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序言: 歴史家になったノストラダムス ?

予言者が歴史家になったとすれば、それはある種の解釈者たちが考えるように、彼の「予言詩」なるものは、もともとが実際に体験したことや、史実に題材を取った写生詩にすぎない、ということか、又は逆に、彼の予言が歴史において全て実現したと見るか、いずれかであるが、我々は勿論、後者の見解に立つ。そもそも、前者の立場からの解釈は未だ貫徹された試しがない。若干の詩について散発的にしか語られていない。勿論、後者の立場も未だ実証されたものではないが、我々は、「預言者ノストラダムスの全き誠実さ」を微塵も疑い得ないとする立場から、その将来史的予言の歴史的実証を貫徹したいと希う者である。

ただ、我々が最も合理的として想定するノストラダムスの958編の予言四行詩の全体を、一通り見終わった段階で、予想に反するような1555年から2000年に至る446年間の範囲外のものは、「預言集刊行前の予言詩」として説明した VI-47(§951) (はじめに1参照)以外は、皆無である、ということを明言しておきたい。

そして、958 編のうち、幾つかは、歴史的予言のカテゴリーではなくて、「哲学的表明」と言うのが相応しいカテゴリーに含めるべきものがある。その代表的なものは、巻首に置かれた2編と、第六サンチュリ末尾のラテン詩である。又、本来のカテゴリーのものでも、数世紀に関わる超長期的射程を持つ予言詩もある。そこで、これら2種類のものを現段階で、概数13編とすると、残り945編は、16世紀乃至20世紀のどこかの世紀に分類可能である。

第一集計段階での結果は次のようになる (最終的集計は、「序言(第二版)ノストラダムス『預言集』の始点と終点の標識」参照)

16世紀 (1555- 1600): 236編:各年平均5.1編。
17 - 18世紀 (1601- 1800): 255編:各年平均1.3編。
19世紀 (1801- 1900): 247編:各年平均2.4編。
20世紀 (1901- 2000): 207編:各年平均2.1編。

1555 - 2000
年各年平均2.1編。

これを見ると、各世紀の平均数のバラツキが極めて大きいのに驚かされる。
実は、17世紀と18世紀を一緒にしたのも、その故であって、これら2世紀は非常に予言詩の割り当て数が少ないのである。

逆に、16世紀が圧倒的に多い。そして、19世紀と20世紀は平均並みである。

私は、研究の発端として、958/(2000-1554) = 2.14編/年といった数値を想定し、これなら2000年より先の時期はノストラダムス予言の対象にはされていないだろうし、それだったら未解明の詩は「1555 - 2000 年の歴史事象に必ず関連しているはずだろう」という目論見を抱いた。

これは、しかし、歴史というものを問題にする場合には、時代区分自体が人工的である上に、自由な、且つ間主観的な人間行動を源泉とする社会事象から構成されている性質上、およそ平均値といったものは、大局的趨勢を語るのみであろう。しかし、そこに又、一つの重要な意味が認められる。 

事実、16世紀はノストラダムスの同時代史を含み、祖国フランスが宗教戦争という過酷な内戦に明け暮れた世紀として、予言者の最も大きな関心を惹き付けたとしてもおかしくない。

ところが17世紀と18世紀は、その波乱終結の上に開花したフランスの絶頂期であって同一君主の治世が長く続いた。そうなると、予言者が扱うのを元来得意というか使命とするような、正に政権交代や、王朝遷移、政体変革という大動乱が頻発はしないことになる。

他方、19世紀は、前半でフランスの大英雄ナポレオン・ボナパルトが縦横無人の活躍をした。実にそこに大量の予言詩をノストラダムスは投入している。つまり、ナポレオンという一人の軍人・政治家が関わる予言詩を数えると140編位ある その活動年代を概略26年(1790 年代)とすると、年平均は5.3編になる。これは16世紀の平均を超えた驚異的値である。ナポレオンこそ、正に祖国フランスの「未来の英雄」としてノストラダムスが最も予言の焦点を精細に当てた歴史的人物であることが分かる。

そして19世紀半ばには「諸国民の春」と呼ばれた各国国民の民主化運動の高まり、とりわけ、イタリア半島の政治的統合への激しい推移が相当詳細に描かれている。事実、ノストラダムスの関心の第一は、当然フランスにあったが、第二に彼はイタリア半島の運命に深い関心を寄せていたことが伺える。それは多分、若いころ16世紀初期の最も先進的な文明の地として研修的旅行を重ねた若年の思い出と、自己の依るカトリシズムの大本山ローマ教皇庁があることに基づくのではあるまいか。

