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§870 広島に原爆、敗戦、東京裁判

世界史の中の日本11

§870
広島に原爆、敗戦、東京裁判 (1945.8.6-1948.12.23): II-70.

本詩は日本の原子爆弾被爆、その直後の敗戦、及びそれに伴う連合国による戦犯追放・処刑を預言している。


II-70 (§870): 広島に原爆、敗戦、東京裁判
(1945.8.6-1948.12.23)

天からの投槍がその拡がりを作るだろう、

会話中の死屍累々:大規模な死刑執行。
その石はその木に変じ、猛き人々は降参、
野蛮な怪物的人間の追放と贖罪。

Atomic bombardment on Japan; Purge & expiation of the accused (1945.8.6-1948.12.23): II-70 (§870).

The dart from the sky shall make its extent,
Deaths in speaking: a grand execution.
The stone to the tree, the fierce people surrendered,
Purge & expiation of the brutal, human monster
.

( Le dard du ciel fera son extendue
Mors en parlant: grande execution.
La pierre en l’arbre, la fiere gent rendue,
Brut, humain monstre, purge expiation.)

天からの投槍」:「投槍」は通常、地上の戦士が手で投擲するから、放物線を描いたとしても基本的には水平運動に収まり、「端的な天からの方向性」は無い。従ってこれは「上空から射出された特殊な投槍」であって、あたかも「米軍機上から広島の町へ投下された細長い形をした原子爆弾リトル・ボーイ」を思わせる :「映画監督蔵原惟繕氏の目撃談:51年前の8月6日私は賀茂郡の郷原という海軍の陸戦の演習場に居ました。木陰で一息入れていた時に、広島の上空に今日のように真青に晴れた日でしたけれども、B29が一機旋回していました。私は気象観測の飛行機だと思ってしばらく見ていたんですけれども、落下傘が降りて来まして、その落下傘をずーっと追っていたら、広島の丁度山の陰に隠れた時に稲妻の数百倍の、紫色だったという記憶があるんですけれども、閃光の中でしばらく目が見えなくなりました。それからどの位経ちましたか、目が見え始めた時にはあの原子雲が湧き起って広島の空を覆って行くのを茫然と眺めておりました。」(日本放送協会『ドラマ ヒロシマHiroshima原爆投下までの4か月 第一部』総合テレビ, 1996年8月6日放送 )。

この目撃談では、「落下傘」に最初に気付いているが、そもそも原子爆弾は高空から直下の攻撃目標に出来るだけ逸れないで命中するようにテイルフィン (tail fin) を持っていたから、それには落下傘は付いていなかった。落下傘が付いていたら気まぐれな気流に乗って恐ろしい爆弾がどこへ漂流して行くか保証の限りではない(故に、パラシュートによる広島原子爆弾投下を説くGround Zero Fund, Inc.著、高橋正訳『核戦争』サイマル出版会, 1982, p.112 [原著Nuclear War, Pocket Books, New York, 1982, p.92]の記述は誤り)。この落下傘はエノラ・ゲイ号に随伴飛行していた「爆発効果観測任務機グレート・アーティスト号」(cf. Kelly, 2007, p.329) から投下された観測機器を担った落下傘であったに違いない:「広島の人の中には、エノラ・ゲイ号から落ちて来るリトル・ボーイを自分は見たと信じている者もいるし、他の者達は、グレート・アーティスト号からパラシュートで落とされた観測機器を眼にしていた。」(Ham, 2013, p.357 )。

実際、原子爆弾リトル・ボーイは、31,600 フィート(約9,630m)上空の機体から8月6日午前81517秒に放たれて、その43秒後に爆発した(Kelly, 2007, p.329)。即ち、実際の爆発時刻は816分であったが、いま、自由落下の計算式からこの43秒間の落下距離を算出すると、およそ9,060mとなり、従って爆心は地上高度約570mとなる。但し、実際の自由落下は空気抵抗により若干減速を受けるから、この高度はもう少し増す。なお、事前の計画上の爆発高度は、近接信管 (proximity fuze) により、およそ564mに設定されていた(Rotter, 2008, p.192)。他方、最近の日米合同調査で明らかにされた最新の信頼できる値としての爆心は地上600mである(Radiation Effects Research Foundation [放射線影響研究所], as of Jan. 2020, DS02)。従って、空気抵抗は爆発高度を600-570 = 30m だけ増加したと見られる。因みにこの場合の空気抵抗係数は、0.0058kg/m程度である(CASIO COMPUTER CO., LTD., “keisan”, 空気抵抵抗を有する自由落下(時間から計算)[https://www.keisan.casio.jp/exec/system/1164007737] による計算結果)。

