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§931 大河と小川 (1991): XII-71.

大団円としての幸福の科学1 大河と小川

 未だ他の誰も取り上げたことのないもので、私が初めて気づくことになった一つの予言詩から始めることにしよう。それはXII-71詩であって、しかも興味深いことに『預言集』全巻の巻末最後の位置に見出される四行詩である(これは偶然の配置とはいえ後に見るようにノストラダムス預言の終結を暗示している)。

第十二サンチュリ第71詩  大河と小川:XII-71 (§931).
大河と小川は悪をせきとめ、
古い怒りの炎は未だ鎮められず、
仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう。
数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ。

§931, XII-71: The grand and the small rivers (1991).
Grand rivers, small ones shall be obstacles of the evil.
The old flame of anger not appeased,
Running through France, this land as oracles,
Houses, manors, palaces, a sect razed.

Fluves, rivieres de mal seront obstacles.
La vieille flamme d'ire non apaisée
Courir en France. ceci comme d'oracles:
Maisons, manoirs, palais, secte rasée.

大河と小川フランス語 fluve (Lat. fluvius) = fleuve は海に流入する大きな川 (a large river)で、rivière fleuve 又は他のrivièreに流れ込む大きな水流 (a large watercourse) である」(Dubois):

悪をせきとめ原文の構造は、Fleuves, rivières seront obstacles de mal (shall be obstacles of the evil) と解する。意味上、ここでは一行目が三行目に接続し、二行目が四行目に接続する。つまり「大河と小川は悪をせきとめ、仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう。」「古い怒りの炎は未だ鎮められず、数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ。」

「この中で、私は、「大河」とは「幸福の科学」の指導者「大川隆法」氏を先ず表し、「小川」とはその会員の「小川知子」氏を先ず表すのであろうし、「仏国」とは文字通りの「フランス国」ではなくて、「仏教国家たる日本国」を表すのではあるまいか、と推測した。このような持って回った暗号化的表現はノストラダムスの常套手段の一つである。そして「大河」が複数形であるのは、大川隆法氏の夫人「大川きょう子」氏及び父親の「善川三朗」氏を含み、また同様に「小川」が複数形であるのは、小川知子氏の兄の小川空城氏を含むからではないかと推測した。つまりここには「幸福の科学」運動の最高指導者及びその協力者・会員が指し示されていると考えられる。そして「大河と小川」が「悪をせきとめるであろう(悪を阻止するであろう)」というのは、「幸福の科学」の伝道活動が本格化し始めた1991年に生じた出来事を指していると考えられる。特に「講談社」の写真週刊誌『フライデー』の人権侵害的記事に対する抗議に端を発した「幸福の科学」側のデモや訴訟活動によって、マスコミに巣くう「悪の勢力」が厳しく批判され非難され、人権侵害的記事やポルノグラフィー的写真等の排除・撲滅運動が活発化した社会事象はなお多くの人々の記憶に新しい。そして、「仏国に神託として流布するであろう。」というのは、「幸福の科学」の運動が、紛れもなく、神仏からの霊言の数々を受けてそのメッセージを人々に伝え、宗教的真理への覚醒を社会に起こそうとする一大宗教活動として行われるものであるということであろう。

では「古い怒りの炎は未だ鎮められず、数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派が潰れ」とはどういうことか。「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され」とは、日本関連の預言詩5§929, V-32: 日本のバブル崩壊 (1990-2000) において考察したような、1990年代に起った所謂バブル崩壊による不動産資産価値の暴落と解される。又「一つの宗派が潰れ」とは、松本サリン事件や地下鉄サリン事件等を起こし容疑者として教祖と多数の幹部が逮捕・起訴・審理され、多くが死刑確定した例の「オウム真理教」の事実的崩壊を意味するのではあるまいか。これは「一つの宗派」という単数の語形であるから「潰滅した一つの宗派」としてはこの団体しか当てはまらない。だが「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され」というのはどちらかというと、地下鉄サリン事件の直前に起った「阪神・淡路大震災」ではという選択肢もあるが、それだと「古い怒りの炎は未だ鎮められず」という前件との関連が不明となる。

そもそも「古い怒りの炎」とは何だろう。詩文の中で「古い」と言われる以上は相当古い感じがしなければおかしい。そこで推測されるのは色々な人が発言していたことだが、今回の日本のバブル崩壊は米国の投機筋による東京証券取引所における日本の諸企業の株に対する仕掛けによって始まった株価暴落から来た。この私企業の果敢な行動を奇貨として素早く国策を戦略化した(この知性と行動力は日本も見習いたい)であろう米国の日本に対する攻勢は、世界経済の支配力確保をめぐり、1980年代の日本経済の隆盛に因縁を得た「リメンバー・パールハーバー」という半世紀前の底深い競争心の再燃をも意味しているのではないかという憶測も聞かれ、これを「鎮火されざる古き怒りの炎」と表現するのは的外れではない。

そして実は「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され」の「破壊され」という語はこの詩の中には実在せず、「一つの宗派は潰れsecte rasée 」という語句から raséeを借りて一応補足的に読んだものであるから、意味としても、物理的に「破壊」と取るよりも、抽象的に「資産価値の破壊つまり暴落」と取ってみた。従ってそれは阪神大震災なら神戸とその周辺に狭く限定されるのに対して、全国にわたる主要な都市群に関連し、1945年の米国軍の多数の爆撃機の波状大空襲による日本本土諸都市の炎上と破壊の経済的延長線上の被爆の姿として映る。但し、文法的に厳密な読みとしては、rasée が本来は 男性複数のrasés であってMaisons, manoirs, palais, secteの全てに係っているのだが、2行目の女性単数apaisée との押韻上、女性単数形を与えられたと考えるのが最適である。従って、「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ。」という訳は文字通りそのまま、「1995年1月の阪神・淡路大震災と3月に起きたオウム真理教による東京地下鉄サリン事件及びそれによる同教団壊滅」に当てはまるように見える。実際、raser という動詞には「(要塞・都市などを)根こそぎ破壊する、(建物を)取壊す」(Suzuki) という意味がある。しかし、先に見たように、阪神・淡路大震災の場合は所謂自然災害だから、「古い怒りの炎」との関連が見えないし、且つ、ノストラダムスの『預言集』においては、自然災害自体がテーマとなるのは極めて例外的で、例えば表現として「地震 terre trembler / tremblement de terre」となっているのは全て「戦争」を意味し(全12回 : I-20, I-46, I-93, II-52, III-3, VI-66, VI-88, VIII-29, IX-31, IX-83, X-60 et X-79)、その他「震える trembler + 地名・町・山や人々」(全14回 : I-82, I-87, II-68, II-86, IV-54, IV-90, V-27, V-50, V-61, V-68, IX-33, IX-60bis et IX-94)「激しい / 強い+揺れ」(全2回 : I-82 et X-67)「竜巻+揺れ」(全1回 : I-57)も「戦争」を意味し、唯一「1908年のメッシナ大地震」(VIII-84, IX-61)が「地震」という表現抜きに預言されている状況であるから、本詩の場合も震災よりも、バブル崩壊の方が妥当性が高いと思われる。何しろ預言者の観る所は原則的に「人間の所行とその結果としての歴史」であって、自然現象ではない。このことは、ノストラダムスの預言四行詩作成の根本動機が、統計論上諸地域や諸時期に繰り返されるであろう類似した不可抗力の自然事象の予示ではなくて、「諸々の政権、諸々の党派、諸々の宗教が大いに反対のものに、しかも現在と比べて正反対のものに変化してしまうだろうLes regnes sectes & religions seront changes si opposites, voire au respect du present diametralement.(1, p.33) という世界史的・国際関係論的出来事の先取的記述という点に存した事と深く関連している。

そして「古い怒りの炎は未だ鎮められず、数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ」という文はいわゆる分詞構文で定動詞がないので、「大河と小川は悪をせきとめ、仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう」という定動詞をもつ主文に対する状況説明の付随文である。この付随文は1990年代の日本という特定の場所と時代を表す。従ってその中の一要素として「一つの宗派の潰滅」も読み込まれているのであるから、この部分については前件の「未だ鎮火されざる古き怒りの炎」との関連を問う必要はない。敢えて言えばこの「一つの宗派の潰滅」の記事は「神託として流布する」別の宗教、つまり「幸福の科学」の興隆傾向を際立たせるための比較項の役割があるし、且つそれに止どまらず、実際上も当局が「邪教の破壊活動」に対して断固たる決断を取れず逡巡している時に、素早い情報収集と的確な判断に基づいて積極的措置へのアドバイスの努力を凡ゆるルートを探って果断に行ない、結果的に首都圏の甚大な数の人命を保全し得たのも「幸福の科学」の指導者であったという事実は銘記しておくべきだろう。」(初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(8)」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第50巻第1号、1999 [下線部改稿]

なおここで、「フランス」を「仏国=仏教国=日本」と取った点に関して補足しておきたい。これは勿論、「フランス」に漢字を当てる場合、「仏蘭西」と書き、「仏」と略称する我が国の習慣を下敷きにしたもので、なおその上、「神託の流布」という本詩のテーマを考慮した場合、フランス国ではなく日本国が当てはまると考えたのである。何故なら、キリスト教圏もイスラム教圏も、新旧の聖書、又はコーランという確立されたドグマの源泉を有し、新しいドグマ(神託)の創生は不可能な状況で、それが現代可能なのは非キリスト教圏、非イスラム教圏、即ち共産圏以外の東洋で、しかも多神教を奉じる国民性に浸透されたインド、又は日本しかないと思われる。そして、インドではなお、伝統諸宗教が優勢であるのに対して、日本では伝統宗教は弱体化し、大多数が信教不明状態と言えるほどであり、その中で新宗教の開花が盛んであるという特質を見せているから、そして曲がりなりにもやはり形上は「仏教国」という有難い名前は剥がせないとすれば、最適候補は唯一「日本」であるという事になるのである。そして、「日本」をこの詩に適合させて見ると、十分に見合っている事が分るのである。

この詩はノストラダムスが編集上の方針変更の為その『預言集』から除外し、秘書を務めていたジャン・エメ・ド・シャヴィニに贈与したものと私は考えているが、これをフランス16世紀の出来事に関連付ける事によって、結果的にこれを後世の我々に残してくれることになったジャン・エメ・ド・シャヴィニの解は殆ど参考にならない。ただ一点、彼はcomme d'oraclesを「これを私は神託として言っているから信じ給え」と云う風に註を付けている (Janus, p.212)。これは、「parler comme un oracle (to say as an oracle) 《多く皮肉》ご託宣を下すように話す」(Suzuki) という解説に通じるものであり、同趣旨でドクター・フォンブリュンヌも「この事は確かだ ceci est certain, this is certain(Fontbrune, 1939, p.133-134) と訳しているが、これは元来が古代ギリシア社会のようにデルフォイのアポロン神殿の神託を重く受け止めていた時代から離れて、神託というようなものの意義を疑っている軽薄な時代風潮の中で生まれた懐古的イディオムであろう。しかし現代は再び神託の真実性を回復しつつある時代であり、本詩のその語も「本来の神託として流布する」と読むのが適切であろう。

そして、原文Courir (to run) の主語は先に見たようにFluves, rivieres (大河、小川)であり、courir en France (to run in France)ではcourir は自動詞で「フランス=仏国の中を流れる」、更に続けてcourir ceci (to run this) (ceci = France) と読んで、その場合のcourir は他動詞で「この国に広まる」という意味になる。単にフランス語courir ceciを直訳した英語 to run this に「この国に広まる」という意味は無いが、英語の意訳としては to prevail in this land がフランス語のcourir ceci に相当する。

なお、「oracle 神託」という極めて意味深い語は『預言集』に全部で2回しか登場しない。他の一回は§937,III-4 詩で、矢張り「幸福の科学」関連詩であり、そこではまさに「神託の開始」がテーマになっている。

この詩の解釈を最初に発表してから私は、中村恵一という人が唯一、この詩を解釈しているのに気付いた。しかもそれは、我々が原理的に採らない「予言的解釈」を自信ありげに張ったもので、彼独創の「数記号コード法」によって、1983年当時に「1999年8月12日の出来事」を予言していると解釈している (Nakamura, 1983, p.128) から、今ではその真贋が手に取るように分る。それは「ヨーロッパを襲う大洪水」だというが、しかしそんなものは1999年8月12日に起こらなかった。2002年夏にはヨーロッパ各国で大洪水があったのだが、いかにも自信タップリに「解釈予言」をしたものだ。それに彼は、2行目末尾のnon appaiséeを「否、鎮められた」と読むが、これは完全に文法初歩の誤りであり、フランス語初歩を終えた人なら誰でも「鎮められていない」としか読めない程単純な表現である。

大体が、ノストラダムス『預言集』は、本人も云っているが、政治的、社会的、軍事的、国際的諸変動を予言したもので、純粋な自然事象は、ごく少数の例を除けば、彼の本来の関心の外にある。そして、「地震、洪水、枯渇」等の表現は、そのまま純粋に自然現象を意味せず、大部分がまさにそういう人間の自由意思を根源とする大きな社会的動乱を意味している。

以下改稿(2014年9月23日)。
N.B. 1:
最後に、secte rasée という語句について、本邦屈指のノストラダムス研究家・sumaru (山津寿丸) 氏が運営するWIKI 『ノストラダムスの大事典』[ http://www42.atwiki.jp/nostradamus/ ]は、「secte rasée にエドガー・レオニが shaven sect という訳をあてているように、一般に rasée は「髪を剃られた」の意味で、ノストラダムスの作品では聖職者を表す常套表現である。」としているが、これは性急な見解である。

第一に、一般に rasé の意味を云うなら、主な辞書類の記載がその回答でなければならないのであって、「髪を剃られた」というのはごく特殊な一つの意味(と言っても、最も使用頻度の高い最通義)にしか過ぎない。例えば、「vaisseau rasé: (嵐で) 帆柱が折れた船」(Ibuki)という用例も普通に存在する。しかも、「shaven sect 剃髪の宗派」というレオニ的読み(Leoni, 1982, p.453; Hogue, 1997, p.849)は意味論的整合性が無い。というのも、セクトというのは集合名詞だと思われるが、そういう集合自体が「髪を生やしたり、剃ったりする」という事は無い。その中のメンバーについてならそれは言えるが、集団自体にそうは言えない。彗星を「長髪の星 l’étoile chevelue(II-43, VI-6) と言えるのは、「星」が個別具体の対象である故である。

性、数が本来無い日本語単語の場合にはこの点が曖昧で、例えば、「ある高校のあるクラスの全員が金髪」を「金髪クラス」と言っても通るだろうが、フランス語 (英語) une classe blonde  (a blond class) と言ってもそういう意味にはならず、せいぜい「壁も床も机も天井もすべて金色の教室」といった意味しか持ちえないだろう。つまり、この場合も、個別具体の対象としての「教室」とならblonde という形容詞も意味論的に結合可能なのである。

実際、本詩(XII-71)について翻訳ないし解釈している手許の研究書を見ると、上記のLeoni Hogueの二名以外は全員、shaven sect(剃髪した宗派)という読み方に当然ながら違和感を持つらしく、「raser」を「破壊する」乃至それと類似の意味で捉えている。

E.g.:
« ... sont démolis, rasez & abbatus. » (
Janus, p.212);
« Houses, Mannors, Palaces, Sect shall be raced [raced away = mangé]. » (Garencières, 1672, p.187);
« Dans tout
e maison, manoir, palais, la secte (responsable) sera rasée. » (Fontbrune, 1939, p.134);
« Dans toute maison, manoir ou palais, le parti (responsable) sera détruit. »
(Fontbrune, 1976, p.191);
« demolished. » (Boswell, 1941, p.309);
« Houses, manors, palaces and sects will be eliminated. » (Lamont, 1944, p.176);
« Häuser, Burgen und Paläste und die Priester sind in Gefahr [en danger]. » (Centurio, 1953, p.242);
« Houses, manors, palaces, sects shall be razed. » (Roberts, 1969, p.342);
« to wreck religious foundations, houses, manors, and palaces, alike. » (Lemesurier, 1997, p.256).

こういう観点からすれば、Leoni Hogueは日本人的言語感覚に近い英語感覚の持ち主としてフランス語を受容していると云えるだろう。

N.B. 2:
なお、これと関連して、『ノストラダムスの大事典』は、最終行全体を、「屋敷、荘園、宮殿、剃髪の宗派。」と訳し、あたかも静謐な一幅の絵画またはスチール写真を見ているかのような動きのない風景を与えているが、これは、動乱の歴史社会を主たる預言対象としたノストラダムス解釈としては物足りない。むしろ、問題のrasée という単語は、形容詞的よりも動詞的にとらえて、動きのある情景を描き出す方が適切と思われる。それには、一行目にあるserontを補えば良く、丁度 sumaru 氏が代替案として提起している「屋敷、荘園、宮殿、宗派が破壊しつくされる」[だろう] という方向の読み方が最もふさわしいと思われる。従って、Garencières, Lamont, Roberts, 大乗和子等の訳が適切だと云えるだろう。

N.B. 3:
フランス語としての raser のニュアンスといったものを探ってみると、「Démolir, Raser, Démanteler, Détruire」という4つの類義語が「建物を壊す」という共通の意味を持つ背景の中で、「公的復讐の記念碑を残すような仕方で、処罰として壊すこと」がRaserに固有に帰属するという。簡潔に言えば、「正義(司直 la justice)がraser させる」のだという(Guizot, p.212)。これは非常に興味深い語義であり、この観点を採用すると、「数々のマンション、豪邸、ビルは破壊され、一つの宗派は潰れ」という預言は、後半が「文字通り司直の正義の掟による犯罪教団の壊滅措置」であり、前半が「覇権国の正義に立つ貿易赤字解消のための円高誘導(プラザ合意)と、円高対応から生じたバブル景気の解消を狙った経済倫理的金融財政措置(平成の鬼平こと三重野康日銀総裁による反復利上げと、大蔵省[財務省]による厳しい総量規制)」という「二つの正義(刑法的正義と経済的正義)が復讐として起こした二つの破壊の記念碑的事態(公安監視下の当該教団衰退と日本経済の長期低迷)」がくっきりと浮かび出てくるようだ。

N.B. 4:
2014.9.25改稿)
「フランス」= 「仏蘭西」=「仏国」=「仏教国」=「日本」という流れからの解釈は、表記の類似性に依拠した隠喩(メタファ)として説明されるもので、「剃髪したセクト」という意味論的不整合とは無縁である。この種のものには、他に、次のような例がある(これ等は代表的事例としてここに掲げますが、もっと他に多くの事例があります)。

1° :
  Mésopotamie
III-61, III-99, VII-22, VIII-70 [§273]= Paris (シテ島がセーヌの二つの分岐流に囲まれている)。この解釈を導く決定的事項は、「アンリ二世宛書簡」の中に出てくる以下の記事です。「もう一つ別のごく微細なメソポタミア (une autre exigue mezopotamie) の中に建設されてそこに拠点を持つかの自由な都市」(№10, p.162)という表現が、本来の中東のメソポタミアではなくて、まさにシテ島を発祥地とするパリを表すからです。そして、この書簡に出てくる2例と、『預言集』に出てくる4例の合計6例とも、すべて「パリないしその延長としてのフランス」と解釈した場合、意味が通じるのです。[補足:III-61詩の Mesopotamie は、Paris ではなくて、モンペリエ Montpellier と解される。事実、モンペリエは、東の Lez 川と西の Mosson 川という二つの川の間にピッタリと挟まれている。Cf. §727, III-61 ( le 6 février 2015) ]

2° :
  Fesulan Olympique (VIII-16, §869) =
広島市(広島市がギリシアのオリンピアとイタリアのフィエゾレに地形が類似)。この場合も、Fesulan Olympique という複合表現は、本来のフィエゾレともオリンピアとも異なる第三の都市を表すと解釈できます。

3° :
また、Bisance という語は、本来は「コンスタンチノープル、イスタンブール、ビザンチウム」を指すわけだけれども、『預言集』においてノストラダムスはそんなに単純明快ではありえず、トルネ・シャヴィニの解釈 (Torné-Chavigny, 1861, p.253) を参考にして研究してみると、Bisance 全12例中、本義は7例 (II-49, V-25, V-54, V-70, VI-21, VI-53, VIII-83) で、後の5例 (I-40, V-80 [§213], V-86, VII-36, IX-30) Paris として解釈する方が首尾一貫した理解が得られると思われるのです。それに加え、Bisance の派生語 Bizant, Bizantin, Bisantinois 全4例を見ると、2例 (V-47, X-62) がトルコ関係、あと2例がギリシア (IV-38) とロシア (VIII-51) に関し各一回となっています。このBisance = Parisという隠喩の基盤は、「頽廃をも含意する豪華絢爛の文化の華薫る政権中枢大都市」といったものでしょう。また、「ビザンチウム」と「ギリシア」、「ロシア」との関連性は、勿論、「東方教会、ギリシア正教」という共通の宗教的基盤に拠っています。(下線部2014.9.27追加)

N.B. 5:
2014.9.27追加)
Bisance
と同様、「Babylon, Babilon」という古代の大都市の名前の比喩的使用(頽廃の華都)がノストラダムスにもあり、「大革命時代のパリ」の代名詞とされています: VIII-96 [§393]; X-86 (cf. Torné-Chavigny, 1861, p.227-228)。これは、バビロンが広義の「メソポタミア」の地域の首都であったことからも、パリを喚起する絶妙のメタファーでしょう。実際、「バビロン」という都市は、西暦8世紀にカリフ・アルマンスール(754-775)が新都バグダッドを別地に建立した後に廃墟と化してノストラダムス以降も当然実在しないわけですから、Babylon, Babilon という用語は、『預言集』の中で、必然的に「比喩的な意味」を持たせられているはずなのです。但し、「アンリ2世宛書簡」(№3, p.11) に一度だけ出てくる「la neufve Babylonne 新しきバビロン」は、ロシア10月革命を扱う文脈からすると、「フランス革命期のパリに類比され、それよりも後の時期における革命ロシアの首都ペテルスブルグ」と解されます。他方、また、これも一度だけ出てくる「l’opposite climat Babylonique」という表現の中の形容詞形の  Babylonique は、地理的概念として、古来からのバビロニア地域を表すでしょう。これは時代が移っても通用する地理的表現です。

N.B. 6:
2014.9.27追加)
「大河と小川は悪をせきとめ、仏国の中を流れ、仏国に神託として流布するであろう。」という表現から、「大河」と「小川」は「善悪を判断できる主体」であり、「神託を伝道する意思を持つ主体」である、というイメージが得られる。従って、それらは天然自然の流水路たる大小の河川ではない。これもまた、「各地に神仏の言葉を宣べ伝える者」を、「地域に水を運ぶ川」という像に見立てた隠喩(メタファー)である。
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§932 ヘルメスは聖職者に変じ... (1981-1986): IV-29.

大団円としての幸福の科学2 ヘルメスは聖職者に変じ... (1981-1986): IV-29.

前回は「幸福の科学」の大川隆法氏等が1990年代に「神託」として日本にその伝道活動を活発化させて行くという内容の四行詩 XII-71を取り上げたが、それに続く今回は、その大川隆法氏が、初め身を置いていたビジネスの世界から去り、純粋に宗教家として立って行くようになる、という内容の預言詩 IV-29 を考察しよう。

第四サンチュリ第29詩 ヘルメスは聖職者に変じ... :IV-29 (§932).

太陽は水星によって覆われて食を受け    
従属天としての地位にしか置かれないであろう。
ウルカヌスによってヘルメスは聖職者に変じられるであろう。
太陽は純粋に赫奕(かくやく)として黄金に輝くのが見られるであろう。


Hermes changed into a pastor... (1981-1986): IV-29.
The Sun hidden eclipsed by Mercury
Shall be ranked only as a second Heaven.
Hermes shall be made pastor by Vulcan:
The Sun shall be seen pure rutilant and blond


Le sol caché eclipse par Mercure  
Ne sera mis que pour le ciel second.
De Vulcan Hermes sera faite pasture:    
Sol sera veu pur rutilant & blond.

「ノストラダムス予言詩の精密性は複数の関連詩篇のネットワークの確認の成就によって幾何級数的に増大してゆくことが期待される。その顕著な実例として、フランス革命関連詩全69篇を既に解釈した。ナポレオン・ボナパルトに関連する177篇の予言詩の場合については別稿で取り上げる予定である。諸詩篇網による解読の精密性の幾何級数的増大といっても、勿論それは事柄に選択諸詩篇が妥当する限りにおいてであり、逆に妥当しない場合にはいくら多くの詩篇を加算してみても、解読の透徹度は向上せず、反って雑然度と混迷度が増すのみである。

さて、若し今回掲げた予言詩 IV-29が実際に「幸福の科学」関連のものであるならば、詩中の「太陽」「ヘルメス」という2語は我々の歴史的既知の範囲内に属するはずである。即ち「太陽」とは大川隆法氏の主著『太陽の法』またはそれに象徴される思想や活動や人物であろうし、「ヘルメス」とは紛れもなく大川氏自身の過去世の一人(ゴータマ・シッダルタ釈迦牟尼の前の過去世でギリシアに生まれた)であり、また当然現在の大川氏自身を指すこともあり得るのでなければならない。

この四行詩解読の軸は三行目「ヘルメスは聖職者に変じられる」という記述に存する。これは「ヘルメス即ち大川隆法氏が聖職者つまり専門的な宗教的指導者に成る」という託宣であって、多分、氏が昭和61[1986] 年10月6日に「幸福の科学」(平成3 [1991] 年宗教法人認可)という宗教活動組織を任意団体として初めて設立したことを指すものと解される。そしてこの指導に専念する以前はどうであったかと言えば、大学卒業以降昭和61年7月15日退社までの約6年間、日本の或る大手総合商社の社員として、いわゆる一個のビジネスマン生活を送っていたわけである。

但しその商社マン時代にも、大学卒業直前頃から受信し始めていた神示・霊言 (§936,III-4: 神託の始まり(1981) 参照) の蓄積と吟味と著書による伝道活動は行っていた。しかしこの宗教的方面の活動の主体は氏の実父・善川三朗氏が担っていたから、氏にとってそれは言わば副次的、余技的なものに留まっていたわけである。このような事実に照らせば、「太陽は水星によって覆われて食を受け、従属天としての地位にしか置かれないであろう。」という一、二行目の意味は明らかである。この場合「太陽」というのは、本来それが使命であり天命であるはずの『太陽の法』に結実する宗教的活動を主体的に成すべき大川隆法氏その人を指している。それが商社マン時代には、氏の本業は違う所にあった。まさに「商業神メルクリウス Mercure」が主宰する商売の中でも突出している日本の代表的な総合商社に入って幹部候補生として日夜活動していたのである。このことが一行目「太陽は水星によって覆われて食を受け」という美しく端麗な詩句によって表現されている。 Mercureは商業神メルクリウスであり、また内惑星の一つ水星でもある。そしてその結果、氏の本来的使命に沿うべき宗教的活動の象徴としての「太陽」はその本来の天の王者的位置を退いて「副次的天体」の役割しか持ち得ていなかったことになる。実際の太陽は実際の水星によって目につくほどの食を受けはしないけれども、この比喩的表現においては、太陽が水星にも劣る小さな光にまでその食によって後退してしまっている様子が伺われるであろう。そしてまた、ギリシア神話のヘルメスとローマ神話のメルクリウスは同じ神とされるから、聖職者に変じるまでの大川氏の呼称として「ヘルメス」は打って付けなのである。

さて副次的天体にまで低位していた太陽が、第四行目では純粋に完全にその本来の黄金の輝きを回復している。この意味は明白であるが、そうすると問題として残るのは唯一、第三行目にある「ウルカヌスによって」という語句である。一体、「ヘルメスが聖職者に変じられる」のは、「ウルカヌスによって」である、というのはいかなることであろうか。

そもそもウルカヌスという神は、卑金属を貴金属に変換する錬金術の守護神であるから、商社マンから宗教団体主宰者への大川氏の変身の事実を詩的に飾るための表現であることは勿論である。しかし、この変身が自分にとっては言わば決死的大転換であって極めてドラマティックな形で遂行されたという大川氏自身の体験談を聞く時、ウルカヌスには詩的修辞以上の実体的意味があることが判明して来るのである。

「悪魔との対決
 ……単なる非凡さを求めてはいけない。単なる非凡さを求めた時に、あなた方は崖の淵に立っていることを知りなさい。非凡を求める心のなかに名誉心があるということを、そしてそれがまた、悪魔の餌食となる考えであるということを知りなさい。そうした自分の過ちに気付いた時に、平凡ななかに生きよ、平凡のなかに光を求めよ、平凡からもう一度出発しようとせよ。霊的能力を取り去った時に、自分がいい人間であったか。本当に素晴らしい人間であったか。今世に生まれて意味があったか。それを考えていただきたい。その時にあなた方は本当に悪魔に勝ったのであり、悪魔以前に内なる己心の魔に勝ったと言えるのだと思います。

死、そして生
 悪魔との対決を通して、五年、六年と私は厳しい魂修行の日々を送りました。そして平凡のなかで自らを光らしていく、積み上げていくということに努力をしていたわけですが、三十才が近づいてくるにつれ、またその平凡の積み重ねのなかに非凡なるものが出てき始めたわけです。その時に、また私の心のなかには次なる迷いがありました。やはりこうした霊的能力は捨て去り、神理の世界を捨て去り、まったく二重の生活をするということで生きていった方が、自分にとってよいのではないか。そうした自已保身がいつしか生まれてきていたのです。この頃、父である善川三朗が私の受け取った霊言を書物に編纂して、潮文社から出すことに成功しました。

『日蓮聖人の霊言』『空海の霊言』『キリストの霊言』そうした形で一ヵ月おきに書物を世に問い続けていたわけです。その当時、私は本当に苦しかったと言えます。年齢的には会社の中堅に近づいてきており、さらに上への道が開けていた。もっともっと実業世界のなかで力を磨きたい。自己発揮したいという気持が多く残っておりながら、その半面、このままではいけない、何とかこの自分に与えられた特殊な使命を遂行したいという気持、この両者の気持が私のなかで二分しておりました。それは、未知の世界への不安でもあったでしょう。こうした霊指導を受けながらも、それをどのようにして世の人に問い、そしてそれをもとにどのような事業を起こしていけるのか。三十才にもなるかならないかという年齢で、どのようにしてそういう道を開くことができるか。このことに悩んだわけです。

 こうした時、『太陽の法』のなかに書きましたように、私の転機が訪れました。それはちょうど三十才の誕生日を迎える直前であったと思います。私にさまざまな霊言を送っていた諸霊が、即座に会社を辞めなさいという通信を送ってきたわけです。そして七転八倒したあげく、ついに社を捨てて、自らの足で立つ、神理に生きるということを決意したわけです

それまでは、なんとか生活の資金は他で収入を得ながら、神理活動は神理活動として両立させながら生きていくつもりであったけれども、もう収入などなくともよい。何もなくてもよい。何もいらない。自分はただもうやりたいことをやる。神からいただいた生命であるならば神に還すのが当然である。不惜身命、自分の生命は借しいとは思わない。一年で死んでもいい。そう思いました。会社を辞める時には一年分の生活費があるだけだったと思いますが、もうこの一年で死んでもいい。やれるだけのことをやる。自分はやりたいことをやる。それから後、導いてくれるかどうかは神仏の気持しだいだ。自分がもし間違っていないなら、自分に本当の使命があるならば、なんとか道は開いてくれるだろう。もう先のことは考えない。とにかく自分はもうやりたい。もうこれ以上我慢ができない。神理の道に入りたい。神理の道を一直線に進みたい。もう過去の経歴などいらん。人の評判などいらん。何と思われてもかまわない。悪人と思われようが、気狂いと思われようが、何と思われようとかまわない。教祖と言われようが、精神病者と言われようが、何と言われようがかまわない。自分は全部をかなぐり捨てて、もういったん死のう。こう思いました。

これが大川隆法の誕生の瞬間であったと思います。私にはもうひとつ戸籍上の本名があります。その本名を私は捨てたわけです。そして大川隆法という法名で生きていくことを決めたわけです。

 肉体人間の私は、二十四才の時に第一段階目、一度目の死を迎えましたが (大川隆法『平凡からの出発』p.170-171参照)、三十才にして二度目の死を迎えました。商社で活躍していた自分、そうした自分は全く死んでしまったわけです。全く過去を捨てたわけです。私はこの時に、自分の人間関係もすべて捨てました。かつての友だち、あるいは会社の同僚、上司、部下、すべて捨てました。一切を前後際断しました。未来の希望も断ち切りました。すべてを捨てて空手にして立つ。そういう気持で立ち上がり、「幸福の科学」というものを創りました。これが第二の死であったと思います。そして、私は自分を捨てることによって生まれ変わりました。最初の数ヵ月、それは苦しいものでした。収入はない、見通しはない。ただ高級霊の言葉だけが、自分の意志だけが、生活の杖である生き方でありました。ただ、ここで私はいったん自分を捨てたということが、これが大いなる発展の鍵になったと思います。自分は二度死んだのだという自覚が、もう何があっても怖くはない、こういう気持へと向かっていったのです。
 いつでもすべてを捨てられる人間にとって、怖いものは何もありません。今、こうした神理の伝道をやっていても、いつでも裸になれる、いつでも空手にして立てる、いつでもゼロからもう一度やり直せる、こういう気持を私は持っているので何も怖いものがないのです。
 そしてこの心境は、実は悟りたる者、覚者への力強い第一歩であったということを知りました。いつの時代にもこうした瞬間があるのです。かつて釈迦も、こうした偉大なる瞬間を迎えたのだと思います。その内容は違いその環境は違っていても、心は同じ、真実の世界のために生きるということ、そして自分の本質が一体何なのか、霊的人生観に目覚め立つということだと思います。多くの人が、これからこうした経験をされることを、私は心から希望いたします。」(大川隆法『平凡からの出発 独立する精神の軌跡』土屋書店、東京, 1988, p.185-190)

Vulcain, Vulcan(ウルカヌス)は火と鍛冶の神である。従って、大川隆法氏における商社マンから聖職者への変身の過程には言わば「強い火力と鍛造」があったことになる。氏はそこで激しく鍛え抜かれて聖職者として新生した、この過程は氏の体験談が余す所なく語っている通りである。そして、日頃、氏を霊的に指導していたイエス・キリストや日蓮聖人を始めとする多数の高級霊たちが現実に強くこの転身を氏に迫ったということであるから、彼ら高級霊たちがまさに実在のウルカヌス神であったことになる。よって「ウルカヌスによってヘルメスは聖職者に変じられるであろう」という本詩三行目の予言は最も充実した意味において成就したと言えよう。

なお三行目末尾の pastureは、 pasteur(聖職者)の最古形 pasturが一行目末尾のMercure との押韻の必要上 pastureとされ且つ女性詞扱いされたもので、従って主語が Hermesという男性名詞であるにもかかわらず、述部 faireの過去分詞が faiteという女性形になっているわけである。」(初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(10)」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第50巻第2号、2000年 [下線部改稿])

Pastur に関するこの最後の説明を補足すると、実際、ラテン語 pastor のフランス語化の定型は pasteur であるが (cf. Scheler, p.100)、そこに定着する以前は、pastur が最古の形で12世紀に登場し、13世紀には pastour, pastor という二形が共存し、13-14世紀に pasteur が現れた(cf. Littré, Petit Robert)。

又、原文の eclipse は名詞形と取ると文脈に位置付けられないので、éclipser (to eclipse、食を起す) という他動詞の過去分詞形 éclipsé, eclipsed と読んだ。
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§933 ヴィーナスに覆われた太陽 (1981-1991): IV-28.

大団円としての幸福の科学3 ヴィーナスに覆われた太陽 (1981-1991): IV-28.

ノストラダムス『預言集』の刊本における四行詩の配列は大抵は全くアトランダムと云ってもいいが、その中でこのIV-28詩は、前回取り上げた預言詩 IV-29の直前に位置している。実は、このような位置の近接が内容的な関連を示唆する例が幾つか認められるのであって、IV-29とIV-28もそういう特別な関係に立っている。

第四サンチュリ第28詩  ヴィーナスに覆われた太陽 (1981-1991): IV-28 (§933).

ヴィーナスが太陽の覆いとなるであろう時、    
その華麗な姿の下に在るその形は隠されているだろう。
火に掛けられた水星が太陽とその形を露わにするだろう。
戦争の物音がする頃に、太陽は辱めを受けるであろう。


§933  The Sun covered with Venus (1981-1991): IV-28.

When Venus shall be the cover of the Sun,
Its form shall be occult under its splendor,
Mercury on fire shall have revealed them.
At the time of rumors of war it shall suffer an insult.

Lors que Venus du sol sera couvert,  
Souz l’esplendeur sera forme occulte,
Mercure au feu les aura descouvert    
Par bruit bellique sera mis à l’insulte.

前回見たIV-29 詩では太陽と水星の関係が問題であったが、今回は若干違って、太陽とヴィーナス(金星)の関係がテーマのようである。そしてその「一方が他方を覆い隠す」という関係は同じである。一行目について、「ヴィーナスが太陽の覆いとなる Venus sera [le] couvert du sol, Venus shall be the cover of the Sun」と読む代りに「ヴィーナスが太陽によって覆われる Venus sera couvert du sol, Venus shall be covered by the Sun」という読みが排除されるのは、couvert という過去分詞がその場合には Vénus という女性名詞に合わせて couverte となっていなければならないが、そうなっていないからである。

他方、本詩3行目の「火に掛けられた水星」という表現は、前詩の「ウルカヌスによってヘルメスは聖職者に変じられるであろう」という表現と呼応しているように見える。即ち、ウルカヌスは火と鍛冶の神として、「火」と直結するし、ヘルメスというギリシア神話の神の名は、ローマ神話のメルクリウス、つまりここで云う水星、Mercury と同一視できる。従って、「火に掛けられた水星」というのは、「ウルカヌス神による鍛造によって聖職者に変じたヘルメス、即ち大川隆法氏」の事と解されるのである。

ここから更に敷衍すれば、「火に掛けられた水星がヴィーナスという覆いを外して太陽とその形を露わにするだろう」という美しくも謎めいた詩句の意味も明らかとなる。「太陽とその形を」というのは、les (them) という代名詞をそう取った訳だが、それら以外には適当な候補となる語は無いように思われる。何故なら他の候補としてヴィーナスしか無いが、それは姿形が表に出ている筈だから。しかもその代名詞に係る descouvert (revealed) という過去分詞 (本来は複数形の筈だが、対応する一行目の couvert に合わせて単数になっている) は男性形なので矢張り男性の太陽を含む複数のものを受ける。

そして、「火に掛けられた」というのは、商社マンという現世の身分、しかも日本経済が上り坂の時期の総合商社というトップを往く企業の社員としての高給サラリーマンという他人も羨む職を投げ打って、という意味を持っていた。そこから、純粋宗教者として、pastor として立った、その時「太陽は純粋に赫奕(かくやく)として黄金に輝くのが見られるであろう」と先に詠われていたが、それが本詩では「太陽とその形が露わになる」という表現で語られているのである。

なおここで、太陽は「純粋に」「赫奕(かくやく)として」「黄金に」輝くという風に、三重の類似の形容が為されているが、これは単なる冗長ではなく、夫々が「幸福の科学」の基本的理論書三部作、即ち、

大川隆法著『永遠の法』(初版:土屋書店, 1987 ; 改訂版:幸福の科学出版, 1997)

同『太陽の法』(初版:土屋書店, 1987 ; 改訂版『新・太陽の法』幸福の科学出版, 1994;同左改題『太陽の法』幸福の科学出版,1997)

同『黄金の法』(初版:土屋書店, 1987 ; 改訂版『新・黄金の法』幸福の科学出版, 1995;同左改題『黄金の法』幸福の科学出版,1997)

を示唆している。一番分りやすいのは「黄金に」が『黄金の法』に対応しているが、「純粋に」はその無色透明感が「永遠」という無始無終の時空一体系を思わせることによって『永遠の法』を暗示しているだろう。三番目に、「赫奕(かくやく)として」が、「キラキラと光り輝く」という語感によってまさしく『太陽の法』を指示しているだろう。

西洋哲学の伝統では、形、フォルムは形相(けいそう)、事物の本質を意味するから、「大川隆法という太陽」の本質がこれら基本理論書によって明らかにされたのである。

他方、伝統的占星術では、「金星 Venus は妻・財産・愛・芸術を示す」;「占星学で金銭を表示する天体は金星です」(石川源晃『占星学入門実習』平河出版社、東京, 1988, p.46; 同『占星学入門応用』平河出版社、東京, 1994, p.48) と云われており、占星術一般は忌避したノストラダムスもその極く常識的な一部の知識は退けていないので、本詩の「ヴィーナス」はこの意味での占星術的象徴と考えると最適な解答となるように思われる。つまりこの場合は「財産・富・金銭」という物の象徴であろう。実際、これと同じ意味の「ヴィーナス」の用例は後で取り上げる予定の V-24 (§935) 詩とV-72 (§936) 詩にも認められるのである。

「その華麗な姿」の「その」は「金星」を受けるとしたが、金星の見かけの美しい輝き (金銀小判の輝きも含意する) に応じた華麗な表現であろう。他方、「その形」の「その」は「太陽」を受ける。

戦争の物音がする頃に、太陽は辱めを受けるであろう」という最終行の後半は §931 大河と小川 (1991): XII-71 詩に既出の事項であって、特に「講談社」の写真週刊誌『フライデー』の人権侵害的記事を初めとするメディアの大川隆法氏(太陽)と「幸福の科学」に対する非難中傷の攻撃を云う。そして「戦争の物音がする頃に」という前半部分は、1991年に起ったフライデー事件と同時期に起った「戦争」に言及しているが、それは言うまでも無く、「第一次湾岸戦争」であり、それはまさしく同じ1991年に起った。

なお、Par bruit bellique (戦争の物音がする頃に)という語句の par という前置詞は、種々の用法があるうち、この場合は「時間的限定の機能語」であって、例えば、「par temps de pluie 雨の日に;par le passé 従前は;par un froid glacial 凍りつくように寒い時に;par un beau matin d'été 夏の晴れた朝に;par cette chaleur こんな暑い時に;par beau temps 晴れた日に;par mauvais temps いやな天気の日に;par le temps qui court 当今では」といった用例がある(cf. Suzuki)。従って「... によって by...」というような訳が常に正しい訳ではない。

所で、この第一次湾岸戦争は、「幸福の科学」関連詩の中で最も重要と目される X-72 詩 (§944) においても「その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう」という表現で触れられている(「日付のある予言詩1 1999年: その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう」参照)。

そして、この戦争が第二次大戦後の「長期の平和の後起こった戦争」であるという捉え方で主題的に予言している四行詩が一篇存在するので、次回はそれを検討することにしたい。それは I-63 詩 (§928) である。
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§928 第一次湾岸戦争 (1945-1991): I-63.

大団円としての幸福の科学3(続)  第一次湾岸戦争 (1945-1991): I-63.

第一サンチュリ第63詩 第一次湾岸戦争 (1945-1991): I-63 (§928).

天罰の如き戦火が終って世界は縮小する。    
長い間の平和で各地に住民が住み着き、
人々は安全に空、地上、海中、そして海上を進んで行くだろう。
次いで再び戦争が惹起され


§928  Submarines and airplanes (1945-1991): I-63.

The scourges past, the world diminished,
For a long time peace, the lands inhabited.
People will travel safely through the sky, land, sea and wave,
Then wars will break out anew. (Robb, 1961a, p.131)

Les fleaux passés diminue le monde,  
Long temps la paix terres inhabitées
Seur marchera par ciel, terre, mer, & onde:    
Puis de nouveau les guerres suscitées.

本詩についてはスチュアート・ロブの解釈 (上記英訳) がほぼ完璧と推奨出来る(1961年時点で)。「“海と波 sea and wave”という言い方は冗長ではない。何故なら、船舶は波を貫いて航行するし、潜水艦は海中を行くのだから。」(id.)

これに我々の見解を付け足せば、今日でも潜水艦は一般旅客用ではなく、専ら軍事用であるが、それが「安全に行く」という状況は、戦時ではなく平時の姿であるということである。所で、その長い平和とはどの期間を云うのであろうか。我々の解釈では、「天罰の如き戦火が終って」とは、第二次世界大戦の終結と見る。そして「世界は縮小する」というのは、多くの解釈者が「大戦で多数の死者が出た後の世界人口の減少」とするが、3行目の近代交通の発達に鑑み、単位時間あたりの移動可能距離の飛躍的伸びに逆比例した世界の物理的スケールの見かけの縮小であろうと思われる。又、これも多くの解釈者は逆にとっているが、terres inhabitées の inhabité は、「人が住まない、無人の not inhabited」という通義ではなく、inhabitant (dweller 住人) (Godefroy) という語のラテン語語源 inhabitare (to dwell in) から直接導き出された語 (英語の場合のinhabited に相当) と看做すのが最適であろう。何故ならそれは終戦直後の状況というより、長い平和時の人口増殖及び植民開拓の様子と見られるからである。

そうした第二次大戦後の展望の中で、長期の平和の後、再び戦争が起こるという場合、その戦争は少なくとも形式上世界大戦並みの規模を持つと認められるようなものであろうから、例えば局地的、ないし当事国少数の戦争であった朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、数次の中東戦争、又はイラン・イラク戦争などではなくて多国籍軍が参加した第一次湾岸戦争 (1991) が思い当たるのである。するとその間 (1945-1991)、46年間が相対的意味においてではあろうが、「長期の平和」と呼べる事もあながち不可能ではない。しかも、その再開される「戦争」は複数形 guerres (wars)であるから、第二次湾岸戦争 (2003) をも間接的に視野に置いているという事が出来る。

他方、フォンブリュンヌ (Fontbrune, 1982, p.235) はこの長期の平和を「普仏戦争終結 (1871) から第一次大戦開始 (1914) までの43年間」とするが、それはフランス一国のみの観点である点で不十分であり、且つ、我々の云う「46年間」にも及ばないという点でも蓋然性を減ずる見解である。

このように見ると、本詩は「戦争の物音がする頃に、太陽は辱めを受けるであろう」というIV-28 詩 (§933) と繋がる預言詩であり、更には「その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう」という表現を持つX-72 詩 (§944) にも通底している。
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§934 半ば神の如き聖職者 (1981-1991): I-25.

大団円としての幸福の科学4  半ば神の如き聖職者 (1981-1991): I-25.

先に§932, IV-29詩では「 ヘルメスは聖職者に変じ (1981-1986)」として、「幸福の科学」総裁・大川隆法氏が、初め身を置いていたビジネスの世界から去り、純粋に宗教家として立って行くようになるという内容の預言を考察した(「こうした霊言集を刊行しながらも私の会社勤務は続いておりました。都内にある国際的な総合商社で 私は国際金融を担当していたのです。ニューヨーク本社勤務も研修で一年赴きニューヨーク大学でも勉強しました。私は善川三朗氏の陰に隠れていつしか世間的な出世を考え始めていたのです。社内ではエリート街道をまっしぐらに走っているように見られている私であったのです。しかし一九八六年六月、ついに 鉄槌がくだりました。日蓮聖人、イエス・キリスト、天之御中主之命(あめのみなかぬしのみこと)、天照大神、モーゼ、高橋信次と、つぎつぎに降下した霊たちは、私に即座に会社をやめよときびしい姿勢で通告をしてきたのです。三日間、眠られぬ夜が続きましたが、結局、私は、会社に辞表を提出しました。 そして、同年、七月七日に三十歳の誕生日を迎えたばかりの私は七月十五日、お世話になった商社を去ったのです。」大川隆法『太陽の法 新時代を照らす釈迦の啓示』土屋書店、1987年、PP.248-249)。その「聖職者 pasture」と同義の語 pasteur を持つ預言詩 I-25 を今回は取り上げたい。

第一サンチュリ第25詩  半ば神の如き聖職者 (1981-1991): I-25 (§934).

失われ、見出され、長い期間隠されていた    
一人の半ば神の如き聖職者が尊崇を受けるだろう。
月がその大循環を完了するより前に。
彼は他の見解の人々から名誉毀損を受けるだろう。


§934  A pastor as demigod (1981-2000): I-25.

Lost, found, hidden for such a long time
Shall be a pastor demigod honoured,
Before the Moon finishes its grand cycle
By other views shall be dishonoured.


Perdu, trouvé, caché de si long siecle  
Sera pasteur demi dieu honore,
Ains que la lune acheve son grand cycle
Par autres veux sera deshonoré.

「この四行詩はこれまでフランスの先駆的微生物学者ルイ・パスツール (Louis Pasteur) に関連づけられることの多かったものであるが、pasteur のイニシアルは大文字でないからパスツールという人名を直接表すものではなく、単なる普通名辞で「聖職者、牧師、司祭、牧人」の義であり、しかも同格語 demi dieu(demigod 半神)と一体化してpasteur demy dieu (半ば神の如き司祭、神人的聖職者)という表現を作っているのである。

このように主語が「半ば神の如き司祭、神人的聖職者」と定まれば全体の解釈は極めて容易になる。何故なら「半ば神の如き司祭、神人的聖職者」ということになると、世界史上希有な存在であり、わずかに『旧約聖書』の永遠の司祭メルキセデク又はメシア、このメルキセデクまたはメシアに準えられた『新約聖書』のイエス・キリスト、東洋のブッダ等が浮かんで来るに過ぎない。従って本論主題の再誕のブッダ大川隆法氏もここに該当する。

そしてこのようなメシア的人物の歴史的出現は啓示によって告知され約束はされても、人知の計算の到達外にあり、現に実存していてもその認知は困難であり、一度去った後は次の出現は見定め難い。このことが一行目「失われ、見出され、長い期間隠されて」の意味である。具体的に言えば「失われ」とは神交者モーセ時代から遠く下って旧約時代末期のメシア待望に当り、「見出され」とはキリスト・イエスの出現認知に当り、「長い期間隠されて」とはイエス帰天と約束されたイエス再臨の間の空白に当る。

そして三行目「月がその大循環を完了する前に」とは、太陽の光で僅かに輝く月のような絶対他力的原理の宗教のイエス・キリストという基軸を巡って来た西暦2000年間の終末期ということ、換言すれば「太陽の時代の開始期」に相当し、キリスト再臨約束の実的履行者・再誕のブッダ大川隆法氏の<太陽の法旗>のはためき始めた年々ということになる。

しかしながら、この偉大な救世主の旗は、世界史上の同様の例に漏れず、直ちに当代の人々の全員が満場一致で認知し尊崇するというわけにはいかない。いち早くその事実に気づき、目覚め、参集し、聞法する純粋で情熱溢れる人々が存在する一方では、全くのほら吹きか何かを見る如く何も感ぜず懐疑に包まれ軽侮し非難する徒輩にもこと欠かないのが世情の常でもある。そのため、「彼は他の見解を持つ人々から名誉毀損を受けるだろう。」という悲しむべき事態さえ生じてしまう。

そして、実際にもそのように大川隆法氏を誤解し中傷し非難して名誉毀損した者たちについて、氏を認知・尊敬し信奉・崇拝する人たちは公判訴訟という近代的な具体的対抗手段に訴えてもいるが、四行目詩句中の autres veux(別の見方の数々)という表現はノストラダムスの表現力の天才的機鋒を見事に証明するものとなっている。

というのも、それは、各人が根源的自由意志を有する限り、大救世主に対しても自分の見識と判断により認知するしないの自由に委ねられているという基本的前提を示し、そしてその上で、それだからといって「半ば神なる聖職者」を認知し得ないで逆に中傷し非難するのは「我意の強い頑迷な思考者」の罪であって、その罪を人は警戒し自戒しなければならない、という深いニュアンスが伺われる予言詩と成っているのである。」(初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(10)」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第50巻第2号、2000年 [下線部改稿])

別稿:「大川隆法主宰『幸福の科学』の仏教論的意義」参照。

既述のようにラテン語 pastor のフランス語化の定型はpasteur であるが (cf. Scheler, p.100)、そこに定着する以前は、pastur が最古の形で12世紀に登場し、13世紀には pastour, pastor という二形が共存し、13-14世紀にpasteur が現れた(cf. Littré, Petit Robert)。従って、§932, IV-29の pastureは、 pasturが一行目末尾のMercure との押韻の必要上 pastureとされたもので、意味はpasteur と全く一緒である。

ノストラダムス『預言集』には pasteur, pasture という語が都合4回登場し、そのうち既に取り上げた2回 (I-25, IV-29)が「聖職者」たる大川隆法氏を指し、1回が la pasture d’animaux ruminant(X-13, §59)として「反芻動物の飼料 pâture」を表し、残り1回が le grand pasteur 偉大な牧者 (VI-28,§448) としてのナポレオン・ボナパルトを指している。

この最後の用例は pasteur の原義に即したもので、「羊飼いが多数の羊の群れを導くように多数の兵士・国民を指導するリーダー」という意味であり、カリスマを伴うナポレオンの強力な政治・軍事的指導力を表そうとしたものである。

実際、VI-28 詩は「その偉大なケルト人がローマの中に入るだろう、多数の亡命者と追放者を引き連れて。その偉大な牧者はアルプスで雄鶏の為に一体化していた人々全てを死なせてしまうだろう。」と詠うが、注釈を入れてみるとナポレオンの史実と合致している事が分る:

「その偉大なケルト人(『預言集』に全18回登場する「 Celte, Celtiqueケルト人、ケルトの」という用語のうち、大半の15回が「フランス、フランス人の」という意味である)がローマの中に入るだろう(ナポレオン自身はローマに入っていないが、教皇と教皇領を思いのままに支配した)、多数の亡命者と追放者を引き連れて(これは過ぐる革命盛期にイタリアの教皇領に亡命したり追放されたりした多数のフランス人聖職者達が身分保障のないままそこで悲惨のどん底にあるのを見たナポレオンが、彼等の滞在を公式に許可し、修道院に生活の本拠を置かせ、現金手当も支給するように取り計らった事実(1797.2.15)を指す- cf. Thiers, IX, p.55-56))。その偉大な牧者はアルプスで雄鶏(『預言集』に全16回登場する雄鶏 coq のうち半数の8回が帝冠=鶏冠のイメージによりナポレオンを表している)の為に一体化していた人々(つまりグラン・タルメの兵士達)全て(これは誇張表現)を(その後の諸戦闘で)死なせてしまうだろう。」

なお、「月がその大循環を完了する」という表現は、後で取り上げる予定の関連詩I-48(§941)との繋がりによって一層明白となる。
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§935,V-24; §936,V-72 「幸福の科学」に対する妨害・中傷事件

大団円としての幸福の科学5、同6  「幸福の科学」に対する妨害・中傷事件: V-24, V-72.
    
