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日本関連詩2: VIII-27 : ナポレオン3世か昭和天皇か?

VIII-27 : ナポレオン3世か昭和天皇か?

イオネスク = 竹本コンビは、IV-49詩に関する上記論説(日本関連の預言詩1参照)をVIII-27詩と結合し、一見壮大華麗な日本夢物語を展開しており(Takemoto, 1993, p.206-217; 2011, p.730-739)、「二つの四行詩が、私ども二人の共同発掘による宝物となりました」と海を隔てた共同研究の成果を誇り、狂喜している (id.,2011, p.735)。そこに盛られた「ニッポン」をめぐる二人の真率な思いは美しく尊いとしても、果たしてノストラダムス自身は本当にそこに参加しているとみていいのかどうか、厳密に検証する必要がありそうだ。何故なら、ノストラダムスのフランス語原文を文法を基礎にして徹底的に分析・解剖し、解読する作業を己に課して来た筆者から見ると、イオネスク・竹本による詩文解釈は「とんでもない錯誤に満ちている」と言わざるを得ないからである。これをこのまま見過ごしておいたら、日本の真価に関しても、ノストラダムス預言の本領に関しても結局は害悪にしかならないのである。虚偽は何処までも虚偽でしかない。

第八サンチュリ27詩:VIII-27(§654):
La voye auxelle l’une sur l’autre fornix (The road upon which one furnace on the other)
Du muy deser hor mis brave & genest, (Out of the desert huge barrel placed a brave and gorgeous.)
L’escript d’empereur le fenix (The script of an emperor the phoenix)
Veu en celuy ce qu’ a nul autre n’est. (Having seen in the one what does not belong to any other.

これを筆者は次のようにタイトルを付し、解釈・和訳する(cf. Vignois, 1910, p.256)。

『ナポレオン3世とピウス9世』
一つの竈の上に別の竈が重なっている道、
見捨てられた大樽の中から外へ出された勇にして華ある者、
皇帝の文書、不死鳥、
彼の者の中に他の誰にも属さない物を看守せり。


これに対して、イオネスク=竹本釈は次のようになっている。

『諸世紀』第8章27歌
二重橋弧の影の路、                                       
此(こ)を往くを潔しとせず、ひとり、騎馬の荒武者は―荒寥(こうりょう)のこの沙漠に。      
天皇の宸筆、これぞ不死鳥、
余人に見えず―ただ一人、映りてこそあれ、かの者の目に。(Takemoto, 1993, p.206)

『終戦時皇居光景 詔勅不死鳥』
道に道 重なりて 二重橋、
満目荒寥(まんもくこうりょう)、立つは ひとり 騎馬の荒武者。
天皇の詔勅 これぞ 不死鳥、
余人に見えず ― 映りてこそあれ、ただ かの者の目に。(Takemoto, 2011, p.731)

同じフランス語原文に対して何という相違が二つの和訳にあることだろう!三行目はかなり近いが、他の部分は天地程もかけ離れている!

では、ノストラダムス預言詩解釈の常道に従い、詩句の基本用語の吟味から始めることにしよう。

先ず、第一行目のfornix という単語の意味は容易には窺えない。イオネスク=竹本曰く、「古来、ハイテクのシンボルとされたアーチ型の二つの橋「フォルニクス」が「互いに重なりあって」l’une sur l’autre fornixいる姿...。「二重橋弧」の「影の路」は、文字通りに取れば「補助の道」La voie auxelle である...。それは「ニジュウ-バシ」と呼ばれている橋ですが、濠(ほり)の水に映ったその影がまさしく「フォルニクス=橋弧」を二重にしたイメージを与えるからなのです。」(Takemoto, 1993, p.206-208)