故に、この43秒間のリトル・ボーイの落下の様子を現実に伝える目撃記録は無いに等しいとしても**、その間、直径71cm、長さ305cm、重さ4.4tのウラニウム原子爆弾「リトル・ボーイ」は丸で「投槍のように突き刺さるように落下して行った」様子が、預言者の驚異の詩作と共鳴し合って、ありありと想像出来る***。なお、その3日後長崎に投下されたプルトニウム原爆「ファットマン」は直径152cm、長さ325cmc、重さ4.65tと、その名の通りの姿で、「投槍」には似ていなかった(cf. Kelly, 2007, p.406)。実際、「ファットマン」は中心に置かれた球形のプルトニウム塊を周囲から爆縮により高密度にして超臨界にさせる構造上、球形に近い形になったのに対して、「リトル・ボーイ」は二つのウラニウム塊を細長の砲身の両端に置いて、一方を他方に嵌め込むことで超臨界にする構造上、細長い形となった。従って本詩は完全に、広島を襲ったウラニウム原子爆弾「リトル・ボーイ」を扱ったものである。

**
「寺前妙子さん(爆心地から東南540mの広島中央電話局内部で動員学徒として勤務中に被爆)の目撃証言:私は女学校3年生の時、ちょうど15歳になった時、原爆に遭いました。雲一つない真っ青な空に、何か、キラッと光るものを、眼にしました。一体何だろうかと思って見上げていると、グングン光が大きくなると同時に、その物も大きくなって、そして友達に、あれは??と問いかけた時に、ピカーッと、本当に写真を撮るあのフラッシュのような、それ以上の大きな、キラッと光るものが目の前で炸裂致しました。辺りはガラガラガラガラ、建物の崩れる音がし出して、それと同時に、お母さん痛いよ、助けて、お母さん、という声があちこちから致しました。私は何かの下敷きになったようで、なかなか思うように動けなくなりました。でも一体どうしたんだろうか、夢でも見ているんではなかろうかと、一生懸命体を動かしながら、自分の体を抓ったり、叩いてみると、痛い!! ああこれは夢ではない、だったら電話局に爆弾が落ちたんだと思いました。、、、」(広島被爆者証言ビデオ: https://www.youtube.com/watch?v=r_s00tyDIgY&t=84s as of Jan. 2020)。「キラッと光る物」という目撃者の知覚は、「原爆リトルボーイ先端部の丸味を持つ鉄製金属部分が凸面鏡のように朝の強い太陽光線を反射したもの」と思われる。鉄自体は黒色でも、太陽光を反射した場合は、その眩しい光が目に入って来るのは我々の日常経験からも首肯できる。また、午前8時過ぎの広島市の太陽高度は東方34度、目撃地点は爆心地から東南540mであれば、原爆炸裂前10秒前後、即ち原爆投下後約33秒(高度約4300m)から、炸裂時点(高度600m)まで、太陽光の反射が見えることに矛盾はない。

***
次のような記事が時事通信社時事ドットコムのarchive.today に掲載された。【ニューヨーク時事】広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士だった故ロバート・ルイス氏が出撃前に描いた「爆撃計画図」が29日、ニューヨークで競売商ボナムズのオークションに付され、3万7500ドル(約450万円)で落札された。落札者は非公開。計画図は縦41センチ横56センチの方眼紙に、鉛筆と色ペンで手書きされている。約9100メートルの高度から目標の約3.2キロ手前で原爆を投下し、旋回離脱する手順を記載。爆発による衝撃波の範囲も記されている。ボナムズによると、ルイス氏は爆撃3日前の1945年8月3日に北マリアナ諸島テニアン島で最終作戦会議に出た後、図を描いたとみられる。息子のスティーブンさんが、ルイス氏から譲り受けて保管。同氏の手記が近く出版されるのを機に競売に出した。(2015/04/30-10:21[https://archive.is/20150619144756/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015043000224] 。これに依れば、爆弾は実際の機体高度9630mから離脱し、爆発までの43秒間の間に3.2km程度水平移動したから、この実際の落下は垂直に近い緩徐な放物線である。現実の投げ槍も水平移動が主とはいえ、自由落下を合成して、矢張り放物線を描くことになる。(Thomas, G. & Morgan-Witts, M., Enola Gay – Mission To Hiroshima, White Owl Press Limited, Loughborough, 1995.)

