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§869 Hiroshima に米国の原爆炸裂

世界史の中の日本10

§869  Hiroshima に米国の原爆炸裂 (1945.8.6): VIII-16


本詩はアメリカ合衆国が原子爆弾を初めてHiroshima(広島)の地に実戦使用した史実に対応する預言詩である。

VIII-16
(§869): Hiroshimaに米国の原爆炸裂 (1945.8.6)

ヒエロンが造船させている場所で、
甚だしく大きなそして突然の洪水があるだろう。
人々が手を取り掛けられる個所も地面もないだろう、
波浪がオリンピアのフィエーゾレを登って行くだろう。

A nuclear weapon for the first time employed in Hiroshima (1945.8.6): VIII-16 (§869).
At the place where HIERON has his vessel fabricated,
Such a grand deluge shall be and so sudden,
That they shall have no place nor ground to attach themselves to,
The wave shall climb Olympic Fesulan
.

( Au lieu que HIERON feit sa nef fabriquer,
Si grand deluge sera & si subite,
Qu’on n’aura lieu ne terre satacquer
L’onde monter Fesulan Olympique.)

ヒエロン HIERON」:この語はギリシア語の普通形容詞 ヒエロン(中性) hieron (holy, saint) から来た「ヒエロン Hieron」という固有名詞を思わせるが、その意味は「聖所」であり、又個別の固有名詞として「聖岡、聖岬、聖山」としてギリシア世界に幾つか実在した (cf. Pillon)。従って本詩の場合も、「広くありふれた場所名でありながら、同時に何か特別な意味を持つ場所」であろうと思われる(結論の「広島」を見れば、広い島という普通名であって、且つ、被爆都市という世界史的刻銘を負う)。そして本詩の中で初めて合理的にこれを解釈したのはイオネスク (Ionescu, 1976, p.596-599) の功績である。彼は先ず、HIERON を「聖ヒエロニモス Saint Jérôme, Hieronymos (ラテン名Hieronymus のギリシア形) 」の語末脱落 (アポコープapocope) と看做したが、至当だろう。特にフランス語はギリシア、ラテンの長い人名をアポコープ的に短縮する傾向が強い (e.g. Aristoteles → Aristote, Ovidius → Ovide, etc.) から、Hieronymos Hieron とするのは肯ける。その上で、なおそれが全て大文字で HIERON と書かれている点に着目したイオネスクは、アナグラムが隠されていると見て、HIERONYMOS = HIROSHIME  HIROSHIMAと変換した (多分Hを2度使わない HIROSIME, HIROSIMA の方が適切かも。日本語ローマ字としては SHI SI もシと発音するから)。そして、当時広島には「三菱造船所」があったから、1行目後半の意味も整う(「させmakes」の原語 feit は、faitのヴァリアント[cf. Daele, faire (p.190)]IX-17詩にも同じfeitの用例がある)。「古来の伝統を尊重して画家達は死の省察へと誘うように髑髏を指さす姿の聖ヒエロニモスを描いてきた。原爆による死の象徴として在り続けるこの町を指し示すのにこの聖人を選んだのは同時に、『死を銘せよ memento mori』という未来人類への警鐘であり、正にピッタリだ。」(Ionescu, id., p.597) 

なお、X-63詩に「キドニア、ラグーサ、聖ヒエロンの町 la cité au saint Hieron (the city belonging to the saint Hieron)」という表現が出ており、この聖ヒエロンを聖ヒエロニモスと解する事が出来る。何故なら彼の出身地はダルマチアのストリドンStridonで、ラグーサに近い。この詩は第一次大戦の発生地バルカンに関係するから、ストリドンもそこに含まれる。従って、イオネスクがヒエロンをヒエロニモスと解したのはこの方面からも妥当性を持つ。Hieron の用例は『預言集』では以上2例に限られる。

Satacquer : [前置詞 à の省略] = « S’attaquer à, To tackle (~をつかむ), to grapple with (~を握る、捕える).» (Dubois; Obunsha).