19世紀後半もフランスは大きな変異を見せた。七月王政の瓦解の後、共和政が再起し、それが直ちにナポレオン三世の第二帝政に昇華したかと思いきや、普仏戦争敗北のインパクトを受け、外国勢力、取り分けプロシアの支援のもと共和派が着実に力をつけ、それがブルボン王政復古への国民的期待と情熱をも斥けて、議会と大統領制を両輪とした堅固な共和政が確立されてゆく。

そして、20世紀は、言うまでもなく、両大戦を中核に、世界は同時的に、地球的規模で動くようになり、大事、大乱、大進歩、大躍進に満ち、一体「大予言者」は何を基準に、いかなる出来事を見て予言詩を作成したのか、興味の尽きないところである。

そして、結局のところ、ノストラダムスの予言には、何か「最終的な、主要なメッセージ」といったものが籠められているのか、どうかが、気になるのが人情である。

勿論、連綿と続く「最近数世紀の歴史的主要事件の正確な予言の成就」という一事だけでも、人智にとっては不可思議、大変、吃驚仰天ものだ。そこに神意と神威と神位とを見、感じ得ない個別の魂は、本来的に未熟未開発と言わざるを得ない。そして、このような内容であるならば、『諸世紀』という日本語題名は、誤訳だという人もいるが、siècles (ラテン語語源としての意味はgeneration世代)を念頭に置いた「名訳」であると言うべきだろう。つまり、「近現代史の数世紀の歴史」が一つの絵巻として予言詩作品に総括されていて、これを味読すれば、古代でも、中世でも、あるいは未来でも、現代でも、一定のまとまりをもった数世紀間の歴史というものの基本的な一般的イメージを形成し得る、そいう導きを提供できる作品なのである。そして、何故、数世紀の期間が意味を持つかというと、その形而上学的基礎には、大多数の人の輪廻転生の周期が300-400年であるという仏神の仕組みがあるだろう。例えば、フランスの16世紀の歴史を見ていると、現代にフランスだけでなく日本あたりにさえも転生している魂と思しき例に幾つも邂逅する印象を禁じえないことがある。日本人の多くについて言えば、戦国時代から徳川初期に生を受けていた魂たちが今新たな人生に挑戦しているようなものである。従って、「諸世紀とは、魂の一世代である」と云う事が出来るだろう。

この点を大前提にした上で、なお且つ人々を魅了する作品に期待される「大団円」「The grand Finale」「The Final Answer」と言えるものがあるとすれば、それは何か。(「大団円としての幸福の科学」)

この核心点を探るのと並行して、まさにノストラダムスが最も多くの詩編を投入したナポレオン中心の歴史継起に最初に注目して我々の連綿たる解釈を展開したい。それには、当然、ナポレオンが自ら「自分は革命の申し子(Révolution fait homme)なり」と言った、彼の前史たるフランス革命をも一緒に扱う必要があるだろう。

実にこの革命関連の詩も70編程度あり、ナポレオン関連と併せると、1789 - 1815 年の27年間に200編以上が集中しているのである。これは年平均が7.4編であり、これだけ揃うと、予言と言うよりも、「歴史絵巻」そのものという感じさえして来る。(「フランス革命」「Napoléon Bonaparte」)

なお、私のフランス語BLOG:Poète Historique (リンク参照)では、クロノロジーに忠実に16-20世紀の順に叙述するので、参考にしていただきたい。
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序言(第二版) ノストラダムス『預言集』の始点と終点の標識

ノストラダムスの958編の予言集四行詩の全体を検討し終った段階で、予想に反するような1555年から2000年に至る446年間の範囲外のものは、「預言集刊行前の予言詩」として説明した VI-47950) はじめに1参照)以外に、預言集の始点と終点を標識すると見られる2編: IX-75 (§949) III-94 (§958) が認められるのみである。

第九サンチュリ75詩 (§949, IX-75)
アンブラクシーの、そしてトラキアの土地の、
海の人々が、フランスの害悪にして且つまた援助。
プロヴァンスには幾久しいその痕跡。
彼らの風習と遣り口の遺物を伴い。


