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§931 大河と小川 (1991): XII-71.

大団円としての幸福の科学1 大河と小川

 未だ他の誰も取り上げたことのないもので、私が初めて気づくことになった一つの予言詩から始めることにしよう。それはXII-71詩であって、しかも興味深いことに『預言集』全巻の巻末最後の位置に見出される四行詩である(これは偶然の配置とはいえ後に見るようにノストラダムス預言の終結を暗示している)。

第十二サンチュリ第71詩  大河と小川:XII-71 (§931).
大河と小川は悪をせきとめ、
古い怒りの炎は未だ鎮められず、
仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう。
数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ。

§931, XII-71: The grand and the small rivers (1991).
Grand rivers, small ones shall be obstacles of the evil.
The old flame of anger not appeased,
Running through France, this land as oracles,
Houses, manors, palaces, a sect razed.

Fluves, rivieres de mal seront obstacles.
La vieille flamme d'ire non apaisée
Courir en France. ceci comme d'oracles:
Maisons, manoirs, palais, secte rasée.

大河と小川フランス語 fluve (Lat. fluvius) = fleuve は海に流入する大きな川 (a large river)で、rivière fleuve 又は他のrivièreに流れ込む大きな水流 (a large watercourse) である」(Dubois):

悪をせきとめ原文の構造は、Fleuves, rivières seront obstacles de mal (shall be obstacles of the evil) と解する。意味上、ここでは一行目が三行目に接続し、二行目が四行目に接続する。つまり「大河と小川は悪をせきとめ、仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう。」「古い怒りの炎は未だ鎮められず、数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ。」

「この中で、私は、「大河」とは「幸福の科学」の指導者「大川隆法」氏を先ず表し、「小川」とはその会員の「小川知子」氏を先ず表すのであろうし、「仏国」とは文字通りの「フランス国」ではなくて、「仏教国家たる日本国」を表すのではあるまいか、と推測した。このような持って回った暗号化的表現はノストラダムスの常套手段の一つである。そして「大河」が複数形であるのは、大川隆法氏の夫人「大川きょう子」氏及び父親の「善川三朗」氏を含み、また同様に「小川」が複数形であるのは、小川知子氏の兄の小川空城氏を含むからではないかと推測した。つまりここには「幸福の科学」運動の最高指導者及びその協力者・会員が指し示されていると考えられる。そして「大河と小川」が「悪をせきとめるであろう(悪を阻止するであろう)」というのは、「幸福の科学」の伝道活動が本格化し始めた1991年に生じた出来事を指していると考えられる。特に「講談社」の写真週刊誌『フライデー』の人権侵害的記事に対する抗議に端を発した「幸福の科学」側のデモや訴訟活動によって、マスコミに巣くう「悪の勢力」が厳しく批判され非難され、人権侵害的記事やポルノグラフィー的写真等の排除・撲滅運動が活発化した社会事象はなお多くの人々の記憶に新しい。そして、「仏国に神託として流布するであろう。」というのは、「幸福の科学」の運動が、紛れもなく、神仏からの霊言の数々を受けてそのメッセージを人々に伝え、宗教的真理への覚醒を社会に起こそうとする一大宗教活動として行われるものであるということであろう。

では「古い怒りの炎は未だ鎮められず、数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派が潰れ」とはどういうことか。「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され」とは、日本関連の預言詩5§929, V-32: 日本のバブル崩壊 (1990-2000) において考察したような、1990年代に起った所謂バブル崩壊による不動産資産価値の暴落と解される。又「一つの宗派が潰れ」とは、松本サリン事件や地下鉄サリン事件等を起こし容疑者として教祖と多数の幹部が逮捕・起訴・審理され、多くが死刑確定した例の「オウム真理教」の事実的崩壊を意味するのではあるまいか。これは「一つの宗派」という単数の語形であるから「潰滅した一つの宗派」としてはこの団体しか当てはまらない。だが「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され」というのはどちらかというと、地下鉄サリン事件の直前に起った「阪神・淡路大震災」ではという選択肢もあるが、それだと「古い怒りの炎は未だ鎮められず」という前件との関連が不明となる。