その拡がりを作る」:これは原爆が炸裂して火の玉となり、それが急速に膨張拡大して行き、最後地上で衝撃波が拡がって行き破壊の限りを尽くす同心円球的プロセスを最少の言葉で描写している :「炸裂前の100万分の1秒までに原爆内部の温度は250万度に上昇しています。100万分の1秒後原爆が炸裂、火球が出現します。周辺では放射線が空気とぶつかり青白く発光します。100万分の15秒後温度は40万度、太陽表面温度の70倍近い高温です。直径は20mになります。0.2秒後火球は直径310mに膨張します。最も大きく明るく見える瞬間です。この時から地上での熱線の影響が出始めます。火球の恐ろしさは、熱線と衝撃波です。」(日本放送協会『NHKスペシャル 原爆投下・10秒の衝撃』総合テレビ, 199886日放送)

会話中の死屍累々」:これは戦時中とは言え、それなりに継続していた広島市民の日常的生活風景(会話中)が、全く突然、死と化した、原爆被災の急激性と猛烈性を意味する:「広島で被爆した斎藤敏祐氏の話:表の方に出て、電車が3両くらい、瓦礫のようになった電車が止まっているから、見に行ったら、座った人は座ったままバーベキューにされているし、立った人は吊皮を持ったまま死んでいる、ズラーッと、丸で生きている人間が立っているんだと思ったらそれは全部死んでいました。」(日本放送協会『ドラマ ヒロシマHiroshima原爆投下までの4か月 第四部』総合テレビ, 1996年8月8日放送 )。

大規模な死刑執行」:これは、太平洋日米戦争において、一方の当事国たる日本の10余万人規模の広島市民が、一瞬時に、他方の当事国たる米国の敵性攻撃による原爆で殺害された事態の深刻な表現である。

その石はその木に変じ」:これは「原爆ドーム [広島平和記念館] として広島原爆被災の象徴的遺構」となった「爆心地直近の広島県産業奨励館のドームの屋根が破砕されて鉄骨が剥き出しになって樹木の枝のように絡まっている様子」であろう。即ち、いずれも定冠詞が付いた「その石 (la pierre, the stone)」とは「鉄骨煉瓦・石作り(一部コンクリート)の3階建ビルディングとしての広島県産業奨励館の被爆前の姿」であり、「その木 ( l’arbre, the tree)」とは「ドームの銅板屋根が破砕(強い熱線で熔融)されて鉄骨が剥き出しになって樹木の枝のように絡まっている様子が印象的な被爆後の姿」****であって、A en B (A to B) という用法において「AからBへの変化・変形・推移を意味する前置詞en (to) が、ここでは「その石からその木への変化・変形・推移」を表しているのである。そして又、この句は同時に、これを象徴として、上記の人的な大被災(大規模な死刑執行)とは別に、建物・施設等の「広島の繁華な街並み全体が瞬時に灰燼に帰したという物的な大被害」をも表している。