前節 (§934,1-25) で、「我意の強い頑迷な思考者」がメシア的人格の認知に躓き易いことへの警告の予言詩を考察したが、ノストラダムスの予言はこの件に関して更に深く突っ込んで、大メシアに指導される「幸福の科学」の救世運動の社会的展開を阻害し、故なく中傷非難する講談社『フライデー』を始めとするマスメディアの悪しき潮流の予言にまで及んでいる。それはV-24, V-72の二つの四行詩である。(初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(10)」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第51巻第1号、2000年 [一部改稿])

第五サンチュリ第24詩:金星と太陽:V-24 (§935).

金星(ヴィーナス)の下の統治と法が高揚して、
土星(鉛)が木星(錫)を支配するであろう。     
太陽による法と統治が立ち上がる時、
鉛毒症患者たちによって最悪のものが支持されるであろう。


§935, V-24: Venus binds the Sun (1991).
The reign and law under Venus elevated,
Saturn shall gain a hold over Jupiter:
The law and reign by the Sun exalted,
It shall suffer from the worst because of the Saturnians.


Le regne & loy soubz Venus eslevé,
Saturne aura sus Jupiter empire:
La loy & regne par le Soleil levé, 
Par Saturnins endurera le pire.

第五サンチュリ第72詩:金星と太陽(2):V-72 (§936).

色欲的勅令の快楽のために、
彼等は合金の中に毒を混入するであろう。     
金星(ヴィーナス)が烈しく時流に乗るので、
太陽の全ての合金が晦まされてしまうだろう。


§936, V-72: The Sun poisoned by Venus (1991).
For the pleasure of voluptuous editions,
They shall mingle poisons in the alloy:
Venus shall be in so virtuous a vogue,
That it shall obcsure all the alloy of the Sun.


Pour le plaisir d'edict voluptueux,
On meslera la poyson dans l'aloy:     
Venus sera en cours si vertueux,  
Qu'obfusquera du Soleil tout aloy.

「両詩を結合するキーワードは、「合金 aloy, alloy」であり、これは「活字合金 type metal」のことであろう(注1.「印刷工業に使用している活字合金は、主としてアンチモン-錫-鉛合金でとくに硬さを必要とするときは銅が添加される。」日本金属学会編『金属便覧』1960年、丸善、P.934 。)実際、活字合金の主要組成は錫 (Jupiter) と鉛 (Saturne) であり、従ってここでは活字に象徴される出版メディアの動向が問題になっている。そして「鉛(Saturne) が錫(Jupiter) を支配する」とは、出版における善なる裨益情報の最優先原則ではなくて「最悪のもの le pire」の露出・暴露を事とする行き方が優勢になるということである。そのような悪徳出版遂行者たちが「鉛毒症患者たち Saturnins」と呼ばれている。
 
さて、このような鉛毒症患者たちが跋扈する環境は何かと言えば、「金星(ヴィーナス)の下の統治と法が高揚して(Le regne & loy soubz Venus eslevé)」という状況である。この場合、「金星(ヴィーナス)」とは、「色欲的勅令の快楽のために(Pour le plaisir d'edict voluptueux)」という直視的表現自体から明白であるように、「官能愛の嗜好一般」を意味する。そして、人類の高度な文明文化の歴史的伝統的標準的観念においては、「官能愛の嗜好一般」は本能的なものとして根源的是認を受けながらも、その有り様は必然的に、ヴェールに覆われ、オブラートに包まれていなければならないものである。ところがこの人類の根源的美徳を破って、「官能愛のための官能愛による官能愛の激甚表現」をモットーに掲げる悪徳者の出現を見る非常時は、「金星(ヴィーナス)の下の統治と法が高揚して」いる時である。それは言い換えると「金星(ヴィーナス)が烈しく時流に乗っている」ということである。そして、le plaisir d'edict voluptueux「色欲的勅令の快楽」のedict 「勅令」という語は、edition 「出版」という語を連想させるから、この快楽は特に出版活動に関わるとの解釈が自然に得られる。又、「合金の中に毒を混入する On meslera la poyson dans l'aloy 」というのは、文字通り活字合金の中に何か毒物を混ぜるというのではなくて、特に雑誌形態の出版物のような多くの記事から成る編集物に何らかの割合で「精神的な毒物的色彩の濃厚なページや記事」を意図的に嵌め込むということであろう。それは、もはや説明するまでもなく、徒らに官能愛を刺激するだけのグラビアや人々の名誉をセンセーショナルに毀損するような記事の類いである。poisonは現在男性名詞であるが、古くは女性詞であった。その意味には「邪説、毒舌」というのもあるから、まさにこれである。

そして、この問題は、両詩を通じて、「太陽」との関わりの中で言及されているのであるが、これまで論究して来た我々の文脈の流れの中では、「太陽」の意味は明々白々である。特に、「太陽による法と統治が立ち上がる時 La loy & regne par le Soleil levé 」という表現によって、「太陽の法」を携える「大メシアたる大川隆法氏」(§942,V-53詩参照)及びその指導下の「幸福の科学」の活動が大々的な社会的弘法へと展開し始めた時がここに想起されて来るのである。この思い切った弘法運動は、「幸福の科学」自身では「サンライズ ナインティ(90)」と呼ばれて、1990年に位置づけられた(注2.大川隆法監修『救世の源流を探る 幸福の科学・法と組織の十年』1991年、幸福の科学出版、P.74)。ちなみに、フランス語でle Soleil levéとだけ言えば、「日の出、上り始めた太陽、サンライズ」の意味である。しかも、大川隆法氏の第一理論主著たる『太陽の法』の第一章は「太陽の昇る時」と題されている。
 
「幸福の科学」の「サンライズ90」は翌年、一層活力を増して「ミラクルダッシュ91」へと拡大再生産されたが(注3.同上書、P.85)、出版上の事件が起きたのはこの年であった。事件の首謀的主役は株式会社講談社が発行する写真週刊誌『フライデー』であったが、このフライデー(Friday金曜日)に相当するフランス語Vendrediは、文字通り、「ヴィーナスの日 jour de Venus」(ラテン語 Veneris dies)という意味である。何故なら Vendre-diの Vendre-は、vendre(売る)という動詞と形は同じでも語源的関連はなく、Venus の属格(genitive)であるからである。その『フライデー』を始めとする悪徳出版遂行者たちのために、「太陽の全ての合金が晦まされてしまう Qu'obfusquera du Soleil tout aloy」というのは、「太陽」つまり「幸福の科学」の弘法活動自体も「合金」(活字)即ち出版物を主要な媒体とするものであったという事情から来ている。

なお、原語 obfusquer は、obf- が off- と同値なので、offusquerとなり、これはラテン語動詞 offūscō「暗くする、貶黜(へんちゅつ)する(落し退ける)」から来ている(cf. TanakaH)。

講談社フライデー事件の総括(1)

では、その事件とはどのようなものであったのか、「講談社フライデー全国被害者の会代表」としてこの社会的悪に決然と勇気を以て闘い、あたかもその力強い実践を自己の人生の最高の成果と心得て潔く早くも昇天して行った直木賞作家・景山民夫による総括を引用しておきたい。

「1991年、テレビや新聞、週刊誌などを賑わした“講談社フライデー事件”は、まだ読者の皆様の記憶から薄らいではいないことと思う。しかし、あの“講談社フライデー事件”とは、つまるところどういうものであったのか、どういった出来事を発端として発生したのかに関しては、多くの方々が正しい認識を持たれてはいないと思う。当時、世間の大半の認識は「宗教団体が教祖の悪口を週刊誌に書かれ、それに怒って非常識な抗議行動を行なった」といったレベルであったのだろうと推察される。しかし、本書をお読みになれば判るとおり、これは大いなる誤解であり、その視点は明らかに間違っている。私たち「講談社フライデ-全国被害者の会」の主張、そして「精神的公害訴訟」の原告たち一人ひとりの思いは、そのような私怨に満ちたものでは決してない。そして、この件を論じるとき決して忘れてはならないのは、講談社による、事実にまったく反した捏造、つまり「嘘」の記事の掲載が、すべての発端であったという点である。ジャーナリズム、あるいはマスコミュニケーションが、報道に於いて意図的に「嘘」をつくというのは、メディアの自殺行為である。そしてそれはまた、読者に対する裏切り行為であるだけでなく、人の心を毒水で汚染する公害のたれ流しにも等しい行ないなのだ。それ故に、私たちの抗議や活動、そして「精神的公害訴訟」は、マスコミという、現代の日本社会に於いて本来は人を啓蒙し、人の心を向上の方向にいざなうべき使命を持っているはずのメディアが、そのまったく逆の方向に向かいつつあることへの警鐘でもあり、正しき方向を指し示す灯台の意味を果たす行動であったと確信している。
 
私たちが抗議の行動を起こし、「正義」という言葉を口にしたとき、「いまのこの時代に、正義なんて」と嘲笑した人も多い。しかし、「正義」の本当の意味を考えれば、その考えが間違っていることは明らかだろう。「正義」とは、善悪を分かつ力であり、その、善というものは神の念いに発している。この世界が、善悪の区別もつかないものになったとき、すべての人の心は暗黒の世界に沈む。

本書が、これをお読みになるすべての方に、もう一度「正義」あるいは「正しさ」というものを見つめ直すよすがとなれば、私たちにとって大いなる喜びである。1993年8月 講談社フライデ-全国被害者の会会長 景山民夫」(注4.景山民夫・小川知子編『宗教の反撃 講談社フライデー事件と裁判のすべて』1993年、幸福の科学出版、PP.3-5。)

講談社フライデー事件の総括(2)

こうして“事件”は始まった  景山民夫

あの一般的に“講談社フライデー事件”として知られている出来事から、丸二年が経過した。当時、マスヒステリアとすら呼べるほどの拒否反応を、僕たちの抗議行動、そして主張に対して示した人々の反応が、明らかに好意的なもの、行動そのものを評価する方向に変化してきたからといって、二年前のあの出来事を忘れ去ることはしてはならない。そしてまた『週刊フライデー』『週刊現代』『現代』などの講談社メディアが、幸福の科学と大川隆法主宰[現・総裁。以下同様…筆者]先生に関する、まったく事実無根の捏造記事、あるいは悪意に満ちた誹謗中傷記事を掲載したことの責任は、決して時間の流れの中で消えるものでも風化していくものでもない。
 
まず、講談社関連のメディアに、幸福の科学に関する中傷記事が最初に載ったのは、いわゆる抗議行動に先立つこと四ヵ月の1991年5月である。掲載誌は講談社の子会社であるスコラ社発行の男性誌『スコラ』5/23号である。記事の構成者は宗教関係の仕事を多く手がけているフリーライターの米本和広である。そしてこの記事の執筆に際して米本が幸福の科学に直接取材を申し入れたというような事実はない。その翌週には『週刊現代』5/25号に「問題摘出リポート/大川隆法『幸福の科学』教団のファジ-な“商法”」として、主宰先生が納税者番付で部門7位であったことをまるで「だからこの宗教団体は金銭面に怪しいところがある金集めを目的とする団体なのだ」と決めつけたがっているような語調で紹介した記事が掲載される。『週刊現代』の記者によるこの件に関しての取材は発売の五日前に幸福の科学総合本部で行われ、主として広報宣伝部の職員が対応したのだが、勿論、それが「問題摘出リポート」などといった扱いをされるといったことは、取材に来た記者(講談社社員と契約社員の二名)は語りはしなかった。この『週刊現代』の記事が出た二週間後の5月31日には、『フライデー』が東大五月祭における「黎明の時代」の御講演の写真と共に、「『謎の教祖』大川隆法氏『東大凱旋講演』の中身」と題する記事を掲載した。特筆すべきなのはこの『フライデ-』の記事の中で、後述する『フライデ-』8/23・30合併号の捏造記事を書いた早川和廣が、既に“宗教評論家”という肩書で、コメントしていることである。

翌月になると、6月24日発売の『週刊現代』の広告の見出しが「『3000億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”」と、さらに攻撃的になる。どうやらこの段階で『週刊現代』は、幸福の科学という宗教法人を金銭面の問題から叩こう、という方針を定めたように見てとれる。それが“大野望”という表現につながってくるのだろう。当時から会員であった方なら誰もが知っているように、第一回御生誕祭で、それまで月額2000円であった会費が1000円に切り下げられこそすれ、合計3000億円もの献金を会員が強制されたなぞという事実は全くない。それはあくまでも、やはり宗教法人である以上、会社でいう自社ビル的な、講演会の出来るホールや大きな礼拝場のある総合本部ビルがあると嬉しいという気持ちの表われといえよう。そして当時の地価や建築費でいえば3000億円ぐらいはかかるであろうというところから出た数字である。それに対して講談社メディアは「これが幸福の科学の本心」といった、鬼の首でもとったような弾劾記事を連続掲載する。

そしてその件に関する取材で幸福の科学総合本部を訪れた取材記者は、無断撮影はしないことという広報宣伝部の取材に応じる際の条件を無視して勝手に総合本部内の写真撮影をした。幸福の科学では、この『週刊現代』の記事が事実無根であることと写真を無断掲載したことに関して6月29日に抗議文を編集長宛に送付した。しかしそれに対する回答や釈明は一切なかった。そして明らかにこの『週刊現代』の“大野望”記事をきっかけに講談社メディアとその関連会社である『日刊ゲンダイ』は嵐のような幸福の科学叩きを開始することになる。 つづく7月と8月は講談社の大攻勢のニヵ月である。この7、8月以降の記事はそれ以前にも増して単なる誹謗中傷、幸福の科学叩きの内容であるだけでなく、捏造、つまり現実にはありもしないことをさも事実であるかのように書く度合いが非常に激しくなっている。それは、ある種、なりふりかまわぬ、といった様相をすら呈している。どんなウソでもかまわないから、とにかく世間が幸福の科学と大川隆法主宰先生を、白眼視する、あるいは危険視するように仕向けよう、という意思が、そこには見える。

注意しておかなければならないのは、この時点では、抗議文書の送付以外に、幸福の科学あるいはその会員から、講談社に対する抗議は行われていないということである。9月以降のような、明らかな対立関係の図式はまだ成立していない。にもかかわらず何故講談社がそのメディアを通じてここまで激しい攻撃を幸福の科学に対して仕掛けてきたのかはその理由が定かでない。中でも特に捏造の度合いのひどいのが8月9日発売の『フライデー』8/23・30合併号の記事である。この号の問題点をあらためて振り返ってみよう。早川の文章はGLA元幹部であるという石原常次氏の証言を紹介するのだが、石原氏がGLAの元幹部であったということも事実ではなくデッチ上げである。早川が何故ここで事実に反してまでGLAという団体の名を出したのかもその理由がよく判らない。記事の中で東京・墨田区で人生相談の「石原相談室」を開いている石原常次氏は次のように語ったことになっている。「彼がまだ商社にいるころでした。ぼくのところにノイローゼの相談にきました。『GLAの高橋佳子先生の[真創世記]を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました。」
 
そしてこれが、まったく事実に反する文章、つまり嘘だったのである。この号のフライデーが発売された四日後、幸福の科学総合本部に石原常次氏自身から電話がかかってきた。応対した広報宣伝部員に石原氏は憤りを抑え切れないような口調で次のように語った。「あの『フライデー』の中で早川ジャーナリストが書いていた中川一郎と名乗る二十歳(相談当時)の青年は大川先生ではありません。早川氏の聞き違いだと思います。早川氏とは、電話で二分か、せいぜい五分ぐらい話しただけですから。」
 
そういった電話を貰いはしたものの、それだけでは正確さに欠けるため、総合本部では石原氏にその証言の内容を文書にして送ってくれるように依頼し、快諾した石原氏から、二日後に文書が送付されてきた。
 
さらに細部の確認のために、職員が直接石原氏と面会し、次のような内容の証言をきちんと証言文として受け取った。証言文の内容を要約すると、次のようになる。「早川氏は、ある女性を仲介に立てて、“取材に応じてくれ”と依頼してきて、計二回、私に電話をしてきました。あの『フライデー』が出る一週間くらい前、(1991年)8月2日頃の最初の電話で、まず『大川さん知ってるそうですね?』と私に尋ねました。私は、幸福の科学の大川隆法氏のことはあまり詳しく知らなかったのではっきりとは答えなかったところ、早川が次に『中川という人が来たことがありますか?』と聞いたので、『中川さんという人は来たことがある』と答えました。実際、中川一郎という二十歳くらいの大学生の人が、ノイローゼの相談にやって来たので、そのときの状況をお話ししたのです。」そのときの状況の描写が『フライデー』の記事では大川隆法主宰先生のこととして掲載されることになるのである。さらに、石原氏の証言文は驚くべき内容を含んで、次のようにつづく。「早川氏は、大川隆法氏の本名が中川隆であることを告げ、そして『幸福の科学が大きくなる前に、何とか、つぶしたいので、悪い評判があれば教えてほしい』と言いました。」
 
石原氏は、早川の電話取材に対して、五年前に訪れてきた中川一郎という大学生が、二十歳ぐらいだったと述べている。しかし『フライデー』の文章では、その、大学生であるとか、二十歳ぐらいだとかいう説明は削除されている。1991年の五年前、1986年というのは、大川隆法主宰先生はとうに東大を卒業、その後に勤めておられた総合商社を退社して幸福の科学を創立された年である。いくら何でも商社マンとしてニューヨーク駐在勤務まで終えた人間を二十歳の大学生と見まちがえるわけもない。このタイム・パラドクスをごまかすために早川は、明らかに、中川一郎という人物の年齢を、石原氏からは聞いておりながら、記事には書かなかったのである。
 
しかも、取材したとはいえ、早川は石原氏に対して、たった二回、電話をかけて話を聞いただけである。一個人の問題としても、ノイローゼだ、鬱病だ、キツネがついている、といった重大な内容を雑誌に書くのにあたって、直接会って話を聞く努力すらせず、電話だけでの取材というのは、いいかげんを通りこした行為である。ましてや、当時の時点で会員百五十万人以上を有する宗教法人の主宰者に関して、そういったことを書く以上、その記事の影響力を考慮すれば、正確な取材と事実確認の作業が為されて当然だろう。さらにご丁寧なことに、9月2日、つまり、幸福の科学の会員による講談社への抗議行動が始まったその日に、あたふたと石原氏の下へ駆けつけたフライデー編集部員が「記事での石原氏のコメントは事実であると認めてほしい」ともちかけている。しかしこの申し出は、石原氏に「自分がGLAの元幹部であったとか、相談に来た人物が中川隆氏だったなどと書かれている点を、事実と認めるわけにはいかない」と、拒絶されているのである。
 
そして、この号の『フライデー』が発行される二日前の8月7日夜、編集部の人間であるという二人の人物が、幸福の科学総合本部を訪れた。取材申込みということで、応対に出た職員に対し、二人が述べたのは「今後、お宅についての連載記事をはじめますよ、連続五回はやりますからね」とか、「もう、印刷に回ってますから」という趣旨の取材ともいえないような言葉だけであり、それだけを言うと、二人は総合本部を後に去っていった。この事実が何を意味するのか、当事者にはまったく判らず「あの人たちは何をしに来たのだろう」と話題になったほどである。発売二日前というと、通常の週刊誌の場合、既にほとんどの入稿は終わっている。たしかに、総合本部にやってきた『フライデー』の人間の言うとおり、もう輪転機は回っていて、電車の中吊り広告の文面なども、印刷済みである。その時点での、編集者の来訪は単に、一応は通達だけはしたのだからな、という既成事実作りのみを目的としているように、そのときは思われたものだ。これもまた、『フライデー』の常套手段であるらしく、7月12日発売の『フライデー』に「……『幸福の科学』の有名人会員たち」という見出しで、隠し撮りされた僕の写真が掲載された際も、発売の二日前に『フライデー』編集部の人間から事務所に電話がかかってきている。そのときの電話の内容は「幸福の科学について、電話インタビューをしたい」というものだったのだが、僕は基本的に電話のみでのインタビューは正確さを欠くという理由で、受けないことにしている。その旨を事務所の人間が伝えると、相手は「それじゃ結構です」と言って、電話を切っている。むこうの考えでは、「内容はともかく、一応、コンタクトしたという既成事実は作ったぞ」ということなのかもしれないが、いざというときの言い逃れのために、形式的にそういったことをするような考え方自体が、ジャ-ナリズムのあるべき道に反するものであることは、言うまでもない。
 
『フライデー』8/23・30合併号の記事の内容と、写真の無断掲載に対して、幸福の科学は8月22日、講談社野間佐和子社長、『フライデー』の元木昌彦編集長(当時)、そして早川和廣の三者に対し、内容証明郵便で通告書を送った。通告書では、記事はまったくの虚偽であり、大川隆法主宰先生と幸福の科学の名誉を著しく毀損するものであって、かつまた、プライバシーの権利と肖像権を侵害するものであるから、それに対する謝意を表明せよ、と三者に告げてあった。しかし、これに対して、講談社側はなんの回答もよこさなかった。それどころか、『フライデー』の「連続追及」の内容は、ますますエスカレートしていくばかりであった 通告書に対して、何の返事も得られなかった幸福の科学は、8月28日に、再び、講談社野間佐和子社長、『フライデー』元木昌彦編集長(当時)、及び早川和廣に対し、警告書を送付した。これは、記事そのものが、意図的に捏造されたものであると判明した場合には法的処置をとる、とした、前回の通告書よりも厳しい内容のものであり、野間社長らに、記事が誤りであることを認めて、すみやかに謝罪と訂正することを求めたものだった。また、この警告書には、石原常次氏による抗議書も同封された。これに驚いたのか、8月31日になって、やっと、警告書の前に送付した、8月22日付けの通告書に対する回答文が、講談社『フライデー』からとして、幸福の科学に届いた。しかしその内容は、「記事の内容は、取材において石原氏が語ったことを、そのまま正確に引用したものであって、『フライデー』編集部では、その言葉に何の作為も加えてはいない」と主張する、厚顔無恥なもので、その上「なお、この企画は、今後も続けていく所存である」と結んであった。これは、幸福の科学に関する事実誤認に基づく批判的な記事を書いた他のメディアの反応とは、あまりにも違うものであった。1991年の春以来、幸福の科学の活動を誹謗するような内容の記事を掲載したメディアは、いくつもあったのだが、そういった雑誌などに対し、文書による事実誤認の訂正を求めた結果、講談社以外のすべての新聞社、出版社などは、相応の対応をしてくれたのだ。明らかに捏造、デッチ上げの記事を書きながら「なんだ、文句あるのか、あるならやったろうじゃないか」といった、喧嘩ごしの回答を送ってきたのは、講談社だけである。つまり、通常の編集部レベル以上の、幸福の科学叩き、あるいは、幸福の科学つぶしを意図する力が、そこにかかっていたとは考えられないだろうか。とにかく、講談社及び『フライデー』は、この回答書によって「俺たちは、自分のしたことを少しも悪いとは思っていないぞ、まだまだ誹謗中傷の記事を載せつづけてやるぞ!」と、書面で宣戦布告してきたわけである。そして、この時期に講談社から送られてきた回答書が、事態の解決には結び付かない内容のものであったということが、結果的に、9月2日以降の抗議活動へとつながっていくことになる。」(注5.景山民夫・小川知子編『宗教の反撃 講談社フライデー事件と裁判のすべて』PP.3-5。)

我意の強い頑迷な思考者」の罪への自戒

以上の考察は、本論上、迂遠のように見えるにしても、実はそれは、ノストラダムス『預言集』I-25詩において警告されている「我意の強い頑迷な思考者」の罪に自ら落ちることを防ぎ、回避する智恵と決断と勇気を確保し、増強するために必要なものであった。また、次の考察も同様の意義を持つものとして継続されねばならない。即ち、V-72詩:「色欲的勅令の快楽のために、彼等は合金の中に毒を混入するであろう。金星(ヴィーナス)が烈しく時流に乗るので、太陽の全ての合金が晦まされてしまうだろう。」において、講談社写真週刊誌『フライデー』編集・出版者を始めとする悪徳出版遂行者達のために「太陽の全ての合金が晦まされてしまう Qu'obfusquera du Soleil tout aloy」というのは、「太陽」つまり「幸福の科学」の弘法活動自体も「合金」(活字)即ち出版物を主要な媒体とするものであったという事情から来ていると述べたが、実は、私自身も、そのような「目晦まし」の被害を受けてしまったことを、反省とともに再確認しておきたい。
 
『フライデー』8/23・30合併号におけるジャーナリスト早川和廣が事実の捏造によって記述した「幸福の科学・大川隆法氏の異常心理状態」は、その記事が景山民夫氏のように当時の「幸福の科学」の内外の諸事情に通じていて、確証によって、捏造と断定し得るのと同じ判断レベルに、正に後の景山氏の報告『宗教の反撃 講談社フライデー事件と裁判のすべて』(1993年)を通して初めて到達することが出来たその前までは、必ずしも一概に不可解とは断じ得ない性質を持っていると思われるのである。何故なら、或る意味では、個々の「宗教的事象・人格」を考察する場合には、その考察のまさに出発点に位置づけてしかるべきポイントとして、霊的事象の真偽贋実問題が、当該人格の正常異常問題の形で生起するということが普通にあると言えるからである。例えば、大本教の教祖・出口なを女史の霊言活動は、最初は、あたりはばからず、というよりもむしろ世間にはっきりと聞かせる・聞いて貰うという趣旨により大声で教えを叫ぶ、というような形態のものであって、これは世間の人々の大半が異常な言動と受け取ったのは勿論であるが、当の本人さえも、自分を指導する神霊の存在は疑いはしなかったものの、これではとても恥ずかしいから大声で叫ぶのだけは止めにして貰いたいと頼み、自動書記に転換して貰ったということである。こういう一般論としてだけでなく、実は、大川隆法氏自身が、自己の霊的体験の開始期の回想において、それを「一種の危機的異常体験」として語ってもいるのである。

新しい入り口の発見
四番目は、「発想による光明転回」、これがあります。これも大事です。たとえば私も今から六年余り前に霊道を開きましたし、たとえば私がみなさんの霊道を開こうと思ったら割に簡単に開けるんです。霊的に相当感応しやすい人であれば、もうほんの数分で開いてしまいます。そして守護霊が入る様になるのですが、ただ最初の時はそういうこともだいぶやっていたのですが、あとがよくないのです。なぜよくないかと言うと、自力ではなくてそういう他力で霊道なんかを開いてしまうと、悪霊なんかに支配されはじめても、それを追い払う力がないのです。それで結局苦しむことがある。そうすると、みなさんもそうでしょうが霊道を開きたいと言っていたのに、それを棚に上げて、自分の守護霊がたるんでいるとか、主宰者が悪いとかいろいろ言うのです。
 
こういうことがありますが、ものは考えようでございまして、意外に苦しんでいるけれども逆に悟りへの近道にいるかもしれないのです。その人はぼんやりと、霊なんてあるのかなと思っているのが、悪霊が憑いて家庭教師をしてくれているのです。毎日毎日耳ではささやくは、頭を締め上げるは、腰には抱きつく、足は冷えるで、だから個人教授をやってくれているのです。これからのがれたくてのがれたくて、私に取ってくれと言って来るのですが取らないです。家庭教師をせっかくしてくれているのだからだいじにしなさいと、それはあなたが悟っていないことを教えてくれているのですから。悟っていないということを、じっくりと悟るための勉強なんだから、しっかりその家庭教師さんに代金を払わなければいけないと、こういうふうに私は言うことにしております。だから悪霊に憑かれて苦しんでいる人もいっぱいいると思いますが、これは非常に便利なのです。みなさんが悟るかどうかの試金石になるのです。悟ったらパリッとはがれてしまうからわかるのです。悟ったその瞬間にすぐわかります。憑いているうちは悟っていないということなのです。 そういうふうに考えることはありますので、あまり悪いほうにだけ考えてはいけないのですね。だから霊道を開いても精神病者になってしまう人もいるけれども、もう元通りにしてくれというようなことばかりを考えずに、ひとつチャンスなのですから、これで聖人になろうじゃないかという考え方もあるのです。
 
ほかならぬ私も六年半ほど前ですが、霊現象が起きた時に自分がこんな道に入るとはよもや思っていませんでしたので、大変なことになった、こんな霊現象が起きたけれどもどこへ行って救ってもらうかということをだいぶ考えたのです。これは困ったもので、だれかいないかと思っていたが、だれも助けてくれる人がいない。困ったものだなと思って、取ってくれる人がいないようだから自分で取ろうと思ったら、悪霊かと思ったら高級霊だったのでびっくりしたのですけれども。何もわからないとそういうことがあるのです。
 
ですから霊現象なんかが起きた時には最初はものすごく不安です。とにかくだれかにすがりたくてしかたがない。そういうことなのですが、意外にそこに人生の次のステップが用意されている場合もあるのです。(下線筆者)」(大川隆法『繁栄の法則』1989年、幸福の科学出版、PP.204-207。) 

人格の格闘から生まれた世界宗教

本格的宗教の開始期に見られる人格的葛藤の事例を、大川隆法氏の処女作『日蓮聖人の霊言』(のち、『日蓮の霊言』と改題)(著者名は氏の実父である善川三朗氏)に関する解説によって更に詳しく見てみたい。

幸福の科学の出発点について 
『日蓮の霊言』という本のテーマは何かというと、「人生の悩みに打ち克つ」ということです。人生の悩みにどう打ち克ってゆくかということについて、さまざまな角度から説かれています。内容のポイントを、私は次の六つに絞ってみました。
一、幸福の科学の出発点について。
二、「自分の畑を耕せ」という言葉の真意について。
三、「人生は一冊の問題集である」との視点。
四、悪霊と守護・指導霊について。
五、自由と悟り。
六、人生の悩みと一元論、二元論。

主要な論点はこの六つであると言ってよいと思います。まず第一番目の、「幸福の科学の出発点について」ということを述べておきたいと思います。「日蓮の霊言』が刊行されてから、すでに三年半ぐらいの歳月が流れました。しかし、今後何百冊の本が出ようとも、この本が幸福の科学の第一冊目の書物であることは変わりません。また、この最初の本を出版するまでに、そうとう苦労したことも事実であります。
 
最初の霊示
私は、一九八一年の三月に霊道を開き、高級霊からの通信を受け始めてから、八五年夏にこの本が出版されるまでに、約四年半をかけました。この間、私たちがいったい何をしていたのかということは、この本の行間からある程度読み取ることができると思います。最近刊行されている私たちの書物は、一冊一冊はっきりしたテーマを決めてつくってありますが、あの当時の本というのは、そうとうな分量の霊言のなかから選んで編集した本なのです。ですからいろいろな内容が集まっていると感じられた方もいるでしょう,日蓮聖人との対話は、四年分ぐらいのストックがあり、そのなかから編集してこの本ができあがりました。ですから、この本に書かれていない対話もそうとうあったわけです。それは個人的な問題の相談がほとんどでした。やはり最初に霊的現象に出会ったときには、衝撃の連続でありました。理解できないことばかりでしたし、霊的世界について書かれたテキストもなければ、師もいないという情況で、まったく帰納的方法といいますか、実際に体験したり、学んだことのなかから理論を構築していくというステップでありました。最近の理論書を何冊か読まれたあとで、初めてこういう本を読まれる方は、あるいは、「幼稚だな」と思われるかもしれません。しかし、ここに私たちの人間としての格闘があったわけです。その格闘は、実に大変なものでありました。それは私にとっては、やはり人生の針路を大きく変えてしまう内容であったわけです。しかしそれから八年もの歳月が流れてしまい、今、多くの方々が幸福の科学の考えに賛同されていますが、この最初のころがいちばん難しかったわけです。何しろ当初は、この私自身が賛同していなかったのです。私にこういう現象が起きなければならない理由はない、と思っていました。私はもともと考え深いほうではありましたが、どう考えてみても、そんなはずはないと思われたのです。宗教家になりたいと願ったことは過去一度もなく、宗教家としての資質があるとも思えなかったし、自己実現の方法としても考えてもいなかったことでした。最初に日蓮聖人が出て来て話をされ、それだけでなく同じころ、イエス・キリストをはじめとするさまざまな霊人が出て来ておりましたが、とても信じられないというのが私の正直な気持ちでした。霊的世界について書かれた書物をいくつか読んでみましたが、そこに共通して書かれていたのは「波長同通の法則」ということでした。霊界通信の原埋として、同じ波長でなければ通じないという法則があり、そうすると、こうした高級霊から霊示を受けられるということは、私もそういう波長を持っていなければならないということになるのです。そこで、自分自身の過去二十四年間の人生についてふり返ってみたわけですが、「そんなはずはない、そこまで自惚れてはいない」というのが私の結論でありました。悪いこともしたかもしれないし、考えたこともあるかもしれないけれども、人間を上・中・下に分けたら、なんとか平均ぐらいはいっているだろう。しかし、そんなに偉い人と話すほどではないはずだし、それほどの実績もないと思ったわけです。しかも、それほど心の修行をしたかと問われたら、した覚えもないし、それほど心が澄んでいるかと問われても、それほどでもない。考えれば考えるほど、やはりありえないという結論に達したわけです。しかし、「現証」は、徹底的でありました。現在では霊的現象に関して、私は選択的に応じています。自分に必要がない場合、聞く気がない場合には、霊人たちが何を話そうとしても私はぜんぜん応じません。しかし、このときにはそうではありませんでした。最初の一年目はほとんど二十四時間態勢に近かったのです。いつ、なんどきでも話しかけてこられる状況でありました。まことに不思議ですが、たとえば夜中にパッと起きて、私が何か質問や疑問を抱くと、すぐに答えが返ってくるという状態でした。日蓮聖人だったのですが、最初は四六時中そばにいる感じでした。夜中にフッと目が覚めて、何かについて疑問を持っただけで、答えがすぐに返ってくるのですから、恐ろしいくらいでした。私が行くところには、どこにでもついて来られて、私が考えることに次々と答えを出してくるのです。こんなことがありえていいのだろうか、家庭教師とはいっても、少し親切すぎるのではないだろうか、という感じでありました。また、たとえば女性を見て、「美しいな」と私が心のなかでフッと思ったとします。すると、「いや外見にだまされてはいけない。彼女の悟りはこの程度だ。心がよくないところに通じている。」などと、すぐに言われるのです。電車に乗っていても、前にいる人には憑依霊が三体憑いている。それは何と、何と、何であるというように、四六時中教育されていました。もう洗脳に近いかたちですが、教えられているうちに、自分も観察をするようになり、これはあれとあれが憑いているなと思っていると、「そのとおりだ。」などと言われるようになってきました。」(大川隆法『幸福の科学原論①』幸福の科学出版,1989,p.14-21)

従って、私自身はこのような文脈の中で見ていたから、逆に、早川和廣による当該記事を読んだ時、その記事の内容が、このような観点から解釈される性格を多分に持っていたため、「中川隆さんが石原常次氏の所に人生相談に訪れた」ということを、事実として始めは受け取ったのである。つまり、「こんな霊現象が起きたけれどもどこへ行って救ってもらうかということをだいぶ考えたのです。」という大川氏の説明の延長上に、「中川隆さんが石原常次氏の所に人生相談に訪れた」という行動を事実として想定するという考え方に私は傾斜せざるを得なかったのである。もっともその考え方の採用によって私がそれまでに受容し、理解し、形成し、納得した大川隆法氏の宗教的人格の真実性を、いささかも疑ったということは全然意味しない。何故なら先に述べた通り、宗教的人格の本格的出発の最初期に尋常ならざる不安・動揺が見られることはむしろ人間と歴史における同種の現象の通例とさえ考えられるほど、それ自体は異常でもなんでもないと思惟されるからである。    

しかし、細部の事情にわたる景山民夫氏の説明文によって、早川の手になる記事が全体にわたって事実に基づかない捏造であることをはっきりと知らされた。しかもその記事は、直接の取材もしなかったし、また、公刊済みの大川氏のこの著書をさえ参照もしていないと思われ、単に自己の既成の思惑に従った全くの誹謗中傷の文章を捏造したものに過ぎないという最悪のものであることも明らかにされた。結局それは、宗教的現象・人格の個別的事例を真摯に考察しようとする場合に必要な手続きの一片の努力の微塵も見られない単なる「 la poyson」(毒、毒舌、邪説)にしか過ぎなかった訳である。
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§935 -§936 (続) 常勝思考と竹の比喩

大団円としての幸福の科学5、同6(続) 常勝思考と竹の比喩

常勝思考 : 苦難を糧とする不撓不屈の精神

一部ではあっても現象論的には強い影響力を持つ悪徳マスメディアの暴論に対して「幸福の科学」会員等は、従来の既成観念では「宗教者の美徳をけがす」とも解されるような街頭デモや抗議電話・ファクス、そして遂には、提訴という一般市民的権利の行使にまで前進して行ったが、ここには「幸福の科学」の濃密な知行合一の実践哲学がそのまま活用され実行されていると見ることができる。この実践哲学は「常勝思考」と呼ばれ、「苦難を糧とする不撓不屈の精神」の理論化とされている。それは言うまでもなく、総裁・大川隆法氏の提唱になるものである。その骨子は次のような考え方である。

「 反省と発展をつなぐ理論     
本書のテーマである「常勝思考」の考え方は、私が提唱する「幸福の原理」としての四正道、すなわち、「愛」「知」「反省」「発展」のなかの、反省から発展をつなぐ理論として出されているものです。反省と発展という概念、この両者をつなぐ思考として、常勝思考があげられているのです。

苦難を魂の力にしていく
まず最初に述べたいことは、この常勝思考の原点には、苦難というものの受け止め方において、苦難を肥やしにするという考え方が前提としてあるということです。みなさんの人生の途上において、挫折、失敗、苦難というものが出てくることがあるでしょう。しかし、大きな人生修行の目的というものを考えた時に、はたしてみなさんは、それを避けて通ればすむのでしょうか。これを考えていただきたいのです。そうした苦難や困難を避けるために、この世に生まれてきたのでしょうか。この問いに答えなければいけないと思うわけです。人生の目的を考えてみたとき、実際はそうではないことがわかるでしょう。何百年か、あるいは何千年かに一度、この地上に肉体を持つ理由は、今世、この地上において、新たな環境で、さまざまな人びとに囲まれて、新たな魂修行をしようということなのです。その魂修行のなかには、決して、よいことばかりがあるのではありません。それを当然の前提として、この地上に生まれ出てきているはずです。この世に生まれてきたということは、ものごとがスイスイとうまくいくということばかりが前提になっているわけではなく、いろいろな経験を積み、いろいろな迂余曲折を経ながら、人格が一段と大きくなり、底光りしてくることを目的としているのです。そうした大きな人生の目的というものを中心に考えてみると、この世の苦難や困難といわれるものの正体は、実は違ったものに見えてくるはずです。これが、常勝思考という考え方の立脚点なのです。「人間が永遠の生命を持ち、転生輪廻をしている」という前提に立ったとき、みなさんはこの現象界の事件、あるいは経験というものを、違った観点から見ることができるはずであり、それは自分に対する大いなる糧となる経験のはずです。これが常勝思考という考え方の立脚点です。「あらゆる知恵や技術、発想を総動員して、みずからの前に立ちはだかっている困難に、どのように対処していくか。そして、対処する過程で得たものを、いかにして、魂の力としていくか」-これこそが勝負の眼目であるわけです。
 
人生の時間を制覇する精神
さて、この常勝思考が真にパワーを得てくるためには、どのような考え方が大事であるかを述べておきます。それは、ひと言でいうならば、「不撓不屈の精神」ではないかと思います。人生には、さまざまな浮沈や、光が当たったり当たらなかったり、自分の思いどおりになったりならなかったりするようなことがいろいろとあります。そうしたときに、人びとの行動を分類してみると、明らかに二つに分かれると思います。一つは、自分にとって順風のとき、すなわち自分にとって都合のいい風が吹いている、追い風が吹いているときには調子がいいが、逆風になれば、とたんに舟が進まなくなったり、あるいは転覆したり沈没したりしていく人です。このような人はきわめて多いように思います。また、これとは逆の方もいます。先ほど「不撓不屈の精神」と表現しましたが、最初の念いがどれほど強く純粋であり、持続力に富んだものであるかを教えてくれるような方もいます。人びとの念いというものは、ある時期に一時、盛り上がることはありますが、それが本物であるかどうかは、時間の流れのなかで証明されていくのです。常勝思考というのは、ある意味では、木が生長する姿のようなものかもしれません。木が生長する過程においては、いろいろな苦難や困難があります。強い風が吹いて、葉がとれてしまうこともあります。また、枯れそうになることもあります。肥料が足りなかったり、根を掘り返されたりと、いろいろなことがあります。しかし、どのような苦難や困難があっても天に向かって着実に伸びていくその努力にこそ、常勝思考は求められるべきなのです。」 

節を重ねて伸びつづける竹のエネルギー 
また、別のたとえを使うとするならば、竹という植物を思い浮かべていただきたいと思うのです。竹の姿を見ていると「立派なものだな」と感じることがあります。みなさんは、節があって先になるほど細くなっていくという竹のスタイルを、単なるデザインとして何げなく思い浮かべるでしょうが、「あの節をつくっていく努力とは何だろうか」と私は考えるのです。竹の節は二〇センチか三〇センチぐらいの間隔です。しかし、どの竹も、その節の部分はカッチリとしています。根元からカッチリ、カッチリと伸びてきて、先のほうにいくほど、やわになり細くなって、風に揺れていますが、やわで風に揺れている部分も、時間が経つと、次第しだいに同じような節になっていくのです。そして、さらに大きな節になっていき、その上にもっと細く、先端が伸びていきます。あの竹という植物を見ていると、確実に確実に、節を固めて生長していくのがわかるのです。「ああ、大したものだな」と思います。一〇メートルになろうが、二〇メートルになろうが、竹が竹である理由、竹としての独自性を持っている理由は、あの節にあると私は思います。竹という植物は風に強く、いくら風が吹こうとも、そう簡単には折れないのです。やわであるけれども、単にやわなだけではないところは、いつも完全に勝ちつづけていることにあると思うのです。どれほど風が吹こうが、何があろうが、伸びつづけています。そして、自分が生長したという証拠を確実に刻み、それを私たちに見せてくれています。「これが私の生長した部分ですよ」というものを、はっきり見せてくれているのです。竹はその節をつくっていくときに、いったいどのような気持ちなのだろうか、と想像することがあります。一つひとつ節を積み重ねていくたびに、やはり、「これだけ自分は生長したのだ」という気持ちがあるのではないか、そこに充実感があるのではないかと私は思います。人生の組み立ても、竹の構造とよく似た部分があると思います。一人ひとりの人間は、やはり、竹のように細いものにしかすぎないのではないでしょうか。竹の直径は、太くなったとしても、ほんの二〇センチか三〇センチぐらいのものです。それ以上にはなりません。竹の子として頭を出してきて、その後、次第しだいに伸びていくわけです。このときに、柔らかさを失わず、しかして強さを失わず、強さと柔らかさが共に調和して生長していく、そうした姿が必要だと思うのです。みなさんがめざしていくべきものは、やはりそうした姿ではないかと思います。それは、みなさんが生きているこの三次元という世界が、決して温室のような世界ではないからです。雨も降れば風も吹く、雪も降れば、また日照りの日もある、こうした世界であることは事実です。そして、逆境といわれる時期にこそ、実はいちばんすばらしいものが始まっていると私は思うのです。考えてみれば、人生の転換期には、環境との不調和、他人との不調和が必ず起きます。そうすると精神的に辛いのは事実です。では、これがなければ、ほんとうにいいのかといえば、そのようなものではないと思います。こうした苦しみの時期は同時に、すばらしいものが始まっている時期でもあるーそのように考えることができるのです。こうしてみると、逆境は怖くなくなります。なぜ怖くないかというと、運命の逆境期において、魂はいちばん糧を得ることができる、いちばん教訓を得ることができる、と考えられるからです。これはおそらく、竹でいえば節の部分が出来ている時期に当たると思うのです。竹は、それまで二〇センチ、三〇センチと順調に伸びてきたのに、やがて節をつくらなくてはいけなくなってきます。このときには、おそらく苦しみがあるのではないのかという感じがします。「いままでスーッと伸びてこられたのに……。このままいけばいいのではないか」「スーッと伸びてくれたものが、そのまま一〇メートル、二〇メートルとまっすぐに伸びることができれば、こんなに気持ちのいいことはないのではないか」と感じると思うのです。ところが実際は、二〇センチ、三〇センチおきに節をつくらなくてはいけません。この節をつくるときには、おそらく、抵抗感、停滞感というものが絶対にあるはずです。いままで伸びてきたものが伸びることができなくなるのは、何か妨害のようなものがあるのでしょうか。自分としてはグーッと伸びていきたいのに、節をつくらなくてはいけない、この時期というのは苦しいと思います。苦しくて何だかわからないけれども、そこに天井があるかのような感が出てきて、竹のエネルギーがあふれ、その間にあのような節が出来てくるのです。節が出来てはまた伸びてきて、次つぎと節が出来ます。このときは、苦しいだろうと思います。苦しいけれども、実際は、その節の部分が、竹が無限に伸びていくための大きな土台になっているのです。みなさんは、他人の言葉で傷ついたかもしれないし、経営上の失敗や倒産、病気など、いろいろなことで苦しんだかもしれませんが、五年、十年、あるいはそれ以上たったときに、そのときが、いちばん懐かしい時期として思い出されてくるのではないでしょうか。したがって、苦しいときには、「いま節をつくっているのだ」という気持ちを持って、次への成長の道を歩んでいただきたいと思うのです。」(注1.大川隆法『常勝思考』1989年、新版1995年、幸福の科学出版、PP.188-208。)

『常勝思考』における「竹とその節」の比喩に関する弁証法的理解(正)

 この説明は大変説得的で、かつ、人を強く勇気付け、鼓舞するものであり、私自身も職務上の学生指導・教育という極めて実際的な場面において忍耐と辛苦を要する過程ではこの教えの中から力強いパワーを得てきている。ただ、或る時、次の叙述の内容に関して、一つの疑問が湧いた。「竹は、それまで二〇センチ、三〇センチと順調に伸びてきたのに、やがて節をつくらなくてはいけなくなってきます。いままでスーッと伸びてこられたのに……。このままいけばいいのではないか。スーッと伸びてくれたものが、そのまま一〇メートル、二〇メートルとまっすぐに伸びることができれば、こんなに気持ちのいいことはないのではないか。ところが実際は、二〇センチ、三〇センチおきに節をつくらなくてはいけません。この時期というのは苦しいと思います。苦しくて何だかわからないけれども、そこに天井があるかのような感が出てきて、竹のエネルギーがあふれ、その間にあのような節が出来てくるのです。節が出来ては、また伸びてきて、次つぎと節が出来ます。」

 この「次々と節が出来る」という記述について、私は日本人の食卓に割合馴染みの深いあの「タケノコ」の姿を思い起こした時、意味が分からなくなってしまったのである。というのも、「タケノコ」は確か、未熟ながら節を非常に多数備えているように私には記憶されているのである。タケノコの切り方にもよるが、10個や20個の節は初めから備わっているように記憶されている。そこで念のため、手近にあった百科事典で「竹」の項目を調べてみたら次のようになっていた。

 「たけのこ まだ生長していないタケの幼茎であり、タケの節などの形態はすべてととのっている。タケは、地上にでて2か月ほどで生長する。茎の先端に生長点があって細胞分裂をすることは他の樹木とかわらないが、タケ類の伸長生長がいちじるしいのは、タケ類には、生長点のほかに各節間(ふしま)の節の真上に細胞分裂のはげしい一環の細胞群があり、これを“生長帯”というが、それがいっせいに細胞分裂をするからである。1本のタケの茎には約60の節があるので、樹木の60数倍も生長することになる。」(注2.室井綽「たけ・ささ」『アルファ大世界百科事典 12』1974年、日本メール・オーダー社、P.3715。)

 もし、既にタケノコにおいて「タケの節などの形態はすべてととのっている」のだとすれば、そして「1本のタケの茎には約60の節があり、各節間が生長帯において一斉に同時生長する」のだとすれば、「伸長に応じて次々と節が出来る」という『常勝思考』の記述は誤りとなろう。これは重大な問題点である。人生論の比喩としては意味が非常に良く通るのだが、もし竹の生長に関する事実認識に誤りがあれば、もはや比喩としての活路は残念ながら失われてしまう、と私は非常に悲観的になった。それにしてもこの提唱者は大救世主と信ずべき多くの合理的理由を有するエル・カンターレ大川隆法氏である。そしてその『常勝思考』は幸福の科学における実践哲学面での主要な理論書の一つである。この心配点が実際にも、事実認識上の誤りであると確証されたら極めて影響が大きいであろう。幸いにもまだこの点に関する疑問提起は、教団の内外いずれからも生じていないと私は状況判断していたので、私の使命と自覚する学問研究の観点の一層の徹底によって問題の最終的解決を計る以外にない、との信念で事態を切り開いて行くことにした。

 そのためには勿論、何よりも竹全般について、従来到達された植物学的認識の概略を獲得しなければならない。すると、私自身も例外ではなかったが、竹を愛好している割には日本人は竹の知識が貧弱であるとの指摘を竹の専門家が行っているのである(注3.上田弘一郎『竹のはなし』1985年、PHP 、PP.10-22)。そこでまず、特に「タケノコにおける竹の節の前形成」という問題について、将来の日本を担うべき児童のための参考書ではどうなっているかを調査した。