確かに辞書には「fornix, m. 1. 円天井、弓形;2.アーチ、拱;3.凱旋門。[fornus]」(TanakaH)とある。これが二つ重なったものなら文句なく二重橋だろう。だが注意すべきは、この語のジェンダーは男性(m.) という点である。所が詩の方はl’une [fornix] だから女性ということで、合致しない。そこで、辞書の説明の最後にある「fornus」に当って見ると、fornus = furnus とあるから、更に見て行くと、「furnus, m. [fornax] パン焼竈。」「fornax,f. [fornus = furnus] 1.暖炉、竈; 2. パン焼竈、溶鉱炉。」とある(以上いずれも TanakaH)。このうちfornax のみが女性ジェンダーであるから、ノストラダムスは女性ジェンダーのfornix で以て女性名詞fornax を表そうとしたということになる。その最も普通の意味は「竈(かまど)」であり、英語のfurnace もそれから来た語で、これには文学史的に「厳しい試練」という意味があり得る。従って、私は「一つの竈の上に別の竈が載った道路」とは、「厳しい試練が続く道行き」と解する。他方、仮に性の相違に関せずfornix を竹本等のように「アーチ」と解しても、結果的には不条理が生ずる。何故なら問題の道路は、そこに「二重アーチ」が存在している道路だから、各アーチの上に道が通っているとすれば、全体は実は「三重路」になっている筈だからである。皇居の二重橋は現実には一重の石橋で、単にそう呼ばれるだけだとしても、橋であるから、その下は確かに水(お濠)があるが、本詩一行目は一番下にあるのは「道路」だと言っているので、訳者解と全然合っていない。一体この三重路はどういう構造か、そもそも解釈が正しくないのだから想像も出来ないが、もしfornix を橋のようなものとすれば、そういうことになってしまうのである。

何故なら、auxelle という新造語は、auquel 即ち à + lequel、 及び、その女性複数形 auxquelles 即ち à + lesquelles とのアナロジーによるもので、à + laquelle と解され、英語の upon which ないし where に相当するからである。laquelle (which) は女性名詞 la voye (the road) を受ける関係代名詞である。つまり、fornix を「道付きアーチ」とすれば、「道路、その上には一つのアーチがあり、アーチの上には更に別のアーチがある、そういう道路」が一行目で提示されていることになってしまうが、これは明らかに「三層道路ないし三重道路」と呼べるだろう。従って、名称だけでも、「二重橋」にはならないのである。

竹本等は auxelle を「補助の auxiliaire」の意味に解しているようだが、auxiliaris というラテン語を語源とする以上、フランス語でも英語でも auxiliaire, auxiliary となり、特に -XILI- の繋がりは重要で、それが -XELLE- となる音韻遷移は認められていない。そして、仮にこれが認められたとしても、auxiliary とは、本家本体の主幹があった上で、「それに付加的に添えられるもの」でしかないが、皇居のいわゆる「二重橋」は「正門の正規の橋」であって、決して補助的なものではないし、二重橋の本義も「眼鏡橋」という通称からは程遠いのである。

にじゅうばし 二重橋 皇居内の旧西丸地区にある正門鉄橋の別称。皇居正門前の石橋(俗称めがね橋)を渡り、右折して間もなく、新宮殿の中門前の濠に架かっている。この橋は深く切り込んだ台地の両端にかけられているため、工法上、台地の途中に橋桁を構築し、その上に更に橋を組むという二段造りの構造になっており、そのため俗に二重橋と呼ばれた。なお、俗に正門石橋を二重橋と称し、また石橋と鉄橋の二つを合わせて二重橋と称しているが、これは誤り(川田貞夫)。」(EH, XI, p.314-315)

初版では眼鏡橋の写真まで掲載して「二重橋弧の影の路」に自信満々だったが、その後こういう事情を知ったのか、最新版で竹本はそれを大々的に変更し、「道に道 重なりて 二重橋」とした。「直訳すれば、一行目は「道の上に補助的道が乗っているフォルニクス...」となりますが、これでは詩になりません。」これは、原文尊重の精神を忘れ、自己の詩的創作を誇る者の言であろう。

それにしても、「道の上に補助的道が乗っているフォルニクス」は La voie auxelle, l’une sur l’autre fornix と彼が取る一行目原文の直訳であろうか。否、それさえも決して「直訳」にはなっておらず、巧妙悪質な偽装的意訳が介在している。何故なら、その仏文を彼に即して直訳すれば「補助的道、一つのフォルニクスが別のフォルニクスの上に」となる筈だから。つまりこの場合、「補助的道」と「一つのフォルニクスの上にもう一つのフォルニクスが乗っているもの」とが同格に立つ。

他方、彼が直訳と称する日本文「道の上に補助的道が乗っているフォルニクス」を仏文に戻すとすれば、La voie auxelle sur l’autre voie, fornix となるべきであろう。結局、「道の上に補助的道が乗っているフォルニクス」は原文に即し得ない日本文であって、又、ローマ時代の水道橋にさえも妥当し得ない。何故なら、水道橋の主幹は正に水道であり、それは通常最高部に設置され、それより下位の構造体がむしろ「補助」となっているからである。何故なら要諦は谷間地形における架橋による水道の設置であり、その標高レベルが最初に決まる事によって、それを支持する下部構造が決まるからである。