****「火球が発した熱線と衝撃波が建物をどう破壊したのか、科学者達は原爆ドームを詳しく調べることにしました。科学者達が先ず着目したのは屋根の材質でした。調査の中心はアメリカのセオドア・クラウトハマー博士(ペンシルヴァニア大学教授)、核爆発による構造物の破壊現象を研究しています。そして東京工業大学の和田章教授、耐震建築の専門家です。住民達の復元調査から、建物の円屋根は緑青を噴いた銅板で覆われていたことが分かりました。 « ここには強い熱線が瞬時にやって来ます。温度はおよそ摂氏1,900度から2,200度以上にもなり、当然ながらこのような高温のもとでは銅は固体の状態を保つことが出来ず熔け出してしまいます »(クラウトハマー教授)。 瓦礫の中からは薄い石の板、スレートの破片が幾つも見つかりました。スレートは円屋根以外の屋根の部分を覆っていました。銅とスレート、二つの材質の違いが今のドームの姿を決めたのだと科学者達は仮説を立てました。世界最大級のレーザー装置(近畿高エネルギー加工技術研究所)を使って検証します。原爆と同じ熱量を瞬時に与えることが出来ます。実験を監修するのは大阪大学の松縄朗教授、レーザーを使った熔接の研究をしています。当時使われていたものと同じ天然のスレートです。原爆の熱線を再現して影響を見ます。レーザーの出力を徐々に上げてゆきます。1cm2当り83カロリー、ドームを襲った熱線の熱量です。炎のように見えるのはスレートが蒸発したものです。スレートの表面は泡立ったようになりました。しかし影響は表面だけでスレートそのものは形を留めました。次に銅板です。当時の屋根とほぼ同じ0.3mmの厚さです。表面に緑青の有るものを用います。銅板は一瞬にして熔け、穴が開きました。銅が熔けるまでに要した時間は0.04秒。温度は摂氏1,100度以上に達しています。これと同じ現象がドームで起きていたと考えられます。原爆の爆発から0.2秒後、熱線が円屋根の銅を熔かします。スレート屋根の部分は熱に耐え、この時まだ残っています。続いて建物を衝撃波が襲いました。爆発から0.8秒後のことです。銅よりも強い鉄の骨組みは残ります。残った鉄の骨組みを衝撃波がすり抜け、真下の階段を直撃します。一方、熱線に耐えたスレート屋根は衝撃波をまともに受けてしまいました。建物の大部分はこうしてほぼ垂直に崩れたのです。銅の屋根が熔け建物が崩れ落ちるまで爆発からわずか一秒間の出来事でした。」(NHK, NHKスペシャル 原爆投下・10秒の衝撃 [原爆炸裂の瞬間を秒刻みで再現]NHK総合TV, 199886日放送)。

Rendue: = [La fiere gent] se sera rendue (rendre for se rendre, to surrender), Nostradamus often omitting the personal pronoun of a pronominal verb: porter for se porter (VIII-45, IX-18), joindre for se joindre (IV-90), prosterner for se prosterner (VIII-45, IX-18), estaindre for s’estaindre (IV-82), etc.

猛き人々は降参」:「猛き人々」という云い方は「戦士・兵士・軍人・軍隊」を主として指すノストラダムス用語になっている (cf. II-79: 16世紀フランス・スペイン戦争における仏軍; IX-69: フランス革命時の革命軍) から、この場合は「無条件降伏した日本軍」と解するのが最適だろう。

Brut: « brut adj. Brute, natural, rough, raw, unrefined.» (Dubois).

野蛮な怪物的人間の粛清と贖罪」:これは戦勝者・連合国が設定した「極東軍事裁判所」による敗戦者・日本の戦犯と称された人々の追放と処刑を意味する。「野蛮な怪物的人間」という表現は、ノストラダムスがあたかも「ポツダム宣言」から直接引用して来たような印象を受ける:「無分別なる打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れたる我儘なる軍国主義的助言者」(ポツダム宣言第4項)。「日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者」(ポツダム宣言第6項)。

戦犯 戦争犯罪人 war criminal の略。第2次世界大戦後、連合国の軍事裁判で戦争犯罪について訴追、処罰された者。[A級戦犯]1943年10月、米英ソ3国首脳は<モスクワ宣言>を発し、従来の戦時国際法が示す<通例の戦争犯罪>に加え、犯罪に特定の地理的制限を持たない<主要犯罪人>については連合国間の共同決定によって処罰する事を規定した。1945年8月のロンドン協定に付属した国際軍事裁判所条例は、<通例の戦争犯罪>B)に加え、侵略戦争の計画、開始、遂行等を犯罪とする<平和に対する罪>A)、戦前又は戦時中に為された殺害、虐待などの非人道的行為を犯罪とする<人道に対する罪>C)を新たに国際法上の犯罪と規定した。この条例によりニュルンベルク裁判が開かれてドイツの戦争指導者が訴追されると共に、同条例に準拠してマッカーサーが極東国際軍事裁判所条例を公布して、日本の戦争指導者を裁く<東京裁判>が開廷される。(粟屋憲太郎)」(EH, VIII, p.818)。「 [BC級戦犯] ニュルンベルクと東京に設置された国際軍事裁判所で裁かれたいわゆるA級戦犯に対し、先述のB, Cの事由により各国別の軍事裁判所で裁かれた人々がいわゆるB, C級戦犯である。日本に関するB, C級戦犯に対する裁判は、アメリカ、オーストラリア、オランダ、イギリス、中華民国、フィリピン、フランスの7ヵ国毎に行われた。B, C級戦犯5163名の内、927名が死刑を宣告された。(作田啓一)」(EH, VIII, p.818)

