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§4 原始仏教(釈尊)の基本的立場 (下)

§4 原始仏教(釈尊)の基本的立場(下)

 釈尊の悟りと道徳的発達(下) 実践的概念としての「無我」 

26.和辻哲郎の「無我」解釈について

 以上を通して、我々の仏教学研究としての理論的研究のための仏教資料の底本群として採用した中村元『原始仏教1-5』(『原始仏教1 ゴータマ・ブッダ釈尊の生涯』『原始仏教2 原始仏教の成立』『原始仏教3 原始仏教の思想 上』『原始仏教4 原始仏教の思想 下』『原始仏教5 原始仏教の生活倫理』)(注1)に基づいて、先ず、釈尊の基本的立場の制限的規定として、B(非Q)=最善観的輪廻転生論、という成果を得た。次にこれに基づいてB(E)の解明に進もう。即ち釈尊によって斥けられた哲学的諸立場を記号Qで表わせば、B(釈尊の悟り自体)に関して「Bは非Qである。」という制限的規定が得られる。このように制限されたBをB(非Q)と表記する。他方本来の資料批判によって到達されるE(初期仏教経典)の解釈によって知られる限りのBをB(E)と表記する。するとB(E)はB(非Q)の範囲内にある。何故ならB(非Q)は超越的比較から見たBの制限的規定であるから、単にEに即して内在的に見られたB(E)よりも範囲が広いからである。換言すればB(E)はB(非Q)という制限の外にはみ出る哲学的含意を持つ解釈であってはならないのである。

注1* 中村元『原始仏教1~5』即ち『中村元選集第十一~十五巻』、昭和四四~四七年、春秋社。なおこれらからの引用は[ ]の中に入れて、例えば(iii.237)のように巻数(iii は『原始仏教3』を表す)とその頁(237 ページ)を示す。以下同様*

 それに先立ち、我々が批判的に継承した和辻哲郎の研究結果を参照しておきたい。
 和辻は具体的には、ブッダと同時代の代表的な思想家たちであった仏典に所謂六師外道の自由思想及び伝統的且つ支配的なバラモン思想との比較研究からブッダの新しい根本的立場を解明した。

そしてそれは伝統思想の形而上学的実在論と自由思想の感覚的唯物論のいずれとも背反する第三の立場、要するに形而上学的乃至反形而上学的性格を欠落した「法」(素朴なる、即ち主観客観未分化の日常生活的経験における現実存在の範疇:五蘊六入縁起等)の認識の立場であるとされる(百七~百八頁)(注2: 和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』(1927年)『和辻哲郎全集第五巻』昭和三七年、岩波書店。なおこの書からの引用は、以下、例えば(十三~二一頁)のように表す)。

しかし和辻は余りにも単純に、一方では自由諸思想を感覚的唯物論として一括し、他方では伝統的正統思想を形而上学と見て、両者の同時否定を以て釈尊の立場と考えた。

且つまた和辻には《神話的要素は人間の想像力による虚構であり文学的修辞である》という個人的臆念があるので(八一頁)、彼においては「唯物論の否定」→「形而上学(唯物論の否定)の否定」→「唯物論の暗黙の肯定」という仮定が成り立つ。

「唯物論の暗黙の肯定」という仮定は、既に見たように我々が到達したB(非Q)の範囲内には存しない。逆にそれ(唯物論的哲学)はQに所属する。従って和辻の解釈は、釈尊の基本的立場に背反する立場(Q)を以て釈尊の立場と解する重大な錯誤と言わざるを得ない(注3)。

注3* 和辻哲郎は「本来ブッダの根本思想は全能なる創造神のごときを排するものであった。その点は当時の唯物論的な外道説と同様である。」(八一頁)と述べてブッダの根本思想を唯物論的性格のものと見ている。しかし釈尊による全能神の排除は、霊的存在一般の否定という唯物論的趣旨とは異なり、単に人間的主体性に対する絶対的他律支配の原理の排除を意味するだけである。これについては、中篇21節参照*

この厳しい判断は、我々が、ブッダによって斥けられた哲学的諸立場それぞれの思想的内実及びそれらに対する仏教的諸対応を、和辻の印した轍に不用意にはまることなく、確定資料に基づいて客観的に検討した結果として獲得し得た判断である。

 この判断の再確認のために、和辻の考察の筋道を一通りフォローしておきたい。

27.和辻における伝統思想論

 初めに正統的伝統思想であるバラモン思想に関し和辻の議論は次のように進む。「正統バラモン系の思想において中心となるものは我(atman )の概念である。ウパニシャッドが作り始められたころ、経験的な現実の根源としてつかまれたものはあるいは「有」と呼ばれ、あるいは更にその根源にさかのぼって「非有」などとも呼ばれたが、しかし最も勢力を得ていた名はブラフマンとアートマンであった。

それは祭儀の中核たるヴェダの言葉それ自身であり、又その言葉と言葉を知れるバラモンとに内在する神秘的な実体、力であった。この言葉の魔力がやがて万物の支配力たるブラフマンの観念を作り出して行った。またアートマンは語源的には呼吸であるが、原始人にとって呼吸が生命の根拠、人格の存在の根拠と感ぜられる所から、やがて経験的な呼吸現象としての意味は後方に退き、その現象の本質、生命の根源として考えらるるに至った。

そこに存在的実体的な霊魂、自己、我の意義が生ずる。更に多なる「我」の根底に一者が求められ、宇宙はこの一者としての「我」の中に流れ込む。かくてアートマンはブラフマンと同じく宇宙の根源的な力となりその資格において同一視せられるに至った。この考えがアートマンの形而上学として形作られた。

それは古昔の形而上学に通例であるごとく、直ちに超感覚的本体として実体化され、男性人格的神としてのブラフマーとなり、この本体、この創造神が、転変して万物を生ずると考えらるるに至った。仏教の経典に描かれる正統バラモンは三ヴェダに通じウパニシャッドを奉ずるものであるが、皆創造神最高神としてのブラフマーを崇拝する。

「この君は実に梵天なり、大梵天なり。全能にして勝らるることなく、一切を見、一切を支配し、世界の自在主にして、全てのものの創造主、化生主、最上の能生者、一切を制する主、已生未生のものの父なり。」かかる梵天との共住同伴(または一致)が正統バラモンにおいて理想とせられた。」(九九~百一頁)

28.和辻における六師外道論

 次に伝統的バラモン思想に対する当代流行の自由思想たる六師外道についての和辻の概括を見てみよう。「この非正統的思想の特質は感覚論的唯物論的という点に認められるであろう。ここでは雑多を生み出す究極の一者の思想は残りなく捨て去られ、ただ感覚的直観的なるもののみが重んぜられている。すなわち人間を初めとして万物を構成するものは地水火風の諸要素である。これら要素はその存在の場所としての虚空の中でただ機械的に結合する。人間の死は要素への分解であって死後には何物も残らない。この考え<アジタの考え>においては精神的原理は入る余地がない。さてこれらの要素は作られざるもの、生産せざるもの、不変なるものであるが、この要素の中に楽、苦、霊魂(jiva)の三を取り入れる考え<パクダの考え>もある。ここには精神的原理が取り入れられたように見えるが、この霊魂は…要素としては地水火風等と同様であり決して普遍我に連絡するものではない。更にジャイナ教の考え<ニガンタの考え>になると…鉱物動植物等に認められる霊魂に対して、四種の非霊魂すなわちダルマ、アダルマ、虚空、物質があり、これらの五を実在体と称する。ダルマは運動の条件、アダルマは静止の条件であり、物質は原子(anu 微塵)にまで追究せられている。原子に対立する霊魂を認める点でそれらは全然唯物論とは言えぬであろう。しかしその霊魂が感覚的直観的なる生命の現象に基づいて機械的な結合の一要素として考えられていることは疑えぬ。かくのごとく非正統思想は、感覚的なるものにのみ権利を与えつつ、しかも感覚的なるものを機械的に構成する要素として考えられたものに不変無始の実在性を許すのである。」(百三~百四頁)

29.和辻における両辺排除の論法と「無我」解釈の唯物論性

 以上二つの互いに背反する考え方に対して、ブッダはその両方を同時に排除して、いずれでもないより高い認識の立場に立ったと和辻は考える。

「仏教は六師外道の一人なるサンジャヤ・ベーラッティプッタがなしたごとくに、ただ立場を取らない、判断を中止するというだけには終わらなかった。…原始仏教は日常生活的経験を批判し、その根本範疇を見いだそうとしたのである。しかもこの仕事は無我の立場において、すなわち主観客観の対立を排除した立場において、行われた。

日常生活的経験は主観の側面から見られるのではなく、そのままに素朴的な現実そのものとして取り扱われる。従って日常生活的経験を可能にする範疇とは日常生活的主観の形式なのではなく、素朴な現実存在そのものの有り方なのである。かかる意味の範疇がここには<法>として立てられる。」(百七~百八頁)

「計我の立場は凡夫の立場すなわち自然的立場であって、そこでは「我」が外界に対している。…そうしてこの「我」と他の多くの「我」との間に、さまざまの愛著憎悪等の葛藤が醸される。これが自然的立場における現実である。しかるに無我の立場はかくのごとき「我」もその本質としての「我」もすべて把捉し得られないことを主張する。そうして一切の現象の考察においてすべての「我」を抜き去ることを要求する。…だから「無我」とは言っても自然的な立場における経験的我をまで無と主張するのではない。経験的我は自然的立場の中核であり、一切の煩悩の根(ね)である。しかし法を観ずる立場においてはこの経験的な我を全然排除するとともに、この我の本質たるべき「法」としての我も全然その場所を持ち得ないのである。かく経験的我の排除とともに一切の我が根本的に排除せられるところにこの立場の注目すべき特徴がある。」(百三一~百三三頁)

30.釈尊における形而上学的無記について

 ここで和辻の議論の検討に入って行こう。普通、原始仏教では形而上学的無記が言われる。それは生前の釈尊が複数の形而上学的難問に関して完全に沈黙を守ったことを指す。すなわち所謂十難無記である。

 十難とは、世界は、時間的に①無限か、②有限か。空間的に③有限か、④無限か。身体と霊魂とは、⑤一つか、⑥異なるか。人格完成者(如来)は、死後⑦有るか、⑧無いか、⑨有り且つ無いか、⑩有らず且つ無からずか。という十の難問を言う(注4)。これらに関し釈尊は肯定否定いずれの解答もせず(無記)、完全黙秘し、そのような論議と探求の実践上無意義であることを弟子たちに説いて止めさせたというエピソードは単なる挿話というよりも、釈尊の説教活動を終始するバックボーンとなり、言わば戦略となっている。

注4* 十難の定式化については、三枝充悳『初期仏教の思想』昭和五三年、東洋哲学研究所、四五~五五頁、に拠った*

 他方、「無我」の教説はこれも釈尊がその長期の教育活動の中で、逆に今度は言わば口を酸っぱくして喋り続け説き続けたテーマである。

 とすると、和辻流の解釈に依れば、前者<十難無記>への解答が後者<無我の教え>であることになり、弟子たちの意表を衝く師の態度であったということになるが、果たしてこれで筋道の通る解釈であろうか。

寧ろ逆の可能性が考えられる。即ち無我の教えは決して十難無記への解答ではなくて、従って、無我とは決して形而上学的含意を持つものではない、それは常に実践的概念である、と。この方が師たる釈尊の弟子たちへの態度の素直な形を表すのではないだろうか。

 つまり、和辻の解釈のうち、十難無記は釈尊が伝統的バラモン的アートマンの形而上学にも、感覚的唯物論的哲学にも与せず、より高い第三の立場たる<法>の立場に立ったことを意味するとする点は、必ずしも一義的に決定可能な論点ではない。

釈尊の無記の態度とは、文字通り、立場決定の表明をサスペンドしているということであって、そのことから直ちに和辻のように実は第三の立場への態度決定を読み取るべきだ、ということにはならない。

和辻の場合、十難無記の各選択肢に、ほぼ、伝統的アートマンの形而上学と唯物論的諸哲学の論理的対立がそれぞれ反映されている(百五~百六頁)という見方をするから、仏教的基本の立場はこれらを排した所にあるとの推論が導かれる。

そこで問題は、仏教が他の同時代の諸思想に対してどのように関わったかを厳密に解明することでなければならないが、それは既に見たように、和辻流の単なる両辺排除ではなく、言わば是々非々の有機的弾力的個別的対応であったのである。つまり、形而上学的実在論と感覚的唯物論という両辺の同時的排除に仏教の新機軸を見る和辻に対し、我々は形而上学的実在論への親和性と六師外道に対する段階的疎密関係という有機的な関係を原始仏教に認めたのであった。

 この点をもう少し詳しく言うと、[六師はいずれも特徴ある学説を唱えた自由思想家として有名である。かれらはいずれもヴェーダ聖典の権威を否認し、バラモン教に反抗した。]そして確かに当初[釈尊も歴史的社会的には当時としては六師と異ならぬ存在であったのである。](ii.4~25)

 しかし、そのような自由思想家の一人という歴史的社会的位置づけを持つという点では、釈尊も六師と同類であるが、それだからと言って、伝統的ヴェーダ聖典とバラモン教に対する基本姿勢までもが、彼らと全く同様であったとは言えない。むしろ同じ自由思想家群に分類されても、釈尊はそれら六師の全体に対して実践的に厳しく対立する見解を提示しており、その具体的内容において今度は逆に伝統的ヴェーダ聖典とバラモン教に対する理想的・名目的一致の観を見せているのである。

 しからば、釈尊の立場と伝統的ヴェーダ聖典・バラモン教の立場との本質的相違は何であろうか。多くの場合それは、伝統的な形而上学的アートマン、すなわち実体的自我を釈尊は否定して、「無我」の説を立てたと解釈されている。

ところが、もしそうなら、それは「十難」の一つである「身体と霊魂とは一つ」という哲学的見解<⑤>を釈尊は採用していたという主張に事実上帰着することになる。そうなるとこの解釈は、さきに触れたように、釈尊の終始一貫した無記の態度、つまり肯定も否定も言明しないという判断停止の姿勢を踏み越えて、強硬に為される越権的な憶測以外のものではありえないことになる。

 他方、釈尊の「無我」の教説は、徹底的に実践的な意味のものとしてならば、「自我」の哲学的本質論を猶予したままでも、一貫して通用し得るのである。そこで以下の議論において、この点を釈尊の教説の中枢的機軸にかかわる問題と見て、我々の研究の底本として採用した中村元の業績に即して解明しよう。

31.道徳的実践的概念としての釈尊の「無我」の教え(中村元博士の研究成果の要約)

 [人間を見つめると、人間を動かしているものは、盲目的な欲望であるということを、原始仏教は見出した。『人々は欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている。』『かれらは欲望を貪り、求め、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、ーーここで死んでからわれらはどうなるのだろうか」と。』『諸々の生存に対する妄執にとらわれ、この世の人々がふるえているのを、わたくしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないので、死に直面して泣く。』『わたくしは牽引する者(=妄執)を貪欲、強大な激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。』
 釈尊はこのような人間存在の『根本を見た人』なのである。] (iii,101 ~102)

 [仏教の実践法として説かれていることはいろいろあるが、その根本は、われわれに迷いを起こさせる欲望をすてるということであった。『この世で諸々の欲望を超え、また克服しがたい執著を超えた人は、流されず、束縛されず、憂えることなく、思いこがれることもない。』『いろいろの欲望を貪り求める人がいると、諸々の煩悩がかれにうち勝ち、危難がかれをふみにじる。それ故に苦しみが、かれにつき従う。あたかも壊れた舟に水が浸入するように。それ故に、人は常に正しい念いをたもって、諸々の欲望を回避せよ。船のあかを汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、流れを渡り、彼岸に達したものとなれ。』

 右は現存最古の聖典の一つである『八つの詩句の章』(Atthaka-vagga,Sn.IV) の冒頭の詩句である。初期仏教の詩人は、思うことを新鮮なことばのいぶきを以て表明した。ところでいまわれわれが右の詩句に含まれている思想を理論的に分析すると、
  (1)われわれの人間存在の根底には、欲望(kama)、貪欲(chanda)が潜在する。
  (2)それにもとづいて執著(visatti )が起こる。
  (3)そのために諸々の危難(parissaya )が起こる。
  (4)それ故に苦しみがつき従う。
ということになる。のちの教義学者たちはーーすでに聖典の散文の部分に現われていることであるがーー右の四つを(1)妄執(渇にたとえられる執著 tanha)(2)執著(upadana )(3)生存(bhava )(4)生と老死、という別のことばで表現し、やがて、十二の項目よりなる縁起の体系のうちにとりいれた。ただここで欲望に関して言い得ることは、欲望を表示する語が種々用いられているが、それらを表示する術語としては後には「妄執」(tanha )が一般的に用いられるようになった。](iii,102-104 )
 [では苦しみがこのように成立しているのは何故であろうか? 最初期の仏教においては、苦しみに悩まされている凡夫は、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)と見なしているからであると説いている。そこでわれわれはいわゆる「無我説」の考察に入らねばならない。

 仏教は無我説の立場に立つものである。このことを仏教徒自身も標榜している。「諸法無我」ということは、仏教を他の諸哲学説から区別する標幟である三法印の一つとされている。またインドの他の哲学諸学派も、このことを承認している。例えばシャンカラは仏教を無我説(nairatmyavada )と呼んでいる。

 ところで「無我」とはどういう意味であるか。われわれはまずその原語を調べてみよう。パーリ語聖典においては、無我の原語はanattan (主格ではanatta)である。この語は名詞である場合もあるし、また述語として用いられる形容詞である場合もある。いずれの場合でも、「我ならざる(こと)」(not a soul)という意味と、「我を有せざる(こと)」(without a soul)という意味と二義がある。漢訳仏典においても「非我」と訳されることもあり、「無我」と訳されることもある。漢訳仏典に出てくる「無我」の直接の字義は「或るものが我(アートマン)を有しないこと」「或るものに我が無いこと」である。

 では、無我説の根本趣意はどこにあるのであろうか。

 経典の中の最古層に表明されている無我説によると、何ものかを「わがもの」(mama)「われの所有である」と考えることを排斥している。そうして修行者はまず「わがもの」という観念をすてねばならぬという。したがって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである。(下線筆者)
 『(何ものかを)わがものであると執著して(mamayita)動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行なうべきである。(amamo careyya )ーー諸々の生存に対して執著することなしに。』
 「わがもの」「われに属す」(mama)という観念をすてねばならぬということは、初期経典の中のあちこちに強調されている。例えば修行を完成した人(tathagata )は『貪欲を離れ、わがものという執著なく、希求することがない。』真実の修行者は『わがものという執著なくして行なう』といわれ、『善き誓いを持っている人はわがものという執著がない』といわれている。これが修行僧のあるべきすがたとされているのである。すなわち真実の修行者にとっては、何ものかを「わがものとなす」「わがものとみなす」(mamayate)ことがなく、また「わがものとみなされたもの」(mamayita)も存在しないのである。真実の修行者は『執著することなく、常に心をとどめて(念じて)、わがものと執したものを(すべて)捨て去って世の中を歩きまわる』のである。修行者に対しては『世間における何ものをも、わがものであると見なして固執してはならない』と教えている。このようにこの「わがもの」という観念を離れ、我執をすてることが、修行の理想である。『世間を、草や薪に等しい、と智慧を以て観ずるとき、かれは「わがもの」という観念(mamatta )を見出し得ないが故に、「われに(このものが)存しない」(n'atthi me)といって悲しむことがない。』これがすなわち解脱の境地である。](iii .139 ~143 )

 [では何故に「所有」「わがもの」という観念を抛棄せねばならないのであるか。その理由として経典が挙げているのは次の道理である。ーーおよそ自己の所有と見なされているものは常に変滅するものである。したがって永久に自己に属しているものではない。また自分が死んだならば、自己の所有物、あるいは自己の所有のように見なされている人々(例えば家族等)は、自分から離れてしまう。したがって自己の所有に執著してはならない。ーーと。『人々はわがものであると執著した物のために憂う。(自己の)所有したものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅すべきものなのである。』](iii .150 ~151 ) [こういう意味における無我説は、ジャイナ教のそれと全く一致するのみならず、またバラモン教の所説とも、その趣意の上ではやはり一致するものである。](iii .148 )
 [ではどこに特に仏教的な特徴が存するのか? このことについては、以下において論ずることにしょう。以上の所説と相並んで初期仏教の聖典は、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)と見なすことをも排斥している。『神々ならびに世人は、非我なるものを我と思いなし、名称と形態とに執著している。』

 ところでこの場合「我」と訳される原語「アートマン」(Skrt.,atman,Pali,attan)とはどういう意味の語であるか。アートマンとは元来気息を意味する語であった。さらに生命の主体と目されては「生気」となり、総括的には生活体すなわち「身体」「肉体」、特に「胴体」となり、他人と区別しては「自身」「自己」の意味となる。したがってインドの文献においては、再帰代名詞的に用いられることが多い。さらに内面的・本質的に解されて哲学的な意味では「本体・本性・本質・精髄・霊魂・自我」を意味するに至った。特にウパニシャッドにおいては、アートマンは万有の根本原理あるいは絶対者と同一視されるに至った。ところで初期の仏教徒はアートマンという語を主として「自身」「自己」の意に用い、それが原義であると考えていた。「アートマン」という語をシナ語に訳すに当たって、シナの訳経僧はこれに「我」という字をあてた。「我」という字は古くは、シナ語において一人称の代名詞の対格(accusative)を表示する語であった。故に往昔のシナの翻訳僧もアートマンの直接の字義は、今日の日本語でいう「自身」「自己」の意味に解していたことが知られる。(今日の日本語では、「我」というと偏狭な自我、恣意的な自己、というニュアンスを伴っている。例えば「我を張る」、「我が強い」など。このようなニュアンスは仏教の無我の観念ならびにその字義から対比的に導き出されたものであろうが、本来はこのような意味をもっていなかった。故にこのような誤解を避けるために、「自己」「自身」と訳したほうがよい場合がある。)

 さて、アートマン(自己)ならざるものをアートマンと見なすということの意味をさらに具体的に考えてみよう。非我(アートマンならざるもの)といわれるものの中でも、自己の身体・家族・財産・地位などは、自己にとって最も大切なものであり、しばしばアートマンであるかのごとくに誤り解せられる。しかしそれらはアートマンではありえない。このことはウパニシャッド及びヴェーダーンタ哲学において特に強調するところである。したがってこの限りにおいても、仏教はウパニシャッド乃至ヴェーダーンタ的思想と何ら異なっていない。(下線筆者)

 また「名称と形態とに執著する」云々の句も、同様に解することができる。ここで「名称と形態」というのは、ウパニシャッド以来、現象世界のありとあらゆるものを総称する呼称である。故に名称と形態とに執著することとは、アートマンを、具体的な差別相に限定されたものとして把捉すること、すなわちアートマンを対象的に把握することである。世人はこのような自己以外のものに執著して、自己を喪失しているのである。仏教はこのような思想を排斥したのである。したがってこの点についてもウパニシャッド的な思想の影響が認められる。ただし最初期の仏教においては、「名称」とは精神的な表象内容、「形態」とは身体のことであると考えていたらしい。ただ仏教では身体を特にアートマンであると誤り解する思想を、特に力を入れて排斥している。『窟(身体)のうちにとどまり、執著し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人、ーーこのような人は実に厭離から遠く隔っている。実に世の中の欲望を捨て去ることは容易ではないからである。』

 身体がわれわれのアートマンであると解する思想は相当に根強いものがある。唯物論者は、身体即我の主張(dehatmavada )を立てるものとして知られている。のみならずそれが一般世人の見解である。『衆生は自己の身体を楽しむ。』また愚昧な凡夫はこの身体をわがものであると解している。『他のものである肢体をわがものであると思う。』神々といえどもこのような見解にとらわれていて、そのために輪廻の範囲に流転し、なお苦悩を脱し得ない。長寿天は仏の説法を聞いた後で、『ああ、われは未だ自己の身体を超えていない。実に無常である。』と嘆じた。

 さてこのような見解を初期の仏教徒は『自己の身体を執する見解』(sakkayaditthi,Skrt.=svakayadrsti)と呼んでいる。(この語は仏教における重要術語として用いられていたにもかかわらず、後にはその原義が不明となった。そうして後世この俗語形がサンスクリットに直される際にsatkayadrstiという語が充てられ、漢訳仏典では「有身見」と訳されている。略して「身見」ということもある。)このような見解を捨てるべきことが教えられている。実にこの身体を超越することに、仏教はその実践的理想を認めているのである。](iii .151 ~156 )

 [仏教独特の哲学的術語が構成されるにつれて、それを用いて、同一の道理を説明するようになった。すなわち新しい術語を用いながら、アートマン、あるいはわがものと同一視することを戒めるようになった。仏教では個人存在(ならびにそれと密接な連関のある現象世界)を構成しているものを、もろもろの形成力(諸行)あるいは五種の構成要素(五蘊)であると解した。それは(1)物質的なかたち、(2)感受作用、(3)表象作用、(4)形成作用、(5)識別作用の五種であり、これらの五種のはたらきの交錯において個人存在が成立していると考えたのである。これらの五つのものが執著を起こすための素材(upadana )となっていると考えた。(だからこれらの五つが五取蘊upadanakkhandha とよばれるのである。)そうしてそれらがわれわれに執著を起こさせるもとのものであり、われわれを束縛するものであるというので、神話的表現をもって悪魔(mara)とよばれている。したがって「これらの形成力あるいは構成要素をアートマンと同一視してはならない。アートマンとは異なったものと観ずべきである」と教えている。すでにウパニシャッドの中で哲人ヤージニャヴァルキヤは、アートマン以外のものはすべて苦しみであると説示しているが、仏教もその思想を受けて、諸々の形成されたものはアートマンならざるものであり、したがって苦しみである、と解している。〔アートマン哲学とのこのような思想史的連関が後世には見失われるに至ったので、後世の註釈者は極めて無理な解釈を施している。〕](iii .158 ~161 )

 以上を要約していうならば、アートマン以外のいかなるものをも、「これがアートマンである」とか「これがわがものである」とかいって執してはならぬ。そうしてこのような執著がないならば、それがすなわち解脱である、と考えたのである。初期仏教においては、このように「これ」として具体的にあるいは対象的客体的示して見せることのできるいかなるものもアートマン(自己)ではない、それはアートマンとは異なった他のものである、またそれはアートマンに属するのでもない、と教えているのである。『修行完成者は自ら自己を見ることがない。』アートマンを客体的なものとして認めることはできない、というのである。『自己によって自己を観じて(それを)認めることなく、こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、動揺することなく、心の荒みなく、疑惑のない完き人は献菓を受けるに値する。』

 初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。「無我」という語は誤解をひき起こし易い。初期の仏教においては決して「アートマンが存在しない」とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接した連関を有するのである。

 かのヴァジラー尼の所説は、後世『ミリンダ王の問い』においてナーガセーナ長老の無我説の典拠とされているものであり、有名であるが、この尼僧も決して「アートマンが存在しない」とは説かなかった。ただ個体が諸々の形成されたものの集合にほかならぬということを主張するのである。『譬えば実に諸々の部分が集まったならば車という名称が起こるように、それと同じく五つの構成要素(五蘊)が存在するのに対して生存者という仮想(sammuti )があるのである。』ここでは客体的に生存する者としての生存者(有情 satta )は五種の構成要素(五蘊)の集合構成したものにすぎず、常住不変な実体として存在しているのではない、ということを言おうとするのである。初期ジャイナ教における術語の用例を見ても、アートマンは他者(para)と対立した概念であり、この点は仏教と同様である。そうして生存者(有情sattva)はアートマンとは別の概念として扱われているから、仏教の場合も同様であったと推定してよいであろう。しからばヴァジラー尼といえども決してアートマンを否認したわけではないのである。](iii .163 ~166 )

 [このように、初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。まず道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として想定している(下線筆者)。例えば『自己の義務を果たす者』(attano kiccakari)であるべきことを教え、自己(アートマン)が善悪の行為の主体であると考えている。さればこそ修行者は己れを策励して(pahitatta )修行に努める人なのである。そうして『自己をあるがままではなくて、異なって誇示する人』は貶斥されるのである。さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を承認している。原始仏教においては自己(アートマン)を自己(アートマン)として追及することが正しい実践的目標として説示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めている。律蔵(散文の部分)の記述を見ると、釈尊は遊楽に耽っている青年たちに向かって、「婦女を尋ね求めること」よりも『自己(アートマン)を尋ね求めること』(attanam gaveseti)を勧め、そうしてかれらを出家せしめたという。 ところで『自己(アートマン)を尋ね求める』ということは、実はジャイナ教において説くところであり、表現の文句までも一致している(samcikkha'ttagavesae)。のみならず歴史的に遡って追求すると、このような思想は、少なくとも表現の文句の表面に関する限りは、ウパニシャッドにおいて「アートマンが探求せらるべきなり」と説かれているのと全く軌を一にしている。『このブラフマンの都(=身体)の内にある小さい蓮華の(形をなす)一住居ーーその内部に小さな空処がある。その内にあるもの(=アートマン)、それを尋ね求むべし。実にそれを知ろうと欲すべし。』ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そうして原始仏教においては、『自己を知る人』(attannu )が尊重されているが、これはジャイナ教において、解脱者は自己を知れる人であると説かれているのに対応している。](iii .167 ~168 )

 [ここに説かれているような思想の論理必然的な帰結として、アートマンはいたわり護られ益せられねばならぬ、という。まず自己の利を心がけねばならぬということを強調する。『自己の利益を識別すべし。』といい、『この故に賢者は自己の利を見て正しく法を思慮せよ。』と教えている。ところでここにいう自己の利(attha )あるいは益(hita)というものは、物質的享楽的感覚的なものを意味しているのではなくて、真実の認識、真理の体得を意味しているのであることはいうまでもない。さればこそ『自身の利を思って自身を抑えるのである。』ともいい、また「自己の利をもたらす事柄」の中では「堪え忍ぶこと」(忍辱)が第一であるという。これは、いわゆる利己主義的な意味での「自分の利益」とははっきり区別されねばならない。利己主義は排斥されている。『自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。』](iii.169 ~170 )

 さらに原始仏教においては自己を愛することを教えている。アートマンは愛しきもの(piya)である。或る小さな神(devata)が『子に等しい愛しいものはない。』といったのに対して釈尊は『自己(アートマン)に等しい愛しいものはない。』と答えた。これは明らかに哲人ヤージニャヴァルキヤが『ああ、実に夫を愛するが故に夫が愛しいのではない。アートマンを愛するが故に夫が愛しいのである。ああ、妻を愛するが故に妻が愛しいのではない。アートマンを愛するが故に妻が愛しいのである。ああ、子らを愛するが故に子らが愛しいのではない。アートマンを愛するが故に子らが愛しいのである。』などと説いた教説にちょうど対応するものである。原始仏教においては、まず人間が利己的なものであるという現実の認識から出発する。 或るときパセーナディ王は、マッリカー妃とともに美麗絶佳なる宮殿の上にいたことがある。インドの宮殿は屋上が平らで歩んだり休息することができるようになっているので、妃とともに風光を楽しんでいたのであろう。そのとき王は妃に尋ねた。『マッリカーよ。お前にとって自分よりももっと愛しいものが何かあるかね?』王は或る答えを予期していたのであろう。甘い答えをーー。ところが妃ははぐらかしてしまった、ーー『大王さまよ。わたしにとっては自分よりももっと愛しいものは何もありません。』最愛の人々の間でさえもこうなのである。人間の実存のとぐろなす坩堝が露呈している。妃はさらに反問した。『大王さまよ。あなたにとっても自分よりももっと愛しいものがありますか?』『マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりももっと愛しいものは何もない。』王はおそらく興ざめしてがっかりしたのであろう。かれひとり宮殿から下りて、釈尊のところへおもむいて、右の次第を告げた。そのとき釈尊はこのことを知って次の詩句を唱えたという。『思いによってすべての方向におもむいても、自分よりもさらに愛しいものに達することはない。そのように他の人々にとっても自分がとても愛しい。それ故に自己を愛する人(attakama)は他人を傷つけるなかれ。』

 ところで自己を愛するというのは、どのようなしかたでなされるのであろうか?原始仏教によると、真に自己を愛するということは、人間の正しい理法に従うことであらねばならぬ、と考えていた。『さすれば自己を愛し(attakama)偉大なるものを希求する人は、諸仏の教えに帰依して正法を尊重すべし。』したがって善を行なうことが、実は自己を愛することにほかならない。『もしも自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。』このような思想は、経典の散文の部分にも継承されている。パセーナディ王が『悪行をなす人にとっては自己(attan )は愛しいもの(piya)ではないが、善行をなす人にとっては自己は愛しいものである。』といったのに対して、釈尊はそのとおりであるとして是認している。

 『いかなる人々にとってアートマンは愛しいものであるのか? また、いかなる人々にとってアートマンは愛しくないものなのであるか? …身体によって悪行を行ない、ことばによって悪行を行ない、意によって悪行を行なう人々、ーーかれらにとってアートマンは愛しくないものなのである。かれらは「われらにとってアートマンは愛しいものである」というかもしれないが、しかしかれらにとってアートマンは愛しくないものなのである。それは何故であるか? 実に敵(愛しくないもの)が敵に対して為すであろうことを、かれらはみずから自分に対して為しているのである。それ故にかれらにとってアートマンは愛しくないものなのである。しかるに身体によって善行を行ない、ことばによって善行を行ない、意によって善行を行なう人々、ーーかれらにとってアートマンは愛しいものなのである。かれらは「われらにとってアートマンは愛しくないものである」というかもしれないが、しかしかれらにとってアートマンは愛しいものなのである。それは何故であるか? 実に親愛なる人が親愛なる人に対して為すであろうことを、かれらはみずから自分に対して為しているのである。それ故にかれらにとってアートマンは愛しいものなのである。』

