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§3 原始仏教(釈尊)の基本的立場(中)

§3 原始仏教(釈尊)の基本的立場(中)

         釈尊の悟りと道徳的発達(中) 行為の因果律と最善観的輪廻転生論 
 
                目  次
  13.釈尊によって斥けられた哲学的諸立場としての「六師外道」
  14.六師外道(1) サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論とその克服(行為の因果律)
  15.六師外道(2) マッカリ・ゴーサーラの宿命論,六師外道(3) プーラナ・カッサパの道徳否定論,
    六師外道(4) アジタ・ケーサカンバリンの唯物論とそれらの克服(行為とその主体)
  16.六師外道(5) パクダ・カッチャーヤナの七要素説とその克服(行為の主体としての霊魂)
  17.六師外道(6) ニガンタ・ナータプッタのジャイナ教(業付随論)とその克服(業本質論)
  18.行為の評価の結果論(ジャイナ教)と動機論(仏教)
  19.善悪業の結果としての報いの分岐:因果応報の理
  20.良心・人格完成者・神々に対して悪は隠し得ない
  21.多神教的有神論の立場としての原始仏教
  22.釈尊における超能力(神通力)の保持とその使用の抑止(三カッサパの帰服)
  23.釈尊の悟りにおける超能力と道徳性
  24.仏教における「梵天」とは何か? また誰か?
  25.神々(霊的職能者)=人々(個体的生存者)の道徳修養と仏教的輪廻転生論

13.釈尊によって斥けられた哲学的諸立場としての「六師外道」

 今、釈尊によって斥けられた哲学的諸立場を記号Qで表わせば、B(釈尊の悟り自体)に関して「Bは非Qである。」という制限的規定が得られることになる。このように制限されたBをB(非Q)と表記しよう。他方、本来の資料批判によって到達されるE(初期仏教経典)の解釈によって知られる限りのBをB(E)と表記しよう。そうするとB(E)は少なくともB(非Q)の範囲内に属していなければならないことになる。何故ならB(非Q)は超越的比較から見たBの制限的規定であるから、単にEに即して内在的に見られたB(E)よりも範囲が広いからである。換言すればB(E)はB(非Q)という制限の外にはみ出る哲学的含意を持つ解釈であってはならない。このことは「B(E)はB(非Q)である。」という命題で表すことができる。

そこで今度は具体的に釈尊によって斥けられた諸哲学的立場Qを挙げるならば、いわゆる「六師外道」が代表的なものとして考慮されなければならない。[釈尊は六師よりも年が若かった。それはつまりかれが六師の思想的影響を受け、それをのり越えたところに自分の立場を見出したことを示す。コーサラ国のパセーナディ王が<孤独なる人々に給する人の園>に訪ねて来て、釈尊にいった。『あなたゴータマは無上のさとりを体得したと宣言なさるのですか?』これに対してゴータマ・ブッダは答えた。『大王よ。<無上のさとりを体得した>と正しく語り得る者があるとするならば、それはわたしのことです。何となれば、わたしは無上のさとりを体得したからです。』

ところがパセーナディ王は、ゴータマ・ブッダは生意気だと思った。詰問していう。『きみゴータマよ。教団をもち、仲間をもち、衆の師であり、名声ある指導者であり、多くの人々に行者として承認されている修行者・バラモンたちがいます。例えば、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、ニガンタ・ナータプッタ、サンジャヤ・ベーラッティプッタ、パクダ・カッチャーヤナ、毛髪の衣をまとうアジタです。わたしが「あなたは<無上のさとりを体得した>と宣言しますか?」と尋ねたとき、かれらでさえもそのようには宣言しなかった。まして、あなたゴータマは年も若く、出家者としても新参者ではないですか?』

これにたいしてゴータマ・ブッダは断乎として答えた。『若いからといって侮ってはなりません。若いからといって軽蔑してはなりません。』…後輩であったにもかかわらず、ゴータマ・ブッダに自信をもたせたものは、かれが真理に達しているという確信であった。](ii,165~166)(注1)

注1* ローマ数字の i-v は、中村元『原始仏教 1-5』すなわち、『原始仏教1 ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯』、『原始仏教2 原始仏教の成立』、『原始仏教3 原始仏教の思想 上』、『原始仏教4 原始仏教の思想 下』、『原始仏教5 原始仏教の生活倫理』(中村元選集第11-15巻、1969-1972 年,春秋社、東京)とその頁数を表す。その引用文は[ ]で示した。以下同様。なおそこに掲げられている典拠をここに再掲はしない*

[マガダに対立する大国としてコーサラ国があった。シャカ族はもともとコーサラ国に従属していたのであった。釈尊の言として次のように伝えられている。『あちらの雪山(ヒマーラヤ)の中腹に、一つの民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。種姓に関しては<太陽の裔>といい、生れに関しては<サーキヤ族>(釈迦族)といいます。わたくしはその家から出家したのです。』

このコーサラ国が自分の種族であるシャカ族を支配していたのであるから、コーサラ国においてゴータマ・ブッダが特に王権に対してはたらきかけたのは当然のことであろう。…当時の国王パセーナディは釈尊とほぼ同年齢であったらしい。晩年にかれはこう言った。『尊師も王族であり、わたくしも王族である。尊師もまたコーサラ人であり、わたくしもまたコーサラ人である。尊師もまた八十歳であり、わたくしもまた八十歳である。』…ゴータマ・ブッダはパセーナディ王とよほど親しくしていたらしい。この王は美食大食をしていたために、歩くと呼吸が苦しくなるほどであった。そこで釈尊はかれに小食を実行させたところが、健康を回復したという。](i,360~362 )

 釈尊のこの確信と自信は、元来すでに悟りを得たその時点から形成されたものであるが、釈尊の在世中の最後の弟子となったスバッダの説得の時に至るまでも変わることなく堅持されている。それは釈尊臨終の時であった。[釈尊が病い重く、横臥しているとき、『アーナンダは尊師の背後にいて敷物によりかかって、涙を流して泣いていた』のであるが、そのありさまを見て、釈尊は次のように教えた。

『やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ、嘆くなかれ。アーナンダよ。わたくしはかつてこのように説いたではないか、--すべて愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ、そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来れる人(=ゴータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげむことを行え。速かに汚れのないものとなるだろう。』

そこへマッラ族の人々が集まったので、『アーナンダは、尊師に敬礼せしめた。』…『そのときスバッダという名の遍歴行者がクシナーラーに住んでいた。遍歴行者スバッダは「今夜最後のときに道の人ゴータマは亡くなるであろうとのことだ。」と聞いた。…かれはアーナンダのもとに近づいて言った。……「わたくしにはこの疑いが起こっている。しかし《わたくしがこの疑いを捨てることができるような教えを道の人ゴータマは説くことができる》と。このようにわたくしは道の人ゴータマに信頼をいだいている。さあ、アーナンダさん。道の人ゴータマに会わしてください。」と。

こういったときアーナンダは答えた「スバッダさん。修行をつづけて来られたかたを悩ましてはなりません。先生は疲れておられるのです。」』スバッダは三度いい張ったが、アーナンダは三度とも拒絶した。『尊師は、アーナンダがスバッダとこの会話を交わしているのを聞いた。そこで尊師はアーナンダに告げた、「やめなさい、アーナンダよ。遍歴行者スバッダを妨げるな。入って来い。何でも欲することを聞け。」と。

そこで遍歴行者スバッダは尊師のもとに赴いた。…かれは一方に坐して、尊師にこのことを尋ねた。「ゴータマさんよ。この諸々の修行者やバラモンたち、つどいをもち徒衆をもち徒衆の師で、知られ、名声あり、開祖として大衆に崇敬されている人々、例えば、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンバリン、パクダ・カッチャーヤナ、サンジャヤ・ベーラッティプッタ、ニガンタ・ナータプッタ--かれらはすべて己が智をもって知ったのですか?あるいはすべて知っていないのですか?その或るものは知っていて、或るものは知らないのですか?」』この疑問に対して釈尊は直接に答えることなく、つぎのように答えたということが、詩のかたちで伝えられている。『スバッダよ。わたしは二十九歳で善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には《道の人》なるものも存在しない。』かくしてスバッダは釈尊の最後の弟子となった。](i,461~463 )

