質を持っていると思われるのである。何故なら、或る意味では、個々の「宗教的事象・人格」を考察する場合には、その考察のまさに出発点に位置づけてしかるべきポイントとして、霊的事象の真偽贋実問題が、当該人格の正常異常問題の形で生起するということが普通にあると言えるからである。例えば、大本教の教祖・出口なを女史の霊言活動は、最初は、あたりはばからず、というよりもむしろ世間にはっきりと聞かせる・聞いて貰うという趣旨により大声で教えを叫ぶ、というような形態のものであって、これは世間の人々の大半が異常な言動と受け取ったのは勿論であるが、当の本人さえも、自分を指導する神霊の存在は疑いはしなかったものの、これではとても恥ずかしいから大声で叫ぶのだけは止めにして貰いたいと頼み、自動書記に転換して貰ったということである。こういう一般論としてだけでなく、実は、大川隆法氏自身が、自己の霊的体験の開始期の回想において、それを「一種の危機的異常体験」として語ってもいるのである。

新しい入り口の発見
四番目は、「発想による光明転回」、これがあります。これも大事です。たとえば私も今から六年余り前に霊道を開きましたし、たとえば私がみなさんの霊道を開こうと思ったら割に簡単に開けるんです。霊的に相当感応しやすい人であれば、もうほんの数分で開いてしまいます。そして守護霊が入る様になるのですが、ただ最初の時はそういうこともだいぶやっていたのですが、あとがよくないのです。なぜよくないかと言うと、自力ではなくてそういう他力で霊道なんかを開いてしまうと、悪霊なんかに支配されはじめても、それを追い払う力がないのです。それで結局苦しむことがある。そうすると、みなさんもそうでしょうが霊道を開きたいと言っていたのに、それを棚に上げて、自分の守護霊がたるんでいるとか、主宰者が悪いとかいろいろ言うのです。
 
こういうことがありますが、ものは考えようでございまして、意外に苦しんでいるけれども逆に悟りへの近道にいるかもしれないのです。その人はぼんやりと、霊なんてあるのかなと思っているのが、悪霊が憑いて家庭教師をしてくれているのです。毎日毎日耳ではささやくは、頭を締め上げるは、腰には抱きつく、足は冷えるで、だから個人教授をやってくれているのです。これからのがれたくてのがれたくて、私に取ってくれと言って来るのですが取らないです。家庭教師をせっかくしてくれているのだからだいじにしなさいと、それはあなたが悟っていないことを教えてくれているのですから。悟っていないということを、じっくりと悟るための勉強なんだから、しっかりその家庭教師さんに代金を払わなければいけないと、こういうふうに私は言うことにしております。だから悪霊に憑かれて苦しんでいる人もいっぱいいると思いますが、これは非常に便利なのです。みなさんが悟るかどうかの試金石になるのです。悟ったらパリッとはがれてしまうからわかるのです。悟ったその瞬間にすぐわかります。憑いているうちは悟っていないということなのです。 そういうふうに考えることはありますので、あまり悪いほうにだけ考えてはいけないのですね。だから霊道を開いても精神病者になってしまう人もいるけれども、もう元通りにしてくれというようなことばかりを考えずに、ひとつチャンスなのですから、これで聖人になろうじゃないかという考え方もあるのです。
 
ほかならぬ私も六年半ほど前ですが、霊現象が起きた時に自分がこんな道に入るとはよもや思っていませんでしたので、大変なことになった、こんな霊現象が起きたけれどもどこへ行って救ってもらうかということをだいぶ考えたのです。これは困ったもので、だれかいないかと思っていたが、だれも助けてくれる人がいない。困ったものだなと思って、取ってくれる人がいないようだから自分で取ろうと思ったら、悪霊かと思ったら高級霊だったのでびっくりしたのですけれども。何もわからないとそういうことがあるのです。
 