 アートマンを愛しいものであると知って、真実の実践を行なうべしと説いている点では、ヤージニャヴァルキヤその他ウパニシャッドの哲人たちの思想と一致しているといわねばならない。](iii.171 ~174 ) [『自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。(しからば)かれは常に損ぜられることなく、賢者である。』自己を護ることが同時に他人の自己を護ることでもあるような自己は、もはや互いに相対立し相争うような自己ではない。むしろ他人と協力することによってますます実現されるところの自己である。このような理想的な自己を実現するためには、もろもろの悪徳・煩悩の基体としての自己を滅却せねばならぬ。

このように実践の目標に関して、自己を愛し護ることと、また自己を滅しすてることと、二様の全然相反した教説がすでに経典の最古層に説かれているのであるから、最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことが知られる。一方は悪徳煩悩の基体としての自己であり、凡夫の日常生活のうちに認められる。それは理想から乖離し、常に頽落する可能性を内在している。これに反して他方は理想として実現さるべき自己であり、その真実の状態は聖者が具現しているものである。簡単に表現すれば、小我と大我、と呼んでもよいであろう。『よく統御せられた自己は人間の光明である。』『自己を統御した人』は極度に称讃されている。このような目的を達するためには、修行者は禅定に入って心を静めることが最も重要であるから、かれは「自己を定に入らしめた者」「自己の安住した者」とも称せられる。そうして自己に打ち克つことを、仏教徒は「勝利」(戦勝)と呼んでいた。『戦場において百万人に勝つとも、一つの自己に克つ者こそ、実に最上の戦勝者である。』さて「自己を制する」といっても、その場合の自己なるものは決して形而上学的な実体ではない。それを具体的に理解するならば、心と同じであるといってもよいであろう。原始仏教聖典の最古層(ガーター)の中では修行者に対し、自らの心を護るべきことを教えている。『もろもろの思惟をよく統一し、みずからの心を護れ。』修行者は外貌の如何によって判定せらるべきではない。内心の清浄があらねばならぬ。『世間は心によって導かれ、心によって悩まされる。心という一つのものがすべてを従属せしめる。』解脱する主体は何か、というと、心が解脱するのである。例えば修行完成者の心境を告白している中に『わが心が解脱した』という。解脱した者のことを『心の善く解脱した人』と呼ぶ。後世の説一切有部等のアビダルマの教義によると、心は識と同じものと解せられているが、初期の仏教においては、精神的主体としての人間そのものを指していたのである。したがって五つの構成要素(五蘊)の中の識別作用(識)と必ずしも同一ではない。

 [『自己は自己の主である。』理想的自己は大海の中の島のようなものである。『汝は自己の良き島を作れ。けだし汝には他のよりどころがないからである。』喪失した自己の回復、自己が自己となること、これがすなわち初期仏教徒の実践の理想であった。表現に関する限りでは、この点にもウパニシャッド的なアートマン哲学が顕著に保存されているといい得る。](iii .179 ~184 )
 [或る場合には、アートマンすなわち自己が自己の監視者として、西洋倫理学でいう「良心」に近いものと考えられている。『悪い行ないをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真実であるか虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ。実に貴いアートマンを汝は軽視している。ーー自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝はーー。』

 これはバラモン教のほうで『マヌ法典』において『自己(アートマン)こそ実に自己の証人であり、また自己は自己の帰趨である。諸々の人間にとって最高の証人である自分の自己を軽視することなかれ。』という思想に対応するものである。以上考察したところからも知られるように、初期の仏教においては、著しくウパニシャッドの哲学に類似した表現を以て思想を説いているのであるが、さらに仏教の修行そのものを『アートマンに関する、真実無上の、ブラフマンへ赴く車乗』と呼んでいる。したがってアートマンがブラフマンと合一することが解脱であるというウパニシャッドの思想を少なくとも表現の文句に関する限りは一応承認しているのである。さらに原始仏教聖典の散文の部分には、修行を完成した修行僧は『このように現在において欲楽なく、静まり、清涼となり、楽しみを感受しつつ、ブラフマンとなったアートマンによって住する。』といい、この句が定型句としてしばしば繰り返されている。これは解脱に到達したこと、すなわちニルヴァーナを証得したことを意味するのである。このような理想的自己は容易に実現され難いものである。これは「アートマンの認識は容易に得られぬ」とウパニシャッドに説かれているのと表現が類似している。ウパニシャッドがアートマンの直観を強調していることは、周知の事実であるから、特に言及する必要もないが、ジャイナ教も自らアートマン論者(atmavadin )であることを標榜し、修行者にとってアートマンの知識の必須不可欠なるべき所以を説いている。故に仏教はこの点でも当時の諸宗教の思想を継承してそれを発展させたのである。](iii .187 ~190 )

[さて仏教の実践とは、以上にのべたように現実的日常的な自己が、理想的規範的自己に転ずることであるが、その際の行動主体となるものは、どこまでも個人的自己である。『みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことである。人は他人を浄めることができない。』なるほど初期の仏教においても、他人を救うことを教えている。しかし修行者が自己の神秘的な力によって他人を救うのではない。他人をして正しい道に入らしめたのちに、その他人が他人自身の力によって他人自身を救うのである。もちろん原始仏教聖典においては、仏に対する信仰が盛んに強調されているが、それはブッダを模範としてその教法を実践すべきことを説いているのであって、仏道修行とはこのような覚者(ブッダ)に従って実践を共にすることであった。すなわち覚者に従って覚者と同じような理想的人格者となるのである。『釈迦よ、われをもろもろの疑惑から解き放ちたまえ』という修行者ドータカの願いに対して、釈尊は『われは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱せしめることができない』と答えている。故にゴータマは自力の修行を強調したのであった。](iii.192 ~195 )

[以上に論じたように実現さるべき理想としてのアートマンは規範的意義を有するものである。

 ところでアートマンにたよることは、具体的にいえば人倫の規範としての法にたよることだと考えた。したがって正統バラモン系統においては、「アートマンを楽しむ」ということを強調するのに対して、仏教では「法(=真理)を楽しむ」という表現を多く用いる。例えば、『バガヴァッド・ギーター』においては、『しかるにアートマンを歓喜となし、アートマンに飽満し、アートマンに満足した人があるならば、かれにはもはや為すべきことは存しない。』と説くが、これに対して仏教では修行者のことを次のようにいう。『法を楽しみ、法を喜び、法に安住し、法の定めを知り、法をそこなうことばを口にするな。みごとに説かれた真実にもとづいて暮らせ。』〔これに対してジャイナ教では修行者は『法に安住せる者』
『自己が安立し法に従って生きるもの』でなければならぬという。〕

 すでに述べたように、経典の中では「自己を知る者」(attannu )であらねばならぬということが力説されているが、それは形而上学的なアートマンを知ることでもなく、また後世のアビダルマ教義学におけるように仮りに想定されている我(が)を分析することではなくて、『わたくしは信仰について、戒行について学問について、捨離について、知慧について、理解力について、これだけ達している。』と反省して知ることである。すなわち宗教的実践の具現において自己を知るのである。](iii.213 ~214 )

 [自己の実現とは法の具現にほかならぬと考えたところに、仏教が普遍的世界宗教として社会的実践性をたもち得た所以が存するのである。ところで仏教の最初期においては、「法」というのは、区別を立てることではなくて、むしろ執著をはなれ、すがすがしい心境に到達することを「法」とよび、それを「正しい」と称していたようである。『梭(ひ)のように真直ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正(sama)と不正(visama)とをつまびらかに考察している人、ーー諸々の賢者はかれを聖者であると知る。』ここで「正」というのは、西洋でいう正義とは異なって、心に違逆がなく、平らかで一如に帰していることをいい、「不正」とはそれとは異なって違逆・抗争のあるすがたをいう。そうしてこの理法を知ることによって解脱が得られる。それ以外の方法によっては解脱は得られない。釈尊のことばとして、『わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させえないであろう。ただ汝が最上の真理(dhamma)を知るならば、それによって汝はこの煩悩の流れを渡るであろう。』という。『内的にも外的にでもどれだけでも理法を知りぬけ。』『適当な時に法を正しく考察し心を統一して、暗黒を滅せ。』すなわち「法」とよばれるものは、「真理」と「仏の教え」と両方の意義があるのである。そこで仏の教えは「正法」(saddhamma) と呼ばれるようになる。それは「善き人々の正しい礼法・道徳」をいうのである。それは善人のみちすじなのである。『善き人々の法は老いることがない。』永遠につづくものなのである。](iii.216 ~220 )(注5:このような「実践的道徳的無我観」こそが原始仏教本来の「自己」の見方であるとすれば、「無我の立場は一切の現象の考察においてすべての「我」を抜き去ることを要求する。…かく経験的我の排除とともに一切の我が根本的に排除せられるところにこの立場の注目すべき特徴がある。」(百三三頁)という和辻の無我解釈は唯物論的偏向に陥っていると言わざるを得ない)

32.断常二辺回避中道の実践性格(中村元博士の研究成果の要約)

 [経典の散文の部分においては、人間の具体的経験的存在を構成していると思われる種々なる要素(諸法)<五蘊(iii.159 )・六入(iii.240 )・十八界(iii.241 )…筆者による>の一々について「それはアートマンではない。」「それはわがものではない。」と教えているのである。すなわち世間の凡人ならびに哲学者たちは、形而上学的原理としてのアートマンを想定し、アートマンを求めている。しかしわれわれ人間の具体的経験的存在を構成している精神的あるいは物質的な要素乃至機能のいずれをもアートマンと解することはできない。それらは絶えず変化するものであるから、常住不変なるべきアートマンの本質に相反している。またそれらは苦しみを伴うから、理想的完成的実体としてのアートマンとは異なるものである。しからばわれわれの自己(アートマン)はいかなるものであるか? それは対象的には把捉され得ない。世人が誤って自我であると想定するかもしれないところの対象的客体的ないかなる原理あるいは機能も、実はアートマンではない。そうしてこのような教説によって真実の実践的目標を達成しようとした。すなわちこのようにして、外的または具体的に把捉される何ものかに対する世人の執著や煩悩を去らせようとしたのである。このような思想を世間一般の呼称にしたがって仮りに「無我説」と呼ぶにしても、それは決して、「アートマンが存在しない」と主張したのではない。アートマンは存在するか、あるいは存在しないか、という問題に関しては、沈黙を守る、というのが原始仏教経典における散文の部分に現われている思想的態度であった。このような趣意は初期の詩句の仏教の中にすでに表わされているのであって、散文の部分はその思想を詳説しているにすぎない。ただし、最初期の仏教が多くは「わがもの」という所有の観念を捨てるべきことを教え、アートマンに関しては、アートマンを愛し、護り、アートマンを実現すべきことを強調するのに対して、散文の部分においては、むしろわれわれが対象的に把捉し得る何ものもアートマンではない、ということを強調する。

 これをサーンキヤ哲学と比較してみるとサーンキヤ哲学では人間の肉体の作用および身体の作用をアートマンから切りはなした点が仏教と共通である。しかしサーンキヤ哲学はそれらを超えたものとして純粋精神(プルシャ)を立てたのに対して、仏教は沈黙を守っていたのである。では仏教では何故沈黙を守ったか? ヴァッチャ族の出家者が「アートマンは存在するか?」という質問を三たび向けたときに、釈尊は三度とも答えなかった。そこで侍者アーナンダは「何故お答えにならないのですか? もしもお答えにならないと、<釈尊は答えることができなかったのだ>と、かれは言い触らすでしょう」と言ったのに対して、釈尊は答えた、『われもし答えて「我有り」と言わば、すなわちかれの先より来(このか)たの邪見を増さむ。もし答えて「我無し」と言わば、かれは先に癡に迷えるも、豈にさらに癡惑を増さざらんや。……もし先より来(このか)た我有りとせば、すなわち是れ常〔住を執する〕見〔解〕たり。今において断絶すとせば、すなわち是れ断〔滅を執する〕見〔解〕なり。如来は二辺を離れて中〔道〕に処して法を説く。』と。](iii.245 ~247 )このように見て来ると、断常の二辺を離れるということは、これも存在論的・形而上学的意味の言明ではなくて、人によってはいずれの見解も徒に迷いを増大するだけであるから、いずれとも断定しない、という実践的修行的趣旨において説かれていることが明らかである。従って、形而上学的諸問題についての釈尊の元来の無記の態度は依然としてここでも変更なく保持されているのである。

33.形而上学的「無我」説への逸脱傾向とその牽制(中村元博士の研究成果の要約)

 ところで、[ヤマカという修行僧は、次のような信仰を表明した。『われは世尊の説きたもうた法をこのように解する。煩悩の汚れ(漏)の尽きた修行僧は身体の亡びた後に断滅して滅亡し、死後にはもはや存在しない、と。』経典は他のもろもろの修行僧をしてこれを「悪しき見解」と呼ばしめ、『世尊はこのように説きたもうことはありえない。』と評せしめている。しかるにヤマカはなお自己の見解を棄てなかった。そこでサーリプッタは、ヤマカに対して、五つの構成要素の一々が無常であることを説き、次に、「修行を完成した人」(如来)は物質的なかたちなのではなく、また物質的なかたちの内に存するのでもなく、物質的なかたちの外に存するのでもなく、物質的なかたちを有しないものでもない、ということを一々悟らせて、次に感受作用・表象作用・形成作用・識別作用についても同様に繰り返す。そうして『修行を完成した人(如来)は経験的には真実に有るがごとくには認知され得ない。』と教え、ついにヤマカをして自己の見解の誤りであることを悟らせている。無我説は決してアートマンが存在しない、と教えていたのではないが、当時無我説をそのような意味に解した人々、およびそのような無我説を排斥した人々のいたことが、右の経典からも知られるのである。](iii.270 )

34.原始仏教に対する誤解としての形而上学的「無我」説の成立(中村元博士の研究成果の要約)

 [ところで散文の部分で強調されている思想を受けて、後世になると遂に「アートマンは存在しない」という意味の無我説が確立するに至った。説一切有部は明らかにこの立場に立っているし、また初期の大乗仏教にも継承されている。この教説を論証して確立させるための論法として用いられるものは析空観(しゃくくうがん)である。析空観とはシナ・日本の古来の仏教学者の間で用いられる呼称であるが、それは『法を析(しゃく)して空を明かす』すなわち一つの物をその構成要素に分析して、そのいずれの構成要素の中にもその物が存在しないから、その物は単に名称の上だけのものであって、真実には存在しない、と説く論法である。このような論法によって「我は存在しない」と主張するのである。

 このような見解に至る萌芽がすでにパーリ語経典の中に現われていることを、われわれは認める。…このような思想は『ミリンダ王の問い』におけるナーガセーナ長老の所論にも現われている。…このような見解は本質的には古い詩句に現われているヴァジラー尼の思想を詳説したものにすぎない。

 個体が種々の要素から構成されているという思想は、ジャイナ教をはじめ当時の哲学諸学派の説くところであるが、さらに遡ってウパニシャッドの中にも表明されている。…しかしながらウパニシャッドの哲人たちは、これらの要素あるいは機能の本源を追求してゆくうちに、ついに常住不滅のアートマンを見出し、それが宇宙の本体としての絶対者ブラフマンと一如であるということを証得するのを究極の理想とした。しかるに仏教では、このような分析的構成的な思惟方法を受けながらも、諸々の機能の背後にアートマンのような形而上学的原理を見出すことを拒否したのである。そうして万物が無常であることを説き、その思索は無常であると経験し得る範囲にとどまっていたのである。まだ「アートマンが存在しない」とは説いていない。ただ「アートマン」と「個人存在」(puggala )とをもしも同一視するならば、直ちにそのような結論が得られるのである。](iii.248~251 )

35.結語:霊魂実在への自力発見課題としての釈尊の教導形式

従って、釈尊が実際上、実践修行に関して「無我」という表現を以てしばしば教えを説いたとしても、もし、「アートマンは存在せず」という意味の無我説を直接釈尊に帰するならば、それは釈尊が理論上無記のままにしておいた問題について、単に語句の表面上の意義に釣られて徒に当て推量を行うものに過ぎない。

 しかしながら我々は合理的に可能な許される仕方で、釈尊が無記のままにしていた一定の理論的問題に関して、論理的推論を行うことが出来る。即ち、既に我々は「B(E)はB(非Q)である。」ような形において、釈尊の悟りの内容を解釈する緒に就いていたのだった。しかして、B(非Q)とは、我々の表現を以て言えば、最善観的輪廻転生論である(注6)。

注6*「無我」を仏教の形而上学的原理とする和辻の解釈では業論と輪廻転生論が本来の仏教思想として位置づけられ得ない。そこで彼は仏教の伝統を真っ二つに割って、「無我」的思想を仏教の系統とし、他方、業と輪廻の思想は関係のない別系統に属していたのが通俗的に仏教に付着されたに過ぎないとする(二七二 ~二九三頁)。しかし我々の解釈では業即ち行為の因果律と輪廻論とは最善観的輪廻転生論において原始仏教の綱格を形成するものと考えられた。この甚だしい相違は和辻が例えばニガンタ・ナータプッタの行為論と輪廻論も、マッカリ・ゴーサーラの強烈な宿命論的(従って固有の行為論を欠く)輪廻論も、はたまたプーラナ・カッサパの独特な無因果的偶然論も何ら具体的に考慮に入れることなく、極めて粗雑に仏教比較論を済ませた点に起因するであろう*

であるならば、例えば十難のうち、「身体と霊魂とは⑤一つか、⑥異なるか。」という問題については、「身体と霊魂とは異なる。」という⑥の選択肢を釈尊の悟りの内容の中に所属するものとして理解するであろう。何故なら、「身体と霊魂とは一つ」という⑤の選択肢は、心身の一度限りの生存の肯定及びそれ以外の可能的生存の否定を含意するものとして、身体以外の存在の多数度の生存の可能性を含意する輪廻転生論とは両立し得ないからである。

 また、[遂に「アートマンは存在しない」という意味の無我説が確立するに至った。説一切有部は明らかにこの立場に立っている](前節参照)と言われるように、極端な精神的原理の否定傾向に頽落した説一切有部でさえも、無為なるもの、つまり常住不壊のものとして、唯一、「ブッダの涅槃」を認めていたように、「人格完成者(如来)は死後⑦有るか、⑧無いか、⑨有り且つ無いか、⑩有らず且つ無からずか。」という問題については、「人格完成者(如来)は死後有る」という⑦の選択肢が、当然、やはり、釈尊の悟りの内容に所属するものとして認められるであろう。何故なら、説一切有部こそが最も限定的に狭く、「無常ではないもの=有為ならざるもの=無為なるもの」を想定していたのだから、その他の部派は当然それよりも広く「無為」をとらえていたと言えるからである(注7:矢吹慶輝「無為」宮本和吉他編『岩波哲学辞典 増訂再版』1930年、7刷、岩波書店、p.886 参照。即ち説一切有部が認める三無為のうち、虚空無為を除いて擇滅無為(ちゃくめつむい)と非擇滅無為という二者は終極的な悟りの智慧という唯一者に固有のものとされる)。

 かくして、通俗的仏教理解の最大の陥穽の一つとして今もある「実体論的無我説」は、実は釈尊その人の教えにはなかったものである、ということが明らかになった。この問題の理解を誤るならば、その誤解の帰結は天地の開き、雲泥の差に通ずるものであり、その真なる理解は徹底的に獲得されなければならない。

 俗に、「仏つくって魂入れず。」と言われる。もし、一部の専門的仏教学者が「ほとけ調べてたましいを抜く。」という大きな誤解に陥ったとすると、逆に、「仏つくって魂入れず。」とは、あくまでも健全な庶民的知恵を背景にした名言の一種であろう。その点、我々が導きのたずなとして来た中村元の仏教研究と理解の努力は、この庶民的知恵の健全性と呼応しつつ、次の氏の言葉に見事に結晶している。

 「仏教の思想的立場は無我説と呼ばれているが、それは決してアートマンを否定したものではない。客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない-非我-ということを主張したのである。アートマンが実在するか否かということについては、釈尊は全く沈黙を守っていた。だから仏教を無霊魂説と解するのは誤りである」(注8:中村元「ブッダの根本思想とその人類史的意義」同編著『ブッダの世界』昭和五六年、学研、八頁。また「無我」の実践論的意味については中村元編著『自我と無我』序論インド思想一般から見た無我思想第一章「最初期仏教における無我説」昭和三八年、平楽寺書店、六~六五頁参照)。

 このように見て来ると、釈尊の十難無記の態度は、あくまでも実践修行中心の、その教えの方向づけの中で、哲学諸派との果てしない論争に巻き込まれる愚を根本的に回避する防御の知恵によって戦略化されたものであったと言うことが出来る。従って弟子たちは、その日々の実践修行の過程の中で、内面的思索において、十難への理論的解決がいかなる方向に見出されるべきであるかを、相互に以心伝心のかたちで検討・確認することができたと想定することはあながち無理な推定ではないであろう。むしろ、釈尊はそのことを望み、且つ期待したのではないのであろうか。それはまさに、哲学諸派との言語的論争を避けつつ(iii.3-45)、内面的に真理に自力的・発見的に到達するすぐれて叡智的な課題であったのではあるまいか。

事実、当時一般にも認められ、また仏教内でも認められていた神通力の一つに、「他人の心のありさまを知る他心通<たしんつう>」(中篇23節参照)というものがあった。この能力が開発されれば、自分より悟りの上級者に対してはともかくも、悟りの同等者ないし下級者に対しては、まさに言語的伝達を介さずにその思う所を直観することが出来るのである。このようなことを背景にして考える時、『われは世尊の説きたもうた法をこのように解する。煩悩の汚れ(漏)の尽きた修行僧は身体の亡びた後に断滅して滅亡し、死後にはもはや存在しない、と。』という信仰を表明した修行僧ヤマカに対して、何故に、唯一の師たる釈尊の直接的介入なしに、上級弟子たるサーリプッタが、あたかも教えの権威を有するものの如くに、その見解の誤りであることを知らしめて、その断見を捨てさせるように指導することが出来たのか? という仏教教団内部の見解の分岐と是正・統一の問題も初めて理解可能なものとなる。

 しかも、<断見>の排除に対するものは、必ずしも単なる<常見>の採用ではなかった。仏弟子中智慧第一と称されたそのサーリプッタの絶妙な説明によれば、“修行を完成した人(如来)は物質的なかたちなのではなく、また物質的なかたちの内に存するのでもなく、物質的なかたちの外に存するのでもなく、物質的なかたちを有しないものでもない。修行を完成した人(如来)は経験的には真実に有るがごとくには認知され得ない。”のである。“物質的なかたちなのではなく、また物質的なかたちの内に存するのでもない”という存在は何か或る種の<非物質的な存在>であろう。とはいえ同時にそれは、“物質的なかたちの外に存するのでもなく、物質的なかたちを有しないものでもない”存在であるから、<物質から単に切り離されてある存在>なのではない。この独特な弁証法的関係はこれ以上議論の上では追求されない。論理的議論の断念と実践的修行の反復へ誘うように、“修行を完成した人(如来)は経験的には真実に有るがごとくには認知され得ない。”との無限的断定が修行者に対して永遠の仏法の標識及び課題として預けられる。その中身は各自の修行における如来への接近度如何によって与えられるものであろう。

 つまり、釈尊も仏弟子たちも、現代の論理実証主義のような限定的な経験論者ではなかったのであり、感覚への還元と論理的命題への還元しか信じなかったものではなかったのである。むしろ、心一般の広大な領域に触れていて、直観的探求の習練に邁進していた求道の人々であった。実践綱領としての八正道はまさにその要であったであろうし(注9:八正道を中心とする修行論は和辻の解釈では実体論的「無我」を<正見>することへと帰着する(二五七 ~二七一頁)が、我々の解釈では最善観的輪廻転生論における心の善的形成が修行論の眼目となる。八正道は我々の心の善的形成の処方そのものである)、究極的目的理想としての涅槃は永遠不滅の普遍の灯明であったであろう(従って世界は時間的に①無限、空間的に④無限、と推定されるはずである。)。

しかしてそれらの根底には、苦しみの原因の止滅の方法、即ち苦諦・集諦・滅諦・道諦という四諦(四つの真理)の一体性が、存在する因果関係とその認識的把握の上に成立していた(縁起説)。それはあたかも、形相因・質料因・目的因・動力因という四種の原因を枚挙して、そういう原因からの認識を真実の知と見なした古代ギリシアの哲学者アリストテレスの認識論、そして更には、「知は力である」と宣言して、自然事象の因果律の把握に立つ近代科学とその技術的開発を先導した近代イギリスの哲学者フランシス・ベーコンの業績に比較し得るものであって、科学に日常的に先行する行為の次元において、その原理的因果的認識と実践的応用を提起した古代インドの仏教哲学の深い意味を知らしめるのである。(注10:「無我」の実体論的解釈との関連で「縁起」を「相依性」という論理的関係と見なしてあらゆる実在性の解消を引き起こす和辻の解釈(一七三~二四六頁)に対し、我々は因果関係一般としての縁起の中核に意志的・有責的行為主体を規律する原理たる行為の因果律、即ちカントの所謂自由による原因性を置いた。このように、総じて和辻の原始仏教論の内容的成果は我々の解釈とかけ離れているが、それは和辻が宇井伯壽の一連の印度哲学研究の軌道に大方従ったためであり、他方、和辻が厳しく批判し排斥している木村泰賢の『原始仏教思想論』こそ極めて正鵠を射るに近い立場にあったと今からは反省される)(完)

 [初出:北海道教育大学紀要(第一部A)vol.46-1,1995]

§3 原始仏教(釈尊)の基本的立場(中)

§3 原始仏教(釈尊)の基本的立場(中)

         釈尊の悟りと道徳的発達(中) 行為の因果律と最善観的輪廻転生論 
 
                目  次
  13.釈尊によって斥けられた哲学的諸立場としての「六師外道」
  14.六師外道(1) サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論とその克服(行為の因果律)
  15.六師外道(2) マッカリ・ゴーサーラの宿命論,六師外道(3) プーラナ・カッサパの道徳否定論,
    六師外道(4) アジタ・ケーサカンバリンの唯物論とそれらの克服(行為とその主体)
  16.六師外道(5) パクダ・カッチャーヤナの七要素説とその克服(行為の主体としての霊魂)
  17.六師外道(6) ニガンタ・ナータプッタのジャイナ教(業付随論)とその克服(業本質論)
  18.行為の評価の結果論(ジャイナ教)と動機論(仏教)
  19.善悪業の結果としての報いの分岐:因果応報の理
  20.良心・人格完成者・神々に対して悪は隠し得ない
  21.多神教的有神論の立場としての原始仏教
  22.釈尊における超能力(神通力)の保持とその使用の抑止(三カッサパの帰服)
  23.釈尊の悟りにおける超能力と道徳性
  24.仏教における「梵天」とは何か? また誰か?
  25.神々(霊的職能者)=人々(個体的生存者)の道徳修養と仏教的輪廻転生論

13.釈尊によって斥けられた哲学的諸立場としての「六師外道」

 今、釈尊によって斥けられた哲学的諸立場を記号Qで表わせば、B(釈尊の悟り自体)に関して「Bは非Qである。」という制限的規定が得られることになる。このように制限されたBをB(非Q)と表記しよう。他方、本来の資料批判によって到達されるE(初期仏教経典)の解釈によって知られる限りのBをB(E)と表記しよう。そうするとB(E)は少なくともB(非Q)の範囲内に属していなければならないことになる。何故ならB(非Q)は超越的比較から見たBの制限的規定であるから、単にEに即して内在的に見られたB(E)よりも範囲が広いからである。換言すればB(E)はB(非Q)という制限の外にはみ出る哲学的含意を持つ解釈であってはならない。このことは「B(E)はB(非Q)である。」という命題で表すことができる。

そこで今度は具体的に釈尊によって斥けられた諸哲学的立場Qを挙げるならば、いわゆる「六師外道」が代表的なものとして考慮されなければならない。[釈尊は六師よりも年が若かった。それはつまりかれが六師の思想的影響を受け、それをのり越えたところに自分の立場を見出したことを示す。コーサラ国のパセーナディ王が<孤独なる人々に給する人の園>に訪ねて来て、釈尊にいった。『あなたゴータマは無上のさとりを体得したと宣言なさるのですか?』これに対してゴータマ・ブッダは答えた。『大王よ。<無上のさとりを体得した>と正しく語り得る者があるとするならば、それはわたしのことです。何となれば、わたしは無上のさとりを体得したからです。』

ところがパセーナディ王は、ゴータマ・ブッダは生意気だと思った。詰問していう。『きみゴータマよ。教団をもち、仲間をもち、衆の師であり、名声ある指導者であり、多くの人々に行者として承認されている修行者・バラモンたちがいます。例えば、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、ニガンタ・ナータプッタ、サンジャヤ・ベーラッティプッタ、パクダ・カッチャーヤナ、毛髪の衣をまとうアジタです。わたしが「あなたは<無上のさとりを体得した>と宣言しますか?」と尋ねたとき、かれらでさえもそのようには宣言しなかった。まして、あなたゴータマは年も若く、出家者としても新参者ではないですか?』

これにたいしてゴータマ・ブッダは断乎として答えた。『若いからといって侮ってはなりません。若いからといって軽蔑してはなりません。』…後輩であったにもかかわらず、ゴータマ・ブッダに自信をもたせたものは、かれが真理に達しているという確信であった。](ii,165~166)(注1)

注1* ローマ数字の i-v は、中村元『原始仏教 1-5』すなわち、『原始仏教1 ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯』、『原始仏教2 原始仏教の成立』、『原始仏教3 原始仏教の思想 上』、『原始仏教4 原始仏教の思想 下』、『原始仏教5 原始仏教の生活倫理』(中村元選集第11-15巻、1969-1972 年,春秋社、東京)とその頁数を表す。その引用文は[ ]で示した。以下同様。なおそこに掲げられている典拠をここに再掲はしない*

[マガダに対立する大国としてコーサラ国があった。シャカ族はもともとコーサラ国に従属していたのであった。釈尊の言として次のように伝えられている。『あちらの雪山(ヒマーラヤ)の中腹に、一つの民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。種姓に関しては<太陽の裔>といい、生れに関しては<サーキヤ族>(釈迦族)といいます。わたくしはその家から出家したのです。』

このコーサラ国が自分の種族であるシャカ族を支配していたのであるから、コーサラ国においてゴータマ・ブッダが特に王権に対してはたらきかけたのは当然のことであろう。…当時の国王パセーナディは釈尊とほぼ同年齢であったらしい。晩年にかれはこう言った。『尊師も王族であり、わたくしも王族である。尊師もまたコーサラ人であり、わたくしもまたコーサラ人である。尊師もまた八十歳であり、わたくしもまた八十歳である。』…ゴータマ・ブッダはパセーナディ王とよほど親しくしていたらしい。この王は美食大食をしていたために、歩くと呼吸が苦しくなるほどであった。そこで釈尊はかれに小食を実行させたところが、健康を回復したという。](i,360~362 )

 釈尊のこの確信と自信は、元来すでに悟りを得たその時点から形成されたものであるが、釈尊の在世中の最後の弟子となったスバッダの説得の時に至るまでも変わることなく堅持されている。それは釈尊臨終の時であった。[釈尊が病い重く、横臥しているとき、『アーナンダは尊師の背後にいて敷物によりかかって、涙を流して泣いていた』のであるが、そのありさまを見て、釈尊は次のように教えた。

『やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ、嘆くなかれ。アーナンダよ。わたくしはかつてこのように説いたではないか、--すべて愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ、そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来れる人(=ゴータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげむことを行え。速かに汚れのないものとなるだろう。』

そこへマッラ族の人々が集まったので、『アーナンダは、尊師に敬礼せしめた。』…『そのときスバッダという名の遍歴行者がクシナーラーに住んでいた。遍歴行者スバッダは「今夜最後のときに道の人ゴータマは亡くなるであろうとのことだ。」と聞いた。…かれはアーナンダのもとに近づいて言った。……「わたくしにはこの疑いが起こっている。しかし《わたくしがこの疑いを捨てることができるような教えを道の人ゴータマは説くことができる》と。このようにわたくしは道の人ゴータマに信頼をいだいている。さあ、アーナンダさん。道の人ゴータマに会わしてください。」と。

こういったときアーナンダは答えた「スバッダさん。修行をつづけて来られたかたを悩ましてはなりません。先生は疲れておられるのです。」』スバッダは三度いい張ったが、アーナンダは三度とも拒絶した。『尊師は、アーナンダがスバッダとこの会話を交わしているのを聞いた。そこで尊師はアーナンダに告げた、「やめなさい、アーナンダよ。遍歴行者スバッダを妨げるな。入って来い。何でも欲することを聞け。」と。

そこで遍歴行者スバッダは尊師のもとに赴いた。…かれは一方に坐して、尊師にこのことを尋ねた。「ゴータマさんよ。この諸々の修行者やバラモンたち、つどいをもち徒衆をもち徒衆の師で、知られ、名声あり、開祖として大衆に崇敬されている人々、例えば、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンバリン、パクダ・カッチャーヤナ、サンジャヤ・ベーラッティプッタ、ニガンタ・ナータプッタ--かれらはすべて己が智をもって知ったのですか?あるいはすべて知っていないのですか?その或るものは知っていて、或るものは知らないのですか?」』この疑問に対して釈尊は直接に答えることなく、つぎのように答えたということが、詩のかたちで伝えられている。『スバッダよ。わたしは二十九歳で善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には《道の人》なるものも存在しない。』かくしてスバッダは釈尊の最後の弟子となった。](i,461~463 )

 ここには「十難」(注2)(世界は時間的に①無限か、②有限か。空間的に③有限か、④無限か。身体と霊魂とは⑤一つか、⑥異なるか。人格完成者「如来」は死後⑦有るか、⑧無いか、⑨有り且つ無いか、⑩有らず且つ無からずか。という十の難問)に対して釈尊は肯定否定いずれの回答もせずに(無記)、完全黙秘し、そのような論議と探求の無意義であることを弟子たちに説いて止めさせたというエピソードに沿う釈尊の純哲学的論議回避の姿勢がやはり出ている。