 「タケの生長 タケノコをたてに切ってみるとふしがたくさんあります。タケはこのふしとふしとの間がのびて生長します。たくさんあるふしが同時にのびるので、タケの生長は早いのです。」(注4.『小学館の学習百科図鑑 33 植物の観察と育て方』1982年、P.52)

 この説明に加えて、タケノコの縦断面の写真と、タケの縦断面の写真とが並べられ、狭い間隔で重なるタケノコの節の一つ一つが、大きな間隔で重なるタケの完成した節と対応付けられている。この教材によって学習した子供は、大川隆法氏の『常勝思考』の「竹とその節」の比喩に出会ったとき、私と同様、容易には拭い得ない疑問を抱くのではあるまいか。別の参考書には次のような説明があった。

 「タケとササ いろいろな植物が葉をおとしてしまう冬でもタケやササは葉がかれずにしげっています。そのためマツといっしょに、お正月のかざりなどにもよく使います。タケというのは、ふつう大型で、ササといわれるものはタケ類にくらべると小型です。また、地下でできた芽(たけのこ)が大きくのびたとき、タケではその皮がおちますが、ササ類ではおちずに長い間ついています。両方とも地下のくきから芽が出てふえ、むれのぜんぶがつながっています。」「タケ類のみきののび方 5月ごろ、たけのこが出ると、いきおいよくのびだしますが、2か月くらいでのびきってしまい、あとは何年たってもほとんど大きくなりません。(葉やえだの部分は少しのびます。)何十年めかに花がさくと、そのあとむれぜんぶがかれてしまいます。」「タケ類のえだや葉ののび方 1年じゅう緑色をしているように見えるタケやササも、たけのこのおわるころには、葉が黄色くなり、おちてしまいます。ササ類では2年くらいついているものもありますが、マダケやモウソウチクなどのタケ類では、毎年春に葉がおち、新しい葉と交代しています。」(注5.『学研の図鑑 植物』1986年、PP.114-115)

 これによれば、タケの場合は「大きくなると皮が脱落する」という特徴があり、後に見るようにこの点は非常に重要な点であるのだが、浅い認識の段階ではその重要な意味は見逃され易く、私はそれに気づくのに時間を要した。更に別の参考書には次のようにあった。

 「ぐんぐんのびる タケノコの生長 タケノコは、たくさんの節で仕切られている。この節と節のあいだがのびてタケノコは生長する。タケノコの皮がはがれると、そこの節の生長がとまる。」(注6.埴沙萠『植物記』1993年、福音館書店、PP.36-37)

 ここには、「タケノコの皮がはがれるとそこの節の生長がとまる。」という竹の生長の正しい認識にとって決定的に重要なことがさらりと述べられているが、この段階ではまだ私は、この真理を受容し得る準備が整っておらず、「タケノコをたてに切った写真」「のびたタケノコをたてに切った写真」、更に「タケノコの皮をむいてならべた写真」の方に関心と注意が強く向いた。というのも「タケノコをたてに切った写真」は、長円錐形のタケノコの中に未熟な節がビッシリ重なっている様子をありありとみせているし、「のびたタケノコをたてに切った写真」は、円筒形のタケノコの中にかなり間隔を拡げた節が多数重なっている様子を示していたし、更に「タケノコの皮をむいてならべた写真」は、タケノコの観察だけでは正確に数え切れない節の数の全体を、一枚一枚剥がされて並べられた皮の数として明瞭に示していたからである。因にその皮の数は、63枚あった。「1本のタケの茎には約60の節がある」ということはこの写真が実証しているわけである。従って、竹の生長の形は、「茎の先端に生長点があって細胞分裂をすることは他の樹木とかわらないが、タケ類の伸長生長がいちじるしいのは、タケ類には、生長点のほかに各節間(ふしま)の節の真上に細胞分裂のはげしい一環の細胞群があり、これを“生長帯”というが、それがいっせいに細胞分裂をするからである。1本のタケの茎には約60の節があるので、樹木の60数倍も生長することになる。」という最初の認識に定着して、不動のものに成って行くのである。ここに止どまる限り、『常勝思考』の記述との矛盾はどうしても不可避的となる。

『常勝思考』における「竹とその節」の比喩に関する弁証法的理解(反)

 はたして、「タケノコにおける全節の前形成」と「伸長における全節間の同時生長」は絶対的に妥当する竹の生長の真理なのであろうか。竹の種類によっては、それとは違う仕方の生長がありうるということは期待できないのであろうか。私はなおも一縷の希望を抱いて更に根気強く色々の文献を探索し、遂に、一時代前の竹の研究の権威と目すべき学者の論文の中に、次の一節を発見するに至った。

 「第3章の観測結果によれば、吾らは、熱帯性の夏生竹成長は、温帯性の春生ならびに秋生竹よりも、遥かに緩徐で、成長所要日数の著しい延長を知ったのであるが、著者はこのような成長性の要因に関し次の如く考察するものである。
 (イ)感温・感光性の見地から。 タケもイネにおける浜田説の如く、熱帯性竹は温帯性竹よりも感温・感光性の劣ることを容易に推測できる。日本夏生竹の Bambusaは熱帯原産地(比島・仏印・ジャワ・馬来)より渡来したものであって、日本の夏は、原産地の気象条件(高温で気候安定)と酷似するため、やはり旧来のままの成長習性を固く保持することになり、従って日成長は甚だ緩徐でまた夜間の方が昼よりも大なる成長を行うのである。我国温帯竹の春生・秋生竹の発生成長季は、いわゆる気候の変り目であり、その気象条件のテンポが急進するので、元来、感温・感光性に鋭敏な竹種としては、当然短縮された成長期間が与えられることとなり、また一方には、感温性の点から、昼間の方が、夜間よりも旺盛なる成長がなされるのである。
 (ロ)地下茎の形態より。 春生竹(概ね国産竹はこれに入り、温帯性竹)は、地下茎を長く伸長し、いわゆる散生稈(Zerstreute Verzweigung)をなすのであるが、秋末にこの地下茎へ多量の澱粉が貯蔵され、これを翌春、竹の子成長に注入して、一気呵成的に新竹完成を遂行するのである。しかし夏生竹(Bambusa spp.熱帯性竹)は地下茎を殆んどもたず、イネのように束叢(Einfache Rasenbildung )をなしているので、秋末の澱粉貯蔵箇所もなく、また夏生竹の子の成長は、その時の同化異化作用の収支結果物質によって賄われるのであるから、極めて緩徐に伸長が行われるわけである。
 上の成長現象は実際に両者の竹の子時代の形態を観察しても想像がつくのである(第40図参照)。即ち、Phyllostachys では、前年の秋頃から芽子が活動を起し、12月頃に既に稈基には、全所定節数を具えた牛角大の完全形の竹の子を形成しており、翌春、地上に抽出すれば、前述の如く、一気に急いで伸長するのであるが、Bambusaは地上発生する2~3ヶ月前でも、やっと稈基部らしいものの形成だけで、それも愈々地上に出てから、節間を漸進的に上部に継ぎ足しながら、成長して行くのである。依ってPhyllostachys の地上に於ける成長は、主として既成細胞の伸展成長に属し、Bambusa のは、分化現象と伸展現象の両方を同時に営むものであるから、成長速度がなかなか捗らないのである。」(注7. 重松義則「日本産竹類の成長型に関する研究」『宮崎大学農学部研究時報』6巻1号、1960年、PP.84-86. 第40図は引用しないがその要点を記すと、地上抽出後4日目モウソウチク竹の子真稈が58節を既に具備しているのに対して、地上抽出後10日目ホウライチク竹の子真稈は未だ9節しか形成していない。)

 要するに、竹には成長型に関して、マダケ属(Phyllostachys spp.)のような温帯性竹類と、ホウオウチク属(Bambusa spp.)のような熱帯性竹類の二種類が有るわけである。このうちマダケ属等は我々に馴染みのものであって、「既に稈基には全所定節数を具えた牛角大の完全形の竹の子を形成しており、地上に抽出すれば一気に急いで伸長する。」他方新顔のホウオウチク属等は「やっと稈基部らしいものの形成だけで愈々地上に出てから節間を漸進的に上部に継ぎ足しながら成長して行くのである。」このような、「節間の漸進的形成」は、従来の我々のタケノコのイメージを根本から革新するものである。これなら、「次々と節が出来る」との『常勝思考』の叙述と矛盾しないのである。

 ホウオウチク属の竹の節・節間の漸進的形成について、更に一昔前の竹の専門家は次のように記述している。「ホウワウチク属の種類にあっては、稈基は発筍の僅に2、3ケ月前に漸く出来上り、地上の真稈の節間は筍の伸長を始むるに当って漸く形成され、且つ最上位の節間から次々に上位の節間に向って伸びて行くのである。」(注8.竹内叔雄『竹の研究』1932年、養賢堂、P.19。)これならまさに「伸長に応じて次々と節が出来る」との『常勝思考』の叙述そのものである。

 日本では熱帯性竹類の生育は南西日本中心で地域的に限定されているが、温帯性竹類は全国至る所に生育するから、竹というと一般的にはマダケ属ということになる。では『常勝思考』の記述は、本当に熱帯性竹類のイメージに従って行われたのであろうか。大川隆法氏の生誕地は徳島県であるから、熱帯性竹類には親近であったかも知れない。しかしもっと大きな要因を推定し得るのである。つまり、視野を世界に取ってみると、温帯性竹類は日本、中国等に限定されているのに対して、東南アジア、インド、アフリカ、中南米等に広範に分布するのはむしろ熱帯性竹類である(注9.内村悦三『「竹」への招待ーその不思議な生態』1994年、研成社、PP.20-68)。とすると、輪廻転生する意識の長大な履歴を前提した時、例えば大川隆法氏の過去世の釈尊はインドで活動した人であったし、ラ・ムーの時代のムー大陸は現在のインドネシア当たりにあったというから(注10.大川隆法『太陽の法』1997年、幸福の科学出版、P.261 )、熱帯性竹類が繁茂していたと想像される。だから、幸福の科学の指導霊団の方々の意識の中では、竹というのは熱帯性竹類として第一にイメージされているとの可能性が出て来るのである。

 実際、『「天照大神の霊言」講義』の中でも、竹のイメージは『常勝思考』の場合と同じである。
 「地上に解き放たれた人間でありながら、神のことを忘れぬ生き方をするためには、礼節ということが何よりも大事であると天照大神は教えています。ではこの礼節とは何であるか。それは行動の基準である。行動の基準として、まず最初に「礼」ということがある。それはうやうやしいものを、うやうやしいとして扱う心である。このような心が現代人のなかには薄れているのではないか。また、礼節の「節」とは何かというと、分を知るということです。自分の分を知るということが、この「節」ということです。これは竹の節を見ると区切れていますが、なぜまっすぐに伸びた竹にあのように節があるのか、それをみなさんは考えたことがおありでしょうか。
 竹に節がある理由は、やはりあの二十センチ、三十センチの節ごとにまとまってゆかねば、あの竹という存在自体がもたなくなっていくからなのです。一区切り、一区切りで組織をつくってゆかねば、あるいは植物の繊維を固めてゆかねば、いろいろな雨や風・嵐のときに耐えていけるだけの強さが出せないのです。そして、竹はその節を一個、一個と追加することによって、伸びてゆくのです。真一文字に伸びてゆくだけではなく、節を追加して伸びてゆくーー。この竹が伸びてゆく姿は、まさしく日本神道的な成長、人間の成長の姿を現わしているのだと考えるわけです。」(注11.大川隆法『幸福の科学原論②』1989年、幸福の科学出版、PP.22-24)

 「竹はその節を一個、一個と追加することによって伸びてゆく」というのは、まさにホウオウチク属等熱帯性竹類の成長の姿である。更に参考としてインドを主たる活動の場とした釈尊の教えを記録した『南伝大蔵経』の中から「竹」のイメージがどのようになっているかを抄出してみよう。

 「子や妻に対して貪愛ある者は、恰かも欝茂せる竹が[互に]縛著するが如し。筍の如くに著することなくして、犀角の如く応に独り遊行すべし。」(注12.高楠博士功績記念会纂訳『南伝大蔵経』第24巻、1939年、再刊三刷1991年、大蔵出版、PP.14-15。同趣旨の例として同第26巻P.15参照。なお仏典には竹を用いたもう一つの常套的表現として「貪と瞋と癡と この悪心 己に生じて 己を害す。竹の類の 実を持ちて [倒るる]が如し。」というのがある。第12巻P.122,etc.。これは勿論「開花・結実」という植物にとって本来生殖増殖の手段であるはずのものが、竹類では短期的に見ると逆に枯死・死滅の前兆のように見えることから来ているが、実は竹もそこから少しずつ再生拡張を反復していって数年をかけて元どおりの植生を回復するのである。上田弘一郎『竹のはなし』PP.24-31参照。)

 ここでは、竹と筍はいずれも、仏教の否定的価値としての縛著・執着・束縛の象徴として描かれている。この比喩は日本人に馴染みの深いマダケ属等の竹を思い浮かべるならば、直立した竹または筍同士が一定の距離を置いて割合クールな相互関係を保っている様子に見えるからよく合点がゆかない。それが「散生稈」(Zerstreute Verzweigung)を成すということであるが、他方、ホウオウチク属の竹と筍は、イネのように束叢(Einfache Rasenbildung )、つまり「株」を成しているので、稈同士が密着し、枝葉は一層錯綜することになる。従って釈尊が念頭に置いていた竹は熱帯性竹類であったことが解る。また、釈尊の伝道活動を支えた篤信のマガダ国ビンビサーラ王が寄進した「竹林精舎」も有名であるが、「竹林園といっても、インドの竹は根元から群生して、日本の竹のように藪をつくらない。僧園のあちらこちらに群生した竹が生えていたのである。又、ここに栗鼠が放し飼いにされていたことでも知られている。」(注13.中村元監修・補註、松村恒・松田慎也訳『ジャータカ全集 4』1988年、春秋社、367 話訳注(1) 。この点で、釈尊の故地インドに旅した大川隆法氏が竹林精舎跡で群生竹を背景に撮ったスナップ写真はまことに興味深いものがある。『インド 悟りと瞑想の旅 1996』P.31。因に、竹林園そのものは迦蘭陀(カランダカ)長者が寄進したもので、その中に頻婆沙羅(ビンビサーラ)王が精舎を建立したとされる。織田得能『補訂仏教大辞典』1917年、大倉書店、P.209 。そして大川隆法氏によればカランダカ長者とは日本真言の祖・空海の前生である。大川隆法『幸福の科学原論①』1989年、幸福の科学出版、PP.91-92。)

『常勝思考』における「竹とその節」の比喩に関する弁証法的理解(合)

 このように、深遠な霊的背景から考えると、大川隆法氏の竹とその節の比喩が、熱帯性竹類の生態によって良く理解出来るのであるが、しかし何と言っても大川氏は現代日本に生まれ育った人であり、四国の生まれとはいえ、温帯性竹類への接近機会が圧倒的に多かったであろうとの推測が立てられてよい。しかも、次のような記述は、明らかに今度はマダケ属等竹類の生態に適合すると思われるのである。
 「天之御中主之命は発展の教えを説いておりますが、この「発展」と、天照大神の「秩序と礼節」の考え方を組み合わせると、あの竹のように伸びてゆく姿を描いていると考えればよいのです。竹のひとつひとつの節、ブロックというものは、けっして一メートル、二メートルとなるものではなく、それは二十センチ、三十センチであるけれども、それが積み重なってどんどん発展してゆく。このような姿が日本神道系の発展の形式であるのです。それぞれの竹は、その節ごとに自分の持ち分というものを守ってゆかねばならない。しかし、その自分の持ち分の節というものも、やがて竹全体が伸びていくにしたがって、次第に地面から高いところへと上ってゆくわけです。このように、あくまでも自分の先にあるもの、上位にあるものを敬いながら、全体が伸びてゆく、自分も伸びてゆくという思想が根底にあるということです。」(注14.大川隆法『幸福の科学原論②』PP.24-25)

 即ち、「竹のひとつひとつの節、ブロックというものは、けっして一メートル、二メートルとなるものではなく、それは二十センチ、三十センチである」という所であるが、熱帯性竹類の場合は熱帯地で 1.7m位の節間もあるというから、ここでは温帯性竹類が念頭にある(注15.「竹が丈夫になるためには、節と節とのあいだの長さが、ほどほどでなければならない。ふつう根元付近が短く、上方へ至るにつれて長くなり、中ほどが最も長く、先端に近づくにつれて短くなる。この体制がからだを強くしているのである。このバランスが崩れると、竹はまっすぐに立てなくなる。私はこの実例をマレーシアの道ばたで見た。種類はシゾスタチューム・グランデ種やバンブーサー・レイ種で、直径八センチ前後、高さ三十メートル前後あるのに、節の数が二十から三十しかなかった。これらは節間が長く、長い部分は一七〇センチもあった。ちょうど節は、私の頭の部分と足のつま先あたりにあるだけで、まっすぐに立てない。雪も降らないのに、腰がひどく曲がり、先のほうが地につかんばかりで、いかにも苦しそうであった。それでもパイプの強さで折れずに頑張っていた。その姿はいたましく、支柱を立てて起こしてやりたく思ったほどである。節にはどの節にもわずかながら隆起(ふつう「でばり」とよぶ)があっていっそうからだを強くしている。このようすがはっきり見られるのは日当たりに面している竹である。日光の強く当たる側の節は日かげの側よりも「でばり」がきつくなっている。竹の筒を生け花の容器などに用いるとき、「でばり」のきつい面を「表おもて」とよんでいるが、ここは日光が強く当たった部分である。いいかえると、強い日当たりで苦労した面ともいえる。一個の花筒にも、苦節の面が現われ、竹の智恵に心をうたれる。空洞は節のあるパイプであり、最小の体積で最大の生産をあげ、スピード生長のほかに、からだを丈夫にするのにも役立っていると思われる。要するに竹は、維管束を中心とする組織や節と空洞(パイプ)の結合で、強い弾力性、ねばり強さを発揮する。これに関して竹内叔雄博士は「竹がしなえば、その切り口は円形から楕円に傾く。だが曲げる力が去ると、また元の円形に戻る。湾曲に耐える力の限度内では、稈はいつも円と楕円とをくりかえすのだ。それもただの円筒では折れやすいが、数多くの節があるのでかなりしなっても折れない」と述べている。」上田弘一郎『竹のはなし』PP.94-97。また更に「節間長1.8m」の報告は、内村悦三『「竹」への招待ーその不思議な生態』P.45参照)。

また、「自分の持ち分の節というものも、やがて竹全体が伸びていくにしたがって、次第に地面から高いところへと上ってゆくわけです。このように、あくまでも自分の先にあるもの、上位にあるものを敬いながら」という記述の中の「自分の先にあるもの、上位にあるもの」というのは、どちらかというとマダケ属等竹類における「全所定節数の完備」を前提としてその上位部分の節・節間のことであると理解した方が、上位部分は後に漸次的に新たに分化組織されるというホウオウチク属の形と取るよりも合理的であると考えられる。しかも、大川氏は竹の話をした当時、自宅の庭に竹があり毎朝鑑賞していたとのことである(注16.大川隆法監修『1989年幸福の科学ウィークデーセミナー 常勝思考』カセットテープ、幸福の科学出版、第4巻「常勝思考のパワー」参照。この部分は書籍では省かれている)。ということは、普通の目線に映る竹の自然な成長の姿が注視されているということであり、我々がこれまで論考してきたような、いわばタケノコの解剖学的組織の細部にまで踏み込むことは筋違いであるかも知れない可能性がある。そこで我々は竹の事実的な自然な成長の日常観察可能な姿は、一体どのようなものであるのか、自分の過去にそのような注意深い観察体験を残念ながら持っていない我々としては、それを補償する研究を参照してみる必要がある。実はその結果は、竹の種類に関せず、竹というものは、まさしく大川隆法氏が描写したそういう姿で成長のプロセスを進めて行くのである、という素晴らしい大団円をもたらす解決に到達するであろう。つまり「正」の観点も「反」の観点も乗り越えた「合」の観点が竹の成長の真理を語るのであり、大川隆法氏の日常的観察眼の基本的な確かさが実証されるのである。

竹の皮が明かす竹の成長の神秘 

その種類如何に関わらず、およそ竹の自然な成長プロセスの中で、或る決定的に重要な役割を持つのが、意外にも「竹の皮」なのである。先に少し触れたように、ササと違ってタケの場合は「大きくなると皮が脱落する」という特徴があり、更に「タケノコの皮がはがれるとそこの節の生長がとまる」のであるという。そうすると、どんな場合に竹の皮ははがれるのだろうか。「大きくなると」である。しかしこれだけでは曖昧である。専門書には次のようにあった。

タケノコの生長のありさま タケノコの伸びる経過については、種類などによって違う。たとえば日本に多いマダケやモウソウチクは春さき、タケノコが地上に頭を出すと、はじめはゆっくり伸びる。それから毎日の伸びに波があるが、しだいに生長のピッチを高めて、やがて伸び盛りとなり、あと急にひくくなってストップし、成長が仕上がってしまう。晩秋にタケノコの出るカンチクの仲間は、寒さに向かってからタケノコが出る。そして先のほうが竹の皮に包まれたままで冬を越し春になってから枝を出す。ササは背丈の低いせいもあるが、春さきからだらだらと伸びて、八十日から一〇〇日かかって生長が止まって仕上がる。熱帯産のホウライチクの仲間は、七~八月ごろから伸びはじめて、晩秋まで毎日だらだらと伸びつづけ、ササと同じように八〇日から一〇〇日かかって生長が仕上がる。

 ここで目をつけたいのは、タケノコの生長は多くの節間(ふしま 節と節とのあいだ)の生長の合計であることと、生長の仕上がりは、どの節間もが同時ではなく、下方の節間から上方の節間へと仕上がっていくことである。

たけのこの生長は、全体のからだが一度に伸びるとか、あるいは先のほうだけがぐんぐん伸びるとかいうのは間違いである。たくさんある節のそれぞれの上側に生長点(生長帯)があって、どれもの節間が生長する。そこで、タケノコの伸長量は、この節間生長の合計である。しかし、生長の仕上がり方は節間によって違う。どの節間もが一度に行なわれるのではない。

いちばん下方の節間から上方の節間へと生長が仕上がっていく。このありさまは、竹の皮の剥がれ方でわかる。たとえばマダケ類のように竹の皮が節間をおおってしまう種類では、竹の皮がほんのわずかでも剥がれて肉部のみえかける部分は、すでにその節間は生長が仕上がっている。節間が竹の皮ですっかりおおわれている部分はまだ伸びているのである。

 春さきに、一本の若竹に、この両面のあらわれた異様な姿を見かける。これは、一つのからだのなかで、下のほうは生長が仕上がり、上のほうは伸長中なのである。こんなに一本のからだのうちに、生長の仕上がりへのうつりかわりを短期間にはっきり見られる貴重な実験資料を求められるものは他にないであろう。」(注17.上田弘一郎『竹と日本人』1979年、日本放送出版協会、PP.172-175。また、上田弘一郎『有用竹と筍』1963年、博友社、PP.53-66参照。)

 「節間成長を終えた部分からタケの皮が脱落する
脱落しないササ類でも稈と鞘の間が離れて隙間がみられるようになる。タケの皮の役目は未成熟な組織を物理的に保護することと節間成長に関わる成長ホルモンを活性化していると考えられるので、成長過程にある部分のタケの皮を剥がすとその部分の稈に腐りを生じたり成長停止を起こす。この因果関係は明確でないが、ホルモン供給が行なわれなくなったり、剥離させたことによって細胞組織が壊されるからであろう。長期にわたってタケの皮を着けているタイプの種類でも先端部のタケの皮は脱落する。少なくともタケの皮が部分的に脱落してきた時期にはもはやタケノコと呼ばないで新しい竹が生じたと呼ぶべきであろう。下方部分からタケの皮が剥れてくるので、木化が下方部から始まっていることも理解できる。一個の節間部におけるタケの皮の離れ方を見ていると、上部から始まり最後まで着いてるのは節の直上部分である。すなわち節間成長過程のタケでは、上部の維管束から下部に向かって木化していることを表わしている。また半径方向についても外側の維管束鞘から内側へと木化している。外側をまず強化するなどというのは自ら身を護る最大の方法である。なお、節部については節間部よりも早く木化がおこっている。この隔壁強化によって曲げや外圧に対する抵抗性をつくりだしているものと考えられる。こうした研究は木材組織学と植物生理学だけではなく組織化学の上からも重要な課題となっており、残された部分は極めて多いのが現状である。」(注18.内村悦三『「竹」への招待ーその不思議な生態』PP.80-83)

 結局、「竹の節が出来る」ということの日常風景上の意味として、「竹の節が仕上がる」という意味、つまり「タケの皮が取れてその節間の生長帯の活動がストップして一個の節・節間として完成し固定する」という意味が妥当し得る。そしてこの仕上がりの過程は、自然的に、最下部の節・節間から次々に、段々と、それより上部の節・節間へと漸次的に時間進行して行くのであるから、便宜上、一番下の節・節間を a、その上の節・節間を b、第三番目を c、第四番目を d、等々とし、a,b,c,d,等を仕上がった節・節間とし、b~,c~,d~,e~,等を未だ本来的に皮を着け伸長中の部分(一つの節・節間とは限らない)とすると、その伸長の源泉においてより上部の節・節間が温帯性竹類のように予め分化しているか、それとも熱帯性竹類のように伸長に応じて全く新たに分化組織されるかに関わらず、竹の生長の時間的段階過程は記号的に表現すれば、一般的に次のようになる。

  a+b~(最下部の節・節間のみが仕上がっている時期)
  a+b+c~(下から一番目と二番目の節・節間のみが仕上がっている時期)
  a+b+c+d~(下から一番目と二番目と三番目の節・節間のみが仕上がっている時期)
  a+b+c+d+e~(下から四番目までの節・節間のみが仕上がっている時期)
  a+b+c+d+e+f~(下から五番目までの節・節間のみが仕上がっている時期)
  etc.

 これは、まさに、「下から、確実に、次々と、段々に、固め、固めて行って、上へ押し上がり、押し上がりしつつ、上を支えながら、成長する姿」である。そして、これこそは『常勝思考』及び『「天照大神の霊言」講義』において大川隆法氏が説明せんとした竹の成長プロセスそのものに外ならないのである、ということを我々は今や漸く十分に理解することが出来ることとなったのである。従って、大川氏の説明への疑問を含意していた「1本のタケの茎の約60の節の各節間が生長帯において一斉に同時生長するのだとすれば」という先の我々の仮定は、時間的生長の観点から成立しないということも納得されるわけである [初出:二瓶孝次「「幸福の科学」の仏教論的意義(11)」北海道教育大学紀要 IA,vol.51-1,2000]。。(なお、実物の竹の成長を観察して、この論旨を検証した私の記録「竹の生長の記録」については、「北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第32号,2000,p.31-40」(論文タイトル :二瓶孝次『「幸福の科学」の仏教論的意義(12)』の中の§73-§74)参照。)
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§935 -§936 (続&完) 宗教的経験の本質

大団円としての幸福の科学5、同6(続&完)  宗教的経験の本質

 「宗教」及び「宗教的人格」の理解が、特に日本のマスコミ界において遅滞ないし欠如していることが、「幸福の科学」に対する講談社フライデー事件の根底に潜む生起原因だと推定されるが、その方面の一般的理解を深めるために、今我々は、ウィリアム・ジェームズ『宗教的経験の諸相 W. James: The Varieties of Religious Experience - A Study in Human Nature, being the Gifford lectures on natural religion delivered at Edinburgh in 1901-1902. Modern Library Edition, NY., 1994』を学習することにしたい。伝統的に確立された諸宗教の通念・習慣・制度・儀式・行動の一般的受容性のベールを透過した一番基底にあるものと、誰にもいつでも経験ないし見聞可能な現実の個人の生身の宗教的体験の非日常性ないし異常性とを、共通の視界の中に位置づけて、「宗教」及び「宗教的人格」の本質点の理解に対して、宗教科学的理論の枠組みを提供しているのが、既に古典的となっているこのジェームズの『宗教的経験の諸相』(桝田啓三郎訳『宗教的経験の諸相 上』1969年、岩波文庫;同『宗教的経験の諸相 下』1970年、岩波文庫)である。

(方法論)
1) 事実の問題と価値の問題
 
 「最近の論理学書では、いかなる事柄についても、質問に二つの種類が区別されている。第一は、その本性は何か?いかにしてそれは生起したのか?その構造、起源、歴史は何か?という質問である。第二は、ひとたびそれが存在するにいたったからには、その価値、意味あるいは意義は何であるか?という質問である。前者に対する解答は、存在判断あるいは存在命題 (existential judgment or proposition) の形で与えられる。後者に対する解答は、価値命題 (proposition of value)、ドイツ人のいわゆる価値判断 Werturteil である。あるいは、なんなら精神的判断 (spiritual judgment)と呼んでもよいものである。どちらの判断も、一方から他方を直接に演繹してくることはできない。両者はそれぞれ異なる知的活動に由来するものであり、精神は、はじめ両者を分離しておいて、その後で両者を加え合わせるという方法によってはじめて、両者を結合するのである。
 
宗教的生活というものはそれだけに熱中してしまうと、人間を奇人や変人にしてしまいがちなものであることは疑う余地がない。といって、私はなにも、世の普通の宗教信者のことを、そうだと言っているのではない。普通の信者というものは、仏教徒であれ、キリスト教徒であれ、マホメット教徒であれ、それぞれの国の因襲的儀式に従っている。彼らの宗教は、他人に作ってもらったものであり、伝統によって伝承され、模倣によって固定した型にはめこまれ、習慣によって維持されているものである。こういう二番煎じの宗教的生活を研究したところで、ほとんど益するところはないであろう。

 私たちはむしろ、すべてこのような他人の示唆によって生じた感情や模倣的行為の模範となった根源的な経験 (the original experiences whih were the pattern-setters to all this mass of suggested feeling and imitated conduct) を研究しなければならない。このような経験は、宗教というものが退屈な習慣ではなくて、むしろ、激しい情熱であるような人物のうちにしか見いだされえない。このような人物こそ宗教界の「天才」なのである。他の多くの天才たちが、その伝記の数々のページに永く記念されるに足る感銘ぶかいくさぐさの果実を結んでいるように、彼ら宗教的天才たちもしばしば神経過敏症の徴候を示している。おそらく、他のいかなる領域の天才たちより以上にさえ、宗教の指導的人物たちは異常な心理の発作に襲われやすい素質をもっていたようである。きまって彼らは感受性が強く、たかぶりやすい感情をもつ人間であった。しばしば彼らは調和を欠いた内的生活をおくり、また、生涯のある時期には憂欝に陥っている。適度というものを知らず、強迫観念や固定観念にとりつかれがちであった。またしばしば恍惚状態に陥って、声なき声を聴いたり、影なき影を見たりなどして、ふつうの病理的なものの部類に入れられるあらゆる異常な特徴を示している。しかも、その生涯にあらわれるそのような病理学的な特徴こそ、しばしば、彼らに宗教的権威と宗教的感化力とを与えているものなのである。」(注1. James, op.cit., pp. 6-9; 桝田訳, 1969年, pp.16-20)

2) 医学的唯物論への批判

 「起源が卑しいと主張されると、霊的価値までが台なしにされてしまう、というこの仮説[医学的唯物論](medical materialism) をごく一般的にあらわしているのは、鈍感な人々が自分よりも敏感な知人に対してしばしばくだす批評の言葉である。アルフレッドがあんなに固く霊魂の不滅を信じるのは、彼の気質がそのように感動しやすいからだ。ファンニーが並みはずれて良心的なのは、神経が過敏だからにすぎない。ウィリアムの憂欝な宇宙観は消化不良のせいだ - おそらく肝臓の働きが悪いのだろう。エリザが教会へ行くのを楽しむのは、彼女がヒステリー性の体質であることの徴候なのだ。もっと戸外に出て運動でもしたら、ピーターは魂の問題などにあんなに思い悩むこともなくなるだろうに、などという批評である。

 自然科学とか工業枝術とかの場合なら、そういう学問や技術にたずさわる人の神経病的体質をあばき出して、彼らの意見を反駁しようなどと思いつく人はありはしない。この場合には、意見はいつでも論理と実験とによって吟味されるのであって、彼らが神経学上いかなる類型に属しようと問題ではない。宗教的意見の場合も、そうなくてはならぬはずである。宗教的意見の価値は、直接にその意見そのものにくだされる精神的判断によって確定されうるばかりである。つまり、第一には、私たち自身の直接的な感情にもとづき、第二には、その宗教的意見と、私たちの道徳的要求、および、私たちが真理とみなす他の知識との間に認められる経験的関係にもとづく判断によって確定されうるばかりである。要するに、直接の明白性 ( immediate luminousness), 哲学的合理性 (philosophical reasonableness)、および道徳的有用性 (moral helpfulness)、 これらだけが有効な規準である。聖テレサはきわめて柔和な牝牛のような神経組織をもっていたかもしれない。しかし、そんなことは、それとは別のかのテストによる吟味にかけてみて、彼女の神学が卑しむべきものだとわかれば、彼女の神学を救いはしないだろう。反対に彼女の神学がそれとは別のかのテストに耐えうるものであれば、聖テレサが私たちとともにこの下界に生存している間、いかにヒステリーや神経過敏で平衡を失っていようとも、すこしも問題にならないであろう。」(注2. James, op.cit., pp. 13-22; 桝田訳, 1969, pp.24-36)

3) 精神病的気質は優秀な知力が伴なう場合には色々の長所を持っている

 「病的状態にも長所がある。すなわち、病的状態は精神生活の特殊な要因を孤立させて、普通それをとり巻いているいろいろなものの影響を受けないそれら要因の正体を見きわめることを可能にしてくれる、という長所である。解剖刀と顕微鏡とが身体の解剖において果たす役割を、病的状態は、精神の解剖にあたって果たすのである。天才の本性も、天才をさまざまな精神病的現象と並べて比較して見ようとする上述のような試みによって、明らかにされるにいたった。狂気すれすれのもの (borderland insanity) 、たとえば、変奇性 (krankiness)、病的気質 (insane temperament)、精神の平衡喪失 (loss of mental balance)、精神病的変質 (psychopathic degeneration) (精神病すれすれのものに名づけられた多くの同義語のうち、数語を挙げたにすぎないが)には、ある種の特異性と傾向性があり、これが個人の優秀な性質の知力と結合する時、その人間は、神経症的気質が弱かった時よりも、いっそうその人間が抜きんでて名を成し、時代に影響を与えることを可能にするのである。精神病的気質のうちには道徳的知覚の必要条件である感激性がある。そこには、道徳的実行力の本質たる、あることをとくに強調する熱情と傾向がある。また、形而上学と神秘主義を愛する心があり、それが、感覚的世界の表面を超えたかなたへと、人の関心を運んでゆくのである。それなら、この精神病的気質が、宗教的真理の領域や、宇宙の秘境へと私たちを導いてくれるというのも、しごく当然なことではないか。この世界は、いつも二頭筋をこれ見よがしに隆々とふくらませ、胸をたたき、自分の体内には病気の繊維など一本もないと神に感謝するような、頑健な俗人型の神経組織をもったひとりよがりの人間には、永久に閉ざされざるをえないことは確かであろう。天来の霊感というようなものがもしあるとすれば、おそらく神経病的気質こそそれを感受するのに必要な主要条件であろう。これだけの説明をしておけば、もう宗教と神経病との問題を打ち切ってもよかろうと思う。」(注3. James, op.cit., pp. 26-30; 桝田訳, 1969, PP.41-45)

(結論)  
4) 宗教的生活の五つの特徴
 
「私たちの見いだした宗教的生活の特徴をできるだけ大ざっばに総括してみると、それは次のような信念を含んでいる。

 、目に見える世界は、より霊的な宇宙の部分であって、この宇宙から世界はその主要な意義を得る。
(Visible world is part of a more spiritual universe from which it draws its chief significance.)

 、このより高い宇宙との合一あるいは調和的関係が、私たちの真の目的である。
(Union or harmonious relation with that higher universe is our true end.)

 、祈り、あるいは、より高い宇宙の霊-それが「神」であろうと「法則」であろうと-との内的な交わりは、現実的に業(わざ)の行なわれる方法であり、それによって霊的エネルギーが現象の世界のなかへ流れ込み、現象世界に心理的あるいは物質的な効果が生み出される。(Prayer or inner communion with the spirit - be that spirit “God" or “law" - is a process wherein work is really done, and spiritual energy flows in and produces effects, psychological or material, within the phenomenal world.)

 宗教はまた次のような心理学的な特徴をも含んでいる。

 、或る新しい剌激が、何か贈り物のように、生活に付加され、それが叙情的な感激か、それとも、真剣さ、および英雄主義への訴えかのいずれかの形をとる。
(A new zest which adds itself like a gift to life, and takes the form either of lyrical enchantment or of appeal to earnestness and heroism.)

 、安全だという確信、平安の気持、が生じ、他者との関係において、愛情が優れて力強くなってくる。
(An assurance of safety and a temper of peace, and, in relation to others, a preponderance of loving affections.)

 これらの特徴を文献をあげて説明していた間、私は文字どおり感情に酔っていた。私のあげた文献の多くに見られる感傷性は、私がそれを故意に常軌を逸した実例のうちに求めたという事実の結果なのである。私がそのような極端な例を挙げたのは、そのほうがいっそう深い知識を与えてくれると信じたからである、と答えたい。どんな科学でも、その奥義を学ぼうとすれば、私たちはたとえ少し変人ではあっても、その科学の特殊専門家のところへ行って、平凡な若僧のところへは行かない。私たちはそういう専門家たちが語ってくれることを、私たちの知恵と結び合わせて、私たちの最後的な判断を独立に下すのである。」(注4. James, op.cit., pp. 528-529; 桝田訳, 1970, pp.338-340)

5) 宗教的生活の枢軸としての個人

 「私たちが見てきた宗教的生活の旋回している枢軸は、個人が自分の個人的運命に関心をもつということである。宗教とは、簡単に言えば、人間の自己中心主義の歴史における記念すべき一章なのである。( The pivot round which the religious life revolves, is the interest of the individual in his private personal destiny. Religion, in short, is a monumental chapter in the history of human egotism.) 宗教的思考は、人格的関係によっていとなまれる。これが宗教の世界では根本的な事実だからである。今日でも昔のあらゆる時代におけると同じように、宗教的な個人は、神さまが私の個人的な関心事をかなえてくださる、と告げるのである。(Religious thought is carried on in terms of personality, this being, in the world of religion, the one fundamental fact. Today, quite as much as at any previous age, the religious individual tells you that the devine meets him on the basis of his personal concerns.)

 科学者も個人的には宗教を心にいだいているかもしれないし、科学者としての責任のない時間には有神論者であるかもしれないが、科学自身に対して、もろもろの天は神の栄光をあらわし蒼穹はその御手のわざを示す、と言われえた時代は過ぎ去ってしまったのである。今日では、調和ある運行をなしている私たちの太陽系は、天体の或る種の平衡のとれた運動の過程中に、生命の存在しえない驚くばかり広漠とした宇宙のどこか一つの局部に偶発的に生じた過渡的な現象にすぎないと見られている。科学の認める神はもっぱら宇宙の法則を司る神でなければならない、小売りする神ではなくて卸売りする神でなければならない。科学の神は自己の過程を個人の都合に用だてることはできない。荒れ狂う海をおおう泡沫は、風と水の力によってかつ消えかつ結ぶはかない挿話である。私たちの個人的な自己はそういう泡のようなものである、-- 確かクリフォードがいみじくも名づけたように、付帯現象なのである。私たちの自己の運命などは、世界の永劫不易な事象の流れのなかでは、何の意味も、何の影響ももちはしない。」(注5. James, op.cit., pp. 534-538; 桝田訳, 1970, pp.346-348)

6) 宗教=遺物説 (the survival-theory of religion) への批判
 
「諸君もおわかりのとおり、この観点からすれば、宗教を単なる遺物として取り扱うのはいかにも自然である。なぜなら、宗教は、事実、もっとも原始的な思想の伝統を永続させようとするものだからである。霊的な力を抑圧すること、あるいは、その力を抱き込んで味方にしてしまうこと、これが永い永い間にわたって自然界に対する私たちの行動の一大目標であった。ほとんどすべての事物は、それが人間に与える暗示という観点から考慮に入れられたのであった。そして注意はもっぱら事象の美的な面と劇的な面にのみ払われたのであった。まことに、宗教が今日なお好んで意をとどめるのはそのようなより豊かな物活論的な、そして劇的な見方なのである。宗教的な心が今日でもなお変わりなくもっとも深い感銘を受けるのは、自然現象の恐ろしさや美しさ、すなわち、曙光や虹の「約束」であり、雷の「声」であり、夏の雨の「おだやかさ」であり、群星の「崇高さ」であって、これらの現象を支配している自然の法則ではない。そして昔とまったく同じように今日でも、信心ぶかい人は諸君に告げて、自分の部屋か野原かの孤独においてこそ神の現前を感ずる、自分の祈りに対する応答として援助が流れ込んでくる、そしてこの目に見えない実在に対する犠牲が心を安らぎと平安で満たしてくれる、と言うであろう。そんなものは全くの時代錯誤だ!と遺物説は言う。この時代錯誤はそういう擬人観的想像を脱却するほかに救われようがない。私的なものを宇宙的なものに混入するのをやめればやめるほど、それだけ私たちは普遍的、非人格的な概念のなかに住むのであり、それだけ真に私たちは科学の相続人になるというわけである。科学的態度のこの非人格性は、なるほど或る種の公平無私な気性に訴えて共鳴を呼ぶ力をもっているが、それにもかかわらず、それは浅薄だと私は思う。私たちの経験の世界は、いつの世においても、客観的な部分と主観的な部分との二つの部分から成り立っていて、そのうち客観的な部分のほうが主観的な部分よりも量りきれないほど広大ではあるけれども、しかし主観的な部分も見のがされることも無視されることも決してできない。意識の場、プラス、感じられた、あるいは考えられた意識の対象、プラス、その対象に対する態度、プラス、その態度が属している自己の感覚-このような具体的な個人的経験は小さなものであるかもしれないが、しかし、それは存続しているかぎりは実質のあるものである。それは「対象」がただそれだけで考えられる場合のように、うつろなものではない、経験の単に抽象的な要素ではない。それは、微々たる事実であろうとも、充実した事実である。それはすべての実在が属さざるをえないような種類のものである。世界を動かす潮流はこのようなものを通過して流れているのである。それは現実の事件と現実の事件とを結ぶ線上にある。私たちめいめいが、運命の女神の車輪の上で展開してゆくのをひそかに感じている自己の個人的運命の危機についていだく、他人と分つことのできない感じは、自己中心主義だといって軽侮されるかもしれないし、非科学的であるとして冷笑されるかもしれない、しかし、この感じこそ私たちの具体的現実を満たす唯一のものであって、このような感じを欠いているような自称存在者あるいはその類似者などは、半分しか出来あがっていない実在の一断片であろう。
 
 もしそれが真であるなら、経験の自己中心的な要素は削除さるべきであると科学が言うのは、不条理である。実在の軸は自己中心的な場所しか通過しない。このような自己中心的な場所は、まるでじゅず玉のように、実在の軸にじゅずつなぎにされているのである。世界を叙述するのに、個人的な運命の危機のさまざまな感情、さまざまな精神的態度、-- これはほかのあらゆるものと同じように叙述できるのに -- これをことごとくその叙述から除外するのは、食べでのある食事の代わりに印刷した献立表を出すようなものであろう。宗教はそのような馬鹿げた誤りはしない。個人の宗教は自己中心的であるかもしれないし、そのような宗教のかかわる私的な実在はいかにも狭いものであるかもしれない。しかし、いずれにしてもそういう宗教のほうが、私的なものは一切考慮しないことを誇りにする科学などよりも、つねに無限に内容が充実しており、具体的なのである。

それゆえに、私たち個人の運命につながる特殊な問題がどう答えられようとも、そのような問題こそほんとうの問題であると認めて、問題が開発する思想領域のなかで生きることによってのみ、私たちは深い人間になるのだと私は考える。ところが、このような生き方をすることが、宗教的であることなのである。だから私は宗教の遺物説をとんでもない誤謬の上に立っているものとして、躊躇なく排斥する。(I think, therefore, that however particular questions connected with our individual destinies may be answered, it is only by acknowledging them as genuine questions, and living in the sphere of thought which they open up, that we become profound. But to live thus is to be religious; so I unhesitatingly repudiate the survival-theory of religion, as being founded on an egregious mistake.).

私たちの先祖が多くの事実誤認をして、その事実誤認を彼らの宗教と混合したからといって、だから私たちは宗教的であることを全然やめるべきである、という結論は出てこない。宗教的であることによって私たちは究極的実在を、私たち自身のものとすべく私たちに与えられているまさにその点において、確実に所有するのである。つまりは、私たちが責任をもって関心をかたむけるべきものは私たち個人の運命しかないのである。それゆえに、私たちは、個人の運命を問題とし、したがって私たちの知る唯一の絶対的実在とつねに接触している宗教が、必然的に人間の歴史のなかで永久的な役割を演ぜざるをえないということに、同意しなくてはならない。」(注6. James, op.cit., pp. 538-546; 桝田訳, 1970, pp.353-364)

7) 宗教成立の二段要因

 「次に私たちは単なる主観的効用の見地から一歩を進め、知的内容そのものを調べてみなければならない。

 まず第一に、すべての信条は、互いにどれほど違っていようとも、すべてが一致して立証するような共通な核心をもっているのか?。(First, is there, under all the discrepancies of the creeds, a common nucleus to which they bear their testimony unanimously? ) (注7. James, op.cit., pp. 551-552; 桝田訳, 1970, pp.371-372。 なお、原文が疑問文で、First, is there, under all the discrepancies of the creeds, a common nucleus to which they bear their testimony unanimously? となっているところを、訳書は、「先ず第一に、すべての信条は、互いにどれほど違っていようとも、すべてが一致して立証するような共通の核心をもっている。」と、平叙文にしているので、訳文引用に際して、「......... 共通の核心をもっているのか?」と、疑問文に改めた。)

 第二に、私たちはその立証を真であると考えるべきであるか?(And second, ought we to consider the testimony true? )

 私はまず第一の問題をとり上げ、これに対してただちに肯定的に答えようと思う。事実、さまざまな宗教における互いに敵対している神々と信条とは、互いに他を抹殺し合ってはいるが、しかしそこにはすべての宗教が合流するように見える或る一様な意見がある。それは次の二つの部分から成る。
 一、不安感 (An uneasiness) 、および
 二、その解決 (Its solution)。

 一、不安感は、もっとも簡単な言葉であらわすと、自然の状態にありながら、私たちにどこか狂ったところがあるという感じである。(The uneasiness, reduced to its simplest terms, is a sense that there is something wrong about us as we naturally stand.)
 二、解決というのは、より高い力と正しく結びつくことによって、この狂いから私たちが救い出されているという感じである。(The solution is a sense that we are saved from the wrongness by making proper connection with the higher powers.)

 私たちがいま研究しつつある比較的発達している人々の場合には、この狂いは道徳的な性格を帯び、そして救いは神秘的な色調を帯びる。私たちがそういう人々の宗教的経験の本質を次のような言葉で方式化する場合、私たちは彼らすべてに共通なものの限界内にとどまっているのだと私は思う。----

 個人は、自分の狂いに悩み、その狂いを正常でないと感じているかぎり、それだけその狂いを意識的に越えているのであり、少なくとも、何かより高いものが存在するなら、そのより高いものに触れているのである。だから、狂った部分と並行して、そこには、まだごく無力な萌芽でしかなくとも、彼のより善い部分がある。これらのどちらの部分を彼の真の存在と見るべきなのかは、この段階ではけっして明らかではない。しかし段階二(解決あるいは救いの段階)に達すると、その人は自分の真の存在は自分自身のより高い萌芽の部分であることを知る、それも次のような仕方で知るのである;彼はこのより高い部分がこれと同一性質の或るより以上のものと境を接し連続していることを意識するようになる。このより以上のものは、彼の外部の宇宙で働いており、彼はそれと現実に接触することができ、そして、彼のより低い存在が難破して砕け散ってしまったときに、辛うじてそれにしがみついて、救われることができるようなものである。(He becomes conscious that this higher part is coterminous and continuous with a MORE of the same quality, which is operative in the universe outside of him, and which he can keep in working touch with, and in a fashion get on board of and save himself when all his lower being has gone to pieces in the wreck.)」(注8. James, op.cit., pp. 553-559; 桝田訳, 1970, pp.374-381)

8) 潜在意識的自己は自己を越える自己、意識的自己の潜在意識的連続である

 「宗教的経験の内容のうちで、その真理性の問題がもっとも切実に提起される部分は、私たち自身のより高い自己が宗教的経験のなかで調和ある現実的な関係を結ぶにいたるように見える、あの「同一性質のより以上のもの」である。宗教的天才たちがあれほど確信している、より以上のものとの「合一」を、私たちはどんな形式で考えるべきなのか?これらの言葉はどんな明確な叙述に翻訳されることができるであろうか?そしてこれらの言葉はいかなる明確な事実を表わしているのか?少なくとも現在の私たちの立場からすれば、私たちはまず、あまり特殊化されていない言葉を使って始めなければならない。そして、宗教科学の義務の一つは、宗教を他の諸科学との連絡を失わせないでおくことであるから、私たちは何よりも第一に、心理学者たちも事実と認めるような仕方で「より以上のもの」を叙述しようと努めるのが良いであろう。

 潜在意識的自己 (the subconscious self) は今日では公認された心理学的実在物である。そして私はこれこそ正に、要求されている媒介的な概念であると信ずる。宗教的な考慮などまったく別にしても、私たちの魂全体のなかには事実ほんとうに、私たちがいついかなる時に気づいているよりもより以上の生命がある。意識を超えた領域の探究はまだほとんど真剣に企てられてはいないが、私たちの意識的存在を浮彫りのようにくっきりと際だたせているこの大きな背景の内容の大部分は、無意味なものである。不完全な記憶、愚かしい連想、制止の働きをする臆病さ、いわゆるさまざまな種類の「分離性の」現象、これらがその大部分をなしている。しかしまた、天才の仕事の多くも、ここに起源をもっているように思われる。そして、宗教的生活においてこの領域からの侵入がどれほど著しい役割を演じているかは、回心、神秘的経験、および祈りに関する私たちの研究において、私たちの知ったところである。

 そこで私は一つの仮説としてこう提唱したい。すなわち、
私たちが宗教的経験において結ばれていると感ずる「より以上のもの」は、向こう側では何であろうとも、そのこちら側では、私たちの意識的生活の潜在意識的な連続である、という仮説である。(Let me then propose, as an hypothesis, that whatever it may be on its farther side, the “ more ” with which in religious experience we feel ourselves connected is on its hither side the subconscious continuation of our conscious life.)

 このように承認されている心理学的事実を私たちの基礎として出発するならば、私たちは普通の神学の欠いている「科学」との繋がりを保つことができるように思われる。同時に、宗教的人間は外的な力によって動かされているという神学者の主張も支持されることになる。なぜなら、客観的な外観をとって、当人に外部から支配されているような暗示を与えるのが、潜在意識圏からの侵略の特徴の一つだからである。宗教的生活においては、この支配は「より高い」ものと感ぜられるが、しかし、私たちの仮説によれば、支配しつつあるのは、もともと、私たち自身の精神のなかに隠れているより高い能力なのであるから、私たちを超越する力との合一の感じは、けっして単に見かけだけでなく文字どおり真実な或るものの感じなのである。宗教的な問題は第一義的には生活の問題、私たちに賜物として啓示されるより高い合一の中で生きるか生きないかの問題であるけれども、その賜物を実在的なものと思わせる霊的興奮は、しばしば、個人の胸に強く訴えてくる或る特殊な知的な信仰ないし観念が動かされるまでは、個人の心に起こってこないであろう。したがってこのような観念はその個人の宗教にとっては本質的なものであろう。ということは、過剰信仰がいろいろの方向をとるということは絶対に避けられないことで、だからそれらの過剰信仰自体が不寛容でないかぎり、私たちもそれらの過剰信仰をやさしい寛容な態度で遇すべきである、ということなのである。」(注9. James, op.cit., pp. 559-561; 桝田訳, 1970, pp.374-381)

9) 理想的なものの実在性

 「過剰信仰はしばらく措いて、一般的、共通的なものだけに限ってみると、意識的人格は、救いの経験をもたらしてくれる、より広大な自己と、連続している、という事実こそ、宗教的経験に関するかぎり、文字どおり客観的に真であると私に思われる宗教的経験の積極的内容をなすものである。( we have in the fact that the conscious person is continuous with a wider self through which saving experiences come, a positive content of religious experience which, it seems to me, is literally and objectively true as far as it goes.) 

