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§4 原始仏教(釈尊)の基本的立場 (下)

§4 原始仏教(釈尊)の基本的立場(下)

 釈尊の悟りと道徳的発達(下) 実践的概念としての「無我」 

26.和辻哲郎の「無我」解釈について

 以上を通して、我々の仏教学研究としての理論的研究のための仏教資料の底本群として採用した中村元『原始仏教1-5』(『原始仏教1 ゴータマ・ブッダ釈尊の生涯』『原始仏教2 原始仏教の成立』『原始仏教3 原始仏教の思想 上』『原始仏教4 原始仏教の思想 下』『原始仏教5 原始仏教の生活倫理』)(注1)に基づいて、先ず、釈尊の基本的立場の制限的規定として、B(非Q)=最善観的輪廻転生論、という成果を得た。次にこれに基づいてB(E)の解明に進もう。即ち釈尊によって斥けられた哲学的諸立場を記号Qで表わせば、B(釈尊の悟り自体)に関して「Bは非Qである。」という制限的規定が得られる。このように制限されたBをB(非Q)と表記する。他方本来の資料批判によって到達されるE(初期仏教経典)の解釈によって知られる限りのBをB(E)と表記する。するとB(E)はB(非Q)の範囲内にある。何故ならB(非Q)は超越的比較から見たBの制限的規定であるから、単にEに即して内在的に見られたB(E)よりも範囲が広いからである。換言すればB(E)はB(非Q)という制限の外にはみ出る哲学的含意を持つ解釈であってはならないのである。

注1* 中村元『原始仏教1~5』即ち『中村元選集第十一~十五巻』、昭和四四~四七年、春秋社。なおこれらからの引用は[ ]の中に入れて、例えば(iii.237)のように巻数(iii は『原始仏教3』を表す)とその頁(237 ページ)を示す。以下同様*

 それに先立ち、我々が批判的に継承した和辻哲郎の研究結果を参照しておきたい。
 和辻は具体的には、ブッダと同時代の代表的な思想家たちであった仏典に所謂六師外道の自由思想及び伝統的且つ支配的なバラモン思想との比較研究からブッダの新しい根本的立場を解明した。

そしてそれは伝統思想の形而上学的実在論と自由思想の感覚的唯物論のいずれとも背反する第三の立場、要するに形而上学的乃至反形而上学的性格を欠落した「法」(素朴なる、即ち主観客観未分化の日常生活的経験における現実存在の範疇:五蘊六入縁起等)の認識の立場であるとされる(百七~百八頁)(注2: 和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』(1927年)『和辻哲郎全集第五巻』昭和三七年、岩波書店。なおこの書からの引用は、以下、例えば(十三~二一頁)のように表す)。

しかし和辻は余りにも単純に、一方では自由諸思想を感覚的唯物論として一括し、他方では伝統的正統思想を形而上学と見て、両者の同時否定を以て釈尊の立場と考えた。

且つまた和辻には《神話的要素は人間の想像力による虚構であり文学的修辞である》という個人的臆念があるので(八一頁)、彼においては「唯物論の否定」→「形而上学(唯物論の否定)の否定」→「唯物論の暗黙の肯定」という仮定が成り立つ。

「唯物論の暗黙の肯定」という仮定は、既に見たように我々が到達したB(非Q)の範囲内には存しない。逆にそれ(唯物論的哲学)はQに所属する。従って和辻の解釈は、釈尊の基本的立場に背反する立場(Q)を以て釈尊の立場と解する重大な錯誤と言わざるを得ない(注3)。

注3* 和辻哲郎は「本来ブッダの根本思想は全能なる創造神のごときを排するものであった。その点は当時の唯物論的な外道説と同様である。」(八一頁)と述べてブッダの根本思想を唯物論的性格のものと見ている。しかし釈尊による全能神の排除は、霊的存在一般の否定という唯物論的趣旨とは異なり、単に人間的主体性に対する絶対的他律支配の原理の排除を意味するだけである。これについては、中篇21節参照*

この厳しい判断は、我々が、ブッダによって斥けられた哲学的諸立場それぞれの思想的内実及びそれらに対する仏教的諸対応を、和辻の印した轍に不用意にはまることなく、確定資料に基づいて客観的に検討した結果として獲得し得た判断である。

 この判断の再確認のために、和辻の考察の筋道を一通りフォローしておきたい。

27.和辻における伝統思想論

 初めに正統的伝統思想であるバラモン思想に関し和辻の議論は次のように進む。「正統バラモン系の思想において中心となるものは我(atman )の概念である。ウパニシャッドが作り始められたころ、経験的な現実の根源としてつかまれたものはあるいは「有」と呼ばれ、あるいは更にその根源にさかのぼって「非有」などとも呼ばれたが、しかし最も勢力を得ていた名はブラフマンとアートマンであった。

それは祭儀の中核たるヴェダの言葉それ自身であり、又その言葉と言葉を知れるバラモンとに内在する神秘的な実体、力であった。この言葉の魔力がやがて万物の支配力たるブラフマンの観念を作り出して行った。またアートマンは語源的には呼吸であるが、原始人にとって呼吸が生命の根拠、人格の存在の根拠と感ぜられる所から、やがて経験的な呼吸現象としての意味は後方に退き、その現象の本質、生命の根源として考えらるるに至った。

そこに存在的実体的な霊魂、自己、我の意義が生ずる。更に多なる「我」の根底に一者が求められ、宇宙はこの一者としての「我」の中に流れ込む。かくてアートマンはブラフマンと同じく宇宙の根源的な力となりその資格において同一視せられるに至った。この考えがアートマンの形而上学として形作られた。

それは古昔の形而上学に通例であるごとく、直ちに超感覚的本体として実体化され、男性人格的神としてのブラフマーとなり、この本体、この創造神が、転変して万物を生ずると考えらるるに至った。仏教の経典に描かれる正統バラモンは三ヴェダに通じウパニシャッドを奉ずるものであるが、皆創造神最高神としてのブラフマーを崇拝する。

「この君は実に梵天なり、大梵天なり。全能にして勝らるることなく、一切を見、一切を支配し、世界の自在主にして、全てのものの創造主、化生主、最上の能生者、一切を制する主、已生未生のものの父なり。」かかる梵天との共住同伴(または一致)が正統バラモンにおいて理想とせられた。」(九九~百一頁)

28.和辻における六師外道論

 次に伝統的バラモン思想に対する当代流行の自由思想たる六師外道についての和辻の概括を見てみよう。「この非正統的思想の特質は感覚論的唯物論的という点に認められるであろう。ここでは雑多を生み出す究極の一者の思想は残りなく捨て去られ、ただ感覚的直観的なるもののみが重んぜられている。すなわち人間を初めとして万物を構成するものは地水火風の諸要素である。これら要素はその存在の場所としての虚空の中でただ機械的に結合する。人間の死は要素への分解であって死後には何物も残らない。この考え<アジタの考え>においては精神的原理は入る余地がない。さてこれらの要素は作られざるもの、生産せざるもの、不変なるものであるが、この要素の中に楽、苦、霊魂(jiva)の三を取り入れる考え<パクダの考え>もある。ここには精神的原理が取り入れられたように見えるが、この霊魂は…要素としては地水火風等と同様であり決して普遍我に連絡するものではない。更にジャイナ教の考え<ニガンタの考え>になると…鉱物動植物等に認められる霊魂に対して、四種の非霊魂すなわちダルマ、アダルマ、虚空、物質があり、これらの五を実在体と称する。ダルマは運動の条件、アダルマは静止の条件であり、物質は原子(anu 微塵)にまで追究せられている。原子に対立する霊魂を認める点でそれらは全然唯物論とは言えぬであろう。しかしその霊魂が感覚的直観的なる生命の現象に基づいて機械的な結合の一要素として考えられていることは疑えぬ。かくのごとく非正統思想は、感覚的なるものにのみ権利を与えつつ、しかも感覚的なるものを機械的に構成する要素として考えられたものに不変無始の実在性を許すのである。」(百三~百四頁)