注2*「十難」については、三枝充悳『初期仏教の思想』(1978年,東洋哲学研究所、東京)が良く整理して考究しており、中村の論考を補足し得るのでそれに従った。pp.45-55参照*


しかしそもそも釈尊が純哲学的論議回避を貫徹したことの真の意味は何であったか。『わたしは二十九歳で善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。』という明確な自己認識からしたら釈尊に究極的な哲学的立場が見えていなかったとは考えられない。この意味で釈尊の立場は六師の一人サンジャヤの懐疑論とは異なっている。事実、サンジャヤは、自分の優秀な弟子であるサーリプッタとモッガッラーナが他の全ての弟子たち250人を引き連れて釈尊のもとにあらたに弟子入りするという人の師と自認する者の最大の屈辱を喫している。サーリプッタとモッガッラーナは釈尊の左右を占める二大弟子となったほど優秀な人たちであった。その彼らがサンジャヤを捨てて新たに師と定めたほどの大きな違いが釈尊には認められたのである。

14.六師外道(1) サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論とその克服(行為の因果律)

 [サーリプッタとモッガッラーナとがサンジャヤの徒衆をひきつれて仏教に帰したことは、最初期の仏教にとって重要な一大事件であった。この二人は通常釈尊の十大弟子のうちでも特に有力な二大弟子として伝えられ、サーリプッタは智慧第一、モッガッラーナは神通第一と称せられている。ところでサンジャヤはいわゆる「六師の一人」として有名な懐疑論者であった。マガダ王アジャータサットゥは釈尊に向かって、サンジャヤの教えを次のように告げている。

『ベーラッタ族のサンジャヤは次のように言った、--「大王よ、もしもあなたが《あの世は存在する》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在する》と考えたのであるならば、《あの世は存在する》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。もしもあなたが《あの世は存在しない》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在しない》と考えたのであるならば、《あの世は存在しない》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。もしもあなたが《あの世は存在し、また存在しない》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在し、また存在しない》と考えたのであるならば、《あの世は存在し、また存在しない》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。もしもあなたが《あの世は存在せず、また存在しないのでもない》ということについて問うた場合に、わたくしがもしも《あの世は存在せず、また存在しないのでもない》と考えたのであるならば、《あの世は存在せず、また存在しないのでもない》とあなたに答えるでしょう。しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではない、とも考えない。](i,345~346 )(以下同様に、《自然発生の生きものが存在する》……、《善業と悪業の果報のあらわれは存在する》……、《人格完成者は死後に存在する》……、等の命題について同様の「鰻のようにぬらぬらして捕え難い議論」(ii,111)が述べられる。)

[このように判断中止の思想を説いたサンジャヤの弟子全部を引きつれて、サーリプッタとモッガッラーナがゴータマ・ブッダに帰し、しかも進展途上の仏教教団の中核を形成したという事実は、仏教が懐疑論をのり超えて、それにうち勝ったものとして、世にひろがった経過を示している。初期の仏教教団が、形而上学的議論を拒否したことは、一度サンジャヤの立場を通過したことを示している。しかし原始仏教の立場は決してそれにとどまらなかった。それを超えて、右のアッサジの詩が示すように、ありとあらゆるものが因縁によって成立するものであると説く積極的な立場を打ち出しているのである。](i,346~347 )

 ここに、「右のアッサジの詩」というのは、サーリプッタとモッガッラーナがその托鉢姿の清らかさに打たれて近づいた仏弟子アッサジが初めて教示した<法に関する教え>である。すなわちアッサジは、自己の師の教えを問われて、「友よ。わたくしは新参者で、出家して日浅く、この教えと戒律をいま奉じたばかりです。わたくしはあなたに教えを詳しく説き示すことはできませんが、しかし簡略に要点をお話しましょう。」と断りながら次のように語った。

「もろもろの事がらは原因から生じる。真理の体現者はそれらの原因を説きたもう。またそれらの止滅をも説かれる。偉大なる修行者はこのように説きたもう。」「もしもこれだけが教えであるとしても、それだけで充分である。」と彼らは満足し、新たな真理のまなこを開かれ、アッサジの師たる釈尊に自分たちも師事することを決意する。(i,334~341 )

 さて、サンジャヤの鰻のような懐疑論を払拭する釈尊のこのように明確な因果律の立場は後で詳しく見るように人間行為の場面に最も顕著に妥当するものとして、行為の因果律と呼ぶことが出来るが、この行為の因果律の立場は他方では六師外道のうちの他の主張、即ちマッカリ・ゴーサーラの宿命論的人生観、プーラナ・カッサパの虚無論的道徳否定論、アジタ・ケーサカンバリンの唯物論をも克服する哲学的立場である。

15.六師外道(2) マッカリ・ゴーサーラの宿命論,六師外道(3) プーラナ・カッサパの道徳否定論,六師外道(4) アジタ・ケーサカンバリンの唯物論とそれらの克服(行為とその主体)

 実際、マッカリ・ゴーサーラの宿命論は全世界事象の完全な決定論的必然性の軌道に乗った展開を説くものであって、個々の人間の個々の行為も例外では有りえず、それらが織り成す輪廻の流れも予め決定されているという。[『輪廻は、桝によって量り定められた苦しみと楽しみであるとして、終末に達するのである。またそれの盛衰もなく増減もない。あたかも糸毬が投げられると、解きほごされて糸の終わるまでころがって行くように、愚者も賢者も流転し輪廻して、ついに苦しみの終わりをつくり出すであろう。』](ii,85 )

 これに対して釈尊は、個人的主体の随意の心の持ち方に従って人間的事象の万事が起こると言う。

「一  ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なっりするならば、苦しみはその人につき従う。--車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
 二  ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。--影がそのからだから離れないように。」
 (中村元訳『ブッダの真理の言葉・感興のことば』岩波文庫版、1978年、P.10)

 この、善因(清らかな心)→ 楽果(福楽)、悪因(汚れた心)→ 苦果(苦しみ)の理法は正に、行為の因果律と呼ぶのがふさわしい。そしてこの行為の因果律は、先にアッサジの詩に示されたように「もろもろの事がらは原因から生じる。」という一般的因果律の応用またはそのより基本的・普遍的な根拠律である。この問題は縁起説の検討として続稿で詳論したい。

 次に、プーラナ・カッサパの虚無論的道徳否定論とは「善い行為を行なっても、悪い行為を行なっても、その報いを受けることはない」との説、更には「善悪の区別そのものの否定」の説であって、次のように語られる。[『この世において(他人の身体を)切断し、(他人を)殺し、(他人を)傷つけ、(他人の)財産を奪おうとも、カッサパはそれらの(行為の中に)悪を認めない。また(善い行為をなしても、その行為の中に)みずからの功徳を(認めない。)』(ii,72)このような世間的道徳習俗を守らない人を最初期の仏教は「虚無論者」と呼び、虚無論を排斥した(ii,74 )のは、世間的道徳一般の理論的且つ実践的基礎としての行為の因果律を保守する限り当然である。

また次に、アジタの唯物論は[ウパニシャッドに説くような普遍我を否認し、霊魂と身体とは不可分のものであって、死後に霊魂は存在しない、と主張した。…『「愚者も賢者も、身体が破壊したのちには、断滅し消滅する。かれらは死後には存在しない。」と。毛髪の衣を着たアジタは、このように道の人としての実践生活の現に経験される果報を問われても、つねに断滅論を説いた。』](ii,102~104)[来世が存在しないと考える快楽主義者のいたことを、ジャイナ教聖典も伝えているし、また仏典が伝える六十二見のうちの<現在ニルヴァーナ論>のうちの或るものもそれと軌を一にする。…このような唯物論・快楽論の思想はインド一般に順世派あるいはチャールヴァーカと呼ばれている。(漢訳仏典では「順世外道」と呼んでいる。)…ところで思想史的には恐らく、道徳否定論の主張がまず最初に一般社会において支持を受け、それを基礎づけるものとして唯物論的形而上学が説かれるようになったらしい。ゴータマ・ブッダはこのような頽廃的・破壊的な思想にくみすることができなかった。かれは善を求め、道を求めた。かれのこの踏み切りの中に、後世仏教が偉大な建設的宗教として発展するに至る萌芽を認めることができる。](ii,105)

 さて、しかし断滅論としての唯物論を退ける仏教の取るべき立場はどのように性格づけたらよいであろうか。またこれとともに、もし仏教の有名な「無我論」が「自我の文字通りの絶無論」と解されるならば、明らかにそれは釈尊により唯物論的断滅論と機軸を同一にするものとして退けなければならないから、では一体「無我」とはどのような意味で理解したら仏教的なのであろうか。この点について、やはり外道六師の一人パクダ・カッチャーヤナの七要素説は一縷の手がかりを提供するであろう。

16.六師外道(5) パクダ・カッチャーヤナの七要素説とその克服(行為の主体としての霊魂)

 [一部の思想家は唯物論的な形而上学を唱えた。唯物論者は霊魂を身体と一体と見なしたのであるが、一部の思想家は霊魂という独立の原理を認めるとともに、それを物質的なものとみなして、身体を構成している物質的諸要素と同じ資格のものと解した。物質的な地・水・火・風・虚空という五元素のほかに、アートマンを第六の要素と見なす説が当時行なわれていたということを、ジャイナ教の聖典は伝えている。こういう思想傾向の一つの発展形態としてパクダの七要素説が現われたのである。…かれによると、人間の各個体は七つの集合要素すなわち地・水・火・風の四元素と苦・楽と生命(霊魂)とから構成されている、という。ここでは苦と楽というものを、個人的主観の属性あるいは様態のようなものとは考えないで、むしろ独立な実体的原理と解しているのである。これら七つの要素は作られたものではなく、創造されたものでもなく、他のものを産み出すこともない。これらは山頂のように不変であり、石柱が堅固であるように安定している。これらは動揺せず、変化せず、互いに他を害うこともない。互いに他のものに苦または楽を与えることもない。人間各個人はこのような多くの要素から構成されているのであるから、一人の個人が他の個人を苦しめ、あるいは楽しませることもないのである。このような要素集合観においては霊魂の独立性・主動性は認められないことになる。そこで実践の問題に関しては異様な結論がみちびき出される。--故に世の中には、殺す者も殺さしめる者もなく、聞く者も聞かしめる者もなく、識別する者も識別せしめる者も存在しない。利剣を以て頭を断つとも、これによって何びとも何びとの生命を奪うこともない。ただ剣刃が七要素の間隙を通過するのみである--と。](ii,76~77)

唯物論的な霊魂断滅論を斥るということは、従って、逆にただちにこのようなパクダ的な物質的霊魂観に立つということを意味しない。認められるべき霊魂はこのような惰性的なものではなくて、自主的活動的にして有責感のある原理に基づくものでなければならない。簡単に言えばその霊魂は、行為(業)の主体でなければならない。(ii,139-210)

 はたしてこれまでに見た六師のうちの五人は全てが固有の意味での行為(業)の主体を認めないことが今はっきりした。即ち、マッカリ・ゴーサーラの宿命論,プーラナ・カッサパの道徳否定論,アジタ・ケーサカンバリンの唯物論は勿論として、サンジャヤ・ベーラッティプッタの懐疑論でさえ、その懐疑論を厳密に徹底すれば実践論において行為とその主体について明確な断定は主張し得ないのである。(ii,113-114)他方、六師のうちあと一人残ったニガンタ・ナータプッタのジャイナ教の場合には、そこに仏教と同様に、行為(業)とその主体についての明確な説を認めることができる。しかし仏教との相違も次に見るように明らかである。

17.六師外道(6) ニガンタ・ナータプッタのジャイナ教(業付随論)とその克服(業本質論)

 [当時の思想界においては、種々の思想が対立し、互いに争っていたが、どれを採用したとしても解脱の障礙があるとして、サンジャヤは懐疑論に陥ったのであるが、しかし懐疑論の立場にとどまる限り、われわれがどのように実践すべきかという問題に関しては、いかなる指示をも与えることができない。そこでマハーヴィーラ〔ニガンタ・ナータプッタ〕は懐疑論の立場を超出し、知識の問題に関しては次のように主張した。事物に関しては絶対的なあるいは一方的な判断を下してはならない。事物は種々の立場から考察され得るから、多方面にわたって考察すべきである。もしも何らかの判断を下そうとするならば、「或る点から見ると」という制限を付して述べなければならない。例えば事物は、実体または形式という点から見ると常住であると言い得る。同時に状態または内容という点から見ると、無常であると言い得る。……この観察法を「見かた」という。それは「言い表わしの方法」であり、また「理解の規則」でもある。この点にもとづいてジャイナ教の立場は不定主義(相対主義)と称せられる。『諸々の事物のあらゆる状態を一切の認識方法と一切の観察法の規定とによって認識した人は、詳細な知識を楽しむ者と呼ばれる。』そうしてこの立場にもとづくならば、判断を陳述し、哲学説を組織し得ることを主張して、サンジャヤの懐疑論から脱出することができたのであった。](ii,124~125)

[インドの哲人はみな多かれ少なかれ人生が苦しみに充ちていることを教えているが、マハーヴィーラは特に現世の悲惨・苦悩を痛切なことばを以て強調している。『生きものは生きものを苦しめる。見よ!世間における大なる恐怖を。生きものは実に苦しみが多い。人間は愛欲に執著している。かれらは無力な脆き身体もて破滅に赴く。』…この『始めの無い〔永遠の昔からの〕一切の苦しみおよびその根源からの解放(解脱)』がジャイナ教の理想であった。初期のジャイナ教徒は輪廻の観念をはっきりといだいていたし、また無常の説も述べていた。](ii,127~128 )

[さて、この苦悩を解脱するために、ジャイナ教は形而上学的考察を開始する。宇宙は多くの要素から構成されているが、それらを大別して霊魂と非霊魂との二種とする。…霊魂は地・水・火・風・動物・植物の六種に存するから六種の霊魂がある、と考えられるという。…霊魂の本質は意志を含めた知と生命性とである。…したがってジャイナ教は唯一の常住遍在なる我を認めず、多数の実体的な個我のみを認める多我説に立っていると解せられている。さらにジャイナ教のやや後世の霊魂観によると、霊魂はその宿る身体に応ずるだけの大いさを有し、また上昇性をもっているという。…この二つの性質はジャイナ教の霊魂観の特徴として、後世有名になった。…物質は無数に存在し、多数の物体を構成し、場所を占有し、色・味・香・可触性を有し、また音響と暗黒と光輝と光明と影と灼熱とを特質としてもっているという。また物質は活動性と下降性とを有する。物質は業の力によって霊魂の周囲に付著し、その下降性の故に霊魂を身体の中にとどめ、上昇性を発揮することができないようにする。…世界はこれらの実在体によって構成されていて、世界(loka)の外に非世界(aloka )がある。世界と非世界との両者を合わせたものが全宇宙、あるいは自然世界である。宇宙は永遠の昔からこれらによって構成されていて、太初に宇宙を創造しあるいは支配している主宰神のようなものは存在しない。主宰神を否認したという点では仏教とも共通であり、後世のインドではジャイナ教は無神論の代表のように見なされた。](ii,130~134)

[人間の身体が活動して身・口・意の三業を現ずると、その業のために微細な物質が霊魂を取り巻いて付着する。これを流入と称する。これは漢訳仏典で「漏」と訳されることばである。ただ仏典では「漏」とは「漏泄」の義であると解するがジャイナ教徒はこの語(asrava)を「流れ入る」という意味に解した。…業に由来するその微細な物質は、霊魂を囲んで微細な身体(業身)を形成し、霊魂を束縛し、霊魂の本性を覆っている。このことを繋縛(けばく)と称する。この繋縛の故に、諸々の霊魂は地獄・畜生・人間・天上の四迷界にわたって輪廻し、絶えず苦しみの生存を繰り返している。…業の束縛の存する限り、われわれの生存は苦であると言わねばらぬ。なおここで、神々の世界もやはり迷いの領域に属すると考えていたことは注目すべきであろう。](ii,137~138)

[業に束縛されたこのような悲惨な状態を脱し、永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、一方では苦行によって過去の業を滅するとともに、他方では新しい業の流入を防止して、霊魂を浄化し、霊魂の本性を発揮せしめるようにしなければならない。これを制御と称する。…まず第一に遵守すべきものは、不殺生・真実語・不盗・不婬・無所有の五つの大戒である。ジャイナ教の修行者は戒律を厳格に遵守し、…不殺生戒は特に重要視され、…極端な不殺生主義を守って…さらに…種々の苦行を修めなければならない。ものすごい苦行の実状が叙せられている。…仏教では一般的傾向としてはこういう苦行を排斥するから、この点が異なっている。…ジャイナの修行者は占いや観相を行なってはならず、また種々なる医療を行なってはならぬと規定しているが、これはまたちょうど最初期の仏教でも規定していることである。…なおジャイナ教は行為の善悪の問題については、仏教の動機論とは反対に、結果論の立場に立っていた。…このような修行によって業の束縛が滅ぼされ、微細な物質が霊魂から離れることを止滅と称する。その結果罪悪や汚れを滅ぼし去って完全な知慧を得た人は修行完成せる人となり、…身体の壊滅とともに完全な解脱が完成する。…身体が死するや、解脱した霊魂は本来有する上昇性を発揮して上方に進行し、世界を脱して世界の絶頂に存する非世界という領域に到達する。…さて非世界に到達すると、そこにおいては霊魂はその本性において現われ絶対の安楽が得られる。これが真の解脱であるという。(ii,139~160)

 このように行為(業)についてジャイナ教の基本的見方は否定的である。つまり、業は霊魂を束縛する結果を生ずるのである。従って善業とは、逆に、そのような業の可能な限りの縮減以外にない。故にジャイナ教の業論の論理的帰結は、業の減滅という完全消極主義となる。これに対して、仏教の業論は、必ずしも消極的ではなく、本来、業(意・口・身の行為)の改善・浄化を目指す積極的向上主義である。中でも思いという心の行為そのもの(意業)が最も重要視され、従って業の改善とは直ちに心の改善を意味する。この点で行為一般を霊魂の理想態から背反的に切り離したジャイナ教とは正反対である。つまりジャイナ教の業論は「業は霊魂にとって本質的ではなくて偶有的付随的である」というものであるが、仏教のそれは「業は心にとって常に本質的な働きである」というものである。この相違は、身体の行為と結果を主要と見るか、それとも心の行為と動機を第一義と見るかの相違と関連している。

18.行為の評価の結果論(ジャイナ教)と動機論(仏教)

 事実、行為の規定と評価に関しジャイナ教は身業優先論・結果論を取り、仏教は意業優先論・動機論を取る。 [仏教の興起する以前のインドにおいては、なお呪術的なものが支配していた。バラモン教全体についてもそのように概括して言うことができる。そこで独立の哲学的思索を徐々にめざしていた人の思想の集録であるウパニシャッド聖典においては、呪術的なものからの離脱をめざして真実の自己(アートマン)を把捉すべきことを強調していた。しかし具体的な倫理については、体系的な思想は殆んど何ごとも説かれていない。ただ散説されているだけである。ところが仏教では非常に具体的な倫理が説かれている。仏教の教える実践は、一言でいうならば、道徳的に悪い行為を行わないで、生活を浄めることである。…悪い行いをしてはならないということは、繰返し教えられている。…他方人々は善の実行につとめなければならない。善人の行為は清らかである。そうして善をなすことに対する意欲をすすめている。〔故に仏教は意欲そのものを否認しているのではないことがわかる。〕そこで、善の実行と悪の不実行とは楯の両面である。『善によって悪に打ち克て。』「身と口と意との悪い行いを捨てて、身と口と意とによって善を行え。」…

そこで定型的表現として、次の有名な詩が成立した。『すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸の仏の教えである。』(『諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教』)

正しい道徳は古今を一貫した永遠の理法であり、ゴータマ・ブッダが新たに創始し作り出したものではないという。ゴータマは真実の修行者、真実のバラモンたる道をみずから人々に教示するものであるという立場を標榜している。そうして昔の徳行すぐれた聖仙を称讃している。](v,3~6 )

[善悪の区別に関しては、仏教は動機論の立場に立っているとインド一般に認められていた。或る経典には、ジャイナ教徒であったディーガ苦行者と釈尊との対話が伝えられている。『〔釈尊いわく〕、「離繋派(ジャイナ教)のナータプッタは悪い行為の実行、悪い行為の展開についていくつの行為(業)を想定するのですか?」〔苦行者いわく〕「きみゴータマよ。離繋派のナータプッタはいつも<この行為(業)><あの行為>というふうに想定しているのではありません。われはいつも<あの罰><この罰>というふうに想定しているのです。」』恐らくニガンタ・ナータプッタが悪い行為それ自体を問題としているのではなくて、悪い行為(業)がのちに悪い報いをもたらすことを問題としていたという事実をのべているのであろう。

『〔釈尊いわく〕「では離繋派のナータプッタは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について、いくつの罰を想定するのですか?」〔苦行者いわく〕「きみゴータマよ。離繋派のナータプッタは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について、三種の罰を想定しています。--すなわち、身体(の悪い行い)についての罰、ことば(の悪い行い)についての罰、意(の悪い行い)についての罰です。」

〔釈尊いわく〕「ところで身体についての罰と、ことばについての罰と、意についての罰とは互いに異なった別々のものなのですか?」〔苦行者いわく〕「身体についての罰と、ことばについての罰と、意についての罰とは互いに異なった別々のものなのです。」

〔釈尊いわく〕「このように別々のものであって、互いに区別されているこれらの三つの罰のうちで、かれナータプッタはどの罰が、悪い行為の実行、悪い行為の展開について特に過ちが重いというのですか?」〔苦行者いわく〕「このように別々のものであって、互いに区別されているこれらの三つの罰のうちでは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について身体による罰が特に過ちが重いとナータプッタは想定しています。ことばによる罰はそうではありません。意による罰もそうではありません。」』

次にこの苦行者の問に対して釈尊は答える。--如来の教えでは三種の罰を説くことはない。そうではなくて、身体による行為(業)と、ことばによる行為と、意による行為との三種の行為を想定する。そうして意による行為(心の中で思うこと)が最も重要である、--と。『このように別々のものであって互いに区別されているこれらの三つの行為のうちでは、悪い行為の実行、悪い行為の展開について、意による行為が特に過ちが重いとわたくしは想定します。身体による行為はそうではありません。ことばによる行為もそうではありません。』釈尊のこのような主張を聞いてナータプッタは反論した。--『実に微弱なる<意による罪>がどうしてこのように強大な<身体による罰>を凌駕し得るであろうか?』

この対話を通じて見ると、ジャイナ教のほうでは具体的な身体の行動にあらわれた結果の如何を重視し、これに対して仏教のほうでは人が心の中で何を思うかということ、心の中に思っていること、の善悪を問題としていたのである。この問題についてバラモン教のほうでどう考えていたか不明であるが、ウパニシャッドでは『人が意(こころ)で思念したことをことばによって語り、それを行為によって行う。』というし、また『マヌ法典』(一二・四)では『意(マナス)が十種の行為の推進者である。』という。仏教はこのような見解を受けて徹底させたのであろう。](v,10~14 )

19.善悪業の結果としての報いの分岐:因果応報の理

 [善あるいは悪をなそうと欲する動機が良い結果あるいは悪い結果をつくりなすという思想は、仏教の最初の時期から存在した。『悪い欲望があり恥を知らず、尊敬をも払わない人は、まさにその故に悪を生ずる。それによって地獄に堕ちる。』

ところで悪い欲望が起るか否か、ということは人に明知があるか否かによると考えられていた。そこで右の句を説明する場合に、付加していう、--『無明は後の悪いことがらをひきおこすための先駆である。…明知は後の善いことがらを達成するための先駆である。』という。…人は何故に諸々の美徳を実践し、悪を避けねばならないのか?原始仏教の説くところによると、善をまもり、美徳を実行するならば、いつか将来にはよい結果が生ずるというのである。

右のような思想はすでに詩句の中の諸処に表明されていたものであるが、散文の部分においては次の句がのべられている。ーー「身体、ことば、心に悪い行いをなす者に、願わしくない、欲せられない、喜ばしくない果報が生ずるという道理が存する。…また身体、ことば、心に善い行いをなす者に、願わしい、欲せられ、喜ばしい果報が生ずるという道理が存する。」そうして前者は良いところ・天の世界に生れることであり、後者は悪いところ・地獄に生れることである、と続けて説明されている。…

右に述べられたようなことを一般的命題としてまとめたものが<因果応報>の理であり、「善因善果、悪因悪果」の説である。経典の中には非常に印象的な譬喩が述べられている。『作られた悪業は、灰に覆われた火のように、燃えつつ愚者に従って行く。』悪を行った者は地獄(niraya)に赴く。その地獄もいろいろあると考えられた。また「悪いところ」(duggati 悪趣)に赴くともいうが、すでにかなり古い時代から「悪いところ」として地獄・餓鬼・畜生・修羅の四つが考えられていた。…世間の人々はこの世の財産・権勢・奴婢などを追求するが、それらはこの世限りのものであり、いかなる偉い人でも死ぬときにはただ独りで死に、かれに業が付随して行くだけであると言って、悪業を戒しめている。これに反して善を行った人は天の世界に生れるとか、神(deva)となるとか「善いところ」(sugati善趣)に生れるとかいうが、その生れるはずの天の世界もいろいろの名称を以て呼ばれていて、統一がない。ただ『天に昇る者は少ない。』と嘆かれている。『或る者は〔人〕胎に宿り、悪業を造った者は地獄に〔堕ち〕正しき者は天に昇り煩悩を滅し尽くした者はニルヴァーナに入る。』というがこれが原始仏教の来世観を最も良くまとめているであろう。人間は天界と地獄などとの中間的存在なのである。](v,14~48 )

20.良心・人格完成者・神々に対して悪は隠し得ない

 [また他方では、悪い行いは人々に非難されるべきであり、悪を隠すことはできないという。『かれが身体、ことば、またはこころを以て、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。』たとい人々に知られなくても、まず「自分が知っている」という思想も述べられている。『「<生きものを殺さないこと>によって殺生が捨てられるべきである」といったのは何を意味するのであるか?…諸々の束縛のためにわれは殺生者であったのであるが、それらの束縛を捨て断ずるために努めている。もしもわれが実に殺生者であるならば、その<生きものを殺したこと>によって自己もまたわれを誹るであろう。智者もそれを知って、殺生に縁って、われを非難するであろう。身体が断滅した死後に、殺生に縁って、悪しき場所に生れると予想される。』…また善悪の行為を神々が見ているという思想があり、神を証人に請うということも行われた。『あなた(=釈尊)のようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供物であれかし。梵天こそ証人としてみそなわせ。…』また世人のなす悪は、神々(deva)と人格を完成した人々(tathagata,pl.)が見ているから、隠すことはできぬともいう。したがって原始仏教においてもやはり「天知る、地知る、われ知る」という思想が表明されていたわけである。](V,50~51 )

21.多神教的有神論の立場としての原始仏教

 ここまで来ると原始仏教は、俗に言われることもあるような無神論では全然なくて、かえって有神論であり、しかも多神論的であることが明瞭である。

先に、ジャイナ教では「宇宙を創造しあるいは支配している主宰神のようなものは存在しない。主宰神を否認したという点では仏教とも共通であり、後世のインドではジャイナ教は無神論の代表のように見なされた。]ということを見た。つまり仏教は絶対的主宰神は或る意味で認めない(というのは仏教はその行為の因果律の立場から、人間主体の自立的向上の努力を第一義とするので、人間の個別的自由を否定する恐れのある他律的絶対支配の原理を認めない。そこでもし絶対的主宰神がそのような原理と見られる限りは否認される。それは他方において同様の他律的絶対支配を意味する決定論的宿命論が退けられるのと軌を一にする。ii,91 参照。)が、多くの神々は認めるのである。またジャイナ教も神々の存在を認めるが、その[神々の世界もやはり迷いの領域に属すると考えていた。]このように神々といっても完全解脱者には及ばない比較的価値低き者であるので、ジャイナ教=無神論のレッテルを張られたのであろう。この点は仏教も相当に似ている。仏教でも完全解脱者たるブッダの方が神々よりも価値高い存在者である。とはいえ、神々のなかには極めて高位の神々もいる。例えば、「梵天」がそうである。梵天とは何か、また誰か、について考察して、仏教本来の神々の位置づけを明らかにしよう。

22.仏教における「梵天」とは何か? また誰か?

 この問題に係わることとして先ず注目すべきなのは、釈尊における「超能力(神通力)」保持の事実であろう。釈尊における超能力(神通力)の問題については、研究者の個人的信念に従った解釈が出されることが多く、客観的文献に基づく厳正な解釈が未だ確固たる一般的支持を得ていない状況である。研究者の個人的信念に従った解釈がまかり通るのであれば、それは釈尊についての学問的研究とは言えず、その人の単なる臆念の告白にすぎない。ところが我々の採用した研究方法に従う限り、中村元氏のまとめた原始仏教の根本資料に基づく解釈となるので、それは私自身の個人的信念には左右されないのである。それで釈尊が或る種の超能力(神通力)を保持していたことは、中村元氏のまとめた原始仏教の根本資料に基づく限り完全に明瞭である。

 ウルヴェーラー(のちの称ブッダガヤー)での開悟成道直後の伝道躊躇の気持ちを梵天の勧奨により克服した釈尊は、自由思想の本場ベナレスへ赴き、最初の伝道努力(初転法輪)をしたが、その時彼に先ず5人の直弟子ができた。この5人は成道以前の釈尊の修行仲間であった人たちである。

次に青春の苦悩に堕ちたベナレスの長者の子ヤサが釈尊との幸運な遭遇の中で救われ、出家した。次にいずれもベナレスの上流家庭の子であるヤサの54人の友人たちが、自分たちを凌ぐエリートだったヤサの行動に動かされてやはり釈尊に帰依し、出家した。(ただしその前に出家はしないがヤサの家族4人が釈尊の在俗信者となっている。同様に在俗信者としては釈尊の開悟直後に飲食を供養して帰依したタップサ、バッリカという二人の商人、及び釈尊が托鉢の折に施食して帰依したバラモンの娘スジャーターとその家族、そして他の婦人がいる。)これで最初の釈迦教団(出家者)は61人となった。

次にベナレスから開悟の地ウルヴェーラーに戻る途中、とある密林に分け入って一樹のもとに座していたが、その密林に一団で遊びに来ていた30人の既婚の青年たちが多愛もない捜し事に熱中しているのを、「自己(atta)を探し求める」ことに切り替えさせて弟子にした。これで出家の弟子は90人となった。(i,192~291 )

[ついで釈尊はもと修行していたガヤーの地方にもどって、火の行者であった三人のカッサパを帰服させた。何故もとの土地へもどったのか、事情は良く解らないが、恐らく三カッサパはその呪力の故に当時の民衆の間で非常な尊信をあつめていたために、かれらを帰服させなければ、自分の教えがひろがるのは不可能だと考えていたのであろう。ゴータマはウルヴェーラー村に到達したが、そのときそこには三人の結髪のバラモンがいた。それはウルヴェーラ・カッサパとナディー・カッサパとガヤー・カッサパとであり、それぞれ五百人、三百人、二百人の結髪のバラモンの弟子を引きつれていた。この三人の名は、それぞれ「ウルヴェーラーに住むカッサパ」「ネーランジャラー河のほとりに住むカッサパ」「ガヤー市に住むカッサパ」という意味であったらしい。この三人は兄弟であったと伝えられている。ウルヴェーラ・カッサパは火に仕える儀礼を行なっていたが、ここで釈尊はあらゆる種類の神通を行じてかれを克服する。ウルヴェーラ・カッサパは自分のほうが優れていると思うが、最後には降参してしまう。そうしてかれらは毛髪・結髪・担架・事火具<じかぐ>を水に流してしまい、釈尊の弟子となり出家する。このことを見て、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパおよびその弟子たちも同様に出家して釈尊の弟子となってしまう。…

ゴータマ・ブッダは神通力によって偉大な奇蹟を現じ得る人であると当時一般に考えられていたらしい。このことは他の点からも確かめられる。かれに対しては当時次のような非難が向けられていた。『実に修行者ゴータマは幻術者である。他の異学の人々の弟子をひきよせるために幻術を誘いのてだてとすることを知っている。」

しかしゴータマ・ブッダは、一般の修行僧が恣ままに神通を現ずるのはよくないと考えていた。伝説によると長老ピンドーラ・バーラドヴァージャが神通力によって王舎城の商人のところから栴檀の鉢を貰って来たとき、釈尊は修行僧らに神通奇蹟の使用を禁じた。総じて一般に諸々の仏伝の中で三カッサパの帰依が何故このように詳しく述べられているのか、われわれには良く解らない。しかし多くの経典では、のちの釈尊に言及する場合に「千二百五十人のビクたちと共にいた」と記すのが定型句となっている。その千二百五十人のうち千人は三カッサパの弟子たちであり、二百五十人は懐疑論者サンジャヤの弟子たちであったと考えられるから、最初期の仏教教団の中核を構成していたのは三カッサパの弟子たちであった。その人たちが一斉に仏教に入って来たというのであるから、これは重要な事実である。そうしてマガダ地方 - 当時インドの中心であった - の人々が、一斉にゴータマ・ブッダに帰依するに至ったきっかけは、一般に三人のカッサパが帰依するに至ったことであると考えられていたから、この事実はなおさら重要であるといえよう。](i,292~316 )

 他方、釈尊が煙や火炎を放射する超能力よりも大事だとしたのは、諸々の煩悩からの解脱という全く普通の人間の正しい理想であった。新たに弟子入りした千人を越える火の行者たちは、釈尊に「すべては燃えている」と表現される煩悩の激しい火炎こそ抑制され退治されなければならないと教えられた。(象頭山<ぞうづせん>における燃える火の教え)。(i,317~320 )火の大行者さえもが帰依した釈尊の偉大な信望により、マガダ国王ビンビサーラ及びマガダ国の12万のバラモン・資産者たちがやはり釈尊に帰依するに至ったという。(i,321~330 )