 私たちの存在のはるか向こう側の限界は、感覚的に知覚される、そして単に「悟性で知られる」世界とは、全くちがった存在の次元に、食い込んでいるように私には思われる。それは神秘的領域 (the mystical region) と名づけてもいいし、超自然的な領域 (the supernatural region) と名づけてもかまわない。

 私たちの理想的な衝動(our ideal impulses)が、この領域に起源するかぎり、(そして、私たちの理想的な衝動はほとんど全部この領域に起源するのである。なぜなら私たちはそういう衝動が私たちにはっきり説明できないような仕方で私たちを支配していることを知っているからである)、私たちは、私たちが目に見える世界に属しているのよりも、はるかに本質的な意味で、この領域に属している。なぜなら私たちは、私たちの理想の属しているところにこそ、もっとも本質的な意味で属しているのだからである。

 けれども、問題の、この目に見えない領域は、決して単に理想的なものではない。なぜなら、それは、この世界のなかに、現実的効果を生み出すからである。私たちがこの領域と交わるとき、現実的に、業(わざ)(work) が私たちの有限な人格の上におこなわれるのである。

 なぜなら、私たちは新しい人間に変わる、からであり、そして、私たちの再生的変化に続いて、その結果が、自然的世界における行為の上にもあらわれるからである。ところが、他の実在のなかに効果を生み出すものは、それ自身一つの実在 (a reality itself) と呼ばれなければならない。だから、目に見えない、あるいは、神秘的な世界を、非実在的 (unreal)と呼ぶべき哲学的な理由を、私たちはなんらもたないように私は思う。」(注10. James, op.cit., pp. 559-561; 桝田訳, 1970, pp.382-383)

N.B. 安丸良夫氏の「出口なお」研究においても、その宗教心理学的総括は、フロイトやユングの名を挙げて精神分析的様相を帯びつつも、骨子はW.ジェームズがここに提出した宗教科学的見解「潜在意識的自己は、自己を越える自己、意識的自己の潜在意識的連続である」に完全に沿っている。
 「生活者としてのなおは、無口でつつましく、目だたない女だったのに、神がかりしたなおは、はげしく荒だち、大声で叫び、激越な言葉を発した。このように、同じなおが、また、二人のなおであり、両者に根本的な転換と対照性があるということに、神がかりという現象の特質がある。いま、フロイトやユングにならって、人間の心を、意識と無意識にわけるなら、生活者としての自己統御が意識であり(その中心が「自我」)、神がかりは、こうした自己統御によって抑制されてきた無意識の世界が、意識の世界まで噴出してきて、あたらしい統合をもとめるものといえる。両者に、はなはだしい転換と対照性があることは、前者による後者の抑圧と、そこに醸成されていた葛藤の大きさとはげしさの表現であり、神がかりは、表面的な自己統御のかげにかくれていた本心をあかすことを意味する。
  本心といっても、それはなお自身によっても知られていないものなのだから、生活者としてのなおは、神がかりした自分を恥じたりあやしんだりした。しかし、神がかりしたなおは、神という至高の権威の名をかりてあらわれてきた無意識の世界からの合図にふかく耳をかたむけ、さまざまな苦難とひきかえに、そこに機軸をすえて自己を再統合し、世界と自己の全体性をあらたに意味づけることができた。そこには、神がかりという転換のなかでの自己解放や自己形成があるが、しかしまた、日常的な自己との間のあやうい分裂と二元性もふくまれていた。」安丸良夫『出口なお』1977年、朝日新聞社、p.6 。

N.B.2. ジェームズは諸宗教の基底にある宗教的経験の諸相の帰納的一元性を心理学的分析により取り出して、「意識的自己の潜在意識的連続」として提示したが、『宗教の挑戦』(幸福の科学出版、1992年)において、大川隆法氏は、徹底的に上方へ、形而上的世界へ、高遠に突き抜ける霊的体験によって、諸々の宗教を、言わば「演繹的に」位置付ける意味を事実上持つような、俯瞰的総合を提示している。その「あとがき」では次のように語られている。「本書を書きおろすにあたって、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』という書物が私の念頭から離れなかった。私は、同書のように学者の眼を通してではなく、宗教の現場に携わる者として直接に、「宗教的経験」を語ってみたかったのである。「霊的現象の真相」と、その真偽の見わけ方を書きたかったのである。日本の宗教学会は、多様な価値観を内包する新宗教の乱立に対して、一定の見取図をつくり出すことができないようである。その高下も善悪も峻別する基準を見つけ出すことができないかのようである。それにマスコミが輪をかける……。しかし学問的中立の美名のもとに、価値判断からエスケープばかりしていてよいのだろうか。それは学問的良心ではなく、「怠惰」そのものではないのか。」同書、p.238.

[初出:二瓶孝次「「幸福の科学」の仏教論的意義(13)」『北海道教育大学紀要 IA(人文科学・社会科学編)』第51巻第2号、2001年 )]
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§937 -§938: III-4: 神託の開始; I-17: 40年間虹を見ず、40年間虹を見る

大団円としての幸福の科学7、同8

大団円としての幸福の科学7  神託の開始 (1981): III-4.

 ノストラダムスの預言詩は総数千篇近くあるわけだが、その一つ一つが、夫々異なるテーマあるいは出来事に一対一対応するという平板で希薄な構造のものではなく、大多数は少なくともペアを成し、そして重要なテーマの場合は相当多くの詩篇が同一のグループを形成して、多角的、多面的に、同一の事態に関わり、結果として、立体的に、相互補足的に、意味充実を実現するという、メリハリの効いた構成をもっていると考えられる(cf. D. ラメジャラー著、田口孝夫・目羅公和訳『ノストラダムス予言全書』東洋書林, 1988,p.15-21)。

 このような観点からすると、§931節で取り上げた預言詩第12章71歌 (XII-71) には、先ずは、預言詩第3章4歌 (III-4) が、そのペアとして候補に上ってくる。というのも、両者には、他には見出されない oracle(神託)という特徴的な単語が共通に使用されているからである。実際、この深遠な単語は、ノストラダムス『預言集』の中で、これらIII-4詩とXII-71詩とにおいて、都合2回しか使われていない。このような或る特徴的な単語の共通性は、実際、ノストラダムスの場合、詩篇同士の意味的結合を成す諸条件の一つの有力な場合なのである。

第三サンチュリ第4詩 神託の開始 (1981-): III-4 (§937).
 
月的なものどもが欠如に近づくであろう時、 
一者と他者が互いに大きく離れておらず、
境界帯には寒さ、乾き、危険、 
まさにそこに於いてこそ、その神託活動は始まったのだ。


§937, III-4:  The beginning of the Oracle (1981-).
When the lunars shall approach the default,
Of the one to the other the distance not being great,
The cold, dryness, danger towards the frontiers,
Even where the oracle has commenced.


(Quand seront proches le defaut des lunaires,
De l’un à l’autre ne distant grandement,
Froid, siccité, danger vers les frontieres,
Mesmes ou l’oracle a prins commencement.

月的なものども」というのは、天体の運行に基礎を置くノストラダムス独特の、地球史的大紀年法における「月の支配の期間に属する年々」を意味すると考えられる。生れたばかりの長男セザールに宛てた父ミシェル・ノストラダムスの『預言集序言』は云う:「いま我々は、永遠なる神の全ったき力に基づき、月に支配されていて、月がその全循環を終えてしまう前に、太陽が到来するだろう、そしてその次は土星だろう。」(№1, p.41-42)

つまり、月の支配に続くのは、太陽の支配であり、その後は、土星の支配とされる。しかも、太陽の到来は、月の循環が終了するより前と言われているから、本詩の表現と合致する。従って二行目の「一者」とは「月の支配の期間」であり、「他者」とは「太陽の支配の期間」であって、故に両者が互いに大きく離れていないのは、第三行目で「境界帯」とも表現されている通り、「月の支配の最終期」と「太陽の支配の開始期」に限られる。そこで一行目の「月的なものどもが欠如に近づくであろう時」(「月的なものどもの欠如」を主語にとる解釈もあるが、それだとseront prochesという複数動詞に合致しない。更に、proche には形容詞と前置詞の用法があり、proches という形はその両方を兼ねて使用されて、実際上proches de というイディオムに同値となっていると考えられる。)という説明に照らして、これは当然「月の支配の最終期」である。

これは、先に見た、§934, I-25:「 失われ、見出され、長い期間隠されていた一人の半ば神の如き聖職者が尊崇を受けるだろう。月がその大循環を完了するより前に」という詩句と符合している。そしてまた、後で見るように、預言詩 I-48 (§941) では、「月の支配の二十年が過ぎたら、七千年に渡って月とは別のものが君主政体を保つだろう。」と詠われていて、その「月の支配の20年」とは、西暦2000年間と取れば、それに続く「(西暦2001年からの)別のものの7000年間の君主政」と照応するであろう。そして、その「別のもの」とは、I-48 詩3 – 4 行目で二度出て来る「太陽」のことと推察されるから、本詩の「他者、別のもの」の正体も、「太陽だ」として明らかとなる。

そして「神託活動が始まった」との表現は完了相であるから、その時点はまさにこの2000年の期間内の終末期にある。そこで、先に解釈された「幸福の科学」の宗教活動をここに適用してみると、最高指導者・大川隆法氏が初めて霊的世界からの通信、いわゆる「イイシラセ」を受信したのが、昭和56年(1981年) 3月23日であったから(大川隆法『太陽の法』土屋書店,1987,p.246; 同、角川書店,1990,p.234; Ryuho Okawa, The Laws of the Sun, IRH Press, 1990, p.209。但し、1981年つまり昭和56年3月23日は大川氏自身が言うような日曜日ではなく月曜日である。これは同時期が春休みだったことによる大川氏の勘違いだろう。例年、幸福の科学では3月23日を「大悟祭」としているから、3月23日という日付自体は不動と思われる。後の版では「日曜日」という記載を削除して単に「3月23日」となっている。)、これは「月の支配の最終期」に属していると考えなければならないし、且つ、そのように見なして差し支えない。

二十四歳の冬、私は、高橋佳子著の『真・創世記 地獄編』『天上編』などを読み、これを通して、さらに高橋信次著『心の発見』と出会ったのです。大学卒業前の、卒業試験のころでした。法律ばかりを勉強していた私が、六法ではなく、正法に触れたのです。一九八一年一月のことでした。高橋信次の著作『心の発見・神理篇』をはじめて読みはじめたのですが、五十七ページぐらいに達したとき、私は、自分の胸が大きく打ちはじめ、体が、こきざみに前後に揺れていることに気づきました。なにかが起ころうとしていたのです。私は、同じ著者の作品をつぎつぎと読んでいったのですが、口をついて出てくるのは、「私は、この神理を知っている。むかし、これを学んだことがある」ということばでした。同年の三月二十三日、日曜日だったと思います。突然、だれかが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、いそいで、カードと鉛筆を用意しました。鉛筆をもつ私の手が、まるで生きもののように動きはじめ、「イイシラセ、イイシラセ」と、カードに何枚も書きはじめたのです。そして、「おまえは、なにものか」とたずねると、「ニッコウ」と署名します。日興上人だったのです。そのあと、日蓮聖人からも通信を送られはじめました。聖人の私に対する最初の教えは、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という三つのことばでした。この時点では、私はまだ、自分は過去世で日蓮宗系の僧侶だったのだろうかと思っておりました。」(大川隆法『太陽の法』土屋書店,1987,pp.245-246)

 では「境界帯には寒さ、乾き、危険」の意味は何か。字義通りに取ると、「月の支配の最終期」及び「太陽の支配の最初期」に気候の寒冷、旱魃その他の様々な危険が世界を襲うというように思われるが、これだけならまことに具体的規定に乏しい。のみならず、ノストラダムス『預言集』における気象的事象用語は、多くの場合、自然現象そのものではなくて、象徴語として、人間の精神状態や、集団的社会的状況を表す事が認められる。従って、この場合も、具体的事実ではなく、この時期の人々の精神的風景を象徴的に描写していると考えるのが適切であろう。つまり、「この時期の人々の心が、寒く、乾き、危殆に瀕している」というのであろう。実際、宗教とは、先にウィリアム・ジェームズの心理学的分析に基づいて考察したように、何よりもそういう心の状態に対する治癒の知恵である。この点をもっと明瞭にすべく、先と同様に一つの特徴的な単語に依拠して第三の詩篇を求めることにしよう。

大団円としての幸福の科学8  40年間虹を見ず、40年間虹を見る(1945-1985-2025-2037): I-17. 

前節で III-4に関し「乾き」と訳した siccité (dryness) という単語を持つ別の詩篇第一章17歌が存在するのでそれを検討してみよう。

第一サンチュリ第17詩 40年間虹を見ず、40年間虹を見る: I-17 (§938).

四十年間、虹は現れないであろう。  
四十年間、毎日見られるであろう。
潤いのない大地はますます乾燥して行くであろう。
そして、虹が現れ、見られたその時、大洪水。


§938, I-17:  40 years of disappearance, then 40 years of appearance of the rainbow (1945-1985-2025-2037).
For forty years Iris shall not appear,
For forty years She sahll be seen every day,
The parched earth shall grow drier and drier,
And great floods when She shall be perceived.


Par quarante ans l’Iris n’aparoistra,  
Par quarante ans tous les jours sera veu:
La terre aride en siccité croistra,   
Et grands deluges quand sera aperceu.

ここでも一行目と三行目、そして二行目と四行目が対応していて、四十年間虹が出ないのは、雨が降らず乾燥が続くためであり、それが一転して大洪水があり、それから四十年間は毎日虹が見られるということらしい。しかしこのような字句上の解釈は極めて容易ではあるが、自然現象としての虹をよく観察すれば、決して成り立つことのない自然機構を述べてしまったことになる。確かに前半の事態は自然に反しないにしても、後半は問題を含む。何故なら、大洪水とその後の四十年にわたる毎日の虹の出現は必然的関連を持たないのである。尤も毎日虹が見られるのは必ずしも大洪水だけによるのではないのかもしれないが、それにしても、このような自然のサイクルは不可能ではないにしても、殆ど全く現実性をもたない。それに、このような自然現象が一体人間世界の何に関わるのか、それも不明である 他方、先に述べたヒントから解釈して、乾きとは人々の心の乾きだとすれば、大洪水および虹に代表される潤いは心を癒す何かを象徴している。

そこで、「」については、旧約聖書『創世記』の次の記事が精神的意味の文脈のなかに想起されざるを得ない。

 “神はノアと彼と一緒の子らに言われた、「御覧、わたしは君たちと、そして君たちの後の子孫と、わたしの契約を立てよう、また君たちとともにいるすべての生きもの、君たちとともにいる鳥、家畜、すべての地の獣、箱舟から出たすべてのものと。今後ふたたび洪水によってすべての肉なるものが絶たれることはなく、地を滅ぼす洪水がふたたびおこらないという契約をわたしは君たちと立てる。」かくて神は言われた、
 
「わたしと君たちの間 君たちとともなるすべての生きものとの間に
  永遠にわたってわたしが与える契約のしるしはこれだ。
  わたしはわたしの弓を雲の中におく、わたしと大地の間の契約のしるしはこれだ。
  わたしが地の上に雲をおこす時 この弓が雲の中に現われる。
  その時わたしは想い出す、わたしと君たちの間、またすべての生きものとの間の わたしの契約を。
  水がふたたび洪水となって すべての肉なるものを滅すことはない。
  その弓が雲の中に現われる時、わたしはそれをみて想い出す、わたしとすべての生きものの間、
  地にあるすべての肉なるものとの間の 永遠の契約を」。

 神がノアに言われるのに、「これがわたしと地にあるすべての肉なるものとの間にわたしが立てる契約のしるしである」
。”(関根正雄訳『旧約聖書 創世記』岩波書店,1998,p.27-28)

 真摯なるカトリック教徒として、ノストラダムスは常に旧約、新約の聖書的世界の中に自己の精神的根源を見ていた。彼の大預言自体も彼の独特の才能と使命に基づいたカトリック的文明の確認と深化及びその必然的帰結の推論の仕事以外のものではありえなかった、その実際的内容と事実的結果について除けば。従ってここでも「虹」の表象の中には創世記における神とノア及びその後の人類との愛の結合の契約の象徴という限りなく深い意味が蔵されていることは疑い得ない。

 よってこの詩篇において、「虹が現われない」というのは、極めて深刻な人間的事態を表している。即ちそれは、「神仏を見失った人間の姿」を表現している。そして、「大地の乾燥の増大」とはこの喪失感がいよいよ深刻度を増すという意味である。これが四十年続くということは、大きな悲劇ではあるが、自然現象としての虹の四十年にもわたる不出現の可能性よりも反って現実に可能なことであり、そしておそらく、第二次大戦終了後の日本及び日本人の大多数の精神状況を語っていると解釈できそうであり、事実、いわゆる国家神道的日本民族固有信仰という精神的主柱の喪失は紛れもなかった。この場合、四十年は1945年(昭和20年)から数えると1985年(昭和60年)にわたる

では、昭和60年頃になって、何か「虹」に相当するものが日本及び日本人に対して出現したか。そしてその出現時に、何か「大洪水」に似た人間的現象が起こったか。そして、その出現と現象は何かその後も四十年は続くと期待されるような性質をもつのか。

 そこで、先に解釈された「幸福の科学」の宗教活動をここに適用してみると、最高指導者・大川隆法氏が初めて霊的世界からの通信、いわゆる「イイシラセ」を受信したのが、昭和56年(1981年) 3月23日で、その後数年の霊的吟味と熟練の期間を置いて、氏の初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』(のち、『日蓮の霊言』に改題)が刊行されたのが、昭和60(1985)年8月15日であった。これは年度がピッタリ一致するだけでなく、終戦記念日たる8月15日という日付までも一致するという驚異的な符合さえ存在する。

しかも著書の公刊は一般読者層に向けられたものであるから、ちょうど「虹が出て人々に見られる」という事とアナロジーを持つ。他方、他人には知られずに受信可能の霊人からの霊言の受信ということだけでは、既述のように「神託の始まり」とは言えても、「虹が見られる」との表現に適合しない。よってここでは、処女霊言集の公刊の期日の方が妥当する意味を持つ。

 ここから更に見て行くならば、「虹出現時の大洪水」の意味は容易に判明する。つまり「虹」として「大川隆法氏の宗教的メッセージとしての著書、講演、テープ、セミナー等」の教化・伝道活動の具体化したものを想定すれば、氏の処女霊言集『日蓮聖人の霊言』の公刊以降、数年のうちにまことに膨大な量の著書を刊行し、頻繁に大講演会を開催し、特別熱心な人達に対しては多くの特別セミナーや研修会を開講し、そして講演やセミナーの録音テープやビデオも出版し、月刊雑誌等も刊行するという、まさに大車輪の転法輪活動(大河的教化活動)の実績は、ノストラダムスがいみじくも「大洪水」と表現したのにピッタリである。

そして更に付け加えるならば、大川隆法氏は、今回地上で50年間程度の教化活動を行う予定であると既に霊界にあって計画して生まれて来たということであるから(大川隆法『黄金の法 エル・カンターレの歴史観』幸福の科学出版,1997,p.375)、「四十年、虹が見られる」とのノストラダムスの言葉は虚しいものではないはずである。そして「毎日、虹が見られる」という言葉は、まさに現に「宗教的真理の体現者がこの世に生存していて、日々、人々に向かって偉大なる法を説いている」その姿を指すとすれば、誠に妙を得たこの上もない詩的表現力が、その不世出の預言力の正確性に加えて、ノストラダムスの詩作に認められるということになろう。

そのノストラダムスの奇蹟的預言力の正確性に基づけば、大川隆法氏の教化活動は、その旺盛な日々の活動という相の下で、1985年から2025年に及ぶだろう。[初出:二瓶孝次「「幸福の科学」の仏教論的意義(8)」『北海道教育大学紀要 IA』vol.50-1,1999,p.12-14。一部改稿。]

ところで、この点についてもう少し玄妙な考察を加えるとすれば、大川隆法氏は、1986年11月23日の公的な集会でのその「第一声」において、自己の地上での約束された教化活動を、ハッキリと、「2037年まで」と述べている。

「今のところ考えているのは、ですから、まあ霊言集も数十冊と言っているけれど、おそらく、私は、数百冊になると思います。数百冊になる。だから、今からシッカリ読んでおかないと、後で読めないですよ、まとめて。多分そうなると思いますよ。これから、約五十年間、私は皆さんの前で、講演をし、執筆をしていきます。五十年間あれば相当のものが出来ると思います。五十年間。今、一年間でこれだけです。これから五十年あったら、もう、洗いざらい全部出して行きます。まあ、十字架にかからなければですよ。今のところ、予定としては、まだ五十年ぐらいやるつもりでおります。一応、西暦2037年ぐらいまで、私は、皆さんの前でお話しをする予定であります。その間に、この中に居る方は、おそらく、8割から9割はもう先に逝って、お先きに失礼、と言って、この中の人はもう霊言をやっているかも知れませんけれど。(全員笑う) まあ、一応、2037年ぐらいまで、私は、話をしてゆくつもりです。そして、その後、今から言ったら気が早いけれど、一回目の講演で気が早いけれど、その後また、2800年ぐらいしたらもう一回地上に出て来ます。その頃に、また皆様とお会い出来るかもしれません。あまり先走って申し訳ありませんが、今日の話はそういう所です。後は質疑応答をやります。」(大川隆法「幸福の科学発足にあたって」大川隆法監修『大川隆法第一声 '86年幸福の科学発足記念座談会』カセットテープ第一巻、幸福の科学出版)

「3797年」の謎:

ノストラダムスは、その『預言集』の、息子セザール宛序言の中で、次のように述べている:「だが、週に数回、精神弛緩の症状 [これは、神霊からの働きかけを受け容れる人間精神の受動化を意味する] に襲われ、そして長時間の計算で夜間の研究を甘美なものと化しつつ、私は、夫々が100篇の天文学的預言四行詩を収める複数の預言書を作成した。これらの預言を私は若干分りにくく工夫して仕上げようと欲した。それらの預言は、今より3797年までの中断無き占断である。」(№1,p.39)「今」とは、序言作成年月日たる1555年3月1日である。これを文字通りに取れば、現在(西暦2013年7月25日)から見ても、なお、1784年先まで、ノストラダムスの預言は関わっていることになるが、この点につては、既に我々は、基本的に彼の預言は西暦2000年を期限とするとの見解を固めている(「日付のある預言詩1」参照)ので、3797年を掛け値なしに受け取ることは出来ない。

一応、先には(「日付のある預言詩9:ノストラダムス預言の年代軸」参照)、預言詩第1章48歌(I-48)の「七千年間別のものが君主政を保つだろう」という詩句に基づいて、3797年は、西暦2000年以後の7000年間の期間内に含まれる任意の年の表象であると解したが、今は、もっと突っ込んだ解釈が可能となった。

何故なら、3797とは、西暦2037年9月7日と解され得るからである。特に日本では、最近の傾向として、西暦の表記において、千と百の位を省略して、例えば2013年を13年と書き表す方法が新聞紙上では常態化しているし、また、年、月、日という順序での並べ方も一般的になっているから、3797は、'37年9月7日、即ち、西暦2037年9月7日と読めることになる。そして、この2037年というのは、上記のように、大川隆法氏が今回、地上で救世の教えを説く期限の年と見なすならば、ノストラダムスの大預言から大川隆法氏の自己宣言へと寸分の違和もなく接続するのである。もっとも、そうすると9月7日という日は、どうしても大川隆法氏の「帰天の日」という風に考えざるを得ないが、このように見ることも、稀有な預言詩と稀有な大指導霊との学問的接点を探る研究上は、止むを得ない事だし、且つ、寛恕を頂けることであろう。

事実、預言詩第1章48歌(§941)では、「月の支配の二十年が過ぎたら、七千年に渡って月とは別のものが君主政体を保つだろう。太陽がその[月の]倦まれし日々を自らの手にするだろう時、その時太陽は我が預言を完成し終わらせるのだ。」と詠われていて、「太陽」即ち「大川隆法」氏が、「私」即ちノストラダムスの預言を完成し、終わらせると明確に述べられている。

ここで、「終わらせる」という意味は説明の要がないが、「完成する」という語の原語は、accomplir (to accomplish) であるから、何らか「補完して成就する」といった意味合いがある。

ノストラダムスの預言では「虹が40年間毎日見られる」という言い方で、大川隆法氏の1985年から2025年までの「暇ない教化活動」を預言しつつ、大川氏の、「いわゆる帰天」といった出来事については何も語っていないのに対し、大川隆法氏自身の自己宣言では、明らかに2037年における「寿命の全う」というニュアンスが窺われる。つまり、ノストラダムス一辺倒になって、大川隆法氏の活動は2025年で終了し、氏の寿命もそこで尽きる、というように解釈するのは間違いであって、そこは氏自身による補完が行われた、と見なければならないのである。

即ち、「虹が40年間毎日見られる」というノストラダムスの預言は、「虹が52年間、間断なく見られる」(「西暦2037年ぐらいまで、私は、皆さんの前でお話しをする予定であります」)という形へと補充され、完成されたのである。

且つ、また、同時に、従来大きな「謎」とされてきた「3797年」というノストラダムスの表示が、西暦2037年9月7日という特別な日を表す預言であることも明確になった。

多分、その中の「7」と「7」という二つの数は、大川隆法氏の生誕の「7月7日」(昭和31年=1956年)を示唆するので、「3797年」という数が、やはり、大川隆法氏に関するものであるということも一層確実性を増すのである。

しかも、ノストラダムスは、「3797年」という年を、「彼の預言の到達する究極の期限」として提示しているから、それが「何らかの終局を表す年」である以上、実際には「大川隆法氏の現世での救世活動の終極」として理解することは背理ではない。

なお、大川隆法氏の「誕生」については、第5サンチュリ41詩 (§943,V-41) が預言している。
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§939 「イイシラセ」 (1981.3.23): III-5.

大団円としての幸福の科学9、9(続)

大団円としての幸福の科学9  「イイシラセ」:III-5.

 次に少し戻って、§937 で考察した預言詩第3章4歌 (III-4) に対して、『預言集』においてその直後に置かれ、且つ、内容的にも、表現上も、近接し、類似する第3章5歌 (III-5) を取り上げることにしたい。次の詩篇であるが、やはり「神託」の開始に関するもののようだ。

第三サンチュリ第5詩 「イイシラセ」: III-5 (§939).

二人の大いなる光輝ある者たちの欠如は近く且つ遠く、
大いに光輝ある者は四月と三月の合間に到来するであろう。
おお何という貴さ! しかし [それよりもっと貴いのは] 二人の偉大な善人が、
海路でも陸路でも到る所に救いの手を延ばすであろう。
 

§939, III-5:  The good news (1981.3.23).
Near and far being the default of two great luminous ones
Who shall come between April and March.
Oh what a precious thing ! but two great debonairs,
Shall succour every place by land and sea.

Pres, loing defaut de deux grand luminaires
Qui surviendra entre l’Avril & Mars.
O quel cherté! mais deux grands debonaires
Par terre & mer secourront toutes pars.
          
第一に、最終行の「救いの手を延ばす」という言葉によって、「幸福の科学」の救世活動が直ちに想起されるが、その主体である「二人の偉大な善人」とは、いうまでもなく、その最高指導者・大川隆法氏及びその顧問で実父の善川三朗氏の二人であろう。その活動が日本の国外・国内の到る所に及ぶであろうという記述には何の疑問もない。実績からも、この事は確認できる。

善川三朗氏の伝道活動(抄録)

「今からもう六、七年前になりますか、定かなことは私も記憶にありませんが、大川隆法主宰も、今は主宰先生をしておりますが、当時はまだ一会社の社員でございまして、東京の商社に勤めておりました。時々電話なり、手紙なりで家のほうへ連絡がありましたが、そのときに「ちょっとたいへんなことがおこっているのだ。」という連絡がありまして、で、「どういうことだ。」と言ったら、「実は、僕のところへ天照様が話しに来られているのだ。」「うーん、それはなあ、しかしちょっと・・・・・。」私だってそうですよ。皆様方もそうでしょうが、天照大神と言えば少なくとも日本の皇祖皇宗、日本を最初創った、日本を創った神様というふうに我々も小学校のときから教えられている。天上界に、そういう偉い方がおられると言うが、それはもうかすみにたなびく、その奥の奥のお話であって、現実にその方が生きておられるということについては、これはまゆつばものだというので、私だってそれはなかなか鵜呑みにはできなかった。で、私は、「そういうこともあるだろうが、まあしかしそういう一例をとってどうこういうことではいけない。もう少しやっぱり研究しなきゃいかん。」ということを言っておりました。そして、私も東京へまいりまして彼にも話したのですが、彼の言うには「そいういうふうな偉大な神霊が天降ってきて、私の口を通じていろいろなことを語られるのだ。」とうことで、それで私が実際にお聞きしてみようということでお聞きしたわけです。」(善川三朗『幸福の光軍』幸福の科学出版,1990,pp.183-184)

「それから天の声を拝することになった訳でございます。そのときにまず第一に大川主宰の口を通し現れました方が、他ならぬ日蓮聖人でございます。それから次に現れた方が私の守護霊をされております日蓮宗六老僧の一人の日持上人でございます。この方々がまずおみえになりまして、私に対して個人的にいろいろアドバイスをされたのであります。特に、日蓮聖人からは、「時は満ちた。いよいよあなた方が神理正法を世に伝える時が来たのだ。だから心してかかれ。」というお言葉をいただいたのでございます。既に霊言集をお読みになられた方はご存じのことと思いますが、私の役目と申しますのは霊言集を作成して、皆様方に読んでいただくということであり、それが大きな使命の一つでございます。」(善川三朗『幸福の光輪』幸福の科学出版,1990,pp.18-21)

「幸福の科学の最初の第一巻としては『日蓮の霊言』というのを発行しました。それから空海、天照大神、イエス様もそうですが、こいうふうにだんだんとやって、潮文社から私の名前で出したのは、約八冊ぐらいでございます。その後、方々の書店から出したものをあわすと、私が編集した霊言集は十一冊ぐらいになります。その程度のものでございますけれども、これらは高級神霊と私との対話編ということで、幸福の科学においては、法の前段です。これらは原典となるであろう、将来、古典となるであろうものでございまして、今、大川主宰が書いているのは、これはもう理論書が主でございますけれども、私が取り扱った分は古典に類するもので、諸聖賢と私とが対話をさせていただいている、そのなかで、この世にある者がいかに生きればいいか、どうすればいいかという問題について、諸聖賢にお尋ねして、お諭(さと)しを得た、またお叱りを得た、というふうなことを綴っているものが霊言集でございます。この霊言集とは、いったい何だろうか。初めて見る人だとわからない。霊言とは何か、ということがわからない。それでいろいろな批評もありますけれども、私としては、この日蓮さんなり、空海さんなり、天照様なり、こういう高級神霊方とお話をさせていただいたという経過につきましては、詳細、その書に書いてありますとおりでございまして、これは霊が実在するということ、それを私が後世の人びとに証明する書籍でございます。あれは私が嘘や、いつわりを言ってつくりあげた作文ではないということ、これを是非とも皆様方から、皆様のお知り合いなり、お友達にお伝え願いたい。嘘、いつわりで書いたものではないのです。そのままを書いてある。書いたというよりは、あれは、まずテープで録音したのです。話しながらね。それをテープ起こしをして書いたものです。それはわかるが、いったい大川隆法という者に本当にそういう霊がかかるのか、そういうことを不思議に思うと言う方もおありであろう。まあ会員の方は、今さらそういうことを不思議に思われる方もおいでにならないと思いますけれども、まだ会員になっておられない方、こういう方は、おかしいという気持ちを持っておられるだろうと思う。もちろん、私も最初から百パーセント、この霊言というものがあるということを知っていたわけではない。実際にぶつかって初めて知ったわけで、それからいろいろ考えました。まず、これを世の人々に伝えるということについては合理性がなければいけない、客観性がなければいけない。こういうことを現代の理性ある人間が読んで、判断して、その言っている内容は間違いのないことであるというふうに理解ができるように、私自身がまず十分理解がいくというものでなければ、これは人々の批判に耐えられない、という考えを私はかたく持っていました。従って、あの本を出すまでの間にはいろいろなテスト、テストというと何だけれども、日蓮さんなり、空海さんなり、その他天照様なり、イエス様なり、こういう方がお話し下さったことについて、何回となく失礼ではあるがテストさせていただいた。そして何ヵ月たっても何年たっても、最初の言葉が前言に変わりない。そのおっしゃっておられる方のお考えなり、そういうものがいささかも変わりない、ということをつきとめました。そして然る後にこれを文字に起こして印刷したものです。その間、いろいろなことを私もテストさせていただいたわけです。そうしなければ、もしこれが違っていたならば、世の人に大きな迷惑をかける、人々を惑わしたことになる、そういうことではあいならん、ということでいろいろ研究させていただいた。」(善川三朗『幸福の光軍』幸福の科学出版,1990,pp.179-182)

「それを全部、録音してございますが、あるとき東京の全国町村会館というのがございまして、私は仕事の関係でそこへいつも宿泊しておりましたので、そこへ赤坂から彼を呼んで、宿舎で、まあ私もテープレコーダーを用意して、実録したのですが、そのときに初めて私のところへ出られたのがイエス様です、イエス・キリスト。その方をお呼びしたのです。それがどういう内容だったかと言えば、『キリストの霊言』という本を私が出してありまして、あのとおりでございますが、しかし文字ではなかなかそのパワーというものがわかりません。その際のパワーたるや、ものすごいものでありました。まるで目の前に大きな火柱が立ったようにドバドバーッ、ズシーッとくるのです。そして「イエス・キリスト!」ものすごいパワーです。もう私はそれを聞いたときに、「ああ、これは本物だな。」と思ったのです。あのようなパワーで、我々に話しかけられるということは、普通の人ではない。ものすごいエネルギーを持っている。偉大な神霊だと思いました。最初のあたりはそういう具合でございまして、ザーッと降りてこられる。そして話をされる。が、私は、「いや、これはキリスト様ですか、実はこうこういうことでわたしたちはまあ、いろいろなお教えを受けているのですが、イエス様からもお教えを承りたい。」ということ言ってお話ししたのですが、そうするとズーッと、私の波長に合うようにレベルを下げてお話し下さったのです。そうしなければとてもではないけれど合わない。ものすごいパワーでしたからね。私の胸が張り裂けそうだったから、トーンを下げてやさしくお話ししてくださったのですが、まあどういう話をしたかということはその本に書いてありますから、お読みくださったらよいと思います。『キリストの霊言』という本に書いてございます。あの方は、本来はアガシャーという大きなエネルギー体から出ている方ですから、ものすごくエネルギーがある。この地上へ来て,私達を相手にしてお話しくださる場合は、ズーッと調子を下げてお話しくださったわけですが、その内容は、あの本に書いてあるとおりでございます。」(善川三朗『幸福の光軍』幸福の科学出版,1990,pp.184-186)

「一九八六年十月「幸福の科学」創立に先立ち、八五年八月『日蓮の霊言』、続いて『空海の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』『ソクラテスの霊言』『坂本龍馬の霊言』『卑弥呼の霊言』『孔子の霊言』の八冊を編集し終わり、続いて私に寄せられた人生相談への助言集としての『新・幸福の創造』を編集し、続いて一九八七年と八八年の両年中に行なわれた日本各地での私の講演録『幸福の光輪』を九〇年三月に、引き続いて八九年二月から十一月までの間に行なわれた講演録『幸福の光軍』を九〇年九月に、それぞれ発行いたしました。今回は、一九八八年十月から九〇年十二月までに述べた私の論考の一部を収録し、発行する運びとなりました。・・・」(善川三朗『幸福の光跡』幸福の科学出版,1991, あとがき)

大川隆法氏の伝道活動(抄録)

A : 主要理論書の英訳本の発行
Ryuho Okawa, The Laws of the Sun, IRH Press, Tokyo, 1990.
Ryuho Okawa, The Laws of Gold, IRH Press, Tokyo, 1990.
Ryuho Okawa, The Laws of Eternity, IRH Press, Tokyo, 1991.
B : 巡錫の記録
大川隆法監修、幸福の科学編『不惜身命 大川隆法 伝道の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2009.
大川隆法監修、幸福の科学編『不惜身命 2009 大川隆法 伝道の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2011.
大川隆法監修、幸福の科学編『不惜身命 2010 大川隆法 伝道の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2011.
大川隆法監修、幸福の科学編『不惜身命 2011 大川隆法 伝道の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2012.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 インド・ネパール巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2011.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 ブラジル巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2011.
大川隆法『ハッピー・サイエンス入門 真実への目覚め』(ブラジル講演集)幸福の科学出版、東京, 2011.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 フィリピン・香港巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2011.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 シンガポール・マレーシア巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2012.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 スリランカ巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2012.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 ウガンダ巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2012.
大川隆法監修、幸福の科学編『大川隆法 オーストラリア巡錫の軌跡』幸福の科学出版、東京, 2013.

では、詩の前半はどうか。「二人の大いなる光輝ある者たちの欠如は近く且つ遠く」という一見不思議な表現は、観点を「あの世」の方に向ければ容易に解ける謎である。つまり、この世に今はもうない故人二人が言及されていて、だから「欠如」と言われているが、「欠如は近く且つ遠く」というのは、彼ら故人が、今、霊的存在としてでありながら、同時に大川氏の感覚世界に現前している、という状況が示されていると推測しえるであろう。これは、大川隆法氏への霊的通信が、或る二人の「大いなる光輝ある者たち」から来るという予言である。これは、§937で考察した預言詩第3章4歌 (III-4)における「神託の開始」という稀有の出来事を、もっと具体的に説明している。実際、既に言及されたように、大川氏への最初の「イイシラセ」は昭和56年3月23日に到来した。そしてその通信相手の霊人は「日興にっこう」という名前の人であった。日興という人は鎌倉時代のいわゆる日蓮六老僧の一人である。そしてそれから間もなく、日蓮その人からの通信が始まった。

「この最初の霊人は、実は日蓮聖人の高僧の一人、日興上人(にっこうしょうにん)という方でした。その方からの最初の通信でありました。やがて一週間か、あるいは十日もした頃であったでしょうか。日興上人からの通信は終わり、いよいよ日蓮聖人という方からの通信が始まりました。ただこの最初の時に、日蓮聖人は自分の本名を名のりませんでした。その六老僧と言われるお弟子の一人の名を借りて最初は通信を開始したのですが、私はその通信後間もなく、それが日蓮聖人その方であるということを見抜きました。その内容があまりにも高すぎたのです。やがて日蓮聖人は、私と毎日、話をするようになっていきました。最初は自動書記という形で話をすることがほとんどでした。自分の手でさまざまな文章を紙の上に書いていく、そうした形での自動書記というのが長く続いていきました。それは昭和五十六年の三月の終わり頃から始まって、五十六年の七月の初め頃まで続いていたと思います。この頃、私はもしかしたら書くのみではなく話すこともできるのではないか、そういう可能性を感じました。しかも自らの心の内からは、時折さまざまな思想がひらめいてくる、声なき声が聴こえてくるような、そうした感覚を持っておりましたので、もしかすると話すこともできるのではないか、そうした思いを持ちました。そうしてみると、この自動書記で通信を送っていた霊たちが、今度は私の声、声帯を通しても語ることができることがわかってきました。こうして他人から見れば、まったく腹話術のような形になるのでしょうが、自問自答の霊問答が始まっていったわけです。」(大川隆法『平凡からの出発 独立する精神の軌跡』土屋書店, 1988,pp.168-169)

そうすると、更に、詩中の語句「大いなる光輝ある者」の意味が一層はっきりしてくる。つまり、二人とも、日本歴史に残る偉人(大いなる光輝ある者)であることは疑うべくもなく、特に名前に「日」、つまり「太陽の意味の字」を持つことでも共通し、従って luminaire(luminous, 光輝ある者、天体、星、太陽の意味あり)というそれ自体美しい言葉の使用が的中していることが理解される。

そしてその霊人の出現の時期が「四月と三月の合間」とされている。その場合、「到来するだろう(surviendra, shall come)」という動詞の形が、単数形であるから、一人ということに限定するならば、第一に、日興上人が妥当する。そして、それと入れ違いで、第二の日蓮聖人の到来が、その一週から十日後であるから、これも三月末、ないし、四月初めに当り、やはり、「四月と三月の合間」という規定の中に入っている。

そして、「到来するだろう(surviendra)」という動詞の厳密な意味は、「突然、不意に、やって来る」というニュアンスの到来であるから、後になって常例となったような、大川氏の側からの言わば召喚に応じて来るようになった霊人たちの場合とは違い、初めは何のアポイントメントもなしに、突然、不意に現われたことが正確に預言されている。いずれにしても、霊人の出現というこの事態の尋常ならざる性格を、預言者は、「おお何という貴さ!」と感嘆し、評価しているのである。

また預言者は、このような霊人たちの到来という出来事を高く評価しつつも、なおそれよりも現実の大川隆法・善川三朗氏たちの救世伝道活動の方をより一層重大で使命が高貴であるとの認識を呈示しているが、この観点は非常に大切である。何故なら、これは大川氏たちの活動の至高的重大性を示唆し、これがまた同時にノストラダムスの大預言自体の最終的成就に連なるものでもあると考えられるからである。何故なら、「幸福の科学」に関する預言は、「その大部分が既に歴史と化した過去の諸世紀の諸事件の驚異的に正確なノストラダムスの預言詩九百余篇の連続」の掉尾を飾りつつ、21世紀及びそれ以降の時代の開闢と方向性を先取りしているからである。

ところで、「二人の大いなる光輝ある者たちの欠如は近く且つ遠く」というこの詩文中の表現(特に下線部)の特異性は、多分、自らの預言詩作成作業のなかで指導的霊存在の到来と現前を常に体験していたノストラダムスの熟知的実感を反映していると考えられるのである。『諸世紀』劈頭の二つの四行詩が彼のそのような体験を語っている。取り分け、「自動書記」という通信方法において、大川氏とノストラダムスの事例は一致している。だが、ノストラダムスの場合 (§954-§955) を見る前に、日本における「大川隆法氏の自動書記の先駆的事例と見える出口ナオ女史のケース」を検討してみたい。面白いことに、大川隆法氏の場合は、最初の「自動書記」という霊通信の方法から、後には主として「霊言」という形に転換するのに対して、出口ナオ氏の場合は逆に、「霊言」法から「自動書記」法へと交替している。だが、両ケースにおける霊現象とその経過、その意味と本質の主要点には完全な平行性が認められる。

大団円としての幸福の科学9(続)

出口ナオ女史における宗教的人格の格闘と自動書記(お筆先)について 

およそ、「宗教」及び「宗教的人格」の始源的人性状態にはそれ独自のもの、それプロパーなものがあると認められるのであるが、この事実に関する認識と理解が、特に日本のマスコミ界において遅滞ないし欠如していることが、「幸福の科学」に対する講談社フライデー事件の根底に潜む生起原因の色濃い知的背景であろうと推定され、ウイリアム・ジェームズの宗教心理学的分析を援用してその空白を補填してみたが、更にこの事実についてより一層深く知るために、これより約一世紀前の同種の顕著な事例として、大本教の出口ナオ女史の霊体験の開始期の状況を、安丸良夫氏の研究書『出口なお』(1977)に拠りつつ、参照してみたいと思う。

 「1)  内なる声 なおがはじめて神がかりしたのは、明治二十五年 (1892) 正月のまだ鏡餅のある頃の事だった。明治二十五年の元日の夜に、なおは不思議な夢を見た。その夢の中でなおは、いつの間にか立派な宮殿の建ち並んだ神域を歩いており、やがて白髪を長くたれた大兵肥満の神に会った。そして、なおがその神の案内で艮(うしとら)とおぼしき方角に進むと、とりわけ荘厳な殿宇があり、中央の正殿に、金銀や宝石をちりばめた衣装をつけた、たとえようもなく神々しい神がいた。その神は、なおの姿を見ると、ゆっくりと立ち上って近づき、ほほ笑んで顔をみつめたが、何も言わずにやがてもとの座に帰った。なおが深く畏敬の念に打たれて宮殿を走り出ると、またうるわしい屋舎があって、その中には先年死んだ夫政五郎が欣然として坐っていた。神がかりに先だって、新しい宗教的飛翔へと志向している自分をなおは様々の形で予感していた。しかし、神がかりは、未知の神がなおの中に住みつき、なおという肉体を通して自らを示現するという点で、全く新しい経険であった。その始まりは、なおの腹の中に別の活物(いきもの)がはいりこみ非常な力でいきむという感覚であった。この活物がはいりこむと、なおの身体は非常に重くなったように感じられ、下腹にすばらしく力がはいって、今までのけだるかった疲労感覚が失われ、背筋がのびて身体全体の姿勢がそりかえりぎみに正されるのであった。そして身体全体がはち切れるような緊張のなかでゆっくり震動を始め、坐ったまま、両足は四股を踏むように強い響きを立てて動いた。その際、はいりこんだ活物はなおの咽喉元で「ウーム、ウーム、ウーム……」と激しくいきみ、なおの咽喉からなおのものとは全く異なった声で叫ぼうとした。そして、やがてなおの咽喉は、自分の声とこの活物の声との二つによって使い分けされたかのようになり,なおと活物との二つの声で問答が始まった [これは完全に、大川隆法氏のいわゆる腹話術のような形の自問自答の霊問答と同形である]

 その最初の問答は「開祖の巻』では次のように記されている。

  活物「わしは艮之金神(うしとらのこんじん)であるぞよ」
  なお「そんな事言ふて、アンタは妾(わたし)を瞞(だま)しなはるのやおまへんかい?」
  活物「わしは神ぢゃから嘘は吐かぬワイ。わしの言ふ事、毛筋の幅の半分でも間違ふたら神は此世に居らんのぢゃぞよ」
  なお「そんな偉い神様どすかい。狐や狸が瞞(だまし)てなはるねん御座へんかい」
  活物「狐や狸で御座らぬぞ。この神は三千世界を建替建直しする神ぢゃぞ。三千世界一度に開く梅の花、艮之金神の世になったぞよ。この神でなければ世の建替は出来ぬのぢゃ。天理、金光、黒住、妙霊先走り、艮(とどめ)に艮之金神が現れて三千世界の大洗濯を致すのぢゃ。これからなかなか大謨(たいもう)なれど、三千世界を一つに丸めて万劫末代続く神国の世に致すぞよ」
  なお「そんな事言ふて本真(ほんま)どすかい?」
  活物「嘘の事なら、神はこんな苦労はせぬぞ」 ( 安丸良夫『出口なお』朝日新聞社, 1977, pp.74-84)

 2)  審神 (さにわ) するなお 引用がよく物語るように、なおとなおの腹のなかの活物とは全く別の存在として感覚されている。なおにとってこの活物の実在感は極めて確かなものなのだが、それは外からなおの中へ勝手に入りこんだものである。だから、神がかりは、なおにとっては外からの働きかけによって巻きこまれた一つの偶発的な事件であり、その活物が偉大な神だと自称したからといって、容易に信ずることはできないのであった。とりわけその活物が、三千世界を建替え建直すとか神国の世にするなどという大言を弄していることはとてつもない妄言ではないか、もしそのようなことがありうるとしても、それは貧しく無学な自分には確かに無縁なことではなかろうか、むしろ狐狸のような人を惑わす霊がとりついて、なおをだまそうとしているのではなかろうか、となおは疑った。神がかり状態の中でなされたなおと神との問答は、こうした疑問に答えてなおの神がかりの意味を解き明かすためのものという性質をもっていた。そこにはまだ体系づけられた神学はなかったであろうが、この問答を通じて、なおに憑いた神の偉大さや、この世界のありさまと立替え立直し(初めは単に「立替たてかえ」といわれた可能性が大きい)の必然性や、なおに神がかりした根拠などについて一通りの意味づけがなされていったと思われる。( 同上, pp.84-85)

 3)  水垢離(みずごり) 最初の神がかりは十三日間続き、その間、なおは断食状態の中で神との問答をくりかえし、夜中に七回ずつ水垢離をとった。八回目の水垢離を始めようとすると神はもうよいと言ったのだが、それでもなおが水をかぶろうとすると、水が頭の上で撥ね飛んで一滴も身体にかからなかったという。そして、最後に、「天の様子」はどういうものかと問うと、「天照皇大神宮殿が、つむりは撫でつけてあり……御手を合せなさりて西向きにおなりなさりて」、その前に篝火が燃えあがっている状態を見せられて、最初の神がかりはおさまった。ただ、水垢離だけは七十五日間続けられたという。( 同上, p.86)

 4)  世人一般の宗教観 当時の民衆にとって、憑霊現象そのものは珍しい出来事ではなかった。ただ、その多くは、狐狸や下級の眷属神や悪霊などの憑依であって、正しく偉大な神がそれほど容易に憑くものとは意識されていなかった。日本の社会は、幕藩体制成立の頃からかなりの程度まで現世化=合理化されてきており,武士階級や村落支配者層は、憑霊現象を愚昧で非合理的なものと見なすようになっていた。こうした現世化=合理化は、神仏分離に始まる明治政府の宗教政策や教育政策によって一層強められていた。勿論、一般民衆の宗教意識は支配階級の期待する現世化=合理化からはほど遠かったが、それでも憑霊現象が起これば、それをすぐ神として崇め、その予言や託宜に聞き入るというようなことはなかった。なおの場合は艮の金神が憑いたのだが、始めのうち、当人も周囲のものも疑惑の眼でこの憑霊に対しており、むしろ狂気と考えられた。狂気と神がかりには本質的な区別はなく、もし区別するとすれば、低級な霊や悪霊が憑くことが狂気であり、正しい霊が憑くことが神がかりと考えられたのである。( 同上, pp.86-87)
 