 ここには「十難」(注2)(世界は時間的に①無限か、②有限か。空間的に③有限か、④無限か。身体と霊魂とは⑤一つか、⑥異なるか。人格完成者「如来」は死後⑦有るか、⑧無いか、⑨有り且つ無いか、⑩有らず且つ無からずか。という十の難問)に対して釈尊は肯定否定いずれの回答もせずに(無記)、完全黙秘し、そのような論議と探求の無意義であることを弟子たちに説いて止めさせたというエピソードに沿う釈尊の純哲学的論議回避の姿勢がやはり出ている。

注2*「十難」については、三枝充悳『初期仏教の思想』(1978年,東洋哲学研究所、東京)が良く整理して考究しており、中村の論考を補足し得るのでそれに従った。pp.45-55参照*


しかしそもそも釈尊が純哲学的論議回避を貫徹したことの真の意味は何であったか。『わたしは二十九歳で善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。』という明確な自己認識からしたら釈尊に究極的な哲学的立場が見えていなかったとは考えられない。この意味で釈尊の立場は六師の一人サンジャヤの懐疑論とは異なっている。事実、サンジャヤは、自分の優秀な弟子であるサーリプッタとモッガッラーナが他の全ての弟子たち250人を引き連れて釈尊のもとにあらたに弟子入りするという人の師と自認する者の最大の屈辱を喫している。サーリプッタとモッガッラーナは釈尊の左右を占める二大弟子となったほど優秀な人たちであった。その彼らがサンジャヤを捨てて新たに師と定めたほどの大きな違いが釈尊には認められたのである。

14.六師外道(1) サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論とその克服(行為の因果律)

 [サーリプッタとモッガッラーナとがサンジャヤの徒衆をひきつれて仏教に帰したことは、最初期の仏教にとって重要な一大事件であった。この二人は通常釈尊の十大弟子のうちでも特に有力な二大弟子として伝えられ、サーリプッタは智慧第一、モッガッラーナは神通第一と称せられている。ところでサンジャヤはいわゆる「六師の一人」として有名な懐疑論者であった。マガダ王アジャータサットゥは釈尊に向かって、サンジャヤの教えを次のように告げている。

『ベーラッタ族のサンジャヤは次のように言った、--「大王よ、もしもあなたが《あの世は存在する》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在する》と考えたのであるならば、《あの世は存在する》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。もしもあなたが《あの世は存在しない》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在しない》と考えたのであるならば、《あの世は存在しない》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。もしもあなたが《あの世は存在し、また存在しない》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在し、また存在しない》と考えたのであるならば、《あの世は存在し、また存在しない》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。もしもあなたが《あの世は存在せず、また存在しないのでもない》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在せず、また存在しないのでもない》と考えたのであるならば、《あの世は存在せず、また存在しないのでもない》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。](i,345~346 )(以下同様に、《自然発生の生きものが存在する》……、《善業と悪業の果報のあらわれは存在する》……、《人格完成者は死後に存在する》……、等の命題について同様の「鰻のようにぬらぬらして捕え難い議論」(ii,111)が述べられる。)

[このように判断中止の思想を説いたサンジャヤの弟子全部を引きつれて、サーリプッタとモッガッラーナがゴータマ・ブッダに帰し、しかも進展途上の仏教教団の中核を形成したという事実は、仏教が懐疑論をのり超えて、それにうち勝ったものとして、世にひろがった経過を示している。初期の仏教教団が、形而上学的議論を拒否したことは、一度サンジャヤの立場を通過したことを示している。しかし原始仏教の立場は決してそれにとどまらなかった。それを超えて、右のアッサジの詩が示すように、ありとあらゆるものが因縁によって成立するものであると説く積極的な立場を打ち出しているのである。](i,346~347 )

 ここに、「右のアッサジの詩」というのは、サーリプッタとモッガッラーナがその托鉢姿の清らかさに打たれて近づいた仏弟子アッサジが初めて教示した<法に関する教え>である。すなわちアッサジは、自己の師の教えを問われて、「友よ。わたくしは新参者で、出家して日浅く、この教えと戒律をいま奉じたばかりです。わたくしはあなたに教えを詳しく説き示すことはできませんが、しかし簡略に要点をお話しましょう。」と断りながら次のように語った。

「もろもろの事がらは原因から生じる。真理の体現者はそれらの原因を説きたもう。またそれらの止滅をも説かれる。偉大なる修行者はこのように説きたもう。」「もしもこれだけが教えであるとしても、それだけで充分である。」と彼らは満足し、新たな真理のまなこを開かれ、アッサジの師たる釈尊に自分たちも師事することを決意する。(i,334~341 )

 さて、サンジャヤの鰻のような懐疑論を払拭する釈尊のこのように明確な因果律の立場は後で詳しく見るように人間行為の場面に最も顕著に妥当するものとして、行為の因果律と呼ぶことが出来るが、この行為の因果律の立場は他方では六師外道のうちの他の主張、即ちマッカリ・ゴーサーラの宿命論的人生観、プーラナ・カッサパの虚無論的道徳否定論、アジタ・ケーサカンバリンの唯物論をも克服する哲学的立場である。

15.六師外道(2) マッカリ・ゴーサーラの宿命論,六師外道(3) プーラナ・カッサパの道徳否定論,六師外道(4) アジタ・ケーサカンバリンの唯物論とそれらの克服(行為とその主体)

 実際、マッカリ・ゴーサーラの宿命論は全世界事象の完全な決定論的必然性の軌道に乗った展開を説くものであって、個々の人間の個々の行為も例外では有りえず、それらが織り成す輪廻の流れも予め決定されているという。[『輪廻は、桝によって量り定められた苦しみと楽しみであるとして、終末に達するのである。またそれの盛衰もなく増減もない。あたかも糸毬が投げられると、解きほごされて糸の終わるまでころがって行くように、愚者も賢者も流転し輪廻して、ついに苦しみの終わりをつくり出すであろう。』](ii,85 )

 これに対して釈尊は、個人的主体の随意の心の持ち方に従って人間的事象の万事が起こると言う。

「一  ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なっりするならば、苦しみはその人につき従う。--車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
 二  ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。--影がそのからだから離れないように。」
 (中村元訳『ブッダの真理の言葉・感興のことば』岩波文庫版、1978年、P.10)

 この、善因(清らかな心)→ 楽果(福楽)、悪因(汚れた心)→ 苦果(苦しみ)の理法は正に、行為の因果律と呼ぶのがふさわしい。そしてこの行為の因果律は、先にアッサジの詩に示されたように「もろもろの事がらは原因から生じる。」という一般的因果律の応用またはそのより基本的・普遍的な根拠律である。この問題は縁起説の検討として続稿で詳論したい。

 次に、プーラナ・カッサパの虚無論的道徳否定論とは「善い行為を行なっても、悪い行為を行なっても、その報いを受けることはない」との説、更には「善悪の区別そのものの否定」の説であって、次のように語られる。[『この世において(他人の身体を)切断し、(他人を)殺し、(他人を)傷つけ、(他人の)財産を奪おうとも、カッサパはそれらの(行為の中に)悪を認めない。また(善い行為をなしても、その行為の中に)みずからの功徳を(認めない。)』(ii,72)このような世間的道徳習俗を守らない人を最初期の仏教は「虚無論者」と呼び、虚無論を排斥した(ii,74 )のは、世間的道徳一般の理論的且つ実践的基礎としての行為の因果律を保守する限り当然である。