23.釈尊の悟りにおける超能力と道徳性

 故に、釈尊の悟りの中核を成すのは必ずしも超能力の獲得ではなくて、道徳性の理想の実現である。しかし、実はこの中心的な道徳性の理想の実現自体は、例えばその理想の実現したことが確実に知られなければ単なる主観的思い込みでしかない場合と区別されないことになってしまう。ところが仏典によれば、その理想の実現はそれ自体のうちに確証の標識をもっている。それが「漏尽通<ろじんつう>」と呼ばれる神通力の一つである。

すなわちそれは[煩悩がなくなったという自覚が生じ、それについて知識が成立する。それがのちに漏尽通<ろじんつう>とよばれるものとして概念化された。](iv,178)[仏教は少なくともその成立当初においては、バラモン教に叛旗をひるがえすという態度を表明しなかった。むしろバラモン教の伝統を継承して、その真実義を明らかにするという態度を表明していた。…しかし仏教では「バラモン」という語の内容を根本的に改めてしまった。真のバラモンは最上の階級に属する人々をいうのではなくて、徳行のすぐれている人のことをいうのである、と主張した。バラモンとバラモンならざる人との区別は、生れ(jati)の如何によるのではなくて、行為(kamma)の如何による。

『生れを問うことなかれ。行いを問え。…賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、慚愧の心で慎しむならば、高貴の人となる。』…従って釈尊は、初期の仏教徒によると、バラモンの理想を回復し、実現した人なのである。…バラモンたちの間ではヴェーダの学習が神聖な義務であるとされ、ヴェーダ聖典に通じている学者が重んぜられた。しかし最初期の仏教ではこの伝統的な見解を受けながら、その内容を改めた。「ヴェーダの達人」とはヴェーダ聖典に関する文献的知識をもっている人のことではなくて、むしろ修行を完成した人のことでなければならない。

『何を得た人を<ヴェーダの達人>と呼ぶのですか?』という問いに対して答えていう、-『道の人ならびにバラモンどもの有するすべてのヴェーダを弁別して一切の感受したものに対する貪りを離れ、一切の感受を超えている人、- かれは<ヴェーダの達人>である。』「すべてのヴェーダを弁別して」というところにはいくらか妥協的態度が見られるが、全体としては改革的意図が認められる。またヴェーダに関する博学が重んぜられたが、それは末節を良く知っているということではなくて、学問の教える理想を身に具現することである。…

当時バラモンは三ヴェーダを奉じていて、「三つの明知をたもっている」といわれていたが、仏教もその呼称を受けついだ。修行を完成した人は三つの明知を体得した人であるという。ただその三つの明知の内容を改めた。仏教によると三つの明知(三明<さんみょう>)とは、(1)前世のありさまを知ること(宿命通<しゅくみょうつう>)、(2)死後の世界を見通すこと(天眼通<てんげんつう>)すなわち天界と地獄とを見ること、(3)生存の尽きてなくなることを確認すること(漏尽通<ろじんつう>)とであり、修行者はこの三つを完成するのである。…

しかし他の場合には、三つの明知として他のものを数えていた場合もある。『ブッダの弟子であって三つの明知をそなえ、(1)神通を得、(2)他人の心のありさまを知り、(3)煩悩の汚れのなくなった尊敬さるべき人々は多い。』ここでは後世の術語でいうと、(1)神足通<じんそくつう>と(2)他心通<たしんつう>と(3)漏尽通とを挙げているのである。だから初期の仏教においては<三つの明知>という語をバラモン教からとり入れて使っていただけであって、その内容が何を意味するかということについては、必ずしも一定していなかった。…そうしてその<三つの明知>にあてはめた前掲のものを総括し、それに天耳通<てんにつう>を加えて、後世の仏教教学体系においては「六神通」【宿命通・天眼通・漏尽通・神足通・他心通・天耳通】という定型的表現が成立するに至ったのである。](iii,394~403 )

われわれはここに、初期仏教が伝統的バラモン教との関係ではその「名目的容認」と「実質的転換」を成し遂げているのを認める。(iii,394-416 )ただしその「名目的容認」は理想的実質の容認・回復・実現を含んでいることを見逃してはならないのであって、単なる便宜的な伝道の仮装ではなかった。それは初期仏教が無神論とは程遠く、伝統的な神々を容認し、しかも代表的な神々(梵天、帝釈天)とコンタクト(連絡)をとり、実際にコミュニケーション(交渉)を行なっていたという事実にもはっきりとあらわれている。(注3:三枝充悳『初期仏教の思想』(上掲)は、古ウパニシャッドと釈尊との思想的近縁説(中村元)に対して疎遠説を提起した(PP.3-125)。そしてそれは、ゴータマ・ブッダが古ウパニシャッドに関して「正確な知識」(P.30)「深い知識」(P.120 )を有しなかったという氏の見立てによる。だが、『道の人ならびにバラモンどもの有するすべてのヴェーダを弁別して一切の感受したものに対する貪りを離れ、一切の感受を超えている人、- かれは<ヴェーダの達人>である。』(iii,402 )という釈尊の言葉は氏の見立てに対する明確な反証である)

24.仏教における「梵天」とは何か? また誰か?

1)梵天勧請[律蔵および経典によると、釈尊はさとりを開いてのち、自分のさとったことを世間の人々に説くのを躊躇したが、梵天の勧めで世人のために説くことを決心したという。これについて律蔵の散文の説明は明らかに後世のものであるが、そこに挙げられている詩句はやや古いものである。それによると、釈尊はまず説法をためらったが、これに対して梵天が釈尊に対して説法を勧めたということになっている。

『わたくしのさとったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。わたくしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々がわたくしを理解してくれなければ、わたくしには疲労があるだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ。貪りに悩まされた人々がこの真理をさとることは容易ではない。世の流れに逆らい深遠で見がたいから、欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ。』(注4:新約聖書ヨハネ伝1-5 「光は闇に輝けども闇は光を悟らず。」という表現参照)

『世尊が何もしたくないという気持に心が傾いて、説法しようとは思われなかった。そのとき、<世界の主・梵天>は次のように考えた、- 「ああ、この世はほろびる。ああ、この世は消滅する。実に修行を完成した人・尊敬さるべき人・正しくさとった人の心が、何もしたくないという気持に傾いて、説法しようとは思われないのだ!』

『ときに<世界の主・梵天>は、あたかも力ある男が曲げた臂をのばし、のばした臂を曲げるように、梵天界から姿を消して、世尊の前に現われた。「尊き方よ。尊師は教えをお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが〔聞けば〕真理を悟る者となりましょう。」…『世尊はさとった人の眼によって世の中を観察された。世の中には、汚れの少ない者、利根の者、鈍根の者、教え易い者、教え難い者どもがいた。「甘露(不死)の門は開かれた。梵天よ。人々を害するであろうかと思ってわたくしは微妙な巧みな法を人々には説かなかったのだ。」』…ここで注目すべきことは、他の多くの世界宗教におけるように最高の神が命じたのではない。人格を完成した人間であるブッダに命令を下し得るものは何も存在しない。決定する者は人間自身なのである。](i,212~218 )

 2)カッサパとの対決時の神霊顕現[『さて尊師は、ほら貝結びの行者ウルヴェーラ・カッサパの庵のある或る密林に住しておられた。そのとき四大天王は深夜に優美な彩光によって、尊師のおられるところに近づいて、尊師に敬礼して、立った。大きなほむらのごとくであった。』

『さらに帝釈天(神々の王なるサッカ)は深夜に優美な彩光によってあまねく密林を照らして、尊師のおられるところに近づいて、尊師に敬礼して一隅に立った。それはあたかも大きなほむらのごとくであり、前の色彩や光輝よりもさらに優美であり、さらに絶妙であった。』

『さらに世界の主・梵天は深夜に優美な彩光によってあまねく密林を照らして、尊師のおられるところに近づいて、尊師に敬礼して一隅に立った。それはあたかも大きなほむらのごとくであり(注5:神の火炎は旧約のモーゼも見た。関根正雄訳『旧約聖書出エジプト記』1969年,岩波文庫、東京、P.11)、前の色彩や光輝よりもさらに優美であり、さらに絶妙であった。』この前後の記述の連絡から見ると、帝釈天のあとに梵天が出て来て、梵天のほうが帝釈天よりも霊力がはるかにすぐれたものであるということになっている。これはインドの宗教史的事実に対応することである。インドラ(帝釈天)はインド最古の宗教聖典『リグ・ヴェーダ』においては最も力強い、また最も人気のある神であったが、梵天はウパニシャッドあたりから登場して、仏教興起時代には世界創造神として民衆の間では最も尊崇されていたのである。](i,298~306 )

3)神々の体系[仏教では世界創造者としての神を認めないということが通説となっている。これに対して、例外的な表現がないわけではない。ブッダは神通によって、世界を開闢することも可能であると考えられた。しかしそれはただ教化のための方便にすぎなかった。他方、神々の存在は、仏教もこれをはっきりと承認していた。神(deva)を漢訳仏典では「天」と訳している。天に存在するものであると考えられたからである。…原始仏教聖典のうちでも特に古いのは詩句(韻文)の部分であるが、それらについて見ると神々は長寿で容姿すぐれ名声がある。神々はいわばすぐれた人間なのであり、天上においては神々も人間も区別のないものと考えられていたようである。…しかし神といえども、なお迷いの範囲のうちに存するのであって、…ゴータマ・ブッダの説き明かした真理は神々の権威をも超えたものであると考えた。…だから神々でも仏の弟子であり得る。神々も仏の教えを聴聞して帰依するに至る。…原始仏教の認める多数の神々の間の階位的関係・勢力関係についてもおのずから発展変化のあったことが知られる。最古のヴェーダ本集において最も有力であった神はインドラであり、ブラーフマナ文献において最も有力であった神は造物主(Prajapati )であったが、…しかし仏典の中では造物主はやがてすがたを消すに至る。そこで当時盛んに信仰されていた梵天が有力視され、インドラと肩を並べるものとされた。ウパニシャッドにおいては絶対者をブラフマン(brahman )と称し、中性名詞として用いているが、原始仏教聖典においては、ブラフマンは擬人視されて、男性名詞でのみ用いられている。ブラフマン(梵天)は神とみなされたのである。神々の中では梵天が第一の神と見なされていた。梵天は「梵天の世界」(Brahmaloka)にとどまるのであるが、そこには光明の輝きがあると考えられた。またその世界は不死である。梵天は瞬時に諸方を見る。…梵天が人々にすがたをあらわすときには、まずそのしるしとして光輝が現われ出る。…光輝は梵天の本質であると考えられた。そうしてのちには世界の主としての裟婆王梵天という名称が成立するようになる。ところでその最高の神としての梵天もインドでは一人の人格ある神とはみなされず、幾人もいると考えられるようになった。…過去世に善業を修した者がその徳の報いとして梵天の地位につくのであるから、梵天が多数いても構わないであろう。(この点は次に述べるように、インドラという神が幾人もいると考えられたのと共通である。)…また梵天の光輝といえども仏の眼から見るならば、完全なものではない。梵天は光輝をその特質としているが、しかし釈尊の光輝はさらに偉大であり、梵天のそれにも打ちかつものと考えられた。…インドラ(帝釈天)は『リグ・ヴェーダ』以来…「恵み深き者」と呼ばれ…雨を降らす神であると考えられていた。しかしそれよりも重要なことは、帝釈天が「神々の王」(天王)と呼ばれていたことである。「神々の王」というのは一人の神が永久に占めているのではなくて、一種の地位であり、絶えず異なった生存者がその地位を順次に占めると考えられていた。〔この見解は後代に至るまで継承された。帝釈天すなわちインドラとは個的存在としての神ではなくして特殊な地位にすぎなかったのである。つまり普通名詞のようなものであった。これは顕著にインド的な思惟である。〕

『リグ・ヴェーダ』以来神々の数を三十三でまとめることがなされ、…三十三神のことを概数を以て「三十神」とよぶこともあるが、戦いに勝った不敗のインドラに三十神が奉仕するという。そうして三十三天の神々はインドラ(帝釈)とともに如来および法の本質に敬礼するという。三十三神とは古くはすべての神を意味する語であったが、後にはそのほかに多くの神々も考えられるに至ったので、のちの仏教神話においては一群の神とみなされその音を写して漢訳仏典では「利天<とうりてん>」と呼ぶようになった。…そこには歓喜(ナンダナ)園があり、三十三天はそこに居住すると説くに至った。善行を行なった人はそこに生れることができる。『施与をなす人々はここから没して、自ら光りあるものとなって、ナンダナ園に逍遥する。かれらはそこで五種の欲をかなえて歓喜悦楽する。』しかしナンダナ園といえども絶対の境地ではない。そこも生死輪廻の範囲に属する。原始仏教における神観の発展とともに三十三天の上にヤーマ天(夜摩天)、トシタ天(兜率天)、化楽天<けらくてん>、他化自在天<たけじざいてん>が考えられるに至った。夜摩天とは死者の王ヤマの明るい性格だけをとり出して、このような特別の世界を想定したのであろう。これらの神々は喜楽を受けているけれども、愛欲の束縛に縛せられている。だからこれらの神々も輪廻するのである。](IV, 183~205)(注6:和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』(『和辻哲郎全集第5巻』1962, 岩波書店、東京)は「本来ブッダの根本思想は全能なる創造神のごときを排するものであった。その点は当時の唯物論的な外道説と同様である。だからこの根本思想に忠実なものは梵天のごときをブッダの説法に導入するはずがなかった。しかし文学的想像としては、全能の神をブッダに奉仕せしめるということは、効果の多い、警抜な思いつきである。」(P.81)と述べて、梵天思想を文学的虚構と断じ、ブッダの根本思想を唯物論的性格としているのは看過し得ない。続稿参照)

25.神々(霊的職能者)=人々(個体的生存者)の道徳修養と仏教的輪廻転生論

 人間的視野から見る限り、ブッダが完全人格完成者として輪廻転生の最後の地上的生存を終えて至高の天的存在となり、ブッダに近いがなお未到のレベルの者たちはあと何回かの転生を通して修養を完結し遂にはブッダとなる。それよりも低いレベルの者たちは一層多くの転生を繰り返しつつ多大の修養を蓄積しなければならず、大多数の人々は魂の質的向上のためには殆ど無限に近い転生を必要とし、それがあたかも転生の「輪廻」(限り無い反復相)として見える。

従って「神々でさえ輪廻する」ということは、その神々とは相当程度に人格修養を積み向上した人々の肉体離脱後の生存相だと言うことである。つまりそのような生存相にある所謂《霊人たち》のうち、地上生存者たちに特に係わりのある一定の霊的職能者たちが、社会慣習上、一定の神々として意識され信仰されると考えられる。

普通の人間的視野では知覚されないが、仏教以前から精神科学の発達の長い伝統をもつインドの地では当時人々は輪廻転生を我々が近代科学を一般的に信じるように人生の根本前提として一般的に信じていた(注7:中村元『インド思想の諸問題』(中村元選集第10巻、1967年,春秋社、東京)p.13参照)。そして哲学思想の課題とは、一口で言えば、輪廻転生の事実に対してどのような対処をするか、に尽きていた。

仏教が対質したいわゆる六師外道も輪廻転生論として見ることができる。即ち(1)サンジャヤの懐疑論は輪廻転生の事実を括弧に入れるかのような素振りをみせつつ、いかなる断定にも与せず、あたかも輪廻転生を前提とするかのように精神安立の実践行は怠ることがない。(2)プーラナの無因論は輪廻転生の一般的信念に対する絶望的自我主義のあがき以外のものではない。(3)パクダの七要素説は輪廻転生の大前提である霊魂とその有責行為を是認しつつその化石化の理論を案出したが彼自身でさえその詭弁性に目を覆うことのできないはずの戯論である。(4)アジタの唯物論は輪廻転生の経綸自体を崩壊せしめんとし、また現代においてこそ多数の信奉者を見出す理論であるが、それは心の内省的観察の繊細な習練を欠いた粗雑な哲学以外のものではなく、多くの場合その霊界否定論は当事者の霊界恐怖感の隠蔽と糊塗の知的自己防衛である。(5)ゴーサーラの宿命論は輪廻転生の一面である浄化に必要な時間経過に注目したが、ただその経過を絶対視し、行為的努力の如何によるその短縮ないし延長を認めなかった。他方(6)ジャイナ教は或る程度まで輪廻転生の積極面すなわち有意的な霊魂浄化のプロセスを認めたが、行為(業)の捕らえ方が否定的であり、輪廻転生のプロセスへの積極的参入を欠く退嬰哲学である。

これに対して(7)バラモン教の伝統を引くウパニシャッド哲学は転生する個我からの脱却を、普遍霊ブラフマン(梵)への自己霊アートマン(我)の一致(梵我一如)の瞑想的直観智の方法で探求した。(iii,275, 190)(注8:中村元『インド思想の諸問題』(上掲)PP.10-17参照)

それらに対して(8)釈尊の教えは真に主体的人間的な行為的道徳的輪廻転生論である。それはジャイナ教の苦行主義を排し、ウパニシャッドの瞑想的直観智の方法を受け継ぎ、これを複数の階梯に分節し連継して、その他生活全面にわたる具体的修養の方法を総括して一般人誰にも妥当する《中道》を提示した。

これが、正見<しょうけん>、正思<しょうし>、正語<しょうご>、正業<しょうごう>、正命<しょうめょう>、正精進<しょうしょうじん>、正念<しょうねん>、正定<しょじょう>、の八支から成る八正道である(この中で「定」とは瞑想的精神統一と直観智の方法、いわゆる禅定<ぜんじょう>であり、幾つかの進展段階がある。)要するに、釈尊の仏教(原始仏教)は、転生輪廻とは神々をも超えるブッダ養成コースであることを明示したものである
これを最善観的輪廻転生論と呼ぶことにする。 
神々をも超えるブッダ養成コースということは、先にも触れたように、多くの高下の段階を成し、あたかもこの世で例えば教育段階として保育園・幼稚園・小学校・中学校・高等学校・大学・大学院といった進級があるように、人格のあらゆる要素を総合的に見る視点からの人格完成度の度合いとしてとらえることが出来る。それは細かく見れば、一人一人について段階があるはずであるが、大局的に原始仏教は先ず、①生存者(輪廻する者で欲望と生存とのきずなに結ばれ迷いの状態に帰って来る人)、②欲望の領域に帰らない人(なお生存のきずなに結ばれているが欲望を捨て去り迷いの状態に帰って来ない人)、③彼岸に達した人(完く煩悩の滅無に到達した尊敬さるべき人。いわゆる「阿羅漢<あらかん>」であるが、初期には「仏」もこう呼ばれていた。ともかく「解脱した人」)という三段を想定する。

所で迷っている人がもはや煩悩の世界に戻って来ない(不還性<ふげんせい>の)人となるためには中間になお階梯がなければならぬと考えて、その中間に<修道に踏み入った人>と<一度だけ欲望の領域に戻って来る人>という段階を考えた。そこで前段階(凡夫。迷っている生存者)を脱した聖者として次の四段階が成立した。①預流<よる>(修道に踏み入った人)。②一来<いちらい>(一度だけ欲望の領域に戻って来る人)。③不還(欲望の領域に帰らない人)。④阿羅漢(彼岸に達した人。完全な道人)。

所で聖者の四つの段階には各々、それに向かって進んでいる状態(向<こう>)と、行き着いた状態(果)とあるから、合わせると八つの状態が想定される(四向四果・四双八輩)。

また修道に踏み入った聖者(預流)が一度だけ欲望の領域に戻って来る聖者(一来)と成る迄には欲望の領域に七度迄は戻って来ることが有り得ると考えられた(極七返生<ごくしっぽんしょう>)。

また「道の究極に達した人」「正覚者<しょうがくしゃ>」でもなお学びつつある人であると考えられた。

後世の教義学で究極の悟りに到達した人は、もはや学ぶべきものの残されていない人(無学<むがく>)であり、それ以前の人は学ぶべきもののある人(有学<うがく>)と解せられたのと正反対である。(iv,255-257 )

かくして、六師外道との対質及びカッサパ、バラモン教、ウパニシャッド哲学等との部分的共通性を通して示された所に従い、釈尊の悟りの基本的立場【B(非Q)】は最善観的輪廻転生論である(注9: 西洋思想における輪廻転生論としては古代ではプラトン(特に『国家』第10巻のエルの物語)が代表的であり、現代ではルドルフ・シュタイナー『輪廻転生とカルマ』(西川隆範訳、1988年,水声社、東京)、同『いかにして前世を認識するか』(西川隆範訳、1993年,イザラ書房、東京)等が参考になる)、と我々は推定する。なお、今明らかとなったB(非Q)に基づくB(E)の解明は続稿に譲る。

 [初出:北海道教育大学紀要(第一部A)vol.45-2,1995]
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§2 原始仏教(釈尊)の基本的立場(上)

§2  原始仏教(釈尊)の基本的立場:四諦八正道・無我・縁起・最善観的輪廻転生論

 仏陀出現問題を考察する第一のアプローチは、原始仏教として一括される釈尊の教説の基本的性格の確定である。
これについて筆者は既に「釈尊の悟りと道徳的発達(上)(中)(下)」において論考した。

今ここにそれを再掲することにしたい。

       釈尊の悟りと道徳的発達(上) 仏教思想研究の方法論
                  
                  
            目  次
   1.釈尊の悟りは懸崖の頂きに立つ(西田幾多郎による評言)
   2.釈尊の価値を検討証明すべき「システム」とは?
   3.和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』について
   4.和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』における仏教研究資料批判の画期的透徹の批判的検討
   5.釈尊の悟りの内容へのアクセスを担うシステムの構築の方法の模索
   6.初期仏教経典(E)の確定としての仏教資料批判
   7.和辻哲郎における資料批判貫徹の新機軸
   8.和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』における原始仏教の哲学的思想論的研究の方法的開始
   9.文献学的研究対哲学的研究
  10.仏教資料の哲学的研究の出発点
  11.理論的研究のための仏教資料論の底本群の決定
  12.原始仏教の理論的研究の出発点

1.釈尊の悟りは懸崖の頂きに立つ(西田幾多郎による評言)

「我が関新助は恰もニュートンと期を一つに極東の孤島に現はれたのも妙だが、サラセン文化以来驚く可き年代を経て発達して来た数学と、彼の一代の独自な収穫が、近いものであったのは世界的に驚異とされてゐるのは、吾人の意を強ふするに足るが、微積分の領域にはいってゐた彼の数学も、算盤と算木を使用する複雑な理路は、彼独りの理解に止って、其後の発達は見られなかったのは、一つに継承を容易ならしめる組織の欠点に外ならない。
 普遍的に消化され吸収さる組織これが確実な成長持続の根源である。譬へると釈尊の足場は懸崖の頂きでありとすれば、丁度関新助の数学である。その微積分が今日高等数学の範囲で学生などに消化され吸収され、日常の栄養となったのは、組織の賜であり、釈尊の価値を検討証明するのも同様に遂には、この「組織」の力である。」

 これは西田幾多郎が京都大学を定年退官(昭和3年8月)した時期に或る有名総合雑誌に強く請われて寄稿した短文(注1:「言葉に代へて」『文藝春秋』昭和3年9月特別号、『西田幾多郎全集第19巻』第4版,1989年,岩波書店、東京、PP.842-846所収)の一節である。この時西田は、大学を定年退官したとはいえその従来の哲学研究を一層進展しようとする強い決意と燃える情熱のうちにあった。「……今、自分は丁度家で云ふなら建て掛けの道程にあると云ふのが適当であらうか、ある大きな思索の組織を完成するべく常住に心が用ゐられてゐるから、たとへ、ちょっとしたものを書くにも自分の性格上、多少真剣に、この間、軌道を変へなければならないと云ふことは誠に調子のそぐはない、且つにがい負擔である。私をして心ゆくまゝに私の道を歩ませてもらひたい。「白つゆや、無分別なる、をきどころ。」……」

 西田が自己を白露に擬しているのはその歌詠の趣味とともに奥ゆかしいが、事実、この当時における西田の思索は、『働くものから見るものへ』(昭和2年10月刊)における「場所」のアイディアを発展させた『一般者の自覚的体系』(昭和5年1月刊)に収められた諸論文執筆に結果しているものであって、これは『善の研究』(明治44年1月刊)という彼の処女的総括体系に次ぐ第二の彼の哲学体系の出現であった。これだけでも既に一個の巨人的思索の跡を窺わせるのであるが、彼の場合はこのあと更に『無の自覚的限定』(昭和7年12月刊),『哲学の根本問題』(昭和8年12月刊),『哲学の根本問題続編』(昭和9年10月刊)を経過して,「哲学体系への企図」たる『哲学論文集第一』(昭和10年11月刊)から『哲学論文集第七』(昭和21年2月刊)に至るまでの長大雄勁な研究が累加されてゆく。 西田哲学の「組織」つまりシステム(体系)は、「絶対矛盾的自己同一」という論文(これは昭和14年11月に刊行された『哲学論文集第三』の第三論文であり、昭和14年4月『思想』に発表された)において完成・確立されたといえるであろう。

 「「絶対矛盾的自己同一」に於て、私は一応私の根本的思想を明にした。」(西田幾多郎『哲学論文集第四』序、昭和16年8月)

 「私は第三論文集に於て、私の根本的思想を把握し得た。」(西田幾多郎『哲学論文集第五』序、昭和18年9月) 事実、これ以後の諸論文は、「絶対矛盾的自己同一」なる根本論理から、実践、歴史、芸術、国家、物理、数理、空間、生命、宗教等の諸問題を応用的に論じたものとなっている。つまり、「ある大きな思索の組織を完成するべく常住に心が用ゐられてゐる」と昭和3年に言われた西田のその哲学体系化の企図は、その十余年後「絶対矛盾的自己同一」なる昭和14年の論文に於いて実現されたのである。

 ともあれ、西田は日本の思想的営為におけるシステム化の努力の余りないことを指摘しており、また、釈尊の場合にもそのことが言えることを指摘しているわけである。それに対して彼自身の哲学的努力がまさしくシステム化の枢軸としての根源論理の把握に向けられていたということが自他共に認め得るであろう。「絶対矛盾的自己同一」の哲学システムは、言うなれば、《ダイヤモンド製の真珠》の如きものである。この譬喩は『哲学の根本問題続編』の「序」の後に初めて付され、その後『哲学論文集第三』まで続く西田独特の「図式的説明」の価値に特に妥当する。(数学史上ニュートンがライプニッツより先に微積分の原理を発見したようだが、ライプニッツの表記法が至便であったため、これが広く普及したとされる(注2)。

注2*「言葉に代へて」『文藝春秋』昭和3年9月特別号、『西田幾多郎全集第19巻』第4版,1989年,岩波書店、東京、PP.842-846所収*

数学と哲学では事情が同じではないとしても、特に西田哲学の理解のためにその図式的説明をもっと活用することが今後行われるべきである。)

 事実、この西田哲学そのものを十分に解明し得た研究はまだ出ていないのではないか。西田哲学に対する関心と研究は最近内外ともに活発であるが、その真価を明らかにし得ているとは未だいえないのである。その哲学自体既にシステムではあるが、未だなおそれは我々の既知の諸システムとの連絡をつけられないままに、「懸崖の頂き」にあるが如くである(注3)。

注3* 例えば最も代表的なものとして末木剛博の浩瀚な四部作『西田幾多郎 その哲学体系I-IV』1983-1988 ,春秋社、東京、を挙げることができる。これは西田哲学研究としては理論(記号論理学)により理論(体系としての西田哲学)を解明したものとして一つの模範である。これはこれで徹底的に学ぶべきである。しかし哲学論としては、その純粋 内部脈絡の解析迄は著者の意図を成就しているが、進んで比較思想論的検討を介して最終結論に到ると極めて矮小となり、まさに龍頭蛇尾の感を禁じ得ない。これは主として氏の仏教思想理解が従来の枠に止まり、それに準じて西田 哲学の内的理解も進まないからである。特に「空思想」「絶対無」の理解は常識的であり、平板である。西田哲学の根本性格が「無実体論」「現象実在論」であるという氏の結論は、我々が仏教思想の理解を推進するならば、その妥当性を失うであろう。結局氏自身の哲学的立場は、記号論理学の専門家としての優れた力量と比較思想の広範な学識というその身上を別にすれば(といってもこれらがその立場と別にあるわけではない)、西田哲学において根本から斥けられている「対象的意識の立場における個人的意識」(これこそ西田哲学に対して氏が最後に難じている「独我論」の発生源である)を唯一の可能な意識と信じ込んでいる素朴近代常識人の立場でしかない。氏の最終的結論(6)と(7)は特にこのことを如実に示している。我々は仏教思想の理解を進めて、将来西田哲学については氏と同様に、『善の研究』から出発して考察して行かなければならない。なお次注参照*

実は我々のこの研究も、今直ちに西田哲学の研究に入るのではないが、間接的には、システムとしての西田哲学の解明に資するのが計画の一端である。(そしてその通路は、一口で言うと、ライプニッツのモナドロジーである。実際、西田幾多郎自身「自分の哲学はモナドロジーだ、それもクリエイティブ・モナドロジーだ」という意味のことを言っている(注4)。

注4*「永遠の生命としてすべてを包む有は対象的有であることはできない故に私はプロチノスの一者(絶対的有)を絶対 的無と云ったのです。今度の論文で述べた創造的モナドの世界も無限なる生命全体を包む世界と云ってよからうと思 ふのです…」昭和13年9 月25日付三宅剛一宛書簡『西田幾多郎全集第19巻』第4 版,1989,岩波書店、東京、PP.47-48。 「強ひて私の考をモナドロジー的といふならば、ライプニッツのそれの如く表象的でなく創造的といふべきであらう。 辯證法的モナドロジーである。」「歴史的世界に於ての個物の立場」『西田幾多郎全集第9巻』第4版,1988,岩波 書店、東京、P.97*


 従って、「釈尊の足場は懸崖の頂きにあり」という西田の釈尊に対する言葉がそのまま、或る意味では西田哲学自身にあてはまるのである。

2.釈尊の価値を検討証明すべき「システム」とは?