そもそも「古い怒りの炎」とは何だろう。詩文の中で「古い」と言われる以上は相当古い感じがしなければおかしい。そこで推測されるのは色々な人が発言していたことだが、今回の日本のバブル崩壊は米国の投機筋による東京証券取引所における日本の諸企業の株に対する仕掛けによって始まった株価暴落から来た。この私企業の果敢な行動を奇貨として素早く国策を戦略化した(この知性と行動力は日本も見習いたい)であろう米国の日本に対する攻勢は、世界経済の支配力確保をめぐり、1980年代の日本経済の隆盛に因縁を得た「リメンバー・パールハーバー」という半世紀前の底深い競争心の再燃をも意味しているのではないかという憶測も聞かれ、これを「鎮火されざる古き怒りの炎」と表現するのは的外れではない。

そして実は「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され」の「破壊され」という語はこの詩の中には実在せず、「一つの宗派は潰れsecte rasée 」という語句から raséeを借りて一応補足的に読んだものであるから、意味としても、物理的に「破壊」と取るよりも、抽象的に「資産価値の破壊つまり暴落」と取ってみた。従ってそれは阪神大震災なら神戸とその周辺に狭く限定されるのに対して、全国にわたる主要な都市群に関連し、1945年の米国軍の多数の爆撃機の波状大空襲による日本本土諸都市の炎上と破壊の経済的延長線上の被爆の姿として映る。但し、文法的に厳密な読みとしては、rasée が本来は 男性複数のrasés であってMaisons, manoirs, palais, secteの全てに係っているのだが、2行目の女性単数apaisée との押韻上、女性単数形を与えられたと考えるのが最適である。従って、「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ。」という訳は文字通りそのまま、「1995年1月の阪神・淡路大震災と3月に起きたオウム真理教による東京地下鉄サリン事件及びそれによる同教団壊滅」に当てはまるように見える。実際、raser という動詞には「(要塞・都市などを)根こそぎ破壊する、(建物を)取壊す」(Suzuki) という意味がある。しかし、先に見たように、阪神・淡路大震災の場合は所謂自然災害だから、「古い怒りの炎」との関連が見えないし、且つ、ノストラダムスの『預言集』においては、自然災害自体がテーマとなるのは極めて例外的で、例えば表現として「地震 terre trembler / tremblement de terre」となっているのは全て「戦争」を意味し(全12回 : I-20, I-46, I-93, II-52, III-3, VI-66, VI-88, VIII-29, IX-31, IX-83, X-60 et X-79)、その他「震える trembler + 地名・町・山や人々」(全14回 : I-82, I-87, II-68, II-86, IV-54, IV-90, V-27, V-50, V-61, V-68, IX-33, IX-60bis et IX-94)「激しい / 強い+揺れ」(全2回 : I-82 et X-67)「竜巻+揺れ」(全1回 : I-57)も「戦争」を意味し、唯一「1908年のメッシナ大地震」(VIII-84, IX-61)が「地震」という表現抜きに預言されている状況であるから、本詩の場合も震災よりも、バブル崩壊の方が妥当性が高いと思われる。何しろ預言者の観る所は原則的に「人間の所行とその結果としての歴史」であって、自然現象ではない。このことは、ノストラダムスの預言四行詩作成の根本動機が、統計論上諸地域や諸時期に繰り返されるであろう類似した不可抗力の自然事象の予示ではなくて、「諸々の政権、諸々の党派、諸々の宗教が大いに反対のものに、しかも現在と比べて正反対のものに変化してしまうだろうLes regnes sectes & religions seront changes si opposites, voire au respect du present diametralement.(1, p.33) という世界史的・国際関係論的出来事の先取的記述という点に存した事と深く関連している。