29.和辻における両辺排除の論法と「無我」解釈の唯物論性

 以上二つの互いに背反する考え方に対して、ブッダはその両方を同時に排除して、いずれでもないより高い認識の立場に立ったと和辻は考える。

「仏教は六師外道の一人なるサンジャヤ・ベーラッティプッタがなしたごとくに、ただ立場を取らない、判断を中止するというだけには終わらなかった。…原始仏教は日常生活的経験を批判し、その根本範疇を見いだそうとしたのである。しかもこの仕事は無我の立場において、すなわち主観客観の対立を排除した立場において、行われた。

日常生活的経験は主観の側面から見られるのではなく、そのままに素朴的な現実そのものとして取り扱われる。従って日常生活的経験を可能にする範疇とは日常生活的主観の形式なのではなく、素朴な現実存在そのものの有り方なのである。かかる意味の範疇がここには<法>として立てられる。」(百七~百八頁)

「計我の立場は凡夫の立場すなわち自然的立場であって、そこでは「我」が外界に対している。…そうしてこの「我」と他の多くの「我」との間に、さまざまの愛著憎悪等の葛藤が醸される。これが自然的立場における現実である。しかるに無我の立場はかくのごとき「我」もその本質としての「我」もすべて把捉し得られないことを主張する。そうして一切の現象の考察においてすべての「我」を抜き去ることを要求する。…だから「無我」とは言っても自然的な立場における経験的我をまで無と主張するのではない。経験的我は自然的立場の中核であり、一切の煩悩の根(ね)である。しかし法を観ずる立場においてはこの経験的な我を全然排除するとともに、この我の本質たるべき「法」としての我も全然その場所を持ち得ないのである。かく経験的我の排除とともに一切の我が根本的に排除せられるところにこの立場の注目すべき特徴がある。」(百三一~百三三頁)

30.釈尊における形而上学的無記について

 ここで和辻の議論の検討に入って行こう。普通、原始仏教では形而上学的無記が言われる。それは生前の釈尊が複数の形而上学的難問に関して完全に沈黙を守ったことを指す。すなわち所謂十難無記である。

 十難とは、世界は、時間的に①無限か、②有限か。空間的に③有限か、④無限か。身体と霊魂とは、⑤一つか、⑥異なるか。人格完成者(如来)は、死後⑦有るか、⑧無いか、⑨有り且つ無いか、⑩有らず且つ無からずか。という十の難問を言う(注4)。これらに関し釈尊は肯定否定いずれの解答もせず(無記)、完全黙秘し、そのような論議と探求の実践上無意義であることを弟子たちに説いて止めさせたというエピソードは単なる挿話というよりも、釈尊の説教活動を終始するバックボーンとなり、言わば戦略となっている。

注4* 十難の定式化については、三枝充悳『初期仏教の思想』昭和五三年、東洋哲学研究所、四五~五五頁、に拠った*

 他方、「無我」の教説はこれも釈尊がその長期の教育活動の中で、逆に今度は言わば口を酸っぱくして喋り続け説き続けたテーマである。

 とすると、和辻流の解釈に依れば、前者<十難無記>への解答が後者<無我の教え>であることになり、弟子たちの意表を衝く師の態度であったということになるが、果たしてこれで筋道の通る解釈であろうか。

寧ろ逆の可能性が考えられる。即ち無我の教えは決して十難無記への解答ではなくて、従って、無我とは決して形而上学的含意を持つものではない、それは常に実践的概念である、と。この方が師たる釈尊の弟子たちへの態度の素直な形を表すのではないだろうか。

 つまり、和辻の解釈のうち、十難無記は釈尊が伝統的バラモン的アートマンの形而上学にも、感覚的唯物論的哲学にも与せず、より高い第三の立場たる<法>の立場に立ったことを意味するとする点は、必ずしも一義的に決定可能な論点ではない。

釈尊の無記の態度とは、文字通り、立場決定の表明をサスペンドしているということであって、そのことから直ちに和辻のように実は第三の立場への態度決定を読み取るべきだ、ということにはならない。

和辻の場合、十難無記の各選択肢に、ほぼ、伝統的アートマンの形而上学と唯物論的諸哲学の論理的対立がそれぞれ反映されている(百五~百六頁)という見方をするから、仏教的基本の立場はこれらを排した所にあるとの推論が導かれる。

そこで問題は、仏教が他の同時代の諸思想に対してどのように関わったかを厳密に解明することでなければならないが、それは既に見たように、和辻流の単なる両辺排除ではなく、言わば是々非々の有機的弾力的個別的対応であったのである。つまり、形而上学的実在論と感覚的唯物論という両辺の同時的排除に仏教の新機軸を見る和辻に対し、我々は形而上学的実在論への親和性と六師外道に対する段階的疎密関係という有機的な関係を原始仏教に認めたのであった。

 この点をもう少し詳しく言うと、[六師はいずれも特徴ある学説を唱えた自由思想家として有名である。かれらはいずれもヴェーダ聖典の権威を否認し、バラモン教に反抗した。]そして確かに当初[釈尊も歴史的社会的には当時としては六師と異ならぬ存在であったのである。](ii.4~25)

 しかし、そのような自由思想家の一人という歴史的社会的位置づけを持つという点では、釈尊も六師と同類であるが、それだからと言って、伝統的ヴェーダ聖典とバラモン教に対する基本姿勢までもが、彼らと全く同様であったとは言えない。むしろ同じ自由思想家群に分類されても、釈尊はそれら六師の全体に対して実践的に厳しく対立する見解を提示しており、その具体的内容において今度は逆に伝統的ヴェーダ聖典とバラモン教に対する理想的・名目的一致の観を見せているのである。

 しからば、釈尊の立場と伝統的ヴェーダ聖典・バラモン教の立場との本質的相違は何であろうか。多くの場合それは、伝統的な形而上学的アートマン、すなわち実体的自我を釈尊は否定して、「無我」の説を立てたと解釈されている。

ところが、もしそうなら、それは「十難」の一つである「身体と霊魂とは一つ」という哲学的見解<⑤>を釈尊は採用していたという主張に事実上帰着することになる。そうなるとこの解釈は、さきに触れたように、釈尊の終始一貫した無記の態度、つまり肯定も否定も言明しないという判断停止の姿勢を踏み越えて、強硬に為される越権的な憶測以外のものではありえないことになる。

 他方、釈尊の「無我」の教説は、徹底的に実践的な意味のものとしてならば、「自我」の哲学的本質論を猶予したままでも、一貫して通用し得るのである。そこで以下の議論において、この点を釈尊の教説の中枢的機軸にかかわる問題と見て、我々の研究の底本として採用した中村元の業績に即して解明しよう。

31.道徳的実践的概念としての釈尊の「無我」の教え(中村元博士の研究成果の要約)

 [人間を見つめると、人間を動かしているものは、盲目的な欲望であるということを、原始仏教は見出した。『人々は欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている。』『かれらは欲望を貪り、求め、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、ーーここで死んでからわれらはどうなるのだろうか」と。』『諸々の生存に対する妄執にとらわれ、この世の人々がふるえているのを、わたくしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないので、死に直面して泣く。』『わたくしは牽引する者(=妄執)を貪欲、強大な激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。』
 釈尊はこのような人間存在の『根本を見た人』なのである。] (iii,101 ~102)