 5)  大神の威厳と権威 なおの狂気を心配した近所組内のものが「法華坊主」を連れて来て憑霊退散の祈祷をさせたのはなおの神がかりが始まってから間もなくのことだったらしい。だが神がかりしたなおはその坊主を突倒し「もちっと修行して来い」といって袈裟を引き千切り、側へも寄れない程の勢いで暴れた。神がかりから二十日を経た頃なおは自分の方から進んで銀十という者の世話で数珠占いで知られた山家村の本経寺へ出掛けて祈祷を受けた。しかし祈祷が始まるとなおはまた神がかりして額を揉み出し猛烈な勢いで暴れた。そしてお前は何者だという問いに金神だと答え、更に「いっちうらい(一張羅)の珠子(数珠)」でなおの身体をなでると数珠は「霞のまきた様」に飛び散ったという。僧侶は「これはド偉いものが憑いて居る」と言ったが、見分ける事は出来なかった(「筆先」明治三四・一・五等)。又、福知山の金光教会や小呂(おろ)(何鹿いかるが郡吉美きみ村)の算盤占いも訪ねて同じように憑依した霊について見分けて貰おうとしたがいずれも成功しなかった。これらの事例では、なおに憑依した神の権威を認めず、それを退散させたり封じ込めたりしようとする者が現れると、なおの日常意識に反して、一時的な神がかり状態が生まれ、そうした策謀がなお自身によって、いわば実力行使とでもいうべき手段で排除されている。しかしなおはいつでもこうした挑戦的な態度をとったのではなかった。長い期間の神がかりは、第一回が二十五年一月、第二回が同八月、第三回が二十六年二月に起っている。更になおはその神がかりを意味づけてくれそうな権威ある神々と出会い、またいくつかの象徴的な行為をした。先に第一回の神がかりの最後に天界の「天照皇大神宮殿」を見た事を述べたが、同じ第一回の神がかりの際になおは氏神に「披露」された。前者が、なおに憑依した神の権威性を示唆するとすれば、後者は、なおの特別な使命を物語ろうとするものであったろう。
 このようにしてなおは、一方で既成の宗教観念の中からみずからの神を権威づけてくれそうなものを動員すると共に、他方で、みずからの神を地域社会の既成観念に対抗させ自立させて行った。なおの神は、天照皇大神宮、出雲大社、宇佐八幡宮などの最高の権威ある神々によって直接に承認され支持されるものであるとともに、地域の民衆に素朴に信じられていた祈祷師などの権威にたいしては、直正面から挑戦するものだった。そして、なおの神が何か根源的で偉大な神であり、この世界の秩序を根本的に転換させようとしている事が様々の宗教的象徴行為によって表現されて行った。なおの神の特色は、その神格の由来や神学的意味づけなどは未だ殆ど明らかでないにもかかわらず、決定的に力強く権威に満ちており、地域社会の人々に既知のものであるような神仏のカテゴリーを超越していることにあった。また、その神は、この世界が決定的に悪の世となっていると述べ、その根本的な変革(立替え)を告知して、人々に厳しく改心を求めていた。そしてなお自身がいくら抑えようと努めてもこれらを告げる神の声はあふれるような言葉、言葉、言葉……となってなおの中からほとばしり出た。もし、なおの神がこうした超越的な権威性と絶対性とを持たず、なおに日常生活にかかわる予見能力や病気直しなどの霊能だけを与えたとしたらなおの神がかりは地域の民衆によって受入れられ、なおは現世利益的祈祷を受け持って既成の民衆宗教の布教師などとなっただろう。だが、なおの神の上のような性格は、神がかりしたなおを地域社会に受容させる道を閉ざし、なおを困難な立場に立たせた。なお自身にとってさえ神がかりした自分の言動は「胸に焼金を当てるやうな」つらい思いのものだったのであって、その神の権威を人々の前に弁証し確立するためには、余りに大きな困難と苦難とが待ち構えていることが予感されざるをえなかった。( 同上, pp.87-93)

 6)  告知者として 明治二十六 (1893) 年二月に三度目の激しい神がかりが始まった頃、なおはその小さな家に一人で住んでいた。一人暮らしのなおは昼は商いに出て宵の口に一寝入りすると起きて水を浴び神と問答した。なおは神の事が分るうれしさに七十五日間寝ずに神の御用を聞いたと述べているがそれはこのようにして朝を迎える状態が引き続いたことを意味するのであろう。神がかりしたなおは深夜に大声で神の言葉を叫び、時には能の三番叟のような舞をした。同じ二月の末に、「直よ、乞食の真似をして居りて下され」という神の言葉に従ってなおは「粗末な風を致して着物ゾロリト着て、懐を膨らかいて」、袂に孫たちへやる菓子をいれ、八木と王子へ向かった。
 八木の福島家へ着いたなおはひさに、母は一寝入りすると起き出して「神様が荒立ちて高高と近所へ聞えるやうに言ふから承知して居りて下され」と言った。驚いたひさはその夜は夫が帰らなかったので本家から夫の叔母を呼んで一緒に寝てもらったが、夜中になおが「申した通り高々と荒立ち」たので二人とも「大きな息もようせずに」夜の明けるのを待った。夜が明けるとひさはいつもは必ず行き先を告げる夫が昨夜は伝言もなく帰らなかったことを心配して人力車夫の夫がどこまで行ったのかとなおに尋ねた。そして夫の虎之助が帰って来てなおの予言の正しかったことが分ると夫婦はなおの神がかりに感銘を受け、近所の人々に伝えた。こうしてその夜「近所、よそ町」の人たちが集まって来てなおの神に様々の「伺い」をした。しかし余り大勢だったので神は「この金神は易者は致さぬ」と叱って「伺い」を打ち切った。なおの神はこの世界の全体性についての根源的な真理を告知する役割を担ったものであったから一身上の「伺い」だけを受ける事はその本意ではなかったのである。しかしそれでもなおの神は周囲の人たちにこうして初めて肯定的に受け止められた。このあわただしい旅は誰からも無視されている神の威力を親しい者たちの前に顕示して見せたという意味のものだったと思われる。( 同上, pp.94-96)

 7)  放火の「犯行声明」 ところで明治二十六年の正月から綾部ではしばしば火事があったが原因がわからず町民たちを不安がらせていた。なおが八木から帰って間もなく千駄町の森という材木屋が焼けたが、なおはその翌日「夕べ焼けたのはおれが焼いたのざ」と大声で叫び、火事は改心のためだ、「今のうちに改心を致さねば何処に飛火が致さうも知れんぞよ」などと述べた。これを聞いた隣家の安藤金助の妻が四方源之助のもとへ走り、隣人たちは大騒ぎをして警察へ知らせた。次の日、国谷という「探偵」がなおの様子を探りに来て大病人があるから「伺う」てくれぬかと探りをいれた。なおがそんな「伺ひ」は出来ぬ、「世界の事なら伺うてやらう」と言うと、口ではうまくいかないとみた国谷が巡査を二人連れて来てなおを担いで警察へ運んだ。そして警部がなおを椅子に掛けさせて放火について尋ねるとなおは「この金神は他の家を焼くと云ふ様な悪戯をする神では御座りませぬ」と言った。警察ではなおが犯人ではないようだと考えたが無実の証拠もなく処置に困ったらしい。それで新築の牢へともかくもなおを留置するとなおは宵の入りに悠々と眠って夜中に眼を覚ましいつものように大声をあげた。
 なおの神がかりは初めのうちは隣人縁者たちの関心を引き、人々はこの貧しい老婆の狂気を祈祷などによって直してやろうとしていた。しかしそれが祈祷などを受け付けない厄介なものではあるが誰かに危害を加えるようなものでもないことが分ると周囲の人たちは、その訳の分らない激しい言葉に辟易してやがてなおを相手にしなくなり、なおが深夜にひとり大声をあげても人々は哀れな老婆の狂気として無関心でいようとしていた。放火について公言した時なおはこうした状況に挑戦したのであって、そのことはなお自身によっても「毎日呼りても、誰も家の中へ這入るもの無き故、口で威(おど)した」と自覚されていた。はたして警察まで巻き込んだ大騒ぎが起こり、その渦中でなおは警察など権力機構への具体的な批判を含んだ激しい終末観的観念を多くの人達に告知することが出来たのである。なおは又、監視している巡査が夜中に酒を飲んでいると「番人が酒を飲んで居っては番人の役がつとまらぬぞよ」(『開祖の巻』)と叫び、辟易した警官が早く放免した方がよいと同僚にささやくと「三年経っても去なんぞ」(同右)と叫んだ。このような場合狂気も老婆であることも大きな強味であり、警察が手を焼いた様子をたしかに思い浮かべることが出来よう。( 同上, pp.96-98)

 8)  座敷牢 翌日放火犯人が逮捕されると警察は大槻鹿造を呼んでなおを引き取るようにと言った。しかし鹿造は警察が勝手に連れて行ったのだから警察の責任だと言いどうしても引き取れということなら「手錠足錠」を貸してくれと言った。警察では科のない者に手錠や足錠はできぬと言い、結局、座敷牢を作って入れることになった。なおは自分はそんなところへ入るものでないと言ったが、鹿造は四、五日入ってくれと言い、なおはその言葉に納得して牢へ入った。座敷牢はなおの家の中に作られた。その頃りょうは四方家に、すみは栗山家に奉公していたから、なおは外に誰もいない家の中で座敷牢に入っていたのである。食事は鹿造・よね夫婦の養子になっている三男伝吉が日に一回だけ運んで来た。その他に牢を訪れるのはこっそり握り飯やいり豆を運んで来るりょうと、時々様子を見に来る四方源之助ぐらいのものだったらしい。鹿造はりょうが牢へ行くと怒り、打ったり、摂州へ奉公にやるとおどかしたりした。りょうは竹皮を拾い集めてそれを売ったわずかの金でなおの食べるものを買ったという。食物も不充分なままになおは牢の中にほとんど遺棄されたのである。空腹のなおに神が掌を舐(ねぶ)れ、力がつく、と言い、自分の掌をなめるようなことさえあった。夜中に、なおを見守っていたりょうが牢の前で眠ってしまい、眼をさまして下駄をはきなおそうとすると、下駄が凍てついているようなこともあり、鹿造に叱責されたりょうが、井戸へ身を投げようとしたこともあった。こうしたすさまじい状況の中で入牢期間はなおの期待に反して長びき、四十日に及んだ。頑健で、苦難にめげないなおにも、最も苦しく孤独な時期であった。牢の中でなおは自殺を思いめぐらしたことがあったが、神がそれをとどめたという。「余り叶はぬで、牢の中で死のうと思ふても、「死んだらこの中に居るのと同じことだ。見たいものも見られず、物言ひたうても言はれせず、なんぼ死のうと思ふたとて、神屹度憑いて居るから死なれせぬぞ」と、艮の金神様言ひなされて止めに致したのだ。(「筆先」明治三四・一・五)( 同上, pp.99-100)

 9)  神業と生活者の狭間 なおは、その神がかりの意義を認めずないがしろにしたり敵対するような者に出会うと、荒だって激しい言葉を投げつけた。しかし神がかりがおさまると神がかりについての様々の疑惑が生活者としてのなおをとらえた。生活者としてのなおから見れば狂って大声で叫ぶような事はひどく恥かしいことであり、周囲の人たちを声を荒だてて罵るような事は顔むけの出来ないほどに申しわけないことだった。例えば、「組頭」で町会議員にもなったことのある四方源之助は面倒見のよい地域社会の指導者で、なお一家のことも色々配慮してくれていた。こうした世間的には恩義のある人物に対しても神がかりしたなおは激しく罵りその屋敷から立退けなどと叫んだから、神がかりから醒めてみるとそれは律義ななおには顔むけ出来ないような事だったのである。座敷牢の中でのなおの苦悩には肉体的な苦痛だけでなく生活者としての自己と神業を担った者としての自己との右のような葛藤もあったものと思われる。( 同上, p.100)

 10)  使命感の焼き入れ しかし肉体の憔悴とこうした苦悩とを神の声(なお自身の深奥の声)に励まされてなおは切り抜けて行った。それはひたすら神の声を信じ生活者としての顧慮を振り払うという方向でなされた。死を思ったことを述べた右の引用にすぐ続いて「何事も神様に御まかせ申せば楽なもの」と述べているのはそうした境地を表すものであろう。火事についての放言は狂気の老婆として打ち捨てられたなおの世間への挑戦であり、警察による拘置と座敷牢はそれに対する世間の手厳しい応答だった。しかしなおは死を思う程の苦悩を通して試練に耐え、神の声に耳を傾け、特有の使命を担った者としての自己へと一層明確に踏み超えて行った。結局四十日ほどを経てなおは座敷牢を出た。四方源之助などが余りにも惨澹としたなおの状態を憐れんで鹿造を説得し、鹿造はなおの家を売ることを交換条件に納得したのであった。鹿造は牛肉屋の商売もうまくゆかなくなり、金が欲しかったのである。なおは牢から出してくれさえすればよいと言って家を売る事を簡単に承認した。鹿造は家を四十八円で売り、ついでに鍋釜、家具なども売ってしまった。この金の一部で、政五郎の生存中からなおの重い負担となっていた銀行からの借金もやっと返済された。出口家のものとして残ったのは石臼と三つがさねの盃だけだったという。なおの神学では、徹底的に零落してあらゆる苦難をなめることが、これまで世に知られていなかった神について告知する者の「因縁」なのであり、こうした苦難こそ偉大な使命の根拠だった。(「筆先」明治三四・一・五)」( 同上, pp.100-102)

 11)  自動書記 (筆先) の開始 座敷牢へ入っている間になおは初めて筆先を書いたと言われている。既に述べたように、神がかりしたなおはあたりをはばからずに大声でわめいたが、それはつつましいなおからすれば恥かしいことでもあり、心ならずも他人に迷惑をかけることでもあった。また、そのことが放火の嫌疑から座敷牢へ閉じこめられたことの原因でもあった。そこで座敷牢のなかのなおは、大声でわめかないようにしてほしいと神にたのんだ。すると神は、筆をとって書けと命じ、自分は無筆だからとためらうなおに、神が書かすのだから書けると言った。こうして座敷牢の中のなおが、釘で牢の柱などに書きつけたのが筆先の始まりだったとされている。出牢後のなおは神がかりしてももはや大声でわめかなくなり、そのかわりに筆先を書くようになった。実際に筆先が書かれるのは明治二十六年の秋以降で、現存の筆先で年月日が確定できる最初のものは二十七 (1894) 年四月八日の筆先だという(『大地の母』)。ここで筆先について一言しておこう。なおは全く無筆で、糸引きに行った時、框(かまち)に記された簡単な符号も読めないほどだったという。こうした伝承には筆先の奇跡性を強調するための誇張もないとは言えないが、なお自身が自分を無筆だと思っていたことは事実である。しかし、なおのような生活史をもつ人が自分でも自覚しないうちに簡単な文字についての知識を身につけていたとしても大して不思議ではない。この問題の詮索は別として、ともあれ、出牢後のなおは自分でも知らないはずの文字で生涯に半紙二十万枚といわれる厖大な筆先を書いた。筆先は、平がなと五、九、十などの数字を表音的に用いて書かれ、例えば、で九ち(出口)はどを(胴)すわりてをるがうえざ(上田)わまよい五ころ(迷い心)がまざ(まだ)あるぞよ、の如くである。書体は独特の稚拙なもので、初めは読みにくい。なおの言語は耳から入ったものなので、上の引用の「どを」=胴、「うえざ」=上田(王仁三郎のこと)のように、標準的な表記法と一致しないものが多く、地方の生活言語の特色をよく伝えている。筆先には、神々の由来と因縁、神と人間との関係、現実社会への批判と立替え立直しの予言、なお自身や教団関係の諸事項など、多様な内容が記されている。( 同上, pp.102-104)[初出: 二瓶孝次「「幸福の科学」の仏教論的意義(11)」北海道教育大学紀要人文科学社会科学編第51巻1号, 1999, pp.23-24; 同「「幸福の科学」の仏教論的意義 (12)」北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第32号, 2000, pp.42-50。一部改稿]

なお、「復活した出口王仁三郎」によれば、ナオによる「お立て直し」の予言は、まさに今、幸福の科学が実現しつつあるものであるという(大川隆法『出口王仁三郎霊示集』土屋書店, 1987, p.116-117参照)。
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§954 -§955, I-1 & I-2: ノストラダムスの「発声的書記」

大団円としての幸福の科学9(続& 1/2ノストラダムスの「発声的書記」

出口ナオとノストラダムスとにおける「自動書記」の現象について

 意識的自己(W. ジェームズはこれを記号的に『人格のA領域 the A-region of personality』と呼ぶ(James,op.cit.p.526 )。)と連続している潜在意識的自己(W. ジェームズはこれを記号的に『人格のB領域』と呼ぶ(id.)。従って、《 ひとりの人格全体 = A+B 》。)の非日常的な強力な活動が、安丸良夫氏の説明にあったように、出口ナオ女史の場合には、「腹の中に別の活物が入って問答したり、文字を書かせたりする」という固有に宗教的な経験となって奔出して、「お筆先」という文書として残されており、また、はるか以前16世紀にノストラダムスの場合には、自動書記及びそれに伴う独特の声と視覚像の展開という形で発現して、その筆記記録の結果たる独自な稀有の『預言集』として伝わっている。また最近では、大川隆法氏における「神託の開始」の時に「鉛筆を取ってカードに書かれたイイシラセ」として我々の記憶に新しい所である。そして、「幸福の科学」の第一の基本理論書『太陽の法』も、実は、大川隆法氏の「自動書記法」で書かれたものである。

「一九八一年三月、はじめて霊道をひらいて以来、さまざまな霊現象を経験し、私の神理探究は、今日まで、六年余りつづいております。この間、霊言集の読者のみなさんからは、単なる対話篇や霊示集でない、神理の体系的な理論書をと、要望する声が日ましに強くなってまいりました。そこで、このたび、現在までの私の体験、悟りを踏まえて、神理の基本書ともいうべき『太陽の法』を刊行することとなりました。本書では本格的に、高次元世界の秘密、宇宙創造の秘密、人類史の全貌ということをはじめて公にしたばかりでなく、個人の悟り、修行方法に関しても、的確なる指針を呈示したつもりです。全篇に流れる格調の高いことばの響きに、読者諸氏はお気づきになられるはずですが、本書は、単に地上に肉体をもっている私の小さな脳細胞から生み出されたものではありません。霊天上界、九次元世界にある私の潜在意識から啓示を受けつつ、これを文字として、また私自身の思想としてあらわしたものなのです。ペンを握る筆者の手は、まるで生きもののごとく勝手に動き、一九八六年八月末に取りかかった草稿は、九月の第一週には完成しておりました。わずか十日あまりで、一冊を書きあげたことになります。本書によって、より多くの人々が、心の目をひらき、真実の生き方に目覚められんことを切望いたします。」(大川隆法『太陽の法 新時代を照らす釈迦の啓示』土屋書店, 1987, まえがき)

そして、このような自動書記は、単なる機械的現象ではなくて、本人の広大・深遠な潜在意識(人格のB領域)との連絡を前提としたものである。「私は、第2章、3章、4章に、それぞれ西洋史、東洋史、日本史に現われた高級霊の歴史を記してきました。本書は、高級霊の活躍の歴史を全体像で捉えたという点では、かつてなく、これからも書かれることのない記録だと思います。私は、人類の歴史を一万年でも、十万年でも、百万年でもさかのぼって書くことができるのです。しかし、これは、もちろん、地上に肉体を持っている大川隆法という個人の脳細胞の記憶には、とうてい残っていようもない内容です。では、なぜ私は、そういう歴史を書くことができるのでしょうか。なぜならば、これは、実は、私の魂の約八十パーセント、即ち、霊天上界九次元世界にある私の全魂の八十パーセントの潜在意識部分によるものだからなのです。」(大川隆法『黄金の法 エル・カンターレの歴史観』幸福の科学出版, 1997,pp.258-259

 ここでは、特にノストラダムスにおけるこの自動書記的現象について考察し、彼の預言詩の解釈一般に対する基本的方向性の確立のための契機にしたいと思う。それというのも、この問題は彼の『預言集』全体の開巻劈頭に置かれた二つの四行詩の中に深く込められているものであるからである。事実、第3章5歌 (§939, III-5) の、「二人の大いなる光輝ある者たちの欠如は近く且つ遠く」というこの詩文中の表現(特に下線部)の特異性は、多分、自らの預言詩作成作業のなかで、指導的霊存在の、到来と現前を、常に体験していたノストラダムスの、熟知的実感を反映していると考えられるのである。『預言集』劈頭の二つの四行詩が彼のそのような体験を語っている。しかも、その中の主動詞は、すべて、直説法現在形であるから、問題になっているのは将来的事象の予言ではなくて、諸々の預言四行詩を作成した預言者自身の預言詩作成作業そのものを描写しているのである。

『預言集』第1章1歌と2歌(ノストラダムスの霊的体験の恒常性について)
 ここに、霊存在感の独自性を熟知していたであろうノストラダムスの体験の証明として『預言集』冒頭の第1章1歌と2歌を取り上げておきたい。最初に要約的に簡単な解説を述べ、次に文法的に精緻な解読を実行したい。

第一サンチュリ第1詩 神秘の研究の基礎附け(1555): I-1 (§954).
神秘の研究は夜間に基礎づけられるが故に、
孤独者が青銅の小椅子に寄れば、
孤寂の境より発し来たりし微小の炎が、
信じて虚しからざる事柄を語らしめる。

§954 ; I-1: The foundation of the secret study (1555).
The foundation of the secret study being laid by night,
The solitary being reposed upon the stool of bronze,
A fine flame coming out of the solitude,
makes pronounce what is not worth believing in vain.

( ESTANT assis de nuit secret estude,
Seul repousé sus la selle d’ærain,
Flambe exigue sortant de solitude,
Fait proferer qui n’est à croire vain.


第一サンチュリ第2詩 神々しい輝き(1555): I-2 (§955).
多数の小枝の真ん中に置かれた棒(羽ペン)が手に執られると、
彼が液体(インク)を楷書する、リボン状のもの(羽弁)が楷書する、足(羽柄の先 = ペン尖)が楷書する。
恐れと声とが一つになって両袖口の辺りで顫動する。
神々しい輝き。神霊が身近かにおわします。

§955 ; I-2: The divine splendor (1555).
The stick put in the middle of branches being in the hand
He moulds the liquid and the ribbon [moulds] and the foot [moulds].
My fear and the voice in unanimity tremble about my cuffs,
A divine splendor. The Divine sitteth by.

(La verge en main mise au milieu de BRANCHES
De l’onde il moulle & le limbe & le pied.
Un peur & voix fremissent par les manches,
Splendeur divine. Le divin près s’assied.


要約
 
これを見ると、ノストラダムスは明らかに、神霊の導きの下に、自動書記という形で、預言詩を作成していた、つまり「書き取っていた」という事が疑いも無く断定できる。そして、そのようにして、『預言集』に収録すべき四行詩の原形を紙に写し取ったあと、これがつまり、彼の予言詩作成という神秘な研究の「基礎作り(assis )」なのであるが、あとは、「長時間の計算で夜間の研究を甘美なものと化しつつ、私は、夫々が100篇の天文学的預言四行詩を収める複数の預言書を作成した。これらの預言を私は若干分りにくく工夫して仕上げようと欲した。それらの預言は、今より3797年までの中断無き占断である。」(№1,p.39)ということになる。

 1歌一行目の主語は何かというと、secret estude (神秘な研究)という名詞以外には存在せず、estant assis(基礎付けられるが故に)がそれに対応する述部である。ところが大抵の研究者はestant assis ( being sat) を見ると直ちに「人が座っている様子」を思い浮かべ、従って二行目のrepousé sus la selle d’aerain(青銅の小椅子に寄れば)と同じと取る。しかしこれでは一行目と二行目が同じ事を重複して述べることになり、貴重な四行という枠を無駄に使うことになるばかりで望ましくないのみならず、secret estude という語句が文法的に入る余地がなくなってしまう。

 
また「微小の炎が事柄を語らしめる」というのも、次の2詩で説明されているように、文字通り「声がして語る」ということである。のみならず、ノストラダムスが手にした羽根ペンが、彼の意志とは関係なく動いて文字を書く。従って、羽根ペンの「リボン状の羽毛(羽弁)limbe」も、「足状の棒先(羽柄)calamus」も、彼の意志ではなく、「神霊の意思」に沿って、同様に動くのである。なお、その「彼、il (he)」という単数男性人称代名詞は、既出の「孤独者 the solitary (seul)」、つまりノストラダムスを受ける。他に、後出の「神霊 the Divine (le divin) という単数男性名詞も候補にはなり得るが、いかんせん、既出と後出の競合であれば、圧倒的に既出語が優先するし、そのように解して特別の不都合も見出せない。

 
それと同時に声が聞こえて、多分、その出来事のありのままの表現としての「原四行詩」がノストラダムスの耳に伝達され、その通りに彼はペンが自動で文字を書くのを眼で追ったのであろう。筆記については、2詩一行目が、La verge en main mise au milieu de branchesという洒脱な表現で示唆している。
 La verge en main mise au milieu de branches (多数の小枝の真ん中の棒を手に)は, 私の如上の解釈以外には明瞭な読み方はないであろう。「鵞ペンのような羽ペン」というノストラダムス時代の通常の筆記用具を前提にして、それを謎々的に表現するとして、「la verge mise au milieu de branches 多数の小枝の真ん中に置かれた棒」と言うとすれば、無意味ならざる一種の詩的言い回しとなるであろう。それが、「en main 片一方の手の中に」ということで、ますます羽ペンのイメージに接近することになる。

 次にl’ondeは、多くの解釈者がやるように古代の降神術に関係する水を意味するというよりも、「液体としてのインク」を想定すればよい。

 またUn peur & voixというのは、peur voix も共に女性名詞ではあるが、「その二つが区別もつかず一体的に」振動する様子をunという形容詞(「一体をなす」という意味がある(Suzuki))で表している(その場合、その形容詞は副詞的に機能する)。しかし動詞が frémissent という複数形であるのは、実際は二つのものが別々のものであることを示している。つまり、ノストラダムスの両手の袖口あたりが顫動するのは、一つには彼自身のおそれおののく心の表れであり、と同時にそれは彼の身近かに神々しくも輝きとして臨在している神霊の意思に基づく或る声の響きの振動でもある。

 なお、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy=i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。
 また、「神々しい輝き。神霊が身近かにおわします」における「神々しい輝き」というのは、「微小の炎」として最初に出現した神霊が、増光した姿ではあるまいか。そして、「神霊が身近かにおわします」という表現に含まれる人格的存在感を考慮すると、机に向かうノストラダムスの、その彼の横傍ら、または斜め後ろ辺りに「神霊」が「神々しい輝き」として現存しているのであろうと考えられる。

 いずれにしても、先にも述べたように、『預言集』四行詩の多くは、少なくともペアを成して一つの事柄の立体的表現を実現していると思われるが、その典型的事例が、劈頭のこれら二つの詩に見られるわけである。

(文法的考察)
一般にノストラダムス『預言集』の各四行詩の配列は特に明確な意図なくして、極めて偶然な手法によって適当にバラつかせたもののようであるけれども、冒頭の二つの四行詩だけは例外であって、この二篇はまさに巻頭に置かれるべくして置かれているものと考えざるを得ない。というのもこの二篇は他のものと違って、本質的に「預言を含む詩篇」ではなくて、むしろ、「我が預言詩がいかにして出来たか」という極めてデリケートな問題を、作者たるノストラダムス自身が、例の彼一流の隠蔽工作の下にでではあるが、率直且つ正確に語ったものであると思われるからである。
 構文・語彙・正綴法等において中古の名残りをいくらか留めているそのフランス語への不慣れから、我々には、一見、相当変則的で杜撰な印象を与えるので、多くの場合研究者はそこに徹底した正確さを求めないまま、解釈像の性急な焦点化に走り勝ちである。これを「不文の輩barbares」と呼んでノストラダムス自身が彼の作品に近寄るなと予め警告している。18世紀初頭、ノストラダムス作品への真摯な真理探究の鶴嘴を本腰を入れて打ち込んだ史上最初の研究者と称してよいジャン・ル・ルが最も重視したノストラダムス研究の先決要件も「文法把握」であった。ジャン・ル・ルは熱情の籠った敬愛の念から、ノストラダムスを「フランスの託宣者 l’Oracle de la France」とさえ呼んでいる。

ジャン・ル・ル『ノストラダムスの鍵 この有名な著者の予言集の真実の意味への入門』(1710
「フランスの託宣者の予言集を読むのにせよ、或いは説明するのにせよ、単に自己の精神の力と働きに頼るだけで、語学研究(l’étude des belles Lettres)の助けを欠くならば、誰もそう欲しても殆ど決して目標に達することはなく、大抵、その掴む所は、(自分で自分についてどんな立派な思い込みをしていたところで)風か、空虚な観念でしかないに決まっている。その理由は、就中、文法(la Grammaire sur-tout )が、その暗闇の中でうまく身動きを取るために必須であるからであって、それは丁度ラビリンスの中に入って確実に歩を進めるためにアリアドネの糸が必要不可欠であるようなものである。従って文法を欠けば、その外の色々の、極めて精緻で極めて透徹した世智が供する物差しを頼んだとしても、この種の予言集の中でそれなりの進展を見るのは全然不可能である。それ故、フランスの託宣者は、その第6章の終りでこう言ったのである:「語学を知らぬ者はすべてここに立ち入るべからず。Barbari procul sunto: Arrriere d’icy tous ceux qui ne sçavent pas les belles Lettres.(Jean le Roux, 1710, p.4.

主節と従節
 さて、上掲二詩の言語構造を、先ず、主節と従節に分類して、詩意解釈のアプローチとしよう。
A:
主節 les propositions principales主語動詞.
1.
孤寂の境より発し来たりし微小の炎が、信じて虚しからざる事柄を語らしめる。A fine flame coming out of the solitude, makes pronounce what is not worth believing in vain. (Flambe exigue sortant de solitude fait proferer qui n'est à croire vain.)
2. 彼が液体(インク)を楷書する、リボン状のもの(羽弁)が楷書する、足(羽柄の先 = ペン尖)が楷書する。He moulds the liquid and the ribbon [moulds] and the foot [moulds]. (De l’onde il moulle & le limbe & le pied.)
3.
恐れと声とが一つになって両袖口の辺りで顫動する。My fear and the voice in unanimity tremble about my cuffs. (Un peur & voix frémissent par les manches.)
4.
神霊が身近かにおわします。The Divine sitteth by. (Le divin près s'assied.)

B: 従節絶対分詞節les propositions participes absolues.
1. 神秘の研究は夜間に基礎づけられるが故に、The foundation of the secret study being laid by night (Estant assis de nuit secret estude).
2.
孤独者が青銅の小椅子に寄れば、The solitary being reposed upon the stool of bronze (Seul repousé sus la selle d'ærain).
3.
多数の小枝の真ん中に置かれた棒羽ペンが手に執られると、The stick put in the middle of branches being in the hand  (La verge en main mise au milieu de BRANCHES).
4. 神々しい輝き[ありて]A divine splendor [being]. (Splendeur divine [étant]).

以下、順を追いつつも、密接に関連する事項は随時集約しながら、文法的分析を中心に詩句を吟味するが、その際、「息子セザールに宛てた『預言集』序文」(№1,p.31-44) の中から、関連事項を援用するであろう。

A1. 孤寂の境より発し来たりし微小の炎が、信じて虚しからざる事柄を語らしめる。A fine flame coming out of the solitude, makes pronounce what is not worth believing in vain. (Flambe exigue sortant de solitude fait proferer qui n'est à croire vain.) + B4. 神々しい輝き[ありて] divine splendor [being]. (Splendeur divine [étant]). + A4. 神霊が身近かにおわします。The Divine sitteth by. (Le divin près s'assied.)

この文A1.は、「確実な未来事象に関する言説」、つまり「ノストラダムス作品」と一般に信じられている「預言四行詩」が、「微小の炎」に依って語らしめられる事実を述べている(「語る」proférer = pronouncer, to pronounceについては、次節A3「声」voix, voiceの項を参照)。そして、この「微小の炎」は「神々しい輝き」として「身近におわす」「神霊」としてノストラダムスに感知されている。

それは、「セザール宛序文」の中で「火炎 «flambe de feu»」、「火の精気 «subtil esprit du feu»」「微小の炎 «exiguë flamme»」と言われているものに合致する。そして、それは「諸予見の源泉たる永遠の神と、諸予見を自分流に受け取り諸予見を人間的に言表する神の霊感を受けた預言者との中間のもの」、つまり、神と預言者との媒介者である。
火の精霊を介してのみ受け取ることのできる玄妙なる諸予見 «les occultes vaticinations que l'on vient à recevoir par le subtil esprit du feu»(№1,p.35)
創造主たる神が、彼の差配する火の伝令を伝令火炎として送り来たりて、外部諸感覚に対して、更には我々の眼に対してさえ、未来事象を指し示す未来予言の諸原因を呈示して下さるのです«Dieu le créateur par les ministres de ses messagiers de feu en flamme missive vient à proposer aux sens extérieurs, mêmement à nos yeux, les causes de future prédiction significatrices du cas futur.»(id.p.43)

従って、微小火炎の出現により、預言者に対する幽玄な諸予見の神的霊感が告知されるのであり、預言者は、それに対して、「精神の休息と静穏によって、霊魂と精神と心情から全ての憂慮と心配と不快を取り除いて準備する」(id.p.6)。そのように準備が整うと、「微小の炎が孤寂の境より発し来」ることになる。

A2. 彼が液体(インク)を楷書する、リボン状のもの(羽弁)が楷書する、足(羽柄の先 = ペン尖)が楷書する。He moulds the liquid and the ribbon [moulds] and the foot [moulds]. (De l’onde il moulle & le limbe & le pied.)+ B3. 多数の小枝の真ん中に置かれた棒(羽ペン)が手に執られると、The stick put in the middle of branches being in the hand  (La verge en main mise au milieu de BRANCHES).

先ず、大多数の解釈者は、moulle (№1, №2, №3, №5, №6, №7, №8, №9, №10 等の主要な版は全てmoulleとなっている)という最も信頼できるテキストを無視して、これを敢えてmouille (From mouiller, to wet, to damp, to moisten) と読み、古代ギリシアの降神術の一つの作法に準拠して、「水もて縁(へり)と足を濡らしむ。」(№8,p.48; ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店, 1999, P.11)などと説明するけれども、moulle はあくまでも moulle であって、実は、現代語のmoule と同語である(cf. Littré, s.v. «moule» )から、決してmouille と読み換えることは許されない。そして、mouller (mouler, to mould = to mold) の意味としては、「鋳型に入れて作る」が基本であり、特別に、「完全な形態の精緻な書体で字や語を書く «Mouler une lettre, un mot: l'écrire d'une écriture soignée, parfaitement formée» (Petit Robert)」という意味もあり、ここではこの特殊的意義を斟酌して「形作る」と解釈すべきである。つまり、「鋳型に嵌めたようにキッチリした文字を書く」ということである

そして、ノストラダムス時代の最も一般的な筆記具は「羽根ペン quill-pen」であって、その「羽根ペン」のすがた形は「多数の小枝の真ん中に置かれた棒」という描写、及び「リボン状のもの」「」という表現とピッタリ合致するのである。即ち、ここで云う「棒 verge (stick, cane)」とは、下部の「羽柄(うへい)」とか「羽軸根」とか「翮 (かく)( calamus, quill) という部分と、上部の「羽軸(うじく) rachis」を一本の全体として見た「体羽 contour feather (おおばね) の中心軸」のことである (cf. Corbeil, 1993, p.110)。また、「多数の小枝」とは、「羽軸の両側に対称に生えて、全体として細長くて薄い一種のリボン、ないし柔らかい帯を形成する羽枝(うし) barbsの集合体」で、「翈(こう) 」とか「羽弁」vane, web」と呼ばれるものに他ならない (cf. id.)。従って、次に「リボン状のもの le limbe」というのは、正に「羽弁 (うべん)」とか「翈(こう)」と呼ばれるもの ( vane, web) を意味し、そして「 le pied」というのは、「羽柄 (うへい) calamus, quill」の先端を削って尖らせたペン先 (bec, nib, penpoint) を指し示す。

実際、limbe の語源たるラテン語limbus は「反物の縁布として使う帯、ないしリボン」(Ernout & Meillet) を意味する。また、«BRANCHES» という大文字で書かれた語も、ノストラダムスの『預言集』では、必ずしも常に固有名詞とは限らず、場合によっては全く普通名辞と解して差し支えなく、現に今の場合がそうで、単に branches、つまり「枝, branches」を意味し、この場合は「小枝」と取るのが適切である。依って、その一つ一つは羽枝 barbであり、その集合体としての「羽弁」ないし「翈」(vane, web) が詩の中でle limbe(リボン)と呼ばれているのである。そして、「多数の小枝の真ん中に置かれた棒」というノストラダムスの表現は、一本の羽軸がその左右に対称に生え揃った無数の羽枝の 真ん中を貫いている様子を正確に捉えている。

しかし、大方の研究者は、«BRANCHES» という大文字で書かれた語を固有名詞として受け取り、例えばブランダムールの邦訳者達は以下のように解説している:「原文ですべて大文字で記された「ブランシュ」(BRANCHES)は「ブランコス」(Branchos)のラテン語形「ブランクス」(Branchus)のことであるらしい。ブランコスは小アジアのミレトス南方のディデュモイにアポロンの神託所を開設した人。山中で家畜を追っている時、アポロンに愛され、予言力を授けられた。彼はミレトスの入り口に、アポロンに献ぜられた神殿と大勢の神官をもっていて、ディデュモイ神託所の神官職は彼の子孫によって継がれた。従ってここでは、「ブランシュ」はアポロンの託宣の神殿を指すと考えてよさそうである。」(ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店,1999,P.12)。

けれども、高田・伊藤氏等が「ブランシュ BRANCHES」はラテン人名「ブランクス」のフランス語的表記だと主張する点は、性も数も格変化も持たない日本語の習慣を最大限生かした便法ではあるが、欧文規則を顧慮した厳密な批評には耐え得ない粗論である。一体、ラテン語の影響を強く受けて成立したフランス語は、そのフランス語化 (francisation, gallicizing) における規則を有していた。それに依れば、例えば「ヒエロニムス Hieronimus」というラテン人名は、フランス語としては「ジェローム Jerôme」になる (Scheler, pp.24-25)。ここで重要な規則は、語末が「無音のe 」で終るという点であり、従って、「ブランクス Branchus」は「ブランシュ Branche」になるのであり、高田・伊藤氏等が言うような、「語尾にSが付いた Branches」にはならない筈なのである。因みに、ノストラダムス Nostradamusという名前は、ノートルダム Nostredameというフランス語本名を預言者ミシェル自身がラテン語化して付けたもので、従って、これを逆にたどれば、Nostradamusというラテン名はNostredameというフランス名になる筈で、確かに語尾は「無音のe」で終っている。それは決してNostredamesにはならないのである。

この点、高田・伊藤氏等の訳業の原書の著者ブランダムールはもう少し注意深い説明を行なっている。つまり、ブランダムールはこれ (Branches) を「アポロン神託センターといった地理的意味の語」とするが、その論拠はイアンブリコスのテキストにある「ἐν Βραγχίδαις」というギリシア語複数形表現及びフィチーノに依るそのラテン形 in Brancisであると言う(№8,p.48)。しかし事はそう単純ではない。
先ず、ギリシア語複数形であるΒραγχίδαιthose who belong to Branchosの意味として考えられるのは、以下の二つである。
①「男性複数形οἱ Βραγχίδαι, les Brankhides, ブランコスの子孫達、ディデュマのアポロン神殿と神託を預かった神官たち」(Bailly)
②「女性複数形αἱ Βραγχίδαι, ブランコスの神殿と神託」(Pillon)

他方、au milieu de... というフランス語複合前置詞(~の真ん中で[]、~の最中に)に接合される語句は、「集合名詞(群衆の中に、など)、場所(客間の中央に、など)、又は時間(継続的な事柄)(映画の最中に、など)」という三者の内のいずれかである(久松健一編著『仏検対応クラウンフランス語熟語辞典』三省堂, 東京, 2012, p.65)。

そうすると結合上は、先ず、に関しては、「神官達の真ん中で」が可能。

に関しては、「当該神殿及びそこに於ける神託活動の最中に」が可能。

次に、直前に置かれた「la verge en main mise, the stick in hand put、手の中の棒が置かれて、置かれた手の中の棒」という語句ととの接合性を吟味すると、「神官達の真ん中に置かれた手の中の棒、手の中の棒が神官達の真ん中に置かれて」といった意味になる。この場合、「棒を手にした者が大勢の神官達の真ん中に置かれて」いるという光景が見える。

次に、「la verge en main mise, the stick in hand put、手の中の棒が置かれて、置かれた手の中の棒」という語句ととの接合性を吟味すると、「神託活動の最中に置かれた手の中の棒、手の中の棒が神託活動の最中に置かれて」といった意味になるが、これは「誰かの手の中の棒が神託活動に参加するに至った」というように理解される。そして、結局、上記の可能な二義を、「孤独者たる預言者ノストラダムス」に当てはめれば、「棒を手にした者(ノストラダムス)が大勢の神官達の真ん中に置かれて」いる (6°) ようなことはあり得ないから、「誰か(ノストラダムス)の手の中の棒が神託活動に参加するに至った」という読み (7°) だけが妥当として残る。これだと、ブランダムール等が主張するように、ノストラダムスはこの詩文を書くに当って、下記の著者の作品 (a,b) を下敷きにしたかのようである。
(a)
イアンブリコス『エジプトの秘儀について』:「ブランキデス [ブランコスの子孫達] の巫女についても、彼女が初めは神から譲渡された棒を持ちながら神の光に満ちているにせよ、.....」(高田・伊藤訳、上掲書, p.12)。
(b)
アグリッパ・フォン・ネッテスハイム『隠秘哲学について』:「しかしブランクスの神殿にも、木の板に座ったり、さる神から譲り受けた棒を手に持っている、予言する巫女がいる。」(同上書, p.13)。

次に、なお、もう一つの可能な解釈を挙げると、Branchesという名前の小村がフランスのシャンパーニュ地方ヨンヌ県に存在する(Bescherelle)。そして、上記ブランコスの子孫達の神殿を中心としたミレトス前門の町はBranchideと呼ばれた。しかしこの町は紀元前5世紀に古代ペルシア王クセルクセスによって略奪・破壊され、彼等はアジア奥地(Sogdiane 現アフガニスタン)に逃れそこに同名の町を創建した。しかしその町も、紀元前4世紀アレクサンダー大王が占領した時、住民が進んで神宝・財物を大王に寄進したため、裏切りと瀆聖をことのほか憎む大王の怒りを買う始末となり、大王の命令で破壊されてしまったという(Bescherelle)。兎も角、Branchesという原文の名前を、この伝説的なBranchideを暗示するものとすれば、「その真ん中で」とは、「Branchideの町の真ん中の神殿で」と言えるだろうから、意味としては先のとほぼ同じになる。

しかし、いずれにしても、これはあくまでも「歴史的比喩」と見るべきで、1詩の「青銅の小椅子」が「デルポイの神託で使われていた青銅の床几」(高田・伊藤訳、上掲書, p.9)を喚起しつつ、ノストラダムス実用の小道具を表すのと全く同様に、同じく「古代ディデュマの預言の状況」を語ってはいるが、預言方式の実態そのものは、ノストラダムスのそれとは似て非なるものがある。実際、この解釈だと二行目の詩句には繋がらないし、無理に繋げようとすれば「moulle 彼は象る」という真実の原文を「mouille 彼は濡らす」という形に改竄せざるを得なくなってしまう。だが、ここに全く新たな解釈の手掛りが次の一事によって与えられる。つまり、古代ギリシア文字は「小文字」を持たず「大文字」だけを使用していた、「小文字」は後にビュザンチオンの学者達が発明したものだ(cf.古川晴風『ギリシヤ語四週間』大学書林、東京, 1988, p.4)、という史実を想起してみよう。すると、そこでは、全ての語が大文字表記で、従って固有名詞も普通名辞も区別なく大文字で書かれたのだから、この«BRANCHES»という大文字だけの語も、そういう古代ギリシアの流儀の修辞的且つ韜晦的投影にしか過ぎないのなら、既に17世紀のノストラダムス研究家ジョベールが行なったように(下記参照)、全く「branches 多数の小枝」というフランス語普通名詞複数形の謎的表記として捉える事が出来るだろう。そうした場合、後続詩句に連絡し完全に意味が通る、という結果は黙殺できないのである。

更に、l'ondeは普通、「波」という意味だが、やや古い用法又は文語として「(海・湖・川の)水」(Suzuki) という意味があり、そこから「インク encre」と無理なく敷衍して解釈出来る。その場合、«de l’onde» というフレーズになっているのは、大方の研究者は「水によって」などと、前置詞 «de» を「手段・方法」の機能語と見るのだが、正しくはフランス語文法に特有の「部分冠詞」と見るべきであろう。何故なら、「インクのような液体はそれ自体が加算的でない」から。普通にディジタルに数えられない物質の場合に「部分冠詞」が付加される訳である。従って、«de l’onde» という語句は「水に依って、水を以て」というような「副詞句」ではなくて、「部分冠詞付き名詞」であるから、主動詞moulle の「直接目的語」であり、「インクを彼が鋳型に入れたように楷書の文字に形作る」という意味を構成しているのである。

これと並行して « & le limbe & le pied.» という句は、先頭に「and (&) という等位接続詞」が来ているから、単に「moulleという動詞の直接目的語」ではなくて(何となれば、その直前には準ずるべき直接目的語なるものが無いからだし、且つ、既にmoulleにはde l’ondeという直接目的語があてがわれているから)、« De l’onde il moulle » とい文を、le limbe le pied を主語にして繰り返した文、即ち、« de l’onde le limbe moulle » « de l’onde le pied moulle » とを追加したものになるという考え方が、文法的に最も合理的な解答である。実際、預言者が持つ羽根ペンは一体的に動くから、ペン先の運動と羽弁の運動とは楷書する預言者の手の運動と方向や角度は異なれ、一定の関係で連動している。

所で、「楷書する」という表現には、預言者の手の動きが「他律的」であるという意味があると察せられる。何故なら、ノストラダムスの自発的な「手蹟」は「極端な悪筆」として有名だからである。他の人々は殆ど「判読困難 illisible」と言われるほど「字が下手」であった(cf. Chevignard, 1999, p.52-53)。従って、この表現は、伝令火炎がノストラダムスに書かせた、ということで、「自動書記」を意味するのである。かくして、「声」も「筆記」も同様に神霊の意志の下にあったということであり、更には、詩の中に語られていないが、「視覚的映像の提供」もあったということが「セザール宛序文」では明らかにされている。

「創造主たる神が、彼の差配する火の伝令を伝令火炎として送り来たりて、外部諸感覚に対して、更には我々の眼に対してさえ、未来事象を指し示す未来予言の諸原因を呈示して下さるのです。」(№1, p.43) ここで「眼」以外の「外部諸感覚」とは、「自動書記」に関わる運動-感覚的機能、及び「声」と「振動」に関する聴覚と触覚であろう。つまり、ノストラダムスは、本来的に「見者 voyant, clairvoyant 千里眼」であった。他に、彼は「凹面鏡 (un miroüer ardant, a concave mirror) を覗き見るが如く」(№10, p.158)という言い方もしている。これは極めて拡大された、従って細部にまで及ぶ未来事象の映像が彼の眼には見えるということだろう。

さて、冒頭詩に関して、「神霊からの口述をペンで筆記した」という解釈を最初に行なったのは、17世紀のノストラダムス研究家ジョベールである:「善き守護霊のこの予見的熱情によって活気付けられて、彼は第一に、羽根ペンを手に取る(la verge en main, prenant la plume, taking a quill) ; そして彼はそれを自分の指の間に置く(il la met au milieu des branches, la mettant entre ses doigts, putting it among his fingers)。第二に、彼はこの棒を液体の中に漬ける、即ちその羽根ペンを容器のインクの中で濡らす。彼は自分を照らす神々しい輝きを観照した。そして彼は、神霊が側に居らっしゃる気がした。つまり、神的聖霊が彼の耳許に居て、或いは彼の直ぐ近くに居て、彼が書き取るべき事柄を彼に対して口述したのだ。」(Jaubert, 1656, pp.108-112)

ジョベールの解釈では、「自動書記」という見解までは到達していないが、当代の研究者ロベール・ブナズラ (Robert Benazra) は、明確に「自動書記説」を提起した:「言ってみれば、我等が神秘家は、催眠状態の中で、自動書記(l’écriture automatique, automatic writing) を実行したのである。」(№1, p.22) 但し、ノストラダムスが、その時、「催眠状態にあった」というのは極めて疑問である。ノストラダムスは一言もそういう事を言っていないし、せいぜい「神霊作用を受容する準備的な精神の弛緩」という事を告知しているに過ぎない。実際、「口述筆記」だけでは、大文字と小文字の区別さえ出来ないから、branchesと書くべきか、それとも、BRANCHESと書くべきか、筆記者は判断出来ない。その上、『預言集』の中に多数出て来る「変則的な綴り」「アナグラム」「謎字」等も、耳から聞いただけでは正確に捉える事は不可能だ。故に、ノストラダムスの筆記自体も「自動書記」法に依った、と考えるのは理にかなっている。

そもそも、ノストラダムスは、自分の行なう預言には三通りの方法があると語っている。
1)
発声的書記法;「図らずも発声によって不意に襲われることを伴う発声的書記(pronouncing writing(№1, p.35)(大団円としての幸福の科学9(続& 2/2)ノストラダムスの「発声的書記」(続)A3. 参照)。
2)
知性による判断占星術l'astrologie judicielle intellectuelle: 「諸天体の最大の高みを、覚醒しつつ観照する活動的知性による方法」(№1, p.35)。即ち、日、月、水星、金星、火星、木星、土星という伝統的な七惑星の黄道12宮上の位置を暦法と照合しつつ定める天文学的計算。
3)
感覚映像による本来的な見者voyant)の方法:「造物主たる神が、判断占星術に許された未来の若干の秘密を、想像的諸印象によっても啓示しようと望まれる人間等が存在する」(№1, p.34)。「創造主たる神が、彼の差配する火の伝令を伝令火炎として送り来たりて、外部諸感覚に対して、更には我々の眼に対してさえ、未来事象を指し示す未来予言の諸原因を呈示して下さるのです。」(№1, p.43)

ブランダムール (№8, pp.45-51) やル・ペルティエ (Le Pelletier, I, pp.66-70) 等が、『預言集』劈頭の二詩を、古代ギリシアの降神術にダイレクトに関係づけようとする時、彼等はその術が「基本的に忘我状態の中で為される」点と、ノストラダムスの場合は「完全に自我意識を保持している」点とで、決定的な相違があるという重大事を見落としているのである。「高級諸神霊との交信・交流を全的に可能とする精神特性を身に付けた大川隆法氏」によれば、「霊媒には神はかからない。神がかかるのは預言者である。」(大川隆法『幸福の原理 救世主立つ』幸福の科学出版, 1990,p.38

つまり、ブランダムールやル・ペルティエ等が援用しているのは「古代の霊媒現象」であるのに対して、ノストラダムスの場合は完全に「預言活動」となっており、生前に彼自身が、通常の教祖的預言者のように、「神の理説を述べる伝道活動をしなかった」のは、彼の「預言書」が400年以上にわたる未来事象の正確な予示を行いながらも、その真意は基本的に「出来事が生起した後にしか判明しない」という厚いヴェールに隠蔽されたものだったからである。もし彼が広く一般民衆にも分るように「預言書の平易な解説」を行なったならば(実際それは彼にとっては容易に出来ることであって、全ての預言詩に時、所、該当者等を付与した《彼の私的使用に限られる散文体の預言集別冊》が作成済みであったと云う[№1, p.44])、彼自身が危惧したように、世の権力者や教会当局から直ちに非難と弾圧が預言者の上に降りかかって来たであろう。実際、ノストラダムスの「預言書」は、従来の預言者達の預言とは性格を異にする。例えば、取り分け旧約の預言者達において顕著なのは、眼前の奇跡的事象の将来という特異性を除けば、未来事象の予言は「極めて不正確ないし抽象的」であって、専ら事を大きく述べて「倫理的警世」の為にしか役立たなかった、という印象を受ける。それに対して、その対極に立つのがノストラダムスの「預言=予言」で、これまで見て来た限りでも言えると思うが、これほどの正確性を以て未来を予知・予告したのは異例というほかはない。それは、「神が実在し、常に歴史を観ている。」というただその一点を人智に対して知らしめようとするかのようである。

なお、宗教心理学者ウイリアム・ジェームズは、その名著『宗教経験の諸相』の中で、「自動書記」を含む「他律的運動感覚」に関する印象的な心理・哲学的分析を呈示している (James, 1994, p.520-527)
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§954 -§955, I-1 & I-2: ノストラダムスの「発声的書記」(続)

 

大団円としての幸福の科学9(続& 2/2ノストラダムスの「発声的書記」(続)

A3.
恐れと声とが一つになって両袖口の辺りで顫動する。My fear and the voice in unanimity tremble about my cuffs. (Un peur & voix frémissent par les manches.)