そして「古い怒りの炎は未だ鎮められず、数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ」という文はいわゆる分詞構文で定動詞がないので、「大河と小川は悪をせきとめ、仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう」という定動詞をもつ主文に対する状況説明の付随文である。この付随文は1990年代の日本という特定の場所と時代を表す。従ってその中の一要素として「一つの宗派の潰滅」も読み込まれているのであるから、この部分については前件の「未だ鎮火されざる古き怒りの炎」との関連を問う必要はない。敢えて言えばこの「一つの宗派の潰滅」の記事は「神託として流布する」別の宗教、つまり「幸福の科学」の興隆傾向を際立たせるための比較項の役割があるし、且つそれに止どまらず、実際上も当局が「邪教の破壊活動」に対して断固たる決断を取れず逡巡している時に、素早い情報収集と的確な判断に基づいて積極的措置へのアドバイスの努力を凡ゆるルートを探って果断に行ない、結果的に首都圏の甚大な数の人命を保全し得たのも「幸福の科学」の指導者であったという事実は銘記しておくべきだろう。」(初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(8)」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第50巻第1号、1999 [下線部改稿]

なおここで、「フランス」を「仏国=仏教国=日本」と取った点に関して補足しておきたい。これは勿論、「フランス」に漢字を当てる場合、「仏蘭西」と書き、「仏」と略称する我が国の習慣を下敷きにしたもので、なおその上、「神託の流布」という本詩のテーマを考慮した場合、フランス国ではなく日本国が当てはまると考えたのである。何故なら、キリスト教圏もイスラム教圏も、新旧の聖書、又はコーランという確立されたドグマの源泉を有し、新しいドグマ(神託)の創生は不可能な状況で、それが現代可能なのは非キリスト教圏、非イスラム教圏、即ち共産圏以外の東洋で、しかも多神教を奉じる国民性に浸透されたインド、又は日本しかないと思われる。そして、インドではなお、伝統諸宗教が優勢であるのに対して、日本では伝統宗教は弱体化し、大多数が信教不明状態と言えるほどであり、その中で新宗教の開花が盛んであるという特質を見せているから、そして曲がりなりにもやはり形上は「仏教国」という有難い名前は剥がせないとすれば、最適候補は唯一「日本」であるという事になるのである。そして、「日本」をこの詩に適合させて見ると、十分に見合っている事が分るのである。

この詩はノストラダムスが編集上の方針変更の為その『預言集』から除外し、秘書を務めていたジャン・エメ・ド・シャヴィニに贈与したものと私は考えているが、これをフランス16世紀の出来事に関連付ける事によって、結果的にこれを後世の我々に残してくれることになったジャン・エメ・ド・シャヴィニの解は殆ど参考にならない。ただ一点、彼はcomme d'oraclesを「これを私は神託として言っているから信じ給え」と云う風に註を付けている (Janus, p.212)。これは、「parler comme un oracle (to say as an oracle) 《多く皮肉》ご託宣を下すように話す」(Suzuki) という解説に通じるものであり、同趣旨でドクター・フォンブリュンヌも「この事は確かだ ceci est certain, this is certain(Fontbrune, 1939, p.133-134) と訳しているが、これは元来が古代ギリシア社会のようにデルフォイのアポロン神殿の神託を重く受け止めていた時代から離れて、神託というようなものの意義を疑っている軽薄な時代風潮の中で生まれた懐古的イディオムであろう。しかし現代は再び神託の真実性を回復しつつある時代であり、本詩のその語も「本来の神託として流布する」と読むのが適切であろう。

そして、原文Courir (to run) の主語は先に見たようにFluves, rivieres (大河、小川)であり、courir en France (to run in France)ではcourir は自動詞で「フランス=仏国の中を流れる」、更に続けてcourir ceci (to run this) (ceci = France) と読んで、その場合のcourir は他動詞で「この国に広まる」という意味になる。単にフランス語courir ceciを直訳した英語 to run this に「この国に広まる」という意味は無いが、英語の意訳としては to prevail in this land がフランス語のcourir ceci に相当する。