 [仏教の実践法として説かれていることはいろいろあるが、その根本は、われわれに迷いを起こさせる欲望をすてるということであった。『この世で諸々の欲望を超え、また克服しがたい執著を超えた人は、流されず、束縛されず、憂えることなく、思いこがれることもない。』『いろいろの欲望を貪り求める人がいると、諸々の煩悩がかれにうち勝ち、危難がかれをふみにじる。それ故に苦しみが、かれにつき従う。あたかも壊れた舟に水が浸入するように。それ故に、人は常に正しい念いをたもって、諸々の欲望を回避せよ。船のあかを汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、流れを渡り、彼岸に達したものとなれ。』

 右は現存最古の聖典の一つである『八つの詩句の章』(Atthaka-vagga,Sn.IV) の冒頭の詩句である。初期仏教の詩人は、思うことを新鮮なことばのいぶきを以て表明した。ところでいまわれわれが右の詩句に含まれている思想を理論的に分析すると、
  (1)われわれの人間存在の根底には、欲望(kama)、貪欲(chanda)が潜在する。
  (2)それにもとづいて執著(visatti )が起こる。
  (3)そのために諸々の危難(parissaya )が起こる。
  (4)それ故に苦しみがつき従う。
ということになる。のちの教義学者たちはーーすでに聖典の散文の部分に現われていることであるがーー右の四つを(1)妄執(渇にたとえられる執著 tanha)(2)執著(upadana )(3)生存(bhava )(4)生と老死、という別のことばで表現し、やがて、十二の項目よりなる縁起の体系のうちにとりいれた。ただここで欲望に関して言い得ることは、欲望を表示する語が種々用いられているが、それらを表示する術語としては後には「妄執」(tanha )が一般的に用いられるようになった。](iii,102-104 )
 [では苦しみがこのように成立しているのは何故であろうか? 最初期の仏教においては、苦しみに悩まされている凡夫は、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)と見なしているからであると説いている。そこでわれわれはいわゆる「無我説」の考察に入らねばならない。

 仏教は無我説の立場に立つものである。このことを仏教徒自身も標榜している。「諸法無我」ということは、仏教を他の諸哲学説から区別する標幟である三法印の一つとされている。またインドの他の哲学諸学派も、このことを承認している。例えばシャンカラは仏教を無我説(nairatmyavada )と呼んでいる。

 ところで「無我」とはどういう意味であるか。われわれはまずその原語を調べてみよう。パーリ語聖典においては、無我の原語はanattan (主格ではanatta)である。この語は名詞である場合もあるし、また述語として用いられる形容詞である場合もある。いずれの場合でも、「我ならざる(こと)」(not a soul)という意味と、「我を有せざる(こと)」(without a soul)という意味と二義がある。漢訳仏典においても「非我」と訳されることもあり、「無我」と訳されることもある。漢訳仏典に出てくる「無我」の直接の字義は「或るものが我(アートマン)を有しないこと」「或るものに我が無いこと」である。

 では、無我説の根本趣意はどこにあるのであろうか。

 経典の中の最古層に表明されている無我説によると、何ものかを「わがもの」(mama)「われの所有である」と考えることを排斥している。そうして修行者はまず「わがもの」という観念をすてねばならぬという。したがって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである。(下線筆者)
 『(何ものかを)わがものであると執著して(mamayita)動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行なうべきである。(amamo careyya )ーー諸々の生存に対して執著することなしに。』
 「わがもの」「われに属す」(mama)という観念をすてねばならぬということは、初期経典の中のあちこちに強調されている。例えば修行を完成した人(tathagata )は『貪欲を離れ、わがものという執著なく、希求することがない。』真実の修行者は『わがものという執著なくして行なう』といわれ、『善き誓いを持っている人はわがものという執著がない』といわれている。これが修行僧のあるべきすがたとされているのである。すなわち真実の修行者にとっては、何ものかを「わがものとなす」「わがものとみなす」(mamayate)ことがなく、また「わがものとみなされたもの」(mamayita)も存在しないのである。真実の修行者は『執著することなく、常に心をとどめて(念じて)、わがものと執したものを(すべて)捨て去って世の中を歩きまわる』のである。修行者に対しては『世間における何ものをも、わがものであると見なして固執してはならない』と教えている。このようにこの「わがもの」という観念を離れ、我執をすてることが、修行の理想である。『世間を、草や薪に等しい、と智慧を以て観ずるとき、かれは「わがもの」という観念(mamatta )を見出し得ないが故に、「われに(このものが)存しない」(n'atthi me)といって悲しむことがない。』これがすなわち解脱の境地である。](iii .139 ~143 )

 [では何故に「所有」「わがもの」という観念を抛棄せねばならないのであるか。その理由として経典が挙げているのは次の道理である。ーーおよそ自己の所有と見なされているものは常に変滅するものである。したがって永久に自己に属しているものではない。また自分が死んだならば、自己の所有物、あるいは自己の所有のように見なされている人々(例えば家族等)は、自分から離れてしまう。したがって自己の所有に執著してはならない。ーーと。『人々はわがものであると執著した物のために憂う。(自己の)所有したものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅すべきものなのである。』](iii .150 ~151 ) [こういう意味における無我説は、ジャイナ教のそれと全く一致するのみならず、またバラモン教の所説とも、その趣意の上ではやはり一致するものである。](iii .148 )
 [ではどこに特に仏教的な特徴が存するのか? このことについては、以下において論ずることにしょう。以上の所説と相並んで初期仏教の聖典は、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)と見なすことをも排斥している。『神々ならびに世人は、非我なるものを我と思いなし、名称と形態とに執著している。』

 ところでこの場合「我」と訳される原語「アートマン」(Skrt.,atman,Pali,attan)とはどういう意味の語であるか。アートマンとは元来気息を意味する語であった。さらに生命の主体と目されては「生気」となり、総括的には生活体すなわち「身体」「肉体」、特に「胴体」となり、他人と区別しては「自身」「自己」の意味となる。したがってインドの文献においては、再帰代名詞的に用いられることが多い。さらに内面的・本質的に解されて哲学的な意味では「本体・本性・本質・精髄・霊魂・自我」を意味するに至った。特にウパニシャッドにおいては、アートマンは万有の根本原理あるいは絶対者と同一視されるに至った。ところで初期の仏教徒はアートマンという語を主として「自身」「自己」の意に用い、それが原義であると考えていた。「アートマン」という語をシナ語に訳すに当たって、シナの訳経僧はこれに「我」という字をあてた。「我」という字は古くは、シナ語において一人称の代名詞の対格(accusative)を表示する語であった。故に往昔のシナの翻訳僧もアートマンの直接の字義は、今日の日本語でいう「自身」「自己」の意味に解していたことが知られる。(今日の日本語では、「我」というと偏狭な自我、恣意的な自己、というニュアンスを伴っている。例えば「我を張る」、「我が強い」など。このようなニュアンスは仏教の無我の観念ならびにその字義から対比的に導き出されたものであろうが、本来はこのような意味をもっていなかった。故にこのような誤解を避けるために、「自己」「自身」と訳したほうがよい場合がある。)

 さて、アートマン(自己)ならざるものをアートマンと見なすということの意味をさらに具体的に考えてみよう。非我(アートマンならざるもの)といわれるものの中でも、自己の身体・家族・財産・地位などは、自己にとって最も大切なものであり、しばしばアートマンであるかのごとくに誤り解せられる。しかしそれらはアートマンではありえない。このことはウパニシャッド及びヴェーダーンタ哲学において特に強調するところである。したがってこの限りにおいても、仏教はウパニシャッド乃至ヴェーダーンタ的思想と何ら異なっていない。(下線筆者)