また次に、アジタの唯物論は[ウパニシャッドに説くような普遍我を否認し、霊魂と身体とは不可分のものであって、死後に霊魂は存在しない、と主張した。…『「愚者も賢者も、身体が破壊したのちには、断滅し消滅する。かれらは死後には存在しない。」と。毛髪の衣を着たアジタは、このように道の人としての実践生活の現に経験される果報を問われても、つねに断滅論を説いた。』](ii,102~104)[来世が存在しないと考える快楽主義者のいたことを、ジャイナ教聖典も伝えているし、また仏典が伝える六十二見のうちの<現在ニルヴァーナ論>のうちの或るものもそれと軌を一にする。…このような唯物論・快楽論の思想はインド一般に順世派あるいはチャールヴァーカと呼ばれている。(漢訳仏典では「順世外道」と呼んでいる。)…ところで思想史的には恐らく、道徳否定論の主張がまず最初に一般社会において支持を受け、それを基礎づけるものとして唯物論的形而上学が説かれるようになったらしい。ゴータマ・ブッダはこのような頽廃的・破壊的な思想にくみすることができなかった。かれは善を求め、道を求めた。かれのこの踏み切りの中に、後世仏教が偉大な建設的宗教として発展するに至る萌芽を認めることができる。](ii,105)

 さて、しかし断滅論としての唯物論を退ける仏教の取るべき立場はどのように性格づけたらよいであろうか。またこれとともに、もし仏教の有名な「無我論」が「自我の文字通りの絶無論」と解されるならば、明らかにそれは釈尊により唯物論的断滅論と機軸を同一にするものとして退けなければならないから、では一体「無我」とはどのような意味で理解したら仏教的なのであろうか。この点について、やはり外道六師の一人パクダ・カッチャーヤナの七要素説は一縷の手がかりを提供するであろう。

16.六師外道(5) パクダ・カッチャーヤナの七要素説とその克服(行為の主体としての霊魂)

 [一部の思想家は唯物論的な形而上学を唱えた。唯物論者は霊魂を身体と一体と見なしたのであるが、一部の思想家は霊魂という独立の原理を認めるとともに、それを物質的なものとみなして、身体を構成している物質的諸要素と同じ資格のものと解した。物質的な地・水・火・風・虚空という五元素のほかに、アートマンを第六の要素と見なす説が当時行なわれていたということを、ジャイナ教の聖典は伝えている。こういう思想傾向の一つの発展形態としてパクダの七要素説が現われたのである。…かれによると、人間の各個体は七つの集合要素すなわち地・水・火・風の四元素と苦・楽と生命(霊魂)とから構成されている、という。ここでは苦と楽というものを、個人的主観の属性あるいは様態のようなものとは考えないで、むしろ独立な実体的原理と解しているのである。これら七つの要素は作られたものではなく、創造されたものでもなく、他のものを産み出すこともない。これらは山頂のように不変であり、石柱が堅固であるように安定している。これらは動揺せず、変化せず、互いに他を害うこともない。互いに他のものに苦または楽を与えることもない。人間各個人はこのような多くの要素から構成されているのであるから、一人の個人が他の個人を苦しめ、あるいは楽しませることもないのである。このような要素集合観においては霊魂の独立性・主動性は認められないことになる。そこで実践の問題に関しては異様な結論がみちびき出される。--故に世の中には、殺す者も殺さしめる者もなく、聞く者も聞かしめる者もなく、識別する者も識別せしめる者も存在しない。利剣を以て頭を断つとも、これによって何びとも何びとの生命を奪うこともない。ただ剣刃が七要素の間隙を通過するのみである--と。](ii,76~77)

唯物論的な霊魂断滅論を斥るということは、従って、逆にただちにこのようなパクダ的な物質的霊魂観に立つということを意味しない。認められるべき霊魂はこのような惰性的なものではなくて、自主的活動的にして有責感のある原理に基づくものでなければならない。簡単に言えばその霊魂は、行為(業)の主体でなければならない。(ii,139-210)

 はたしてこれまでに見た六師のうちの五人は全てが固有の意味での行為(業)の主体を認めないことが今はっきりした。即ち、マッカリ・ゴーサーラの宿命論,プーラナ・カッサパの道徳否定論,アジタ・ケーサカンバリンの唯物論は勿論として、サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論でさえ、その懐疑論を厳密に徹底すれば実践論において行為とその主体について明確な断定は主張し得ないのである。(ii,113-114)他方、六師のうちあと一人残ったニガンタ・ナータプッタのジャイナ教の場合には、そこに仏教と同様に、行為(業)とその主体についての明確な説を認めることができる。しかし仏教との相違も次に見るように明らかである。

17.六師外道(6) ニガンタ・ナータプッタのジャイナ教(業付随論)とその克服(業本質論)

 [当時の思想界においては、種々の思想が対立し、互いに争っていたが、どれを採用したとしても解脱の障礙があるとして、サンジャヤは懐疑論に陥ったのであるが、しかし懐疑論の立場にとどまる限り、われわれがどのように実践すべきかという問題に関しては、いかなる指示をも与えることができない。そこでマハーヴィーラ〔ニガンタ・ナータプッタ〕は懐疑論の立場を超出し、知識の問題に関しては次のように主張した。事物に関しては絶対的なあるいは一方的な判断を下してはならない。事物は種々の立場から考察され得るから、多方面にわたって考察すべきである。もしも何らかの判断を下そうとするならば、「或る点から見ると」という制限を付して述べなければならない。例えば事物は、実体または形式という点から見ると常住であると言い得る。同時に状態または内容という点から見ると、無常であると言い得る。……この観察法を「見かた」という。それは「言い表わしの方法」であり、また「理解の規則」でもある。この点にもとづいてジャイナ教の立場は不定主義(相対主義)と称せられる。『諸々の事物のあらゆる状態を一切の認識方法と一切の観察法の規定とによって認識した人は、詳細な知識を楽しむ者と呼ばれる。』そうしてこの立場にもとづくならば、判断を陳述し、哲学説を組織し得ることを主張して、サンジャヤの懐疑論から脱出することができたのであった。](ii,124~125)

[インドの哲人はみな多かれ少なかれ人生が苦しみに充ちていることを教えているが、マハーヴィーラは特に現世の悲惨・苦悩を痛切なことばを以て強調している。『生きものは生きものを苦しめる。見よ!世間における大なる恐怖を。生きものは実に苦しみが多い。人間は愛欲に執著している。かれらは無力な脆き身体もて破滅に赴く。』…この『始めの無い〔永遠の昔からの〕一切の苦しみおよびその根源からの解放(解脱)』がジャイナ教の理想であった。初期のジャイナ教徒は輪廻の観念をはっきりといだいていたし、また無常の説も述べていた。](ii,127~128 )

[さて、この苦悩を解脱するために、ジャイナ教は形而上学的考察を開始する。宇宙は多くの要素から構成されているが、それらを大別して霊魂と非霊魂との二種とする。…霊魂は地・水・火・風・動物・植物の六種に存するから六種の霊魂がある、と考えられるという。…霊魂の本質は意志を含めた知と生命性とである。…したがってジャイナ教は唯一の常住遍在なる我を認めず、多数の実体的な個我のみを認める多我説に立っていると解せられている。さらにジャイナ教のやや後世の霊魂観によると、霊魂はその宿る身体に応ずるだけの大いさを有し、また上昇性をもっているという。…この二つの性質はジャイナ教の霊魂観の特徴として、後世有名になった。…物質は無数に存在し、多数の物体を構成し、場所を占有し、色・味・香・可触性を有し、また音響と暗黒と光輝と光明と影と灼熱とを特質としてもっているという。また物質は活動性と下降性とを有する。物質は業の力によって霊魂の周囲に付著し、その下降性の故に霊魂を身体の中にとどめ、上昇性を発揮することができないようにする。…世界はこれらの実在体によって構成されていて、世界(loka)の外に非世界(aloka )がある。世界と非世界との両者を合わせたものが全宇宙、あるいは自然世界である。宇宙は永遠の昔からこれらによって構成されていて、太初に宇宙を創造しあるいは支配している主宰神のようなものは存在しない。主宰神を否認したという点では仏教とも共通であり、後世のインドではジャイナ教は無神論の代表のように見なされた。](ii,130~134)