なお、「oracle 神託」という極めて意味深い語は『預言集』に全部で2回しか登場しない。他の一回は§937,III-4 詩で、矢張り「幸福の科学」関連詩であり、そこではまさに「神託の開始」がテーマになっている。

この詩の解釈を最初に発表してから私は、中村恵一という人が唯一、この詩を解釈しているのに気付いた。しかもそれは、我々が原理的に採らない「予言的解釈」を自信ありげに張ったもので、彼独創の「数記号コード法」によって、1983年当時に「1999年8月12日の出来事」を予言していると解釈している (Nakamura, 1983, p.128) から、今ではその真贋が手に取るように分る。それは「ヨーロッパを襲う大洪水」だというが、しかしそんなものは1999年8月12日に起こらなかった。2002年夏にはヨーロッパ各国で大洪水があったのだが、いかにも自信タップリに「解釈予言」をしたものだ。それに彼は、2行目末尾のnon appaiséeを「否、鎮められた」と読むが、これは完全に文法初歩の誤りであり、フランス語初歩を終えた人なら誰でも「鎮められていない」としか読めない程単純な表現である。

大体が、ノストラダムス『預言集』は、本人も云っているが、政治的、社会的、軍事的、国際的諸変動を予言したもので、純粋な自然事象は、ごく少数の例を除けば、彼の本来の関心の外にある。そして、「地震、洪水、枯渇」等の表現は、そのまま純粋に自然現象を意味せず、大部分がまさにそういう人間の自由意思を根源とする大きな社会的動乱を意味している。

以下改稿(2014年9月23日)。
N.B. 1:
最後に、secte rasée という語句について、本邦屈指のノストラダムス研究家・sumaru (山津寿丸) 氏が運営するWIKI 『ノストラダムスの大事典』[ http://www42.atwiki.jp/nostradamus/ ]は、「secte rasée にエドガー・レオニが shaven sect という訳をあてているように、一般に rasée は「髪を剃られた」の意味で、ノストラダムスの作品では聖職者を表す常套表現である。」としているが、これは性急な見解である。

第一に、一般に rasé の意味を云うなら、主な辞書類の記載がその回答でなければならないのであって、「髪を剃られた」というのはごく特殊な一つの意味(と言っても、最も使用頻度の高い最通義)にしか過ぎない。例えば、「vaisseau rasé: (嵐で) 帆柱が折れた船」(Ibuki)という用例も普通に存在する。しかも、「shaven sect 剃髪の宗派」というレオニ的読み(Leoni, 1982, p.453; Hogue, 1997, p.849)は意味論的整合性が無い。というのも、セクトというのは集合名詞だと思われるが、そういう集合自体が「髪を生やしたり、剃ったりする」という事は無い。その中のメンバーについてならそれは言えるが、集団自体にそうは言えない。彗星を「長髪の星 l’étoile chevelue(II-43, VI-6) と言えるのは、「星」が個別具体の対象である故である。

性、数が本来無い日本語単語の場合にはこの点が曖昧で、例えば、「ある高校のあるクラスの全員が金髪」を「金髪クラス」と言っても通るだろうが、フランス語 (英語) une classe blonde  (a blond class) と言ってもそういう意味にはならず、せいぜい「壁も床も机も天井もすべて金色の教室」といった意味しか持ちえないだろう。つまり、この場合も、個別具体の対象としての「教室」とならblonde という形容詞も意味論的に結合可能なのである。

実際、本詩(XII-71)について翻訳ないし解釈している手許の研究書を見ると、上記のLeoni Hogueの二名以外は全員、shaven sect(剃髪した宗派)という読み方に当然ながら違和感を持つらしく、「raser」を「破壊する」乃至それと類似の意味で捉えている。