東京裁判 正式の名称は極東国際軍事裁判 International Military Tribunal for the Far East。日本の戦前・戦中の指導者28名の被告を<主要戦争犯罪人>A級戦犯として、彼等の戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。日本敗戦後、連合国最高司令官 (SCAP) のマッカーサーは、アメリカ本国の司令を受けて、対日占領政策の第一弾として、日本の戦犯容疑者の逮捕を行い、1945年9月11日の東條英機らの逮捕令を皮切りに、12月6日まで100名を超える日本の戦争指導者を逮捕・拘禁した。アメリカは日本の敗戦直後から、既に準備が為されていたニュルンベルク裁判の経験から、日本の裁判もドイツの場合に準拠する事が望ましいが、裁判所の設置と施行規則、戦争犯罪概念の規定は、連合国間の協定によるよりは、SCAP のマッカーサーが決定すべきだとの方針を固めていた。これに対し連合国、特にオーストラリア、ソ連は強く反発したが、アメリカは戦犯容疑者の逮捕など既成事実を積み重ね、結局、日本占領におけるアメリカの圧倒的優位性からもその意図は基本的に貫徹された。1945年12月6日に来日したキーナン Joseph Berry Keenan 首席検事をキャップとするGHQ の国際検察局 (IPS) のメンバーによって準備され、IPS が起草した極東国際軍事裁判所憲章 (条例)が1946年1月19日、マッカーサーによって布告されて、東京裁判の基本的枠組みが設定された。裁判はアメリカの占領政策の一環という色彩を強めた。取り分け唯一人のアメリカ人の首席検察官の指令に基づく統一的検察団の設置は、アメリカがオーストラリアの反対を押し切って、天皇の不訴追を決定する際に強力な武器となった。(粟屋憲太郎)」(EH, X, p.553)。「25人の被告(28被告の内3人が病死などで欠けた)に対する判決が読み上げられたのは、昭和23年11月12日。ウェッブ裁判長の言い渡した判決は、25人全員が有罪。そのうち絞首刑を宣告された7人は、文官で元首相の広田弘毅を除いて全員が陸軍軍人という意外な内容だった。」(『日録20世紀 1946 昭和21年』講談社、東京、1997, p.3)「東條らに絞首刑(11月12日)極東軍事裁判の東京法廷は、A級戦犯25人のうち東條英機ら7人に絞首刑、18人に、終身・禁固刑の判決を下し、12月23日に執行した。」(『日録20世紀 1948 昭和23年』講談社、東京、1997, p.34)。

占領期日本の公職追放 第2次大戦後、占領政策の一環として連合国が日本で行なった。ポツダム宣言第6項<日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず>が追放政策の根拠とされた。1948年5月現在で約20万名が追放処分を受けている。(高橋彦博)」(EH, V, p.439)