アンブラクシー (Ambraxie) というのはバルカン半島エピロス地域の町で、現在はアルタ (Arta)と呼ばれており、トラキアと併せると、ギリシアということになる。そうすると、ギリシアの人々が海路、プロヴァンスにやって来て、フランスに対して、害と共に援助をなし、その痕跡が消えずに何時までも残っている、という詩の趣旨が浮び出て来る。しかし、ギリシアからプロヴァンスにそう言った人々が来たという史実は見当たらない。しかし、ギリシアが長くオスマントルコの支配下にあって、ここで言うその土地の人々がオスマントルコの海軍と解されれば、フランソワ1世と同盟したスレイマン大帝の命で、その提督バルバロッサが1543年に大艦艇を率いてマルセーユに来てフランス艦隊と合流し、時の皇帝シャルルカンの陣営に与していたサヴォア公の町ニースを攻囲し、 完全な勝利を得られないままに1543-1544年の冬季、トゥーロンで越冬した、という出来事が極めて良く本詩に合う。何故なら、その同盟は「誠にキリスト教徒たる王」と「異教の王」との同盟としてキリスト教世界一般から強い非難を受けた上に、トルコ越冬隊の所業が甚だ芳しくなかったからである。歴史に曰く:

「攻囲を解いた後、トルコの人々は補給基地としてトゥーロンを提供するよう求めた。当時トゥーロンは一個の自然港湾でしかなく、近代的諸設備は未だ何もなかった。彼らはそこで冬を過ごし、翌年の春になってようやくプロヴァンスの海岸から去って行った。彼らは同盟国の内に居た訳であったのに、退去する時、彼らのやり方に従って(suivant leur usage= according to their usage) 多数の男女の捕虜を確保して行った。彼らのガレー船の漕手は常にキリスト教徒の奴隷で構成されていて、彼らは通り行く全ての海岸で漕手の更新を行った。それ故、後に仕返しとして、フランスのガレー船ではトルコ人達を漕手に使用するという習慣 (usage) が確立されるのである。」(Dareste, IV, p.40-41)

従って、「彼らの風習と遣り口の遺物を伴い。」という最終行の意味は、「ガレー船の漕手に自国宗教に属さない外国人捕虜を使用する」というトルコに発し、フランスに伝播した遣り口のことである。つまり、

彼らの風習と遣り口=ガレー船の漕手に自国宗教に属さない外国人捕虜を使用するというトルコの仕方。
その遺物=フランス海軍に採用されるようになったその仕方。

また、3行目「プロヴァンスには幾久しいその痕跡。」については以下の史実が該当する。

[サヴォア公に対する大きな援軍の到来で]攻囲は[1543]9月8日に解かれた。サヴォア公は、自分が主権者として君臨できる唯一残された場所たるニースを救った事に狂喜し、後世にその勝利の記念物を残したいと思い、硬貨を鋳造させた。その一面にはサヴォアの十字架があり、そしてもう一面には、フランス人達にとって極めて厭わしい次のような刻銘があった:ニースはトルコ人達とフランス人達によりて攻囲を受けたりき。」(Daniel, X, p.524) 

本詩には動詞が全く欠落しており、従って未来の予言という趣きが無く、又1555-2000年の期間には該当史実が見当たらないが、1543-1544年の上掲史実に照らせば完全な解釈が為され得る、という状況であるから、一個の碑文のようにこれは作者が明らかにその予言開始の直前的過去の出来事として、そして又同時にその痕跡と遺物を作者の同時代にも見せている出来事として置かれたものと見なすのが適切だろう。つまり、本詩はノストラダムス予言集の Terminus post quem(開始点の限界=予言は必ずそれよりも後の時期と断定できる遡及境界=但しそれ自体が予言時期に含まれるとは限らない時点)なのである。

他方、III-94(§958) 詩は、これと対照的に、Terminus ante quem(終了点の限界=予言は必ずそれよりも前の時期と断定できる下降境界=但しそれ自体が予言時期に含まれるとは限らない時点)であると考えられる。

そこで、958 編のうち、予言対象期間外のこれら3編、及び「哲学的表明」のカテゴリーに含めるべきものが7編(巻首に置かれた2編、その他5編)ある。これら10編949-§958)を除く残りの948編(§1-§94)は、16世紀乃至20世紀のどこかの世紀に分類可能である( § ナンバーは全958編の連番である)。

最終の集計結果は次のようになる。
16世紀 (1555- 1600): 233編(§1-§233):各年平均5.1編。
17 - 18世紀 (1601- 1800): 79+131=210編(§234-§443):各年平均1.1編。
19世紀 (1801- 1900): 287編(§444-§730):各年平均2.9編。
20世紀 (1901- 2000): 218編(§731-§94):各年平均2.2編。

1555 - 2000
年各年平均2.1編。

これを見ると、各世紀の平均数のバラツキが極めて大きいのに驚かされるが、実はノストラダムス予言が「人々の耳目を最も強く惹き付けるような大事件」を扱う性質上、極めて自然な傾向の表れと言えよう。