ですから霊現象なんかが起きた時には最初はものすごく不安です。とにかくだれかにすがりたくてしかたがない。そういうことなのですが、意外にそこに人生の次のステップが用意されている場合もあるのです。(下線筆者)」(大川隆法『繁栄の法則』1989年、幸福の科学出版、PP.204-207。) 

人格の格闘から生まれた世界宗教

本格的宗教の開始期に見られる人格的葛藤の事例を、大川隆法氏の処女作『日蓮聖人の霊言』(のち、『日蓮の霊言』と改題)(著者名は氏の実父である善川三朗氏)に関する解説によって更に詳しく見てみたい。

幸福の科学の出発点について 
『日蓮の霊言』という本のテーマは何かというと、「人生の悩みに打ち克つ」ということです。人生の悩みにどう打ち克ってゆくかということについて、さまざまな角度から説かれています。内容のポイントを、私は次の六つに絞ってみました。
一、幸福の科学の出発点について。
二、「自分の畑を耕せ」という言葉の真意について。
三、「人生は一冊の問題集である」との視点。
四、悪霊と守護・指導霊について。
五、自由と悟り。
六、人生の悩みと一元論、二元論。

主要な論点はこの六つであると言ってよいと思います。まず第一番目の、「幸福の科学の出発点について」ということを述べておきたいと思います。「日蓮の霊言』が刊行されてから、すでに三年半ぐらいの歳月が流れました。しかし、今後何百冊の本が出ようとも、この本が幸福の科学の第一冊目の書物であることは変わりません。また、この最初の本を出版するまでに、そうとう苦労したことも事実であります。
 
最初の霊示
私は、一九八一年の三月に霊道を開き、高級霊からの通信を受け始めてから、八五年夏にこの本が出版されるまでに、約四年半をかけました。この間、私たちがいったい何をしていたのかということは、この本の行間からある程度読み取ることができると思います。最近刊行されている私たちの書物は、一冊一冊はっきりしたテーマを決めてつくってありますが、あの当時の本というのは、そうとうな分量の霊言のなかから選んで編集した本なのです。ですからいろいろな内容が集まっていると感じられた方もいるでしょう,日蓮聖人との対話は、四年分ぐらいのストックがあり、そのなかから編集してこの本ができあがりました。ですから、この本に書かれていない対話もそうとうあったわけです。それは個人的な問題の相談がほとんどでした。やはり最初に霊的現象に出会ったときには、衝撃の連続でありました。理解できないことばかりでしたし、霊的世界について書かれたテキストもなければ、師もいないという情況で、まったく帰納的方法といいますか、実際に体験したり、学んだことのなかから理論を構築していくというステップでありました。最近の理論書を何冊か読まれたあとで、初めてこういう本を読まれる方は、あるいは、「幼稚だな」と思われるかもしれません。しかし、ここに私たちの人間としての格闘があったわけです。その格闘は、実に大変なものでありました。それは私にとっては、やはり人生の針路を大きく変えてしまう内容であったわけです。しかしそれから八年もの歳月が流れてしまい、今、多くの方々が幸福の科学の考えに賛同されていますが、この最初のころがいちばん難しかったわけです。何しろ当初は、この私自身が賛同していなかったのです。私にこういう現象が起きなければならない理由はない、と思っていました。私はもともと考え深いほうではありましたが、どう考えてみても、そんなはずはないと思われたのです。宗教家になりたいと願ったことは過去一度もなく、宗教家としての資質があるとも思えなかったし、自己実現の方法としても考えてもいなかったことでした。最初に日蓮聖人が出て来て話をされ、それだけでなく同じころ、イエス・キリストをはじめとするさまざまな霊人が出て来ておりましたが、とても信じられないというのが私の正直な気持ちでした。霊的世界について書かれた書物をいくつか読んでみましたが、そこに共通して書かれていたのは「波長同通の法則」ということでした。霊界通信の原埋として、同じ波長でなければ通じないという法則があり、そうすると、こうした高級霊から霊示を受けられるということは、私もそういう波長を持っていなければならないということになるのです。そこで、自分自身の過去二十四年間の人生についてふり返ってみたわけですが、「そんなはずはない、そこまで自惚れてはいない」というのが私の結論でありました。悪いこともしたかもしれないし、考えたこともあるかもしれないけれども、人間を上・中・下に分けたら、なんとか平均ぐらいはいっているだろう。しかし、そんなに偉い人と話すほどではないはずだし、それほどの実績もないと思ったわけです。しかも、それほど心の修行をしたかと問われたら、した覚えもないし、それほど心が澄んでいるかと問われても、それほどでもない。考えれば考えるほど、やはりありえないという結論に達したわけです。しかし、「現証」は、徹底的でありました。現在では霊的現象に関して、私は選択的に応じています。自分に必要がない場合、聞く気がない場合には、霊人たちが何を話そうとしても私はぜんぜん応じません。しかし、このときにはそうではありませんでした。最初の一年目はほとんど二十四時間態勢に近かったのです。いつ、なんどきでも話しかけてこられる状況でありました。まことに不思議ですが、たとえば夜中にパッと起きて、私が何か質問や疑問を抱くと、すぐに答えが返ってくるという状態でした。日蓮聖人だったのですが、最初は四六時中そばにいる感じでした。夜中にフッと目が覚めて、何かについて疑問を持っただけで、答えがすぐに返ってくるのですから、恐ろしいくらいでした。私が行くところには、どこにでもついて来られて、私が考えることに次々と答えを出してくるのです。こんなことがありえていいのだろうか、家庭教師とはいっても、少し親切すぎるのではないだろうか、という感じでありました。また、たとえば女性を見て、「美しいな」と私が心のなかでフッと思ったとします。すると、「いや外見にだまされてはいけない。彼女の悟りはこの程度だ。心がよくないところに通じている。」などと、すぐに言われるのです。電車に乗っていても、前にいる人には憑依霊が三体憑いている。それは何と、何と、何であるというように、四六時中教育されていました。もう洗脳に近いかたちですが、教えられているうちに、自分も観察をするようになり、これはあれとあれが憑いているなと思っていると、「そのとおりだ。」などと言われるようになってきました。」(大川隆法『幸福の科学原論①』幸福の科学出版,1989,p.14-21)