甚だしく大きなそして突然の洪水。人々が手を取り掛けられる個所も地面もない」:「洪水」についてのイオネスク解釈は、それが原子爆弾炸裂の結果という一般的イメージで説明しているだけで、具体性に乏しい。これは前節で詳しく見た我々の観点からは、「衝撃波・爆風」を指している事が確実に言える:「爆風: 空中、地表爆発による物的被害の大部分は爆風に起因する。マッハ軸の通過に伴い地上の物件は地面と平行の爆風を受ける。その後火の玉の急速な上昇に伴って強い上昇気流が生じるため爆風と逆方向に吹戻しと呼ばれる地上風を受ける。吹戻しは爆心地点では100 m/ にもなるため被害を更に大きくする。」( 剱持幹人「核兵器」EH, III, p.165-166 ) 実際、秒速100m の暴風なら「人々が手を取り掛けられる個所も地面もない」のは当然だろう; 「標高70m程度の江波山気象台の被害状況:熱線は3秒で衰え、衝撃波が残ります。衝撃波は猛烈なスピードで [甚だしく大きなそして突然の] 町全体を呑込んで行きます。広島原爆の衝撃波を東北大学衝撃波研究センターがシミュレーションしました。50m毎に区切った当時の地形データを入力します。更に爆発の出力15kt、炸裂点の高度567m等を入力し、核実験のデータも参考にしました。計算はスーパーコンピュータで行なわれました。衝撃波は爆発から3秒で1.5km、7.2秒で3キロ、10.1秒で4キロまで到達することが分りました。広島地方気象台は爆心地から3.7キロの距離です。江波山、ここに当時の気象台の建物が今も残っています。北勲さんはこの窓から原爆の閃光を見ました。机の陰に伏せてから衝撃を感じるまでしばらく時間があったことを記憶しています。この地点に衝撃波が来たのは爆発から9.1秒後のことでした。衝撃波は気象台の窓を破り壁一面にガラスが突き刺さりました。広島上空の火球は爆発から10秒後には光を失い徐々に形を変えてゆきます。熱せられた地表の上に上昇気流が発生し巨大なきのこ雲が形作られました。3分後の映像です(米軍機エノラ・ゲイから撮影したきのこ雲の映像)。人々が立ち昇るきのこ雲を見た時、広島の町は壊滅していました。部屋の中が爆風でガラスを巻き上げて舞上がっていた... 頑丈なビルの中に居た人達でさえ衝撃波が作り出した渦 [洪水] で命を奪われました。」(日本放送協会『NHKスペシャル 原爆投下・10秒の衝撃』NHK総合テレビ, 199886日放送); 「映画監督蔵原惟繕氏の目撃談:(郷原で原爆雲を見た後) 復員列車に乗って広島に着いた時、地球のハラワタを掘り返したような、赤茶けた、なんにもない、無言の世界が、石炭列車の上から拡がったショックは、未だに鮮明に私の記憶の中から蘇ります。広島の山の、山あいの枯れ木だけがですね、非常に印象に残っています。ほとんどガレキと化した街が音も無く眼前に拡がっている風景を私はただ茫然と眺めていた記憶があります。」(日本放送協会『ドラマ ヒロシマHiroshima原爆投下までの4か月 第一部』総合テレビ, 1996年8月6日放送 )。

実際、ノストラダムスの『預言集』の中で、deluge(洪水)という用語は都合10回出てくるが、そのすべてが本義ではなくて、比喩的に「大洪水に依る如き戦災、革命、内戦、大量出版、本詩の場合の大爆風」等の意味で用いられている; 「人的被害では屋内と屋外とで差がある。屋外ではまともに衝撃波を受ける。人体が吹き飛ばされる[人々が手を取り掛けられる個所も地面もない] 以外にも、粉砕され弾丸のように飛ぶガラス片が突き刺さり、致命傷となった。屋外であっても、建造物の陰では被害は減じられた。屋内では、木造と鉄筋コンクリートで大きい差となった。木造家屋は衝撃波で倒壊した。その下敷きになって、逃げ出せない人たちは、間もなく火災で焼かれてしまった。北北西1.5キロメートルの逓信病院の職員によれば、閃光を感じ、外を指差したとたんに、1メートル離れた暗室へ吹き飛ばされた。ほぼ全員がガラスの破片で負傷した。室内の南側の者たちは火傷を負った。」(高田純『核爆発災害 そのとき何が起こるのか』中央公論新社、東京、2007, p.32-33)。

波浪がオリンピアのフィエーゾレを登って行く」:」:「Fesulan Olympique オリンピアのフィエーゾレ」についてのイオネスク解釈は、文法を無視してFesulanという名詞形を形容詞的現在分詞と誤認してOndeという名詞に懸け、その上その分詞に余りに恣意的な語形操作を施して多面的な意味を込め、更にOlympiqueという形容詞を今度はオリンポス山という名詞と同一と捉えるという無理筋を通して、結局核心点が摑めていない (Ionescu, id.; 1987, p.377-380)Fesulan はイオネスクが退けた「従来の多くの論者の説たるフィエーゾレ Fiésole (ラテン名 Faesulae) というイアタリアのフィレンツェ近郊の町」であり、VII-8詩にも同じFesulan という形でフィレンツェ及びトスカナ地方の代表として登場する。他方、Olympique は従来誰も思い至らなかったが、「オリンポス山」ではなくて、「ギリシアのオリンピック発祥の地として有名なオリンピアという町に関する」という意味である。実際、「オリンポス山 Olympe」の形容詞形は olympien であるのに対して、「オリンピアの町 Olympie」の形容詞形はolympique である。そこで、「Fesulan Olympique オリンピアのフィエーゾレ」とは、フィエーゾレでもなくオリンピアでもない第三の町を指すだろう。それが「広島」なのだ。

