FC2ブログ

§872 終戦の詔書; 天皇免責の事由

世界史の中の日本13

§872 終戦の詔書; 天皇免責の事由 (1945.8.14-1946.5.3): VI-90

本詩は日本の原子爆弾被爆、その直後の敗戦、占領下の東京裁判と天皇免責を預言している。

VI-90詩(§872): 終戦の詔書; 天皇免責の事由 (1945.8.14-1946.5.3)
悪臭がする程の厭うべき恥辱、
その事の後に幸福があるだろう、
御大は赦免されよう、大海洋国が
平和へ赴かないようにと賛成したりはしなかったが故に。


Rescript to end the war; the Emperor justified (1945.8.14-1946.6.3): VI-90 (§872).
The stinking abominable shame,
After the fact it shall be felicity,
The great person justified because of his not having been favorable
To Neptune that shall not be incited to peace.


( L’honnissement puant abhominable
Apres le faict sera felicité,
Grand excusé pour n’estre favorable,
Qu’a paix Neptune ne sera incité.)

悪臭がする程の厭うべき恥辱」:これは、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す」という「終戦の詔書」(1945.8.14) の中の言葉を指していると思われる。「恥辱 はじ」という言葉は、日本文化の中で極めて重い負の道義価値であり、ノストラダムスがこの語を使ったのは、日本人の心性を彼が能く見ていたという証左であろう。そして、天皇がこの言葉を使った経緯を調べると、主に「帝国軍人が降伏受け容れに対し抱く抜き差しならぬ恥辱感」への君主のおもんぱかりが看取される。天皇は初めて終戦の聖断を下された昭和20年8月9日(長崎被爆の直後)の会議で次のように自らの真意を説明した:「大東亜戦争が始まってから、陸海軍のして来た事を見ていると、どうも予定した計画と結果が違うではないか。今も陸海軍は本土決戦で勝つ自信があると申しているが、私は心配だ。先日参謀総長から九十九里浜の防備の話を聞いたので、実は侍従武官を現地に出して調べさせた。その話は参謀総長の話と大変違う。防備は殆ど出来ていない。参謀総長は師団装備も完備したと言ったが、兵士に銃剣すら渡っていない。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか。私は非常に心配である。或いは日本民族がみんな死んでしまわなければならなくなるのではないかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝える事が出来るか。私の任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝える事である。今日になっては一人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、その人達に将来再び立ち上ってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法は無いと思う。それに、このまま戦争を続ける事は世界人類にとっても不幸な事である。勿論、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰は、忍び難いものがあるが、今は忍び難きを忍ばねばならぬ時であろう。私の事はどうなっても構わない。耐え難い事、忍びがたい事であるが、私は戦争をやめる決心をした。」(鳥巣建之助『太平洋戦争終戦の研究』株式会社文芸春秋, 1996, p.313-314)。

所で、デュフレンヌ (Dufresne, 1996, p.260-261) はこの語を「blame, disapproval 非難」と言い換え、「人類の滅亡をも引起しかねない原子爆弾の使用を認めた合衆国大統領トルーマンに対する世界各地からの非難」と説明しているが、「恥」と「非難」は混同し得ない別々の概念である。「恥」は自己が自身に認める道義違反の意識であるから、原爆使用に対する外的批判の問題ではなく、「原爆の威力を見せ付けられて止むなく同じた日本・日本軍の降伏に於ける自己譴責の感情」なのである。そこには、確かに「原爆被災の契機」があり、終戦の詔書もそれを明言している:「敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。」

「恥」の語に対してノストラダムスが「puant, stinking 悪臭がする程の」という形容を加えたのは、同じ語根の「puanteur, stink 異臭」という語を彼が、米国の最初の核爆発実験の「放射線」という意味で使用しているからである (§867, VIII-10)。この点から、この詩を「ニクソン米大統領のウォーターゲート事件」に関連付けたイオネスク解釈 (Ionescu, 1976,p.688-689; Takemoto, 1991, p.170-171)の不備を指摘できる。何故なら、イオネスクは「それ無くばノストラダムスの謎を解読するチャンスが殆ど得られないテキスト比較法」(id.,p.549)を推奨し、私自身も経験上その手法の圧倒的生産性を常に確認しているが、それを今回も適用すれば、puanteur とpuant という共通語根を持つ『預言集』で只2つしか見られない語は、必ず本質的関連がある、と予め断言できるほどなのだ。