検証:本詩については、ユタン (Hutin, 1972, p.153) がこれを「レーザー光を用いた恐怖の航空兵器」と推測した後、 ハレー(Halley, 1999, p.176)が正解の基礎を示した:「1945年8月6日。広島。アメリカ兵等の投下した原子爆弾が129,558人の人々を殺害し、広島の建物の68%を全壊した。その上に24%の建物が損傷した。」但しその後の説明は首肯できない:「木の中の石とは、町を呑込んだきのこ雲の形を描写するものであって、何か大地に生来的に縛られた或る物(爆弾)が期せずして空の上から降って来るというパラドクシカルなイメージを、少なくともノストラダムスの同時代人達に説明する効果的な方法である。」この説明だと、「きのこ雲が最初に出来て、その中から破壊力のある爆弾(石)が落ちて来る」という過程が前提される事になると思われるが、それは事実とは逆のプロセスになってしまうし、彼も既に冒頭の句を「the heavenly dart 天の投槍」と訳し、それをこそ「原子爆弾」と見ているのである以上、その上さらに原爆を「石」と表現する必要性は全くない筈なのだ。又、ノストラダムスは常に自分の同時代人を読者に想定していた訳でもない。むしろ逆に「後世の人々が出来事の起った後に預言詩を理解するようになるだろう」 (№1, p.44)) と言っている。ハレーは「建物の損壊」について語った以上、「the tree」を「原爆ドーム」のイメージに重ねるチャンスは多分にあったのだが。

他方、イオネスク(及び竹本)はこの詩を「ナポレオンのワーテルロー敗北」に関連付けている。しかし彼等は各行毎にテキストの粗雑な読みに頼っており、その誤った基礎と土台の上に、膨大な論証の試みを展開する (Ionescu, 1976, p.336-342) (Takemoto, 2011, p.475-499) が、基礎と土台が歪み、齟齬を来たしている以上、その上部の論はどんなに精細に見えても空中楼閣と異なる所が無い。

先ず第一に、イオネスクは「天の投槍」という初句を「雷 foudre, thunder」と解すが、これは「表現の論理」から見て常軌を逸した理解方法である。何故なら、実際に「雷」を意味させる場合、比喩的に「天の投槍」という句を使うのは文学的に自然であるが、しかしノストラダムスの『預言集』では「雷」という語が用いられても、それはそれ自体が「比喩として他の何かを意味する」用例となっているから、それに対してもう一つ別の「天の投槍」という句を持ってくれば、それは結局「二重比喩に陥る」事になるが、これは最も一般的な文学表現の世界では「市民権を持たない奇策」として排除されていると思われる。それが通用するのは、「単なる遊戯としての言語パズル」の世界のみであり、ノストラダムスの預言詩が晦渋化表現に満ちていると言っても、そのような「奇策」を許容している訳ではない。このような場合は端的に「雷 foudre」という語を用いるのがノストラダムスの流儀である。事実、この語は『預言集』で都合15回使用され、そのうち10回は「戦火、銃火、強軍、暗殺剣」を意味し、4回 (I-65, II-76, III-6, IV-54) はまさしく「ナポレオン・ボナパルトその人」を指し、残り1回 (II-51) は「火災」を表す。このようにノストラダムスの用例内でも意味が分れるのだから、本詩に「雷 foudre」の語を使っても十分に読者はその理解に知恵を絞らざるを得ないので、読者をそれなりに惑わせるというノストラダムスの意図は貫徹される。

むしろ、『預言集』に都合4回登場する「投槍 dard, dart」という語は、それ自体独自のノストラダムス用語と見るべきで、非常にプリミティヴに「武器」を意味する語であり、その中身は時代と状況に依る。本詩以外の3回は、「ナポレオン戦争時の武器」(I-20)、「第二次大戦時の武器」(II-59)、「1858年にナポレオン3世を襲った暗殺者の投擲弾」(VIII-43)となっている。従って、本詩の場合も「先ずそれは武器だ」と解するのが定石で、問題は「具体的にどのような武器か」という点に係るが、ここまで来れば、その解答は上に見られる如く比較的容易だ。何故なら「広島への原子爆弾」という稀有な武器をハレーに従って仮定すればたちどころに、詩の表現と現実との顕著な合致、即ち、「細長い形の原子爆弾リトル・ボーイ」に達してしまうからである。