 「釈尊の価値を検討証明するのも同様に遂には、この「組織」の力である。」と西田は釈尊への理解の大道を指示している。仏教思想史上、三蔵のなかで「経」と「律」に対する「論」が事実上このような「組織化」の努力であったといえるであろう。しかし現在の哲学的な方法論による仏教研究としては、直ちに「論」の伝統に乗ることは得策ではない。むしろ、いわゆる西洋哲学の手法から我々は学ばなければならない。しかも既に日本において我々の先輩が試みたところを振り返りながら一層の進展を期することが、学問的研究の継承発展のために望ましい。その場合我々はこの論文のタイトルが示すように、道徳的発達の観点から釈尊の悟りの内容を理解しようと企図する。仏教はその根幹に道徳的修練を据えた宗教であって、その道徳的修練は段階的な発達向上が可能であり、各発達段階はそのまま存在論的性格を持つ、そしてこれは釈尊の悟りの理解から明らかになる、との見通しのもとに論究を開始する。

3.和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』について

 仏教思想を西洋的伝統の哲学研究の中にしっかりと組み入れて組織的に研究するという方向における代表的な業績として我々は、和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』(1927)を有しているのではないか。即ち、和辻のこの著作には思想史上二通りの意味があると考えられる。つまり、

 一つは、仏教研究資料批判の画期的透徹であり、
 二つは、哲学的思想論としての仏教(原始仏教)の研究の開始である。

前者は、西洋近代仏教学の明治期の導入以降、国内外の代表的諸研究を踏まえて当時における最も先端的で決定的な原始仏教資料批判を展開して、特にその後のわが国の原始仏教の研究に多大の刺激と明示的方向とを与えた(注5:『和辻哲郎全集第5巻』1962, 岩波書店、東京の中村元の解説「原始仏教の実践哲学」(PP.581-585)参照)。後者は、元来哲学的立場に関しては「無記」(肯定的にも否定的にも何も主張しない)の態度を徹頭徹尾維持していたとされる釈尊の教説の根本的立場に関して、西洋哲学の正当な手法として、一定の明瞭な哲学的立場を比定したことを指している(注6:和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』第一章「根本的立場」『和辻哲郎全集第5巻』PP.90-97参照)。

 けれども、我々はこれらの和辻の仕事は、有益且つ貴重な導きと示唆をあたえてくれる反面具体的成果としては重大な難点を含んでいたと見ている。それ故今、和辻の思索の根本的批判的検討を行い、真の新たな展望を開かなければならない。

4.和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』における仏教研究資料批判の画期的透徹の批判的検討

 では、和辻の仏教研究資料批判の画期的透徹とはいかなることか。そしてその何が批判的検討に付されなければならないのか。
 先ず、そもそも仏教研究資料批判とは、簡単に言って、仏教経典類として伝わるもののうち、歴史的人物としての釈尊がその在世中に直接に説いたと考えられるものを、釈尊以外の者の手になるものと考えられるものから判別・区別する仕事である。そしてこれは近代の研究的知性が、いわゆる南伝仏教のパーリ三蔵と、いわゆる北伝仏教の三蔵(代表的なものは漢訳三蔵)との共通性と相違とに直面して、前者には、大乗仏教と言われる後者の大乗的諸経典が含まれていないことを認識して、大乗諸経典は仏滅後はるかのちに創作された非仏説であり、大乗仏教の伝統の中で小乗仏教経典とされる「阿含部」と言われるものと大部分一致するパーリ三蔵が歴史的釈尊の指導した教団の奉持した経典を歴史的に直接的にか間接的にか継承しているとの判断に到ったことに源を持つ。この意味において、歴史的釈尊の指導した教団の奉持した経典が現在から見て有り得べき理想的な研究資料であるが、現存のものはそれそのままのものではなくて、幾多の変形を経てきたものと考えられている。従って、最も原形に近づけた復元がこの場合、「原始仏教」を我々に伝える資料を構成することになる(注7:例えば、三枝充悳「阿含経とは何か」中村元・三枝充悳『バウッダ 佛教』1987,小学館、東京、第二部第一章,PP.31-77参照)。

 そこで和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』における仏教研究資料批判の画期的透徹とは、まさにこの意味の仕事を極めて明確な態度において実行して見せたというその点にあるのであって、それ以後そのような方向において特に我が国での研究成果が顕著である(注8:例えば、中村元『原始仏教の思想 下 原始仏教4』中村元選集第14巻 1971年,春秋社、東京、P.268.および、 同『原始仏教 1 ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯』中村元選集第11巻 1964年,春秋社、東京、P.7 参照)。

 ところで、そのような原典批判という一種の技術は、他方において、取り出されたる原始的資料についての思想的解釈を伴っている。本来ならば、原典の洗いだしを行ったのちに思想的解釈を行うべきであり、また誰もそのように始めは意図するものである。けれどもこれがなかなかそのようにすんなりとは行かないのである。何故かというと、原典の洗いだしを純技術的にのみ遂行することは誰も果たし得ていないのであって、事実上、資料の選別・評価に当たって例外なく一定の解釈的立場を採らざるを得ないでいるからである。そしてその場合に一番多く見られるのは、「非神話化の精神」とでも呼べるような或る種の「唯物論的実証主義」である。すなわち、いかなる宗教にも認められる超常的神秘的神話的事象一般の否認ないしその実証主義的合理化説明である(注9:このことは釈尊の根本思想の解釈と関連する問題であって、本稿下篇で論じたい)。

 このことは、純歴史的認識とでも言うべき事柄に関しても妥当する。すなわち、例えば現存パーリ三蔵は釈尊の直接的指導のもとにあった原始仏教教団の奉持していた原経典からなにほどか変形しているという見積りに当たってそこに必ず評価者の一般歴史観的認識基準が採用されざるを得ない実情にあるのは否定できない事実である。一口で言うと、資料批判を実行する研究者たちは通例極めて「懐疑主義的」である。すなわち、歴史的伝承に対する一般的信頼感を欠いているとの印象を受ける。これはその精神態度ないし研究的知性自体の「唯物論的実証主義の傾向」と密接に関連していると見ることができる。本来、探究(スケプシス)は懐疑(スケプシス)を一つの動因とするものであるが、それだけではなく他方そしてより根本的には驚異の心(アリストテレス参照)をそのエネルギーとするのである。

 そこで今、我々が釈尊の悟りの内容へのアクセスを担うシステムの構築の方法を構想するにあたり、仏教研究資料批判の我々の基本的態度を、懐疑主義的なものではなくて、中道的態度として確立しようと願う(注10: 一般的伝承批判は仏滅年代論と関わる問題であり、その全的な中道的展開は他の機会に譲る。ここでは我々は従来の懐疑的批判的研究の最大限の中道的継続としての「細心な立場」(具体的には中村元の立場)に接続することにする。中村元「原始仏教聖典成立史研究の基準について」『原始仏教の思想 下 原始仏教4』中村元選集第14巻,1971年,春秋社、東京、PP.259-489参照)。けだし、何事にせよ、中道的態度の勧めは釈尊の教えの最基礎的なものであることは誰もが認めるところである。

5.釈尊の悟りの内容へのアクセスを担うシステムの構築の方法の模索

 仏教資料批判の目的はすべて歴史的釈尊の事実的教説の確定であり、これを通して釈尊の内面的悟りそのものを解釈しそこに参入することにあるのは全て共通であろう。この手続きには基本資料の確定と思想解釈という二つの仕事が含まれている。そこでこの問題を次のように形式化することにより整理して考察しよう。

 先ず、我々の探究の究極目的である「釈尊の内面的悟り(菩提 Bodhi)そのもの」を記号Bで表わそう。
 次に、釈尊の成道から入滅に到る間の教化活動から生じた教示(Teachings )の全体を記号Tで表わす。

 次に、いわゆるパーリ語三蔵(the Pali Buddhist Texts )を記号Pで表わす。また大乗仏教の伝統の中で小乗仏教経典とされる「漢訳阿含部」と言われるものを記号Cで表わす。

 次に、いわゆる大乗仏教固有の大乗諸経典(the Mahanaya Buddhist Texts )を記号Mで表わす。

 そして、Z=P+C+MなるZを、我々が現在所有している仏教資料の全体を表わす記号とする(従って、我々がここで我々が現在所有している仏教資料の全体と言うものは、普通の意味での全仏教思想史上の資料の全体ではなくて、厳密に《P+C+M》なるZに限定されたものである。)

 そうすると、近代仏教学がこれまでに既に一致して認めたのは、先に述べたことと同じことであるが、BにアクセスするためのTへの最初の手がかりはZでは決してなくて、P+Cであるという一点である。この主張の要点は、Zの成員の一つであるMが決してTとの事実的連絡を有しない、何故ならMは仏滅後はるか後代の人為的創作の産物であるから、ということに存する。他方、P及びCはその文献としての歴史事実的性質から見て、Tに由来する伝来の事実的に最も直接的な結果であるとみなされているのである。ただし問題は、TからPあるいはCに到る間に多くの変形があったであろう、という一点に集中している(この変形要因をdとすると、T+d=PあるいはT+d=Cとなる)。そこで、PあるいはCの言語学的、歴史学的、考古学的等、あらゆる可能な分析方法により、PあるいはCに生じていると推測されるdの結果を浮き彫りにしてTに最も近似したPあるいはCの原形の復元が目ざされるのである。そこでさしあたりPとCが共通に持つであろう一つの源泉を記号T´で表わせば、T´が復元されるべき原形である。この復元作業は当面PあるいはCの構成諸部分の継時的再構成であり、そのうちの最古層の確定が眼目となる。確定された最古層のPあるいはCの部分が当面、T´に最も近似していると見なされるのであるから、PあるいはCのこの最古層として確定された部分を初期仏教経典(the Early Buddist Texts )として記号Eで表わすならば、TないしT´に最大限近づいたEの確定こそが仏教資料批判の現実的目標である。
 
 想定される資料伝承の流れ:
  B → T → T´ → E → P(or C)
 資料批判による復元作業:
  P(or C)→ E → T´ → T → B
 
6.初期仏教経典(E)の確定としての仏教資料批判

 そこで、現在までの仏教資料批判の成果を概観するならば(注11:例えば三枝充悳「阿含経のテクスト」 中村元・三枝充悳『バウッダ 佛教』1987,小学館、東京、第二部第二章 PP.78-112.及び三枝充悳上掲「阿含経とは何か」参照)、Eはどの程度まで明らかになっているであろうか。

 先ず、全ての仏教資料批判に共通しているのは、さしあたりPにのみ話を限るならば、Pが互いに性格の異なる三部分より成っているという点の確認である。即ちPは、固有の意味での経典(スッタ)(これをいま記号Sで表わす)、そしてそれら経典解釈の論議(アビダンマ)(これをいま記号Aで表わす)、及びいわゆる戒律(ヴィナヤ)(これをいま記号Vで表わす)、という三部構成となっているということである。そしてAはSに対する仏弟子たちの研究的論議なのであるから、その資料としての性格はTからの明白な隔絶である。つまりAはTに接近すべきPからは厳密に排除されるのである。他方、Vはその起源は釈尊の教示にあるものの、仏滅後の仏教教団の自立的展開と諸部派へのその分裂の過程のなかで相当大きく変動して行ったと見なされている。事実、このVに限ってみればその資料批判はかなりの程度まで徹底されている。「徹底されている」という意味は、Vに関してその全体にわたる資料批判がその当否はともかくとして実施されているということである。そこで批判されたVにしてEに含めてよいとされる部分を記号VEで表わすことにしよう。
 
 しかし他方、Sに関しては未だなお、その全体にわたる資料批判は実施されていないのであって、ただ多かれ少なかれその一部分についてしか資料批判が実施されているに過ぎないというのが実情である。そしてこのことは理論的には原理的困難を提起するであろう。何故なら、それはPの構成諸部分の全体がどのようなものであれ、その一部分であるSの全体的資料批判の未遂という事実によって、Pの全体の資料批判の未遂を帰結し、従って、Pは全体としては、資料批判を受けない状態と変わりはないということになるからである。

 なるほど、Pの個々の部分の個々の資料批判はそれはそれなりに一定の確実な知見をその都度Pの文献性質についてもたらしてはくれるであろう。けれどもそれはあくまでも部分に限定された知見でしかない。どんなものについてもそのある部分に関する性質を直ちに全体に関する性質に推及することは原理的に許されない。むしろ、その部分が全体を表示するアナロジー的性質を持つと仮定される場合に限り、その部分から全体へのこの種の推及が許容されるのである。従って、どんなに厳密に行われたとしても資料批判が全体にわたらず部分的にのみとどまるものである限り、その成果に立って、全体に関して何かを立言することは理論的誤謬を免れない。

 もっとも、一定の資料批判の成果を全体判断として活かす可能性は皆無ではない。即ち、事実的には部分的にとどまるその資料批判の事実的限界を以て仮に全体と見立てるならば、その全体判断は理論的整合性を欠かないであろう。だが良識からみてそれは極めて片寄った判断であるに違いないと感じられるであろう。けれども現在までの文献学的資料批判の遂行者たちの大部分は、理論的に見ると、このようなかたちの作業を行っているのは後に見る通りである。

 それでは、資料批判の貫徹は可能ではないのであろうか。おそらく現在のようなあくまで緻密な文献学的作業方法を唯一の技術として頼む限りPの資料批判の貫徹は事実上不可能である。何故ならば、この技術ははじめから到達すべき終局のいかなるものかを知らないからである。けれども、もしあらかじめ、PならPの全体に関する資料批判の実行可能性を見極めることによって、その可能性の範囲内でそれを実行するならば、その限りにおける全体判断が獲得されるであろう。前者は現前する全体をまず懐疑してただ偶然手に触れ得る限りのものを以て全てと断定するのであるが、後者は既に現前している全体の姿形の一段進めた焦点化を目指すのである。哲学的探究の本来の性格が後者に近いものであることは誰も異存あるまいと思われる。そして実は、和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』における仏教研究資料批判の画期的透徹の意味は、このような全体的資料批判の可能性を先取したというまさにその一点にあったと言うことができるであろう。それ故にまた、その上に立って思想的解釈可能性をも獲得することが出来たのであった。しかしそれは我々の見るところ、資料批判としても、思想解釈としても、決して満足の行くものではなかったのである。どうしてか?  

7.和辻哲郎における資料批判貫徹の新機軸

 では、具体的にはどのような風にして和辻はその資料批判を貫徹し得たのか。そしてそのどこに難点があったのか。 和辻はその『原始仏教の実践哲学』序論「根本資料の取り扱い方について」において、原典批評の現状が精密周到なものとして著しく進んで来たことを認めつつも、それが近い将来に一応完結し得るような容易なものではないと見ている。従ってもし思想の理解が完結した原典批評を俟つべきものならば、歴史的ブッダの思想の研究は開始され得ない。しかし和辻はここで思い切った提案を行う。それは原典批評の正しい方法を見つけさえすれば、我々に与えられたる資料の内にいかなる思想が存しそれがいかなる開展を示しているかを理解することが出来るという見通しである(注12:上掲『和辻哲郎全集第5巻』PP.11-12参照)。

即ちこれは、「主としてパーリ経律蔵及び漢訳阿含小乗律によって知らるる仏教」としての「原始仏教」を理解するためには、「主としてパーリ経律蔵及び漢訳阿含小乗律」から成る資料の一つ一つに対して「発見された原典批評の正しい方法」を適用して、結局原典批評と思想考察とを表裏一体的に且つ一挙に為し遂げることを意味する。それにしてもこのようなことはいかにして可能なのか? 和辻の実際の仕事振りを見てみよう。

 原典批評の正しい方法を見出すために和辻は近代仏教学開始以来の代表的研究者たちのそれぞれの方法の反省をまず行った。その初めには、パーリ経律研究の権威とされるオルデンベルクとリス・デヴィズが吟味される。最初に、オルデンベルクは二つの方法を混用することによって、現存パーリ三蔵の各部分の成立の継時的順番を決定した。その方法の一つは各部分の類型づけと各類型毎の成立年代の新古の別を明らかにするところの原典内在的分析方法である。もう一つは原典の文献的性質とは別の経律に関する伝説に基づく年代決定方法であり、これは原典超越的方法である。ところで和辻に言わせれば、この二つの方法は噛み合わない。何故なら前者はただ「現存パーリ三蔵の内部的成立順序」を明らかにするだけであり、他方後者が明らかにするのは「或る特定の経律の成立」ではあるが、これら二者がたとい名称を共有しても同一のものであることの保障はないからである。我々が確実に頼り得るのは現存経典とその確実な延長のみであるから、ただその原典内在的分析方法のみが正しい。かくして和辻はこう結論する「我々が氏に学ぶべきはただ現存経律に含まれたる種々の作品の類型を新と古とに判別するの一点のみである。」(P.16)(注13:括弧内のページは上掲『和辻哲郎全集第5巻』の頁を表わす。以下同様)

次にリス・デヴィズの場合であるが、彼の方法もやはり二つの方法の混用であり、先のオルデンベルクと異なるのは原典内在的分析の手法を一層進めて経典の類別ではなしに経典用語の種類、叙述の様式、表現せる思想(特に年代的意味を持つ仏塔崇拝の有無等)を手がかりにした点、及び考古学的及び歴史的証拠を以て年代決定に資せしめた点にある。しかしこれは原理的にはオルデンベルクと同様のものであって、「我々が氏に学ぶべきは」、「現存経律の発達を現存経律自身から見いだそうとする第一の方法……のみである。それが純粋に徹底さるることによって年代観もまた正しくつかまるるであろう。」(P.23)

 「以上のごとく我々はパーリ経律研究の権威たる両氏の説から動かし難い根拠を有する部分と動きやすい仮説に基づける部分とを判別し、現存経律の批評が現存経律自身の中から押し進められるべきであることを見いだすのである。動きやすい仮説の方面では仏滅年代、結集伝説、経律に関する伝説、アショーカ王誥の言語等に関して、原典自身の批評とは独立に精密な研究が行なわれねばならない。我々はその独立の研究が原典自身の内面的批評の結果と合致することを望むことはできるがその一をもって他の研究の根拠とすることは慎むべきである。」(P.24)

 次に、特に漢訳仏教文献を利用し得る厚遇に与かるわが国において顕著な漢パ対照研究を見てみると、これが漢パ一致するところにより古い同一源泉的な経律を見出すという当然ではあるがしかし資料発達の批判を欠く短絡的な方向に走って、直ちに歴史的ブッダの真面目にまみえるという「根本仏教」の叙述に達したのは、かえってオルデンベルクやリス・デヴィズの原典内在的研究の断絶を意味したものとして和辻により批判される。(PP.25-26)

 これに反し、原典批評をただ原典自身に基づいて遂行したものがオットー・フランケである。フランケは、言語学的分析により韻文のパーリが散文のパーリより時代が古いことを認め、韻文から成る部分(ガーター)を確定した。ところで現存経典の最古層を成すこのガーター(詩頌)は、「それに先立つ古経典」(すべて韻文パーリで書かれたる)を前提にしておりその部分的反映であるとされる。他方、歴史的ブッダの教説が直ちに全て韻文形式を持っていたとは考え難いから、「全て韻文パーリの古経典」は歴史的ブッダの教説の記録ではなくて「既に文学的作用を経た作品」である。そのようにしてフランケはパーリ経典の文学的作品としての特徴を解明する。ところが現存パーリ経典の構成順序に即した彼の文学的作品分析はその限りにおいて説得力を持つかに見えて、実はそれに相当する漢訳経典がそれとは全く異なる構成順序を持つという事実により完全に反証される。このことから言えるのは、現存経典を直ちにそのまま文学的創作の作品とみるのではなく、先立つ諸作品の単なる「編纂」と見るにとどまるべきであるということである、と和辻は結論づける。(PP.26-31)

 さてフランケが途中まで推し進めた所を更に徹底して行ったのが宇井伯壽の「原始仏教資料論」(注14:宇井伯壽『印度哲学研究第二』1925, 甲子社書房、東京、PP.113-260)であると和辻は言う。即ちそれは現存諸経典がそれらの編纂として成立した元のそれら古き諸作品の確定を試みたのである。事実、互いに相応する漢パ現存経典が夫々の仕方で編纂した際の元の素材的作品は共通的である。そしてそれらの経は、長部長阿含の対応部類に関しては、一、外道に対して仏教の優れたることを説くもの、二、仏教教理の大綱を説くもの、三、ブッダの超人たることを説くものの三類がある。また中部中阿含の対応に関しては教理の説明解釈を担う経が材料である。更に相応部雑阿含は同一項目ごとに分類された経を集成しており、増支部増一阿含は主題の名数を一から十一まで増上的に分類編集している。従ってここに編集編纂の意図が明らかである。ということは四部四阿含という現存の形に編纂されるべき多数の経典が当時所与としてあったということである。そしてそれら所与の経典が経律に見える「九分教」の意味するものである。そこで現存経典の中からこの「九分教」に比定されるものが選択される。

 これを補強すべく更に宇井伯壽「阿含の成立に関する考察」(注15:宇井伯壽『印度哲学研究第三』1926, 甲子社書房、東京、PP.303-418)は、広く多数の経を観察して、先ず以下の四類に属する多数の経はその形式から言って「ブッダの言葉」の記録ではないとする。即ち、一、仏滅後のものとして経自身が仏説ならざることを明示しているもの、二、ブッダ以外の者特に弟子信者の説教法談を伝えるもの、三、弟子の説法をブッダが承認したという形式のもので、この中にはブッダ在世時代には有り得ぬ事件等を描いたものがあり、ブッダの承認というのは単なる権威付けであって額面通りには受け取れない。四、ブッダの簡単な説法に対して大弟子の詳細な複演の付せられた経で、これは簡単な仏説の梗概要領に対する注釈である。ではこれら以外の経は果たしてブッダの言葉をそのまま伝えているのであろうか。問題なのは阿含中に著しい同一文の繰り返しである。個々の具体的な場合の活きた教誨であるはずのブッダの説法が、他の場合と同一の、言葉の末までも変わらない一定の型によって行なわれる。これは明らかに事実上の説法ではなく、説法の大意が型としてまとめられているのをここに用いたにほかならぬ。それではかかる型がブッダの説法の直接の梗概要領であろうか。否、これらは最初の溌剌とした梗概要領が記憶伝持せられ行く内に自然に沈澱凝固して最後に型となったものであろう。かかる型のでき始めるのはブッダの直接の弟子の時代ではなく、孫弟子の時代である。ここに固定的に維持する傾向が始まり、一定の型となれる偈文散文が生まれたのである。これがこの後代々伝承せられたいわゆる「仏語」であり、この仏語の周囲に説明解釈が起こってさらにこれらの説明解釈が型として伝えらるるのである。(PP.83-84)

以上は和辻による要約であるが、それにほぼ賛同しつつ和辻は型の固定の時期が孫弟子の時代(前320年頃迄)とする宇井説に対して、その時期は型化傾向の始まりに過ぎず、現存資料の示す多くの型が大体その時期に既に出来上がったのではなくて、型の漸次的発達を容認しようとする(P.84)。そこでその線に沿って和辻は具体的に、代表的な作品として内外の学者に最もしばしば論ぜられている長部大般涅槃経【マハーパリニッバーナスッタ】(長阿含遊行経)の分析を行なう。そして次のことが明らかにされる。即ち、「思うに涅槃経の編纂の際には、一方に涅槃に関する種々の説話が順列を定むることなく語られていたとともに、他方には仏の説法を綱目として簡単にまとめたものがいかなる時の説法とも定むることなく暗誦せられていたのであろう。この二種の材料は、一つは想像力に基づく文学的伝承であり、他は理論的興味に基づく教理的伝承として、最初より異なれる方向を示していたに相違ない。これらは最初の編纂において結合されはしたが、しかし二つの潮流が並び存し並び発達するに伴のうて、その後のはなはだしい増広を避けるわけには行かなかったのであろう。」(P.79)

 「我々はかくのごとき態度で現存の経典のうちに文学的及び教理的の発達の段階を見いだし、結局初期教団の内に行なわれた伝説や説法綱目に到達することができる。しかしそれらはすでに強度の神話化や型式化を経たものであって、史実をそのままに伝えるごときものでは決してない。我々に必要なことは、かくのごとき教団の伝承が現存の経典の核であり、この核のまわりに後代の種々なる発達が付着しているということを明らかに見きわめるにある。しからずして現存の経典を一人のブッダの思想の記録として取り扱おうとすれば、我々は到底これらの資料を学問的に取扱い得ずして終わるであろう。」(PP.82-83)

 このようにして和辻は現存経典の核として教団伝承があり、その伝承には文学的なものと教理的なものの二種類がある。そして教理的なものは思想内容の論理的な発達が諸短経の間の段階的な関係に反映しているから、この教理的発達の関連を複線的に明らかにするという明確な視点が得られると言う。「しかしなお一つ注意すべきことは、この際経典がその制作の中核たる動機において文学的傾向に属するか、あるいは教理を説く傾向に属するかを分別して考うべきことである。文学的作品はその本質の要求するところに従って、その想像力の働きの内に意義が見いだされねばならない。これらの作品もまたその当時の教理を物語の材料として用いている。しかし教理の理解に徹することはこれらの作品に必須のことではなく、また実際に徹しているとは言えぬ。具象的に描写するという要求は、時に思想をまでも神話化せしめているが、しかし文学的作品としてはむしろここに効績が認められなくてはならない。……なお理論的な経典自身の内にも種々の系統の相違のある事は見のがすわけに行かない。特に著名なのは、修定を強調するものと理論を強調するものとの差別である。この相違に着目すれば、経典中にはほぼ三つの大きい潮流傾向が並存することになる。我々はこの三者の間に時時矛盾撞着の存することを覚悟しなくてはならない。そうしてもしその間の統一を見いだそうと欲するならば、三つの潮流として発展しきたれる状態をそのまま結合しようと試みずに、その発展の源流においていまだ分化しきたらざる統一を追窮しなくてはならない。我々は多種多様なる経典を右のごとき視点の下に取り扱いつつ考察してみたいと思う。これによって五部四阿含に含まれたる個々の経全体の精密な対照や批評を完結することなくしても、初期仏経の思想に関する理解を望み得るであろう。」(pp.88-89)

 さて以上のように構想された和辻の資料取扱い法は、現存経典の内在的批判方法として徹底したものであるとされるのであるが、しかしその教理的なものと文学的なものの区分という方針は既に一定の文献観を表わしている。特に文学的なものの基準は神話化ということであって、これは全て神話的なものは単に人の想像力の産物であるという重大な決定を含んでいる。ではこの決定自身は、現存経典とは予め何の関係もない和辻の個人的信念以外のどこに根拠を持つのだろうか。この決定自体が既に和辻の拒絶する原典超越的要素を有する以上、その所期の純粋内在的原典批判法は成立しない。

 従って、先に和辻が「以上のごとく我々はパーリ経律研究の権威たる両氏の説から動かし難い根拠を有する部分と動きやすい仮説に基づける部分とを判別し、現存経律の批評が現存経律自身の中から押し進められるべきであることを見いだすのである。動きやすい仮説の方面では仏滅年代、結集伝説、経律に関する伝説、アショーカ王誥の言語等に関して、原典自身の批評とは独立に精密な研究が行なわれねばならない。我々はその独立の研究が原典自身の内面的批評の結果と合致することを望むことはできるがその一をもって他の研究の根拠とすることは慎むべきである。」(P.24)

と述べたことが破綻したものと見なければならない。そしてむしろ我々は言語学的内在的研究と歴史考古学的な外在的研究との積極的な結合を模索しなければならない。つまり、「オルデンベルクは二つの方法を混用することによって、現存パーリ三蔵の各部分の成立の継時的順番を決定した。その方法の一つは各部分の類型づけと各類型毎の成立年代の新古の別を明らかにするところの原典内在的分析方法である。もう一つは原典の文献的性質とは別の経律に関する伝説に基づく年代決定方法であり、これは原典超越的方法である。」ところで和辻に言わせれば、この二つの方法は噛み合わない。何故なら前者はただ「現存パーリ三蔵の内部的成立順序」を明らかにするだけであり、他方後者が明らかにするのは「或る特定の経律の成立」ではあるが、これら二者がたとい名称を共有しても同一のものであることの保障はないからである。我々が確実に頼り得るのは現存経典とその確実な延長のみであるから、ただその原典内在的分析方法のみが正しい。かくして和辻はこう結論する「我々が氏に学ぶべきはただ現存経律に含まれたる種々の作品の類型を新と古とに判別するの一点のみである。」(P.16)

 ところがこの和辻のオルデンベルク批判は当たっていなかったのである。実際ここで「現存パーリ三蔵の内部的成立順序」と「或る特定の経律の成立」とが絶対に折衝不可能であるという和辻の主張は必要以上に懐疑主義的であり、更には不可知論的でさえある。「二者がたとい名称を共有しても同一のものであることの保障はない」という命題が一般的に成り立つのであれば、和辻はあらゆる言語表現の可能性を否定したあのアンティステネスやスティルポンの立場に与したのである。むしろ我々はプラトンの打ち立てた弁証法に載って、二つの異なるものは或る意味では同一だが或る意味では違うという世界構造の中に住んでいるのである(注16:二瓶孝次,Article(arthron) in Aristotle and in the Stoa and its significance for the systematization of  the Greek eight parts of speech PART I.Plato as predecessor, 北海道教育大学釧路校紀要「釧路論集」第23号、1991, 第3 節及び注3[本ブログリンク]参照)。

従って原典内在的批判法と超越的批評法との折衝は研究上常に可能である。そしてこのことは一を他によって根拠づけることではなくて、夫々が持つ特質を持ち寄っての相互的援助と成長である。このようにして我々は近代仏教学の健全な出発点に新たに立ち戻ることになる。そして日本における現代仏教学の発展は実はこの健全な道を既に遥かに歩み来たっているのである。(例えば、中村元「原始仏教聖典成立史研究の基準について」参照。)(注17)

注17* この「基準」において中村氏は聖句の新古の度合いを判定する方法として大別して、
   一、聖典自身における引用言及という手掛かり、
   二、言語面における証拠、 
   三、歴史的文化的な証拠
を挙げている。このうち、一は、厳密に言えば、体系理論的か、又は二か三のいずれかに分類し得るものであり、結局証拠の種類としては、体系理論的、又は歴史言語的文化的の二種類が考えられるのみであって、項目二は、和辻の思惑とは違い、その本質においては原典超越的な歴史的性格の証拠なのである。なお、次注参照*

 
8.和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』における原始仏教の哲学的思想論的研究の方法的開始

 しかし資料批判としての和辻の方法論の破綻は、原始仏教の哲学的思想論的研究の方法論としてのその意義と価値の喪失を直ちに意味するものではない。何故か?

 資料取扱いの和辻の方法は先に述べたように予め一定の思想的決定を含んでいたが、このことは厳密な資料批判としては避けなければならないことであるが、哲学的性格を持つ思想論的研究法としてならば反って必須の条件なのである。それがなければ同じ土俵に上ることが出来ないのである。従って和辻の資料論の意義は、文献学的言語学的批評としてではないような資料解釈が可能であるか、との問題提起にある。しかもこの問いは常に肯定で答えられ得る。何故ならそれはおよそ文献形式つまり言語表現を持つ思想の研究が可能か、ということなのだから、それは常に可能なのであるという理由による。事実、文献形式を持つ思想に関しては常に二種類の研究が可能である。一つはその言語的表現形式に即した研究、もう一つはその思想内実に即した研究である。そして原始仏教資料に関して言えば、和辻が追求した現存文献内在的批判とは実は本質的には超越的歴史的性格のものであって決して内在的なものではない。何故ならそれは言語学的研究であるがそれもそれによって時代的新古をあぶり出すのが眼目であるからである。即ちそれは古代インド諸語の一般的歴史チャートに重ねあわせて見えてくる経典諸部分の言語的新古の解析なのであるから、古代言語学史という経典外の基準に依頼していて、決して経典内在的ではない(注18: 和辻の思惑とは違って、経典の言語学的分析が歴史的性格を持つということは、例えば和辻自身が参照しているリス・デヴィズの言語発達段階仮説を見れば一目瞭然である。上掲『和辻哲郎全集第5巻』P.21, 注20参照)。

 それに対して和辻が最後に到達したのは確かに内在的研究の方法論である。というのも教理的発達の系統的研究ということは実は所与の文献の理論的体系的研究の一特殊形態(理論の発達史の研究)であって従って本質的に所与文献の限界内で遂行できる作業であるからである。これに対して文献を言語学的に取扱い、しかもそこに新古の推移を見ようとするのは歴史的言語学の応用であるから基本的に文献超越的な歴史的研究なのである。従ってそれは文献内在的でないとして和辻が退けた伝説や具体的事跡等の歴史的考古学的研究と同列のものである。つまり例えば、オルデンベルクの場合における「経典の言語学的類別とその時系列化」対「伝説的事実の考究」、及びリス・デヴィズの場合における「経典用語の種類、叙述の様式、表現せる思想(特に年代的意味を持つ仏塔崇拝の有無等)を手がかりにした文献研究」対「考古学的及び歴史的証拠による年代決定」を和辻は混用してはならない異質の二手法と見ていたが、実はいずれの二者も着眼すべき標識は異なるけれどもすべて歴史的本質において同一である。そしてこれら全てに対して、和辻の提起した立場こそが実は真に文献内在的研究法なのであり、これすなわち理論的体系的研究法にほかならない。なるほど和辻の企図する「理論発達史」は文字通りに解すれば純歴史的研究であるが、しかしここの和辻の場合はそれは論理的脈絡の発見による教理の発達的体系化を意味するのであって、要するに理論的体系構成の一手法でしかなく、これは歴史的に事実的な発達過程とは本質を異にするものである。それに対して本来の資料批判が目的とするのはまさにこの歴史的に事実的な発達過程の解明なのである。確かに、例えばヘーゲル的弁証法においては理論的展開と事実的発達との合致が理想として狙われているかのようであるが、現実には両者は完全には一致しない。

 ではここに至るために何故に和辻はこうまで文献学的資料批判の検討の迂路を回らなければならなかったのであろうか。それは仏教資料の歴史的研究として強固に自己確立しつつあった文献学的研究に対する哲学的理論的研究の自立の獲得のためである。

9.文献学的研究対哲学的研究

 近代仏教学固有の利点を成す文献学的言語学的研究の手法は、上に述べたようにその本質においては歴史事実的研究性格を持っているものである。しかしそれだけではまだ「仏教学」を形成することは出来ないのであって、それにどうしても理論的体系的研究がなんらかの形で伴なわなければならない。理論的体系的研究とは、研究対象を一なるものとして措定することから始まる。そこでもし「仏教学」が「仏教資料の思想的研究」であるのならば、そして文献学的言語学的資料批判の技術によって「仏教資料」がひとまず「事実的時系列的多様」へと分離・解体されるのであるならば、今度はこれらの多様を一において纏め観るのがまさに理論的研究(THEORY;テオーリア)である。

 和辻が初めから求めていたのは実にこのような理論的研究の立場である。しかし、こと仏教学に関しては当時はまだ少なくとも西洋哲学の伝統を引く日本の哲学界の中枢に位置する哲学者たちの一人であった和辻から見ると、仏教学への彼の早くからの実存的関心(注19:これは和辻の所謂「偶像再興」の動機、日本精神史への傾注と一体のものであろう)をいかにして哲学的学問的関心へと公然化することが出来るか、その展望は未開拓であった。そこで彼はどうしても仏教学専門の手法を無視し得ない感にとらわれ、哲学的動機を以てそこに敢然と跳び込んだのである。かくして『原始仏教の実践哲学』序言において和辻は言う、「この書の著者は仏教専門学者ではない。しかしこの書自身は原始仏教の哲学に関する純学術的な研究である。著者はその微力をもってなし得る限り学術的研究としての厳密な手続きを怠らなかった。」この場合和辻が単に哲学的な研究とは言わないで、「純学術的研究、厳密な手続き」ということを強調するのは、彼がこの時点では確かに仏教専門学者と同等の文献学的研究を哲学的研究の基礎として必須と見なしているからである。そして事実この言に違わず彼は「序論 根本資料の取り扱い方について」の六節と七節においてそれぞれ律蔵、経蔵の個別事例の資料研究を実践している。

しかし先にも見たように彼はその資料論の結語において、この種の資料研究は正しい方法が見つかりさえすれば所与資料全体に現実に適用し終わることなしにも思想研究は可能であるとしている。この結論は一見極めて逆説的である。一方において彼は現実的資料批判は貫徹が極めて困難であるとしながら、最後にはその事実的貫徹なしにも方途はあると言っているのである。この間の飛躍を彼はどうして為し得たのかと言えば、それは我々が指摘したように、資料批判の意味がこの間に全く一から他へと本人も気づかぬうちに転化しているからである。即ち、彼が追求した原典内在的資料批判は初めに近代仏教学者たちの文献学的研究にモデルを見ていたが、その到達した所は文献に密着した思想論的内在研究である。なるほど文献密着の一点において始終は筋道が連絡しているが、各活動方面は裏(文献の言語学的形式の歴史的系列化)と表(言表されたる思想の体系的解釈)に分岐している。そして彼の真の目的は後者にある。