 また「名称と形態とに執著する」云々の句も、同様に解することができる。ここで「名称と形態」というのは、ウパニシャッド以来、現象世界のありとあらゆるものを総称する呼称である。故に名称と形態とに執著することとは、アートマンを、具体的な差別相に限定されたものとして把捉すること、すなわちアートマンを対象的に把握することである。世人はこのような自己以外のものに執著して、自己を喪失しているのである。仏教はこのような思想を排斥したのである。したがってこの点についてもウパニシャッド的な思想の影響が認められる。ただし最初期の仏教においては、「名称」とは精神的な表象内容、「形態」とは身体のことであると考えていたらしい。ただ仏教では身体を特にアートマンであると誤り解する思想を、特に力を入れて排斥している。『窟(身体)のうちにとどまり、執著し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人、ーーこのような人は実に厭離から遠く隔っている。実に世の中の欲望を捨て去ることは容易ではないからである。』

 身体がわれわれのアートマンであると解する思想は相当に根強いものがある。唯物論者は、身体即我の主張(dehatmavada )を立てるものとして知られている。のみならずそれが一般世人の見解である。『衆生は自己の身体を楽しむ。』また愚昧な凡夫はこの身体をわがものであると解している。『他のものである肢体をわがものであると思う。』神々といえどもこのような見解にとらわれていて、そのために輪廻の範囲に流転し、なお苦悩を脱し得ない。長寿天は仏の説法を聞いた後で、『ああ、われは未だ自己の身体を超えていない。実に無常である。』と嘆じた。

 さてこのような見解を初期の仏教徒は『自己の身体を執する見解』(sakkayaditthi,Skrt.=svakayadrsti)と呼んでいる。(この語は仏教における重要術語として用いられていたにもかかわらず、後にはその原義が不明となった。そうして後世この俗語形がサンスクリットに直される際にsatkayadrstiという語が充てられ、漢訳仏典では「有身見」と訳されている。略して「身見」ということもある。)このような見解を捨てるべきことが教えられている。実にこの身体を超越することに、仏教はその実践的理想を認めているのである。](iii .151 ~156 )

 [仏教独特の哲学的術語が構成されるにつれて、それを用いて、同一の道理を説明するようになった。すなわち新しい術語を用いながら、アートマン、あるいはわがものと同一視することを戒めるようになった。仏教では個人存在(ならびにそれと密接な連関のある現象世界)を構成しているものを、もろもろの形成力(諸行)あるいは五種の構成要素(五蘊)であると解した。それは(1)物質的なかたち、(2)感受作用、(3)表象作用、(4)形成作用、(5)識別作用の五種であり、これらの五種のはたらきの交錯において個人存在が成立していると考えたのである。これらの五つのものが執著を起こすための素材(upadana )となっていると考えた。(だからこれらの五つが五取蘊upadanakkhandha とよばれるのである。)そうしてそれらがわれわれに執著を起こさせるもとのものであり、われわれを束縛するものであるというので、神話的表現をもって悪魔(mara)とよばれている。したがって「これらの形成力あるいは構成要素をアートマンと同一視してはならない。アートマンとは異なったものと観ずべきである」と教えている。すでにウパニシャッドの中で哲人ヤージニャヴァルキヤは、アートマン以外のものはすべて苦しみであると説示しているが、仏教もその思想を受けて、諸々の形成されたものはアートマンならざるものであり、したがって苦しみである、と解している。〔アートマン哲学とのこのような思想史的連関が後世には見失われるに至ったので、後世の註釈者は極めて無理な解釈を施している。〕](iii .158 ~161 )

 以上を要約していうならば、アートマン以外のいかなるものをも、「これがアートマンである」とか「これがわがものである」とかいって執してはならぬ。そうしてこのような執著がないならば、それがすなわち解脱である、と考えたのである。初期仏教においては、このように「これ」として具体的にあるいは対象的客体的示して見せることのできるいかなるものもアートマン(自己)ではない、それはアートマンとは異なった他のものである、またそれはアートマンに属するのでもない、と教えているのである。『修行完成者は自ら自己を見ることがない。』アートマンを客体的なものとして認めることはできない、というのである。『自己によって自己を観じて(それを)認めることなく、こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、動揺することなく、心の荒みなく、疑惑のない完き人は献菓を受けるに値する。』

 初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。「無我」という語は誤解をひき起こし易い。初期の仏教においては決して「アートマンが存在しない」とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接した連関を有するのである。

 かのヴァジラー尼の所説は、後世『ミリンダ王の問い』においてナーガセーナ長老の無我説の典拠とされているものであり、有名であるが、この尼僧も決して「アートマンが存在しない」とは説かなかった。ただ個体が諸々の形成されたものの集合にほかならぬということを主張するのである。『譬えば実に諸々の部分が集まったならば車という名称が起こるように、それと同じく五つの構成要素(五蘊)が存在するのに対して生存者という仮想(sammuti )があるのである。』ここでは客体的に生存する者としての生存者(有情 satta )は五種の構成要素(五蘊)の集合構成したものにすぎず、常住不変な実体として存在しているのではない、ということを言おうとするのである。初期ジャイナ教における術語の用例を見ても、アートマンは他者(para)と対立した概念であり、この点は仏教と同様である。そうして生存者(有情sattva)はアートマンとは別の概念として扱われているから、仏教の場合も同様であったと推定してよいであろう。しからばヴァジラー尼といえども決してアートマンを否認したわけではないのである。](iii .163 ~166 )

 [このように、初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。まず道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として想定している(下線筆者)。例えば『自己の義務を果たす者』(attano kiccakari)であるべきことを教え、自己(アートマン)が善悪の行為の主体であると考えている。さればこそ修行者は己れを策励して(pahitatta )修行に努める人なのである。そうして『自己をあるがままではなくて、異なって誇示する人』は貶斥されるのである。さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を承認している。原始仏教においては自己(アートマン)を自己(アートマン)として追及することが正しい実践的目標として説示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めている。律蔵(散文の部分)の記述を見ると、釈尊は遊楽に耽っている青年たちに向かって、「婦女を尋ね求めること」よりも『自己(アートマン)を尋ね求めること』(attanam gaveseti)を勧め、そうしてかれらを出家せしめたという。 ところで『自己(アートマン)を尋ね求める』ということは、実はジャイナ教において説くところであり、表現の文句までも一致している(samcikkha'ttagavesae)。のみならず歴史的に遡って追求すると、このような思想は、少なくとも表現の文句の表面に関する限りは、ウパニシャッドにおいて「アートマンが探求せらるべきなり」と説かれているのと全く軌を一にしている。『このブラフマンの都(=身体)の内にある小さい蓮華の(形をなす)一住居ーーその内部に小さな空処がある。その内にあるもの(=アートマン)、それを尋ね求むべし。実にそれを知ろうと欲すべし。』ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そうして原始仏教においては、『自己を知る人』(attannu )が尊重されているが、これはジャイナ教において、解脱者は自己を知れる人であると説かれているのに対応している。](iii .167 ~168 )

