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§933 ヴィーナスに覆われた太陽 (1981-1991): IV-28.

大団円としての幸福の科学3 ヴィーナスに覆われた太陽 (1981-1991): IV-28.

ノストラダムス『預言集』の刊本における四行詩の配列は大抵は全くアトランダムと云ってもいいが、その中でこのIV-28詩は、前回取り上げた預言詩 IV-29の直前に位置している。実は、このような位置の近接が内容的な関連を示唆する例が幾つか認められるのであって、IV-29とIV-28もそういう特別な関係に立っている。

第四サンチュリ第28詩  ヴィーナスに覆われた太陽 (1981-1991): IV-28 (§933).

ヴィーナスが太陽の覆いとなるであろう時、    
その華麗な姿の下に在るその形は隠されているだろう。
火に掛けられた水星が太陽とその形を露わにするだろう。
戦争の物音がする頃に、太陽は辱めを受けるであろう。


§933  The Sun covered with Venus (1981-1991): IV-28.

When Venus shall be the cover of the Sun,
Its form shall be occult under its splendor,
Mercury on fire shall have revealed them.
At the time of rumors of war it shall suffer an insult.

Lors que Venus du sol sera couvert,  
Souz l’esplendeur sera forme occulte,
Mercure au feu les aura descouvert    
Par bruit bellique sera mis à l’insulte.

前回見たIV-29 詩では太陽と水星の関係が問題であったが、今回は若干違って、太陽とヴィーナス(金星)の関係がテーマのようである。そしてその「一方が他方を覆い隠す」という関係は同じである。一行目について、「ヴィーナスが太陽の覆いとなる Venus sera [le] couvert du sol, Venus shall be the cover of the Sun」と読む代りに「ヴィーナスが太陽によって覆われる Venus sera couvert du sol, Venus shall be covered by the Sun」という読みが排除されるのは、couvert という過去分詞がその場合には Vénus という女性名詞に合わせて couverte となっていなければならないが、そうなっていないからである。

他方、本詩3行目の「火に掛けられた水星」という表現は、前詩の「ウルカヌスによってヘルメスは聖職者に変じられるであろう」という表現と呼応しているように見える。即ち、ウルカヌスは火と鍛冶の神として、「火」と直結するし、ヘルメスというギリシア神話の神の名は、ローマ神話のメルクリウス、つまりここで云う水星、Mercury と同一視できる。従って、「火に掛けられた水星」というのは、「ウルカヌス神による鍛造によって聖職者に変じたヘルメス、即ち大川隆法氏」の事と解されるのである。

ここから更に敷衍すれば、「火に掛けられた水星がヴィーナスという覆いを外して太陽とその形を露わにするだろう」という美しくも謎めいた詩句の意味も明らかとなる。「太陽とその形を」というのは、les (them) という代名詞をそう取った訳だが、それら以外には適当な候補となる語は無いように思われる。何故なら他の候補としてヴィーナスしか無いが、それは姿形が表に出ている筈だから。しかもその代名詞に係る descouvert (revealed) という過去分詞 (本来は複数形の筈だが、対応する一行目の couvert に合わせて単数になっている) は男性形なので矢張り男性の太陽を含む複数のものを受ける。

そして、「火に掛けられた」というのは、商社マンという現世の身分、しかも日本経済が上り坂の時期の総合商社というトップを往く企業の社員としての高給サラリーマンという他人も羨む職を投げ打って、という意味を持っていた。そこから、純粋宗教者として、pastor として立った、その時「太陽は純粋に赫奕(かくやく)として黄金に輝くのが見られるであろう」と先に詠われていたが、それが本詩では「太陽とその形が露わになる」という表現で語られているのである。

なおここで、太陽は「純粋に」「赫奕(かくやく)として」「黄金に」輝くという風に、三重の類似の形容が為されているが、これは単なる冗長ではなく、夫々が「幸福の科学」の基本的理論書三部作、即ち、

大川隆法著『永遠の法』(初版:土屋書店, 1987 ; 改訂版:幸福の科学出版, 1997)

同『太陽の法』(初版:土屋書店, 1987 ; 改訂版『新・太陽の法』幸福の科学出版, 1994;同左改題『太陽の法』幸福の科学出版,1997)

同『黄金の法』(初版:土屋書店, 1987 ; 改訂版『新・黄金の法』幸福の科学出版, 1995;同左改題『黄金の法』幸福の科学出版,1997)

を示唆している。一番分りやすいのは「黄金に」が『黄金の法』に対応しているが、「純粋に」はその無色透明感が「永遠」という無始無終の時空一体系を思わせることによって『永遠の法』を暗示しているだろう。三番目に、「赫奕(かくやく)として」が、「キラキラと光り輝く」という語感によってまさしく『太陽の法』を指示しているだろう。

西洋哲学の伝統では、形、フォルムは形相(けいそう)、事物の本質を意味するから、「大川隆法という太陽」の本質がこれら基本理論書によって明らかにされたのである。

他方、伝統的占星術では、「金星 Venus は妻・財産・愛・芸術を示す」;「占星学で金銭を表示する天体は金星です」(石川源晃『占星学入門実習』平河出版社、東京, 1988, p.46; 同『占星学入門応用』平河出版社、東京, 1994, p.48) と云われており、占星術一般は忌避したノストラダムスもその極く常識的な一部の知識は退けていないので、本詩の「ヴィーナス」はこの意味での占星術的象徴と考えると最適な解答となるように思われる。つまりこの場合は「財産・富・金銭」という物の象徴であろう。実際、これと同じ意味の「ヴィーナス」の用例は後で取り上げる予定の V-24 (§935) 詩とV-72 (§936) 詩にも認められるのである。

「その華麗な姿」の「その」は「金星」を受けるとしたが、金星の見かけの美しい輝き (金銀小判の輝きも含意する) に応じた華麗な表現であろう。他方、「その形」の「その」は「太陽」を受ける。

戦争の物音がする頃に、太陽は辱めを受けるであろう」という最終行の後半は §931 大河と小川 (1991): XII-71 詩に既出の事項であって、特に「講談社」の写真週刊誌『フライデー』の人権侵害的記事を初めとするメディアの大川隆法氏(太陽)と「幸福の科学」に対する非難中傷の攻撃を云う。そして「戦争の物音がする頃に」という前半部分は、1991年に起ったフライデー事件と同時期に起った「戦争」に言及しているが、それは言うまでも無く、「第一次湾岸戦争」であり、それはまさしく同じ1991年に起った。

なお、Par bruit bellique (戦争の物音がする頃に)という語句の par という前置詞は、種々の用法があるうち、この場合は「時間的限定の機能語」であって、例えば、「par temps de pluie 雨の日に;par le passé 従前は;par un froid glacial 凍りつくように寒い時に;par un beau matin d'été 夏の晴れた朝に;par cette chaleur こんな暑い時に;par beau temps 晴れた日に;par mauvais temps いやな天気の日に;par le temps qui court 当今では」といった用例がある(cf. Suzuki)。従って「... によって by...」というような訳が常に正しい訳ではない。

所で、この第一次湾岸戦争は、「幸福の科学」関連詩の中で最も重要と目される X-72 詩 (§944) においても「その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう」という表現で触れられている(「日付のある予言詩1 1999年: その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう」参照)。

そして、この戦争が第二次大戦後の「長期の平和の後起こった戦争」であるという捉え方で主題的に予言している四行詩が一篇存在するので、次回はそれを検討することにしたい。それは I-63 詩 (§928) である。
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