E.g.:
« ... sont démolis, rasez & abbatus. » (
Janus, p.212);
« Houses, Mannors, Palaces, Sect shall be raced [raced away = mangé]. » (Garencières, 1672, p.187);
« Dans tout
e maison, manoir, palais, la secte (responsable) sera rasée. » (Fontbrune, 1939, p.134);
« Dans toute maison, manoir ou palais, le parti (responsable) sera détruit. »
(Fontbrune, 1976, p.191);
« demolished. » (Boswell, 1941, p.309);
« Houses, manors, palaces and sects will be eliminated. » (Lamont, 1944, p.176);
« Häuser, Burgen und Paläste und die Priester sind in Gefahr [en danger]. » (Centurio, 1953, p.242);
« Houses, manors, palaces, sects shall be razed. » (Roberts, 1969, p.342);
« to wreck religious foundations, houses, manors, and palaces, alike. » (Lemesurier, 1997, p.256).

こういう観点からすれば、Leoni Hogueは日本人的言語感覚に近い英語感覚の持ち主としてフランス語を受容していると云えるだろう。

N.B. 2:
なお、これと関連して、『ノストラダムスの大事典』は、最終行全体を、「屋敷、荘園、宮殿、剃髪の宗派。」と訳し、あたかも静謐な一幅の絵画またはスチール写真を見ているかのような動きのない風景を与えているが、これは、動乱の歴史社会を主たる預言対象としたノストラダムス解釈としては物足りない。むしろ、問題のrasée という単語は、形容詞的よりも動詞的にとらえて、動きのある情景を描き出す方が適切と思われる。それには、一行目にあるserontを補えば良く、丁度 sumaru 氏が代替案として提起している「屋敷、荘園、宮殿、宗派が破壊しつくされる」[だろう] という方向の読み方が最もふさわしいと思われる。従って、Garencières, Lamont, Roberts, 大乗和子等の訳が適切だと云えるだろう。

N.B. 3:
フランス語としての raser のニュアンスといったものを探ってみると、「Démolir, Raser, Démanteler, Détruire」という4つの類義語が「建物を壊す」という共通の意味を持つ背景の中で、「公的復讐の記念碑を残すような仕方で、処罰として壊すこと」がRaserに固有に帰属するという。簡潔に言えば、「正義(司直 la justice)がraser させる」のだという(Guizot, p.212)。これは非常に興味深い語義であり、この観点を採用すると、「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ」という預言は、後半が「文字通り司直の正義の掟による犯罪教団の壊滅措置」であり、前半が「覇権国の正義に立つ貿易赤字解消のための円高誘導(プラザ合意)と、円高対応から生じたバブル景気の解消を狙った経済倫理的金融財政措置(平成の鬼平こと三重野康日銀総裁による反復利上げと、大蔵省[財務省]による厳しい総量規制)」という「二つの正義(刑法的正義と経済的正義)が復讐として起こした二つの破壊の記念碑的事態(公安監視下の当該教団衰退と日本経済の長期低迷)」がくっきりと浮かび出てくるようだ。

N.B. 4:
2014.9.25改稿)
「フランス」= 「仏蘭西」=「仏国」=「仏教国」=「日本」という流れからの解釈は、表記の類似性に依拠した隠喩(メタファ)として説明されるもので、「剃髪したセクト」という意味論的不整合とは無縁である。この種のものには、他に、次のような例がある(これ等は代表的事例としてここに掲げますが、もっと他に多くの事例があります)。