従って、私自身はこのような文脈の中で見ていたから、逆に、早川和廣による当該記事を読んだ時、その記事の内容が、このような観点から解釈される性格を多分に持っていたため、「中川隆さんが石原常次氏の所に人生相談に訪れた」ということを、事実として始めは受け取ったのである。つまり、「こんな霊現象が起きたけれどもどこへ行って救ってもらうかということをだいぶ考えたのです。」という大川氏の説明の延長上に、「中川隆さんが石原常次氏の所に人生相談に訪れた」という行動を事実として想定するという考え方に私は傾斜せざるを得なかったのである。もっともその考え方の採用によって私がそれまでに受容し、理解し、形成し、納得した大川隆法氏の宗教的人格の真実性を、いささかも疑ったということは全然意味しない。何故なら先に述べた通り、宗教的人格の本格的出発の最初期に尋常ならざる不安・動揺が見られることはむしろ人間と歴史における同種の現象の通例とさえ考えられるほど、それ自体は異常でもなんでもないと思惟されるからである。    

しかし、細部の事情にわたる景山民夫氏の説明文によって、早川の手になる記事が全体にわたって事実に基づかない捏造であることをはっきりと知らされた。しかもその記事は、直接の取材もしなかったし、また、公刊済みの大川氏のこの著書をさえ参照もしていないと思われ、単に自己の既成の思惑に従った全くの誹謗中傷の文章を捏造したものに過ぎないという最悪のものであることも明らかにされた。結局それは、宗教的現象・人格の個別的事例を真摯に考察しようとする場合に必要な手続きの一片の努力の微塵も見られない単なる「 la poyson」(毒、毒舌、邪説)にしか過ぎなかった訳である。
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