第二に、イオネスクは「Mors en parlant, Deaths in speaking, 会話中の死」を「ナポレオンの近衛師団の古参擲弾兵師団長ピエール・カンブロンヌが連合国ウエリントン将軍の『擲弾兵よ、投降せよ! Grenadiers, rendez-vous !』という呼び掛けに対して、『近衛兵、死すとも、屈せず La garde meurt mais ne se rend pas !』」と答えて敵の砲撃に向かって散って行った、というワーテルロー戦の土壇場のフランス兵の死闘と解している。しかし、全く皮肉な事に、直後の3行目では「猛き人々は降参 la fiere gent rendue」と明確に「彼等(近衛兵を含む仏軍)は屈した」と預言者は結論づけているのだから、『近衛兵、死すとも、屈せず!』という言葉を「その言や良し」として賞讃するのは支離滅裂の解読に堕していると言わざるを得ない。しかも「Mors, deaths 死屍累々」は複数であるから、イオネスクの解に従うなら、カンブロンヌ以外の多数の兵も彼と同様の言葉を発しながら戦死したことになるが、その点を明確に証拠立てる記録は存在しない。

大体、カンブロンヌがこういう言葉を発したという事実についても異論がある。「フランス軍はパニックに陥った。19時45分の事であった。しかし、古参親衛隊だけは方陣を組んで踏み止まった。彼らは、至近距離から滅多撃ちにされた。イギリス軍は、この勇士達の最後の方陣に向かって投降を呼びかけた。その中には女性が一人だけ混じっていた。擲弾兵の妻で、兵士の母であった石頭のマリ Marie Tête-de-Boisである。第一猟兵連隊長のカンブロヌ将軍が、イギリス軍に向かって、『糞食らえ Merde』と叫んだ瞬間、敵に向かって引き金を引いたのは彼女であった。」(Bertaud, 1992, p.251; ベルト著、瓜生洋一他訳『ナポレオン年代記』日本評論社、東京, 2001, p.227) 「『近衛兵、死すとも、屈せず』というこの言葉は、カンブロンヌ自身は否認しており、この歴史的戦闘で戦死したミシェル将軍の息子達が彼等の父親の言葉だったと主張している。カンブロンヌは、兵士等の真ん中に倒れているのを発見されて捕虜になり、イギリスに連行された。」(Feller, cité Torné-Chavigny, 1861, p.245-246)

その上、そもそも「en parlant, in speaking 話をしながら」という言い回しは、切羽詰まった状況でカンブロンヌが言葉を発したと仮定した場合の表現(その場合むしろ彼は『叫んだ、絶叫した、答えを突き返した』のではないか)としては全く相応しくないし、「その言が良い悪い」という評価には関与しない言回しである。それに対して原爆被災直前時の広島市民の中には、「ごく普通のいろんな話をしている最中」の人達が大勢いたと想定するのは、上記「被爆電車内の乗客の全く日常的な姿態での死亡状態」に鑑み、全く自然である。

第三に、「La pierre en l’arbre, the stone to the tree」をイオネスクは「火打石の斧がボナパルト王朝という樹を打ち倒す」と解しているが、この句がこんな複雑な意味を蔵し得るだろうか。しかも、「en, to (or into)」という前置詞がこの場合「打ち倒す」といった意味機能を有し得るとは思われない。せいぜいそれは「石が樹に吸い込まれる」といったイメージだろう。この「pierre ピエール」がカンブロンヌのファーストネーム「ピエール」をも表す、というイオネスクの付帯的説明は、第一次的意味解釈が正しくない以上、何の効果も生じ得ない。もしそうなら彼等の主張とは正反対に、「ナポレオン麾下の兵士カンブロンヌがナポレオン王朝を打倒した」という逆説に陥るだろう。

最後に、「Brut, humain monstre, purge expiation」について、イオネスクは「Bruit humain monstre purge expiation」というテキストを採用し、それを「諸国民 (humain) の間でこんなにも毀誉褒貶の多かった (bruit) 奇跡的英雄 (monstrum) は自分の過誤を償うべく (purge expiation) セントヘレナへ送られるだろう」と解釈する。だが、「 POW 戦時捕虜 prisonnier de guerre, prisoner of war」として連合国によりセントヘレナに流されたナポレオン (cf. Bertaud, 1992, p.253; ベルト著、瓜生洋一他訳『ナポレオン年代記』p.230) は、そのまま朽ちるに任され、「最終的処遇は未決定」であったから、本詩が云う「purge 追放」と「expiation 償い」という二つの明確な概念は正確に言えば彼には妥当しない。有体に言えば彼は「未決囚」に過ぎないし、未決囚のまま死んだのである。他方、第二次大戦敗戦における日本の戦争指導者達の場合は、両概念が過不足なく妥当する。
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