[人間の身体が活動して身・口・意の三業を現ずると、その業のために微細な物質が霊魂を取り巻いて付着する。これを流入と称する。これは漢訳仏典で「漏」と訳されることばである。ただ仏典では「漏」とは「漏泄」の義であると解するがジャイナ教徒はこの語(asrava)を「流れ入る」という意味に解した。…業に由来するその微細な物質は、霊魂を囲んで微細な身体(業身)を形成し、霊魂を束縛し、霊魂の本性を覆っている。このことを繋縛(けばく)と称する。この繋縛の故に、諸々の霊魂は地獄・畜生・人間・天上の四迷界にわたって輪廻し、絶えず苦しみの生存を繰り返している。…業の束縛の存する限り、われわれの生存は苦であると言わねばらぬ。なおここで、神々の世界もやはり迷いの領域に属すると考えていたことは注目すべきであろう。](ii,137~138)

[業に束縛されたこのような悲惨な状態を脱し、永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、一方では苦行によって過去の業を滅するとともに、他方では新しい業の流入を防止して、霊魂を浄化し、霊魂の本性を発揮せしめるようにしなければならない。これを制御と称する。…まず第一に遵守すべきものは、不殺生・真実語・不盗・不婬・無所有の五つの大戒である。ジャイナ教の修行者は戒律を厳格に遵守し、…不殺生戒は特に重要視され、…極端な不殺生主義を守って…さらに…種々の苦行を修めなければならない。ものすごい苦行の実状が叙せられている。…仏教では一般的傾向としてはこういう苦行を排斥するから、この点が異なっている。…ジャイナの修行者は占いや観相を行なってはならず、また種々なる医療を行なってはならぬと規定しているが、これはまたちょうど最初期の仏教でも規定していることである。…なおジャイナ教は行為の善悪の問題については、仏教の動機論とは反対に、結果論の立場に立っていた。…このような修行によって業の束縛が滅ぼされ、微細な物質が霊魂から離れることを止滅と称する。その結果罪悪や汚れを滅ぼし去って完全な知慧を得た人は修行完成せる人となり、…身体の壊滅とともに完全な解脱が完成する。…身体が死するや、解脱した霊魂は本来有する上昇性を発揮して上方に進行し、世界を脱して世界の絶頂に存する非世界という領域に到達する。…さて非世界に到達すると、そこにおいては霊魂はその本性において現われ絶対の安楽が得られる。これが真の解脱であるという。(ii,139~160)

 このように行為(業)についてジャイナ教の基本的見方は否定的である。つまり、業は霊魂を束縛する結果を生ずるのである。従って善業とは、逆に、そのような業の可能な限りの縮減以外にない。故にジャイナ教の業論の論理的帰結は、業の減滅という完全消極主義となる。これに対して、仏教の業論は、必ずしも消極的ではなく、本来、業(意・口・身の行為)の改善・浄化を目指す積極的向上主義である。中でも思いという心の行為そのもの(意業)が最も重要視され、従って業の改善とは直ちに心の改善を意味する。この点で行為一般を霊魂の理想態から背反的に切り離したジャイナ教とは正反対である。つまりジャイナ教の業論は「業は霊魂にとって本質的ではなくて偶有的付随的である」というものであるが、仏教のそれは「業は心にとって常に本質的な働きである」というものである。この相違は、身体の行為と結果を主要と見るか、それとも心の行為と動機を第一義と見るかの相違と関連している。

18.行為の評価の結果論(ジャイナ教)と動機論(仏教)

 事実、行為の規定と評価に関しジャイナ教は身業優先論・結果論を取り、仏教は意業優先論・動機論を取る。 [仏教の興起する以前のインドにおいては、なお呪術的なものが支配していた。バラモン教全体についてもそのように概括して言うことができる。そこで独立の哲学的思索を徐々にめざしていた人の思想の集録であるウパニシャッド聖典においては、呪術的なものからの離脱をめざして真実の自己(アートマン)を把捉すべきことを強調していた。しかし具体的な倫理については、体系的な思想は殆んど何ごとも説かれていない。ただ散説されているだけである。ところが仏教では非常に具体的な倫理が説かれている。仏教の教える実践は、一言でいうならば、道徳的に悪い行為を行わないで、生活を浄めることである。…悪い行いをしてはならないということは、繰返し教えられている。…他方人々は善の実行につとめなければならない。善人の行為は清らかである。そうして善をなすことに対する意欲をすすめている。〔故に仏教は意欲そのものを否認しているのではないことがわかる。〕そこで、善の実行と悪の不実行とは楯の両面である。『善によって悪に打ち克て。』「身と口と意との悪い行いを捨てて、身と口と意とによって善を行え。」…

そこで定型的表現として、次の有名な詩が成立した。『すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸の仏の教えである。』(『諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教』)

正しい道徳は古今を一貫した永遠の理法であり、ゴータマ・ブッダが新たに創始し作り出したものではないという。ゴータマは真実の修行者、真実のバラモンたる道をみずから人々に教示するものであるという立場を標榜している。そうして昔の徳行すぐれた聖仙を称讃している。](v,3~6 )

[善悪の区別に関しては、仏教は動機論の立場に立っているとインド一般に認められていた。或る経典には、ジャイナ教徒であったディーガ苦行者と釈尊との対話が伝えられている。『〔釈尊いわく〕、「離繋派(ジャイナ教)のナータプッタは悪い行為の実行、悪い行為の展開についていくつの行為(業)を想定するのですか?」〔苦行者いわく〕「きみゴータマよ。離繋派のナータプッタはいつも<この行為(業)><あの行為>というふうに想定しているのではありません。われはいつも<あの罰><この罰>というふうに想定しているのです。」』恐らくニガンタ・ナータプッタが悪い行為それ自体を問題としているのではなくて、悪い行為(業)がのちに悪い報いをもたらすことを問題としていたという事実をのべているのであろう。

『〔釈尊いわく〕「では離繋派のナータプッタは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について、いくつの罰を想定するのですか?」〔苦行者いわく〕「きみゴータマよ。離繋派のナータプッタは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について、三種の罰を想定しています。--すなわち、身体(の悪い行い)についての罰、ことば(の悪い行い)についての罰、意(の悪い行い)についての罰です。」

〔釈尊いわく〕「ところで身体についての罰と、ことばについての罰と、意についての罰とは互いに異なった別々のものなのですか?」〔苦行者いわく〕「身体についての罰と、ことばについての罰と、意についての罰とは互いに異なった別々のものなのです。」

〔釈尊いわく〕「このように別々のものであって、互いに区別されているこれらの三つの罰のうちで、かれナータプッタはどの罰が、悪い行為の実行、悪い行為の展開について特に過ちが重いというのですか?」〔苦行者いわく〕「このように別々のものであって、互いに区別されているこれらの三つの罰のうちでは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について身体による罰が特に過ちが重いとナータプッタは想定しています。ことばによる罰はそうではありません。意による罰もそうではありません。」』

次にこの苦行者の問に対して釈尊は答える。--如来の教えでは三種の罰を説くことはない。そうではなくて、身体による行為(業)と、ことばによる行為と、意による行為との三種の行為を想定する。そうして意による行為(心の中で思うこと)が最も重要である、--と。『このように別々のものであって互いに区別されているこれらの三つの行為のうちでは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について、意による行為が特に過ちが重いとわたくしは想定します。身体による行為はそうではありません。ことばによる行為もそうではありません。』釈尊のこのような主張を聞いてナータプッタは反論した。--『実に微弱なる<意による罪>がどうしてこのように強大な<身体による罰>を凌駕し得るであろうか?』

この対話を通じて見ると、ジャイナ教のほうでは具体的な身体の行動にあらわれた結果の如何を重視し、これに対して仏教のほうでは人が心の中で何を思うかということ、心の中に思っていること、の善悪を問題としていたのである。この問題についてバラモン教のほうでどう考えていたか不明であるが、ウパニシャッドでは『人が意(こころ)で思念したことをことばによって語り、それを行為によって行う。』というし、また『マヌ法典』(一二・四)では『意(マナス)が十種の行為の推進者である。』という。仏教はこのような見解を受けて徹底させたのであろう。](v,10~14 )