先ず、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy = i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。そもそも第1詩の「微小火炎が語らしめる」という句が、第2詩における「声」の登場を必然的なものにしている。また、「恐れ」という語は、「神々しい輝き」「直ぐ側におわします神霊」に対する素直な人間的反応の一つである。

だが、ここでの文法的に重要な問題は、「恐れ」と「声」の両者が、「一つ」のもののようにして「顫動する」という表現の妥当性に存する。

Un peur & voix (One fear & voice) というのは、peur voix もフランス語では共に女性名詞ではあるが、「その二つが区別もつかず一体的に」振動する様子をunという形容詞(「一体をなす」という意味がある(Suzuki))で表している(その場合、その形容詞は副詞的に機能する)。しかし動詞が frémissent という複数形であるのは、実際は二つのものが別々のものであることを示している。つまり、ノストラダムスの両手の袖口あたりが顫動するのは、一つには彼自身のおそれおののく心の表れであり、と同時にそれは彼の身近かに神々しくも輝きとして臨在している神霊の意思に基づく「羽弁」が生じる声の響きの振動でもある。

では、 « 形容詞が副詞的に機能する » という点を、フランス語の歴史に照らして検証してみよう。

「或る種のフランス語形容詞は数世紀来、副詞として用いられている、clair (clear), droit (straight), ferme (firm), fort (strong) などがそうである。例えば、『chanter clair朗々と歌うto sing clear』『marcher droit直進するto march straight』『parler ferme断固たる口調で話すto speak firm』『crier fort激しく叫ぶto cry strong』」。マレルブ[1555-1628]はこれらの言い回しを採用している。 彼はそれらを使うのみならず、使うべきだとしている。 デポルトが『qui m'a coûté si chèrementそれは私には大変高価的についた。 It has costed me so dearly』と書くのを彼は認めない。 彼が云うには、『cela me coûte bien cherそれは私には大変高くつく。It costs me very dear』と云うべきであって、『bien chèrement大変高価的に so dearly』と云ってはならないのだ。但し、彼の真意としては、このように使われる形容詞は一個の本当の副詞と看做さねばならないものであって、それはどんな場合でも不変化詞invariableであるのだと。 この種の表現法はラテン語では全く常用のもので、フランス語に於ても未知のものではなく、既に15世紀の終り及び16世紀の初めの著者達に見出されるが、彼等は古代の著者達を模倣したのである。 ロンサールと彼の仲間達には沢山の用例があり、またデュ・ベレーはそれを強く推している:『副詞の代りに実詞 [形容実詞、今日の形容詞のこと] を使いなさい、例えば、『ils combattent obstinéement, 彼等は粘着的に戦う、they combat obstinately』の代りに、『ils combattent obstinez, 彼等は粘り強く戦う、they combat obstinate』と云い、『il vole legerement, 彼は軽快的に飛ぶ、he flies lightly』の代りに、『il vole leger, 彼は軽く飛ぶ、he flies light』と云いなさい。 マレルブの時代には、この種の表現法は古式言語のテキストに於てのみならず、レニエやベルトーのような全くの同時代人に於ても頻繁に使われている。」(F. Brunot, La doctrine de Malherbe d'après son commentaire sur Desportes, Armand Colin, Paris, 1969, p.359-361)

フランス語の歴史自体の中に市民権を持つこの種の表現法から云えば、«Un peur & voix frémissent» という文は、«Une peur & une voix frémissent un» という形に書き換えることが許されるだろう。そして、その « un » という語は、「副詞として用いられた性質形容詞」ということになろう。その辞書的定義は以下の通りである:「UnUne。(性質形容詞)。 諸部分を持たず、且つ、分割され得ないもの;諸部分を持つことが出来るけれども、矢張り一個の有機的全体を形成しているもの。 統一性のある、調和的な、一個の総体を構成しているもの。」(Petit Robert) つまり、「一つの振動する恐れ」と「一つの振動する声」とが、「あたかも一体的であるかのように一緒に振動している」状況を表現するのが、性質形容詞の副詞的用法としてのUNの文法的機能である。これは「副詞として不変化である」ので、主語 (peur, voix) がいずれも女性ジェンダーであるにも拘らず、un という原形が妥当するのである。

依って、我々の解釈は次のようになる:「一つの恐れと一つの声が、統合された一個のものとして、それら両者が同期した振動を持つが故に、揃って振動する。それは両者が共に同一の源泉を持つからである。その恐れは、傍らにおわします荘厳なる輝きの神霊に対する預言者の強い畏怖に由り振動し、その声は顫動を帯びたことばとして、大いなる永遠の神からの伝令に依って、羽弁に生じさせられるのです。」

フランス語規則のレパートリーの中にこの用法を見つけることが出来なかったブランダムール等は、このun という用語を処理するのに困惑して、19世紀の解釈者ビュジェ(Buget) に倣って、un peurvapeur(蒸気)という形に改竄して、「ブランクスの神殿の予言する巫女が吸い込む蒸気」(№8,p.47-50; ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店, 1999, P.11-13)と同じものだと理解しようとしたが、徒労に終わった、と云うべきだろう。

次に、「voix, voice)」という問題について集中的に検討する必要があるだろう。というのも、従来、大方の研究者等は、その重要性、斬新性を見逃している憾みがあるからである。実際、ノストラダムス自身、「図らずも発声によって不意に襲われることを伴う発声的書記(pronouncing writing(№1, p.35)という一見奇妙な表現で、彼の預言詩作成の態様を説明している。

先に触れたように、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy = i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。

そして、この声は、書記の動きと一体的に生起する:「図々しい饒舌に構われる惧れなしに、発声的書記は、諸々の発声によって把捉されるのです。(aux prononciations étant surpris écrits prononçant sans crainte moins atteint d'invérécondieuse loquacité.)(id., p.35) 換言敷衍すれば「私の書記の作業は、諸々の発声によって捉えられているので、それ以上の事を無暗に書き足す必要がなく、まさに発声的書記(声の通りに書く)と云うべきものです。」ということになろう。ここで、フランス語原文の « être surpris à ...» は、« se laisser surprendre par ... » と同義で、「... につけこまれる」(cf. Suzuki) という意味だという。だとすれば、ここでは、「捉えられる」といった意味で十分解釈可能だろう。ということは、この書記とこの発声は、お互いに忠実に相手をなぞるような関係にある (l'écriture et la prononciation se moulent complètement l'une sur l'autre) と推測することが出来る。即ち、書記は、あたかも「口述筆記」のように声に合わせて書くのであり、声は声で、あたかも「読み取り読み上げ機械」のように、書記に合わせて発声するのである。

「全く変てこな預言作業だ」とノストラダムスをあてこすった所で、それを又聞いた彼は直ちに反論するだろう。「何を言うんだい?全ては、善きものすべての源泉である、永遠なる大御神様のみいつ(御稜威)から出てきたものなんだよ。」
« Mais quoy ? Tout procédait de la puissance divine du grand Dieu éternel, de qui toute bonté procède (id.)

ここに出て来たキーワード「諸々の発声」( prononciations )、「発音する」( prononceant ) について、ピエール・ブランダムールは「ノストラダムス的神秘的個性の抹消」へと趣向するいつもの彼の路線上で、「その第一の意味は、前に告げる (annoncer avant) (ラテン語のpronuntiare) という意味である」と解釈した (Brind’Amour, 1996, p.14)。但し、「前に pro-」という接頭辞には、「時間的前に」と「空間的前に」という異なる二つの基本義がありうる。彼はそれ以上明言していないけれども、釈文の中では具体的に、「prononciations (発声)」を「 prophétiser (to prophesy 予言すること)」、「prononceant (発音する)」を「 prophétisant (prophesying 予言する)」と訳しているので、明らかに「時間的に前に」という意味でそう唱えているのだと思われる。

しかしながら、prononciation (pronunciation), prononcer (to pronounce) という語における接頭辞pro- の場合は、それを「時間的に前に」と解する余地は皆無であって、主要な辞書に依れば、全て、「空間的に前に」という一つの意味に限定されると断言できる。つまりそれは、「公的に、公に、公衆の前で、公開的に、広場に露出した形で、国民の前に正式に(告知する)」といった意味での「空間的前に」ということである。以下、主要な辞書の定義を枚挙しておきたい。

まず、ブランダムールが遡及しているラテン語pronuntiareから調べてみると: « prō-nūntiō exposer, raconter, relater; annoncer publiquement, proclamer; promettre publiquement; [en parlant d’un juge] rendre son verdict, décider, prononcer (un jugement); RHÉT. déclamer, réciter.» (Nimmo).(プローヌーンチオーとは、開示する、語る、話す;公に告げる、宣言する;公約する;[裁判官が] 彼の判決を出す、[判決を] 決める、宣告する;[修辞術用語] 朗読する、朗誦する。)

次に、標準的な仏々辞典:« PRONONCER. Rendre ou lire (un jugement), prendre ou faire connaître (une décision), en vertu d’un pouvoir; Dire (un mot, une phrase); Articuler d’une certaine manière (les sons du langage); Faire entendre, dire ou lire publiquement (un texte).» (Petit Robert).(プロノンセ (発音する) とは、一つの権力の名のもとに、[判決を] 下す、又は読む、[ある決定を] 行う、又は知らしめる;[単語や句節を] 言う、[言語の諸音声を] 一定の仕方で、明瞭に発音する;[文章を] 公衆に聞かせる、唱える、又は読む。)(『リトレ』大辞典を見ても、より詳細な説明はあるが、その全ては、ここに掲げた『プチ・ロベール』辞典に概括された意味範囲を出ることがないし、他方で、「時間的に前に言う」といった意味での語義は全然存在しない。)

因みに、ドイツ語によるフランス語語源辞典では:« prononcer „aussprechen‟.» (Gamillscheg). (プロノンセとは、言葉を言い放つこと [i.e., to speak out, to utter, to vocalize, to enunciate] )

従って、prononcerの接頭辞pro- を、「時間的前に」と取るブランダムールの解釈は、先ず、語史的、文法的に成り立たないことが確認された。では、彼のこの解釈を、ノストラダムスのテキスト通りの文脈に入れて読んでみよう。ノストラダムスのテキストの直訳は以下の通りである:

「精妙な火の精霊に依ってようやく手に入れることが出来る諸々の神秘的予言 (vaticinations) に関して言えば、それは時々は、覚醒している時に高き天空の星々を観察する活発な知性に依って [得られる]事もあり、また更には、発声的書記が、図々しい饒舌に構われる惧れなしに、諸々の発声により把捉されて[得られる]事もあるのです。」

これを、発声(する)= 予言(する)というブランダムールの解釈を基に読むと、彼自身が次のように訳をしている:

「夜間目覚めていて星辰を熱心に観察している知性をしばしば活性化することもある精妙な火の精霊が、我々にインスパイアーする諸々の予言に関しては、私は、このように予言するように付け込まれて、書記するのです、不遜なおしゃべりに嵌めらることは全然なく、何らの心配もなく予言しながら。」(id., p.14)

この訳文について、「声」に関わる最も基本の要素のみを摘出すれば、諸々の予言に関しては、私は予言するように付け込まれ書記するのです、予言しながら。」という事になるし、これを更に突き詰めれば、「諸々の予言に関しては、私は予言しながら書記する。」ということになろう。これは、その意味核心において、要するに、「 [] 予言は [私の] 予言なり。」というトートロジー(同語反復)に外ならない。

 

所で、「セザールへの序文」の冒頭部分には、矢張り「予言する」という意味の « prenoncer » ( prénoncer プレノンセ、to announce in advance) という語が使われている。これは「発音する、プロノンセ prononcer」とはたった一字違いで、非常に似た単語であるが、しかし意味は非常にはっきりしていて、正に「予言する Présager (to presage)」という意味である (cf. Huguet)。そして、ブランダムール自身もそのように理解していて、 « prédire » (to predict) という語で説明している(Brind’Amour, 1996, p.6)。従って、ブランダムールがやったように何もかも一緒くたにして「予言する」という枠に嵌めるのではなく、「発音する、発声する」という固有の意味を持つ語については、その特徴を活かした解釈が求められるのである。なお、ノストラダムス『預言集』の初版本(1555年版)にのみ見られるこの prenoncer という語について、19世紀のノストラダムス研究家ウジェーヌ・バレストは次のように註解している:「1555年の版より後に作られた全ての版で我々の知る限りのものは、この個所の読みが prononcées (pronounced、発音された) となっている。だが明らかなことだが、それは、オリジナル版にある通りに、prenoncées, 即ち、annoncées d’avance (announced beforehand、前もって告げられた) でなければならない。」(№7, p.268-269)

他方、第一サンチュリ第1詩のproferer (proférer) という語は、ここで問題のprononcerいう語と類義で、「発話する、言葉に出す」という意味であるが、ブランダムールはそれを「予言する」とは直接は説明していない。ただその解釈全体の中で、「oracles神託、託宣を下す」という意味に取っている (id., p.49-50)。従ってそれは結局、「予言は神託なり。」ということになり、彼の同語反復的解釈(その内実は、ノストラダムスの独自の予言方法を、その個性的特徴を捨象して、古代の巫女等の予言に関する伝統的記述の定式に還元するという事であるが)は、その限り一貫している。

B1. 神秘の研究は夜間に基礎づけられるが故に、The foundation of the secret study being laid by night (ESTANT assis de nuit secret estude,). +

B2.
孤独者が青銅の小椅子に寄れば、The solitary being reposed upon the stool of bronze (Seul repousé sus la selle d'ærain).

 B1.の主語は何かというと、secret estude (神秘な研究)という名詞句以外には該当するものがなく、estant assis(基礎付けられて)がそれに対応する述部である。ところが大抵の研究者はestant assisを見ると直ちに「人が座っている様子」を思い浮かべ、従ってB2.repousé sus la selle d'ærain(青銅の小椅子の上に掛け)と同じと取る。
 しかしこれでは、一つの四行詩の一行目と二行目が同じ事を重複して述べることになり、貴重な四行という枠を無駄に使うことになるばかりで望ましくないのみならず、secret estude という単純な名詞語句が文法的に入る余地がなくなってしまう。何故ならその場合、estant assisを述部とする主語は、二行目のrepousé sus la selle d'ærain 青銅の小椅子の上に掛け)という述部の主語seul(孤独者)と同じもの、要するに結局ノストラダムスその人とされるからである。
 では、その場合、secret estude が論者達の云うように「隔絶した書斎」という場所的意味だとして、「その書斎の中に」、「その書斎に於いて」(dans secret estude, en secret estude)という場所の副詞句的意味が、前置詞を持たない単なるsecret estude という語句のみでも表現できるという保証はどこから得られるのであろうか、ノストラダムス時代のフランス語のいかなる文法規則もそのようなことを許容してはいないのに。
 所が、驚くべきことに、大抵の研究者はestant assisを見ると直ちに「人が座っている様子」を思い浮かべると同時に、それは「隔絶した書斎の中に於いて」である、と解釈しているから、前置詞を持たない単なるsecret estude という語句だけで、dans secret estudeとか、en secret estude とかの前置詞を伴う副詞句の機能を果たしていると事実上主張しているのであるが、誰もその主張の根拠を説明してはいないのであるから、あたかも彼らは、暗にノストラダムスがこのような不具合なフランス語を使用した責任があるものとみなしているかのようであることになる。
 例えば、1960年代の代表的な研究の一つであるエドガー・レオニ『ノストラダムスと彼の予言集』では、Being seated by night in secret study,(下線筆者)となっている(Leoni,1961[1982], p.133.)
 また、1980年代の代表的な研究の一つであるエリカ・チータム『ノストラダムスの決定版予言集』では、Sitting alone at night in secret study, (下線筆者)となっている(Cheetham,1981, p.41)

 
次に、その最も新しい例の一つを挙げるとすると、フランス16世紀学研究者の一人であるカナダ・オタワ大学古典学科教授 (当時) ピエール・ブランダムールは、1996年に、ノストラダムス『預言集』初版本であるリヨン1555年マセ・ボノム版のオーストリア国立ウィーン図書館所蔵原本(この初版本の公的図書館所蔵としてはあと一部が現在フランスのタルン県アルビ図書館に有るだけである)を底本とする校訂版 (№8) を出版し、その彼なりの厳密で良心的な仕事は今後のノストラダムス研究への大きな励みと援助を提供するものとはいえ、個々の部分においては解釈に直結する未決問題を多く抱えたままであることに変わりはないし、彼は土台から「預言能力否定論者」なので、多くの錯誤を犯して平気でいる点が眼に付く。つまりブランダムールもまた、第1章1歌第1行について旧態依然たる読み方を脱していないのである。彼の校訂原文は、ESTANT assis de nuit secret estude,であるから、我々のと同一であるが、その読み方はこうである。

   Lorsque le prophète est assis la nuit à l’écart dans son cabinet d’étude, (№8, p..46).
   「予言者が夜中に、書斎でひとりぽつねんと……座っていると、」
              (
ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店, 1999, P.4)

ここで奇妙なのは、詩中のde nuit (by night, at night)という前置詞付きの副詞句を、彼は読みでは、前置詞を欠いた単なるla nuit (the night) という副詞句で置き換えていながら[時を表すこの種の表現ではこれはフランス語では許されることであるが]、逆に詩中のsecret estude という前置詞の無い語句を、今度は前置詞を伴うdans son cabinet d’étude (in his cabinet of study)という副詞句に読み直しているという事実である。ということは、彼は、前置詞の無いsecret estude という語句をdans son cabinet d’étude(自分の書斎の中で)という意味を持つものとして理解しているということであるが、「時」とは違い、「場所」を表す表現では前置詞を伴わない副詞句的語句は存在しないのである。

 確かに、時の表現の場合にだけ、例外的に、単なる名詞的語句とみなされるものが、前置詞無しに副詞句的機能を果たすとの現在のフランス語 (及び英語) の慣用(e.g. l’année dernière「去年, last year, cette année「今年, this year, l’année prochaine 来年, next year」等)は、溯れば、古フランス語(9世紀~13世紀)の二格体系(主格 cas-sujetと斜格cas-régime)の時代に行われていた斜格(被制格とも言う)に特有の用法がそのまま残存したものである。

 e.g. Set anz tuz pleins ad estet en Espaigne.Sept ans tout pleins il a été en Espagne.
「満七年間、彼はスペインに居た。Seven full years he stayed in Spain.下線筆者(Brunot & Bruneau, p.188)

しかし、「時」に関するこのような「斜格用法」は、「場所」に関しては存在しない。
 
他方、「斜格」用法ではなくて、単なる「省略法」という観点から言えば、確かに、「場所」に関しても、前置詞省略法は存在する。

場所に関する前置詞省略の実例
1. « Après avoir quitté mon hôtel rue* Molière (After having left my hotel Molière Street) (* With the name of the street prepositions are frequently omitted.)» (Collins, p.150);
2. «Les royalistes se donnaient rendez-vous
boulevard des Italiens...»
(The royalists promised their rendezvous Avenue of the Italians) (Pariset, 1920, p.336);
3.
«...logée place Saint-Jean» (...lodged Saint-Jean Square) (Champion, 1937, p.91);
4. « Étienne Dolet qui venait d’être brûlé
place Maubert » ( Étienne Dolet who has been burnt Maubert Square ) (Schlosser, 1985, p.151);
5. « Bertrand avait acheté la partie de la maison paternelle (sise
rue de Barri)» ( Bertrand had purchased the part of the paternal house (located Street of Barri)) (Schlosser, 1985, p.155);
6.
« The years later his ashes were transported Venice and buried in his liberated native city.» (HH, IX, p.601).
7. «
la Princesse de Clèves citée p.88-90 de la Concordance de Guynaud» (the Princess of Clèves cited p.88-90 of the Concordance of Guynaud) (Le Pelletier, I, p.14);
8. « aller
page 173» (Go page 173) (le site Web de Gallica, BNF).
9.
« Dans une longue lettre du Ier mars 1559 (1558 ancien style)» ( In the long letter of the first of March, 1559 (1558 ancient style)) (Brind’Amour, 1993, p.34).

これらの実例から帰納すれば、前置詞のこの種の省略は、「通り、広場、都市()、本のページ等、極めて公共的な場所」又は「暦法のような社会的に広く普及した行動様式」に関して許されるもののようだ。他方、それほど公衆に無条件に開かれていない場所や私的な場所、個別的事柄に対しては、この省略法は適用されないもののようだから、ましてや、「預言者の秘密の書斎」に至っては、全くの問題外ということになろう。

ノストラダムス『預言集』における前置詞省略の実例:
なお念の為、ノストラダムス『預言集』における「前置詞省略例」と思われる顕著な事例を枚挙してその性格を分析してみよう。

a1. « Chef seille d’eaue » ( A vessel-of-water chief ) (IV-58, §106).
a2. «
Lieu obscur nay » ( A humble-place born ) (VIII-76, §291).
a3. « Le vieux plein
barbe » ( The full-beard oldman ) (II-85, §538).
a4. « Triremes pleines
tout aage captif » ( All-the-age-captif-filled triremes ) (X-97, §4).
b1.
« Le grand mené croc en ferrée caige.» (The great brought crock in an iron cage.)
(III-10, §569).
c1. « La vie à
Royne fils on desniera.»
(They shall deny the life to the Queen son.) (IX-77, §369).
c2. « Premier grand fruit
le prince de Pesquiere » (The first great fruit the prince of Pesquiere) (VIII-31, §660).
c3. «
Roy Orleans donra mur legitime.» (The King Orleans shall give a legitimate wall.)
(X-45, §207).
c4. « Par le Rosseau
senez les entreprinses » (By the Rosseau senez the enterprises) (I-7, §326).
c5. « Premier filz vesve malheureux mariage » (The first son a widow an unhappy marriage) (X-39, §73).
c6. « Sept ans sera
Philip. fortune prospere.» (Seven years shall be Philip. the fortune prosperous.
(IX-89, §625).
c7. « 
Quinze souldartz vie derniere & chef de sa chevance
(Fifteen soldiers the last life & a chief of his properties.) (IV-64, §616)
d1. « 
Cueur, vigueur, gloire le regne changera.»
(Heart, vigor, glory the reign shall change.) (III-15, §323).
d2. « son oncle,
qui ses enfans par regner trucidez » (his uncle, who his children to rule bumped off) (VIII-89, §324).
d3.
« Quand Rod. & Gennes leur faudra le biscuit.» (When Rod. & Genoa for them shall be necessary the biscuit.) (II-3, §99).
d4. « Tous assoumez
rouge » (All knocked down red ) (IX-58, §525).
d5. « Environnez comboulz » (Surrounded cymbals) (X-41, §830). 
d6. « Duc yeulx privé » (Duke eyes deprived) (IX-95, §834).

e1. « Les sauterelles terre & mer vent propice.» (The grasshoppers land & sea propitious wind.) (III-82, §551).
e2. « De paix & tresve terre & mer proteste.»
(They protest against a peace and armistice land & sea.) (VI-64, §782).
e3. « Le grand d’Asie terre & mer à grand troupe.» (The great of Asia land & sea with a great troop.)
(VI-80, §864).
e4. « la pestilence lentour de Capadille.» (the pestilence around Capellades) (VIII-50, §134).
e5. « De Gand lentour » (around Ghent)
(X-83, §799).


a:
複合名詞における前置詞省略。
カテゴリー aの用例は、「名詞がそれ自体複合要素として一名詞の中に、或いは他の形容詞に対して、前置詞無しで取り込まれる」という様式であり、これは基本的に「名詞が名詞或いは形容詞に対して修飾機能をもつ」用例であって、簡潔とスピードを誇る現代英語が最も発達させている語形成の方法である(e.g. a record number of ... )。しかしフランス語ではそれほど有力な技ではないが、実例には事欠かない。

b:
前置詞代替字の措定。
カテゴリー b は、詩意韜晦のため、単純な前置詞が他のアルファベットに置き換えられているもので、b1 « mené à roc » (brought to a rock) という形に復元できる。

c:
被制格(斜格)の使用。
カテゴリー c は古フランス語のいわゆる「被制格(斜格)cas-régime (oblique cases)」を、それが14世紀には廃れたにも拘らず、16世紀のノストラダムスが敢えて用いた用例である。被制格の前置詞無しの用例とは、それが「神または人を指す語」である場合、単独で属格として、又は与格として機能するものである。ここでは英語に置き換えて説明する。

 
属格的用法:the two servants his father = the two servants of his father.(彼の父親の二人の侍僕。)[所有]
 
与格的用法:The ship was the king of Carthage. = The ship was to the king of Carthage.(その船はカルタゴの王の物であった。)[帰属]
 
Cf. 島岡茂『古フランス語文法』大学書林, 東京, 1982, p.11; Brunot & Bruneau, p.188f.

従って、c1- c7 の各用例は、英語で表せば次のような意味である。
c1: They shall deny the life to the Queen’s son.
ルイ17
c2: The first great fruit of the prince of Pesquiere.
君候
c3: To the King Orleans shall give a legitimate wall.
王様
c4: By the Rosseau to Senez the enterprises.
スネ司教
c5: The first son’s  widow’s unhappy marriage.
フランソワ二世とメアリー・スチュワート
c6: Seven years shall be Philippe’s fortune prosperous.
フランス人の王ルイ・フィリップ
c7.
Soldiers [shall give] the last life to fifteen & to the chief of his own properties. ()

ところで、問題の「secret estude」は「神」でも「人」でもないから、「被制格」としての用法は許されず、従って「単独の属格形」でもありえ得ないし「単独の与格形」でもあり得ない。依って、それは「前置詞を省略した名詞、又は被制格の名詞」ではなくて、「主語足り得る本来の名詞、主格の名詞」である。

d: 預言意味韜晦のための破格的な前置詞省略。
カテゴリー d は、カテゴリー a とカテゴリー c が「慣用的に容認された前置詞省略法」であるのに対して、カテゴリー b と共に「ノストラダムスに特有の破格的な前置詞省略法」として性格づけることが出来るだろう。カテゴリー b が代替字を持つのに対して、カテゴリー d はそのようなものを持たない全くの前置詞消去である。第一例文: « Cueur, vigueur, gloire le regne changera.» (Heart, vigor, glory the reign shall change.) (III-15, §323) は、主動詞が changera (shall change) という三人称単数未来形であるから、その主語は、複数形名詞 (Cueur, vigueur, gloire) (Heart, vigor, glory) ではなくて、単数形名詞の le regne (the reign) である。従って、差し当たり文意は、「その政権は心情、活力、栄光を変化させるだろう。」と云うことになろう。この表現は、日本語としてはかなり明瞭で、「一国の或る政権が、その国情を大きく変える。」といった趣旨に捉えられるだろう。但し、フランス語原文では「心情、活力、栄光」が定冠詞や指示詞等を持たないから、「誰のものか」は不明であるから、一概に「国情」と解することは出来ない。他方、フランス語本来のchanger (to change) という動詞はこう云った純然たる「他動詞」とは別に、「自動詞」として « changer de + 無冠詞の名詞 » という用法があり、「主語自体の或る属性を変える」という趣旨になる(人が意見を変える、顔色を変える、等々)。そして本例では、Cueur, vigueur, gloire が無冠詞なので、changera changera de の省略形と考えることが可能となる。その場合の意味は、「その政権はその心情と活力と栄光を変えるだろう。」となり、「或る政権の変質」を意味すると解される。実はこの読み方こそが、文脈(「大摂政 le grand regent」という表現があり、ルイ十四世の甥で、その死後、幼王ルイ十五世の摂政政治を担当したオルレアン公を示唆する、等々)から推定される「長期間に亘ったルイ十四世の政権の終末期におけるルイ大王の心情・精力・内外の権威の一定の衰弱」という史的実態に妥当するのである。同様にして、第二例文:« son oncle, qui ses enfans par regner trucidez» (his uncle, who his children to rule bumped off) (VIII-89, §324) は、何も省略がないとすれば、「彼の伯父、この者は彼の子供たちを支配上殺戮してしまって。」といった意味になる。本詩もルイ大王とオルレアン公の関係を扱った預言詩と推定されるので、「彼の伯父」というのは当然「オルレアン公の伯父にあたるルイ大王」である。そうすると、先の読みは、「ルイ大王がオルレアン公の子供たちを殺戮してしまって。」となり、歴史的に全くナンセンスである。むしろ、歴史上は「オルレアン公がルイ大王の王太子たち (dauphins) を次々に暗殺した」という噂話が絶えない。しかしこれは証拠が全然ない作り話であって、ルイ大王の王太子たちが次々に「殺された」のは単に「病魔によって」であった。実際、時に「殺戮する」という動詞は「病気」が主語になってもおかしくない。その線で行くと、ses enfans par regner(支配することによる彼の子達)という表現が意味を持ち、それはまさに dauphins(単なる子供達ではなくて、政権を引き継ぐ予定の子供達=王太子達)を意味するだろう。故に、ses enfans par regner trucidez (his children to rule bumped off) は、現在分詞 étant (being)を補って、ses enfans par regner étant trucidez (his children to rule being bumped off) 「彼の王太子達は(病魔によって)殺戮されてしまって」と読めるだろう。その上で、問題の関係代名詞 qui (who) の扱いが考察可能となるが、それはもはやその形のままでは、居場所を誤っていると云うしか無いほど、文法的位置づけが得られないのである。そこで、省略されたと推定される前置詞 pour (「主体たる人物に関して」という限定を示す機能語 [cf. Petit Robert]) を補えば、« son oncle, pour qui ses enfans par regner trucidez» (his uncle, for whom his children to rule bumped off) 「彼の伯父、その人にとってはその人の政権後継予定者たちが病魔に倒れてしまったのだが」と明快な文になる。また、第三例文: « Quand Rod. & Gennes leur faudra le biscuit.» (II-3, §99)は、何も省略がないとすれば、「ロドス島とジェノアが彼等にビスケットを必要とするだろう時に」といった意味になる。そして実際、日本語ではこれで問題なく意味が通るのだが、フランス語では、faudra の原形falloirは非人称動詞なので、代名詞IL を用いて、« Quand Rod. & Gennes [il] leur faudra le biscuit.»とすべきであり、それと同時にRod. & Gennes という名詞が文法的位置を失うので、例えば pour Rod. & Gennes (ロドス島とジェノアに関しては)という風に適切な前置詞を補う必要が出てくる。第四例文は、そのままでは、rouge の位置づけが出来ないので、par rouge(赤いものによって)とすれば、史実的にも意味が通ることになり、第五例文はそのままでは、「取り囲まれた、シンバル」という乱文であるが、de comboulz(シンバルで)environnez(取り囲まれた)とすれば統語的に成立する。そして第六例文もそのままでは「Duke、両眼、奪われた」という統制のない並列文であるが、Duc privé des yeulx (Duke は両眼を奪われて)とすることにより完成文となる。

e: 成句(イディオム)の簡約的表現としての前置詞省略。
カテゴリー e は、« par terre & mer/par terre & par mer » (by land & sea/by land & by sea) という前置詞付きの成句を、« terre & mer » (land & sea) という前置詞抜きの名詞群だけで代替するもので、この手法の意義は、特にIII-82詩において、成句自体 ( par mer & par terre) とその簡約形 (terre & mer) とが同時に一緒に用いられていることから明瞭に見て取ることが出来る。また、ノストラダムスの『預言集』全体の中で見た場合、完全な成句の用例が16例(I-50, I-63, II-15, II-40, II-74, III-5, III-82, IV-4, IV-19, V-48, V-64, VII-10, VIII-60, IX-64, X-95 et X-100)あるのに対して、その簡約形は上記3例のみであることから、この手法の成立の経緯、即ち可能な限りの詩句数の有効活用の作詩意図が伺い知られるだろう。同様に、« lentour de » (e4 et e5) についても、« à l’entour de » (V-30 et IX-67) という成句の簡約形として説明できる。


ところで、上記のように
「前置詞の破格的省略」を想定する必要性が出てくるのは、原文解釈が史実対応的に途方に暮れるような場合に限られるであろう。所が、今問題の ESTANT assis de nuit secret estude という原文は、そのような困難さを持っていないのである。何故なら、Secret estude estant assis de nuict,という風に並べ変えてみれば一層容易に判明するように、これはいわゆる絶対分詞節(participe absolu)であって、Flambe exigue fait proferer qui n’est à croire vain.(微細の炎が信じて虚しからざる事柄を語らしめる。)という主節に対置されるものである。そして、Seul repousé sus la selle d’ærain,(ただ独り、青銅の小椅子に寄り)もまた同様にその主節に対するもう一つの絶対分詞節である。

結局、絶対分詞節の主語は、主節の主語とは異なるのであるから、ここでの主節の主語がFlambe exigue (微細の炎)であるのに対して、二つの絶対分詞節の主語は、それぞれ、secret estude(神秘の研究)とseul(孤独者)である。
 もし、Estant assis secret estudeが、ブランダムール及び他の多くの解釈者の提起する読みに於けるように、assis dans son cabinet d’étude (彼の書斎に座って) という意味を表そうとした表現だとすれば、ノストラダムスは、必ずや、dans, en 等の適切な前置詞を「書斎」という場所語の前に置いたであろうとの合理的推測は、彼がこの同じassis という語を使用している他の三例を見たら容易に得られるであろう。この語は第1章1歌第1行以外に次の三例に見られる。

1° Demourra
assis sur la pierre quarree,
「四角い石の上に座り続けるであろう」(V-75, §240).
2° La grand dame
assise sur l’orchestra,
「特等席に座った貴婦人」(X-25, §505).
3° la cité libre,
constituee & assise dans une autre exigue mezopotamie,
「もう一つ別の小さなメソポタミアの地に建設され、置かれた、自由な町」(アンリ世への書簡,№10, p.162).

これら三例にはすべて、assis(e) との関係で場所を示す前置詞(SUR,DANS) が使用されていて、それは省略しても構わないという様な、いい加減な取扱いを示唆する弛緩をノストラダムスは我々に全く感じさせていない。所で、先に、「場所に関する前置詞省略例」の中に、« la maison paternelle (sise rue de Barri)» ( the paternal house (located Street of Barri)) (バリ通り所在の) 父の家」(Schlosser, 1985, p.155) という事例を見た。ここで、「sis(e), situated」は「assis(e), seated」と意味は全く同じである。しかし「バリ通り」という公共の場所に関する故に、慣習的に、前置詞が省かれている。それに対して、上記3例の関わる場所は、それだけでは「人口に膾炙した場所や地名」ではないから、前置詞が完備されている。

更に、同様にして、estudeという語に関して、ノストラダムスの他の箇所での用例を参照することが有益であろう。
 「この語は16世紀にはしばしば男性であり、人が研究をする場所、仕事部屋である。」というブランダムールの説明 (№8, p.46) に従うならば、このフランス語は、あたかも「書斎、研究部屋」という意味以外の意味を持たないかのような印象を受けざるを得ない。

 しかし、実際には「 application d'esprit pour apprendre ou approfondir les sciences,les lettres,les beaux arts;研究、専心、熱心」というもう一つの主たる意味を同時に持っているから (Littré)、この場合に、何故ブランダムールはこちらの意味は採用されないと判断するかのはっきりした説明が是非とも望まれるところである。ノストラダムスより少し時代的後輩で、フランス詩史上、「言語潔癖主義者 puriste」として名高い詩人マレルブ(François de Malherbe,1555-1628)ならば極めて明快に、断固として、「この語の意味はこの場合、研究・専心の意味でなければならない」と主張するはずである。というのも彼によれば、「人が仕事する場所としての étudeは女性である;研究仕事の意味でのétudeは男性である。これと反対の用法を為す者はこの語の心得が全く無い者である。」と極言しているからである (Littré)。これはどうやら、彼の詩論の敵対者デポルト (Philippe Desportes,1546-1606) の作品の語用に向けられた厳しい批評の一コマであるようで、デポルトこそ、我らが預言者ノストラダムスとほぼ同時代のフランス詩人であるから、これは確かに、当時でも既にétude (estude) には主要な二義があったことを間接的に証してくれるエピソードなのである。
 もっとも我々は、マレルブのような基準でその二義の判別を行う訳にはゆかないであろう。それはあくまでも彼の理論的立場の純粋な適用に過ぎず、当時の一般的用法の反映とは見られ得ないのである。従って、我々はノストラダムス自身の用語例を参照しつつ、文脈に適合した文法的読みを注意深く追求しなければならない。ただし、先に引用した古典的なフランス語辞典『リトレ』が既に、「Étudeという語は、長い間男性であった。それはそのラテン語語源が中性だったことに依る。今日では、女性語尾(語末のe)が勝ちを収めてしまった結果、étudeは女性ジェンダーということになっている。」(Littré) と説明しているから、16世紀の著者たるノストラダムスの場合、その « secret estude » という用例は、男性ジェンダーと取って差し支えないだろう。

 
さて、当のestudeという語を、第1章1歌以外に二箇所で、つまり重要な二つの書簡のそれぞれ一箇所に於いてノストラダムスは使用している。

1° les estudes nocturnes,
「夜間の諸研究」息子セザールへの書簡(Chomarat,op.cit.p.32.)
2° le souverain estude que j'ay de obeyr à vostre serenissme Majesté,
「今上陛下に対して捧げ奉るわたくしめの心服の至上の赤心」アンリ世への書簡(Chomarat,op.cit.p.173.)

 
この二例とも、estudeの意味は、「書斎、仕事部屋」ではなくて、「研究、専心、専念」という意味であることは明らかである。les estudes nocturnes は、もし「書斎」の意味だとすると「複数の夜間の書斎書斎」ということになるが、これは文脈上適合しない。これが「研究」の意味なら、「夜間の諸々の研究」として意味明瞭となる。また、le souverain estude que j'ay de obeyr à vostre serenissme Majesté は、「書斎」とすると意味が全然通らなくなる。結局、このようにして、「仕事をする場所」としての「書斎」について特に言及するというようなことは全く当然の陳腐な事柄などつゆ述べる必要も余裕もないノストラダムスにとっては、関心の外のことであったに違いない。決定的に重要なのは、まさに、言及する必要もなく自明の彼のその仕事部屋に於いて行われる「夜間の秘密の研究」の態様を、半ばは隠蔽し、且つ、半ばは開示する最小限の手掛かりを読者に与えるという彼独自の、固有の課題の水も漏らさぬ実行なのである。

 
では、本稿の終りにもう一度、assis という語に集中して、「基礎づけられ」というその意味用法がいかに可能であるかを、検討しておきたい。先ず、現代の最もポピュラーなフランス語辞典の一つ (Le Petit Robert,1967) からその語義説明の要点を引用しよう。
 1) Appuyé sur son séant.
 2) Places assises: où l'on peut s'asseoir.
 3) Magistrature assise, par opposition à Magistrature debout.
 4)Fig.Affermi, assuré, ferme, stable. 

この主要な四義は、日本の現代の代表的仏和辞典の一つ (伊吹武彦ほか編『仏和大辞典』白水社, 1981) では次のようになっている(同順)。
 1) 座って〔腰掛けて、着席して〕いる。
 2)【劇】座席(反意:places debout 立席)。
 3) 判事側と検事側(判事は着席したまま判決を下すが、検察官は立って論告するところから)。
 4) 基礎の固い、確立した(établi, solideréputationfortunebien ise 揺るぎない名声〔財産〕。

 従って、ここで我々が、ノストラダムス『預言集』第1章1歌第1行の assisの意味解釈のために採用しようとするのは、第四義である。即ち、Secret estude estant assis de nuict (語順変換済み)という独立分詞節において、assis とは、Affermi, assuré, ferme, stable という意味 要するに「基礎の固い、確立した(établi, solide)」という意味なのであると我々は判定する。

 

 勿論、これで我々はまだ現代の語義の一つを採用しただけであって、ノストラダムスが生きた16世紀のその当時[15031566]の用法には当たっていない。では、当時はどうであったのであろうか。ここでもやはり我々は高名なフランス語辞典Littréの語義説明欄に加えられてある歴史記述を参照することにしたい。その項目 assisの歴史記述の中の16世紀の項の例示に次のものがある。引用文はいずれも、ノストラダムスとほぼ同時代の名高い著者のものであり、且つ、当該作品は『預言集』(1555年)に若干先立つ年代の刊行となっているから、ノストラダムスのフランス語使用の妥当な環境の一端を知らせてくれるだろう。

1° Ils alleguent qu’on ne peut
assoir un jugement, sinon que la cause soit cognue,
Calvin, Instit.501.)[1541](下線筆者「根拠が知られぬままに 判断を固めること(to establish a judgment ) は出来ないと彼等は申し立てている。」(カルヴァン『キリスト教綱要』501頁)
2° Il estudioyt quelque meschante demye heure, les yeulx assiz dessus son livre,Rabelais,Gargantua, I,21.)[1534年](下線筆者)「彼は、ざっと僅か半時間、勉強し、彼の両目は 彼の書物の上に固定され(fixed on his book) ていたが、……」(ラブレー『第一の書 ガルガンチュア』第21章)

 カルヴァン(Jean Calvin,15091564)及びラブレー(François Rabelais,1494頃~1553頃)に見られるこれらの用法は、Secret estude estant assisというノストラダムスにおけるassis の用法と本質的に同一の意味合いのものである。先ず、カルヴァンにおける assoir un jugement という表現について検討するならば、assis を自己の過去分詞として持つ原形動詞assoir(現 asseoir)の現代的語義は次のようである(Ibuki)
 1) 座らせる、腰掛けさせる、席に着かせる。
 2)【文】据える、築く(poser, placer, établir)。
 3)[比喩的に]堅固な基礎の上に置く、確立する。 son opinion sur des preuvessur des faits 証拠〔事実〕に立脚して自分の意見を形成する。 ~ son jugement 決定的な判断を下す。
 4) un impôt sur les tabacs  たばこに課税する。
 5)【俗】(議論・意外なニュースなどによって人を)手も足も出なくする。Cet argument l'a assis. この論証は彼に口をつぐませた。

この中で、3) の「asseoir son jugement:決定的な判断を下す。」という用例が、そのまま、時代の経過に関せず、カルヴァンにおける assoir un jugement という表現について妥当することは自明であろう。次にまた、ラブレーにおける「les yeulx assiz dessus son livre:彼の両目は書物の上に固定され」という表現は、先に引用した assis(ラブレーの綴りは assiz)の語義のうち、4) Affermi, assuré, ferme, stable を採用すれば完全に妥当する意味が得られることも自明である。従って、これらの用例と共にその同一の語義に与かると判断してよいノストラダムスの『預言集』第1章1歌第1行の Secret estude estant assis de nuict 語順変換済み)という独立分詞節において、assis とは、Affermi, assuré, ferme, stable という意味、要するに、「基礎の固い、確立した、堅固な基礎の上に置かれた、確立された」(establishhed, based, grounded, seated) という意味なのである(なお、ノストラダムス時代に遙か先立つ古フランス語において、assis(名詞)の意味の一つとして、appui solide(堅固な支え)という意味もあった(Godefroy))。

このようにして、Secret estude estant assis de nuict を、「神秘の研究が、夜間、基礎付けられる、確固とした内容を得る。」という風に読み込むことに特別の無理は存在しないことが論証されるのである。これは要するに、「《原四行詩》と呼び得べきものが、神霊の臨在によって、ノストラダムスに伝授される」という不可思議な業(わざ)が成就される、ということなのである。その分詞構文の機能は、主節に対して、「神秘の研究は、夜間に、基礎付けられるが故に」という理由説明を有すると考えてよいだろう。「預言四行詩の作成という秘密の研究、この神秘の作業は、夜間に基礎的部分が出来上がるので、それ故に、孤独者は青銅の小椅子に掛けて、準備していると、その孤独の境地の中から、微小火炎が湧き出て来て、信じ得べき未来の事柄を語る声を発生させるのです。羽根ペンが手に執られて、孤独者はインクを楷書文字に形取ります。羽弁が形取ります、ペン先が形取ります。孤独者の畏怖と神霊が羽弁に起す声とが両袖口の辺りで一緒になって振動します。神々しい輝きが静謐を満たしています。直ぐそばに神霊がおわします。

なお、原文 «repousé sus» repouserは古形で、現代形は reposerである。その語史は以下の通りである。
 se repauser (10e s.) → reposer (11e s.) → reposans (12e s.) → se repose (13e s.) → se sont reposé (14e s.) → reposoit (15e s.) → reposé, se reposoit, reposer; Tout ce jour madame a fait bonne chere, se repousant sur son petit lict, MARG. Lettre 52. L'asseurance que j'ay de vous me faict entierement repouser sur vostre promesse, ib.58. Je vous supplie vous en repouzer sur moy, ib.38 (16e s.). (Littré)

同様に、poser の語史は以下の通りである。
 
pouser (12e s.) → soit posé (13e s.) → posé (14e s.) → sus elle il eust à se pouser et repouser, RAB. Pant.IV,47. L'harmonie si posée, MONT.II,363. poser, AMYOT, Cicéron,59. en posant, D'AUB.Hist.II,63 (16e s.). (Littré)

このようにして、ノストラダムス『預言集』における reposer としてのrepouser の使用は、彼の著名な同時代の著者であるマルグリット・ドゥ・ナヴァールとラブレーの用例に合致している。

また、«sus la selle d'ærain» 「青銅の小椅子に寄りて」という表現は、「アンリ二世宛書簡」の中の « tripode æneo: au trépied d'airain » 「青銅の三脚椅子にて」という表現に呼応している。それに関し彼は自分の夜間の研究作業を以下のように要約して語っている。

私は陛下に対しまして私の預言の仕事の真相を開陳申し上げます。私の生来の本能的能力に関しましては、それは我が父祖達からの賜物でございまして、予言しようとも思いませんのに予言してしまうという性向でございます。私はこの生得の能力を、私の長時間の天文学的計算と調和させ合致させて、両者の統合を求めるのでございます。第一番に肝要なことは、精神の休息と平静とによって私の霊魂、理性、心情からあらゆる危惧、不安、怒りを除き去るということでございます。ところで、両者のこのような調整と合致を経て到達いたしました統合の全成果の中には、青銅の三脚椅子に由来する部分というものがございます。」(№3,p.155-156)

ノストラダムスの語り口には、常に、何らかの「謎を秘めた言い回し」が認められるが、ここで「両者のこのような調整と合致を経て到達した統合の全成果」というのは、「作成済みの預言四行詩」のことであろうし、その中にある「青銅の三脚椅子に由来する部分」というのは、「神霊に由来する発声的書記の記録」、即ち「自動書記で書かれた原四行詩」のことであろう。明らかに、予言者は、「原四行詩」を最大限忠実に保存しようとしながらも、明瞭な自我意識の知的作業として、「天文学的知見と照合しながら原四行詩を点検し、再検討し、吟味して、最小限度の加筆を行なった」のであろう。実際、彼自身、「だが、週に数回、精神弛緩の症状 [これは、神霊からの働きかけを受け容れる人間精神の受動化を意味する] に襲われ、そして長時間の計算で夜間の研究を甘美なものと化しつつ、私は、夫々が100篇の天文学的預言四行詩を収める複数の預言書を作成した。これらの預言を私は若干分りにくく工夫して仕上げ (raboter, to plane, to polish) ようと欲した。」(№1,p.39) と語っている。ここでノストラダムスは明らかに「細心の仕上げ」という意味でRaboterという語を使用している。じっさいそれは木工作業で木材の表面の仕上げを意味する「鉋かけrabotage」の道具である「鉋rabot」から来た動詞形である。

しかし、ノストラダムスを預言者として認めることが出来ない狭量のブランダムールは、その作品が「鉋をかけたようによく練り上げられたもの」とは見えず、「徒に難解で破格に満ち、不規則にパッチワークされた鈍作でしかない」としか見えないらしく、この語についても次のような推測を披露している:「rabouterというのは、assembler bout à bout 端と端を一緒にする(切り貼りする、パッチワークをする)ということである」(№6, p.24)

確かに、「ノストラダムスは、ストロッツィ枢機卿宛の書簡の中で、au boutの代りにau botと書き, boutonの代りにbotonと書いている; cf. Astrophile, p.451(id.)また、幾つかの版 [1557 (№9, p.12), 1568 (№10, p.33)] には、ブランダムールが採用するrabouter というテキストが見られる。けれども、最も信頼性が高い三種の1555年初版 (№1, p.39; №6, p.11; №7, p.277) のテキストは、等しくraboterとなっているのである。 この点について、幾つかのフランス語辞典では以下のように記述している:

Raboterの語源: 「衝突する」という意味の古フランス語 rabouterと同様、「衝突」という意味は、矢張り「ぶつかる物」という意味の「raboteux 凸凹した」という語の中にも見て取れる。ディエズ (Diez) によって指摘されたこの語源は確かなものに思われる。 Rabouterという語は、reàbouterから構成されている。rabouterに関しては、「端と端をくっ付けるmettre bout à bout」と考える向きも居られるかも知れない。しかし、ブルゴーニュ地方のraibôという語(不均等 inégalitéという意味)が示すように、問題になっているのはrebouter(脱臼をなおす、脱臼して凸凹した関節を元通りにする)又は rebuter(撥ね付ける [ぶつかって押し退ける])と同様に、rabouter(ぶつかる 鉋が凸凹に衝突する 平らにする)という動詞なのである。(Littré)

Bouter この語は今日では若干の古風な用法でしか使われない。多様な意味を持つ:先ず、«打つ、押すfrapper, pousser» (1080年頃(Roland)), そこから、«芽を出すgermer» (XVI世紀)、或いは単に«置くmettre» (XII世紀, 未だXVII世紀にも使用)。今日bouterは、東部、南東部及び南西部の口語に於いて「置く」の意味で使用。」(O. Bloch et W. von Wartburg, Dictionnaire étymologique de la langue française, PUF, Paris, 1950)

事実、rabouterには二つの動詞が区別される。 一つは、Raboter と同義のrabouterで、古いその同義語raboterを駆逐して、それから完全に分離独立した。もう一つは、もっと最近の、同形のrabouterで、比喩的に用いられる中で、最後は「文学的捏造」という意味にさえ到達することとなった。「切り貼りをするassembler bout à bout」(文学的捏造)という意味でのRabouter という語の最初の使用例は1718年に遡る。「RABOUTER. v.tr. (1718; de re-, et abouter). Abouter. – Fig. « Le texte des originaux, interpolés, coupés, raboutés... » 書き入れのある、削除のある、捏造箇所のある原文...( [1910-1913, É.] Henriot )。」(Petit Robert)ABOUTER. v.tr. (1247; de à, et bout). Mettre bout à bout, joindre par le bout (端を端に付ける、端で結ぶ).(Petit Robert).

16世紀の人ノストラダムスはこの新しい意味を知らない、或いは、「鉋で仕上げる」という意味のrabouterという古い語に親しんでいてこちらの新しい意味を無視できる所に居る。実際、鉋というものは、木材の凸凹した表面とぶつかり、それを均すことによって機能する。それだから、反対にブランダムールの方こそが «Un» «peur» を現代的意味でrabouterして(切り貼りして)«蒸気Vapeur»という語を捏造して、ノストラダムスの真正の原文を歪めようとしたのである。
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§940: 墓から出た人々(霊人達)の出現: X-74 (1981-)

大団円としての幸福の科学10 墓から出た人々の出現

第十サンチュリ第74詩 墓から出た人々霊人達の出現 (1981-)X-74 (§940).
七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて

赤トンボの飛翔が次々と現われるであろう。
千番目の大きな年から離れていない頃、
中に入っていた者たちがその墓から出て来るであろう。

§940, X-74: Spiritual beings appear by turns (1981-).
Years of the seventh great number having passed one after another
Shall appear by turns the flights of Akatombo,
Not far from the thousandth great age,
When the enclosed shall come out of their tombs.

(An revolu du grand nombre septiesme
Apparoistra au temps Jeux d’Hacatombe,
Non eslongné du grand eage milliesme,
Que les entres sortiront de leur tombe.