所が彼は今その方法には見向きもしないで、ただ「ネプチューンという名前が合衆国の印になっている」という一点しか強調しない。なるほど、ウォーターゲート事件についての彼の説明は概略「蓋然性が無くは無い」のだが、しかし細部を検証するに、例えば2行目について、ニクソン大統領は「辞任してしまって喜ばれるだろう sera félicité d’avoir démissionné (apres le faict sera felicité)」という解釈は原文のニュアンスとは乖離している。そもそも「le faict, the fact その事」という句には「辞任」というような意味は皆無だし、仮にそう読めたとしても、米国大統領ともあろう人が、ウォーターゲート事件程度で辞任して、それで反ニクソン陣営も含めて米国民一般は「至福とも言えるような喜び」を覚えるだろうか? 実際、félicité, felicity は高度かつ上質の幸福そのものを意味し、辞書にも「至福、こよなき喜び(幸せ)」(Suzuki),「この上ない幸福、至福、神の恵み」(Obunsha) とあるし、『預言集』に2回しか出て来ないこの語のあと一回の用例は、「武断的なるナポレオン時代には消えてしまった善きルイ16世時代の幸福」(cf. Torné-Chavigny, 1861, p.91) といった意味で用いられている。従って、我々の解釈における「第二次大戦後の日本と日本人のケース」は世界の諸国民の中でも最もfelicity に近い所を達成したと言っても過言ではない。今では現職の米大統領さえも日本を羨むほどである:「社会主義には様々な面があります。例えば、一つは、大きな政府の下、非常に貧しい人々だけがいる状態です。これが社会主義の一側面です。「一握りの人だけが指導者であり、他の人々は非常に貧しく、何の政治力も持っていない」というのが、社会主義の一つのスタイルです。しかし社会主義の次のステージは、中流階級が大きな力を持っている状態です。これは、日本型の社会主義ですね。このタイプでは、中流階級が強い上に、上流階級も活発で、これも或る種の社会主義の形ですが、それほど不幸な形態ではないと思うのです。私は、「日本のシステムは悪くない」と思っています。日本のシステムでは、中流階級が多いのですが、それは非常に良い事です。アメリカでは、1パーセントの人々がアメリカの大部分の富を持っていますが、それは行き過ぎです。政府が、日本のスタイルの割合になるように、再調整しなければなりません。」(大川隆法『バラク・オバマのスピリチュアル・メッセージ』幸福の科学出版, 2012, p.93-95)。

その事の後に幸福があるだろう」:これは、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍」んで「連合国の提示した降伏を飲むという非常の事態」の後、「以て万世の為に太平を開かむと欲す」という後段の決意と希望がその後天皇と日本国民の一体的粉骨砕身の努力、及び連合諸国の援助・助言等によって実現して行った事実を表すだろう。

御大は赦免されよう、大海洋国が平和へ赴かないようにと賛成したりはしなかったが故に」:海神ネプチューンはこの場合、「大海洋国家アメリカ合衆国」を表す (cf. §877, II-78: 大ネプチューン)。そして、「御大」は「国家元首、もしくはそれに準じる高位高官」というノストラダムスの用法に従い、前節の II-92 詩では「SCAP マッカーサー元帥」を意味したが、本詩では「赦免される justified」という規定から見て、前節 II-92詩で「免れたる天孫・誇り高き人」と詠われた「天皇裕仁」を指すと思われる。そしてその理由として、彼は「大海洋国が平和へ赴かないようにと賛成したりはしなかった」という事が挙げられている。これは二重否定を外すと、「天皇はアメリカ合衆国が平和へ誘われることに賛成していた」(天皇はアメリカ合衆国を戦争へ導きはしなかった)という非常に分りやすい文になる。そもそも開戦時に於いても、「曩に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固より朕が志にあらず。」という事であった。

「開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下における立憲君主として己むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何ら異る所はない。終戦の際は、然しながら、之とは事情を異にし、廟議がまとまらず、鈴木総理は議論分裂のまま、その裁断を私に求めたのである。そこで私は、国家、民族の為に私が是なりと信んずる所に依て、事を裁いたのである。今から回顧すると、最初の私の考は正しかった。陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時に於てすら無条件降伏に対し「クーデター」様のものが起った位だから、若し開戦の閣議決定に対し私が「ベトー」[veto 拒否権発動] を行ったとしたらば、一体どうなったであらうか。... 国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであらうと思ふ。」(寺崎 英成『昭和天皇独白録』文藝春秋, 1995, p.159-161)

「戦争をやめた時のことは、開戦の時と事情が異なっている。あの時には終戦か、戦争継続か、両論に分れて対立し、議論が果しもないので、鈴木 [首相] が最高戦争指導会議で、どちらに決すべきかと私に聞いた。ここに私は、誰の責任にも触れず、権限をも侵さないで、自由に私の意見を述べ得る機会を、初めて与えられたのだ。だから、私は予て考えていた所信を述べて、戦争をやめさせたのである。ポツダム宣言の諾否について、両論対立して、いくら論議しても終に一本にまとまる見込はない。しかも熾烈な爆撃、あまつさえ原子爆弾も受けて、惨禍は急激に増える。この場合に私が裁決しなければ、事の結末はつかない。それで私は、この上戦争を継続することの無理と、無理な戦争を強行することは皇国の減亡を招くとの見地から、胸のはりさける想いをしつつも裁断を下した。これで戦争は終った。しかし、このことは、私と肝胆相照した鈴木であったからこそ、このことが出来たのだと思っている。」(藤田尚徳『侍従長の回想』中央公論社,1987,p.207-208)

自分の身はいかになろうとも国民の生命を守りたい。」という昭和天皇の言葉は、連合国軍総司令官マッカーサー元帥との最初の会見(1945.9.27)において実証された。「天皇は一言も話されないが、マ元帥はのちに書いた『回想記』に、その時の事に触れた。「私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴え始めるのではないか、という不安を感じた... しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは次のような言葉だった。『私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なった全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした。』私は大きい感動に揺さぶられた。死を伴う程の責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまで揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。」」(岸田英夫『天皇と侍従長』p.153-154)

歴史諸家が云うように、天皇免責は、日本降伏以前に既に連合国、特に米政府内で既定方針として定まっていた(cf. 鳥巣建之助『太平洋戦争終戦の研究』p.316-320) にしても、その天皇の上に立って現実に日本の占領政策を取り仕切ったマッカーサー元帥が、初会見における天皇裕仁の「贖罪的献身の自発的申し出」に対して深甚の感激を抱かなかったら、その運命は別のものになっていた可能性は皆無ではない。
________________________________________________ 
© Koji Nihei Daijyo, 2012. All rights reserved.
関連記事
スポンサーサイト



トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)