19.善悪業の結果としての報いの分岐:因果応報の理

 [善あるいは悪をなそうと欲する動機が良い結果あるいは悪い結果をつくりなすという思想は、仏教の最初の時期から存在した。『悪い欲望があり恥を知らず、尊敬をも払わない人は、まさにその故に悪を生ずる。それによって地獄に堕ちる。』

ところで悪い欲望が起るか否か、ということは人に明知があるか否かによると考えられていた。そこで右の句を説明する場合に、付加していう、--『無明は後の悪いことがらをひきおこすための先駆である。…明知は後の善いことがらを達成するための先駆である。』という。…人は何故に諸々の美徳を実践し、悪を避けねばならないのか?原始仏教の説くところによると、善をまもり、美徳を実行するならば、いつか将来にはよい結果が生ずるというのである。

右のような思想はすでに詩句の中の諸処に表明されていたものであるが、散文の部分においては次の句がのべられている。ーー「身体、ことば、心に悪い行いをなす者に、願わしくない、欲せられない、喜ばしくない果報が生ずるという道理が存する。…また身体、ことば、心に善い行いをなす者に、願わしい、欲せられ、喜ばしい果報が生ずるという道理が存する。」そうして前者は良いところ・天の世界に生れることであり、後者は悪いところ・地獄に生れることである、と続けて説明されている。…

右に述べられたようなことを一般的命題としてまとめたものが<因果応報>の理であり、「善因善果、悪因悪果」の説である。経典の中には非常に印象的な譬喩が述べられている。『作られた悪業は、灰に覆われた火のように、燃えつつ愚者に従って行く。』悪を行った者は地獄(niraya)に赴く。その地獄もいろいろあると考えられた。また「悪いところ」(duggati 悪趣)に赴くともいうが、すでにかなり古い時代から「悪いところ」として地獄・餓鬼・畜生・修羅の四つが考えられていた。…世間の人々はこの世の財産・権勢・奴婢などを追求するが、それらはこの世限りのものであり、いかなる偉い人でも死ぬときにはただ独りで死に、かれに業が付随して行くだけであると言って、悪業を戒しめている。これに反して善を行った人は天の世界に生れるとか、神(deva)となるとか「善いところ」(sugati善趣)に生れるとかいうが、その生れるはずの天の世界もいろいろの名称を以て呼ばれていて、統一がない。ただ『天に昇る者は少ない。』と嘆かれている。『或る者は〔人〕胎に宿り、悪業を造った者は地獄に〔堕ち〕正しき者は天に昇り煩悩を滅し尽くした者はニルヴァーナに入る。』というがこれが原始仏教の来世観を最も良くまとめているであろう。人間は天界と地獄などとの中間的存在なのである。](v,14~48 )

20.良心・人格完成者・神々に対して悪は隠し得ない

 [また他方では、悪い行いは人々に非難されるべきであり、悪を隠すことはできないという。『かれが身体、ことば、またはこころを以て、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。』たとい人々に知られなくても、まず「自分が知っている」という思想も述べられている。『「<生きものを殺さないこと>によって殺生が捨てられるべきである」といったのは何を意味するのであるか?…諸々の束縛のためにわれは殺生者であったのであるが、それらの束縛を捨て断ずるために努めている。もしもわれが実に殺生者であるならば、その<生きものを殺したこと>によって自己もまたわれを誹るであろう。智者もそれを知って、殺生に縁って、われを非難するであろう。身体が断滅した死後に、殺生に縁って、悪しき場所に生れると予想される。』…また善悪の行為を神々が見ているという思想があり、神を証人に請うということも行われた。『あなた(=釈尊)のようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供物であれかし。梵天こそ証人としてみそなわせ。…』また世人のなす悪は、神々(deva)と人格を完成した人々(tathagata,pl.)が見ているから、隠すことはできぬともいう。したがって原始仏教においてもやはり「天知る、地知る、われ知る」という思想が表明されていたわけである。](V,50~51 )

21.多神教的有神論の立場としての原始仏教

 ここまで来ると原始仏教は、俗に言われることもあるような無神論では全然なくて、かえって有神論であり、しかも多神論的であることが明瞭である。

先に、ジャイナ教では「宇宙を創造しあるいは支配している主宰神のようなものは存在しない。主宰神を否認したという点では仏教とも共通であり、後世のインドではジャイナ教は無神論の代表のように見なされた。]ということを見た。つまり仏教は絶対的主宰神は或る意味で認めない(というのは仏教はその行為の因果律の立場から、人間主体の自立的向上の努力を第一義とするので、人間の個別的自由を否定する恐れのある他律的絶対支配の原理を認めない。そこでもし絶対的主宰神がそのような原理と見られる限りは否認される。それは他方において同様の他律的絶対支配を意味する決定論的宿命論が退けられるのと軌を一にする。ii,91 参照。)が、多くの神々は認めるのである。またジャイナ教も神々の存在を認めるが、その[神々の世界もやはり迷いの領域に属すると考えていた。]このように神々といっても完全解脱者には及ばない比較的価値低き者であるので、ジャイナ教=無神論のレッテルを張られたのであろう。この点は仏教も相当に似ている。仏教でも完全解脱者たるブッダの方が神々よりも価値高い存在者である。とはいえ、神々のなかには極めて高位の神々もいる。例えば、「梵天」がそうである。梵天とは何か、また誰か、について考察して、仏教本来の神々の位置づけを明らかにしよう。

22.仏教における「梵天」とは何か? また誰か?

 この問題に係わることとして先ず注目すべきなのは、釈尊における「超能力(神通力)」保持の事実であろう。釈尊における超能力(神通力)の問題については、研究者の個人的信念に従った解釈が出されることが多く、客観的文献に基づく厳正な解釈が未だ確固たる一般的支持を得ていない状況である。研究者の個人的信念に従った解釈がまかり通るのであれば、それは釈尊についての学問的研究とは言えず、その人の単なる臆念の告白にすぎない。ところが我々の採用した研究方法に従う限り、中村元氏のまとめた原始仏教の根本資料に基づく解釈となるので、それは私自身の個人的信念には左右されないのである。それで釈尊が或る種の超能力(神通力)を保持していたことは、中村元氏のまとめた原始仏教の根本資料に基づく限り完全に明瞭である。

 ウルヴェーラー(のちの称ブッダガヤー)での開悟成道直後の伝道躊躇の気持ちを梵天の勧奨により克服した釈尊は、自由思想の本場ベナレスへ赴き、最初の伝道努力(初転法輪)をしたが、その時彼に先ず5人の直弟子ができた。この5人は成道以前の釈尊の修行仲間であった人たちである。

次に青春の苦悩に堕ちたベナレスの長者の子ヤサが釈尊との幸運な遭遇の中で救われ、出家した。次にいずれもベナレスの上流家庭の子であるヤサの54人の友人たちが、自分たちを凌ぐエリートだったヤサの行動に動かされてやはり釈尊に帰依し、出家した。(ただしその前に出家はしないがヤサの家族4人が釈尊の在俗信者となっている。同様に在俗信者としては釈尊の開悟直後に飲食を供養して帰依したタップサ、バッリカという二人の商人、及び釈尊が托鉢の折に施食して帰依したバラモンの娘スジャーターとその家族、そして他の婦人がいる。)これで最初の釈迦教団(出家者)は61人となった。

次にベナレスから開悟の地ウルヴェーラーに戻る途中、とある密林に分け入って一樹のもとに座していたが、その密林に一団で遊びに来ていた30人の既婚の青年たちが多愛もない捜し事に熱中しているのを、「自己(atta)を探し求める」ことに切り替えさせて弟子にした。これで出家の弟子は90人となった。(i,192~291 )