「序言」で続けて和辻は言う、「しかしまたこの書は単に仏教研究家にのみ読まるることを目ざしたものではない。原始仏教の資料の内に見いだされ、そうして小乗大乗の哲学の源流となれる一つの独特な実践哲学を、一般の哲学研究者の関心の内に導き入れようというのが著者の目ざしたところであった。だから著者はこの独特な哲学の意義を哲学者の共有財としてでき得るだけ深く理解することに努力し、これを源流とする一つの哲学潮流への歴史的理解への道をも開こうとした。もしこれによってギリシア哲学の潮流に対立する他の思想潮流の特殊性が明らかにされ、哲学の史的考察において常にこの潮流もまた顧慮せられるに至るならば、著者の望みは足りるのである。不幸にして著者はおのが思索力の不足になやまされ、しばしばこの哲学の意義の深さを測りかねるという遺憾を感じた。この点において著者自身がさらに哲学的修養を重ぬべき必要を痛感するとともに、力量ある士がかかる理解の道をさらに徹底的に追究せられんことを望んでやまない。」(P.3 )

10.仏教資料の哲学的研究の出発点

 もし理論的体系的研究が研究対象を一なるものとして措定することから始まり、且つ、「仏教学」が「仏教資料の思想的研究」であるならば、そして文献学的言語学的資料批判の技術によって「仏教資料」がひとまず「事実的時系列的多様」へと分離・解体されるのであるならば、「仏教学」は今度はその理論的体系的側面の研究の開始を「仏教資料」の多様を一において纏め観るところに置くことになる。つまり、端的に言えば、技術的資料批判が完結していようがいまいが、「仏教学」が思想学研究として一応首尾一貫するにはなんらかの意味において資料の一体性を前提しなければならないのである。そこで事実的な歴史的研究としての仏教資料批判が原理上完全な完結を有し得ないとすれば(確かにこの種の研究の前途には完結することのない無限系列の事実が待ち構えている)、仏教学の思想学的自己展開は或る任意の線でその資料研究を打ち切り、自らの責任において対象資料の一括的提示を断行する所から開始する。ただし実際にはこのような方法論的プランは明確に自覚されていることは少なくて、大抵は文献歴史的批判と文献思想的解釈がごっちゃになっている。

 例えばそれは和辻自身がその資料批判としての徹底性を高く買っている仏教学者宇井伯壽の研究に対して指摘していることである。和辻は言う、

 「我々はオルデンベルクやリス・デヴィズから学ぶべき方法として、現存経律の製作年代や発達段階を、経律自身の含む種々の叙述形式、用語の種類、思想内容などより見分くべきことをあげた。次いで漢パ対照による経律の古き原形の探求が効果多かるべきことに言及し、さらにこの原形の経律をもフランケの試みしごとき作品としての取り扱いによって考察すべきであると論じた。これらの方法の意義を充分に理解し遺憾なきまでの精緻と透徹とをもって経律の取り扱い方を詳論したのが、宇井伯壽氏の「原始仏教資料論」である。

 宇井氏はブッダ及びその直弟子の思想の現われたものを根本仏教と名づけ、その後部派対立に至るまでの変遷発達の著しい過渡期を原始仏教と呼んで、これらの根本仏教、原始仏教の資料を現存漢パ経律の内よりいかにして見分くるべきかを論究した。まず初めに漢パのいずれを問わず経律の現形が部派時代に属することを論証し、五部四阿含の所説を直ちにブッダの言葉とするごとき態度が「言語道断」であるゆえんを明らかにした。次いで漢パ一致により推測せらるる原形も原始仏教以後の発達変遷を含みそのままにはアショーカ王以前の資料たり得ざること、この原形よりもむしろ九分教の方が古く、少なくともアショーカ王時代の資料たり得べきことなどを論じた。かくして我々の達し得る最も古き資料は五部中に含まるる九分教の古き部分及びそれと古さを同じくする律の古き部分であるとさるるのであるが、しかしこれらのものも言語学的な考察からアショーカ王以後に幾多の変遷を受けたことが推測され、従ってそのままには根本仏教の資料たり得ざる事になる。ここにおいて根本仏教は、何らか確実な標準の下に律九分教を批評的に取り扱うことによって、論理的推論の上に構成せられなくてはならない。そうしてその確実な標準とさるるものは、ブッダの重要なる事蹟とブッダ当時の一般思想と経律の古い部分の意味とから見いださるべき「ブッダの根本思想」にほかならぬ。

以上の論究は豊富なる材料と精密なる推論とによって試みらるるのであるが、しかし我々はこの論究の内に二つの動機が平行して働いていることを感ずる。一つは現存経律中より根本仏教の資料となるものを見いだそうとする動機であり、他は比較的古いと考えられる資料の解釈によってブッダの根本思想を確定せんとする動機である。後者は本来資料論の奉仕すべき目的として資料論の外にあるべきものであるが、この論文においてはそれが気短かにも資料論の内に現われ、しかも最後にはこの別途に得られたブッダの根本思想が資料批評の最後の標準とさるるに至っている。従って資料批評においてもブッダ根本思想の解釈においてもきわめて深い洞察が示されているにかかわらず、資料論全体としては不徹底の憾みを免れない。我々はむしろ、「経律のみではブッダの説を十分に知ることは不可能である」との断定をもって資料論を打ち切り、ブッダの根本思想はこの不十分なる資料の解釈に基づき氏のいわゆる「論理的推理の上に構成せられるもの」として資料論と引き離すべきであると思う。ブッダの根本思想についての氏の見解は恐らく現在において最も進歩したものであろうが、しかしそれは氏のいわゆる「真相の記されておらない」資料から、事実として認むべき仏伝の粗い輪郭を選び出し、その具体的内容を氏の追体験によって推測しつつ、その視点の下に資料を取捨して構成されたものである。それが真に歴史的人物としてのブッダの内生を言いあてているかどうかは、真相の記されていない資料から真相を掘り出す解釈理解の力に依属する問題であって、資料自身から権利づけられるはずのものでない。経律のいかに古い部分もブッダの言葉や生活をそのままには伝えず、ただ弟子の考察の跡を示すに過ぎぬとの結果に達したればこそ右の方法が取られるのであり、右の方法によってブッダの根本思想が知られたと考えれるる以上、さらにまたこの根本思想を標準として資料の批評確定を試みる要はない。目的はすでに達せられた。その目的を手段のために使用する人はあるまい。」(pp.31-33)

和辻がここで述べていることはまさに仏教学研究の正しい方法である。ただし和辻自身にも思い違いがあったのは先述の通りである。和辻の正しい方法の彼自身への正しい適用は、まさにここで述べられたように、資料批判は資料批判として一定の線で打ち切り、その限界内で思想解釈に取りかかるという形でなければならなかった。それが彼の場合は曖昧であって、資料批判の限界が隠蔽されている。それに対して宇井の場合は自ら資料批判の限界まで徹底することによりその限界を自覚したまではよかったが、専門家的意識に引きずられてこれを中途半端と感じ、更に思想解釈を以て資料批判の継続を企図したのは本末転倒であることは和辻の指摘が当たっている。(ただし、思想体系の確認の後にそれを基準として新たに資料批判を展開することは原理上可能である。また事実和辻が律の発達変遷を辿る時、偉大な宗教者たるブッダがしかじかの行為禁止の細目を命じたはずがない、という推論を行なっているが、この推論は内容からみれば正しいかも知れないが、歴史資料批判としては失格である。しかしこの推論形式はまさに始めに思想ありき、から出発して資料の歴史性を判断するのだから、和辻が宇井に対してとがめたことを和辻自身が行なっているのである。かくして、歴史資料批判は先述のごとく事実無限的過程であるから、それを別の角度から補う形で、理論的立場からの歴史資料批判が可能である。これについては別の機会に論じてみたい。)

 和辻がここまで思い到りながらも、自らの資料論の性格を読み切っていないのは、一つには当時におけるわが国仏教学の資料研究が彼自身言うように十分発達していなかった事情も影響しているであろう。又それに加えて、資料批判の技術を有する研究者がただそれだけの理由で自己の学問の全幅性(思想論的解釈も優越している、等々)を誇り、他の者を寄せ付けないという狭い学界の風潮に挑戦する必要もあったに違いない。しかし簡単に言って、言語が出来る人が直ちに優れた理論家であるわけではない。英語が出来るだけで思想家に成れるわけでもない。赤ちゃんも大学生もジョン・ロックも皆英語が出来るのである。

 逆にもしこれが必要程度に発達した状況にあれば理論的研究は自ら資料論に手を染めることなしに、与えられている資料論の諸成果から任意に適切と思われるものを「底本ないし底本群」として選び、その範囲内で体系的研究に専念してよいのである。そして現在我々はこのような幸運な状況にあることを認めることが出来る。

11.理論的研究のための仏教資料論の底本群の決定

 そこで我々は今、我々の仏教学研究としての理論的研究のための仏教資料論の底本群として

     中村元『原始仏教 1-5』すなわち、
        『原始仏教 1 ゴータマ・ブッダ 釈尊の生涯』
        『原始仏教 2 原始仏教の成立』
        『原始仏教 3 原始仏教の思想 上』
        『原始仏教 4 原始仏教の思想 下』
        『原始仏教 5 原始仏教の生活倫理』
(注20: 中村元選集第11-15巻,1969-1972 年,春秋社、東京)
を選択する。その主要な理由は次のとおりである。

 一、中村元の仏教資料研究は、我々がこれまで見てきた和辻及び宇井の研究の強い刺激のもとに行われて来たことが認められるので、我々にとって資料論の基本的連続が期待出来ること(注21: 中村元『今なぜ東洋か』1979年、TBSブリタニカ、東京、P.208 参照)。

 二、中村元の仏教資料研究は、世界的レベルで見ても最も進んでいるわが国の仏教資料研究の中で常に指導的であり且つ最も包括的であって、均衡を保っていること。

 三、これらの諸研究に関わる資料批判の基準が明記されていること(第六編参照)。
なおその他の研究者たちの諸研究も我々の理論的課題の論究の過程で適宜参考資料として参照されるのは当然であろう。

12.原始仏教の理論的研究の出発点

 研究資料の決定後直ちにその理論的研究に取りかかることが可能であるが、出発点をどこに置くかの問題は一義的には解けない。それは論究自体の究極目標に依存するであろう。そして我々のこの研究は和辻の開始した仏教哲学的研究の原理的延長たることを企図するものであるから、ここで先ずその先例を考察するのが我々の出発点の決定に役立つであろう。

 和辻は資料の取り扱い方を決定した後、理論的考察の最初にブッダの根本的立場を追求し、それをブッダ時代の社会思想史的展開におけるブッダの画期的回転として見ようとし、具体的にはブッダと同時代の代表的な思想家たちであった仏典に所謂「六師外道」の自由思想及び伝統的且つ支配的なバラモン思想との比較研究からブッダの新しい根本的立場を解明した。そしてそれは、伝統思想の形而上学的実在論と自由思想の感覚的唯物論のいずれとも背反する第三の立場であって、要するに形而上学的乃至反形而上学的性格を欠落した「法」(素朴なる、即ち主観客観未分化の日常生活的経験における現実存在の範疇:五蘊六入縁起等)の認識の立場であるとされる。(第一章)

 この結論はしばらく措くとしても、初めに社会思想史的比較によりブッダの根本的立場を解明するという着想は見事である。いわく「仏教の新しい立場は確かに仏教の根本思想の理解によって明らかにされるであろう。しかしその新しい立場が何に対する革新を意味しているかは、その時代の、あるいはそれ以前の思想を知ることなくしては明らかにならぬ。ただかかる思想を知る方法として、外から、すなわち後代に明らかな形を得た数論[サーンキャ哲学]の源流を推測しつつ考察するよりも、内から、すなわち仏教の経典自身の含む豊富な材料によって考察すべきだ…。前に述べたごとく経典に描かれたブッダは同時代の哲学的思索を真に哲学的思索として価せざるものと認めた。これらの斥けられた哲学的思索を明らかにすることは、やがて仏教の新しい立場を明らかにするゆえんであろう。」(P.99)

ブッダの思想的立場を同時代の思想潮流との比較から明らかにしようとするこの手法は社会思想史的・比較思想論的分析である。もっとも和辻はそれらに関する情報が他ならぬ仏典に記載されているからこれは内在的分析であると信じているが、ありていに言えばそれは違っている。社会思想史的・比較思想論的分析はその本質上超越的性格のものである。そのことにとって必要な情報がどこから得られるかは本質には関わらない偶然事である。ただしその比較的関係が「仏教によって斥けられた」との規定から考察されることは本質的なことである。何故ならこれはカントの所謂「無限的判断」(unendliche Urteile)を構成するのであって、無限的判断は「性質」(Qualität)の「カテゴリー」(Kategorie )において「実在性」(Realität),「否定性」(Negation)と並ぶ第三のカテゴリーである「制限性」(Limitation)を与える。そしてカントにあっては第三のカテゴリーは第一と第二との結合から生じるので、この場合も第三たる「制限性」(Limitation)は第一の「実在性」(Realität)と第二の「否定性」(Negation)との結合を意味する。即ち「制限性は否定性と結合した実在性にほかならない。」(注22: カント、篠田英雄訳『純粋理性批判 上』1961年、岩波文庫版、東京、P.143-157 参照)

 従って無限的判断へと換質可能な否定的判断は「制限性」という極めて理論的・思想的な重要な規定を与えるのである。例えば、「甲は乙でない」という「甲による乙の排除」を意味する否定命題は、換質(obversion )という論理学的手法によって、「甲は非乙である」という肯定命題に変換し得る(注23)。

注23* 換質(obversion )とは、「一つの判断の質を変じて、これと同一なる意味を現はさんと欲する論理的方法をいふ。 ……規則、一つの判断を換質せんと欲せば、先ずその客語を否定し、然る後その質を変ずべし、但し、その量を変ずる事なかれ。……「SはPなり」の換質は、「Sは非Pならず」となる。……「SはPならず」という否定判断の換質は、「Sは非Pなり」となる。」須藤新吉『論理学綱要』1947年、内田老鶴圃新社、東京、P.77-78参照*

 この種の命題をカントは「無限的判断」と言うのであるが、それは「非乙」という規定が「無限定的限定」となっているからである。否定が何故に一種の限定を成すかと言えば、否定は論理学的意味における「周延」(distribution)を有する(周延されている distributed)からである。

 周延を有するということは一種の閉空間を成すということである(注24)。

注24* 「ある命題において一つの名辞が周延している(distributed )とは、その名辞の外延のすべての要素について一定の関係が指定されていることを言う。そうでない時、その名辞は周延していない。」末木剛博・岩野秀明・石垣寿郎・丸山豊樹・石黒満・國嶋一則『知の根拠としての論理学』1987年、公論社、東京、P.72参照*


従って「甲は非乙である」という判断は少なくとも「乙という規定との関係から生じる非乙という規定」を明確に有する点で「制限性」を持つのである。要するにこの場合、甲は積極的にそれが何であるかは明きらかではないが少なくとも「非乙の範囲内」に入っていることは確実である。

 これは思想研究の比較的手法における極めて重要且つ効果的な論理学的要素である。我々も先ずこのやり方を以て出発点としたい。即ち、今、「ブッダによって斥けられたる哲学的立場」を記号Qで表わせば、B(釈尊の悟り自体)に関して、「Bは非Qである」という制限的規定が得られることになる。つまりBは今積極的には何であるとも明らかでないが少なくとも「非Qの範囲内」に所属することが確実である。このように制限されたBを、B(非Q)と表記しよう。他方、本来の資料批判によって到達されるE(初期仏教経典)の解釈によって知られる限りのBを、B(E)と表記しよう。そうすると、B(E)は少なくともB(非Q)の範囲内に属していなければならないことになる。何故なら、B(非Q)は超越的比較から見たBの制限的規定であるから、単にEに即して内在的に見られたB(E)よりも範囲が広いからである。換言すれば、B(E)はB(非Q)という制限の外にはみ出るような哲学的含意を持つ解釈であってはならないのである。(以下中篇)

(初出「北海道教育大学学紀要(第一部A)第45巻1号」1994)
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§1 仏陀再誕と仏陀出現

大川隆法主宰「幸福の科学」の仏教論的意義

§1.仏陀再誕と仏陀出現

 大川隆法主宰「幸福の科学」(平成3年宗教法人認可)の教義の中核は、仏教の継承・再興と新展開、に存している。このことは、大川隆法「幸福の科学」主宰(現総裁)自身が、ブッダ・ゴータマ・シッダルタ、即ち古代インドでそもそも仏教を創始した釈尊その人の、現代における生まれ変わりである、との宣言と直結している(大川隆法:『釈迦の本心』『仏陀再誕』(以上、角川文庫)、『永遠の仏陀』『真説・八正道』『悟りの 挑戦 上・下』『沈黙の仏陀』(以上、幸福の科学出版)等、参照。)。

そこで我々は真摯なる哲学道徳宗教思想研究者として、この宣言を重く受け止め、出来るだけ包括的にこの事態の真理の追求に取り組もうと決意した。何故なら、従来、人類の精神的教師の一人として世界史的に尊崇されてきたという実績のある仏教の開祖釈尊の魂が、我々と同時代に、しかもこの日本に、現に転生しており、既に法を説いているということの真偽問題は、切実な人類史上の意義如何という大問題としては言うに及ばず、単に学問的観点からだけでも限り無く巨大であろうからである。

 ところで、仏陀再誕問題は、仏教論的には、二通りの見方から検討され得る。というのは、そもそも、仏陀再誕に関して、小乗仏教(今この呼称は単に原始仏教と部派仏教の総称として用いる)はその可能性を原理的に否定していると共に仏陀出現の一般的可能性を認めていると考えられるし、他方大乗仏教は、原理的に仏陀再誕の可能性を認めていると考えられるからである。つまり小乗仏教では、究極の悟り(涅槃)を得るということは、転生輪廻の流れからの離脱としての解脱と考えられており、むしろもはやこの世に再生再誕はしないということが、仏陀(覚者)の必須条件とされていると解されるのである(M.エリアーデ、P.クリアーノ『エリアーデ世界宗教事典』奥山倫明訳、せりか書房、1994年、P.279参照)。

とは言え、そこでも<過去七仏>の思想というものがあり、仏陀という覚醒的人格は、釈尊の前にも既に六人いて、釈尊はその七人目にあたるとされており、誰でも悟りの結果として仏陀と成り得るのであるから、常に、仏陀出現の可能性が語られ得るのである。他方大乗仏教では、一大事因縁(諸仏世尊は、唯、一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したまへばなり。)として、既に悟った筈の仏陀が、無明の迷路に漂う衆生の救済という大目的のためにこの世に生まれ落ちる、即ち現実的に転生のプロセスの中に入ると認められているのである(『国訳一切経 法華部全一』大東出版社、1985年、「妙法蓮華経」P.41)。

 ここでは、まず、小乗仏教的観点から検討を進めてゆくとしよう。即ち「幸福の科学」で説く仏陀再誕の問題を、仏陀出現の問題として提起し直す。つまり、誰であれ、仏陀釈尊の再誕者であるということは、何はともあれその人は現に仏陀として悟りを得ている者であることになる。そこで問題は、仏陀とはどのような人なのか?、どのような条件が備われば仏陀と認定され得るのか?ということになる。要するに、人はいかにして仏陀に成るのか? 仏陀出現の根本的ファクターは何々か?が先ず解明されなければならない。

 この問題は簡単に答えられそうだが、しかしよくよく突き詰めて見て行くと、従来の諸研究では必ずしも明確な結果が出ていない。確かに、厳密に考えると、「仏陀を知る者は仏陀のみである」ことになる。そして現に仏典にもこれに似た表現が見られる(仏の成就したまへる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏とのみいまし能く諸法の実相を究尽したまへばなり)(『国訳一切経 法華部全一』大東出版社、1985年、「妙法蓮華経」P.37)。

しかし厳密にそうであるとするならば、「各人は、仏陀であるか、または仏陀でないかのいずれかである。そして自分がそう思うままに仏陀であり、または仏陀でない。」という完全にプロタゴラス的な認識相対論の世界に迷い込むことになる。

 ここで我々は、道徳性の発達段階論を提起したローレンス・コールバーグの考え方に頼ることにしたい。彼の見解によれば、人は使用可能な段階より比較的高い段階を使用出来ないまでもそれを理解することが出来るという。即ち、道徳性の発達段階が仮に最低の1から最高の7まであるとして、或る人が現に使用可能な段階、つまり彼が理解でも行動でも実現している段階を5とすると、それより上の6ないし7の段階について、彼は理解することが出来るのである。ただ彼に欠けているのは、現実的にそれを行動面で行使する能力である。これがもし現に使用可能な段階が2や3とすると、6や7の段階を理解することも出来ない状態であることになる(L.コールバーグ『道徳性の形成』永野重史監訳、新曜社、1987年、PP.56-58参照)。

これは我々の日常的経験に照らしても首肯し得る見解である。従って、現に仏陀でない人も、仏陀の状態に関して一定の理解を形成することが可能である、という前提から我々はスタートすることが出来る。その際我々の現段階がどのあたりにあるかの確認はさしあたり必要ではない。ただ仏陀に関する知的・実践的関心があるということで、この際、充分である。

[初出: 二 瓶 孝 次:  大川隆法主宰「幸福の科学」の仏教論的意義  ~ 成道(悟り)の弁証法的構造 ~  北海道教育大学紀要(第一部A)第46巻2号,1996]
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§941, I-48 (続3) ノストラダムス:新旧預言比較表

大団円としての幸福の科学20 ノストラダムス:新旧預言比較表

 

総番号

詩番号

対象年代

第一解釈者

史実 / 主題

大川隆法著

『ノストラダムスの新予言』

(土屋書店,1988) における

ノストラダムスの予言事項:

1986814日の霊示 (p.11-48);

198824日の霊示(p.49-74 )

新予言の

的中、

不的中。

新旧預言の

合致

1987-1989

イラン・イラク戦争終結 (1988.8)

(a)    中近東に米ソ対立による戦乱起こる(p.17)

不的中

§921, II-6, 1989

Ionescu, 1993, p.168f. (Takemoto, 1991, p.256f.)

Révolution de Roumanie

ルーマニア革命

 

 

§922, II-57, 1989

Ionescu, 1993, p.165f. (Takemoto, 1991, p.253f.)

La chute du mur de Berlin

ベルリンの壁崩壊

 

 

§923, II-77,

1989.12.21-22

Ionescu, 1993, p.169f. (Takemoto, 1991, p.260f.)

Révolution à Bucarest

ルーマニア革命 (2)

 

 

§924, VI-74,

1917-1991

Ionescu, 1976, p.407f. (Takemoto, 2011, p.599f.)

Le règne communiste de 73 ans

ロシア共産主義体制の寿命73年

 

 

§925, III-36,

1991.12.25

Ionescu, 1993, p.192f. (Takemoto, 1993, p.86f.)

Gorbatchev

ゴルバチョフのペレストロイカ、失脚

 

 

§926, X-96, 1991

Ionescu, 1987, p.527f. (Takemoto, 1991, p.311f.)

Victoire de l’Alliance Atlantique

NATOの圧力下、ソ連邦体制崩壊

 

 

§927, V-98,

1949-1989

Ionescu,1993, p.150f.

Nuclear disasters in USSR

 

 

§928, I-63,

1945-1991

KND

第一次湾岸戦争 

 

 

§929, V-32,

1990-2000

KND

日本のバブル崩壊 

 

 

§930, VIII-14,

1998-2000

KND

合衆国大統領クリントンの財政再建と醜聞 

 

 

§931, XII-71,

1991

KND

大河と小川

 

 

§932, IV-29,

1981-1986

KND

ヘルメスは聖職者に変じ...

 

 

§933, IV-28,

1981-1991

KND

ヴィーナスに覆われた太陽

 

 

§934, I-25,

1981-1991

KND

半ば神の如き聖職者

 

 

§935, V-24, 1991

KND

「幸福の科学」運動に対する妨害・中傷事件;

 

 

 

§936, V-72, 1991

KND

 

§937, III-4, 1981

KND

神託の開始

 

 

§938, I-17,

1945-1985;

1985-(2000)-(2025)

KND

 40年間虹を見ず、40年間虹を見る

 

 

§939, III-5,

1981.3.23

KND

「イイシラセ」

 

 

§940,  X-74,

1981-

KND

墓から出た人々(霊人達)の出現

「死者が墓から蘇るということは、これは一度死した者が復活して霊言を送るという予言であります」(p.67)

的中

合致

1992

1994.8–

 

(b) 第三次世界大戦勃発:ソ連からフランスに向け発射された核ミサイルが誤ってジュネーヴに落ちる; 米軍がNATO条約に基づき欧州に出兵; 東欧でソ連対NATO軍の大規模戦闘(p.17-19) ;

日本の自衛隊も国連軍の名の下に中近東に出兵(p.38-39)

不的中

1996-1997

 

(c) 中東を舞台に米ソ核戦争(イラン、イラクの人口は8割減)(p.19)

不的中

1998.4-

 

(d) アメリカ西海岸が水没;

アルゼンチンの一部が海没;

ソ連沿海州が水没;

日本の太平洋岸のある都市が沈没;

スペイン大地震(M9)で死者数百万人(p.20-21)

不的中

§941, I-48,

2000

KND

ノストラダムス大預言の完成と終了

「別のもの」とは「幸福の科学の正法・神理」(p.40)

「私は西暦二〇〇〇年で、わが予言も終わると言った。わが予言が、そこで終わってよいのは、また新たな予言が今、説かれていくからだ。」(p.72)

的中

合致

§942, V-53, 1981-2000

KND

「太陽の法」i.e.「大メシアの法」

「日本にて、太陽の法が説かれる時、人類は新時代を迎えるであろう」(p.67)

的中

合致

§943, V-41, 2000

KND

「黄金時代開鑿者」の誕生

 

「日本にて、太陽の法が説かれる時、人類は新時代を迎えるであろう」(p.67)

「神の声を伝える者が出て、世界に君臨するであろう」(p.67)

的中

合致

§944, X-72,

1999-2000

KND

Roi Deffraieur = Roi Dangolmois

再臨の債務と履行 (Christ - La Mu);

1999.7-8:

(e) バンアレン帯が裂け有害宇宙線が降り注いで死者数億人、動植物も死滅;

地軸の移動で天変地異相次ぐ(p.22-23) ;

(f) 恐怖の大王は「核ミサイルの雨がECの一国とソ連間で降る」(p.64)

不的中

アンゴルモアの大王は「東洋の盟主・釈迦の意識の本体」(p.65-66) ;

的中

合致

(g) 火星(軍神)が幸せに支配:「1900年代終りと2000年代初めは戦乱が絶えない」(p66) ;

不的中

§945, X-75, 1999-2000

KND

再臨の債務と履行 (Hermes - Buddha)

「「ヘルメスの繁栄」が日本に訪れ、その繁栄が世界を救うであろう」(p.68)

的中

合致

20世紀末

 

(h) 中国が自由主義革命で帝国化(p.25)

不的中

2003-2010

 

(i) 第四次世界大戦勃発:中国対ソ連(中ソ国境、西南アジア)

&ソ連中心の共産圏対自由主義的帝国主義中国+ヨーロッパ連合+米国(p.24-25)

ソ連共産主義政府が崩壊(p.25)

2010年以降共産主義が地上から消える(p.26)

不的中

2010-2020

 

世界立て直し運動(p.26)

 

2020-2037

 

日本を中心に、黄金時代が開花、「大調和と正法(太陽の法[p.28])の時代、大東亜共栄文化圏(p.26-27)

2020-2037 :人類の黄金時代(p.33) :世界の国々が「神理」を中心にした新文化国家建設に燃える時期(p.33)

N.B. 2020-2037年の黄金時代」という予言は、ノストラダムスより前に、既にジーン・ディクソンが述べていた(ジーン・ディクソン著、高橋良典訳『アポカリプス666』自由国民社、東京、1983 [原著は1969, 1973], p.254参照)。多分、ノストラダムスは平易な言語での予言として、この先行予言を採用したのだろう。ノストラダムス『預言集』の中での本来の「世界平和予言」は、基本的に、「西暦2001年以降の1000年間」である。それに対してジーン・ディクソンは、20世紀末 - 2020年は大戦争の連続で、2020年頃「ハルマゲドンの戦い」で頂点に達すると云う(同上書p.250-252)。他方、ノストラダムス『預言集』では、「世界はある種の大きな紛争に接近するけれども」世界平和が成就されると予言されている(「大団円としての幸福の科学18 ノストラダムスの幸福預言」参照)。

 

§938, I-17, (1985 )2000 -

2025-2037

KND

40年間虹を見ず、40年間虹を見る

「日本に「太陽の法」が弘まり出す...。あなた方は、大混乱の中で、その大混乱に負けずに、そういう「救世の法」を説いていく必要があります。使命があります。」(p.28-29)

的中

合致

§941, I-48, 2000;

2000-2037

KND

ノストラダムス大預言の完成と終了;

補論 第八千年紀(21世紀)初頭の世界平和実現について

「危機の時代はやがて過ぎ去って行くであろう。そして西暦二〇〇〇年以降、やがて大いなる希望の時代、黄金の時代というのが到来していくであろう... 。」(p.72-74)

 

§944, X-72,

2000-2037

KND

§944(続): その後、マルスは幸福に依って支配するだろう(新国防論

大調和とそれ以降の時代(2020-2037-)、地球人と宇宙人とが手を取り合うようになる(p.35)

21世紀:「日本が経済的、科学技術的、軍事的、政治的、文化的に東洋のみならず、世界の指導的立場に立つ。」(大川隆法『ノストラダムス戦慄の啓示』幸福の科学出版,1991, p.145-178)

「日本の軍事力は武器ではなく、〝怪獣の尾〟である。」(同上書, p.40

N.B. 〝怪獣の尾〟とは、「武器ではなく、生来のもの」である。そして、「尾は原理的に付け根を中心に球面を描いて動くことが可能」だとすれば、これが表象するのは、「大団円としての幸福の科学17,18」で論じたように、「心の祈りと言葉による友好的宇宙人への救援依頼」と「悪霊・悪魔を丸く囲んで消沈させる神仏の法力が籠った言葉と念意」である。

合致

§958, III-94,

Terminus ante quem

1555+500=2055

Centurio, 1953, p.86

ノストラダムス預言の解読

「神の声を伝える者が現われて、そして五百年の後に評価されるであろう」(p.68)

合致

§957, III-2,

Metaphysics of the Prophecies

KND

預言の可能性根拠

「予言のメカニズム」(p.54-59)

「予言と危機の時代」(p.69-74)

「私、ノストラダムスは、孔子の意識体の下で、エリヤ様、ヨハネ様と共に、地球及び人類の進化計画を立てている」(p.43-44)

「私の予言が今世紀[20世紀]の終わりまでしかありませんから、こういう予言者の予言が尽きるときには、また新たな予言がなされていくのです。これは決まっていることなのです。予言者は次々と、次の時代を予言していくのです。」(p.44-45)

合致

 

 

 


Le 6 octobre 2013.

 

御覧のように、ノストラダムスの「旧預言」、つまり本来の『預言集』(1555-1558) が守備範囲とする西暦2000年までは、「新予言 (a), (b), (c), (d), (e), (f), (g),(h),(i)」は全く「完全な出鱈目の如く一つも的中していない!」中でも、(a)などは、史実とは正反対の予言となっている。又、肝心のX-72詩については、二つの異なる解釈 (e, f) を示しながら、そのどちらも的中していない!他方、非常に重要と思われる「ベルリンの壁崩壊」「ソ連邦消滅」「第一次湾岸戦争」等については何の言及も無い。

 

これは、多分、ノストラダムスとしては、本来の預言がまだ終わっていない時点の1986年ないし1988年の段階では、本来の預言と重なる時期について、新規に真正の預言を加えることは望ましくなかったのだろう。加えるとするならば、以前と同様の「謎に満ちたフランス語」でなければならないが、霊示者・大川隆法氏、聴聞者・善川三朗氏の場合は、少なくとも当時は、フランス語が操れる状態ではなかったであろう。他方、日常会話体の日本語でのやり取りの中では、「真正の預言ではない、単なる覚醒的警告」の類が代替的に述べられたのであろう。

 

これに対して、21世紀に関しては、我々が若干の四行詩と「アンリ二世宛書簡」の記述から解釈し出した「幸福預言」と基本的に合致する予言が割合正直に語られていると言えるだろう。これは又、「幸福の科学」自体が基本的に自己認識している使命と方向性自体に合致しており、「大筋の年代的提示と勇気づけの愛情が籠められた大預言者の真正預言」として受け取ってよいものと思われる。

なお、参考文献については、下記ブログ参照:

Bibliography http://nostrader.blog89.fc2.com/blog-entry-201.html .