次に第二行目で先ず問題なのは竹本等が「満目荒寥」(見渡す限りの荒野)と訳した le muy deser という二語だが、私はこれを「見捨てられた大樽」と訳す。何故なら、確かにフランス語には muy という語は無いが、大きな樽という意味の muid があり(cf. Vignois, 1910, p.256)、発音は共にミュイで同じ。そして、16世紀書き方では y は i に通じ、muy に続く deser の先頭のアルファベット d を借りるのである。そしてそれに形容詞 deser (= desert, 見捨てられた、deserted, desolate) を加えると「見捨てられた大樽」となる。

これは具体的には、ナポレオン3世が世に出る前にクーデター失敗で終身幽閉されたフランスの人跡途絶された古城「アン城」を指す。彼は後そこから巧妙に脱走し、それから運気を獲得して行く。なお、deser も本来は desert となる所、末尾のtを欠いたのは、私のやったような読み方への暗示、ヒントの一種とも取れる。なお、関連詩 §634,IV-65 では le deserteur de la grand forteresse (the deserter of the grand fortress) 「大きな要塞を見捨てた者、大きな要塞からの脱走兵」という表現で、アン城を脱走したナポレオンを描いているが、その deserteur (deserter) という語は、本詩の deser と共鳴している。つまり、「見捨てられた大樽」の「見捨てられた」という語には、「彼が見切りをつけて脱走した」という意味も加味されているのである。

但し、「大樽の中から外へ出された」という表現は正確であって、実際に彼の1846年5月26日の脱走は動機の点では兎も角、技術的には本質的に「受動的行為」であった。というのも、獄舎内で彼の下男として仕えていたシャルル・トゥラン Chrales Thelin という男が2日前に馬車を用意し、前夜には城の司令官からサン・カンタン旅行のための外出許可を貰っていて、労務者に変装したナポレオンが彼に従うという形で、何とか成功したからである。(cf. Torné-Chavigny, 1860, p.84-85). 従って、竹本等が受動的意味を持つ mis (placed) という過去分詞を「立つは一人」と能動態としたのは原文を逸脱している。又、そうでなく、もし、hor mis を hormis, except という前置詞として読んだ(実際彼等が掲げる原文は初めからhormisと一語にしている)のなら、一方で du muy の先頭の du に含まれる前置詞 de を考慮すると、de は hor de, out of と繋がるので、 hormis は選択肢としてあり得なく、mis は矢張り過去分詞でなければならないのである。何故なら、この場合の hor (辞書にない語)は明らかに前置詞 hors の語尾消去 apocope (下記参照) に他ならないからである。実際、hor も hors も発音は同じく「オール」である。更に念を押せば、ノストラダムスは明らかに hormis, except という前置詞だと分る事例において、それを『預言集』で3回は“hors mis”(II-31, II-37, II-39) と書き表し、1回は“ormis”(VI-4) と記しており、それに基づけば“hor mis”というオプションは排除される。従って、hormis と読んだ場合、竹本等がどこから「立つは」を引っ張って来たのか。それは、ノストラダムスの原文からではなく、彼等が脳裏に描いた「皇居前広場にひとり建つ楠木正成騎馬像」そのものからであろう。

なお muy と deser について伝統的修辞学の観点から説明を加えよう。このような単語の最終字を省略する手法は「語尾消去 apocope」と称されるが、ノストラダムスは『預言集』でこの手法を多用している。それは大抵、最終字が発音に関係しないような場合である。E.g. “muy” for muyd (ミュイ), “deser” for desert (デゼール) (here), “mor” for mort (モール) (I-81,II-70), “gran” for grand (グラン) (II-26, II-66), “escri” for escrit (エクリ) (VIII-56), “diver” for divers (ディヴェール) (VI-17), “couver” for couvert (クヴェール) (VI-17), “descouver” for descouvert (デクヴェール) (VIII-26), etc.