[ついで釈尊はもと修行していたガヤーの地方にもどって、火の行者であった三人のカッサパを帰服させた。何故もとの土地へもどったのか、事情は良く解らないが、恐らく三カッサパはその呪力の故に当時の民衆の間で非常な尊信をあつめていたために、かれらを帰服させなければ、自分の教えがひろがるのは不可能だと考えていたのであろう。ゴータマはウルヴェーラー村に到達したが、そのときそこには三人の結髪のバラモンがいた。それはウルヴェーラ・カッサパとナディー・カッサパとガヤー・カッサパとであり、それぞれ五百人、三百人、二百人の結髪のバラモンの弟子を引きつれていた。この三人の名は、それぞれ「ウルヴェーラーに住むカッサパ」「ネーランジャラー河のほとりに住むカッサパ」「ガヤー市に住むカッサパ」という意味であったらしい。この三人は兄弟であったと伝えられている。ウルヴェーラ・カッサパは火に仕える儀礼を行なっていたが、ここで釈尊はあらゆる種類の神通を行じてかれを克服する。ウルヴェーラ・カッサパは自分のほうが優れていると思うが、最後には降参してしまう。そうしてかれらは毛髪・結髪・担架・事火具<じかぐ>を水に流してしまい、釈尊の弟子となり出家する。このことを見て、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパおよびその弟子たちも同様に出家して釈尊の弟子となってしまう。…

ゴータマ・ブッダは神通力によって偉大な奇蹟を現じ得る人であると当時一般に考えられていたらしい。このことは他の点からも確かめられる。かれに対しては当時次のような非難が向けられていた。『実に修行者ゴータマは幻術者である。他の異学の人々の弟子をひきよせるために幻術を誘いのてだてとすることを知っている。」

しかしゴータマ・ブッダは、一般の修行僧が恣ままに神通を現ずるのはよくないと考えていた。伝説によると長老ピンドーラ・バーラドヴァージャが神通力によって王舎城の商人のところから栴檀の鉢を貰って来たとき、釈尊は修行僧らに神通奇蹟の使用を禁じた。総じて一般に諸々の仏伝の中で三カッサパの帰依が何故このように詳しく述べられているのか、われわれには良く解らない。しかし多くの経典では、のちの釈尊に言及する場合に「千二百五十人のビクたちと共にいた」と記すのが定型句となっている。その千二百五十人のうち千人は三カッサパの弟子たちであり、二百五十人は懐疑論者サンジャヤの弟子たちであったと考えられるから、最初期の仏教教団の中核を構成していたのは三カッサパの弟子たちであった。その人たちが一斉に仏教に入って来たというのであるから、これは重要な事実である。そうしてマガダ地方 - 当時インドの中心であった - の人々が、一斉にゴータマ・ブッダに帰依するに至ったきっかけは、一般に三人のカッサパが帰依するに至ったことであると考えられていたから、この事実はなおさら重要であるといえよう。](i,292~316 )

 他方、釈尊が煙や火炎を放射する超能力よりも大事だとしたのは、諸々の煩悩からの解脱という全く普通の人間の正しい理想であった。新たに弟子入りした千人を越える火の行者たちは、釈尊に「すべては燃えている」と表現される煩悩の激しい火炎こそ抑制され退治されなければならないと教えられた。(象頭山<ぞうづせん>における燃える火の教え)。(i,317~320 )火の大行者さえもが帰依した釈尊の偉大な信望により、マガダ国王ビンビサーラ及びマガダ国の12万のバラモン・資産者たちがやはり釈尊に帰依するに至ったという。(i,321~330 )

23.釈尊の悟りにおける超能力と道徳性

 故に、釈尊の悟りの中核を成すのは必ずしも超能力の獲得ではなくて、道徳性の理想の実現である。しかし、実はこの中心的な道徳性の理想の実現自体は、例えばその理想の実現したことが確実に知られなければ単なる主観的思い込みでしかない場合と区別されないことになってしまう。ところが仏典によれば、その理想の実現はそれ自体のうちに確証の標識をもっている。それが「漏尽通<ろじんつう>」と呼ばれる神通力の一つである。

すなわちそれは[煩悩がなくなったという自覚が生じ、それについて知識が成立する。それがのちに漏尽通<ろじんつう>とよばれるものとして概念化された。](iv,178)[仏教は少なくともその成立当初においては、バラモン教に叛旗をひるがえすという態度を表明しなかった。むしろバラモン教の伝統を継承して、その真実義を明らかにするという態度を表明していた。…しかし仏教では「バラモン」という語の内容を根本的に改めてしまった。真のバラモンは最上の階級に属する人々をいうのではなくて、徳行のすぐれている人のことをいうのである、と主張した。バラモンとバラモンならざる人との区別は、生れ(jati)の如何によるのではなくて、行為(kamma)の如何による。

『生れを問うことなかれ。行いを問え。…賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、慚愧の心で慎しむならば、高貴の人となる。』…従って釈尊は、初期の仏教徒によると、バラモンの理想を回復し、実現した人なのである。…バラモンたちの間ではヴェーダの学習が神聖な義務であるとされ、ヴェーダ聖典に通じている学者が重んぜられた。しかし最初期の仏教ではこの伝統的な見解を受けながら、その内容を改めた。「ヴェーダの達人」とはヴェーダ聖典に関する文献的知識をもっている人のことではなくて、むしろ修行を完成した人のことでなければならない。

『何を得た人を<ヴェーダの達人>と呼ぶのですか?』という問いに対して答えていう、-『道の人ならびにバラモンどもの有するすべてのヴェーダを弁別して一切の感受したものに対する貪りを離れ、一切の感受を超えている人、- かれは<ヴェーダの達人>である。』「すべてのヴェーダを弁別して」というところにはいくらか妥協的態度が見られるが、全体としては改革的意図が認められる。またヴェーダに関する博学が重んぜられたが、それは末節を良く知っているということではなくて、学問の教える理想を身に具現することである。…

当時バラモンは三ヴェーダを奉じていて、「三つの明知をたもっている」といわれていたが、仏教もその呼称を受けついだ。修行を完成した人は三つの明知を体得した人であるという。ただその三つの明知の内容を改めた。仏教によると三つの明知(三明<さんみょう>)とは、(1)前世のありさまを知ること(宿命通<しゅくみょうつう>)、(2)死後の世界を見通すこと(天眼通<てんげんつう>)すなわち天界と地獄とを見ること、(3)生存の尽きてなくなることを確認すること(漏尽通<ろじんつう>)とであり、修行者はこの三つを完成するのである。…

しかし他の場合には、三つの明知として他のものを数えていた場合もある。『ブッダの弟子であって三つの明知をそなえ、(1)神通を得、(2)他人の心のありさまを知り、(3)煩悩の汚れのなくなった尊敬さるべき人々は多い。』ここでは後世の術語でいうと、(1)神足通<じんそくつう>と(2)他心通<たしんつう>と(3)漏尽通とを挙げているのである。だから初期の仏教においては<三つの明知>という語をバラモン教からとり入れて使っていただけであって、その内容が何を意味するかということについては、必ずしも一定していなかった。…そうしてその<三つの明知>にあてはめた前掲のものを総括し、それに天耳通<てんにつう>を加えて、後世の仏教教学体系においては「六神通」【宿命通・天眼通・漏尽通・神足通・他心通・天耳通】という定型的表現が成立するに至ったのである。](iii,394~403 )

われわれはここに、初期仏教が伝統的バラモン教との関係ではその「名目的容認」と「実質的転換」を成し遂げているのを認める。(iii,394-416 )ただしその「名目的容認」は理想的実質の容認・回復・実現を含んでいることを見逃してはならないのであって、単なる便宜的な伝道の仮装ではなかった。それは初期仏教が無神論とは程遠く、伝統的な神々を容認し、しかも代表的な神々(梵天、帝釈天)とコンタクト(連絡)をとり、実際にコミュニケーション(交渉)を行なっていたという事実にもはっきりとあらわれている。(注3:三枝充悳『初期仏教の思想』(上掲)は、古ウパニシャッドと釈尊との思想的近縁説(中村元)に対して疎遠説を提起した(PP.3-125)。そしてそれは、ゴータマ・ブッダが古ウパニシャッドに関して「正確な知識」(P.30)「深い知識」(P.120 )を有しなかったという氏の見立てによる。だが、『道の人ならびにバラモンどもの有するすべてのヴェーダを弁別して一切の感受したものに対する貪りを離れ、一切の感受を超えている人、- かれは<ヴェーダの達人>である。』(iii,402 )という釈尊の言葉は氏の見立てに対する明確な反証である)

24.仏教における「梵天」とは何か? また誰か?