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§941, I-48 (続2): 危機の予言と幸福預言

大団円としての幸福の科学19

§941, I-48 (続2):  危機の予言と幸福預言:

 
従来のノストラダムス解釈者たちは、ノストラダムス『預言集』の中に、専ら「危機の予言」しか見ていないが、我々は、今、初めて、21世紀に関して「世界平和の予言=その実現宣言」を解釈し出すことに成功した。そして、ノストラダムスが、「自己の預言を完成し、終わらせる」新たな預言者として待機していた「幸福の科学」総裁大川隆法氏も、ノストラダムスをやはり「危機の予言者」と見ており、しかも、自身の巨大な霊能力によって天上界のノストラダムス自身を、16世紀に出版された『預言集』以来、初めて、この日本の「幸福の科学」という舞台に登場させて、新たな予言を語らせているが(大川隆法『ノストラダムスの新予言』土屋書店,1988; 大川隆法『ノストラダムス戦慄の啓示 人類の危機迫る』幸福の科学出版,1991)、その新予言も、危機の色彩は同じで、むしろより一層色濃いものとなっている。そこで、旧来の預言と、この新予言がどのように関係するのか、その点を検討してみたい。

「われはすでに数多くの予言をなした。その多くは、恐るべき事実にいろどられていたであろう。しかしながら、それはあくまでも警告である。人類への、あなた方への警告である。今後、ノストラダムス以下の予言者たちの戦慄の啓示(注1)を、この予言をはずれさせるか否かは、あなた方の活動にかかっている。一九九一年七月十五日というこの日を、魂のなかに刻印せよ。この日を忘れてはならぬ。これが、全人類救済の旅立ちの一里塚であるからだ。」(大川隆法『理想国家日本の条件』1994,p.32-47)(注1:これは、『アラーの大警告』『ノストラダムスの新予言』『ノストラダムス戦慄の啓示』の内容を指すと思われる。)

この場合、「予言は本質的に警告の意味合いがあり、厳格不動の予言とは違う」という根本的理解があるが(そこで大川隆法氏は、ノストラダムス予言の的中率を、「七割から八割を超えるのではないかと推定している」(『ノストラダムス戦慄の啓示』p.192))、しかし、ノストラダムス『預言集』(1555-1558)の場合に言えるのは、「彼の預言は正確な予言であり、確率論的なフィールドにある単なる警告・予想ではない」という前代未聞の事態であった(私のBLOGでの発表はまだ未完であるが、手元の研究ノートでは全部解釈済みである)。しかしながら、このことは、「彼の預言表現としての言語作品が、通常の素朴な読解法ではほぼ100%理解不能」という逆説が前提となっている。その結果、ノストラダムスは、自分の預言全体が解読され終わり、公衆に喜んで受容されるのは、公刊後500年経ってから(つまり、2055年頃)だと言っている(§958, III-94 Terminus ante quem「日付のある預言詩9:ノストラダムス預言の年代軸」参照)。という事は、彼の預言は、事実上は「予言としての使命・機能は持たない」のであり、「人類が経験した最近諸世紀間の実際の世界歴史には明らかに天上超越世界の神からの予定的影響が何らかの形で及ぼされている」という歴史哲学的意味合いにおいて捉えられるべきものとなるのである。他方、彼の最近の「新予言」は、言語表現自体が日常的常識的であって、何らの理解上の困難がなく、従ってその「歴史的当否」は時間軸上の過去になった段階で容易に判定可能となっている、という点を見逃してはならない。

原理論的には、以上のような捉え方が出来ると思われるが、とは言え、「新予言」と「旧預言」が重なり合う1990年代と、21世紀に入ってからとでは、様相は必ずしも同一ではない。そこで、別表「新旧預言比較表」(次節: 大団円としての幸福の科学20 参照)によって、「新予言」と「旧預言」との比較対照を整理してみた。
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§941, I-48 (続): ノストラダムスの幸福預言

大団円としての幸福の科学18

§941, I-48 (続) ノストラダムスの幸福預言

先に、大団円としての幸福の科学11 §941, I-48 補論において、「第八千年紀(21世紀)初頭の世界平和実現」について考察した。それは、「アンリ二世宛書簡」の次の一節に係るノストラダムスの予言内容であった:

(ア)  「偉大な法  [ ロシア正教 ] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINSが例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169)

実は、同書簡には、これ(ア)と同じ内容が、他の二個所(イ)、(ウ)でも言及されているので、それらを解釈することによって、「21世紀の世界平和実現」という、我々にとって最も運命的、且つ、喫緊の問題を、一層深く正確に理解したいと思う。

既述したように、この文章 (ア)は「第七千年紀に近い時期」、つまり、「第六千年紀の終り頃か、第八千年紀の初め頃」の世界情勢の予言である。ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々…。」 (№1,p.42) と述べている所からすると、問題なのが「第六千年紀ではなくて、第八千年紀」であるのは明白である。言い換えれば、これは、大団円としての幸福の科学14-15: §944, X-72 キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7); §945, X-75 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000)において見るように、「イエス・キリストに代る天からの再臨者大川隆法氏」の登場という画期的事実を考慮しつつ解釈しなければならない、ということである。

そこで、文中の「イエス・キリスト」を「大川隆法氏」と読み換えてみると、以下の解釈が導き出される。

「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日 (注1)]。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様に大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放される:これは、「tribulation 試練」という語が、「宗教的な苦悩、苦難」(Suzuki) という意味を主として持つので、「大川隆法氏の最初の配偶者が信仰逸脱によって惹き起こした諸々の法難(toute tribulation: あらゆる試練)から、その離婚(2012年)に依って解放された」という事実が当てはまる(大川隆法『現代の法難①』『現代の法難②』『現代の法難③』『現代の法難④』幸福の科学出版, 2011, 参照)。

** 大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならない:ここで「北方」とは、「21世紀初頭において旧ソ連になぞらえられる勢力」であるから、「日本国首都・東京より北の緯度にある北京を首都に持つ中華人民共和国、及び、〝北朝鮮〟と俗称される朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家」と比定してよい。

** AZOARAINS この謎語は、未だ誰も十分に説明し切っていない。但し、フランス語古語に一縷の手掛りがある。即ち、Azoras と Ar ないし Ara という2語があり、いずれも「à présent 現在 At present、maintenant 今 Now、à l’instant ただ今 Just now」といった意味である (cf. P.R.Auguis, Les Poètes François depuis le XIIe siècle jusqu’à Malherbe, tome premier, Chapelet, Paris, 1824; Vocabulaire des mots du vieux langage qui se trouvent dans les deux premiers volumes des Poètes François jusqu’à Malherbe, p.463; p.460)。するとles Azoarainsは、les(定冠詞複数)+ Azoras + Ara + ain(形容詞接尾語)+s(名詞複数語尾)といった語構成と考えられて、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味になる。従って、それは「21世紀初めに於いてキリスト教 [幸福の科学] と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になるだろう。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものだろう。

** AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: AZOARAINSとは、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味の造語で、従って、それは「21世紀初めに於いて指導的宗教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になる。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものを指し、この場合は具体的に、「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」ということになる。そして、彼らが「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に混入しようとする「胆汁と疫病的誘惑の種」とは、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」であろう。

** 世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも:「ある種の大きな紛争」という曖昧な表現は、「決して戦争には到らないような国際摩擦・地域紛争」と解されるだろう。しかも、原文は文字通りには「ある種の大きな紛争に近づくけれども」であるから、「実際に大紛争になることにはならない」という意味である。

** そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: 後半は「譲歩の従節」で、それが、前半の二つの主文に掛かっていると考えられる構文である。従って、これを分解すれば次の二項になる。

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: この場合の AZOARAINS(永遠の生命を信じる真の信仰を欠いた刹那主義者・現実主義者たち)は、「幸福の科学に法難をもたらした大川隆法氏の最初の配偶者及びその協力者」という意味で理解してよい。

** 人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: 「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」が「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に、「胆汁と疫病的誘惑の種」、つまり、、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」を繰り広げても、「ある種の大紛争に近づく」だろうが、「決して本格的な大紛争や戦争」には到らず、全世界的平和が実現されるであろう。ここで、「平和 Paix」のフランス語原語は「大文字のイニシャル」となっているから、「強調された確固たる平和」の意味が込められていると解釈できる。従って、これは既に、明確な「ノストラダムスの世界平和到来宣言」(21世紀初頭に立つ今現在、すでに実現しつつある預言)なのである。但し、「平和」と言っても、ノストラダムスの「諸世紀にわたる俯瞰の眼」からすれば、例えば第二次大戦後の長期の世界時期(1945年から、1991年の第一次湾岸戦争まで)が「長期の平和」と称された(§928,I-63: 第一次湾岸戦争 (1945-1991)参照)ように、波乱一つない完全な凪状態ではなくて、世界が生きて動いている証拠とも言うべき「各地各期の小地域小摩擦」を含みながらも世界大戦には到らない静穏状態のことである。

第二の言及:
(イ)  「そして十月に、なにか回天の大事件(十月革命)が起こり、その凄まじさは、重力と共に地球もその自然の運行を失って永遠の闇深くへ沈んでいくかと思われるほどのものでありましょう。それに先立って、春分の時期(三月)に、別の大変革(三月革命)がありましょう。こうしたことの結果、《大地震》(第一次大戦)によって、政府転覆のような極端な変化が続々と起こり、それと共に、最初のホロコースト(フランス革命)に輪を掛けておぞましいその惨めな娘、《新バビロン》が増殖するでありましょう。しかして、この(状態は)、きっかりと、七十三年と七ヵ月しか続かないでありましょう(ソ連邦の体制:1917年11月ソヴィエト権力成立から1991年6月ロシア共和国成立までの73年と7カ月)(注1)。 それから、その後で、50度から出て (注2) かくも長い間実りを結ばなかった幹 (イエス再臨の無いキリスト教) から、キリスト教会全体を更新するような純粋な宗教 (幸福の科学) が生まれ出て来るでしょう。そして、道に迷い込んだ子供たちや、また、様々な政治体制によって分断された子供たち夫々の間に、大いなる平和、合致および調和が成就されるでしょう。そしてこのような平和が成就されるのは、宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国をまとめ上げるような者 (サタン) が、一番深い淵に繋がれてしまうからなのです。」(№3,p.11; №10,p.161)
ここでは、ソヴィエト権力崩壊の年次が時代画期点を示している。

第三の言及:
(ウ)  「その頃、第三の〝北風の王〟(ムッソリーニ) が、自らがその国家の首位であるその人民の嘆願を聞いて、巨大な軍隊を押し立てて、その最近の先祖たち父祖たちの[渡ったことのある]海峡 (地中海) を越えさせて、大部分(エチオピア)を自国のものにしてしまうでしょう。そして、キリストの偉大な代理人たる教皇はその元の状態に戻されるでしょう (1929年のラテラノ条約)。しかしながら、〝至聖所(Sancta sanctorum)〟(ヴァチカンを擁するローマ) は寂れ、それから完全に見捨てられ (ムッソリーニは北イタリアに逃れサロ共和国を作る)、そして異教 (カトリックに対して、プロテスタント主体の連合軍) によって破壊されてしまうでしょう。そして、旧約 (ユダヤ教) も新約 (主として新教国オランダを云う) も追放され焼き払われて、その後で地獄の君王がアンチキリストとなるでしょう (ヒトラーの登場)。これを最後として又もや、キリスト教世界の全ての王国と、また異教徒たちも、25年の期間 (1921-1945) にわたって戦争を行うでしょう (熱戦前の潜伏期も含めた第二次世界大戦)(注3)。それは以前にも増して悲しむべき戦乱であり、町や都市や城塞、その他あらゆる建物が焼かれ、荒らされ、破壊され、乙女の血が大量に流され、既婚の婦人たちや寡婦達が暴行を受け、乳飲子たちが町の城壁に括り付けられて裂かれ、非常に多くの悪行が地獄の君王サタンによって犯されるでしょう。その結果、ほとんど世界全体が壊れ荒れた姿になるでしょう。そしてこのような出来事の前には、ある種のけったいな鳥が空中で〝ヒューヒュー〟と鳴き叫ぶでしょう (これは、第二次大戦で顕著だった空爆に対するけたたましい空襲警報を指す)。そしてその後しばらくは鳴りを潜めるでしょう。そしてこのような期間が長く続いた後に、土星のもう一つ別の支配が、而して黄金時代が、ほぼ、再開されるでしょう (注4)。造物主たる神は己が人民の苦悩を耳にして仰せられるでしょう:「サタンは深い濠の中の淵の中の奈落の中に入れられて縛られよ」と。そしてそれから神と人間たちの間に世界平和が開始されるでしょう。そしてサタンは凡そ1000年間は縛られたままであるでしょうし、教会の勢力 (注5) はその最高の強盛に達し、そしてその後でサタンは解き放たれるでしょう。」(№3,p.21-22; №10,p.171-172)
ここでは、第二次大戦の年次が時代画期点を示している。そして、この第二次大戦は、「これを最後として、第一次大戦に次いで起った」ものであるから、少なくとも向こう千年間はこういう世界大戦は無い、ということになる。

注1 : 「§924,VI-74: ロシア共産主義体制の寿命73年」参照。
注2:50度(から出てかくも長い間実りを結ばなかった幹):これは、2000年にわたるキリスト教のその開始点に関するものであるから、イエス生誕の年として最も蓋然性が高いとされる紀元前4年を意味すると思われる。そして、「50度」を「第五千年紀」(従って第六千年紀は「60度」、第七千年紀は「70度」、第八千年紀は「80度」となる)と捉えるならば、それは「紀元前1000年から紀元前1年」の期間であり、従ってそこに「紀元前4年」も含まれる。
注3:25年の期間 (1921-1945) にわたって戦争を行うでしょう (熱戦前の潜伏期も含めた第二次世界大戦):この開始の「1921年」とは、ドイツが第一次大戦後の「賠償支払いを受け入れてその履行政策を開始した年」として、第一次大戦の清算が始まると共に、それが結局は第二次大戦への最も早いドイツ的伏線であり(注6)、また、イタリアではムッソリーニの国家ファシスタ党が結成され大攻勢を開始した年である(社会主義者のボローニャ市長就任を妨害)。
注4:土星のもう一つ別の支配が、而して黄金時代が、ほぼ、再開されるでしょう:ノストラダムスによれば、月の支配 → 太陽の支配 → 土星の支配 という順序で惑星支配が交代するが、ここではその本来の土星支配ではなく、黄金時代(§943, V-41 : 「黄金時代開鑿者の誕生」参照)としての「太陽の支配」の開始を指していると思われる。
注5:教会の勢力はその最高の強盛に達し:ここで「教会」というのは、「宗教団体としての幸福の科学」である。即ち、「幸福の科学」は21世紀からの1000年間に最盛となるというノストラダムス予言である。
注6:「ヒトラーの野望を見抜いて「警告」を発したドラッカー 王陽明 これについては、近年、「ヒトラーによってヨーロッパが席巻された」という事実が、新しい現実として、まだ記憶のなかにありますよね。もし、「ヒトラーは、そういう野望を持っている」ということを見抜いていたとしたら、ヨーロッパ諸国は,いち早く防衛に入ったはずです。だけども、ヒトラーは、そうではなく、「第一次大戦において廃墟になったドイツを、二十年間で立て直し、国力をつけて国民を幸福にした」ということで、英雄として扱われていました。だから、ナチス党は、小さな党だったのに、急速に熱狂的な支持を得て、国を改造し、あっという間に国会のほうも動きを止めてしまい、授権法を通して、ヒトラーの一存で何でもできるようにしていきました。要するに、「第一次大戦の賠償金で苦しんでいたドイツを魔法のように回復させた」ということで、経済的には見事に成功したわけです。「そういう人は、政治的にも成功するのではないか」と、人々が期待するのは当然ですよね。ところが、ヒトラーは、その経済力を軍事力に変え、次には、自分たちのエネルギー源や食料などの兵站部分を確保していきました。石炭などが出る所を、まず割譲によって取っていったのです。その後、いきなり(ポーランドに)侵攻していき、イギリスやソ連も攻めたのです。彼が、ここまでの野心を持っていることを見抜いていた人がいたならば、その人は、周りの九十何パーセントの人が拍手喝采しているときに、「彼は危険な男だ」と警告したでしょう。近年のドラッカーという人は、そういう人だったと言われておりますね。」(大川隆法『王陽明・自己革命への道』幸福の科学出版,2013,p.85-89)。

以上三言及に共通している「サタンの捕縛」とはいかなる状況を言うのか?

「サタン」を捕縛したり、解放したりする主体は、(ウ)で明言されているように、「造物主たる神」である。この事は、人類の歴史の有為転変の根本基調となる「盛衰のリズム」が根本神によって決定されているというノストラダムス的歴史神学理論である。

故に、「そしてこのような平和が成就されるのは、宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国をまとめ上げるような者 (サタン) が、一番深い淵に繋がれてしまうからなのです」という(イ)の中のテーゼは、21世紀初頭という時代制限を置いてみるならば、「20世紀の旧ソ連邦体制(宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国に纏められたS)に類似した21世紀の中華人民共和国(宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国に纏められたC)」を誑かしているのが「サタン」だとして、その「サタン」が、今は神の手の中に囚われてしまっており、思うようには動けない状態にあるので、従って、この21世紀において、「中華人民共和国は一部の論者達が強調するようにそんなに思いのままに暴れる」ということは出来ないのだ、という世界情勢に関する新たな根本的理解が可能となるのである。

所で、今現在、「中共脅威説」の最も過激な主張者が、ほかならぬ「大川隆法氏が総裁として統括する幸福の科学と幸福実現党」であるが、あにはからんや、実は当の大川隆法氏自身が、その有名なる「エル・カンターレ宣言」において、「地獄の底の底を支えているのも神の愛の手」であると説いているのである。これは、言い換えれば、「サタンの動きも根本神の掣肘からは自由ではない」というノストラダムス神学と軌を一にするものである。

「あなた方は、肉体に宿りたる大川隆法という名の人間の存在にも、迷うてはならぬ。あなた方の前に立ちたるは、大川隆法であって、大川隆法ではない。あなた方の前に立ち、永遠の神理を語るは、エル・カンターレである。われは、この地球の最高の権限を握りたるものである。われは、この地球の始めより終わりまですべての権限を有するものである。なぜならば、われは、人間ではなく、法そのものであるからだ。
あなた方のなかで、言葉にて、理屈にて、神を否定せんとする者は、「神がそのように完全無欠であり、われもまた神の子であるならば、何ゆえに人は悪を犯すか、何ゆえに人に悲しみがあるか、苦しみがあるか」― そう問う。しかし、そのような疑問は、あなた方一人びとりが不完全な人生を生きることの、罪滅ぼしの証明、証拠には、なんら、なりはしない。あくまでも、その自由は完全であるからこそ、すべての可能性のなかで、選び取ることができるのだ。
さすれば、あなた方が忌み嫌う地獄という世界であっても、その地獄の底を支えたる神の愛の手があることを知るであろう。支えているのだ。数十億の人が苦しんでいる、その地獄の底をも、神は支えているのだ。抱きとめているのだ。その事実を知らなければならない。」(大川隆法『理想国家日本の条件』1994,p.16-28)

この事は、仏陀の「降魔成道(ごうまじょうどう)」(大川隆法『仏陀の証明 偉大なる悟りの復活』幸福の科学出版, 1995,p.282-316参照)、イエス・キリストの「サタン撃退」(新約「マタイ伝」IV,1-11参照)と同等の「救世主の自己確立」に通じるものであり、おそらく、ノストラダムスのいう「サタンの捕縛」とは、それが第二次大戦にすぐ続く時代に位置づけられるものだとすれば、具体的には「現代の大メシア大川隆法氏の降魔体験」(1980年代)を指すと思われる。

人を愛し、人を生かし、人を許せ 日蓮聖人は、私にある時は自動書記で、ある時は霊言という形で様々なことを教えてくれました。今もはっきりと覚えている言葉は、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という言葉でした。これはごく初期の頃に日蓮聖人が自動書記の形で私に与えてくれた教えでした。「私の使命はどこにあるのか。一体どういう使命を持っているのか」。そうした問いに対して応えられた答えが、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」この三つの言葉でした。そして「この言葉がお前の思想の核になるであろう」。こういうことを日蓮聖人は語ったわけです。しかし、それ以上のことは言われなかったのです。この後、この考え方は私のなかに長く眠り、そしてその後、約六年の歳月を経て、「愛の発展段階説」として実っていくわけです。すなわち、人間の愛の形には単に人生の途上で出会った人、そして当然愛すべき人、自分の身内、肉親であるとか、同僚であるとか、そうした人生の途上で出会って当然愛すべきである人に対する愛、この「愛する愛」という段階が、まずあるということに気がついたわけです。そしてこれは万人にとってある意味で出発点の愛である、このように考えました。さらにこの上の段階の愛がある。それは何かと言えば、人を生かす愛である、こう思いました。それは、世の中を観察すると、指導者と言われる方々が数多くいます。そしてその指導者と言われる方々は一体何ゆえに指導者となっていったかというと人を生かすという気持、こうした愛のさらに大きな部分、愛の進化した部分、これをもって自分の信条としている人たちが、実は指導者となって人びとを導いているのです。当然、自分が人生の途上で出会うべき人を愛するのみでなく、立場上多くの人を愛していかねばならない。指導という名の愛を与えていかねばならない。こういう人たちがいるということ。そして彼らは傑出した人物でもあるということ。こうして私は「生かす愛」という、さらに発展した段階があるということに気がついていきました。そしてさらに、こうした優れたリーダーたちでも持てないような、「許す愛」という段階があるということを知りました。これは宗教的見地です。この世的に優れたる人は、人を生かすためにさまざまな活動ができますが、人を許すという段階になるためには大いなる大悟が必要です。宗教的なる目覚め、神への目覚め、神仏を知るということ、神仏の境地に入るということが大事です。こうした、さらに上なる段階があるということ。善悪を超えた段階へと昇華していく、そういう許す愛の段階があるということ。そうしたことに私は気がつきました。」(大川隆法『平凡からの出発』PP.172-177)

悪魔との対決 このようにして、私は日蓮聖人を初めとする高級諸霊からさまざまな霊示を受け、霊指導を受け始めておりました。しかしそうしたなかにも、私は商社に勤め、さまざまな仕事に埋没する日々を送っておりました。このなかで、いったん第一段階の悟りを開いた私であるにもかかわらず、途中で何度も何度も心揺れました。そして、また新たな執着をつくっていったわけです。仕事において思うようにいかない、失敗をする。こうしたことを繰り返すと、非常に自分が傷つく、あるいは上司と自分との間、同僚と自分との間、その中で、私は学生時代に思わなかったようなさまざまな障害を感じました。そして、心のなかで葛藤が生まれていきました。自分の神性としてはかなり高いものに目覚めていながら、日本の社会というものは、新入社員、あるいは入社して間もない人間というものを、まったく兵隊としてしか扱っていない。二等兵としてしか扱っていない。そうした現実に気がついていったわけです。この日本的年功序列の世界、そして人間の価値を入社年度によってはかるような世界、こうしたものに対して非常な疑問というものを感じていきました。その人の魂の高さ、心の高さ、悟りの高さではなく、単に入社年次で決めていく、こうしたことに大変な不満を感じたものでしたし、また上に立つ人が本当に優れた人であればよいが、人によってさまざまな人がいる。先輩として仰ぐべき人もいれば、そうでない人もいる。しかしそれなりに同じように遇されているということを見て、信じられない気持がしました。また霊的な目で見れば、善なる方向へ傾いている方、悪なる方向に傾いている方がいるわけですが、どちらかというと神の心から見たならば、神理に則してみたならば、悪なるものへ傾いている人、自我我欲の強い人、自己顕示欲の強い人、こうした方の方が世の中では遇されていることを知って、大いなる驚きを感じたものです。
 こうして、なんとか本当の価値に基づいた、人間の心の段階に基づいた職場を創らねばならない。そうした会社や組織や世界を創っていく必要がある。こういうことを心密かに願い続けていたのですが、なかなか現代日本を代表するような総合商社のなかで、その一コマとして働いている私にはそうしたことを実現することはできませんでした。せめてできることは、良い仕事をすること、周りの人にできるだけ多くの愛を与えること、その愛というものも、これが愛ですという形で現すのではなくて、陰になり日向になって、目に見えぬ形で多くの人に愛をもって接するということ、そうしたことにとどまっていた私があったわけです。この間、私はそうした人間関係の軋轢で自分を苦しめていたわけですが、それ以外にも異性への憧れ、異性への欲望の目覚めというものがあったように思います。心の窓を開いて、そして高級諸霊とも話ができるような自分であったにもかかわらず、社会に出てさまざまな異性の姿、美しい人の存在を知るにつれて、心が揺れたのです。心がさまざまに揺れ、これはいけないこととは思いつつ、目だけの恋をしたこともあったように思います。魂を奪われるという経験です。このように、心は騒ぎに騒ぎ、なかなか精神統一ができない日が続いたと思います。こうした地位への欲望や、あるいは異性への欲望というようなものが心を波打たせた時、悪魔が人知れず近寄ってくるものです。そして私も過去の宗教者たちが対決したように、何人かの悪魔との対決をせざるを得なくなっていきました。歴史上有名な悪魔としては地獄の帝王とも言われるルシファー、またイエス・キリストが四十日間の荒野の修行の時に惑わかしを受けたというべルゼベフ、こうした者も次つぎと私の前に現れてまいりました。また、曾て弘法大師以降に出て、密教の修行者として名を残したある巨大な法力を持った悪魔もいました。こうした者たちが、次つぎと私を苦しめようとして立ち現れてきたのです。彼らは、霊的体質である私の弱味につけ込んでくるのです。体調の悪い時、また心が乱れている時には必ず、彼らは私に惑わかしの言葉を投げかけ、そして私の心を違った方に向けようとするのでした。そして、何らかの執着を持っている時にはその執着を増幅させ、頭の中がそれでいっぱいになり、悩乱するようなそうした方向へと増幅していくのでした。疲れは二倍、三倍となり、夜な夜な苦しい苦しい気持でのたうち回るような日々も、無きにしもあらずでした。こうした日々が続いていくうちに、私は次第にこの悪魔との対決をしていかざるを得なくなっていったのです。それは結局は私の心の弱さに起因していたのでした。悪魔というのは外にあるのではなくて、実は己心(こしん)の魔、自分の心のなかにある弱い心、ここに忍び込んでいるのだということを知ったわけです。結局、彼らが私に忍び寄ってくる原因はどこにあるかというと、私自身のプライドの部分に忍び込んでいたのだということを知ったのです。彼らが私にささやいたことは、結局「高級霊からの通信を受けることなどをやめて、神理を人に教えようなんていう気持を捨てなければ、お前は幸福にはなれないぞ」「神理を捨て、悟りを捨て、人びとを教えようなどとそんなことをやめた時に、お前は会社の中でも出世をする。偉くなれる。収入も増える。そして美しい女性も手に入れることができる」。彼らはこのように世にあるような悟りの時のこうした惑わかし、誘惑というもので、私の弱味へつけ込んできたわけです。この間何度か苦しい思いをして、悪霊たちのささやきに負けそうになったこともあります。ただそうした時に私が貫いたことはとにかく自分を磨いていくということでした。先のことはわからない、自己実現を焦っても先は見えない。ただ人を愛し、人を生かし、人を許せと教わっても、それを具体的にどうすればよいのかがわからない。けれども、神の欲する人には必ず天命が下るだろう。私も世に立つ時が来るだろう。それまでは、自分を磨いていくしか道はないではないか。もとより平凡から出発した自分。謙虚に自分を磨いていこう。霊道を開いたからといって、自分が偉大なる人物であるかのように誤解したことが間違いであったのかも知れなない。そうではない。自分は一平凡人である。平凡なる市民として、善良なる市民として生きていこう。善良なる市民として霊的能力を取り去ったとしても、それを拭い去ったとしてもそれがなかったとしても、立派な人間と言われるようなそうした生き方をしてみよう。平凡のなかに、自分というものを輝かしていこう。こう思うようにしたわけです。
 こうして、霊能を持っているということに関するプライド、それによって自分は特殊な人間なんだという気持を、私は全く捨て去りました。そして、そうしたものを捨て去っても、人間として自分が他の人びとにとって素晴らしい人であるように、よい人間であるように、人生で出会ってよかったと言われるようなそうした五月の風のような爽やかな人間になれるように、平凡なる市民として善良に生きられるように、そうした自分の生き方というものを検証する。具体的に自分が間違っていないということを検証する。そういう考えで生きることを決意しました。有能な人間となり、そして心地よい人間となるように、霊的なるものを一旦捨て、そしてそのなかで自分を見つめ直すということをやったわけです。
 こうした時に、次第次第に私は内なる悪魔に克っていきました。平凡のなかに光を放つという生き方を発見した時に、悪魔は私のもとを去っていきました。彼らは非凡ならんとするその気持を、その非凡とならんとする気持のなかの隙に、つけ込んでこようとするのです。特に霊的能力を求めんとして、非凡ならんとしている人のその心の隙に、悪魔は忍び込んできます。彼らを退却させるのは、一喝でもなければ強い霊能力でもありません。平凡のなかに自らを光らせていこうとする、その不退転の決意そのものでありました。」(大川隆法『平凡からの出発』PP.178-186)

このような「救世主たる自己基盤の確立に到った大川隆法氏の降魔体験(悪魔撃退)」の上に、「救世事業の組織体としての教団の不断の防御的営為としての弟子たちの降魔活動」がある。その「幸福の科学」教団的手段の中核は、《 正義の言葉『仏説・降魔経(ぶっせつ・ごうまきょう)』 》(大川隆法『仏陀の証明 偉大なる悟りの復活』幸福の科学出版, 1995,p.281-345参照)という仏陀・釈迦牟尼が天上から下した根本経典の一つである。

「(前略)
教団組織は悪魔に対する正規軍仏陀は この世の 光なり しかて 宇宙の 生命(いのち)なり」仏教の教えは、宇宙の理法です。そして、人間を創って、この世に生かしめようとする方向性そのものです。ですから、三宝(さんぽう)を誹謗し攻撃してくるということは、もう存在根拠(レーゾンデートル)そのものがなくなることを意味しており、本来、生かしておいてよいことではないのです。

宇宙の 叡智に 刃向かいて 逃るる すべは なかりけり」このあたりは、釈尊と孫悟空の話を思い浮かべたらよいと思います。一時期、悪魔が戦いに勝利したように見えても、最後は必ず滅ぼされることになっているということです。地獄そのものが、もはや釈尊の手のなかにあるのです。あるいは、地獄そのものが、すでに天上界から隔離されているということです。悪魔は天上界に上がることはできないのです。ただ、悪魔は、天上界の菩薩や天使たちが、苦しんでいる人たちを助けに地獄へ行っているときに、悪さをします。菩薩たちが地獄の霊たちに説教をして、彼らを救おうとしているときに、必ず邪魔をしにくるのです。あの世でのこうした戦いは、常に続いています。

これより後 悪魔は 法剣に撃たるべし 地上の悪魔は 撃退せん 地下の悪魔は 粉砕せん」強い決意です。あの世の世界は念のみの世界ですから、こちらが強い念を持てば、大砲で砲撃して、砲弾を撃ち込んでいるのと同じなのです。逆に、こちらの念が弱いと、悪魔は弱いところに攻め込んでくるのです。しかし、悪魔の軍隊というのは、たいして組織化されていません。悪魔は〝自由主義者〟であって、たいして組織性はないのです。それぞれ勝手に動きます。数は非常に多いので、全部が共同して当たってきたら大変な勢力だと思いますが、悪魔というのは個人主義でバラバラなのです。お互いに協力し合わないで、バラバラに攻めてきます。ですから、正規軍としての力はないのです。これは、ありがたい話です。逆に、三宝帰依体制をつくり、教団を組織として固めるのは、正規軍をつくるのと同じなのです。ゲリラは、やはり正規軍には勝てません。
(後略)」 (大川隆法『仏陀の証明』p.330-333)

以上のように見た場合、()「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日]。」という部分は、第一に、§931 大河と小川 (1991): XII-71において取り扱った「大河と小川は悪をせきとめ」という主題と関連し、第二に、ソ連問題の具体的解決者は「ミハイル・ゴルバチョフ」という神意を受けた大政治家であった、ということが銘記されなければならない。

第一に、「大河と小川」が「悪をせきとめるであろう(悪を阻止するであろう)」というのは、「幸福の科学」の伝道活動が本格化し始めた1991年に生じた出来事を指していると考えられる。特に「講談社」の写真週刊誌『フライデー』の人権侵害的記事に対する抗議に端を発した「幸福の科学」側のデモや訴訟活動によって、マスコミに巣くう「悪の勢力」が厳しく批判され非難され、人権侵害的記事やポルノグラフィー的写真等の排除・撲滅運動が活発化した社会事象はなお多くの人々の記憶に新しい。そして、「仏国に神託として流布するであろう。」というのは、「幸福の科学」の運動が、紛れもなく、神仏からの霊言の数々を受けてそのメッセージを人々に伝え、宗教的真理への覚醒を社会に起こそうとする一大宗教活動として行われるものであるということであろう。日本におけるこの「救世の社会的エネルギー」が霊的にソ連に波及して、「悪しき共産主義体制の崩壊」が加速・促進されたと見ることが出来るのであるが、この事態がまさに、ノストラダムス大預言が語る「サタンは捕縛されることになります」という予言と合致すると考えられるのである。

第二に、ソ連体制の清算の具体的政治プロセスは、ゴルバチョフの根本政策方針たる「ペレストロイカ(体制再構築)」の進展の最終的帰結として起ったことが確認されるだろう。そして、このゴルバチョフという政治家は、いわば「トロイの木馬でソ連体制内に送り込まれた神の使者」といった意味合いの人物であったのである。

ゴルバチョフとエリツィン 今世での決着なるか「大英雄 VS 挑戦者」 赤い帝国を内部から平和的に解体したゴルバチョフ。その前世は、人類史上に燦然と輝く大英雄シーザーである。そして、そのシーザーの命を奪うことで名を残したブルータスこそ、エリツィンの過去世だ。転生輪廻が生み出す壮大なドラマに、今、私たちは立ち会っているのだ。無神論帝国・ソ連を内部から解体した男 シーザーの魂は、一九三一年、スターリン圧政下のソ連で生まれた。ミハイル・ゴルバチョフである。彼の母も祖母も敬虔なロシア正教信者であり、いくら上から無神論を押しつけられても、スターリンの額のうしろにはイコンを飾り、教会にも通いつづけたという。ゴルバチョフも洗礼を受け、その宗教的雰囲気あふれる家庭で育った。やがてコムソモール(共産主義青年同盟)を経て早くから共産党員となり、若くしてそのトップの座にまで登りつめるゴルバチョフだが、その絶大なる信頼感=人間味は、彼が無神論者にはなりきれなかったことによるのではないだろうか。のちにワシントンで演説したゴルバチョフは、宗教についてこう語っている。「宗教が何百年にもわたって育て、自己の中に体現化した道徳的価値はソ連においてもまた改革という事業に... 現に貢献している。」(『ゴルバチョフ回想録』下巻)」(ザ・リバティ編集部 [編]『過去世物語 生まれ変わりの人物伝』幸福の科学出版, 1997, p.155-161)

核戦争の危機から全人類を救ったゴルバチョフ。 これからの世界平和の鍵を握るエリツィン。 無神論国家ソ連の解体という歴史的事業を成し遂げた今世のふたり。とくにゴルバチョフは、ソ連の最高指導者として、世界最大規模の核兵器保有という危機的状況を、内部からの政治改革とアメリカとの巧みな外交によって解消した。いわば核戦争という地球的危機の回避を、平和裏に実現したのだ。この功績は、遠く未来にわたって語り継がれるであろう。片やエリツィンは、ゴルバチョフの改革を「独裁」と決めつけたクーデター派には加わらず、結果的に彼を差し置いてロシア大統領になった。シーザーのめざした「パックス・ロマーナ」(ローマによる世界平和)が、結果的に後継者によって実現されたように、エリツィンもゴルバチョフの後継者として、ロシアの民主化と経済改革をやりとげ、「平和ロシア」を実現してほしいのだ。なぜなら、大国ロシアの安定は、やはり世界平和の大きな条件のひとつであるからだ。」(ザ・リバティ編集部 [編]『過去世物語 生まれ変わりの人物伝』幸福の科学出版, 1997, p.155-161初出:幸福の科学出版『ザ・リバティ』1996年11月号)。

この評論が初めて出た1996年から更に1999年12月31日まで、エリツィン大統領は何とかこの期待にこたえて重責を果たし、後継者プ―チン大統領にバトンタッチしたのだった。そして、そのプーチン大統領という人物も、極めて興味深いことに、その魂の出自は日本人(徳川八代将軍吉宗)であるという(大川隆法『守護霊インタヴュー ロシア・プーチン新大統領と帝国の未来』幸福実現党, 2012, p.173)。このことは、日本を中心とした21世紀の世界平和実現というノストラダムス予言にとって、大きな、積極的な意味合いがあるだろう。

それに対して、()「宗教信徒たちの多様性の所で軍事的分派を呼び起こし推進して、賢者を模倣する如き怒りたる者の王国をまとめ上げるような者 (サタン) が、一番深い淵に繋がれてしまう」と、()「造物主たる神は己が人民の苦悩を耳にして仰せられるでしょう:「サタンは深い濠の中の淵の中の奈落の中に入れられて縛られよ」と。」における「21世紀に入ってからの降魔活動の主体」は「唯物論国家共産中国並びにその類似勢力を霊的に封印する霊的パワーを有する幸福実現党」であると考えられる:「賀茂光栄(かものみつよし) また、今、「『時の [民主党] 政府が悪魔の支配下にある』ということを、堂々と断じることができる宗教になった」と申し上げましたけれども、同じく、「お隣の、十三億人という大きな人口を抱えた国家に対しても、『その政治指導部のあり方は間違っている』ということを堂々と言える宗教が日本に現れた」ということは、革命的な事実であり、すごいことなんですよ。これ以上の抑止力はありません。日本から、そういう宗教思想が現れて、「中国のあり方は間違っている」と言っているわけです。中国指導部は、国民を不幸にした責任を、すべて日本に転嫁し、共産主義思想によって貧しさの平等をもたらしてきたことを、すべて棚上げにしています。そして、「共産主義は正しい」という考え方のまま、欧米のよいところだけを取り入れて、経済的に豊かになろうとしているのです。そのなかに、また侵略の芽があって、「あわよくば、韓国や日本、台湾、その他、近隣諸国を支配下に置こう」と思っているのは、もう明らかです。これに対して、やはり、堂々たる言論を吐き、〝侍の国家〟として、「正義に対して忠実である」という態度を表明することが大事です。」(大川隆法『日本を救う陰陽師パワー 公開霊言安倍晴明・賀茂光栄』幸福の科学出版, 2010, p.113-115)

なお、幸福の科学の「降魔論」に関しては、次の書籍も参考になる。
大川隆法『悪霊撃退法 高級神霊が直示する – これで勇気百倍だ- 』角川書店, 1989.
大川隆法『エクソシスト入門 実録・悪魔との対話』幸福の科学出版, 2010.
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§944, X-72(続): 新・国防論

大団円としての幸福の科学17   新・国防論

§944, X-72(続): その後、マルスは幸福に依って支配するだろう(2001- )

我々は前節末尾で次のように述べた:「そして、この最後の一行の詩句の意味は、それが含まれる二つの預言詩全体の中にあっては、米国の軍事力が優位する状況が21世紀でも相当期間続き、日本国はその事を最大限に考慮するのが最上策である、という慧眼の預言者からのさりげないヒントであろう。最大限に考慮するとは、自助努力を最大限実行し、同盟国と同盟軍を最大限尊敬し信頼するということである。」

しからば、「自助努力を最大限実行する」とは何であるのか。それは、例えば、「核兵器の脅威が現存する世界で、それらに対抗すべく我が国固有の核兵器を開発し準備する」という「極限体制」に当然至るような、純粋軍事力定位思考なのか?