他方、竹本等はmuyをスペイン語の副詞「大いに」だと言う。ここにいきなりスペイン語とは驚きだが、同行末尾のgenestもスペイン語由来だから問題はないと言う。しかし、およそノストラダムスはフランス語で足りる所に敢えてスペイン語を強力な理由もなく当てるような事はしない筈だ。それ位なら、筆者の、一見これもやや強引に見える (しかし修辞法から見れば合理的な) 読み方の方が自然だろう。又、仮にそれがスペイン語副詞だとした所で、それに続くのは名詞(と彼等が考える)「沙漠 desert」ならば、この統語法は無理である。何故なら、極めて極めて例外的な場合以外、純然たる副詞は純然たる名詞を修飾しないからである。「大いに 沙漠」は「大いなる沙漠=見渡す限りの荒野」には換言出来ないし、そう読み換えるべき超例外的要請があるとも見えない。実際に辞書を見ても、muy が名詞・代名詞を修飾するのは、その名詞・代名詞が「形容詞的に用いられた」場合に限定される (cf.Hara)。

そして、そのgenestという語だが、これはスペイン語に頼らなくても、フランス語として意味は通る。16世紀的書法を残すgenest は現代的綴りではgenêtとなり、意味は「えにしだ」という植物である。蝶々の形をした黄色い多数の花を咲かせ、ゴージャスに見えるこの花木は、「勇敢さ」を併せ持つルイ・ナポレオンの他の一面を表す。彼の通常のイメージはそれと異なるかも知れないが、それは同時代人の政敵に相当する皇帝ナポレオン三世を嫌い、扱き下した共和主義者ヴィクトル・ユゴーのような有名な小説家の偏った見方が帝政崩壊後になって世人一般に影響したせいが大きく、実はよくよく見ると彼は「華やかさを持つ存在」であり、ノストラダムスの見立てでは、フランスで最も栄耀を極めた皇帝である (cf. §634,IV-65; §635,VIII-53)。

ユゴー自身の言葉では「ルイ・ナポレオン・ボナパルトは、中背で、冷淡で、青白く、完全には目覚めていないような鈍い様子をした男である。下品で、大人気なく、芝居がかった、見栄っぱりな人物である。見栄、房飾り、羽飾り、刺繍、スパンコール、大げさな言葉、大げさな称号、鳴る者、輝くもの、ガラス製品のような権力が好きなのだ。アウステルリッツの戦いの近親として、将軍の格好をしていた。軽蔑されることは問題でなく、人が自分を尊敬している顔を見れば満足だった。」(Trémolières IIIj, 荒川久美子訳, p.219)。

この描写から、大作家が被写体に抱く個人的嫌悪感を差し引くと、「まさに華ある政治的有能」の存在が浮き出てくる。実際、政治の大家は、表面上「鈍いような様子」を持つもので、近時のアニメ等がしつっこく描くような「ギラギラまなこ」は広大深遠な透視的観察の出来ない目で、その逆に何処を見るともなく沈んでいる目は、胸中で絶えずあらゆる可能性を仔細に測っている精神の活動が奥に控えているのである。その片鱗が既にその若年から現れていたとしても不思議ではない。その若年は伯父・皇帝ナポレオンの失脚により亡命を余儀なくされて、第一行目が詠うように、苦難に次ぐ苦難の絶えざる試練の中に彼の人生はあったのである。

竹本等がそれを「騎馬」と読んだのは、一種のまやかしによる。何故なら、genêtに似た語で「スペイン産の小型馬 genet」があり、genetとすべきなのをgenestとした訳は、gen-est、つまり「東方est (east)」の義をも表さんとするためだと言うのであるが、これは過剰解釈に陥り、詩句に無いものまで主張する似非解釈であるからである。現代的に諸アクセントが整備された形でのフランス語genêtとgenetは全く別語であり、こういう種類のアクセント記号を欠いていたノストラダムス当時は、genetに対するgenêtをgenestと綴っていたという状況を知れば、問題は解決する。そしてそれは両語の語源的相違に元来基づくもので、genêt即ちgenestの語源はラテン語 genestaないしgenistaであり、genetはスペイン語 jineteから来ている(cf. Ibuki)。因みに、「エニシダ」という日本語の響きは「ラテン語 genista から転じたスペイン語 hiniesta = イニエスタの変化したもの」というその素姓を明かしている (cf.金田一京助、他編『新明解国語辞典第三版』三省堂、東京, 1981)。

なお、ノストラダムス『予言集』において、フランス語「彼 (彼女、それ)は在る est (He, She or It is.)」という語が同じ綴りとして「東 est (east)」という意味をも同時に持つ例は、V-32 詩に見出される。所で、この V-32 詩は、VIII-14 詩と共に竹本等にあっては「アメリカ物質文明の破局」として解釈されているが、est という語に注目すれば逆に「東洋の国日本の経済危機」に関わる可能性の方が大きいのである( → 日本関連詩4)。