1° :
  Mésopotamie
III-61, III-99, VII-22, VIII-70 [§273]= Paris (シテ島がセーヌの二つの分岐流に囲まれている)。この解釈を導く決定的事項は、「アンリ二世宛書簡」の中に出てくる以下の記事です。「もう一つ別のごく微細なメソポタミア (une autre exigue mezopotamie) の中に建設されてそこに拠点を持つかの自由な都市」(№10, p.162)という表現が、本来の中東のメソポタミアではなくて、まさにシテ島を発祥地とするパリを表すからです。そして、この書簡に出てくる2例と、『預言集』に出てくる4例の合計6例とも、すべて「パリないしその延長としてのフランス」と解釈した場合、意味が通じるのです。[補足:III-61詩の Mesopotamie は、Paris ではなくて、モンペリエ Montpellier と解される。事実、モンペリエは、東の Lez 川と西の Mosson 川という二つの川の間にピッタリと挟まれている。Cf. §727, III-61 ( le 6 février 2015) ]

2° :
  Fesulan Olympique (VIII-16, §869) =
広島市(広島市がギリシアのオリンピアとイタリアのフィエゾレに地形が類似)。この場合も、Fesulan Olympique という複合表現は、本来のフィエゾレともオリンピアとも異なる第三の都市を表すと解釈できます。

3° :
また、Bisance という語は、本来は「コンスタンチノープル、イスタンブール、ビザンチウム」を指すわけだけれども、『預言集』においてノストラダムスはそんなに単純明快ではありえず、トルネ・シャヴィニの解釈 (Torné-Chavigny, 1861, p.253) を参考にして研究してみると、Bisance 全12例中、本義は7例 (II-49, V-25, V-54, V-70, VI-21, VI-53, VIII-83) で、後の5例 (I-40, V-80 [§213], V-86, VII-36, IX-30) Paris として解釈する方が首尾一貫した理解が得られると思われるのです。それに加え、Bisance の派生語 Bizant, Bizantin, Bisantinois 全4例を見ると、2例 (V-47, X-62) がトルコ関係、あと2例がギリシア (IV-38) とロシア (VIII-51) に関し各一回となっています。このBisance = Parisという隠喩の基盤は、「頽廃をも含意する豪華絢爛の文化の華薫る政権中枢大都市」といったものでしょう。また、「ビザンチウム」と「ギリシア」、「ロシア」との関連性は、勿論、「東方教会、ギリシア正教」という共通の宗教的基盤に拠っています。(下線部2014.9.27追加)

N.B. 5:
2014.9.27追加)
Bisance
と同様、「Babylon, Babilon」という古代の大都市の名前の比喩的使用(頽廃の華都)がノストラダムスにもあり、「大革命時代のパリ」の代名詞とされています: VIII-96 [§393]; X-86 (cf. Torné-Chavigny, 1861, p.227-228)。これは、バビロンが広義の「メソポタミア」の地域の首都であったことからも、パリを喚起する絶妙のメタファーでしょう。実際、「バビロン」という都市は、西暦8世紀にカリフ・アルマンスール(754-775)が新都バグダッドを別地に建立した後に廃墟と化してノストラダムス以降も当然実在しないわけですから、Babylon, Babilon という用語は、『預言集』の中で、必然的に「比喩的な意味」を持たせられているはずなのです。但し、「アンリ2世宛書簡」(№3, p.11) に一度だけ出てくる「la neufve Babylonne 新しきバビロン」は、ロシア10月革命を扱う文脈からすると、「フランス革命期のパリに類比され、それよりも後の時期における革命ロシアの首都ペテルスブルグ」と解されます。他方、また、これも一度だけ出てくる「l’opposite climat Babylonique」という表現の中の形容詞形の  Babylonique は、地理的概念として、古来からのバビロニア地域を表すでしょう。これは時代が移っても通用する地理的表現です。

N.B. 6:
2014.9.27追加)
「大河と小川は悪をせきとめ、仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう。」という表現から、「大河」と「小川」は「善悪を判断できる主体」であり、「神託を伝道する意思を持つ主体」である、というイメージが得られる。従って、それらは天然自然の流水路たる大小の河川ではない。これもまた、「各地に神仏の言葉を宣べ伝える者」を、「地域に水を運ぶ川」という像に見立てた隠喩(メタファー)である。
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