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§862 第2次百年戦争を通しての英国覇権の確立 : X-98 (1689-1815)

世界史の中の日本3

§862  2次百年戦争を通しての英国覇権の確立 : X-98 (1689-1815)

前節 (§861)では、「イギリス植民地帝国」の長期の支配を扱った預言詩 X-100を検討した。そして本詩X-98 はその関連詩として、イギリスが、先行する世界覇権国フランスを凌駕することで新たな覇権国になる趨勢の預言詩である。

X-98 (§862):
喜びに満ちた乙女の澄明な輝きは、
もはや長い間輝く事はないだろう、無思慮となるだろう:
商売人ども、奴隷商人ども、武者どもと一緒になって厭わしい限り、
全てはごちゃ混ぜとなり、世界の様相は怪物。

The clear splendor of a merry maiden,
Shall shine no more for a long time, shall be unwise:
Odious with merchants, middlemen & wolves,
All pell-mell, a universal monster.

(La splendeur claire à pucelle joyeuse,
Ne luyra plus long temps sera sans sel:
Avec marchans, ruffiens loups odieuse,
Tous pesle mesle monstre universel.)

喜びに満ちた乙女」:Pucelle joyeuse (a joyful maiden) というこの表現は「la Pucelle d’Orléans (the Maid of Orléans) オルレアンの少女 フランスの乙女・ジャンヌ・ダルク Joan of Arc」を想起させるから、本詩の主題がフランス国である事を窺わせる。しかも『預言集』にこの一例しか用例が無いこの語は益々その意味を特殊的にフランスへと収斂して来る。

喜びに満ちた乙女の澄明な輝き」:原文La splendeur claire à pucelle joyeuse の前置詞 à は「所属(... の、... に属する)」(Suzuki)、「所有」(Ibuki) を表す機能を持ち、従って「澄明な輝きが喜びに満ちた乙女のもの」である事の表現である。換言すれば「喜びに満ちた乙女は澄んだ輝きを持っている」のであり、「預言者自身の母国フランス」を讃えた句である。と同時に、この「澄んだ輝き」という表現は更に具体的に、ジャンヌ・ダルクに勝るとも劣らないフランス国の代表的人物「太陽王・ルイ14世」を指し示していると解される。事実、ノストラダムス自身も、他の多くの預言四行詩(IX-38, IX-64, IX-93, X-7, X-58)でルイ14世を「エマチヤンAematien」と呼んでいるが、そのギリシア語源の意味は「太陽の光に属する者he who is of the solar light」である。

Sel (salt): = « 知恵の象徴 » (Torné-Chavigny, 1862, p.103)。ノストラダムス『預言集』に全部で7回登場するこの語の用例のうち、5回は「知恵」の意味で (II-21, VIII-32, IX-49, X-7, X-98)、残り2回は「糧食」の意味である (V-34, VII-34)。従って、sans sel (without salt) は「知恵のない、無思慮の」という意味になる。

喜びに満ちた乙女の澄明な輝きは、もはや長い間輝く事はないだろう、無思慮となるだろう:ルイ14世時代のフランスは世界の覇権の頂点にあったと言えるし、ナポレオン一世もまた世界覇権者であったと言えるだろう。それが失われて、フランスの代わりにイギリスが世界覇権を手にした、という世界史的変動がここに予言されていると見える。「1688年、フランスは世界の首席強国であった。当時、ルイ14世は、多分ナポレオンを除けば他の誰も比肩し得ないような絶対的支配権を完全に掌握していた。ナポレオンと同様、彼は自らの強化拡大計画によって全ヨーロッパを恐怖せしめ、彼に対抗する国家連合を次々と招き寄せた。ナポレオンと同様、彼はその栄光を崩壊点まで推し進め、その死に際しては国家的衰退が顕著に進行中であると気付いたのである。」(HH, XXIII, p.181)

Ruffiens: =
奴隷商人ども。« RUFIAN ou RUFFIAN. Entremetteur (Procurer, pander; Middleman; Go-between).» (Petit Robert). この語は、「女衒」「放蕩者」等の意味で用いられることが多いが、元来は「仲介者」という意味であって、植民地獲得・抗争という文脈では一般のmerchantsとは区別された仲介者・商売人としての「奴隷商人」と解するのが適切である。そして、wolves は比喩的に、「武人・兵隊」と取るのが矢張り文脈に適合する。