1)梵天勧請[律蔵および経典によると、釈尊はさとりを開いてのち、自分のさとったことを世間の人々に説くのを躊躇したが、梵天の勧めで世人のために説くことを決心したという。これについて律蔵の散文の説明は明らかに後世のものであるが、そこに挙げられている詩句はやや古いものである。それによると、釈尊はまず説法をためらったが、これに対して梵天が釈尊に対して説法を勧めたということになっている。

『わたくしのさとったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。わたくしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々がわたくしを理解してくれなければ、わたくしには疲労があるだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ。貪りに悩まされた人々がこの真理をさとることは容易ではない。世の流れに逆らい深遠で見がたいから、欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ。』(注4:新約聖書ヨハネ伝1-5 「光は闇に輝けども闇は光を悟らず。」という表現参照)

『世尊が何もしたくないという気持に心が傾いて、説法しようとは思われなかった。そのとき、<世界の主・梵天>は次のように考えた、- 「ああ、この世はほろびる。ああ、この世は消滅する。実に修行を完成した人・尊敬さるべき人・正しくさとった人の心が、何もしたくないという気持に傾いて、説法しようとは思われないのだ!』

『ときに<世界の主・梵天>は、あたかも力ある男が曲げた臂をのばし、のばした臂を曲げるように、梵天界から姿を消して、世尊の前に現われた。「尊き方よ。尊師は教えをお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが〔聞けば〕真理を悟る者となりましょう。」…『世尊はさとった人の眼によって世の中を観察された。世の中には、汚れの少ない者、利根の者、鈍根の者、教え易い者、教え難い者どもがいた。「甘露(不死)の門は開かれた。梵天よ。人々を害するであろうかと思ってわたくしは微妙な巧みな法を人々には説かなかったのだ。」』…ここで注目すべきことは、他の多くの世界宗教におけるように最高の神が命じたのではない。人格を完成した人間であるブッダに命令を下し得るものは何も存在しない。決定する者は人間自身なのである。](i,212~218 )

 2)カッサパとの対決時の神霊顕現[『さて尊師は、ほら貝結びの行者ウルヴェーラ・カッサパの庵のある或る密林に住しておられた。そのとき四大天王は深夜に優美な彩光によって、尊師のおられるところに近づいて、尊師に敬礼して、立った。大きなほむらのごとくであった。』

『さらに帝釈天(神々の王なるサッカ)は深夜に優美な彩光によってあまねく密林を照らして、尊師のおられるところに近づいて、尊師に敬礼して一隅に立った。それはあたかも大きなほむらのごとくであり、前の色彩や光輝よりもさらに優美であり、さらに絶妙であった。』

『さらに世界の主・梵天は深夜に優美な彩光によってあまねく密林を照らして、尊師のおられるところに近づいて、尊師に敬礼して一隅に立った。それはあたかも大きなほむらのごとくであり(注5:神の火炎は旧約のモーゼも見た。関根正雄訳『旧約聖書出エジプト記』1969年,岩波文庫、東京、P.11)、前の色彩や光輝よりもさらに優美であり、さらに絶妙であった。』この前後の記述の連絡から見ると、帝釈天のあとに梵天が出て来て、梵天のほうが帝釈天よりも霊力がはるかにすぐれたものであるということになっている。これはインドの宗教史的事実に対応することである。インドラ(帝釈天)はインド最古の宗教聖典『リグ・ヴェーダ』においては最も力強い、また最も人気のある神であったが、梵天はウパニシャッドあたりから登場して、仏教興起時代には世界創造神として民衆の間では最も尊崇されていたのである。](i,298~306 )

3)神々の体系[仏教では世界創造者としての神を認めないということが通説となっている。これに対して、例外的な表現がないわけではない。ブッダは神通によって、世界を開闢することも可能であると考えられた。しかしそれはただ教化のための方便にすぎなかった。他方、神々の存在は、仏教もこれをはっきりと承認していた。神(deva)を漢訳仏典では「天」と訳している。天に存在するものであると考えられたからである。…原始仏教聖典のうちでも特に古いのは詩句(韻文)の部分であるが、それらについて見ると神々は長寿で容姿すぐれ名声がある。神々はいわばすぐれた人間なのであり、天上においては神々も人間も区別のないものと考えられていたようである。…しかし神といえども、なお迷いの範囲のうちに存するのであって、…ゴータマ・ブッダの説き明かした真理は神々の権威をも超えたものであると考えた。…だから神々でも仏の弟子であり得る。神々も仏の教えを聴聞して帰依するに至る。…原始仏教の認める多数の神々の間の階位的関係・勢力関係についてもおのずから発展変化のあったことが知られる。最古のヴェーダ本集において最も有力であった神はインドラであり、ブラーフマナ文献において最も有力であった神は造物主(Prajapati )であったが、…しかし仏典の中では造物主はやがてすがたを消すに至る。そこで当時盛んに信仰されていた梵天が有力視され、インドラと肩を並べるものとされた。ウパニシャッドにおいては絶対者をブラフマン(brahman )と称し、中性名詞として用いているが、原始仏教聖典においては、ブラフマンは擬人視されて、男性名詞でのみ用いられている。ブラフマン(梵天)は神とみなされたのである。神々の中では梵天が第一の神と見なされていた。梵天は「梵天の世界」(Brahmaloka)にとどまるのであるが、そこには光明の輝きがあると考えられた。またその世界は不死である。梵天は瞬時に諸方を見る。…梵天が人々にすがたをあらわすときには、まずそのしるしとして光輝が現われ出る。…光輝は梵天の本質であると考えられた。そうしてのちには世界の主としての裟婆王梵天という名称が成立するようになる。ところでその最高の神としての梵天もインドでは一人の人格ある神とはみなされず、幾人もいると考えられるようになった。…過去世に善業を修した者がその徳の報いとして梵天の地位につくのであるから、梵天が多数いても構わないであろう。(この点は次に述べるように、インドラという神が幾人もいると考えられたのと共通である。)…また梵天の光輝といえども仏の眼から見るならば、完全なものではない。梵天は光輝をその特質としているが、しかし釈尊の光輝はさらに偉大であり、梵天のそれにも打ちかつものと考えられた。…インドラ(帝釈天)は『リグ・ヴェーダ』以来…「恵み深き者」と呼ばれ…雨を降らす神であると考えられていた。しかしそれよりも重要なことは、帝釈天が「神々の王」(天王)と呼ばれていたことである。「神々の王」というのは一人の神が永久に占めているのではなくて、一種の地位であり、絶えず異なった生存者がその地位を順次に占めると考えられていた。〔この見解は後代に至るまで継承された。帝釈天すなわちインドラとは個的存在としての神ではなくして特殊な地位にすぎなかったのである。つまり普通名詞のようなものであった。これは顕著にインド的な思惟である。〕

『リグ・ヴェーダ』以来神々の数を三十三でまとめることがなされ、…三十三神のことを概数を以て「三十神」とよぶこともあるが、戦いに勝った不敗のインドラに三十神が奉仕するという。そうして三十三天の神々はインドラ(帝釈)とともに如来および法の本質に敬礼するという。三十三神とは古くはすべての神を意味する語であったが、後にはそのほかに多くの神々も考えられるに至ったので、のちの仏教神話においては一群の神とみなされその音を写して漢訳仏典では「利天<とうりてん>」と呼ぶようになった。…そこには歓喜(ナンダナ)園があり、三十三天はそこに居住すると説くに至った。善行を行なった人はそこに生れることができる。『施与をなす人々はここから没して、自ら光りあるものとなって、ナンダナ園に逍遥する。かれらはそこで五種の欲をかなえて歓喜悦楽する。』しかしナンダナ園といえども絶対の境地ではない。そこも生死輪廻の範囲に属する。原始仏教における神観の発展とともに三十三天の上にヤーマ天(夜摩天)、トシタ天(兜率天)、化楽天<けらくてん>、他化自在天<たけじざいてん>が考えられるに至った。夜摩天とは死者の王ヤマの明るい性格だけをとり出して、このような特別の世界を想定したのであろう。これらの神々は喜楽を受けているけれども、愛欲の束縛に縛せられている。だからこれらの神々も輪廻するのである。](IV, 183~205)(注6:和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』(『和辻哲郎全集第5巻』1962, 岩波書店、東京)は「本来ブッダの根本思想は全能なる創造神のごときを排するものであった。その点は当時の唯物論的な外道説と同様である。だからこの根本思想に忠実なものは梵天のごときをブッダの説法に導入するはずがなかった。しかし文学的想像としては、全能の神をブッダに奉仕せしめるということは、効果の多い、警抜な思いつきである。」(P.81)と述べて、梵天思想を文学的虚構と断じ、ブッダの根本思想を唯物論的性格としているのは看過し得ない。続稿参照)