事実、16世紀はノストラダムスの同時代史を含み、祖国フランスが宗教戦争という過酷な内戦に明け暮れた世紀として、予言者の最も大きな関心を惹き付けたとしてもおかしくない。ところが17世紀と18世紀は、その波乱終結の上に開花したフランスの絶頂期であって同一君主の治世が長く続いた。そうなると、予言者が扱うのを元来得意というか使命とするような、正に政権交代や、王朝遷移、政体変革という大動乱が頻発はしないことになる。実際、アンリ4世が政権を確固たるものにした1606年から、革命のど真ん中の1792年までは、「平和が長期間にわたって続くだろう」とノストラダムスはアンリ2世宛献辞の中で「極めてソフィスティケイトされた表現で」述べている(「フランス革命 1, 2, 3」)。

他方、19世紀は、前半でフランスの大英雄ナポレオン・ボナパルトが縦横無人の活躍をした。実にそこに大量の予言詩をノストラダムスは投入している。つまり、ナポレオンという一人の軍人・政治家が関わる予言詩を数えると、18世紀分32編+19世紀分145編=177編もある トゥーロン攻略(1793)からセントヘレナ遠島(1815)迄の期間(23)に限定すると、関連詩約170編超であるから、年平均は7.4編になる。これは16世紀の平均を超えた驚異的値である。ナポレオンこそ、正に祖国フランスの「未来の英雄」としてノストラダムスが最も予言の焦点を精細に当てた歴史的人物であることが分かる。

そして19世紀半ばには「諸国民の春」と呼ばれた各国国民の民主化運動の高まり、とりわけ、イタリア半島の政治的統合への激しい推移が相当詳細に描かれている。事実、ノストラダムスの関心の第一は、当然フランスにあったが、第二に彼はイタリア半島の運命に深い関心を寄せていたことが伺える。それは多分、若いころ16世紀初期の最も先進的な文明の地として研修的旅行を重ねた若年の思い出と、自己の依るカトリシズムの大本山ローマ教皇庁があることに基づくのではあるまいか。

19世紀後半もフランスは大きな変異を見せた。七月王政の瓦解の後、共和政が再起し、それが直ちにナポレオン三世の第二帝政に昇華したかと思いきや、普仏戦争敗北のインパクトを受け、外国勢力、取り分けプロシアの支援のもと共和派が着実に力をつけ、それがブルボン王政復古への国民的期待と情熱をも斥けて、議会と大統領制を両輪とした堅固な共和政が確立されてゆく。

そして、20世紀は、言うまでもなく、両大戦を中核に、世界は同時的に、地球的規模で動くようになり、大事、大乱、大進歩、大躍進に満ち、一体「大予言者」は何を基準に、いかなる出来事を見て予言詩を作成したのか、興味の尽きないところである。

そして、結局のところ、ノストラダムスの予言には、何か「最終的な、主要なメッセージ」といったものが籠められているのか、どうかが、気になるのが人情である。人々を魅了する作品に期待される「大団円」「The grand Finale」「The Final Answer」と言えるものがあるとすれば、それは何か。(「大団円としての幸福の科学」(§931-§946)

この核心点をじっくりと探りながら、同時並行的に、まさにノストラダムスが最も多くの詩編を投入したナポレオン中心の歴史継起にも注目して我々の連綿たる解釈を展開したい。それには、当然、ナポレオンが自ら「自分は革命の申し子(Révolution fait homme)なり」と言った、その前史たるフランス革命をも一緒に扱う必要があるだろう。

実にこの革命関連の詩も70編弱あり、ナポレオン関連と併せると、1789 - 1815 年の27年間に240編も集中している。これは年平均が89編超であり、これだけ揃うと、予言と言うよりも、「歴史絵巻」そのものという感じさえして来る。(「フランス革命」(§342-§410) Napoléon Bonaparte(§411-§587)

なお、私のフランス語BLOG:Poète Historiqueでは、クロノロジーに忠実に16世紀の出発点から順に叙述するので、参考にしていただきたい(§1-§341)。「Napoléon Bonaparte(§411-§587))も並行して掲載します(フランス語)。

又、私の英文BLOG:Nostradamus Anthologyでは、ナポレオン関連詩を除いて、19世紀初めから終わりまでの予言詩解釈を先行させ、それからナポレオン関連詩解釈後に20世紀分を扱うので、参考にしていただければ幸いである(§588-§930)
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