事実、「広島」「フィエーゾレ」「オリンピア」3者に共通するのは「川が流れていて周囲の山々が比較的低層な地形に立地する町」という点である。これは「ヒエロン」が、ギリシア世界で「聖所」という名の山や岬や岡を指したのと類比的に、三都市には「何か共通のものがある」というヒントとなっているのである。

オリンピアはアルフェイオス川のほとりにあり、ちょっとした高台に建つに過ぎず、その川の氾濫の為に埋没し、長い間忘れられていた :「オリュンピア Olympia: ... 競技はヘレニズム、ローマ時代にも続いたが、次第に宗教と民族の純粋性を失って衰微し、394年のテオドシウス帝の禁止令によって終りを告げた。以来、オリュンピアは度重なる地震や洪水、山崩れなどの為に破壊され、数mの土砂の下に埋まって、人々の記憶から全く消え去った。オリュンピアの最初の大規模な発掘は1875-81年、E. クルティウスの指揮するドイツ考古学者達によって行われ、ゼウス神殿とその装飾彫刻、ヘラ神殿、評議会場... 体育練習場... 柱廊、走路約192mのスタディオン...などが出土した。(松島道也)」(EH, II, p.1180)

フィエーゾレはアルノ川の要の町フィレンツェからは東北に距離7-8キロの、フィレンツェ比高数百メートルの丘に建てられて、周囲の山々は標高1000m以下である。この町は古代からエトルリアの代表的な町の一つで、ゴート人に占拠され、その後シャルルマーニュ支配下に入って、ローマ人の町フィレンツェの方が一時フィエーゾレの付属街のように扱われた後、今度はフィレンツェが重要視されて発展し、フィエーゾレの富裕層もそこに移住した為、フィエーゾレは廃れ、山賊の巣窟と化してしまった。その結果安全を確保するべくフィレンツェによってフィエーゾレは誇らしかった城塞を徹底的に破壊され一時廃墟となり、その後キリスト教会を中心にキリスト教文明都市が再建される事になって行く(cf. Rosso, 1846, p.xxiii-xxv)

そして広島の町も太田川を擁し、直接の周囲の山々はやはり1000mに届かない。そこでもう少し詳しく検討すると、「広島の町の中心部は太田川の広大な三角州(デルタ)の上に発達した町としては川のほとりに開けたオリンピアの町に類似し、その周囲の低層山地はフィエーゾレに似ている。」結局、「オリンピア」が提示されたのは、それが「洪水等で埋没した履歴を持つ」故であり、フィエーゾレも矢張り「一度徹底的に破壊された事がある」からである。その事が「原爆による広島の町の徹底的破壊」の伏線となっている。事実、被爆後の広島の一面の茫漠たる焼け野が原の光景は、かつて数mの土砂に埋もれていたほぼ平坦な地形のオリンピアの情景に瓜二つであるだろう。なお、フィエーゾレはローマ時代に円形劇場や神殿等のギリシア的建築を多数擁していたので、オリンピアとの表面的相性は良い。そこで、結局、広島の爆心地を中心に半径2-3kmに及ぶ瓦礫と化した荒涼たる広がり(cf. Ham, 2013, Chart between pp.480481: Hiroshima Atomic Bomb Damage)が「埋没都市オリンピア」によって表象されており、その上で、それを取り巻く東・北・西の三方を囲む低層山地(但し、爆心地から 3.7km 南の市街地に江波山、同 2km 東南に比治山がある)が「フィエーゾレ」によって象徴されていることが分かる。実は、市街地周縁部の多くの生存者は、強力爆弾の更なる爆撃を恐れて、これら周囲の山々に大挙して避難したので、その様子を慧眼のノストラダムスは、「波浪がオリンピアのフィエーゾレを登って行く」と表現したのである。実際、テキストの「onde波浪」という用語 (ヴァリアント unde を含む) は、ノストラダムスの『預言集』の中で都合13回出現しているが、そのうち6回は「水」を本質とする本義に沿う「海、川、筆記用インキ」等を表し(I-2, I-63, II-86, V-27, V-95 & VI-79)、それより多くの7回(III-6, IV-77, V-31, VI-5, VII-36, VIII-16 & IX-33)は比喩的に、「多数の人々、又は事物」という核心をもった「何か革命的・大変動的動き・新思潮」を意味している。本誌の場合は、極めて特異的ではあるが、「前代未聞の大災難を逃れ行く被災大衆」といった意味合いで使われている。