 この詩の二行目と四行目は、夫々が特異な表現で同一の事態を語っていると思われる。それは、多分、大川隆法氏の霊言集の数々を意味しているであろう。そして、一行目と三行目も、矢張り異なる表現において、共に、或る同じ時期について語っている。『日蓮聖人の霊言』(1981) を嚆矢とする大川隆法氏の数々の霊言集は、日蓮のように既に過去の人となっている人々の現存する霊との対話集であるとされるから、「その墓から出て来た者たちの言葉」ということになろう。なお、先に「ノストラダムスは同じ四行詩の中で同一事項を繰り返し語ることはしない」という点を注意喚起したが(大団円としての幸福の科学9(続& 1/2§955-§956, I-1 & I-2 ノストラダムスの「発声的書記」参照)、それは「腰を掛けている」と「椅子に寄っている」というような「全く陳腐な表現の重複の無用性」を指摘したのであって、逆に「重要、且つ、解読困難な事態に関する多面的描写、複層的表現」は、ノストラダムス預言詩に固有の特質と見ることは、解釈者が身に着けるべき解読戦略の構成要素である。

 

ところで、土葬の墓であれば、そこからの復活は聖書に見られるように、身柄自体の蘇生という形が当然とされるであろう。これはいわゆるイエス・キリストの再臨と最後の審判における死者たちの復活において信者から期待されている形態であろうが、この詩での復活はどうもそうではない。それは単なる霊的復活である。そのことは二行目の注意深い解釈により判明する。

 

そこで問題なのは、Jeux d'Hacatombe (Actions of Hacatombe) の意味であり、「赤トンボの飛翔」といったような我々の解釈が可能かということである。Hacatombe Hécatombeの一字置換による変形と思われる。Hécatombe は「雄牛百頭を生けにえに捧げるギリシアの供儀」であり、それを僅かに変えてHacatombe としたのは、いつものノストラダムスの細工である(例えば、§352, VIII-24におけるParpignan§353, VIII-22における Parpignam参照)が、この細工にはどんな意味が隠されているのだろうか?

 

我々がそこに「赤トンボ」という意味を見るのは、勿論、この単語の発音に基づく。Hacatombe のフランス語の発音は「アカトンブ」であるが、tombe (トンブ、墓)と同義語の tombeau(トンボ、墓)を用いてHacatombeau にすると「アカトンボ」と読める(尤も、だからと言ってHécatombe -tombeが墓の意味という訳でない)。また、Hacatombe Hacaは、Hをアスピレ(有息)と考えると「ハカ」(墓)と読めないこともない。つまりここに我々はノストラダムスの語呂合わせに応じて、日本語的平面の語呂合わせを敢えて行う。そうすると、大川隆法氏がそこで産れた日本文化の中でのこの詩文の解釈が可能となる。このようなノストラダムスの「語呂合わせ手法」は、II-91 (§868)安芸の地に米国の原爆炸裂 (1945.8.6)」にも、極めて重要な実例が見られる。即ち、そこに出てくるフランス語のAquilon (アキロン)という単語で、これは本義が「北風」という事で、多くの研究者は「北方」「ロシア」等と解釈する。そうすると詩の他の部分が果たして原爆災害を述べているようでも、どうしてもこの語が整合的に解釈出来ない恨みが従来残ったが、全く観点を変えて、「アキロン」という音声に注目した時、「アキロ= 安芸路」という語呂合わせ的な解釈が浮かび出て来るのである。「安芸 アキ」は正に「広島地方」の古称であり、「安芸路 アキロ、アキジ」とすれば「安芸の地、安芸方面」という意味になる。フランス19世紀 (1835) の有名な地理事典 (MacCarthy) は「AKI, 北西を IVAMI (石見)、東をBINGO (備後)、南をSikoko [Sikoku] (四国) 水道、そして西南をSUVO (周防) の各国に囲まれた日本本島の西方の一国」として安芸を説明している。また、安芸を実際にAQUI, Aqui と表記した17世紀の古地図も存在するから、これなら、より一層、Aquilon というノストラダムスのテキストに近い(P.ブリエ作「日本図」1640年代刊、国際地学協会出版部編『総合世界/日本地図』(株)国際地学協会、東京、1989, 見返し参照)。

実際、トンボは神武天皇が日本の国土の形状を「蜻蛉の臀舐 あきづのとなめ」に似ていると評したことから日本国の古名となったように、我々には縁の深い昆虫であり、「民間では、初秋に突如として群れをなして飛来するところから、祖霊が姿をかえてやってくるとみてこれをとらえることを忌み、とらえると<盆と正月礼にこい>と唱えて放つ風習があった。」(千葉徳爾「トンボ」『平凡社大百科事典』1985年、第10巻、P.1137)。

つまり、日本では、トンボは「この世に戻って来た祖霊の姿」として表象される。日本的に考えると、死者の復活は肉身蘇生といった重厚なものではなくて、さわやかに飛ぶトンボのように軽快で、真に精霊的である。そして雄牛「百頭」の犠牲を意味するHécatombe の変形であるHacatombe にも、そういう多数という意味を含ませてよいから、Hacatombe は「多数の赤トンボ」の意味になる。そしてjeu (action, play, game) は、或るものの固有的活動・機能であって、トンボならさしずめ「飛翔」ということになろうが、ここでは昆虫自体ではなく、トンボに象徴される「霊人たち」が問題となっていて、そのあるべき活動としては、「人間との交流」が考えられよう。

従って、大川隆法氏との交流、及びそれに基づく霊言集の刊行ということは不可解ではない。そして、au tempsというのは、「元に戻って一斉に」体操するといった場合の整然とした動きの拍子のよさであり(cf. Ibuki; Thomas, s.v.temps)、従って「同様の事が次々と繰り返し起る」という情景を表すから、英語の by turns 代わる代わる、順番に)を当てることが出来る。また、apparoistra (shall appear) という動詞は単数形であるから、先の日興、日蓮二人の霊人の到来が単数形動詞surviendraによって個別分配的に表現されていたと同様、ここでもJeuxという複数形主語に対するこの単数形動詞は、個々のJeu が次々と拍子に乗って現れて来るとの分配的表現となっているのであろう。

なおJeux d'Hacatombeという頭文字の大文字表記は、日興、日蓮等の個人名を持つ霊人たちを意味するからと思われる。このようにして、日本において、日本語を用いて開始された大川隆法氏の霊言活動が、このノストラダムスのフランス語預言詩の中で捕えられるためには、幾つかの語句の含みが「日本文化的なもの」を暗示する必要が確かにあったのであり、そのことを作詩者ないし霊感能与者はあやまたず実行したとの深い感慨を禁じ得ない。

 では次に、一行目と三行目の検討に移ろう。「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて」と「千番目の大きな年から離れていない頃」とは、「同じ時期」を指していると思われる。先ず「七番目の大きな数le grand nombre septiesme the seventh great number」というのは、ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)に記述されている「第七番目の千の数le septiesme nombre de mille the seventh number of thousand」のこととしてよい。そこでは「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々」と述べられている(№1, p.42)

これは、西暦紀元前と紀元後を通算してその全体の初年を1とした時、1乃至1000年を第一千年紀、1001乃至2000年を第二千年紀、2001乃至3000年を第三千年紀、3001乃至4000年を第四千年紀、4001乃至5000年を第五千年紀、5001乃至6000年を第六千年紀、6001乃至7000年を第七千年紀、7001乃至8000年を第八千年紀とする紀年体系である。「序文」にあるように、序文の日付としての1555年が第七千年紀に属するならば、第七千年紀の範囲は、理論上、1555年がその最終年の場合とその初年の場合の両極端の中間期間に合致することになる。つまり、1555年がその最終年の場合の第七千年紀の初年は556 年であり、1555年がその初年の場合の第七千年紀の最終年は2554年となる。従って差し当たり 556年乃至2554年の間の或る1000年間が第七千年紀の期間である。それを特定するためには第二の規定に頼らなければならない。

その第二の規定「千番目の大きな年le grand eage milliesme the thousandth great age」(eageâge (age), milliesme millième (thousandth) と読む)というのは、「単なる千番目の年が1000年を表す」のに対して、「千年ごとに現われて来る千番目の年」であって、つまりは1000, 2000, 3000, 4000, 5000, 6000, 7000, 8000, 9000というような年々であろう。するとこのような年を「 556年乃至2554年の間」に求めると、1000年と2000年の二つの場合が浮かび上がって来る。この二つのうち、問題とされるのは、例えば1985年(昭和60年)という「太陽の支配の時代の事実的開始」と同じ時期なのであるから、「2000年」という年のみが唯一の適合例として残ることになる。

そして、「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて Years of the seventh great number having passed one after another」と補足を入れて訳した原文 An revolu du grand nombre septiesme an (year) は無冠詞の単数であるから、その原義は「1001年乃至2000年の期間内の任意の一年が過ぎ去って An du grand nombre septiesme [étant] revolu」であるが、これも矢張り配分的に見て、「そういう同じ事態が次々と繰り返されて行って、遂には最終時期に到って」というニュアンスが文脈上汲み取れるのである。但し、それは文法上はあくまでも可塑的な表現であって、具体的には第三行目との結合によってのみそういうニュアンスが発生し得るのである。従って、信頼できるテキストを採用しながらも、Cheetham (1973, p.417-418)Hogue (1997, p.801) が、An revoluを、「第七番目の大きな数の最終の決定的な一年」と解釈しているのは、正鵠を射損なっている。

他方、An revoluという信頼できる諸版 (3, 10, 5) の原文テキストを、Au revolu (= à + le + révolu) と読み換えるLe Pelletier (Le Pelletier, II, p.311; Fontbrune, 1939, p.279; Leoni, (1961)1982, p.434; Ionescu, 1976, p.424; Brind’Amour, 1993, p.195; Guernon, 2000, p.178; Clébert, 2003, p.1141) の解釈について言えば、そもそも、révoluという形容詞が名詞として使われる例はない (cf. Littré; cf. Huguet) から、許容出来ないのである。それに対して、例えば、après l’an revolu (After the year passed, completed) という用例が、ノストラダムスと同時代のフランス16世紀の著者Jacques Amyot (Les vies des hommes illustres, Grecs et Romains, comparées l’une avec l’autre par Plutarque de Chæronee, Translatees premièrement de Grec en François par maistre Jaques Amyot lors Abbé de Bellozane, III. Vοlume, Vascosan Imprimeur du Roy, Paris, 1567, p.1525) には認められるから、我々の読み方はテキスト的にも語史的にも妥当と言える。

このようにして、「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて」、並びに「千番目の大きな年から離れていない頃」というのは、「西暦2000年を目前にした時期」ということになる。ここから逆に見れば「第七千年紀」としてノストラダムスが設定しているのは「西暦1001年から2000年までの千年間」なのであるということが改めて確認される。故にノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々 (№1,p.42) と述べているのは、1555年が第七千年紀の半ばを過ぎているから、正確な表現であることがわかる。

更に、先に(「日付のある預言詩1(1999年): その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう(X-72)参照)預言詩第1章48 (§941, I-48参照) で「月の支配の20年」とあったのは、「20世紀」という表現が普通に存在する点から見ても、それは単なる20年というよりも、やはり2000年の暗号的表現である事が明確になったと言えるのである。よって、「月の支配の20年」とは「月の支配の2000年間」のことであり、つまりキリスト紀元元年から西暦2000年までの2000年間のことである。換言すればそれは、第六千年紀プラス第七千年紀のことである。

しかし、これはいわゆる紀元前の時代たる第一千年紀が確定された上での積み上げによって得られた年代ではなく、あくまでも紀元後の時代の方の確実性が先行しているのである。つまり、ノストラダムスの大局的紀年法の体系構成においては「キリスト紀元(A.D.ANNO DOMINI 主の年々)」が採用されていることがわかる。実際、「アンリ2世宛書簡」(1557年)の中の二箇所で、ノストラダムスは、紀元前の年代特定を聖書の諸記事から求める試みをわざわざ行いながらも、結局確実なことは言えないとしており、ただ「イエス・キリストの贖罪」を起点とする紀元後の年代[英句in the year of our redemption 参照。]だけが確実であると述べている。何故ならそれは、完全な一致を見ない世に知られた学者達の説に依るのではなく、我が諸々の預言の源泉と同じ「天文学的計算と伝家の預言本能」に基づく考え方であるからだ、と(№10, p.157, p.167)。因みにノストラダムスは、ここに、彼の用いた方法の適用の一例示として、諸天体の同時期の極めて複雑な運行のリストを掲げ (№10, p.167-168)、暗に「1606年」という年を提示しているが、「1606年」という年は、同じ「アンリ二世宛書簡」の先行箇所 (№10, p.155) に既出の年である(これに関しては、「フランス革命1、2、3」参照)。

 もっとも、それだからと云って、この紀年法では、矢張りどうしても、紀元前の全年次が「5000年」である、という仮定が必要である、ということに変りはない。そして、ノストラダムス自身もその年数を、議論の上では種々の案を提起しているが、その中に、「5000年説」も含まれているから、これが彼の本当の考えと見なし得るだろう(Brind’Amour, 1993, p.176-177参照)。

 なお、§944 - §945 では、『預言集』中で近年最も有名となっている四行詩第十サンチュリ第72歌 (§944, X-72) を取り上げる。これは内容的に、実に深く「イエス・キリストの贖罪」並びに「その再臨」という思想に関わっており、従ってまたその中に出てくる「1999年」という特定の年号も、本節で述べたような紀年法の脈絡の中に位置づけて解釈されるであろうことも当然である。また、これは直ぐ後に続く同第75歌 (§945, X-75) と本来的にペアを組んでおり、その全体の構造を解読すれば、丁度先に第一サンチュリ第1歌と同第2歌のペアを解決し得たと同様に、完全解決が達成されると予想されるので、二つの詩を一緒に考察することにしたい。[初出:北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号, 1999, pp.23-45。一部改稿。]

 

第七千年紀 (le septiesme millenaire, the seventh millenary) について(補足)
「アンリ二世宛書簡」には、既出の「七番目の大きな数」「千番目の大きな年」「第七番目の千の数」に関連する「第七千年紀 (le septiesme millenaire, the seventh millenary)」という直接的表現が、以下の様に、二度出て来る。

「預言四行詩の大部分は極めて厄介な作品でして、解決の道は誰も示せない程ですし、誰も解釈が出来ない程ですけれども、それにも拘らず私はこの書物によって、大方の出来事が生起する年月や、都市や、地域を残しておきたいと希望しています。そこには、1585年及び1605年という年も刻印されておりまして、[この書簡をしたためております]1557年3月14日の今現在から始まって、遙かその先の先まで経過して、私の天文学的計算とその他の知識が及び得る限り深く算定された第七千年紀の初めに対して、後の方 [第七千年紀の終り頃] に生じるであろう大事件までこの時はイエス・キリストとその教会との敵共が非常な勢いで繁殖を開始するでしょうが - 私の力の及ぶ限り、全てが選り抜きの日時において構成され計算されて、そして見事に、且つ最も正当に配置されている、そういう書物を残して置きたいのです。」(№3, p.5; №10, p.155).

「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS(**) が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に接近するような時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169).

** この謎語は、未だ誰も十分に説明し切っていない。但し、フランス語古語に一縷の手掛りがある。即ち、Azoras Ar ないし Araという2語があり、いずれも「à présent 現在 At presentmaintenant Nowà l’instantただ今Just now」といった意味である (cf. P.R.Auguis, Les Poètes François depuis le XIIe siècle jusqu’à Malherbe, tome premier, Chapelet, Paris, 1824; Vocabulaire des mots du vieux langage qui se trouvent dans les deux premiers volumes des Poètes François  jusqu’à Malherbe, p.463; p.460)。するとles Azoarainsは、les(定冠詞複数)+ Azoras Ara ain(形容詞接尾語)+s(名詞複数語尾)といった語構成と考えられて、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味になる。従って、それは「21世紀初めに於いてキリスト教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になるだろう。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものだろう。

 
ここには、ノストラダムスの預言の二つの精髄が第七千年紀という時間軸との関連で語られている。第1文は、キリスト教会が弾圧迫害される「大事件」が、第七千年紀の終り頃に起ることを述べており(従ってこれは反キリスト教の性格を有し、20世紀に起ったロシア革命と見られる)、第2文は、第七千年紀に近接した時に、ということは、第六千年紀の終わりか、又は、第八千年紀の初めに、ということだが、第六千年紀はノストラダムス預言刊行前のこと故除外されて、残るは当然、第八千年紀の初めに、従って北方の人々であるロシア人達の20世紀の大革命とその結果の清算(ソ連邦の崩壊=サタンの捕縛)の後で、「世界平和」が実現するだろうという事を語っている(従ってこれは、21世紀に起ることだとして期待される)。

論証1:「第七千年紀の初めに対して、後の方 [第七千年紀の終り頃] に生じるであろう大事件」の文法的読みについて。

ここでのノストラダムスの文章は必ずしも理解容易なものではない:原文は、 « l’advenement [l’avènement] qui sera après au commencement du septiesme millenaire » となっていて、英語に直訳すれば、« the happening that shall be after in the beginning of the seventh millenary »となる。しかし、ここでのAFTER は前置詞ではなく副詞だから、それに直ぐ後続するフランス語前置詞àは、in the beginning of the seventh millenaryin に対応する意味のものではなく、「副詞又は形容詞に対して補語の役割を為す後続語の導入機能を持つ前置詞としてのà(要するに、比較対象を導入するàである」」(cf. Petit Robert) に対応する「~に比して、~に対して, against..., in comparison with..., toward...」でなければならない。つまり、「この出来事は、第七千年紀の初めに対しては、逆にその終りの方で起る」という意味が意図されていると考えられる表現である。

論証2:「それは第七千年紀に近接しているでしょう」の文法的読みについて。

上述のように、第七千年紀に近いのは、その外部に位置する第六千年紀の終り、又は、第八千年紀の初めということで、前者は1000年頃に当り、1555年以降の未来予言たる『預言集』には妥当しない。残るのは、従って、第八千年紀の初め、即ち2001年開始の21世紀の初めである。

ここにおいて、正確無比のノストラダムスの予言である以上、「21世紀初めからの世界平和」という託宣は、21世紀の世界の人々にとって、大きな希望の大きな光である。しかし、そこには何の人間的課題も無いのであろうか?我々は、ただ座していれば、世界平和を享受できるのであろうか?

ここで考慮しなければならないのは、矢張り、四行詩第一サンチュリ第48歌 (I-48, §941) の「太陽が、我が預言を完成し、且つ、終わらせる」という詩句の真意であるから、次に早速、その詩を研究することにしたい。(update: le 24 avril 2015)

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§941 ノストラダムス大預言の完成と終了 (2000 -): I-48

大団円としての幸福の科学11  ノストラダムス大預言の完成と終了

第一サンチュリ第48詩 ノストラダムス大預言の完成と終了 (2000 -): I-48 (§941).
月の支配の二十年が過ぎたら、
七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。
太陽がその[月の]倦まれし日々を自らの手にするだろう時、
その時太陽は我が預言を完成し終わらせるのだ。


§941: Nostradamus’ prophecies accomplished and finished (2000-): I-48.
Twenty years of the reign of the Moon past,
For seven thousand years the other shall hold the monarchy:,
When the Sun shall take its tired days,
Then it accomplishes and ends my prophecy.


Vingt ans du regne de la Lune passés,
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:
Quand le Soleil prendra ses jours lassés,
Lors accomplit & mine ma prophétie. (№2)

 ここには、ノストラダムスが、自分の大預言が遂に終了するその時を自ら示している。彼の預言は何時までの世界史の出来事を扱っているのか、研究者によって色々に解釈されているが、それを解決するにはまさにこの預言詩を正しく解釈出来なければならない。

そこで、先の事例(大団円としての幸福の科学7:§937,III-4: 神託の開始 (1981)「月的なものどもが欠如に近づくであろう時、一者と他者が互いに大きく離れておらず、境界帯には寒さ、乾き、危険、まさにそこに於いてこそ、その神託活動は始まったのだ。」参照)から推して、「[月とは]別のものの支配」、即ち三行目で明言されているように「太陽の支配」が開始されるであろうまさにその時こそがそれである。

そしてその時、太陽は、ノストラダムスの預言を「完成し終わらせる accomplit & mine,  accomplishes and ends」と明言されている。

この二つの動詞は、ノストラダムスの全予言詩の中では例が限られている「直説法現在時称の動詞」であり、この場合は単なる予言的性格を越えて「歴史的必然の事態」を語ろうとしていると考えられる。accomplit (it accomplishes) という動詞は、1555年版 (№1, №6, №7) では、accomplir (to accomplish) というように、未来意味を負わされた不定詞になっていたから、1557年版以降 (№2, №3, №9, №10)で、ノストラダムス自身が、accomplit と改定したことがわかる。しかも「太陽は」ノストラダムスの預言を完成し終了させるというのだから、極めて権威とパワーの高い神的存在であることになる。この「太陽」とは、既述のように、「太陽の法を掲げた大川隆法」幸福の科学総裁である。

 差し当たり、月の支配と太陽の支配の交代に関わる年代の特定に議論を集中したい。

 そこで、先の解釈に基づけば、「1981年(大川隆法氏における神託の開始)という年」は、「月の支配の最終期」に属する一年であるから、それとの関係から「太陽の支配の始まり」を知る手掛かりが得られると期待される。ここで既述事項から参考となることを取り上げると、第1章17歌において、虹の四十年にもわたる不出現(第二次大戦終了後の日本及び日本人の大多数の精神状況、いわゆる国家神道的日本民族固有信仰という精神的主柱の喪失。この場合、四十年は 1945 年(昭和 20 年)から数えると 1985年(昭和 60 年)にわたる。)の後の、昭和 60 年になっての「虹」の出現(「幸福の科学」の最高指導者・大川隆法氏が霊的世界からの通信に基づいて初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』を昭和60年8月15日に刊行。これは年度がピッタリ一致する上に、終戦記念日たる8月15日という日付までも一致するという驚異的符合さえ存在する。)という事柄を想起すると、「虹」が出るには空気中の適度の湿り気と共に「太陽の光」が不可欠であるから、ここにまさに「太陽の支配の時代の曙光、つまりその開始」を見て取ることが許されるであろう。

即ち、昭和 60 年[西暦 1985 年](8月15日)という日付(初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』の刊行年月日)が、まさに、「太陽の支配の時代の出発日」なのである。(ここに、「日蓮」つまり「太陽の蓮華」という美しい名前の人が関わっているのも偶然ではあるまい。)

 しかしここでまた細部に入るならば、「太陽がその [月の] 倦まれし日々を自らの手にするだろう時」という文学的表現は興味深い示唆を含んでいる。何故なら、「太陽が捉えたその日々は、月の日々であり、その最後の疲れ果てた日々」に他ならないというのは、その限りで確かに「太陽の日々」であるけれども、しかし同時に未だ月の支配下にも属する日々と考えてよいような、そういう二重国籍的な日々であろう。従って、「昭和 60 年[西暦 1985 年]8月15日という日付(初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』の刊行年月日)がまさに太陽の支配の時代の出発日なのである」と言うことは可能であるが、他方、その日には既にもう月の支配は終わっているということでもない。つまり両者の交代は点的なものではなくて、重合的推移でしかない。換言すれば、月の支配の最終期と太陽の支配の最初期は二枚の向き合う対称的な楔が微妙に重なり合って凹凸を見せない感じで連結しているのであろう。従って、ノストラダムス大預言の終結もピンポイント的な時点ではなく、或る程度の幅を持った期間に於いて想定すべきである。それはとりもなおさず、月の支配の最終期と太陽の支配の最初期が二枚の向き合う対称的な楔の重合のように形成する推移期間である。

 他方、詩文中に見える月の支配の「20年」と、太陽の支配の「7000年」というのは、正確な根拠ある数というよりも、象徴的なものであり、月の支配よりも太陽の支配の期間が圧倒的に長期に及ぶというような理解で本詩内的には満足すべきだろう。しかしながら、別の関連詩(§940,X-74)を参照すると、月の支配のこの「20年」というのは、紛れもなく「2000年」のことであると理解される。つまりそれは西暦紀元2000年間を意味する。よって、先に述べたように月の支配の最終期と太陽の支配の最初期は事実上二枚の向き合う対称的な楔が微妙に重なり合って凹凸を見せない感じで連結しているのであるが、理念上は、西暦2000年を以て月の支配の期間が終わり、2001年を以て太陽の支配の期間が始まると考えられる。」[初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(9)」北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号、1999年。一部改稿])

 なお、本詩の「月の支配の終了」と同じ趣旨を詠う他の四行詩が存在する。

 III-97詩(§860): オスマン帝国崩壊と中東諸国独立 (1920-1948)「新しい法が新たな地を占拠するだろう、シリア、ユダヤ、及びパレスチナ方面において。巨大な野蛮の帝国が潰えるだろう、フェベがその時代を締め括る前に。Collapse of the Ottoman Empire; Independent countries in the Middle East (1920 - 1948): III-97. The New law shall occupy the new territories, Towards Syria, Judea, & Palestine: The grand barbarous empire shall collapse, Before Phebe shall have finished its age. ( Nouvelle loy terre neufve occuper vers la Syrie, Judee, & Palestine: Le grand empire barbar, corruer,  Avant que Phebés son siecle determine.) 」「フェベがその時代を締め括る前に」という規定は、Phebés = 「 Phebeフェベ:(ギリシア神話) 月の女神としてのアルテミス (ダイアナ) 」(Obunsha) とすると(日付のある預言詩2(続) : VI-2(その2)参照)、「月の支配の二十年が過ぎたら」という本詩 (I-48, §941) の趣旨と重なる。

 I-25詩(§934):「月がその大循環を完了するより前に。Before the Moon finishes its grand cycle,  Ains que la lune acheve son grand cycle 」三行目「月がその大循環を完了する前に」とは、太陽の光で僅かに輝く月のような絶対他力的原理の宗教のイエス・キリストという基軸を巡って来た西暦2000年間の終末期ということ、換言すれば「太陽の時代の開始期」に相当し、キリスト再臨約束の実的履行者・再誕のブッダ大川隆法氏の<太陽の法旗>のはためき始めた年々ということになる。なお、「月がその大循環を完了する」という表現は、後で取り上げる予定の関連詩I-48(§941)との繋がりによって一層明白となる (大団円としての幸福の科学4参照)。

 さて、しかし、「太陽が我が預言を完成し終わらせる」という本詩の趣旨は、今述べたような、単なる「時期的な接続と継起」という意味だけに止まるとは思われず、そこには同時に、もっと内容的な大切な意味が込められていると思われる。何故なら、単なる「時期的な接続と継起」という意味だけであるならば、「終わらせる」という一語で足りるであろうからであって、そこに敢えて「完成する」というもう一つの他動詞が付け加わっているのは、「我が預言には、太陽に依って完成されるのを俟っている不足部分が有ります」ということを、本詩作者たるノストラダムスが告白している、と解釈されるからである。

こういう問題が出て来る所以は、我々が従来力説して来た「ノストラダムス預言西暦2000年終了説」だけでは律しきれない歴史と預言の幅のある持続ないし期間が実在し、それを無視する事が出来ないからである。つまり、ノストラダムス『預言集』のカバーする範囲が、原理的には、西暦2000年迄だとしても、ある特定の四行詩または「セザール宛序文」や「アンリ二世宛書簡」で取り上げられた事項が、主なテーマはなるほど例えば20世紀内の事だとしても、時間的にその先へと持続して行く要素がそこに必然的に含まれているならば、そしてそれが21世紀へと延伸されてゆく性質のものならば、21世紀に関する預言が避けられない場合もあり得るだろう。しかし、その預言を、他の2000年内に完遂される預言と同様に「本格的に扱っていたら切りが無くなる」から、ノストラダムスは、そういう点で「十分には預言事象の判断材料を提示しなかった」と考えることが許されるだろう。

 具体的問題に当てはめるなら、例えば、前節で取り上げた「21世紀初めからの世界平和」という問題は、実際、それ以上の説明材料がノストラダムスからは提供されていない。もし、本詩が云うように、「太陽が我が預言を完成する」というのであるならば、この問題についての十分な説明を提供し得るのは「太陽、即ち、幸福の科学総裁大川隆法氏」その人以外には存在しないのではあるまいか。

そして、西暦2013年8月11日(日曜日)の今現在、「世界平和」の問題を、理論的にも、実践的にも、主要な課題として自らに課し、日々敢闘している「不惜身命を地で行く人」として、我々は大川隆法氏自身を見出すのである。ここでは、氏の最近の著作『政治と宗教の大統合』(幸福の科学出版, 2012)の中から、関連する章句を引用しておきたい。

「唯物論・無神論」勢力には、断じて屈するわけにはいかない
 私たちは、「宗教的に見て正さなければいけない」と思う部分については、教義上の戦いを行います。いろいろな宗教に関して、「宗教的に間違っている」と思うものについては、批判し、修正を求めたいと思います。ただ、それはそれとして行いつつも、「宗教は要らない」とか、「唯物論・無神論の国が正しい」とかいう考え方には、断じて屈するわけにはいきません。なぜなら、そういう思想を信じたならば、その人は、将来、地獄に堕ちて苦しむことになるからです。それについては、「マルクスの霊言」などを読んで、彼が、今、どうなっているのかを知ってください(『マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ』〔幸福の科学出版刊〕参照)。あれだけ大きな影響力を持ち、共産主義者たちから神様のようにいわれていたマルクスが、地獄の無意識界で、自分が死んでいることさえ分からない状態になっているのです。また、「丸山眞男の霊言」も収録しました(「日米安保クライシス」〔幸福の科学出版刊〕第1章参照)。霊言収録の時点で、死後、十四年がたっていたのに(一九九六年没)、彼は、自分が死んでいることが分からずにいたのです。彼は、「体の具合が少し悪くて、まだ病院のベッドの上にいる」と思っており、死んだ時点で時間が止まっていました。質問者が、「今は、二〇一〇年です」と言っても、まったく信じず、まだ一九九六年だと思っていたのです。「体の具合が少し悪いので療養しているのだ」と言って、霊界の存在はまったく信じていませんでした。そういう人が、安保闘争のリーダーだったわけです。彼に引っ張られて大勢の人が安保反対の方向へ動いていきましたが、アメリカとの同盟に反対した「六十年安保」「七十年安保」のリーダーたちは、まだ政界でくすぶっています。そういう人たちが、今、この国を悪くしようとしているため、何とかして、これを浄化しなければいけません。」(p.86-88)。

ここで挙げられている「唯物論・無神論」勢力」というのは、ノストラダムスが、まさに、AZOARAINS(刹那的現代人たち)という独自の新造語で言い表わそうとした当の人々であるに違いない。

「よい国」と「悪い国」とを見分ける明確な基準
 アメリカは、確かに強大な軍事力を持っており、その軍事力を行使している部分をミクロ的に見れば、悲惨なこともたくさんあるだろうと思います。神仏は公平平等だから、どの国も同じように見ているかといえば、そのようなことはないのです。やはり、「どちらの国のほうが、人間がより幸福になるか」という観点から、はっきりと判定が下っているのです。私は、一九八〇年代に『ソクラテスの霊言』という霊言集を出しましたが、その中に収録されている「リンカンの霊言」で、リンカンの霊は、「神は、ソ連よりもアメリカのほうを愛している」と述べていました。当時は、ソ連という国がまだ存在していた時代ですが、このリンカンの言葉に対して、ある読者から、「そんなはずはない。神ならば、ソ連もアメリカも平等に愛しているはずだ」というような意見が来たことを覚えています。しかし、その数年後、ソ連邦は崩壊しました。ソ連邦崩壊後、蓋を開けてみたら、国のなかはひどい状態でした。国家が、外側をうまくごまかして、よい国であるかのように宣伝することはいくらでもできますが、やはり、「どちらが、よりよいか」という方向を指し示して、国をそちらのほうに変えていかなければいけません。もちろん、アメリカにも、病んでいる面はたくさんあります。しかし、私たちに、その病んでいる面を学ぶ必要はありません。立派なところだけを学び、日本型の素晴らしい国家モデルをつくって、それを世界に広めていくことが大事です。日本には、次の世界のリーダーになるべき使命があるのです。「アジアやアフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、これらをすべて結ぶ懸け橋になることが日本の役割である」と、私は信じてやみません。」(p.88-91)

東アジアにおける「最後の冷戦」を終わらせるために
 今、国際的、外交的な面で、私たちが立ち向かわなければならない大きな課題は、二つあります。一つは、この東アジアの地における「最後の冷戦」です。かつて、アメリカとソ連邦という二大陣営を中心とした冷戦がありましたが、中国や北朝鮮においては、今もまだ、政治的には共産主義体制が残っています。そして、今、「この極東アジアで、最後の冷戦が終わるかどうか」という局面に来ています。私は、この冷戦を終わらせ、世界の人々が同じ土俵で話し合いができるような世界に変えていきたいのです。価値観の相違や政治体制の違いによって、お互いに憎しみや不信感が生れ、そこから戦争が生まれてくるのであるならば、価値観を共有しうる一つの思想を宣べ伝え、広げることによって、平和を樹立しなければならないと思います。北朝鮮の九十九パーセントの国民は、「もっと幸福になりたい」と思っているはずです。わずか一パーセントの人たちが、権力を握って離さないだけなのです。私は、かの国を仮想敵国として見るのではなく、かの国の人たちも、自由に日本に来ることができ、ディズニーランドで遊んで帰ることができるようになる日が来ることを、夢見ています。近い将来、そういう日が来ることを、心より祈っています。
 また、中国は、自由主義経済を一部に取り入れて、経済的には西側寄りになりましたが、政治的には依然として共産主義の一党独裁体制を維持しています。しかし、これ以上、その体制を続けることは、十三億の国民を苦しめることになります。私は、中国に対し、『そういう現実を率直に認めて、価値観の転換を図るべきである』と提言したいと思います。今、この大国が、自由と民主主義の方向へと、大きく舵を切ることができたならば、世界は平和へと大きく前進します。そうなれば、次の大きな世界戦争は起きずにすみます。そちらの方向へ導いていきたいと、私は、強く強く願っていますし、できれば、私が生きている間に、この冷戦を終わらせたいと強く念じています。
 もう一つの問題は、宗教を中心とした戦いです。「キリスト教圏、プラス、ユダヤ教圏」と「イスラム教圏」との間には、思想的な違い、相互理解のなさによる戦争や、怒り、憎しみが続いています。この問題について、価値判断を間違えたならば、今後、百年、二百年、三百年と、戦いが続いていきかねません。私は、今、「キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の違いを乗り越えて、世界が、一つの神の名の下に、その思想の下に融合し、平和への道を拓いていく」という未来の構築を目指しています。世界が争いのなかにあるならば、宗教がその使命を果たしているとは言えません。教義や修行の方法、儀式や礼拝の仕方に違いはあるでしょう。しかし、そういう違いはいったん横に置き、「この地球に神なる存在があるとするならば、何を願っているか」ということを、全世界の人々に想像していただきたいのです。神が、民族間の戦争や憎しみ、怒りなどを願っているはずはありません。また、無神論、唯物論が世界を覆うことを望んでいるはずがありません。神は、正しい世界観の下に、人々が協調し、繁栄する世界をこそ願い、望んでいるはずなのです。」(p.114-118)

幸福実現党の使命
 私が二〇〇九年に幸福実現党を立党したのは、この日本のなかに小さな利益団体をつくり、自分たちの団体に有利になるような利益誘導がしたいためではありません。日本の国民を没落から救い、全世界の人々に、幸福への道しるべを指し示すために幸福実現党をつくったのです。幸福実現党を支持し、応援してくれている人々の声は、まだ小さいかもしれませんが、私は、その声をとても心強く感じています。私たちの政治活動の根本にあるものは、天上界からの強い強い願いです。私がスピーカーとなって、この天上界の願いを地上の人々に伝えているのです。私は、スピーカーとして声を伝えるしかありません。言葉として、思想として、訴えかける以外に方法はありません。しかし、あなたがたが、その足で、その手で、その口で、その目で、「人を愛し、幸福にする」という活動を日々実践していくならば、世の中は、毎日毎日、毎週毎週、毎月毎月、毎年毎年、変わり続けていきます。そして、その活動は、単に、「日本を救う」という小さな目標で終わってはなりません。私たちの目標は、世界の未来を指し示すことにあります。世界の人々に、向かうべき方途を指し示すことが、私たちの最終目標なのです。
 私は、千年、二千年の未来に向けて、人々を幸福に導く源流でありたいのです。
 そのための、愛の原点でありたいのです。
 そのための、悟りの出発点でありたいのです。
 そのための、勇気の原動力でありたいのです。
 それが、幸福の科学の目指すものであり、幸福実現党を立党した私が心底から願うものでもあります。」(p.119-121)

補論 第八千年紀(21世紀)初頭の世界平和実現について:

以上の、「幸福の科学」による補足を俟って、再度、前節の「第八千年紀初頭の世界平和」について考察を進めてみたい。先に見たように、「アンリ二世宛書簡」には次のような一節があった:

「偉大な法  [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINSが例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169)

さて、既述したように、この文章は「第七千年紀に近い時期」、つまり、「第六千年紀の終り頃か、第八千年紀の初め頃」の世界情勢の予言である。ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々…。」 (№1,p.42) と述べている所からすると、問題なのが「第六千年紀ではなくて、第八千年紀」であるのは明白である。言い換えれば、これは、大団円としての幸福の科学14-15: §944, X-72 キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7); §945, X-75 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000)において見るように、「イエス・キリストに代る天からの再臨者大川隆法氏」の登場という画期的事実を考慮しつつ解釈しなければならない、ということである。

そこで、文中の「イエス・キリスト」を「大川隆法氏」と読み換えてみると、以下の解釈が導き出される。

偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日]。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様に大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるこれは、「tribulation 試練」という語が、「宗教的な苦悩、苦難」(Suzuki) という意味を主として持つので、「大川隆法氏の最初の配偶者が信仰逸脱によって惹き引き起こした諸々の法難(toute tribulation: あらゆる試練)から、その離婚(2012年)に依って解放された」という事実が当てはまる(大川隆法『現代の法難①』『現代の法難②』『現代の法難③』『現代の法難④』幸福の科学出版, 2011, 参照)。

** 大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないここで「北方」とは、「21世紀初頭において旧ソ連になぞらえられる勢力」であるから、「日本国首都・東京より北の緯度にある北京を首都に持つ中華人民共和国、及び、〝北朝鮮〟と俗称される朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家」と比定してよい。

** AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: AZOARAINSとは、既述のように、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味の造語で、従って、それは「21世紀初めに於いて指導的宗教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になる。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものを指し、この場合は具体的に、「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」ということになる。そして、彼らが「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に混入しようとする「胆汁と疫病的誘惑の種」とは、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」であろう。

** 世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも:「ある種の大きな紛争 (quelque grande conflagration, some large conflagration) 」という曖昧な表現は、「決して戦争には到らないような国際摩擦・地域紛争」と解される。しかも、原文は文字通りには「ある種の大きな紛争に近づくけれども」であるから、「実際に大紛争になることにはならない」という意味である。例えば、優れた国際政治学者・副島隆彦の近著『日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社、東京, 2015, p.145)は、国際紛争の諸段階を、①議論・対立・交渉(Argument)②軍事衝突(Military conflagration = Armed conflict)③事変・紛争(Military conflict)④戦争(Warfare)⑤和平交渉(Peace talks)⑥平和条約(Peace treaty)の6段階に分けて説明しているが、時代的性格を持つ用語をも見通していたノストラダムスの場合、その「Conflagration」というのは、副島氏の言う「警察公務員の5~10人程度の死亡を伴う第二段階の軍事衝突」というニュアンスで理解してよいだろう。或いは、「Large conflagration」として第三段階の「事変(両軍で各300人程度の死亡)」と見做すことも可能だろうが、いずれにしても、「そういう事態に近づく」だけということなら、殉死者が全く出ないか、あるいは出ても10人程度の小競り合いが預言されていると解される。

** そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: 後半は「譲歩の従節」で、それが、前半の二つの主文に掛かっていると考えられる構文である。従って、これを分解すれば次の二項になる。

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: この場合のAZOARAINS(永遠の生命を信じる真の信仰を欠いた刹那主義者・現実主義者たち)は、「幸福の科学に法難をもたらした大川隆法氏の最初の配偶者及びその協力者」という意味で理解してよい。

** 人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: 「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」が「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に、「胆汁と疫病的誘惑の種」、つまり、、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」を繰り広げても、「ある種の大紛争に近づく」だろうが、「決して本格的な大紛争や戦争」には到らず、全世界的平和が実現されるであろう。ここで、「平和 Paix」のフランス語原語は「大文字のイニシャル」となっているから、「強調された確固たる平和」の意味が込められていると解釈できる。従って、これは実に明確な「ノストラダムスの世界平和到来宣言」(21世紀初頭に立つ今現在、すでに実現しつつある預言)なのである。但し、「世界平和」と言っても、ノストラダムスの「諸世紀にわたる俯瞰の眼」からすれば、例えば第二次大戦後の長期の世界時期(1945年から、1991年の第一次湾岸戦争まで)が「長期の平和」と称された(§928,I-63: 第一次湾岸戦争 (1945-1991)参照)ように、或いは又、フランスの歴史において、多くの小規模な国境拡張対外戦争を仕掛けたルイ14世治下の長期の繁栄(1659 – 1715 の57年間)が「平和な年々」と称されたように(§320, X-89参照)、波乱一つない完全な凪状態ではなくて、世界が生きて動いている証拠とも言うべき「各地各期の小地域小摩擦」を含みながらも世界大戦には到らない静穏状態のことである。

 

なお、大川隆法氏を「第八千年紀のイエス・キリスト」に見立てる解釈には、氏が「イエス・キリストの再臨約束の債務弁償者である」という根拠が第一に想定され得るが、第二の強力な根拠が存在する。それは、霊天上界にあるイエス・キリストは、いわば「幸福の科学のCEO(最高経営責任者)」といった責務を負い、同教団の具体的な地上の宗教活動を指導する天上の最高責任者である、という体制である。このことは、「幸福の科学」の初期の段階でも明言され(下記A)、また最近においても同様に確言されている(下記B)。

A:  イエス・キリストは「幸福の科学」の最高指導霊である(1986)。
大川 - イエス様お出で下さい --。
イエス イエス・キリストであります ―。

善川 イエス様ですか。

イエス そうです。もう四年近く、私はあなた方と話をしておりませんが、いまこうして機会も熟し、あなた方とまた話しあえる機会ができたことを嬉しく思います。

善川 過去、お教え願って以来この方、私たちの「正法流布」の使命がどれ程もなされていないということを申し訳なく存じております。しかしながら、以来多くの諸如来、諸菩薩の方々から、正法、神理について、多方面、多角度からご指導をたまわり、「法」そのものを己れの血肉となし、生きていこうとする覚悟ができ、ささやかではありますが、各自の立場において世の人びとに語りかけることができかけておりますことを感謝いたしております。つきましてはこの機会に、イエス様から、大所高所から私たちにご指導のお言葉をたまわれば幸いと存じます。

イエス そのような格式張ったことは言わないようにして下さい。あなたは何か勘違いをされているようです。私はあなた方の指導霊なのです。だから、あなた方のできが悪いということは、私の指導が悪いということなのです。あなた方の学習、あなた方の行動、あなた方の「法」もそのでき具合は、私自身のでき具合とからんでいると思っていただきたいのです。あなた方を離れて、私があるわけではないのです。私はあなた方と一体です。そう思っていただきたいのです。全く別な人間であって、高所からあなたがたを見下ろしている人間だと思っていただきたくないのです。私もあなた方の仲間であります。あなた方を指導する霊たちの最高指導霊は私だということです。あなた方の今回の計画の、指導の最高責任者の立場にあるのは、この私であります。余り将来のこと、悪いことや、不自由なことばかり想像しないでください。私たちは大きな眼で見ていますが、もちろんあなた方にとって必要なものは、既に用意されているのです。あなた方が心の中に思い浮かべ、あなた方が希求し、要求する前に、私たちは、あなた方の必要なものは知っておるのです。既に用意しておるのです。その必要なものが、あなた方にとって、適切な時期に、その時機、その時機に与えられるようになっているのです。」(善川三朗『キリストの霊言 過去の教義を超えて』潮文社、東京、1986, p.42-45)。

 

B:イエス・キリストの「現在の仕事」(2013)。

「幸福の科学の世界宗教化」がメインの仕事

綾織 幸福の科学に対しては、このようなかたちでイエス様からメッセージを頂いているわけですが、普段、キリスト教世界の中で指導されている方はいらっしゃるのでしょうか。

イエス それは、いろいろと、導くべきところで、まめに働いてはおりますがね。いろいろな活動を世界各地でやっていますから、関係があるところには、多少なりとも霊的な力を加えようと努力していますけれども、今は、「幸福の科学が世界宗教になるように、その道をつくりたい」ということが、いちばんメインの関心事です。どのようなかたちで、キリスト教国にこの教えを広げていくか。あるいは、イスラム教との関係で、どのようにして広げていくか。そのへんを考えたりすることの方が、中心的な仕事にはなっていますね。ある程度、準備しなければいけないところがあるので、「大きくなればいい」というだけではないんですよ。つまり、急速に大きくなってきた場合に迫害が来ることは、歴史的に、繰り返し、いろいろなかたちで起きていますし、急速に広がるものは迫害を受ける可能性があるので、やはり、それを乗り切れるだけの準備が必要ではあります。その意味で、「急いではいるけれども、急いでいないところと両方ある」ということですね。」(大川隆法『イエス・キリストに聞く「同性婚問題」性と愛を巡って』幸福の科学出版、東京、2013, p.107-109)。
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§942, V-53 : 「太陽の法」即ち「大メシアの法」

大団円としての幸福の科学12  太陽の法」即ち「大メシアの法」: V-53.

第五サンチュリ第53詩  「太陽の法」即ち「大メシアの法」: V-53 (§942).
太陽の法、而うして相競わんとするヴィーナス、
いずれも預言の精霊を占有しているが、
一方も他方も相聞き従わんとすることはないであろう。
太陽によって、大メシアの法が堅持されるであろう。


§942, V-53: The Laws of the Sun, i.e. The Laws of the Great Messiah.
The law of the Sun, and the contending Venus,
Appropriating the spirit of prophecy:
Neither one nor the other shall listen to each other,
By the Sun the law of the great Messiah subsist.


La loy du Sol, & Venus contendens,
Appropriant l'esprit de prophetie:
Ne l'un, ne l'autre ne seront entendens,
Par Sol tiendra la loy du grand Messie.
        