次いで第三行目を見れば、竹本等が「天皇の詔勅」と訳した原語はL’escript d’empereur (The script of an emperor) だが、empereur (emperor) = 天皇は兎も角として、escript (script)を「詔勅」と訳すのは誤りである。escript (script)はなるほど「書かれたもの」一般であり、「詔勅」も一見そのように見えるが、日本語でも荘重に「詔勅」と言われる種類の特別な文書は欧米でも矢張り特別荘重にédit (edict)と称され、それは「話されたもの、宣明されたもの」と言う原義を持つ (cf. Ibuki ; Obunsha)。まさに「みことのり」であって、従ってそれは単に「書かれたもの」という単語では表し得ないのである。そしてノストラダムス自身も、その『預言集』での用語として、両者を厳正に区別して使っている。即ちédit (edictないしedit)は計6回登場し、「出版 edition (公刊されたもの)」という意味1回 (V-72)以外は5回とも「君主の勅令に匹敵する最高権力の公的命令」(I-40, II-7, IV-18, V-97, X-94) である。他方、escript(z), escris, escrit等は計6回見られ、「結婚契約書」(IV-57)、「墓碑銘」(VIII-28)、「運命の書の記載」(VIII-56)、「政治的党派の合意文書」(IX-8)、「ロゼッタストーン銘文」(IX-32) となっており、そして本詩の場合は「ナポレオン三世に帰すべきと看做されている小冊子『教皇と会議』という文書」と解されるのである(「会議」とはイタリア問題等を扱う為、1860年1月初旬にパリで開催予定のウイーン条約署名諸国による国際会議のこと。これは結局無期限に延期された – cf. Dreyss,p.899)。これは形式上はナポレオン三世の署名文書ではないし、彼の公的命令でも何でもなく、「彼が他人に起稿させ、彼が自身の所見と認めた文書」(cf. Seignobos, 1921b, p.14)にしか過ぎないので、とても「詔勅」と言えた代物ではない。矢張りそれをノストラダムスはedictとはせず、単にescriptとしたのである。これが仮に昭和天皇の「終戦の詔勅」や、明治天皇の「五箇条の御誓文」であるなら、ノストラダムスは矢張り、異国の「エンペラー」であっても、escriptなどとはしなかったに違いない。後半の「不死鳥」を竹本等は「皇帝の文書」と取っているが、最終行に照らし合わせれば、それは「彼の者」であると解すべきだろう。

最終行の竹本等の訳は「余人に見えず ― 映りてこそあれ、ただ かの者の目に」とあり、彼の解説によれば、かの者のみに見えるものとは、「不死鳥の復活する姿」であり、かの者とは「三島由紀夫」のこととされる。しかし、「余人に見えず ― 映りてこそあれ、ただ かの者の目に」と言う訳自体が最初からフランス語原文の正確な和訳には到達していないのであるから、いかに興趣深い説明を加えようとも、如何ともし難い。何故なら、Veu en celuy ce qu’ a nul autre n’est. (= Vu en celui ce qui n’est à nul autre, Having seen in the one what does not belong to any other.)と言う原文は、英訳で示したように、冒頭が過去分詞veuなので助動詞を補って見ると、「当該文書が~を見た」という構造が浮き出てくる。つまり、当該文書の趣旨は、「ある一人の者の中に、他の誰にも属していない唯一占有的な物のみを看取している」ということである。その文書は「ある人の内に、その人自身にしか属さない物しか見ていない」というのである。これだと抽象的で分かりにくいが、実際の所、ナポレオン三世の主張を盛った『教皇と会議』という小冊子は1859年12月22日に出版され、「教皇はローマ以外の所領を手放すのが良い、教皇の力はその実力からではなく、そのひ弱さから帰結するものである」という主張をしている(cf. Seignobos,id.)。とすれば、ノストラダムスの表現は全く以て完璧と言うしかない。それに対し、「(何かが)他の者には映じていないが、かの者の目にだけは映っている」という竹本等の訳は原文の構造と完全に主客転倒しているのみならず、ce qui n’est à nul autre (what does not belong to any other)という構文を理解していないのである。「かの者」も「余人全員」」も「見ている主体」ではなく、「見られている客体」であるのが原文の構造であり、さらに言えば「余人全員」は直接見られている対象ではなく、「余人全員に属していない物」が見られているのであるからである。