25.神々(霊的職能者)=人々(個体的生存者)の道徳修養と仏教的輪廻転生論

 人間的視野から見る限り、ブッダが完全人格完成者として輪廻転生の最後の地上的生存を終えて至高の天的存在となり、ブッダに近いがなお未到のレベルの者たちはあと何回かの転生を通して修養を完結し遂にはブッダとなる。それよりも低いレベルの者たちは一層多くの転生を繰り返しつつ多大の修養を蓄積しなければならず、大多数の人々は魂の質的向上のためには殆ど無限に近い転生を必要とし、それがあたかも転生の「輪廻」(限り無い反復相)として見える。

従って「神々でさえ輪廻する」ということは、その神々とは相当程度に人格修養を積み向上した人々の肉体離脱後の生存相だと言うことである。つまりそのような生存相にある所謂《霊人たち》のうち、地上生存者たちに特に係わりのある一定の霊的職能者たちが、社会慣習上、一定の神々として意識され信仰されると考えられる。

普通の人間的視野では知覚されないが、仏教以前から精神科学の発達の長い伝統をもつインドの地では当時人々は輪廻転生を我々が近代科学を一般的に信じるように人生の根本前提として一般的に信じていた(注7:中村元『インド思想の諸問題』(中村元選集第10巻、1967年,春秋社、東京)p.13参照)。そして哲学思想の課題とは、一口で言えば、輪廻転生の事実に対してどのような対処をするか、に尽きていた。

仏教が対質したいわゆる六師外道も輪廻転生論として見ることができる。即ち(1)サンジャヤの懐疑論は輪廻転生の事実を括弧に入れるかのような素振りをみせつつ、いかなる断定にも与せず、あたかも輪廻転生を前提とするかのように精神安立の実践行は怠ることがない。(2)プーラナの無因論は輪廻転生の一般的信念に対する絶望的自我主義のあがき以外のものではない。(3)パクダの七要素説は輪廻転生の大前提である霊魂とその有責行為を是認しつつその化石化の理論を案出したが彼自身でさえその詭弁性に目を覆うことのできないはずの戯論である。(4)アジタの唯物論は輪廻転生の経綸自体を崩壊せしめんとし、また現代においてこそ多数の信奉者を見出す理論であるが、それは心の内省的観察の繊細な習練を欠いた粗雑な哲学以外のものではなく、多くの場合その霊界否定論は当事者の霊界恐怖感の隠蔽と糊塗の知的自己防衛である。(5)ゴーサーラの宿命論は輪廻転生の一面である浄化に必要な時間経過に注目したが、ただその経過を絶対視し、行為的努力の如何によるその短縮ないし延長を認めなかった。他方(6)ジャイナ教は或る程度まで輪廻転生の積極面すなわち有意的な霊魂浄化のプロセスを認めたが、行為(業)の捕らえ方が否定的であり、輪廻転生のプロセスへの積極的参入を欠く退嬰哲学である。

これに対して(7)バラモン教の伝統を引くウパニシャッド哲学は転生する個我からの脱却を、普遍霊ブラフマン(梵)への自己霊アートマン(我)の一致(梵我一如)の瞑想的直観智の方法で探求した。(iii,275, 190)(注8:中村元『インド思想の諸問題』(上掲)PP.10-17参照)

それらに対して(8)釈尊の教えは真に主体的人間的な行為的道徳的輪廻転生論である。それはジャイナ教の苦行主義を排し、ウパニシャッドの瞑想的直観智の方法を受け継ぎ、これを複数の階梯に分節し連継して、その他生活全面にわたる具体的修養の方法を総括して一般人誰にも妥当する《中道》を提示した。

これが、正見<しょうけん>、正思<しょうし>、正語<しょうご>、正業<しょうごう>、正命<しょうめょう>、正精進<しょうしょうじん>、正念<しょうねん>、正定<しょじょう>、の八支から成る八正道である(この中で「定」とは瞑想的精神統一と直観智の方法、いわゆる禅定<ぜんじょう>であり、幾つかの進展段階がある。)要するに、釈尊の仏教(原始仏教)は、転生輪廻とは神々をも超えるブッダ養成コースであることを明示したものである
これを最善観的輪廻転生論と呼ぶことにする。 
神々をも超えるブッダ養成コースということは、先にも触れたように、多くの高下の段階を成し、あたかもこの世で例えば教育段階として保育園・幼稚園・小学校・中学校・高等学校・大学・大学院といった進級があるように、人格のあらゆる要素を総合的に見る視点からの人格完成度の度合いとしてとらえることが出来る。それは細かく見れば、一人一人について段階があるはずであるが、大局的に原始仏教は先ず、①生存者(輪廻する者で欲望と生存とのきずなに結ばれ迷いの状態に帰って来る人)、②欲望の領域に帰らない人(なお生存のきずなに結ばれているが欲望を捨て去り迷いの状態に帰って来ない人)、③彼岸に達した人(完く煩悩の滅無に到達した尊敬さるべき人。いわゆる「阿羅漢<あらかん>」であるが、初期には「仏」もこう呼ばれていた。ともかく「解脱した人」)という三段を想定する。

所で迷っている人がもはや煩悩の世界に戻って来ない(不還性<ふげんせい>の)人となるためには中間になお階梯がなければならぬと考えて、その中間に<修道に踏み入った人>と<一度だけ欲望の領域に戻って来る人>という段階を考えた。そこで前段階(凡夫。迷っている生存者)を脱した聖者として次の四段階が成立した。①預流<よる>(修道に踏み入った人)。②一来<いちらい>(一度だけ欲望の領域に戻って来る人)。③不還(欲望の領域に帰らない人)。④阿羅漢(彼岸に達した人。完全な道人)。

所で聖者の四つの段階には各々、それに向かって進んでいる状態(向<こう>)と、行き着いた状態(果)とあるから、合わせると八つの状態が想定される(四向四果・四双八輩)。

また修道に踏み入った聖者(預流)が一度だけ欲望の領域に戻って来る聖者(一来)と成る迄には欲望の領域に七度迄は戻って来ることが有り得ると考えられた(極七返生<ごくしっぽんしょう>)。

また「道の究極に達した人」「正覚者<しょうがくしゃ>」でもなお学びつつある人であると考えられた。

後世の教義学で究極の悟りに到達した人は、もはや学ぶべきものの残されていない人(無学<むがく>)であり、それ以前の人は学ぶべきもののある人(有学<うがく>)と解せられたのと正反対である。(iv,255-257 )

かくして、六師外道との対質及びカッサパ、バラモン教、ウパニシャッド哲学等との部分的共通性を通して示された所に従い、釈尊の悟りの基本的立場【B(非Q)】は最善観的輪廻転生論である(注9: 西洋思想における輪廻転生論としては古代ではプラトン(特に『国家』第10巻のエルの物語)が代表的であり、現代ではルドルフ・シュタイナー『輪廻転生とカルマ』(西川隆範訳、1988年,水声社、東京)、同『いかにして前世を認識するか』(西川隆範訳、1993年,イザラ書房、東京)等が参考になる)、と我々は推定する。なお、今明らかとなったB(非Q)に基づくB(E)の解明は続稿に譲る。

 [初出:北海道教育大学紀要(第一部A)vol.45-2,1995]
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