 [ここに説かれているような思想の論理必然的な帰結として、アートマンはいたわり護られ益せられねばならぬ、という。まず自己の利を心がけねばならぬということを強調する。『自己の利益を識別すべし。』といい、『この故に賢者は自己の利を見て正しく法を思慮せよ。』と教えている。ところでここにいう自己の利(attha )あるいは益(hita)というものは、物質的享楽的感覚的なものを意味しているのではなくて、真実の認識、真理の体得を意味しているのであることはいうまでもない。さればこそ『自身の利を思って自身を抑えるのである。』ともいい、また「自己の利をもたらす事柄」の中では「堪え忍ぶこと」(忍辱)が第一であるという。これは、いわゆる利己主義的な意味での「自分の利益」とははっきり区別されねばならない。利己主義は排斥されている。『自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。』](iii.169 ~170 )

 さらに原始仏教においては自己を愛することを教えている。アートマンは愛しきもの(piya)である。或る小さな神(devata)が『子に等しい愛しいものはない。』といったのに対して釈尊は『自己(アートマン)に等しい愛しいものはない。』と答えた。これは明らかに哲人ヤージニャヴァルキヤが『ああ、実に夫を愛するが故に夫が愛しいのではない。アートマンを愛するが故に夫が愛しいのである。ああ、妻を愛するが故に妻が愛しいのではない。アートマンを愛するが故に妻が愛しいのである。ああ、子らを愛するが故に子らが愛しいのではない。アートマンを愛するが故に子らが愛しいのである。』などと説いた教説にちょうど対応するものである。原始仏教においては、まず人間が利己的なものであるという現実の認識から出発する。 或るときパセーナディ王は、マッリカー妃とともに美麗絶佳なる宮殿の上にいたことがある。インドの宮殿は屋上が平らで歩んだり休息することができるようになっているので、妃とともに風光を楽しんでいたのであろう。そのとき王は妃に尋ねた。『マッリカーよ。お前にとって自分よりももっと愛しいものが何かあるかね?』王は或る答えを予期していたのであろう。甘い答えをーー。ところが妃ははぐらかしてしまった、ーー『大王さまよ。わたしにとっては自分よりももっと愛しいものは何もありません。』最愛の人々の間でさえもこうなのである。人間の実存のとぐろなす坩堝が露呈している。妃はさらに反問した。『大王さまよ。あなたにとっても自分よりももっと愛しいものがありますか?』『マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりももっと愛しいものは何もない。』王はおそらく興ざめしてがっかりしたのであろう。かれひとり宮殿から下りて、釈尊のところへおもむいて、右の次第を告げた。そのとき釈尊はこのことを知って次の詩句を唱えたという。『思いによってすべての方向におもむいても、自分よりもさらに愛しいものに達することはない。そのように他の人々にとっても自分がとても愛しい。それ故に自己を愛する人(attakama)は他人を傷つけるなかれ。』

 ところで自己を愛するというのは、どのようなしかたでなされるのであろうか?原始仏教によると、真に自己を愛するということは、人間の正しい理法に従うことであらねばならぬ、と考えていた。『さすれば自己を愛し(attakama)偉大なるものを希求する人は、諸仏の教えに帰依して正法を尊重すべし。』したがって善を行なうことが、実は自己を愛することにほかならない。『もしも自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。』このような思想は、経典の散文の部分にも継承されている。パセーナディ王が『悪行をなす人にとっては自己(attan )は愛しいもの(piya)ではないが、善行をなす人にとっては自己は愛しいものである。』といったのに対して、釈尊はそのとおりであるとして是認している。

 『いかなる人々にとってアートマンは愛しいものであるのか? また、いかなる人々にとってアートマンは愛しくないものなのであるか? …身体によって悪行を行ない、ことばによって悪行を行ない、意によって悪行を行なう人々、ーーかれらにとってアートマンは愛しくないものなのである。かれらは「われらにとってアートマンは愛しいものである」というかもしれないが、しかしかれらにとってアートマンは愛しくないものなのである。それは何故であるか? 実に敵(愛しくないもの)が敵に対して為すであろうことを、かれらはみずから自分に対して為しているのである。それ故にかれらにとってアートマンは愛しくないものなのである。しかるに身体によって善行を行ない、ことばによって善行を行ない、意によって善行を行なう人々、ーーかれらにとってアートマンは愛しいものなのである。かれらは「われらにとってアートマンは愛しくないものである」というかもしれないが、しかしかれらにとってアートマンは愛しいものなのである。それは何故であるか? 実に親愛なる人が親愛なる人に対して為すであろうことを、かれらはみずから自分に対して為しているのである。それ故にかれらにとってアートマンは愛しいものなのである。』

 アートマンを愛しいものであると知って、真実の実践を行なうべしと説いている点では、ヤージニャヴァルキヤその他ウパニシャッドの哲人たちの思想と一致しているといわねばならない。](iii.171 ~174 ) [『自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。(しからば)かれは常に損ぜられることなく、賢者である。』自己を護ることが同時に他人の自己を護ることでもあるような自己は、もはや互いに相対立し相争うような自己ではない。むしろ他人と協力することによってますます実現されるところの自己である。このような理想的な自己を実現するためには、もろもろの悪徳・煩悩の基体としての自己を滅却せねばならぬ。

このように実践の目標に関して、自己を愛し護ることと、また自己を滅しすてることと、二様の全然相反した教説がすでに経典の最古層に説かれているのであるから、最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことが知られる。一方は悪徳煩悩の基体としての自己であり、凡夫の日常生活のうちに認められる。それは理想から乖離し、常に頽落する可能性を内在している。これに反して他方は理想として実現さるべき自己であり、その真実の状態は聖者が具現しているものである。簡単に表現すれば、小我と大我、と呼んでもよいであろう。『よく統御せられた自己は人間の光明である。』『自己を統御した人』は極度に称讃されている。このような目的を達するためには、修行者は禅定に入って心を静めることが最も重要であるから、かれは「自己を定に入らしめた者」「自己の安住した者」とも称せられる。そうして自己に打ち克つことを、仏教徒は「勝利」(戦勝)と呼んでいた。『戦場において百万人に勝つとも、一つの自己に克つ者こそ、実に最上の戦勝者である。』さて「自己を制する」といっても、その場合の自己なるものは決して形而上学的な実体ではない。それを具体的に理解するならば、心と同じであるといってもよいであろう。原始仏教聖典の最古層(ガーター)の中では修行者に対し、自らの心を護るべきことを教えている。『もろもろの思惟をよく統一し、みずからの心を護れ。』修行者は外貌の如何によって判定せらるべきではない。内心の清浄があらねばならぬ。『世間は心によって導かれ、心によって悩まされる。心という一つのものがすべてを従属せしめる。』解脱する主体は何か、というと、心が解脱するのである。例えば修行完成者の心境を告白している中に『わが心が解脱した』という。解脱した者のことを『心の善く解脱した人』と呼ぶ。後世の説一切有部等のアビダルマの教義によると、心は識と同じものと解せられているが、初期の仏教においては、精神的主体としての人間そのものを指していたのである。したがって五つの構成要素(五蘊)の中の識別作用(識)と必ずしも同一ではない。

 [『自己は自己の主である。』理想的自己は大海の中の島のようなものである。『汝は自己の良き島を作れ。けだし汝には他のよりどころがないからである。』喪失した自己の回復、自己が自己となること、これがすなわち初期仏教徒の実践の理想であった。表現に関する限りでは、この点にもウパニシャッド的なアートマン哲学が顕著に保存されているといい得る。](iii .179 ~184 )
 [或る場合には、アートマンすなわち自己が自己の監視者として、西洋倫理学でいう「良心」に近いものと考えられている。『悪い行ないをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真実であるか虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ。実に貴いアートマンを汝は軽視している。ーー自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝はーー。』

 これはバラモン教のほうで『マヌ法典』において『自己(アートマン)こそ実に自己の証人であり、また自己は自己の帰趨である。諸々の人間にとって最高の証人である自分の自己を軽視することなかれ。』という思想に対応するものである。以上考察したところからも知られるように、初期の仏教においては、著しくウパニシャッドの哲学に類似した表現を以て思想を説いているのであるが、さらに仏教の修行そのものを『アートマンに関する、真実無上の、ブラフマンへ赴く車乗』と呼んでいる。したがってアートマンがブラフマンと合一することが解脱であるというウパニシャッドの思想を少なくとも表現の文句に関する限りは一応承認しているのである。さらに原始仏教聖典の散文の部分には、修行を完成した修行僧は『このように現在において欲楽なく、静まり、清涼となり、楽しみを感受しつつ、ブラフマンとなったアートマンによって住する。』といい、この句が定型句としてしばしば繰り返されている。これは解脱に到達したこと、すなわちニルヴァーナを証得したことを意味するのである。このような理想的自己は容易に実現され難いものである。これは「アートマンの認識は容易に得られぬ」とウパニシャッドに説かれているのと表現が類似している。ウパニシャッドがアートマンの直観を強調していることは、周知の事実であるから、特に言及する必要もないが、ジャイナ教も自らアートマン論者(atmavadin )であることを標榜し、修行者にとってアートマンの知識の必須不可欠なるべき所以を説いている。故に仏教はこの点でも当時の諸宗教の思想を継承してそれを発展させたのである。](iii .187 ~190 )

[さて仏教の実践とは、以上にのべたように現実的日常的な自己が、理想的規範的自己に転ずることであるが、その際の行動主体となるものは、どこまでも個人的自己である。『みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことである。人は他人を浄めることができない。』なるほど初期の仏教においても、他人を救うことを教えている。しかし修行者が自己の神秘的な力によって他人を救うのではない。他人をして正しい道に入らしめたのちに、その他人が他人自身の力によって他人自身を救うのである。もちろん原始仏教聖典においては、仏に対する信仰が盛んに強調されているが、それはブッダを模範としてその教法を実践すべきことを説いているのであって、仏道修行とはこのような覚者(ブッダ)に従って実践を共にすることであった。すなわち覚者に従って覚者と同じような理想的人格者となるのである。『釈迦よ、われをもろもろの疑惑から解き放ちたまえ』という修行者ドータカの願いに対して、釈尊は『われは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱せしめることができない』と答えている。故にゴータマは自力の修行を強調したのであった。](iii.192 ~195 )

[以上に論じたように実現さるべき理想としてのアートマンは規範的意義を有するものである。

 ところでアートマンにたよることは、具体的にいえば人倫の規範としての法にたよることだと考えた。したがって正統バラモン系統においては、「アートマンを楽しむ」ということを強調するのに対して、仏教では「法(=真理)を楽しむ」という表現を多く用いる。例えば、『バガヴァッド・ギーター』においては、『しかるにアートマンを歓喜となし、アートマンに飽満し、アートマンに満足した人があるならば、かれにはもはや為すべきことは存しない。』と説くが、これに対して仏教では修行者のことを次のようにいう。『法を楽しみ、法を喜び、法に安住し、法の定めを知り、法をそこなうことばを口にするな。みごとに説かれた真実にもとづいて暮らせ。』〔これに対してジャイナ教では修行者は『法に安住せる者』
『自己が安立し法に従って生きるもの』でなければならぬという。〕

 すでに述べたように、経典の中では「自己を知る者」(attannu )であらねばならぬということが力説されているが、それは形而上学的なアートマンを知ることでもなく、また後世のアビダルマ教義学におけるように仮りに想定されている我(が)を分析することではなくて、『わたくしは信仰について、戒行について学問について、捨離について、知慧について、理解力について、これだけ達している。』と反省して知ることである。すなわち宗教的実践の具現において自己を知るのである。](iii.213 ~214 )

 [自己の実現とは法の具現にほかならぬと考えたところに、仏教が普遍的世界宗教として社会的実践性をたもち得た所以が存するのである。ところで仏教の最初期においては、「法」というのは、区別を立てることではなくて、むしろ執著をはなれ、すがすがしい心境に到達することを「法」とよび、それを「正しい」と称していたようである。『梭(ひ)のように真直ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正(sama)と不正(visama)とをつまびらかに考察している人、ーー諸々の賢者はかれを聖者であると知る。』ここで「正」というのは、西洋でいう正義とは異なって、心に違逆がなく、平らかで一如に帰していることをいい、「不正」とはそれとは異なって違逆・抗争のあるすがたをいう。そうしてこの理法を知ることによって解脱が得られる。それ以外の方法によっては解脱は得られない。釈尊のことばとして、『わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させえないであろう。ただ汝が最上の真理(dhamma)を知るならば、それによって汝はこの煩悩の流れを渡るであろう。』という。『内的にも外的にでもどれだけでも理法を知りぬけ。』『適当な時に法を正しく考察し心を統一して、暗黒を滅せ。』すなわち「法」とよばれるものは、「真理」と「仏の教え」と両方の意義があるのである。そこで仏の教えは「正法」(saddhamma) と呼ばれるようになる。それは「善き人々の正しい礼法・道徳」をいうのである。それは善人のみちすじなのである。『善き人々の法は老いることがない。』永遠につづくものなのである。](iii.216 ~220 )(注5:このような「実践的道徳的無我観」こそが原始仏教本来の「自己」の見方であるとすれば、「無我の立場は一切の現象の考察においてすべての「我」を抜き去ることを要求する。…かく経験的我の排除とともに一切の我が根本的に排除せられるところにこの立場の注目すべき特徴がある。」(百三三頁)という和辻の無我解釈は唯物論的偏向に陥っていると言わざるを得ない)

32.断常二辺回避中道の実践性格(中村元博士の研究成果の要約)

 [経典の散文の部分においては、人間の具体的経験的存在を構成していると思われる種々なる要素(諸法)<五蘊(iii.159 )・六入(iii.240 )・十八界(iii.241 )…筆者による>の一々について「それはアートマンではない。」「それはわがものではない。」と教えているのである。すなわち世間の凡人ならびに哲学者たちは、形而上学的原理としてのアートマンを想定し、アートマンを求めている。しかしわれわれ人間の具体的経験的存在を構成している精神的あるいは物質的な要素乃至機能のいずれをもアートマンと解することはできない。それらは絶えず変化するものであるから、常住不変なるべきアートマンの本質に相反している。またそれらは苦しみを伴うから、理想的完成的実体としてのアートマンとは異なるものである。しからばわれわれの自己(アートマン)はいかなるものであるか? それは対象的には把捉され得ない。世人が誤って自我であると想定するかもしれないところの対象的客体的ないかなる原理あるいは機能も、実はアートマンではない。そうしてこのような教説によって真実の実践的目標を達成しようとした。すなわちこのようにして、外的または具体的に把捉される何ものかに対する世人の執著や煩悩を去らせようとしたのである。このような思想を世間一般の呼称にしたがって仮りに「無我説」と呼ぶにしても、それは決して、「アートマンが存在しない」と主張したのではない。アートマンは存在するか、あるいは存在しないか、という問題に関しては、沈黙を守る、というのが原始仏教経典における散文の部分に現われている思想的態度であった。このような趣意は初期の詩句の仏教の中にすでに表わされているのであって、散文の部分はその思想を詳説しているにすぎない。ただし、最初期の仏教が多くは「わがもの」という所有の観念を捨てるべきことを教え、アートマンに関しては、アートマンを愛し、護り、アートマンを実現すべきことを強調するのに対して、散文の部分においては、むしろわれわれが対象的に把捉し得る何ものもアートマンではない、ということを強調する。