英仏の植民地抗争17世紀末から、イギリスとフランスは北アメリカ・インド・を初め、西インド諸島・アフリカ方面などの植民地で対立する形勢になり、ヨーロッパ本土における戦争と結びついて、ナポレオンの没落に至るまで100年以上(1689-1815)にわたる植民地戦争が展開された。これを第2次百年戦争と呼んでいる。
ウィリアム王の戦い1689-97)この戦争で英軍はアカディアにある仏の要塞を占領し、ケベックを攻撃した。仏軍はインディアンと結んで英の植民都市を焼き、ニューファンドランドを占領した。
アン女王戦争1702-13)仏軍はインディアンと結んで英軍を攻撃したが、英軍はアカディアを占領した。地中海でも英海軍は仏海軍を破ってジブラルタルを占領し、またフランス領西インド諸島を脅かした。ユトレヒト条約1713)によって、英は、①ハドソン湾内地方・ニューファンドランド・アカディアをフランスから、②ジブラルタルとミノルカ島をスペインから獲得し、③更にスペイン領アメリカとの奴隷貿易を承認させた。
対立の激化 ユトレヒト条約以後、英仏はそれぞれ植民地の強化に努め、戦争にはならなかったが、その利害はますます鋭く対立するようになった。たとえば、フランスは北米では、セント=ローレンス川沿いに要塞を築いて防衛を強化し、ミシシッピ川を完全に支配するに至った。またインドにおいても、有能な総督デュプレクスDupleix(1697-1763)の指導下に原住民の間にしだいに勢力を伸ばした。彼は西欧風に訓練した原住民の軍隊(セポイ)を編成して防衛を強化した。
ジョージ王の戦い1744-481739年スペインとイギリスの間に西インド諸島の奴隷貿易をめぐって戦争が起こった。この戦争は、ヨーロッパ本土におけるオーストリア継承戦争(1740-48)と合流して、イギリス対フランス・スペインの植民地戦争となった。フランスはデュプレクスが1746年インドでイギリスからマドラスを奪って優勢であったが、アーヘン(エクス==シャペル)条約では、植民地抗争に関して何の解決もなく問題はのちに残された。

七年戦争(1756-63): 英仏の植民地抗争のなかで最も重要なのは七年戦争である。この戦争は、ヨーロッパ本土においては、プロイセンとオーストリアのシュレジェン領有問題を中心に展開したが、ヨーロッパ外世界では、英仏の植民地争奪戦として展開した。
北米での抗争(フレンチ=インディアン戦争)北アメリカではヨーロッパ本土での戦争よりも2年早く、1754年からオハイオ川の支配をめぐって勃発した。戦況は最初の4年間英軍に不利であった。しかし本国で大ピットPitt the Elder(1708-78)が宰相となり、多数の軍隊を本国から送り、士気を鼓舞するやしだいに有利に展開し、ルイスバーク・ナイアガラ・デュケーヌなど仏軍の重要な要塞を陥れ、ついに仏領カナダの中心地ケベックを苦戦の末占領し(1759)、モントリオールをも占領した(1760)。北米の形勢はこれを機に完全にイギリス側に有利に展開した。また西インドのスペイン領もイギリス軍に占領されるに至った。
インドでの抗争 インドにおける英仏の抗争は、原住民君主との結合による政治支配権の確立を目的とするものであった。デュプレクスによってフランス勢力がしだいに大きくなっていったが、イギリス側は、クライヴCliveの力によってカルナティック地域に支配を樹立し、次いで原住民君主と結んで1757プラッシーPlassyの戦いでフランス軍を破り、ベンガル地方を確保した。フランス側の根拠地ポンディシェリもやがて英軍に占領され(1761)、こうしてインドにおける抗争も、イギリス側の勝利に終わり、英領インドの基礎が築かれた。
パリ条約 七年戦争の結末であるパリ条約(1763)では、①フランスはカナダを初め、ニューオルリーンズを除くミシシッピ川以東の北米における全領土と西インド諸島のグレナダ・トバゴ・ドミニカ・セント=ヴィンセントをイギリスに譲る。②スペインはフロリダをイギリスに譲り、キューバを回復する。③フランスはニューオルリーンズとミシシッピ川以西の地をスペインに譲る。④インドにおいて、フランス東インド会社は若干の地を保有するが、原住民君主とは政治的関係を結ばない、ことなどが定められた。
イギリス植民帝国の成立 こうして15世紀末以来の西ヨーロッパ諸国の海外進出・植民活動・植民地争奪戦は、ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス・フランスなどの諸国によって相次いで展開され、18世紀の中ごろイギリスの制覇によって一応の落着を見た。その結果,一島国に過ぎなかったイギリスは、150年ほどの間に世界の各地に領土を持つ一大植民帝国(1次帝国)となった。海洋支配の基礎が築かれ、本国における産業革命の進行とあいまって、19世紀におけるイギリスの繁栄、いわゆる「イギリスの平和」の基礎条件の一つができあがった。
(Maekawa and Horikoshi, 1984, p,276-278) 。」

なお、ノストラダムス『預言集』の中における本詩の位置も注目に値する。前節で見た X-100 詩に対してその前々詩に当るのがこのX-98 詩であり、更に両者の中間に置かれた X-99 (§876) もやはりテーマが共通しており、今度は「植民地の消滅と独立」を預言しているのである。『預言集』第十サンチュリ末尾に置かれたこれら3篇は世界の植民地問題に関する「三部作 Trio」を構成している。そして、第二次世界大戦時の日本関連の預言詩はその中に割って入る形で、西洋植民地主義の破壊という大きな意味で導入されているのである。
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