「ヒロシマ―194586by Father John A. Siemes, 東京カトリック大学近代哲学教授 86日は明るく晴れた夏の朝に始まった。私は、長束 [現広島市安佐南区長束西] のイエズス会修練院の自室に腰かけていた。過去半年間、私達の大学の哲学・神学部門は東京からこの地に疎開していた。この修練院は広島から凡そ2km の位置にあり、海面水準の市街地からこの山がちの後背地へと延びる川の流れる広い谷筋を上った中途になっている。私の部屋の窓からは、その谷が市街地辺縁まで下っている素晴らしい光景が見られる。突如―時刻は大体814分である―谷全体が、写真で使われるマグネシウム光線に似たギラギラした光で満たされ、そして私は熱線を感じた。私は窓辺へ跳んで行き、この著しい現象の原因を探そうとしたが、私にはあの輝かしい黄色の光しか見えなかった。….. 谷の下方で、我々から多分1km ほど町の方へ下りた辺りで、数軒の農家が炎上し、谷の向かい側の斜面の森も火が着いていた。….. 爆発のおよそ30分後になると、人々の行列が市街地から谷を続々と上り始めた。群衆は絶えず厚みを増していった。数人が道路を上って我々の家にやって来た。我々は彼等に応急処置を施して、礼拝堂に連れて行った。益々多くの負傷者達が我々の所に来た。軽傷者達が重傷者達を引いて来た。負傷兵等や、火傷した子等を腕に抱えた母親等が居た。谷筋の農夫等の家々から聞こえるのは、『自分等の家は負傷者達と瀕死の人達で一杯です。助力を下さい、せめて一番ひどい傷の人達をお願い出来ませんか?』負傷者等は市街の辺縁の地区から来ている。彼等は強い光を見た、彼等の家は倒壊した、そして部屋の中にいた居住者達を埋めたのである。多数の火事が起きて、区域一帯を燃やし尽くした。…. 正午頃、我々の広い礼拝堂と図書館は重傷者達で満員になった。市街地からの避難者達の行列は続いていた。」(Brown and Mac Donald, 1977, p.540-542; 「市の中心から約3マイル [4.8km] の、長束にあるイエズス会修練院」(Hersey, 1986, p.53;「彼女 [Tomiko Nakamura, 13] は鶴見橋に着いた。そこでは大人達が川の中へ飛び込んで行っているのだった。彼女は 黒くて赤い顔をした人々を遣り過ごした。私はその人達が男か女か見分けがつかなかった彼女は比治山に上ろうとしたが地面は負傷者達で覆われていた。文字通り、足を踏み入れる場所も無かった。 幾人かは自分達の内臓を手で保持し、ぞっとしたような奇異の目でそれらを見つめているのだった。」(Ham, 2013, p.363;「目撃者達が記憶するように、市中から縦列を成して脱出して行く徒歩の負傷者達は沈黙した長蛇の列になって、各自が互いにその火傷を擦り合せないように注意深く進んで行った。…… 周囲の丘や山の上から逃避者達は クラゲ雲を振り返り見た。それは東へ西へと張り出しながら、赤、紫、青、緑の 絶えず変化する色合いの光を発していた。その頭部は あたかも襲い掛かる直前のように市街地の上に巨大な姿を見せていた。」(Ham, id., p.369-371; 「江波の山々から、比治山から、生存者達は核時代の最初の夜、眼下を見下ろした;広島盆地は活火山の噴火口のように、市街の衰え行く残り火を抱えていた。空には、きのこ雲の主幹が生き永らえていたが、その頭部は発散してしまっている事に若い Iwao Nakanishiは気付いた。彼は、嬉しい事に自分の家族と再会して、山上へ向ったのだった。」(Ham, id., p.375)。

従って、「波浪がオリンピアのフィエーゾレを登って行く」というのは、イオネスクや竹本 (Takemoto, 2011, p.724, p.726) 等が解説しているような「オリンポス山のような高みにまで原爆きのこ雲が垂直に上昇する」という衆人熟知の光景を描写しているのではない。実際、柱と傘から成るキノコ雲が高く昇り上がるのは一定時間経過後であり、その時その下では既に秒足らずないし数秒数十秒単位といった効果の素早い放射線・熱線・爆風による原爆の人的・物的破壊が大部分終ってしまっているのである。この最後の行は、辛くも生存を得た大都市の多数の被災者達の燃え盛る大火災の中での逃避行という核爆撃当日の終わりの段階を描いている。
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