 これをサーンキヤ哲学と比較してみるとサーンキヤ哲学では人間の肉体の作用および身体の作用をアートマンから切りはなした点が仏教と共通である。しかしサーンキヤ哲学はそれらを超えたものとして純粋精神(プルシャ)を立てたのに対して、仏教は沈黙を守っていたのである。では仏教では何故沈黙を守ったか? ヴァッチャ族の出家者が「アートマンは存在するか?」という質問を三たび向けたときに、釈尊は三度とも答えなかった。そこで侍者アーナンダは「何故お答えにならないのですか? もしもお答えにならないと、<釈尊は答えることができなかったのだ>と、かれは言い触らすでしょう」と言ったのに対して、釈尊は答えた、『われもし答えて「我有り」と言わば、すなわちかれの先より来(このか)たの邪見を増さむ。もし答えて「我無し」と言わば、かれは先に癡に迷えるも、豈にさらに癡惑を増さざらんや。……もし先より来(このか)た我有りとせば、すなわち是れ常〔住を執する〕見〔解〕たり。今において断絶すとせば、すなわち是れ断〔滅を執する〕見〔解〕なり。如来は二辺を離れて中〔道〕に処して法を説く。』と。](iii.245 ~247 )このように見て来ると、断常の二辺を離れるということは、これも存在論的・形而上学的意味の言明ではなくて、人によってはいずれの見解も徒に迷いを増大するだけであるから、いずれとも断定しない、という実践的修行的趣旨において説かれていることが明らかである。従って、形而上学的諸問題についての釈尊の元来の無記の態度は依然としてここでも変更なく保持されているのである。

33.形而上学的「無我」説への逸脱傾向とその牽制(中村元博士の研究成果の要約)

 ところで、[ヤマカという修行僧は、次のような信仰を表明した。『われは世尊の説きたもうた法をこのように解する。煩悩の汚れ(漏)の尽きた修行僧は身体の亡びた後に断滅して滅亡し、死後にはもはや存在しない、と。』経典は他のもろもろの修行僧をしてこれを「悪しき見解」と呼ばしめ、『世尊はこのように説きたもうことはありえない。』と評せしめている。しかるにヤマカはなお自己の見解を棄てなかった。そこでサーリプッタは、ヤマカに対して、五つの構成要素の一々が無常であることを説き、次に、「修行を完成した人」(如来)は物質的なかたちなのではなく、また物質的なかたちの内に存するのでもなく、物質的なかたちの外に存するのでもなく、物質的なかたちを有しないものでもない、ということを一々悟らせて、次に感受作用・表象作用・形成作用・識別作用についても同様に繰り返す。そうして『修行を完成した人(如来)は経験的には真実に有るがごとくには認知され得ない。』と教え、ついにヤマカをして自己の見解の誤りであることを悟らせている。無我説は決してアートマンが存在しない、と教えていたのではないが、当時無我説をそのような意味に解した人々、およびそのような無我説を排斥した人々のいたことが、右の経典からも知られるのである。](iii.270 )

34.原始仏教に対する誤解としての形而上学的「無我」説の成立(中村元博士の研究成果の要約)

 [ところで散文の部分で強調されている思想を受けて、後世になると遂に「アートマンは存在しない」という意味の無我説が確立するに至った。説一切有部は明らかにこの立場に立っているし、また初期の大乗仏教にも継承されている。この教説を論証して確立させるための論法として用いられるものは析空観(しゃくくうがん)である。析空観とはシナ・日本の古来の仏教学者の間で用いられる呼称であるが、それは『法を析(しゃく)して空を明かす』すなわち一つの物をその構成要素に分析して、そのいずれの構成要素の中にもその物が存在しないから、その物は単に名称の上だけのものであって、真実には存在しない、と説く論法である。このような論法によって「我は存在しない」と主張するのである。

 このような見解に至る萌芽がすでにパーリ語経典の中に現われていることを、われわれは認める。…このような思想は『ミリンダ王の問い』におけるナーガセーナ長老の所論にも現われている。…このような見解は本質的には古い詩句に現われているヴァジラー尼の思想を詳説したものにすぎない。

 個体が種々の要素から構成されているという思想は、ジャイナ教をはじめ当時の哲学諸学派の説くところであるが、さらに遡ってウパニシャッドの中にも表明されている。…しかしながらウパニシャッドの哲人たちは、これらの要素あるいは機能の本源を追求してゆくうちに、ついに常住不滅のアートマンを見出し、それが宇宙の本体としての絶対者ブラフマンと一如であるということを証得するのを究極の理想とした。しかるに仏教では、このような分析的構成的な思惟方法を受けながらも、諸々の機能の背後にアートマンのような形而上学的原理を見出すことを拒否したのである。そうして万物が無常であることを説き、その思索は無常であると経験し得る範囲にとどまっていたのである。まだ「アートマンが存在しない」とは説いていない。ただ「アートマン」と「個人存在」(puggala )とをもしも同一視するならば、直ちにそのような結論が得られるのである。](iii.248~251 )

35.結語:霊魂実在への自力発見課題としての釈尊の教導形式

従って、釈尊が実際上、実践修行に関して「無我」という表現を以てしばしば教えを説いたとしても、もし、「アートマンは存在せず」という意味の無我説を直接釈尊に帰するならば、それは釈尊が理論上無記のままにしておいた問題について、単に語句の表面上の意義に釣られて徒に当て推量を行うものに過ぎない。

 しかしながら我々は合理的に可能な許される仕方で、釈尊が無記のままにしていた一定の理論的問題に関して、論理的推論を行うことが出来る。即ち、既に我々は「B(E)はB(非Q)である。」ような形において、釈尊の悟りの内容を解釈する緒に就いていたのだった。しかして、B(非Q)とは、我々の表現を以て言えば、最善観的輪廻転生論である(注6)。

注6*「無我」を仏教の形而上学的原理とする和辻の解釈では業論と輪廻転生論が本来の仏教思想として位置づけられ得ない。そこで彼は仏教の伝統を真っ二つに割って、「無我」的思想を仏教の系統とし、他方、業と輪廻の思想は関係のない別系統に属していたのが通俗的に仏教に付着されたに過ぎないとする(二七二 ~二九三頁)。しかし我々の解釈では業即ち行為の因果律と輪廻論とは最善観的輪廻転生論において原始仏教の綱格を形成するものと考えられた。この甚だしい相違は和辻が例えばニガンタ・ナータプッタの行為論と輪廻論も、マッカリ・ゴーサーラの強烈な宿命論的(従って固有の行為論を欠く)輪廻論も、はたまたプーラナ・カッサパの独特な無因果的偶然論も何ら具体的に考慮に入れることなく、極めて粗雑に仏教比較論を済ませた点に起因するであろう*

であるならば、例えば十難のうち、「身体と霊魂とは⑤一つか、⑥異なるか。」という問題については、「身体と霊魂とは異なる。」という⑥の選択肢を釈尊の悟りの内容の中に所属するものとして理解するであろう。何故なら、「身体と霊魂とは一つ」という⑤の選択肢は、心身の一度限りの生存の肯定及びそれ以外の可能的生存の否定を含意するものとして、身体以外の存在の多数度の生存の可能性を含意する輪廻転生論とは両立し得ないからである。