 ここで、従来の普通の読み方は、「太陽の法と金星(ヴィーナス)の法が競う」というように解釈するが、厳密に見ると、「金星」には「la loy 法 the law」は係っていないであろう。つまり、一行目では、la loy du Sol (太陽の法 the law of the Sun)と Venus contendens(相競わんとするヴィーナス the contending Venus)という二項が &(而うして and)によって並べられているのである。勿論第二項も純文法的には、la loy de la Venus(ヴィーナスの法 the law of Venus)として読めないことはない。しかし、ここで言われている ヴィーナス(金星 Venus)が何であるかを明らかにすれば、その内実から見て、そこに「法」と呼べるほどのものを認めることは困難である。

では、ヴィーナス(金星)とは何を指すのであろうか。第一項の la loy du Sol (太陽の法 the law of the Sun)が、「幸福の科学」総裁大川隆法氏の基本的理論書の首位に来る『太陽の法』(英訳タイトルは文字通り The Laws of the Sun である)を指し、且つ、同時に、氏の説き明かしている宗教的法体系全体を指すのだとすれば、第二項の Venus contendens(相競わんとするヴィーナス the contending Venus)としては、大川隆法氏ないし「幸福の科学」に対抗的に振る舞っている或る宗教的主張者が想定されるであろう。そして、「ヴィーナス」と称されている以上は、その人は男性ではなく、当然女性でなければなるまい。

思うに、このような立場の人が確かに居るし、大川隆法氏自身がセミナーで或る一人の幸福の科学会員からの質問に対して返答した中で、この人の存在を明らかにしてもいる (大川隆法『ノストラダムスの新予言 1989年幸福の科学特別セミナー』幸福の科学出版、1989年、カセットテープ第2巻参照)。それは、大川隆法氏の特に最初期の活動において霊天上界にあって重要な役割を演じた GLA 主宰者高橋信次氏という人があったが、彼の娘で、且つ、彼の没後 GLA の後継者となった高橋佳子氏である。
 
高橋佳子氏は GLA に於いて、大天使ミカエルの再誕者とされている。よって、彼女の著書等の霊的インスピレーションの源泉は大天使ミカエルとされる。従ってその限りにおいて、この四行詩二行目「預言の精霊を占有している」とのノストラダムスの言葉は妥当している。しかし大川隆法氏によれば、高橋佳子氏はミカエルの生まれ変わりではないし、ミカエルの霊的指導も受けてはいない。そもそも天使の中でも最も勇猛果断で最も男性的な徳に優れているとされるミカエルと、ひとりの日本女性との魂の繋がりは不自然であろうから、大川氏の判定は間違っていないだろう。

大川氏は更に彼女の魂の本当の経歴をも明示している。その父・高橋信次氏の魂の本当の転生経歴を、<高橋信次[日本、1927年~1976年]← 役小角 (えんのおづぬ)[日本、A.D.7世紀末]← 左慈 (さじ)[中国、A.D.2~3世紀]← サナト・クマーラ[北インド、B.C.8世紀頃]← ヤコブ・イスラエル[古代ユダヤ、B.C.1800年頃]← エンリル[古代シュメール、B.C.2800年頃]>、という系譜として明らかにした後、「ちなみに、長女、佳子(けいこ)の過去世は、明智光秀の娘、細川ガラシヤである。」としている (大川隆法『太陽の法 エル・カンターレへの道』pp.354-356)。

なお、大川隆法氏の雄渾な三部作『大天使ミカエルの降臨 1』『大天使ミカエルの降臨 2』『大天使ミカエルの降臨 3』(大川隆法『大天使ミカエルの降臨 1』土屋書店、1988年。同『大天使ミカエルの降 臨 2』同、1989年。同『大天使ミカエルの降臨 3』同、1989年)は、高橋佳子氏とは関係のない本物の大天使ミカエルの姿を余す所なく明らかにしている。故に、ノストラダムスの言う「預言の精霊を占有している」との指摘は、大川氏に関しては特にこの点を衝いているのだと受け取ってもよいであろう。要するに、当詩に言う l'esprit de prophetie (かの預言の精霊 the spirit of prophecy)とは、具体的には大天使ミカエルを指すのである。

そして、高橋佳子氏も既に多数の霊的内容に満ちた著書を公刊しているが、それら著書を読んで受ける感じから言うと、先に述べたように、それらを一貫し一括するような骨格的な思想体系といったもの、つまり「法」と言い得べきものは存在しない。そこに在るのは、極めてソフトな、確かに豊かな感受性を示しはするが、本質的に機会的(occasional)な思念、つまり偶感・所感の数々である (「幸福の科学」出現前の高橋佳子氏の著作『真創世記天上編』祥伝社,1977,等は、生前の高橋信次『心の原点』三宝出版,1973, 等の流れに棹さしている趣があるが、「幸福の科学」出現後の高橋佳子『ディスカバリー』三宝出版,1995, 等は、その趣をなくして、心象風景の叙情といった方向に入っている)。

 次に、三行目「一方も他方も相聞き従わんとすることはないであろう。」の解釈であるが、事実として、高橋佳子氏とその信奉者たちは、大川隆法氏とその「幸福の科学」の世界史的真理性に心を開こうとしてはいないのであろう。

他方、大川氏の方が相手側に何か聞き求め、聞き従って、価値あるものを得られる、と期待しているとも思われないのであるが、それは、「太陽によって、大メシアの法が堅持されるであろう。」とのノストラダムスの四行目の予知判断が即、大川氏の現実の堅忍不抜の自己確信となっているからであろう。

 このようにして本詩の趣旨は明瞭になったが、その詩的魅力はおそらく『預言集』の群詩中、最高ではないかと感じられるのは、等位的に相競う二項ではなく、太陽と金星として、空の天体としても、本来段違いの力量の二者が、なお浅からぬ因縁の流れの中で、図らずも表面上に呈する競合について、美しく流暢に語っている所から発し来るのであろう。

「浅からぬ因縁の流れ」とは、例えば、高橋佳子氏の誕生日は、大川隆法氏のそれと完全に同じく、1956年7月7日であるといった点にも認められるであろうし、勿論、その父高橋信次氏が、大川隆法氏の宗教家としての立ち上がり過程において、陰陽両面、プラスマイナス兼合で、深く影響しているという点にも認められるのである (大川隆法氏による高橋信次氏の最終的評価については、大川隆法『太陽の法』pp.351-361、及び大川隆法『黄金の法』pp.312-317参照)。

 ここで言われた意味での「金星」に限定されるわけではないが、「太陽と金星」のテーマは、他の幾つかの預言詩でも扱われていた(§935, V-24, §936, V-72)。

ここでは、「太陽の法」を構成する「太陽の真義」に関して、「月」の意味との関連で、大川隆法氏自身の説明を聴聞したいと思う。

」の意味と「太陽」の意味について

 先に論考した第1章48歌(§941: ノストラダムス大預言の完成と終了)では、「月の支配の2000年」と「太陽の支配の7000年」が交代継起するものとされていた。そこで「月の支配」とは、「イエス・キリストの贖罪を紀元原点とする紀年法」を内容とするものであった。従って「太陽の支配」というのは、それに準じて解釈すれば、「大川隆法=エル・カンターレの『太陽の法』を中心とする法体系の出現を紀元原点とする紀年法」ということになるであろう。その場合、重要なのは、「月」の意味及び「太陽」の意味を十分に明らかにすることである。即ち、何故イエス・キリストが la Lune (月 the Moon)の象徴で語られ、またエル・カンターレ(大川隆法氏)が le Soleil (太陽 the Sun)の象徴で語られるのか、という質問が当然提起されてこよう。実は、これについては大川隆法氏による明快な説明が存在する。

 「私は、『釈迦の本心』という著書のなかにおいて、今から二千六百年前のインドにおける釈迦の考えがいったい奈辺にあったのかということを明らかにしたつもりであります。その思想はきわめてわかりやすく語られていると思いすが、その骨格を成すものは仏教の精髄そのものであります。何万巻あるいはそれ以上の仏典を読んだとしても、『釈迦の本心』のなかに盛られている思想がわからなければ、仏教をわかったとは言えないのです。また、ことばを換えて言うとするならば、この一冊の書物のなかに、ゴータマ・ブッダ釈迦牟尼仏が、八十一年の生涯のなかにおいて説き来たり説き去った教えが、思想的骨格として凝集されているということであります。釈迦の全生涯そのものについては、いずれ改めてその全容を本にしていきたいと思っておりますが、まずは出発点として、その精髄を、骨格を、この『釈迦の本心』にてみなさまに明らかにしたわけであります。

では仏陀はいったい何を言いたかったのか。この一冊の書物に盛られた内容を、さらに一点に凝縮するならば、一点に集約したとするならば、それは「反省ということの意昧を知れ」ということであります。

何ゆえに、とみなさんは問うでありましょう。何ゆえの反省であるのか。それがよいことであるからするのか、はたまた、反省というその方法論のなかに今一段高い意味合いがあるのか。そこに、私たちが察知し得ていないなんらかの深い意味合いがあるのではないかということを、考えざるを得ないのであります。

私は、みなさんが見えないものを見、みなさんが聴けないものを聴き、みなさんが知らないものを知る、そのような運命の下に生まれた人間として、一つの重大な事実をみなさんにお教えしておかねばならないと思います。それはすなわち、みなさん一人ひとりは、ご自分が主体的なる人生を生きていると思っており、そして、その意思決定と行動の決定の九十九パーセント以上は、自ら為していると思っているとしても、実はそうではないところがあるということであります。みなさんの目に見えない世界のなかでは、さまざまな様相が展開されているのです。そして、そのなかで最も人間の幸・不幸を分けているものが、霊的なるものの影響であります。世界にはこれだけ多くの人びとが、およそ五十億もの人間がおりながら、自らがどのような影響下に今あるのかということを、知らないままに生きているという事実。この事実を、私はなんとも許しがたく感じるのです。みなさんは目覚めなければいけない。自らが自分の判断で生きていると思いながら、その実、単なる操り人形になっていることがあるという、その真実を知らなくてはならないということです。

さらに具体的に申し上げましょう。私が会う多くの人びとは、多かれ少なかれ霊的な影響を受けております。しかし、そのなかでよい影響、すなわち守護霊や指導霊といわれる者から直接に影響を受けている者はごく稀であって、その時間とその接触面積は人により違いはあれども、たいていは、一日のうちのどこかで悪しきものの波動を受けているというのが、万人共通の事実であると思うのです。それは、「神の子人間」として、見ていてまことに情けない状態であるのです。万物の霊長といわれる我われ人間が、動物霊や、あるいは迷っているものなどにさまざまに影響されて、彼らのそのまちがった意図のままに人生を流され、運命の淵のなかに沈んでいくのを見るときに、私は、断固としてこうしたものの影響を排除していきたいと思うのであります。そして、みなさん一人ひとりが、ほんとうに自分自身の人生を生ききったと言えるようなそういう毎日にしていきたいと思うのです。みなさんの多くは、まったく自分のものと思えないような人生を生きていて、その結果を享受し、その責任を負わされているという、このような運命の流れのなかにあるのです。けれども、あなたがたもほんとうに神の子であり、神仏の子であるとするならば、もはや目覚めねばならないと私は思うのです。そのようなものにいつまで惑わされているか。早く神の子としての自覚に目覚めよ。そして、本来の人間の誇り高き神性を光り輝かすべきである。その時が来ている。そう私は思うのであります。

そしてその方法として、ひじょうに簡単に思えるかもしれませんが、二千年前も、三千年前も、そしてそれより遙か昔からも、人間は「反省が大事である」ということを教わり続けてきたのです。

反省ということを、過去を振り返るのみと誤解している人が数多くおられますが、ほんとうの反省の目的は、その自分の思いと行ないを正すことによって、より積極的なる人生を展開するところにあるのです。これを単なる消極的行為ととらえてはならない。マイナスをプラス・マイナス・ゼロにすることのみととらえてはならない。反省の奥にあるものは、より積極的なる自己を展開し、神の心をこの地上において、ユートピア実現という名の下に成就していくことであります。反省には実は複雑な要素がつきまとっているのであります。たとえば反省の効果という点に関して、みなさんは残念ながら追体験できないでいることが多いだろうと思います。その反省の力というものがどのようなものであるか、実際に知っている人は少なかろうと思います。それは、霊的な目で見るとするならば、まさしく、みなさんが反省ということを始めたその瞬間から、みなさんにいろいろなかたちでとり憑いていた悪しき者たち、悪しき霊たちと言ってもよい、そうした想念の塊が、崖から堕ちるがごとく、ロープを切られたがごとく、次つぎとはがれ落ちてゆくのです。私はこれを見ているのであります。この反省というものの力の強さを知っていただきたいと思うのです。

そして私はここに、次なる事実をお教えしなければならないと思います。みなさんは、「光」というものは外から来るものである、他力によるものである、そのようにお考えであることが多いのではないでしょうか。高級霊の力によって光というものが与えられるのである。それによって救いも与えられるのである。このように考えがちでありましょうし、事実そうしたものもあります。『愛から祈りへ』という本のなかで、私は数々の祈りの方法を、また祈りのことばをお教えしております。そうした祈りのことばを口に出して読んでいるということは、みなさんがた一人ひとりが霊的震源地となり、霊的波動の発信地となって、高級霊界に黄金の橋が架かっていくことになるのです。それによって、いろいろな指導霊たちが力を加えてくることがあるでしょう。そのような経験をされることでしょう。

けれども敢えて私は、「祈りの原埋」に先立って「反省の原理」を説いた理由の一つとして、光は外から来るものだけではないということを言っておきたいのです。この、釈迦が説き来たった反省という教えの根本は「光は内から出てくる」という考えであり、このことを教えんとしてやっていたのであります。「幸福瞑想」というものを多少なりとも実習された方は、「満月瞑想」という修法を経験されたことがあると思います。この満月瞑想は、瞑想であって単なる瞑想ではないのであります。それはひとつの反省を突き詰めた姿であるということを、みなさんは知らねばなりません。私自身、自らを振り返るということがあります。自らを振り返り、自己の内を観ていったとき、心の奥に沈潜していったとき、そこに私は一つの自己像を見ます。その私は、肉体を持っている私ではありません。それは、ちょうど金色の仏像のごとく見えるのであります。そして、その金色の仏像は、その内から、ちょうど丹田といわれるあたりより、明らかに光を発しているのです。この満月瞑想の姿は、実は反省の完成された姿でもあるということを、みなさんに知っていただきたいのです。

すなわち、みなさんは心のなかに去来したいろいろな思いを、一つひとつ反省されていくことと思いますが、そうして定(じょう)に入っていったときに、このような自分の姿が見えてこなければその反省は完成していないということなのです。反省が完成したときには、全身から光が出ます。これをオーラということばで呼ぶこともありましょう。後光と言うこともありましょう。しかし、それは単に外面的なる後光ではなくて、霊的な目で見て、全身が金色の像になっていなければならないということです。そしてその内から、強烈な光が四方八方に散乱していなければならないのであります。ここに私は、祈りとは違った「光」が存在することを感じるのです。祈りの光は遥かなる上空から降ってきます。しかし、反省による光は自らの内より発するのです。これを見たときに、知ったときに、私たちは、『新・心の探究』その他の書物で説かれている心の構造論の意味がわかるのであります。私の理論書には、私たちの心は、玉葱型に幾重もの層からなっていて、一人ひとりの人間が心のなかに四次元領域、五次元領域、あるいは六次元、七次元、八次元、九次元、十次元という領域を玉葱状に持っていると書いてありますが、それがまさしく真実であるということを、みなさんは知るに至るのです。

心の中核、中心の部分には、実相世界へと通じ、そしてさらには人霊を超えた世界に通じる「核の部分」があるのです。人格霊としては八次元、九次元が最高領域であるというような話もありますが、私たちのなかには、これを超えた十次元、十一次元、あるいはさらにそれ以上の光が注いでくる部分があるのです。その奥の奥の一点は、究極には大宇宙の遥かなる奥にいます神へと通じているのであります。この事実を知ったときに、我われは、内なる光を求めるという方法が存在していることを知らねばならないと思います。釈迦が説いた教えも、結局ここにポイントがあったのです。

 釈迦とキリストという二大聖人を比較したときに明らかなる違いとして現われてくるのもこの点であります。

キリストは、自分を超える絶対者というものが遥かなる彼方にあるという認識を示しておりました。それを「父」と呼ぶこともありましたし「神」と呼ぶこともありましたが、「超越的なる存在が、肉体に包まれた霊的我をはるかに超えてある」という認識をし、それを説きました。これが他力信仰の出発点であると思います。

しかし釈迦は、このような他力を説かなかった。何ゆえに説かなかったかというと、地上にある人間を、肉体に宿れる魂を、弱小なる存在とは見ていなかったからであります。イエスの教えにおいては、まだ人間は弱く崩れやすい、ときに罪人のレッテルを貼られるがごとき、そのような弱き姿として浮かんでまいりますが、釈迦の目には、人間とは真に強きもの、その中心において強きものと見えていたのであります。もちろんその外面において、外見においては、人生の流れのなかで、運命の激流に流され、カルマの渦に巻き込まれ、そして翻弄されていく数々の人を見てはきたが、その意味においてはイエスと同じく弱い人間を数多く見てはきたが、しかし釈迦は、それぞれの人間の核の部分に、確かなる神の光を見いだしていたのです。それ故に、釈迦は敢えて信仰ということは説かなかった。信仰というものを、どこか彼方にあるものへの畏敬ととらえずに、「自らの内にあるこの核ともいうべき光の部分に目覚めよ。さすればそこにすべてがある、すべてが見えるすべての力が与えられる」。こう説いたのです。内的宇宙が外的宇宙をも包含するそういう世界観を観てとっていたのです。こうした見地において、信仰というものがさらに力を得て、強大なエネルギーへと転化していったのであります。

内なる自己と外なる超越意識があるというのではなくて、実は同じ一点を通過するエネルギーであり、根源において共通するものであるということをつかみきった人間は、非常に強く、逞しく、勇気を持って生きることができるのであります。

すなわち、弱者から逃避せんとして助けを求めるのではなく、「汝、弱者に非ず、汝のなかに神仏あり。その神仏を見よ、その神仏に目覚めよ。汝の心のなかにある仏性を顕現せよ」--仏教の教えはこの一点に集結していくのであります。この一点がわからなければ、道破できねば、仏教を学んだことにはらないし、知ったことにもならないのです。その内なる火を、炎を、光をどこまで観ることができるか、ここがみなさんがたに試されているのであります。
」(
大川隆法「反省の原理」(1988年第4回講演会)『ユートピアの原理 救世の悲願』 幸福の科学出版、1990年、pp.129-146)

 このような、「光は超越的神から来る」というキリスト教の他力信仰の立場を「月」によってノストラダムスは象徴化し、また「光は内部から発し来る」という仏教的自力開発の立場を「太陽」によって象徴化したことが明確となった。そして時代は大きく「月」から「太陽」へと転回するというのがノストラダムス大預言の強き声である。

即ち「罪人意識に閉じ籠りつつ、外部の高みに光を求める」依頼の姿勢を転じて、「自己の罪過を反省し浄化しつつ微かにも発光する内心の光を掻き立て増幅する」萌え揚がる自立の姿勢が新時代のものである

[初出:北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号,1999。一部改稿。]

太陽の法」という名前について:
「さて、このノストラダムスについてさらにお話しをしますと、「幸福の科学」との関係が明らかにあるのです。明らかにあるというのは、これは我田引水ではないかと思われては困るのですけれども、私は『太陽の法』という本を出しています。これは幸福の科学の基本書です。ただ、この『太陽の法』という本の題は、私が考えて決めた題ではないのです。この『太陽の法』という本を出さなければならないということはすでに決められていたのです。そういういきさつの本であります。そして出版しましたが、この『太陽の法』という教えが出るということは、ノストラダムスが一五〇〇年代にすでに予言しているのです。これはけっしてノストラダムスをまねして言ったわけではなく、実際その計画どおりのものが出たということなのです。これは会員のみなさんであれば『新・神霊界入門』という本をお読みかと思いますが、小桜姫という方からの通信で、一九八五、六年のころに自動書記で書いた文のなかに、この『太陽の法』という言葉が出てきているのです。そのときにはまだ私は『太陽の法』の構想も何もありませんでしたから、書く予定もなかったのですが、そのように書こうと思う前に出てきていたのです。」(大川隆法『ノストラダムスの新予言講義』幸福の科学事務総合本部,1989,p.29-31)

日本と神理(一九八六年五月二十日の霊訓) これから約百年の間、日本には、かつて地上になかったような、黄金の時代が訪れます。科学文明はもちろん世界一の発展をみ、日本から宇宙へと旅立つ人びともたくさん出てきます。が、一方、国際政治、経済でも、日本はまさしく世界のよきリーダーとなります。各国の政界、経済界の重鎮が、毎日のように日本を訪れ、東京は「外交の都」と呼ばれるようになります。他方、宗教のほうも、日本を核とした新たな明晰かつ合理的な教えが、ヨーロッパに、北米に、そして東南アジア、中国にと広がってゆきます。産業界でもトップの国が、宗教でもトップの国へと変貌してゆきます。こうして二十一世紀には、日本は「神と太陽の国」と呼ばれるようになりますでしょう。そしてあなた [自動書記者・大川隆法] が説かれた教えが、「太陽の法」として、諸外国に知られてゆきます。それはまさしく、日本の国の象徴が太陽であると共に、あなたの説かれる法が、太陽のごとく人びとに注ぎかけるときでもあるからです。」(大川隆法『新・神霊界入門 現代女性を幸福にする小桜姫の霊訓』幸福の科学出版,1990,p.128-130)

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§943, V-41: 「黄金時代開鑿者」の誕生 (1956.7.7)

大団円としての幸福の科学13   「黄金時代開鑿者」の誕生: V-41.


第五サンチュリ第41詩  「黄金時代開鑿者」の誕生 (1956.7.7; 2000): V-41 (§943).
僻陬の地に、暗黒の時代に生まれ出たる人は、
支配の位に就き、至高の善意に満ちるだろう。
古代の骨壺のおのが血を再誕せしめるであろう。
而して青銅に替えて黄金の時代を再開するであろう。


§943,V-41: Birth of the founder of the golden age (1956.7.7).
A born in an out-of-way place and in a time of darkness
Shall be in reign and in sovereign goodness:
He shall cause his blood to be born again from the antique urn,
Renewing a golden age instead of a bronze one.


Nay soubz les umbres et jornee nocturne
Sera en regne et bonté souveraine:
Fera renaistre son sang de l'antique urne,
Renouvelant siecle d'or pour l'ærain.
 
 これは、これまで我々が集中的に追及して来たノストラダムス『預言集』における「幸福の科学」運動というテーマに沿って解釈すれば、その最高指導者・大川隆法氏の誕生とその使命を告げたものであることは一目瞭然である。何故なら、本詩に見られる「至高の善意」「黄金の時代を再開」といった表現は、これまで出会った「神託」(XII-71, III-4)「半神」(I-25)「」(I-17)「太陽の法」(V-53)「大メシア」(V-53)「聖職者」(I-25, IV-29)といった表現と同様、聖なる諸規定 (die heilige Bestimmungen, les identifications sacrées, the sacred qualifications)という特質を持ち、これらは全て「太陽的大メシア(エル・カンターレ)・大川隆法」幸福の科学総裁に直接関連しているからである。

先ず、「僻陬(へきすう)の地に soubs les umbres, in an out-of-way place」とは、大川隆法氏の生誕地が「徳島県麻植(おえ)郡川島町(現:吉野川市)」であることを考慮すれば、うなずける表現である。そもそも四国が全体として、日本国内では、例えば北海道の道東(私が現在住んでいる釧路を含む)・道北や、沖縄、山陰、東北の日本海側の諸地方と並んで、「僻陬の地(ひなびた地域)」と称しても、強ち単なる差別的表現とはならないであろうし、四国の中でも吉野川中流域が特に開けているというよりも、田舎田舎した地域であることは誰も否定しないであろう。

次に、「暗黒の時代に jornee nocturne, in a time of darkness」とは、『預言集』第1章17歌 (§938,I-17) にあったような「虹の見えない時代(昭和20年から60年までの40年間)」の只中の「昭和31年(1956年)」が大川隆法氏の生年であることを考慮すればうなずける表現である。「虹の見えない時代」とは、宗教的真理から遠ざけられた人々の心の乾いた時代であり、またそれは当然「太陽の光が射さない」時代として、「暗黒の時代」なのである。「暗黒の時代」を比喩的に表現しているその原語 jornee [= journée] nocturne (a nocturnal day) (この場合、時の前置詞が無いのは、無くても副詩句として通用するからである)とは、「一日24時間の内の夜の部分」を意味する。何故なら、フランス語 journée には、この場合、① 朝から夕刻までの昼間の一日; ② 24時間としての一日 (cf. Suzuki) という二義が可能で、且つ、フランス語 nocturne は、diurne (① 一日24時間の; ② nocturneの対語としての昼間の) の対語として、「昼間に対して夜間の」という意味となる (cf. Suzuki) から、結局「journée nocturne」とは「一日24時間の内、昼の部分を除いた夜の部分」 という意味になるからである。 つまり、全体として、人物の誕生を特定する「所 place」と「時 time」が、一行目で提示されているのである。因みに、冒頭の nay (born) は、名詞形 (a born) と取るのが適切で、それに「所と時の限定」が入り、全体として、sera (shall be) の主語になっているという構文である。

従って、イオネスク氏等がこれを「皆既日食中の薄明」といった意味に取るのは誤りである。しかも彼はその前にある「soubs les umbres, under the shades」という句(影 shadesは複数形)も、同じく「日食中の影ある状態」と解しているが、そのような同事反復は無用であるのみならず、そもそも「日食の影」は「一連のひとつのもの」であって、複数は存在しないから、原語に合致しない解釈である。

実際、イオネスク氏は本詩と第十章72歌 (X-72) をペアと見て、次のように訳している(和訳は竹本忠雄による)。
「   『諸世紀』第5章41歌
 (その人は)日の影と夜陰の一日のもとに生まれ、
 王侯にふさわしい善意をもって君臨するであろう。
 遠つ世の骨壺より尚き血筋をよみがえらせ、
 青銅の世紀のかわりに黄金の世紀をもって時代革新するであろう。

    『諸世紀』第10章72歌
 紀元一千九百九十九年七月(ななつき)に
 天から一人の恐怖の大王が到来するであろう。
 しかして、アンゴルモワの大王をよみがえらせ、
 (その到来の)前後に火星は幸いの時を君臨するであろう。


二つの四行詩をつうじて非常に大事なある事実が、おぼろめかした形で表現されている。皆既日食が起こるだろうということ、そしてその期日である。最初の四行詩の初句(第一行)で「日の影と夜陰の一日」les ombres et journee nocturneという言いかたで暗示され、二番目の四行詩の、これまた初句で、その期日が明瞭に示されている(どちらも初句において言われている点に留意されたい)。その期日が、いまや満天下に知れわたった「一千九百九十九年七月」なのである。しかし、西暦一九九九年はいいとして、「七月」のほうを「しちがつ」と読んでしまったのではすでにノストラダムスの術中にはまってしまうことになる。解読家のほとんどすべてがこれまで引っかかってきたこの誤読に、私は、注意せよと叫びたい。これは「しちがつ」ではない。「ななつき」なのである。つまり、「過ぐる七月(ななつき)のちに」の省略形なのだ。この期日の問題を、まず、究明しておこう。この点をいいかげんにしておいたのでは、近未来の解読はとうてい不可能だからだ。くりかえしいえば、ノストラダムスは「ななつき」sept mois と書いているのであって、「しちがつ」juillet と書いているのではない。そのわけは、ほかにも用例があるように、「ななつき過ぎて」sept mois revolus の省略形だからである。意味としては、したがって、「八月はじめに」といった感じになる。なぜ、このような言いかたをしたのかということは、じっさいに皆既日食がフランスにおいていつ起こるかという期日と照らしあわせてみて、初めて納得がいく。そこで、この点をまず天文学上から検討してみよう。
 今世紀において、太陽の本影(または、全影)がフランスの国土を通過した皆既日食は、一九九二年の現在までに、たった二度しか起こっていない。皆既日食とは、いうまでもなく、月が地球のまわりを回る軌道上でちょうど地球と太陽のあいだに来て太陽光を完全にさえぎったときの現象のことで、そのとき地球上に落とされる長円錐形の濃影、これが本影と呼ばれる。この長円錐の尖端がフランスの地表を滑っていく次の機会は、
① ユリウス暦による一九九九年七月二十九日か、
② グレゴリオ暦による一九九九年八月十一日か、
そのいずれかであることが判っている。現代のわれわれの暦は言うまでもなくグレゴリオ暦で、従って、これによる②の「一九九九年八月十一日」の皆既日食の期日を、あえてノストラダムスは「ななつき」という語法で言おうとしたと見ることができる。ローマ法王グレゴリオ十三世によってその名を冠した暦が施行されたのは一五八二年からで、これはノストラダムスの死後十六年目にあたる。しかし、その施行前から、天文学者のあいだではユリウス暦と現実の観測結果とのあいだには十日間のずれがあることは判っていたし、ノストラダムスもこのことは承知していたのだ。この知識にもとづいて、正確には「第八月の始め」を言おうとして、省略的に「七月ななつき(過ぎて)」という言いかたをとったものと考えられる。天文学上、この皆既日食は、獅子座十八度二十一分において太陽-月のあいだに起こる合(コンジャンクション)の現象である。正確には八月十一日の十一時九分の予定だが、では、占星術においてはこれがいかなる意味をもつかを考えてみなければならぬ。」(V.イオネスク『ノストラダムス・メッセージ II』竹本忠雄訳、角川書店、1993年、PP.132-135)。

しかし、原理的に見れば、イオネスク氏が「将来のフランス救国の大君候は日食の日に誕生する」という解釈(その骨格的構想は既に、Centurio, 1953, pp.226-227 で呈示されていた) を提起する時、彼は、「ノストラダムスにおける食(日食と月食)の否定的価値」を完全に無視している。何故なら、ノストラダムスは、「食」という現象については、その天文学的メカニスムを完全に理解していた(§681,V-93: 「月の丸い球の領地の下に [太陽が隠れて地上に食が起り]、水星が支配星となる時、云々...」参照: この日食は1869年8月7日の金環食 (Oppolzer №7334) で、本影がカナダを通過している。これは大英帝国がカナダ植民地を失うという凶事と重なる。)けれども、その人生論的・社会的価値については、伝統的な占星術師達と同様、「凶中の凶兆」と捉えていたから、「英雄的天子的君主たるを約束された人物がわざわざ日食の日に誕生する」などという「禍々しい予言」を行う筈はないと断言できる。ここで、ノストラダムスの「日食と月食」に関する見解を確認しておきたい。

ノストラダムスに於ける「食(日食・月食)」の否定的価値について。
A: 日食の凶性について。

これについて、ノストラダムスは「アンリ二世宛書簡」の中で、ロシア10月革命への予兆として語っている。そして、実は、イオネスク氏はその10月革命の個所は特筆大書して取り上げながら、その直前のこの日食関連個所は無視している。イオネスク著、竹本忠雄訳の10月革命論(a)を最初に引用し、次いで、本来それに先立つ日食関連個所(b)を掲げよう:

a: 「『アンリ二世王への書翰』第46-47節。そして「十月」に、なにか回天の大事件(十月革命)が起こり、その凄まじさは、重力とともに地球もその自然の運行を失って永遠の闇ふかくへ沈んでいくかと思われるほどのものでありましょう。それに先立って、春分の時期(三月)に、別の大変革(三月革命)がありましょう。こうしたことの結果、《大地震》(第一次大戦)によって、政府転覆のような極端な変化がぞくぞくと起こり、それとともに、最初のホロコースト(フランス革命)に輪を掛けておぞましいその惨めな娘、《新バビロン》が増殖するでありましょう。しかして、この(状態は)、きっかりと、七十三年と七ヵ月しか続かないでありましょう.... 」((V.イオネスク『ノストラダムス・メッセージ』竹本忠雄訳、角川書店、1991年、PP.283-284)。

b: 『アンリ二世王への書翰』第44-45節。「次いで、反キリストの大帝国勢がアッチラ圏とZERSES (**) の中へと極めて大量に侵入し始めて、ために、聖霊が出現して、反キリストを嫌って、48度以降から、追い遣り、移住を為さしめるでしょう。反キリストは、イエス・キリストの大いなる代理人たる王室に対して、またその教会に対して、その世俗的支配体制に対して、戦争を仕掛けるでしょう。- そして、その前に日食が先立って起りますが、それは、世界の創造からイエス・キリストの受難と死までで、且つ、その死から現在までで最も暗く、最も闇深い日食なのです。」(№10,p.160-161)

** Zerses は実在名ではない。唯一、レオニがヒントを与えてくれている。即ち、彼はこれを「the new Xerxes 新たなるクセルクセス」と英訳した (Leoni, 1982,p.333)。但し、これだけでは猶物足りなく、文脈に合わせて推測するならば、この近代のクセルクセスとは、話題がロシア革命で、革命によって崩壊した勢力に関わるようだから、さしずめ「帝政ロシア皇帝」と読めるのである。 その前の「アッチラ圏」は、勿論、当時のロシア帝国領に相当する。

つまり、この日食は、「その史上最も暗い食」という性格(自然的には日食の暗さは一定の限界内にあるから、この最大値は、来るべき事件の最大の凶性の象徴である)によって、来るべきロシア革命が史上最悪の事件である事を告げているのである。古今及び未来の日食と月食を網羅した「オポルツェル (Oppolzer) 著『食典』(B.C.13世紀~A.D.22世紀)」によれば、ロシア革命直前の日食に該当するのは、「Oppolzer №7446」で、ポーランドからロシア一帯で見られた部分日食である(1917年6月19日)。部分日食であるから、史上最も暗い、とは言えない訳だが、ロシア関連の予言として見た場合、その特定の「日食」が先行し、直ぐ後で「大革命」が起こる、という図式が現実のものとなったことになる。この図式に留意していたならば、「日食時誕生」⇒「将来の名君」といったイオネスク式のノストラダムス預言解釈は、基本的にナンセンスであることになる。

B: 月食の凶性について。
また、月食についても、ノストラダムスは、日食に関してと全く同様、否定的価値のものと見ている。「...1559年9月16日に起るでありましょう月食、これはその全ての悪しきアスペクトを、殆ど1560年の年の全体にまで及ぼすものでございますが、これに関してもっと広範に、そしてもっと明白に、来たるべき二年間が劣らず危険なものであることをお示しして、ご説明申し上げたいと存じます。と申しますのも、この食は、非常に長くて非常に深い拡がりのピラミッド形の一つの影 (un ombre, one shade) を伴っておりまして、劣らず危険性を有し、その危惧される威力たるや、実に、1559年の3月の初頭に増大を開始し、主に6月から年末まで拡大致します...。...もし、万有の上に立つ神が手を加えられない場合は、諸々の災難が、十分に、且つ、大いに、危惧されるのでございます。と言いますのも、私は、時間の観察に基づきまして、大いなる、且つ、多様な、諸々の裏切り、破滅、落胆、濫用、秘密分派を予言致すのでございます、又同様に、分派集団に依ります或る謀略の秘密を予言致します、そして又、その謀略が暴露され表面化されて阻止されるという事も予言するのでございます。... 次に、最も偉大な君主たち、権力者たち、王侯たちが、世俗と聖職とを問わず、全員、憂鬱にさせられることでしょう。そして、一般人民に対する圧制が甚だ大きいであろうことから、人民は逆に君主たちを窮地に追い込むでありましょう。だからしてこの月食は、第二ハウスに関して何らかの奇妙で意表を衝いた出来事を示しているのでございます。それは牛小屋、又は牛舎に関わっておりまして、主としては、馬どもに関しての或る大事件なのでございますが、とは申せ、しかじかの動物どもに関して、しかじかの出来事を個別的ケースとして完全に認識するなどという事は、全くの秘事に属するものであり、最高の禁句事項であるのですが、ただ、当該事件の期限は遠くは無いのでございます。...1559年と1560年の為に、1558年8月14日、サロンにてこれを著す。ミカエル・ノストラダムス。」(ノストラダムス『1560年全体まで悪影響を及ぼす1559年9月16日将来の食の諸々の意味について』in Chevignard, 1999,pp.445-460)

この月食(Oppolzer №4272に該当)の悪影響下に生じたと思われる出来事として、第一に、1559年6月30日に行なわれた相対する騎乗武者による「馬上槍試合」で重傷を負った国王アンリ二世が、10日後に死亡した大事件が思い浮かぶ(馬どもに関しての或る大事件)(§39,I-35;§40,II-42;§41,VII-38;§42,VI-71;§43,VII-7参照)。第二に、1560年3月に「その後を継いだ長男フランソワ二世の側近のカトリック、ギーズ公一派を排除して、自分たちプロテスタント勢力の方に王を奪取せんとしたコンデ公一派によるアンボワーズの陰謀」が露見し阻止された(分派集団に依ります或る謀略の秘密を予言致します、そして又、その謀略が暴露され表面化されて阻止されるという事も予言するのでございます)(§55,I-13;§56,VII-2;§57,II-20参照)。第三に、そのフランソワ二世が、その1560年の年末(12月5日)に若くして病死した(悪しきアスペクトを、殆ど1560年の年の全体にまで及ぼす)(§73,X-39参照)。

このようなノストラダムスの基本的立場を無視し、伝統的日食観念を踏みにじって、「日食時に産れた人物」に「英雄的天子的王者」を期待したイオネスク解釈は、案の定、途轍もなく悲惨な帰結に到達する事になった。何故なら、彼が、これと密接に関連するものと見立てた第4章86詩 (IV-86) の解釈によって導き出した「2023年に姿を表すという未来の理想的大君主」は、全く逆に、「凶王中の凶王として歴史に深く深く刻まれてしまったアドルフ・ヒトラー」についてのノストラダムス預言に他ならないからである。つまり、それは既に実現済みの四行詩であって(日本関連の預言詩3,IV-86詩:「嘱望の大君候」は凶王か?=§790,IV-86:ナチス独裁・フランス占領・ユダヤ人殲滅[1933-1945]参照)、それを、こともあろうに、この未来の理想的君主の到来と見なして希望的解釈を嬉々として展開しているのは、傲岸不遜な一面を強く持つ解釈家の悲惨の極みとしか言い様が無いのである(彼はそこで、驚くべき事に、「無辜の人を殺害するのも、その大君のあるべき所業」として認めているのだ!)。

しかも、この「月食論」でノストラダムスは明確に、「この食は、非常に長くて非常に深い拡がりのピラミッド形の一つの影 (un ombre, one shade) を伴っておりまして」と述べており、「影は一個」との認識を明示しており、この事は「日食」を含む「食一般」に当てはまるから、「複数の影les ombres, the shades」を「食影」と解釈するイオネスク解は妥当ではない。仮に、「本影」と「半影」を合して「影は複数」と計算する奇策に訴えるとしようとした所で、肝心要な事は「ピラミッド形、即ち円錐形の一つの本影」の事象に含まれているのだから、理論上その奇策は無効扱いしてよい。よって、それは「食影」以外の何かであるに違いない。

事実、ombre (shade) というフランス語には種々の意味がある。「陰、日陰、物陰、木陰(shade);影、投影(shadow)。vivre dans l’ombre ( to live in the shade) 世に埋もれている。rester dans l’ombre (to rest in the background) うだつが上がらない。」 (Suzuki) 「陰、[特に]日陰;(半影pénombre, penumbraと区別して)本影(umbra);[比喩的に]保護された(避けた)場所。無名(obscurity)、目立たない身分:sortir de l’ombre (to get out of the shadow)世に知られるようになる、無名の状態を脱する。sous ombre de qn [qc] (under shadow of ...)《廃》~という見せかけ〔口実〕のもとに:sous ombre d’amitié ( under shadow of friendship) 友情を装って。」 (Ibuki)

すると、本詩の複数形を用いた「sous les ombres 」というのは、その後に「de ~, of ~ 」を伴わないから、「見せかけ、口実」という意味ではない。やはり、最初に和訳したように「僻陬の地」、「保護された、避けた場所、目立たない状態、無名」という意味が一番適切だろう。その複数形は、例えば、「重なり連なる山々を背にした立地」といった状況に合致する。又、「soubz = sous (under) という前置詞」は、「~の内部に、~の状態で」というsousの意味からすれば全く問題ない用例である。そして、当の大川隆法氏自身も、自らの幼少時からの体験談で、「田舎育ちと平凡意識」という早生の自己認識を、平凡ならざる独自の観点から語っている:

「さて、この二十年間、自分の過去というものを振り返った時に、まったく亀の如き人生であったということを、つくづくと感じるわけです。『太陽の法』という書物にもすでに書いたことがありますが、私自身、四国の田舎に生まれ、そして平凡な子供として育てられたわけです。小・中学校を平凡な町立の学校で終え、やがて次第次第に自分というものに目覚めていったわけです。その頃、私の家には離れがありました。両親が生活の場としている家から、およそ二百メートルぐらい離れた所に離れの家があって、そこに私は通って勉強をしておりました。それは、まことに不思議な感覚ですが、小学校の高学年となって、自分のお城を与えられたようなものでした。夜、夕食が終わると、カバンを持って離れの家まで暗闇のなかを歩いていきました。そして階段を上がり、電球をつけて、そしてやがて自分の勉強部屋に入ったものです。この頃、まだ私も小さかったこともあって、闇というものに非常に怖い感じがありました。そして両親から離れて、離れの家に行くということが、とても怖く思いました。こうした離れにおいて、毎日一人で考えごとをしたり勉強したりしていたということが、後に長ずるにしたがって、私がもの思いに耽ったり、思索をしていくことの基礎になったのではないかと思います。十才にして、自ら一人でものを考えるという癖をつけ始めたということです。

その離れの家は大変古い建物であって、冬は隙間風がずぶん吹きました。また、その頃は暖房とてありませんでした。したがって、私は冬になるといつも腰にボロボロの毛布を巻き、そして手には手袋をはめて勉強していました。また、あまり寒いので、厚いジャンパーを着て、そして頭からすっぽりと帽子をかぶり、口にはマスクをして勉強していたのです。ところが手に非常に厚い革手袋をはめた場合に、鉛筆を持って字が書けないために大変苦労をしました。そうして白手袋を使うようになっていきました。薄い絹の白手袋です。ただ、それは寒さよけとしては十分なものではなかったために、私の手はいつも青くかじかんでいました。こうして、だいたい毎日、夜になると一人でその離れの家にこもり、夜中の十二 [十時?十二時?] 頃までいろんなことを勉強したり、考え事をしたりしていたように思います。その頃は、私は大変勉強の能率も悪かったのでしょうか。例えば社会科に関して言うならば、世界の地理とか歴史とかをまとめたそうした参考書、これを要点だけを読むというようなことをせず、ひとつひとつノートに丸写しをしていた自分を思い出します。それは後に学んだ勉強の方法からいえば、とてつもなく平凡な方法でありましたが、私は写経か何かをしているような気持で、その十才や十一才の頃、そうした参考書を夜な夜なノートに書き写していたのです。そうした自分に、今となっては何とも言えない懐かしさを感じています。

まだ自分の向かうべき方途は見ることができなかったわけですが、何かより高次なものへ、高尚なものへ向けて自分が努力をしているという感覚が、たまらなく好きだったのです。私はこの感覚を今も鮮やかに思い出すことができます。その頃、四才年上の兄がいたわけですが、兄は大変利発な方であって、すでに幼稚園、小学校の低学年の頃から、大変優秀な頭脳であることが証明されていました。そうした兄と自分とを、その歩みをひき較べるにつけても、自分の歩みはいかにものろいものだと感じたものでした。そうしたなかにおいて私が常に思っていたことは、「自分は平凡である。自分は頭がそれほどよくない。頭がよくなくても、しかし人が一時間やったことを自分が三時間、四時間すれば、なんとか追いついていけるのではないのか。人が一年で飽きてしまうようなことを四年、五年続ければ、きっと もの になるのではないか。平凡な自覚はあるけれども、しかし五年、十年、二十年と続けていくうちに、なんらか変わったものになっていくのではないか。自分の頭脳はとてつもなく平凡だけれども、蓄積ということ、継続ということにおいて努力していけば、やがてある時点で化学変化でも起きるように、大いなる飛躍を経験することもあるのではないか。」そうしたことを夢見て、白手袋に息を吹きかけながら、鉛筆を握っていた私の姿があったのです。

そうした少年時代を送っていたわけですが、私が日々心がけていたことが、ひとつだけあります。それは、どんな田舎に住んでいても、どんな小さな社会に生きていたとしても、そのなかで光ってくる人、この光がどれほどのものかはわからない、といった考えでした。それは、私の父もよく言ってくれたことです。小学校の五年、六年になって、ようやくクラスで一番をとれるぐらいの私となってきましたが、いかんせん草深い田舎のことですから、クラスで首席をとるということは、おそらく都会の学校で言えば平均か、平均を少し越える程度の学力であっただろうと思います。けれども、父はいつも私を励ましてくれました。「どんな田舎の学校であっても、どんな小さな学校であっても、一番だけは違うよ。全国比較しても、まったく違うところにいるかもしれないよ。どんな天才がいるかもわからないよ。どんな田舎においても、どんな小さな学校でも、どんな狭い地域社会においても、一番だけは値打ちがあるかもしれないよ。」そうしたことを、いつも父は言ってくれていました。私はその言葉が非常に支えになったと、今思い起こします。つまり、番号が一番であるか、二番であるかというようなことは、今の時点で振り返ったならば、たいしたことではありませんが、私がそこで学んだ心得というのは結局何かと言うと、どんな小さな場所においても、地域においても、立場においても、そのなかで非凡なる光を発しているということは、実はそれは思いもかけぬような価値を持っているかもしれない、という教訓であったと思います。長ずるにつれて、やがてこれが真実の言葉であるということが身にしみてわかってまいりました。たとえどのような環境に置かれても、人間は自らの置かれた場所にいてダイヤモンドの如く光っていれば、やがて新たな人生が展開してくる、新たな道が開けてくるということ。これが真実であるということを私は知るに至りました。」(『平凡からの出発』土屋書店,1988,p.14-21)。

かくして、その地、その時に生まれたこの人は、「ラ・ムー、釈迦牟尼」の再誕者として、「古代の骨壺のおのが血を再誕せしめ」ているわけである。そして、特にラ・ムーとしては宗教的大師であるとともに皇帝でもあったわけで、まさにその時代を文明文化の黄金時代たらしめた実績があり(ムー大陸及びラ・ムーについては、大川隆法『太陽の法 エル・カンターレへの道』幸福の科学出版, 1997, p.260-269参照)、今回は『預言集』第5章53歌 (§942,V-53) にあったように、まさにユダヤ・キリスト教的な「メシア(キリスト)」に該当し、「太陽の法」を携えて精神世界の一大革命を為し遂げ、世界史的に疲弊した人類生活を心の太陽発火により黄金の文明に輝かそう、との大志に邁進している。

従って、「彼は支配の位に就き、至高の善意に満ちるだろう」という第二行目の言葉は、このような大川隆法氏の宗教的使命を述べていると解釈されるのである。この点、原文が en regne et bonté souveraine (in reign and sovereign goodness) という風に「支配 regne, reign」と「善意或いは正義 bonté, goodness」とが、「至高の」という形容詞が付く・付かないで以て分けられているから、いわば、現代的な政教分離の原則に則った表現となっている点に留意しなければならない。

粗雑に取ると、この一人の人が「最高の政治的権力と最高の宗教的権力を一身に兼ね備える」者のように解釈される可能性がある。しかし、そうではないだろう。何故なら、先ず第一に、souveraine というフランス語形容詞は、「女性単数形」であるから、直前の bonté という「女性単数名詞」に係るが、その前の regne という「男性名詞」には係らない。souveraine という二行目末の語は、元来、四行目末の語 ærain と押韻すべきで、そうすれば男性形の souverain という形になる。そしてもしそれが、regne という単数男性名詞と bonté という単数女性名詞の両方に係るには、形容詞を「souverains という男性複数形」にするのがフランス語の規則である。しかし、そうなっていない以上、ノストラダムスは、ここに敢えて承知の上で「単数女性形」を置いたのであるから、その意味は深く考えてみなければならないだろう。

従って、第二に、regne に「souverain」という形容が付かないとすれば、どういう意味になるのか?ここで思い浮かぶのは、「The British queen does not rule but only reigns. 英国女王は統治せず君臨するのみ。」という英語の警句である。regne から、わざわざ「souverain」(最高実権者たる)という形容をノストラダムスが外した形跡が窺われるとすれば、こういった意味が強く推測されるのである。他方において、bonté souveraine(最高実権的善意)は、前者とは対照的に、「名実ともに宗教的最高指導者」(氏自身の自己規定では「主エル・カンターレ」)という意味に取っていいだろう。

とは言え、regne に souverain という形容詞が付かなくても、regne だけで既に「いわゆる政権」、即ち「帝政、王政、共和政等の如何を問わず、一国の最高政治権力、特に最高行政権」という意味が認定される。実際、ノストラダムス『預言集』に登場する regne (reign), regner (to reign), regnant (reigning) 等の用例全96例中、実に92例は明確にこの意味で使われている。他方、本詩を含む残り4例を見ると、以下の通りである。

1° 「金星の下の支配と法」(§935,V-24)
2° 「太陽による法と支配」(§935,V-24)
3° 「月の支配の20年」(§941,I-48)
4° 「僻陬の地に、暗黒の時代に生まれ出たる人は、支配の位に就き、至高の善意に満ちるだろう」(§943,V-41)

このうち前3例は既述事項であって、そして、1°と2°とは相対的に比較され、その「法と支配」とは、「世の中の、或いは世のなかにおける、一般的潮流としての、或いは際立った、意識、想念、思想、理論の勢力」といった意味であったから、いわゆる政権ではない。又、3°は「キリスト教が人々の精神生活を導く主流だった西暦2000年間」といった意味であった。それに対して、同詩で、「月の支配の二十年が過ぎたら、七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。」(大団円としての幸福の科学11参照)と詠われたその「君主政 monarchie, monarchy」とは、世俗的制度・政治体制ではなく、「仏典」や「聖書」や「コーラン」といった「聖典とその教え」全体の、この場合は「『太陽の法』を中核とする大川隆法氏の宗教思想を中心とした法体系」の支配的潮流の確保といった意味だろう。

故に、これらに連なる文脈上に位置する4°の場合も、その支配とは、矢張り、世俗的な政権の意味ではなくして、「精神的、思想的な圧倒的影響力の行使」という意味に違いない。そして、そこに、後続の「至高の善意」という規定が加わって、一層肯定的な「精神的支配」のイメージが増幅されるのである。

従って、イオネスク氏がこれを、「王侯にふさわしい善意をもって君臨する」として、「世俗的君主権」として解釈したのは、『預言集』全体の中でのその位置づけを欠いた短見に過ぎない。

但し、このような単純な「政教分離型解釈」は必ずしも「幸福の科学総裁並びに幸福実現党総裁(ないし創立者)大川隆法」氏には当てはまらないように見える。実際、氏はここ数年来、本気で政治的運動に「アンガジェ」(自己拘束、参加、挺身)しているように見えるのである。しかし、その本当の所は、氏は「あくまでも政治理論家」としての域をはみ出ないのであろう。或いは、氏自身がどんなに「政治の実際運動」に熱を挙げるように見えても、必ずそれは「本質的に理論的な活動の一環」であり続けるだろうし、そのように余儀なくされるだろう、ノストラダムスの正確無比な預言の数々を閲(けみ)して来た我々として、本詩二行目の意味を精細に検討した結果を踏まえるならば。

つまり、大川隆法氏が、「支配の位に就くだろう」というノストラダムスの表現と予言は、どんなに薄く見積もっても、如上の「精神論的解釈にも矢張り付随する形での」政治的色彩が伴なっているが、しかしそれはあくまでも、「マルクスの唯物論の世界的伝播に対抗し、それを無化する普遍的理想的政治理念の構築と伝播」というマルクスと同様の、しかしその対極に立つ「原理的理論家」として最高度の影響を世界に与える、という託宣なのである。言い換えれば、政治世界において、大川隆法氏は、「一人の現実の実権掌握・行使者」(a sovereign)として使命を帯びているのではなく、日本であれ、外国であれ、世の中の政治家たる者一般及び国民・市民一般に対して、プラトンが説いたような「哲学者たる君主」の政治学に類似の方向性を有つ《政治哲学理論》を、「最高度の宗教的覚醒感に裏打ちされた理念・構想・目的」として教示する立場(氏自身の自己規定では、「日本の国師」「世界教師」)を神与されているものと考えられるのである。

更に言いかえれば、要するに、その「支配 regne, reign」という言葉は、伝統的な「しろしめす」という大和言葉において理解すれば、大過ないであろう。何故なら、「しろしめす」とは、「し(知)りてし(領)らす」ということ(久松潜一監修『改訂新潮国語辞典 - 現代語・古語 - 』改訂第7刷、新潮社、東京,1980,参照)、即ち、「政治的領導の根本知識がある故にまつりごとを預かる」ということであるからであって、「単に先ず権力を掌握し、而してそれを行使する」という順序とは相いれない叡智の業であるからである。そして、これは、「知りて、自ら領らす」というよりも、「知りて、その知る所を現実の為政者等に伝える」という活動である。

我々はこの意味において、ここに「聖王」という概念を導入することにしたい。つまり、ここで我々が「聖王」と言うのは、「ブッダ、メシア、キリストに相当する宗教的大指導者に匹敵し、且つ、政治的認識においても打開性を有する人」のことである。そして同時にそれは、「特に政治的、軍事的に特化した指導者」としての「覇王」の概念との比較において、そして「覇王」から区別されるべきものとして確立される。

大川隆法氏自身、この事を「仏法(ぶっぽう)は王法(おうぼう)を超える」という箴言を用いて表現している(大川隆法『奇跡の法』幸福の科学出版, 2001, p.138-141)。

最後に、第四行目:「而して青銅に替えて黄金の時代を再開するであろう。」とは、、矢張り先の§941,I-48詩で見た次の章句:「月の支配の二十年が過ぎたら、七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。太陽がその[月の]倦まれし日々を自らの手にするだろう時、その時太陽は我が預言を完成し終わらせるのだ」(大団円としての幸福の科学11参照)との照応によって明らかな如く、「青銅の時代」=「月の支配の20年」(静かな鈍い光、幽かな輝き)VS. 「黄金の時代」=「太陽の支配の時代」(強い黄金の光)という図式で説明可能である。従って、その交代時期は、理念的には西暦2000年と言えるだろう。

強い黄金の光: 反省が完成したときには、全身から光が出ます。これをオーラということばで呼ぶこともありましょう。後光と言うこともありましょう。しかし、それは単に外面的なる後光ではなくて、霊的な目で見て、全身が金色の像になっていなければならないということです。そしてその内から、強烈な光が四方八方に散乱していなければならないのであります。ここに私は、祈りとは違った「光」が存在することを感じるのです。祈りの光は遥かなる上空から降ってきます。しかし、反省による光は自らの内より発するのです。これを見たときに、知ったときに、私たちは、『新・心の探究』その他の書物で説かれている心の構造論の意味がわかるのであります。私の理論書には、私たちの心は、玉葱型に幾重もの層からなっていて、一人ひとりの人間が心のなかに四次元領域、五次元領域、あるいは六次元、七次元、八次元、九次元、十次元という領域を玉葱状に持っていると書いてありますが、それがまさしく真実であるということを、みなさんは知るに至るのです。心の中核、中心の部分には、実相世界へと通じ、そしてさらには人霊を超えた世界に通じる「核の部分」があるのです。人格霊としては八次元、九次元が最高領域であるというような話もありますが、私たちのなかには、これを超えた十次元、十一次元、あるいはさらにそれ以上の光が注いでくる部分があるのです。その奥の奥の一点は、究極には大宇宙の遥かなる奥にいます神へと通じているのであります。この事実を知ったときに、我われは、内なる光を求めるという方法が存在していることを知らねばならないと思います。釈迦が説いた教えも、結局ここにポイントがあったのです [前節参照]。) [初出:『北海道教育大学紀要』IA, vol.50-2, 2000。改稿:2013年8月14日。]
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§944, X-72 & §945, X-75: 再臨の債務と履行 (1999-2000)

大団円としての幸福の科学14-15

ここでは、あたかも『預言集』冒頭の二篇の四行詩が相伴う聯詩であった如く、これら同じ第十サンチュリで互いの至近に位置する二篇を、完全に相互に浸透しているペアと見なして解釈するのが最善の方法である。それは、解釈の結果によって御納得いただけると思う。

第十サンチュリ第72詩  キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7): X-72 (§944).
1999年に、7ヶ月経って、
天から一人の大王が「実費支払人」として到来するだろう、
そしてかの大王ダンゴルモアを再生させるだろう。
その前後、マルスは運良く支配するだろう。


§944, X-72: A great King Dangolmois (1999.7)
In the year nineteen ninety-nine seven months having elapsed,
From the heaven shall come a great King as defrayer
To resurrect the great King Dangolmois.
Before after Mars shall reign in luck.

            
L’an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roy deffraieur
Resusciter le grand Roy Dangolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.
                                                     
第十サンチュリ第75詩 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000): X-75 (§945). 
待望久しき人は、ヨーロッパの中へ
決して戻って来ないだろう。アジアに、
大ヘルメスの系譜の連盟の一人が出現するだろう。
そして東洋諸国の全ての王を凌駕するだろう。
     
§945, X-75: One great King of Asia issuing from Greece (2000)