或いは、veu を受動態的過去分詞に取り、「他の誰にも属さない物が彼の者の中に見られ What does not belong to any other seen in that one」とする方が時制上は自然であるが、趣旨は同じである。

さて、そうすると、先の「不死鳥」とは、教皇が仮に既存の広大な領土を失ったとしても、ローマのみに留まって本来の「実力ではない弱さ、即ち神聖な職務にのみ専念することにより却ってその力・パワーを獲得し発揮出来る」という文書の趣旨の美的象徴に他ならないことが明らかとなる。実際、キリスト教文化圏の中で、フェニックスという伝統的な東洋的イメージは、「キリストの復活」の象徴という西洋的ニュアンスを新たに獲得した (ジェニファー・スピーク著、中山理訳『キリスト教美術シンボル事典』大修館書店、東京, 1997, p.187) 。その新たなイメージをノストラダムスは喚起しているのであって、竹本等のように古い東洋的イメージに固執する必要はないのである。

N.B. 文法論雑感
このあたりで読者諸賢はある種の違和感を筆者の論説に対して抱かれるかも知れない。つまり、「日本人である筈の貴公が、名だたる欧米のノストラダムス研究者達の解釈の、特に文法的な欠陥を鋭く強く指摘し、彼等の思い及ばなかった新しい説明を行っているように見えるのは、一体全体、どいういうことなのだ。フランス語を母国語とする解釈者は言うに及ばず、インド・ヨーロッパ語族内で親類筋の英独等の研究者達であっても、日本人よりもはるかにはるかに、ずっとずっと、ノストラダムス詩文のフランス語解釈において、実力を持っているのが当然で、常識ではないか。」と。

しかし逆に私は、「彼等欧米人達(竹本忠雄氏も、その経歴を見ると、フランス等の外国生活が長く、欧米人並みの日常的言語感覚は磨かれていても、文法的自己研鑽は余りやっていなかったと思われる)は、どうしてこうも自国語や、欧米近隣語であるノストラダムスのフランス語の、特に文法的事項に関して幼稚なのだろうか?」という疑問を抱かざるを得ませんでした。

そして、その答えは、最近、とみに批判されている「文法重視の日本の外国語教育」の長期の伝統にある事が実感されるようになりました。言い換えれば、彼等欧米人は、自国語や近隣言語に関して、日本人ほど「基礎基本に徹した文法教育を微に入り細を穿つまで教育されて来ていない」という事実があります(一、二世紀を戻る時代の欧米人らが伝統的に受けて来たギリシア・ラテン古典語文法は、ある程度ノストラダムス解読に役だったが、、ギリシア・ラテン語文法も、そのままで近代・現代フランス語に当てはまるとは限らなく、そのためそういう教育を受けたが、フランス語自体の文法教育が不十分な旧世紀ノストラダムス研究者も、古典語文法を無理やり当てはめる傾向に陥り、近代語としてのフランス語の特性を見落とすという流れが続いた)。

英語学者にして、練達の政治・歴史評論家である上智大学名誉教授・渡部昇一氏が常日頃力説して来られた「外国語教育の文法重視の強大なメリット」を私は実感しています。つまり、会話中心の外国語教育は、それだけでは、学術書・研究書等(未解読のノストラダムス著作等を含む)の正確・綿密な読書・解読・理解を促進し得ない、ということです。

よく帰国子女が、日本の学校での「英語やドイツ語」等のクラスに随いて行けない、という話が聞かれますが、その躓きの石は、ズバリ、「文法の重視」にあります。外国で一時期生活して、そして一応会話が出来るということと、その言語の文法構造が分析的に説明できることとは、同一の事、同一の能力ではありません。早い話が、日本人だって、学校で日本語文法を習わなかったら、こんなにも自由に日常操っている母国語の、文法的説明は不可能です。

従って、多くの人の場合は会話中心でもいいけれども、何らかの専門的分野で国際的な問題について、世界に出て行って実力を発揮してみたい、という大望を胸中に秘めている青少年諸子諸君に限っては、文法否定論は軽く聞き流し、受け流して、折角の会話教育は学校で楽しく学びつつ、伝統的な文法学習を独力ででも徹底マスターされるよう、アドヴァイス申し上げる次第です。

参考:Eight parts of speech (リンク参照)
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