 また、[遂に「アートマンは存在しない」という意味の無我説が確立するに至った。説一切有部は明らかにこの立場に立っている](前節参照)と言われるように、極端な精神的原理の否定傾向に頽落した説一切有部でさえも、無為なるもの、つまり常住不壊のものとして、唯一、「ブッダの涅槃」を認めていたように、「人格完成者(如来)は死後⑦有るか、⑧無いか、⑨有り且つ無いか、⑩有らず且つ無からずか。」という問題については、「人格完成者(如来)は死後有る」という⑦の選択肢が、当然、やはり、釈尊の悟りの内容に所属するものとして認められるであろう。何故なら、説一切有部こそが最も限定的に狭く、「無常ではないもの=有為ならざるもの=無為なるもの」を想定していたのだから、その他の部派は当然それよりも広く「無為」をとらえていたと言えるからである(注7:矢吹慶輝「無為」宮本和吉他編『岩波哲学辞典 増訂再版』1930年、7刷、岩波書店、p.886 参照。即ち説一切有部が認める三無為のうち、虚空無為を除いて擇滅無為(ちゃくめつむい)と非擇滅無為という二者は終極的な悟りの智慧という唯一者に固有のものとされる)。

 かくして、通俗的仏教理解の最大の陥穽の一つとして今もある「実体論的無我説」は、実は釈尊その人の教えにはなかったものである、ということが明らかになった。この問題の理解を誤るならば、その誤解の帰結は天地の開き、雲泥の差に通ずるものであり、その真なる理解は徹底的に獲得されなければならない。

 俗に、「仏つくって魂入れず。」と言われる。もし、一部の専門的仏教学者が「ほとけ調べてたましいを抜く。」という大きな誤解に陥ったとすると、逆に、「仏つくって魂入れず。」とは、あくまでも健全な庶民的知恵を背景にした名言の一種であろう。その点、我々が導きのたずなとして来た中村元の仏教研究と理解の努力は、この庶民的知恵の健全性と呼応しつつ、次の氏の言葉に見事に結晶している。

 「仏教の思想的立場は無我説と呼ばれているが、それは決してアートマンを否定したものではない。客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない-非我-ということを主張したのである。アートマンが実在するか否かということについては、釈尊は全く沈黙を守っていた。だから仏教を無霊魂説と解するのは誤りである」(注8:中村元「ブッダの根本思想とその人類史的意義」同編著『ブッダの世界』昭和五六年、学研、八頁。また「無我」の実践論的意味については中村元編著『自我と無我』序論インド思想一般から見た無我思想第一章「最初期仏教における無我説」昭和三八年、平楽寺書店、六~六五頁参照)。

 このように見て来ると、釈尊の十難無記の態度は、あくまでも実践修行中心の、その教えの方向づけの中で、哲学諸派との果てしない論争に巻き込まれる愚を根本的に回避する防御の知恵によって戦略化されたものであったと言うことが出来る。従って弟子たちは、その日々の実践修行の過程の中で、内面的思索において、十難への理論的解決がいかなる方向に見出されるべきであるかを、相互に以心伝心のかたちで検討・確認することができたと想定することはあながち無理な推定ではないであろう。むしろ、釈尊はそのことを望み、且つ期待したのではないのであろうか。それはまさに、哲学諸派との言語的論争を避けつつ(iii.3-45)、内面的に真理に自力的・発見的に到達するすぐれて叡智的な課題であったのではあるまいか。

事実、当時一般にも認められ、また仏教内でも認められていた神通力の一つに、「他人の心のありさまを知る他心通<たしんつう>」(中篇23節参照)というものがあった。この能力が開発されれば、自分より悟りの上級者に対してはともかくも、悟りの同等者ないし下級者に対しては、まさに言語的伝達を介さずにその思う所を直観することが出来るのである。このようなことを背景にして考える時、『われは世尊の説きたもうた法をこのように解する。煩悩の汚れ(漏)の尽きた修行僧は身体の亡びた後に断滅して滅亡し、死後にはもはや存在しない、と。』という信仰を表明した修行僧ヤマカに対して、何故に、唯一の師たる釈尊の直接的介入なしに、上級弟子たるサーリプッタが、あたかも教えの権威を有するものの如くに、その見解の誤りであることを知らしめて、その断見を捨てさせるように指導することが出来たのか? という仏教教団内部の見解の分岐と是正・統一の問題も初めて理解可能なものとなる。

 しかも、<断見>の排除に対するものは、必ずしも単なる<常見>の採用ではなかった。仏弟子中智慧第一と称されたそのサーリプッタの絶妙な説明によれば、“修行を完成した人(如来)は物質的なかたちなのではなく、また物質的なかたちの内に存するのでもなく、物質的なかたちの外に存するのでもなく、物質的なかたちを有しないものでもない。修行を完成した人(如来)は経験的には真実に有るがごとくには認知され得ない。”のである。“物質的なかたちなのではなく、また物質的なかたちの内に存するのでもない”という存在は何か或る種の<非物質的な存在>であろう。とはいえ同時にそれは、“物質的なかたちの外に存するのでもなく、物質的なかたちを有しないものでもない”存在であるから、<物質から単に切り離されてある存在>なのではない。この独特な弁証法的関係はこれ以上議論の上では追求されない。論理的議論の断念と実践的修行の反復へ誘うように、“修行を完成した人(如来)は経験的には真実に有るがごとくには認知され得ない。”との無限的断定が修行者に対して永遠の仏法の標識及び課題として預けられる。その中身は各自の修行における如来への接近度如何によって与えられるものであろう。

 つまり、釈尊も仏弟子たちも、現代の論理実証主義のような限定的な経験論者ではなかったのであり、感覚への還元と論理的命題への還元しか信じなかったものではなかったのである。むしろ、心一般の広大な領域に触れていて、直観的探求の習練に邁進していた求道の人々であった。実践綱領としての八正道はまさにその要であったであろうし(注9:八正道を中心とする修行論は和辻の解釈では実体論的「無我」を<正見>することへと帰着する(二五七 ~二七一頁)が、我々の解釈では最善観的輪廻転生論における心の善的形成が修行論の眼目となる。八正道は我々の心の善的形成の処方そのものである)、究極的目的理想としての涅槃は永遠不滅の普遍の灯明であったであろう(従って世界は時間的に①無限、空間的に④無限、と推定されるはずである。)。

しかしてそれらの根底には、苦しみの原因の止滅の方法、即ち苦諦・集諦・滅諦・道諦という四諦(四つの真理)の一体性が、存在する因果関係とその認識的把握の上に成立していた(縁起説)。それはあたかも、形相因・質料因・目的因・動力因という四種の原因を枚挙して、そういう原因からの認識を真実の知と見なした古代ギリシアの哲学者アリストテレスの認識論、そして更には、「知は力である」と宣言して、自然事象の因果律の把握に立つ近代科学とその技術的開発を先導した近代イギリスの哲学者フランシス・ベーコンの業績に比較し得るものであって、科学に日常的に先行する行為の次元において、その原理的因果的認識と実践的応用を提起した古代インドの仏教哲学の深い意味を知らしめるのである。(注10:「無我」の実体論的解釈との関連で「縁起」を「相依性」という論理的関係と見なしてあらゆる実在性の解消を引き起こす和辻の解釈(一七三~二四六頁)に対し、我々は因果関係一般としての縁起の中核に意志的・有責的行為主体を規律する原理たる行為の因果律、即ちカントの所謂自由による原因性を置いた。このように、総じて和辻の原始仏教論の内容的成果は我々の解釈とかけ離れているが、それは和辻が宇井伯壽の一連の印度哲学研究の軌道に大方従ったためであり、他方、和辻が厳しく批判し排斥している木村泰賢の『原始仏教思想論』こそ極めて正鵠を射るに近い立場にあったと今からは反省される)(完)

 [初出:北海道教育大学紀要(第一部A)vol.46-1,1995]
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