しかし、先ず、「幸福の科学」との関連で見た時、第十サンチュリ72詩の「その前後、マルスは運良く支配するだろう。Before after Mars shall reign in luck.Avant apres Mars regner par bon heur.」という詩句は、「幸運 bon heur, luck」という語が、直ちに「幸福 le bonheur, hapiness」というキーワードを示唆する、という見逃し得ないポイントに着目しなければならない。それを「幸福」と読んだ場合には、21世紀の地平では、「マルスが幸福に依って支配するだろう。Mars shall reign by the happiness. Mars regner par le bonheur.」、又は「幸福がマルスを支配するだろう。The happiness shall reign Mars. Le bonheur regner Mars.」となる(この場合は、前置詞 PAR (by) が、動詞 REGNER (to reign) の事実上の主語の役割を果たす。これと同じ用法は、§137,VIII-18: Par les trois lys, Par son fruit という詩句にも見られた。)

いずれにしても、「幸福の科学」が何らかの形で「国防の最重要問題(マルス)」にかかわるということである。

そこで、先ず、今現在で「幸福の科学」及び「幸福実現党」が掲げている国防関係の思想ないし提言を整理して押さえておきたい。そして、その全てが事実上の主義・主張であるのかどうかを批判的に検討し、実質的に何が根本的国防論として残るのかを考察してみたい。「幸福の科学」の国防論には、大きく分けて三つの基本的観点が認められる。それは、核武装論、霊的封鎖論、友好的UFO論である。

① 核武装論の言説
 これは、日本の現存政党の中で唯一、幸福実現党のみが唱える「驚異的極限的国防論」である。曰く、「日本の置かれた国際環境の中で、最も現実的な政策を訴えているのは、幸福実現党だろう。オバマ大統領再選によるアメリカの緩やかな衰退と、習近平・中国新体制の強硬路線を見越し、中長期の国防・経済政策を立てている。中国の核兵器を含む軍事的脅威に対し、核武装を含めた防衛力強化を打ち出している。そのためには経済成長路線の復活が不可欠とし、大都市開発の規制緩和や交通インフラなどへの大規模投資を提案。消費税増税阻止や大胆な金融緩和策でデフレ克服を目指す。積極的な原発推進策は、国内製造業復活や、潜在的核抑止力維持にも重要だ。」(幸福の科学出版『ザ・リバティ』2013年1月号, p.30)

これに対するジャーナリズムと政権からの反応は、

 所で、今、田原先生は、中国や北朝鮮について、どうお考えですか。
田原総一朗守護霊 宗教がさあ、「核ミサイルをつくって、撃ち込め!」なんて、そんなの、君、恥ずかしくて言えんよ。あんた、これは、宗教の基盤を極めて揺るがす発言になるよ。これは政治家に言わせなければいけないことであってね。」(大川隆法『田原総一朗守護霊 VS. 幸福実現党ホープ』幸福実現党, 2013, p.105)

司会 古舘さん、中国・北朝鮮の脅威について警告している幸福実現党の論を、どう感じていますか。
古舘伊知郎守護霊 やっぱり、それは、〝オオカミ少年〟に見えなくはないですね。それを言えば言うほど、向こうも、その気になってくるような気がするねえ。
司会 ああ。煽ってしまうと? 
古舘伊知郎守護霊 やっぱり、本当に怖く見えてくるよ。うーん。
司会 こういう論は刺激に感じるわけですね。
古舘伊知郎守護霊 そう。刺激しすぎてる。刺激しすぎてるね。
矢内 でも、この間もそうですが、実際に北朝鮮の金正恩は、日本に対し、「核ミサイルを撃ち込むぞ」ということまで言っているわけですよ。
古舘伊知郎守護霊 撃たせてやったらいいじゃないすか。当たるかどうか、見物だよ。
矢内 でも、本当に撃たせて、もし、それが日本のどこかに当たり、核ミサイルが爆発したらどうするんですか。
古舘伊知郎守護霊 それをまともに受けるから、脅されるんですよ。「一発撃てば数百億円かかり、国民の一年分の食糧代に当たる」っていうんだから、あなた、惜しくて撃てないんですよ。まあ、持ってるだけだよ。「脅して盗る」のが本筋ですから。基本戦略は、「脅し」と考えるべきです。」
(大川隆法『バーチャル本音対決 TV朝日古舘伊知郎守護霊 VS 幸福実現党党首矢内筆勝』幸福実現党, 2013, p.63-68)

菅義偉(すがよしひで)守護霊 ただ、日本のやり方は、こうなんですよ。今日、「日本で準空母が進水したことを、中国が批判した」ということが、左翼系の新聞に書かれていました。そのように、「日本には、空母はないけども、護衛艦という名の〝空母〟が存在する」みたいなかたちで、「戦艦大和」に近いぐらいの大きさの、「空母機能を持った護衛艦」が、なぜか出来上がっているいるわけです。まあ、言葉のあやですけど、そういうふうに着々とやっていて、実質上の牽制は、もう、かけているんです。
酒井 では、実質上、もう手は打っているのですか。
菅義偉守護霊 そういう役所のほうでね。政治のほうは、外向きの外交で言葉を上手に操っていますけど、防衛省と企業が組み、実質上、防衛体制をきちんと水面下では進めていますから。
酒井 「中国や北朝鮮の侵略に対して、すでに十分な計画を練っている」と? 
菅義偉守護霊 ええ。役所と軍需産業にかかわるようなところ、例えば重工業をやっている造船業などでは、すでに、いろいろと水面下の動きが始まっております。だから、時間を稼ぐことが私たちの仕事なんですよ。時間を稼げないで、即、紛争がたくさん勃発したりすると、十分な準備ができていないので、日本にとって不利になるのです。」(大川隆法『誰もが知りたい菅義偉官房長官の本音 名参謀のスピリチュアルトーク』幸福実現党, 2013, p.49-51)「あと、あなたがたが言うように、国防のところを強化するにしても、まあ、幸福実現党は明確におっしゃっておられないけど、国防を増加するときには、いつも借金体質になりますからね。だから、基本的に増税はあるんですよ。さらに、増税で間に合わない場合には、借入金がもっと増える。借金が増えるのが戦時体制ですからね。だから、戦時体制ということを考えれば、財務省が言っているように「税収を上げていく」というのもいいことではある。まあ、そのへんもあるからね。」(同上書, p.108-109)

酒井 幸福実現党のなかに、「これは!」と思う方はいます? 
菅義偉守護霊 うーん、幸福実現党ですか。まあ、優秀な方が多いのは、そうなんだろうと思いますが、実際の行政経験が十分ではないので、「こういうことを言ったら、どのようになるか」みたいなところの読みは、まだ十分ではない感じがします。やっぱり、幸福実現党も、戦いを続けて、何十人か当選するところまでは実績をつくらないと、そう簡単に使えるようなところまでは行かないですねえ。」(同上書, p.141-142)

といったもので、核武装が、果たして「最も現実的な政策の一つ」かどうかは容易には断定出来ない。

② 霊的封鎖論
 これは、正に「偉大な宗教に立脚した、真の宗教者の面目躍如たる国防策」の最たるもので、現在において他の如何なる宗教・政党も真似の出来ない究極の秘策であろう。

安倍晴明(あべのせいめい) ですから、政党、政治のほうにかけるエネルギーは、一割を超えてはいけないと思います。それ以上のエネルギーをかけたら、残念ながら、「敵多くして事成らず」という方向に展開していくように、私には見えます。そうではないところを打ち出さないといけないので、「宗教は九、政治は一」ぐらいの割合にすべきでしょう。政党は、具体的実戦部門としてはあってもよいけれども、「宗教的パワーでこの世を救う」ということが基本であるということです。基本的な戦略としては、「救世主の降臨」ということを日本国民に知らしめ、そして、その教えの尊さを人々に感じさせることが大事です。」(大川隆法『日本を救う陰陽師パワー 公開霊言安倍晴明・賀茂光栄』幸福の科学出版, 2010, p.40-41)

安倍晴明 つまり、宗教的な戦いとしては、侵略の悪想念を封じ込める力、あるいは跳ね返す力が必要なのです。この世的には、「相手方が撃ったミサイルをUターンさせる」というようなことも述べられていますけれども、霊的には、「相手の悪想念を『念返し』で返してしまう」ということは、当然、秘術としてあるわけです。
B- 安倍晴明先生や賀茂一族のみなさまからは、当会の精舎用に「悪霊封印秘鍵」という秘術を賜っております。この秘術は、「非常によく効く」と、信者のみなさまから好評をいただいております。」(同上書, p.64-65)

賀茂光栄(かものみつよし) また、今、「『時の [民主党] 政府が悪魔の支配下にある』ということを、堂々と断じることができる宗教になった」と申し上げましたけれども、同じく、「お隣の、十三億人という大きな人口を抱えた国家に対しても、『その政治指導部のあり方は間違っている』ということを堂々と言える宗教が日本に現れた」ということは、革命的な事実であり、すごいことなんですよ。これ以上の抑止力はありません。日本から、そういう宗教思想が現れて、「中国のあり方は間違っている」と言っているわけです。中国指導部は、国民を不幸にした責任を、すべて日本に転嫁し、共産主義思想によって貧しさの平等をもたらしてきたことを、すべて棚上げにしています。そして、「共産主義は正しい」という考え方のまま、欧米のよいところだけを取り入れて、経済的に豊かになろうとしているのです。そのなかに、また侵略の芽があって、「あわよくば、韓国や日本、台湾、その他、近隣諸国を支配下に置こう」と思っているのは、もう明らかです。これに対して、やはり、堂々たる言論を吐き、〝侍の国家〟として、「正義に対して忠実である」という態度を表明することが大事です。」(同上書, p.113-115)

賀茂光栄 この日本のなかに巣くう悪魔、左翼のなかに巣くう悪魔の正体を暴露する。それを明らかにする。その仕事は去年 [2009年] から始まっているんですよ。それが幸福実現党の活動なのです。戦後、日本を駄目にした悪魔の正体を明らかにしようとする活動が、幸福実現党の活動なのです。それは着々と進んでいると思います。」(同上書, p.123-124)「例えば、今で言えば、幸福実現党を批判したり、弾圧しようとしたりする政党やマスコミ等は、生霊の一種ですね。この生霊に対しては、「生霊返しの術」を、やはり使わなければいけないのです。幸福実現党を弾圧しようとしたり、潰そうとしたり、不利に扱おうとしたりしていた者に対して、その「生霊返しの術」を使えば、悪想念は向こうにブーメランのように跳ね返っていくので、あちらのほうが苦しむという結果が起きます。ですから、私に祈願をしてくだされば、その生霊、生き念を発しているところに「念返しの術」を打って、向こうを逆に縛りあげます。私に頼んでください。そういうことは得意技の一つですので。」(同上書, p.139-140)

アテナ女神 一定の限度を超えた場合には、宇宙人であっても、やはり許しがたいものがございますので、一定以上の介入に対しては「ノー」を言う必要があると思います。これに「ノー」を言う方法があるんです。今の地球人は、科学技術文明礼賛で、一種の〝科学技術教〟に染まっていますけれども、科学技術を信仰するだけであれば、要するに、地球に来ている爬虫類型宇宙人であろうと、それ以外の宇宙人であろうと、「神」になってしまいます。地球に来られるぐらいなので、地球人よりも、ある意味で、進んでいるのは間違いありません。ですから、信仰心を失って科学技術信仰のほうに走っていった場合には、宇宙人には絶対に勝てないのです。地球人を遙かに超えた力を持っておりますので、彼らは「神」になれるはずです。しかし、宇宙的に見て地球のほうが優れているものもあるのです。実は、文化的なもの、政治や宗教などの伝統的なものについては、宇宙的に見て優れているところが多いので、こうした価値観への信仰を、もっと強く持たねばならないと思うものであります。ですから、「いかに科学技術が進んでいようとも、あなたがた宇宙人には後れているものがある。もっと、愛や慈悲、あるいは徳といったものを学ばなければ、あなたがたは劣等民族なのだ」というようなことを、強く信念として持っておりますと、それが一種のバリアのような役割を果たして、手を出しにくい感じを与えるわけです。それは一種の高貴な雰囲気と言いましょうか。一種の貴族のように見え、手が出しにくく、「自分たちが飼育している動物だ」というような、傲慢な考え方ができなくなってくるのです。彼らにも、「そのへんは自分たちのほうが劣っている」と感じているところがあります。残忍性、凶暴性が抜け切らないでいるので、それを抜け切るために、実は地球に魂修行をしに来ているんです。けれども、愛や慈悲が身につかず、やはり、破壊力の強さや攻撃力の強さ、あるいは医学的なものの強さを誇っているところがあるわけですね。ことが、地球的に言って、人権に反するレベルにまで達しているのであれば、これは撃退せねばならないので、主エル・カンターレの名の下に、しっかりと祈りを捧げるとよいと思います。そうしますと、一種のバリアのようなものが家全体に張り巡らされ始めます。そして、彼らが持っている思いのなかに邪悪なものが入っている場合には、その部分が弾かれると同時に、霊界においても、宇宙人との調整を執り行っている人たちによって、その行為がキャッチされるので、介入を受け、抑止されるようになると思います。ですから、そんなに恐れる必要はありません。宇宙には、たくさんの星があり、たくさんの宇宙人が地球に来ておりますので、本格的な侵略ということであれば、ほかの宇宙人たちが許さなくなります。したがって、「侵略行為がなされている」というのであれば、やはり、それをきっちりと告発することが大事です。「そうした宇宙人からお守りください」と祈る行為も告発行為に十分に値しますので、それで大丈夫だと思います。」(大川隆法『「宇宙の法」入門 宇宙人とUFOの真実』幸福の科学出版, 2010, p.73-78)

リエント・アール・クラウドの霊言 地球への移住に関して、私は全権を握っている。限りなく広がる宇宙において、この地球だけに人類が生息していると考えるのは、傲慢な考えであります。人類が地球にしか存在しない確率は、限りなくゼロに近いと見たほうがよいと思います。私は、地球人としても生まれたことがございますけれども、今は、主として、宇宙にかかわることに関係いたしております。ですから、さまざまな宇宙人、肉体を持って来ている者と、霊体で来ている者とを見ておりますけれども、宇宙人たちの行為が、地球において、あまりにも許しがたいレベルまで行ったときには、私のほうも介入することになっております。「主エル・カンターレの下に」という祈りもございますけれども、「リエント・アール・クラウドへの祈り」も十分に効くものであると思っておりますので、呼んでいただければ、問題解決に当たりたいと考えております。宇宙人からの迫害や侵害、侵略等を感じるようでありましたら、どうか、リエント・アール・クラウドにお祈りください。私の許可なくして、地球に移住することはできないんです。そういう意味での全権を握っておりますので、私が判断すれば、地球への移住は許されなくなるのです。」(大川隆法『「宇宙の法」入門 宇宙人とUFOの真実』p.82-84)

③ 友好的UFO論 
司会 あなたは、どこの星から来られた方なのでしょうか。
プレアデス星人 はい。今有名なプレアデスから参った者です。
司会 プレアデスには幾つか星があると聞いておりますが。
プレアデス星人 はい。プレアデスには幾つか群星があるのですけれども、私は、プレアデスのなかでは比較的小さな星から来た者です。
司会 プレアデスの方としては、以前、お一人、女性の方が出ましたけれども、その方とは同じ星でしょうか。
プレアデス星人 そうです。
司会 同じ星なのですか。
プレアデス星人 はい、そうです。

    七千年前、プレアデスと地球は、〝安保条約〟を結んだ
司会 あなたは、いつごろ来られたのでしょうか。
プレアデス星人 私は、そんなに古くないのです。今から、そうですね、ちょうど七千年ほど前になります。古代インカのリエント・アール・クラウド王(エル・カンターレの分身の一人)がおられたころですね。
そのころ、悪い宇宙人が来ていたのですが、私は、いちおう、「よい宇宙人」として、悪い宇宙人たちから地球を護り、彼らを追い返しました。その後、地球がとっても好きになったのです。当時、今のアンデス山脈に当たりますけれども、標高四千メートルぐらいの高地に王国があって、リエント・アール・クラウド王が治めておられました。そのとき、宇宙人がかなり飛来していまして、それを信仰する一派が出てきていたのですが、クラウド王は、「あの宇宙人たちは、あまりよい宇宙人ではないし、神ではないので、その信仰をやめなさい。」と言っていました。そのため、国のなかで対立が少し起きていたのです。それは、映画「太陽の法」(2000年公開)でも描かれていたと思います。あの映画では、クラウド王が気球を飛ばし、「われわれも気球を空に飛ばすことができる。空を飛ぶことでもって、彼らを神として崇めてはならない」と言っていたと思うのですが、実はそれだけではないのです。結局、悪い宇宙人の宇宙船は逃げ出していますけれど、あの映画に出てこなかった「よい宇宙人」がいて、実はクラウド王に協力したんですね。その「よい宇宙人」は、実は、クラウド王とつながりがあって、クラウド王と交信していたのです。そして、地上に下り、クラウド王たちと実際に会い、友達になって話をしたりしました。以後、プレアデスと地球のエル・カンターレ系団とは、日米安保のように、「何かあったら、お呼びください」というようなかたちで、〝安保条約〟を結んだのです。
司会 ああ。
プレアデス星人 七千年後の今でも有効で、今は、〝改定七千年記念〟なのです
司会 はい。
プレアデス星人 「もし、悪い宇宙人が、地球人に狼藉を働き、乱暴なことをするようであれば、プレアデスのほうで防衛いたします」ということで、実は今でも地球を防衛しているのです。だから、アメリカの第七艦隊のように、プレアデスの宇宙船は、いつも巡回しています。地上から見えないようにではありますけれども、いつも地球の周りを回っているのです。われわれの星の宇宙船の特徴はというと、葉巻型の母船があって、それから中型船と小型船が出てくるのですが、中型船は、ちょっとした潜水艦風の大きさぐらいのものですけれども、小型船になると、いわゆる円盤ですね。かっこよく、そのまま垂直離着陸をします。」(大川隆法『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』p.121-128)

大川隆法 2010年12月4日に、私は横浜アリーナで講演会(エル・カンターレ祭『世界宗教入門』-「地球人」へのパラダイムシフト-)を行いました。当日の指導霊は、「宇宙の法門」を担当しているリエント・アール・クラウドだったのですが、法話の最後の五分ぐらいに、まとめとして、「これから宇宙人との交流の時代が始まるので、それについても教えを説かなければいけない」ということを述べました。そうしたら、講演が終わったあと、会場の上空にUFOの大群が現れたのです。おそらく、数千人が見たのではないかと思います。
プレアデス星人 ただ、この間の横浜アリーナのときに、ああいうふうに出てきたのは、まだ序の口です。
大川隆法 あれは序の口で、これから、もっといろいろなことが起きるかもしれないということですね。
プレアデス星人 はい。もっといろいろ起きてきます。

    危機のときには「惑星連合」が必ず助けに来る
C- 今回のUFOの大群の出現は、「イイシラセ」であるということでしたが、何か具体的に見えている未来はありますか。
プレアデス星人 危機のときには必ず助けに来ると、そう思っています。
大川隆法 この十年ぐらいのうちに、もしかしたら、中国や北朝鮮との関係で危険なことが起きるかもしれないという予言もありますが。
プレアデス星人 はい。そのときは、必ず....。
大川隆法 プレアデスのほうで何か考えているのですか。
プレアデス星人 はい。プレアデスだけじゃなくて、ほかの...。
大川隆法 惑星連合で何か考えているのですか。
プレアデス星人 はい。必ず守りに来ます。
大川隆法 守りに来てくれるのですね。
プレアデス星人 はい。必ずです。
大川隆法 それは、ありがたいですね。
プレアデス星人 はい。日本はエル・カンターレがいる国ですから。
大川隆法 だから守ってくれるんですね。
プレアデス星人 はい。必ず。
大川隆法 それは、ありがたいですね。
プレアデス星人 プレアデスだけじゃないですよ。ほかのみんなも一緒です。」(大川隆法『地球を守る「宇宙連合」とは何か 宇宙の正義と新時代ヘのシグナル』幸福の科学出版, 2011, p.11-57)

同様に、ラ・ムーの時代にもベガ星人が宇宙から救援に入ったことが語られている(大川隆法『宇宙からの使者 地球来訪の目的と使命』幸福の科学出版, 2011, p.163-172)

「       惑星連合の科学技術は、侵略者たちに劣っていない
C- 少し話を戻させていただきます。午前中の収録を聴かれた方は、悲観的・否定的な考え方に〝感染〟している可能性があるので、それを解くために、幾つかお訊きしたいと思います。まず、ホーキング博士の宇宙の魂は、「惑星連合が助けてくれる望みはない。彼らは弱いので、すぐ逃げるだろう」というようなことを言っていましたが、これについてはいかがでしょうか。
アンドロメダ銀河の総司令官 そんなことはありません。それは、「残忍な指導者は強く、徳のある指導者は弱い』と言っているのと、ほとんど同じことです。つまり、「徳があって、慈悲や思いやりのある指導者は弱い。しかし、残酷で冷酷無比な指導者であれば、人民は怖がって言うことをきく」というようなものの見方でしょう?
C- はい。
総司令官 まあ、そういう見方をする人もいるでしょうが、私は、そんなことはないと思いますね。ベガやプレアデス、その他の惑星連合の者たちは、愛や慈悲、優しさや調和、美を愛する心を持っていますが、地球を攻撃してくる者たちより、科学技術において劣っているとは思えません。一方、彼らは、「そうしたものを愛する心自体が弱さであり、弱点である。むしろ恐怖による支配のほうが強い」と見ています。「恐怖による支配で人々の心をつかまえてしまえば、そうした調和や徳の力というものは、逃げ出していくのだ」と考えているわけです。そこで私たちは、防衛的側面のほうが強いのは事実ですが、「まずは、向こうの攻撃を打ち破り、衝撃を与えた上で、心の反省を迫る」という仕事を、宇宙レベルでやってきたのです。広い銀河のいろいろなところでね。彼らは「弱い」と思う所を攻めてくるので、私たちは、SOSが出たとき、「そこに向かっていって助ける」ということをやってきました。その意味で、宇宙連合は、地球に来ている八組か十組ぐらいの連合だけではなく、それ以外の、もっと大きな連合とも結びついております。
       「宗教は科学に勝てない」という考え方に毒されている現代人
C- われわれは、信仰や心の力、精神力などを持っていれば、彼らに対して、最終的に負けることはないということでしょうか。
総司令官 みなが力を合わせ、「撃退しよう」と強く願うことが大事です。地球の人たち、あるいは、地球に協力してくれている友好的な宇宙の人たちとも力を合わせ、「そういう者に地球を侵略させない」「そういう者の植民地にならない」「そういう者の犠牲にならない」ということを一致団結して強く念えば、彼らは地球を支配することができなくなる。科学と名が付けば、「それは宗教より上のものだ」と必ず考えるような人が大勢いるので、それを打ち破るために、おそらく、大川総裁は「幸福の科学」という名前を付けたのだろうと思うのです。

     「二〇三七年侵略説」は、彼らの〝事業計画〟
C- さらに、ホーキング博士の宇宙の魂は、二〇三七年という、幸福の科学にとって非常に大きな意味を持つ年に、「レプタリアンの大軍が押し寄せ、短期間で地球は征服されるだろう」とも言い放っていました。
総司令官 まさしく、それこそが、恐怖心を起こさせるための作戦そのものでしょう。最近、主は、「私の寿命というか、活動年数を伸ばすかも知れない」というようなことをおっしゃっていたと思います(二〇一一年四月十七日、小倉支部精舎説法での質疑応答にて)。しかし、そうは言っても、「地上での活動が終わる二〇三七年ぐらいに大軍で押し寄せ、地球を襲う」などと言われると、みな、パニックになるではありませんか。「主がお隠れになり、そして、宇宙人の大軍が来て、地球を支配する」というのは、最悪のシナリオですよね。だから、それを狙って、言っているのでしょう。
C- なるほど。そうすると、彼が、「未来はすべて見える」と自信を持って語っていた予言は、明らかに計算されたものであり、それは、私たちの恐怖心を起こすための...。
総司令官 いや、それは、彼らの〝事業計画〟でしょう。
C- (笑)〝事業計画〟ですか。
総司令官 ええ。それを〝予言〟と称するのは、向こうの勝手ですけどね。〝事業計画〟はつくれると思いますよ(笑)。しかし、「自分たちの〝事業計画〟はこうだ」と言っているだけであり、ほかの人がそれを認めるかどうかは、別の話ですからね。」

      神秘思想や信仰心によって、唯物論の増殖に対抗せよ
総司令官 唯物論には、この世の生活における利便性に資する部分があるので、これを完全には否定できないのです。
C- はい。
総司令官 交通の便が発達するためには、やはり、科学的なものが発達しなければいけません。だから、科学は、裏表の両方の側面を持っているのです。軍事的なものも、本当はそうです。そのなかには、愛する者たちを守るために必要なものがあります。つまり、愛する家族や同僚たち、あるいは社会や国の仲間たちを守るための軍事兵器もある。その一方で、正義に基づかず、他国を侵略するための軍事兵器もありうるわけですね。このように、唯物論を完全に否定できないところに、私たちの弱点が一つあるわけですよ。ですから、科学の面における唯物論の増殖に対応できるだけの、神秘的な思想、ないし、信仰心に当たるものを打ち出せなければ、やはり、バランスが崩れるということですね。」(大川隆法『宇宙人による地球侵略はあるのか ホーキング博士「宇宙人脅威説」の真相』幸福の科学出版, 2011, p.150-180)

UFOと核関連施設
 今までの情報に共通しているのは、核実験とUFOは何らかの関係があるのではないかという素朴な疑問です。そこで収集した資料のなかから、「核とUFO」に関する部分を検討してみるとー。やはりUFOを研究しているグループは、核開発との関連性を重視していることがわかりました。UFOには、優れた能力を持つ異星人が搭乗していて、地球を核戦争の惨劇から守ろうとしている、という説がかなり信じられているようなのです。根拠は、UFOの出現多発地域、飛行空域を総合的に集計していくと、核関連施設との結びつきが多いからだそうです。核実験場、核兵器製造工場、核ミサイル基地、核兵器貯蔵施設、原子力発電所など、とにかく核と関連する地域にUFOが頻繁に現れているのです。とりわけ興味深いのは、一九六七年三月一六日にアメリカのICBM基地で起きた「異常現象」でした。その異常現象を体験した管制官のロバート・サラス空軍大尉は、当時地下六〇フィート(約一八メートル)にある戦略空軍四九〇戦略ミサイル部隊で勤務していました。すると、保安要員である地上兵から、ミサイル施設の周囲に不思議な発光体が見え、それらは尋常ではない飛び方をしているとの通報があり、「UFOか?」と聞くと、彼らは何であるかわからないが、光が飛び回っていて何の音もしないと答えたというのです。その後再び保安要員が、「正門ゲート上に輝く赤い物体が一個、空中停止しています」と電話してきたので、「外周フェンスに問題がないか確かめよ」と指示したところ、「確かめに行くと、一人が負傷していました」とのこと。この事態を受けてサラスが仮眠中の指揮官に報告していると、ミサイルが次々に発射不能の状態になり始めたといいます。ミサイルは、ミニットマンI という当時のアメリカの主力ミサイルで、核弾頭付きでした。指揮官は直ちにステータス・パネル(モニター)を点検します。ところがすぐに、「物体は去った」と保安要員から報告が来ました。空軍はこの事件を直ちに調査しましたが、ミサイルが発射不能になった原因は不明。合理的な説明がつかなかったといいますから、ちょうど松島基地で訓練から帰投中のT-2練習機が、葉巻型のUFOと並行して飛行していた間だけ、電気系統と操縦系統に不具合が生じた事例に酷似しています。このときの状況はどうだったのか。どのミサイルにも自動回復装置があり、異常事態発生時には自動的に電源が切り替わり、正常を保つように設定されているにもかかわらず、代替装置がまったく作動せず、六~八基のミサイルが発射不能状態になったとのこと。サラスは、「それは立て続けに起きましたが、こんなことは滅多にありません。ところが基地から五〇~六〇マイル離れた他のミサイル基地でも起きた」といいます。この基地では、ミサイル発射施設上空でUFOが停止したため、一〇基のミサイルのすべてに異常が生じたのです。
 ロバート・ジェイコブズ教授も、米空軍中尉であった一九六〇年代に次のような体験をしたと語っています。
 当時彼は空軍現役で、光学器械を担当していました。そして、カリフォルニア州のバンデンバーグ基地から発射されるICBM発射実験の撮影を担当していました。一九六四年、彼が最初のミサイル発射実験を撮影していたとき、ミサイルに並んで飛んでいる一機のUFOを撮影したのです。UFOは、二枚の皿を合わせ、その上にピンポン玉に似た頂部をつけたような形をしていました。そして、この「ピンポン玉」は信じられない行動に出ます。なんとその球体からミサイルに向かって光線を発射し、その様子が撮影されていたのです。この現象は、違う方向から四回起きましたが、ミサイルは高度六〇マイル(約九六キロ)という超高高度を、時速一万一〇〇〇マイル(約一万九〇〇〇キロ)から一万四〇〇〇マイル(約二万五〇〇〇キロ)という超高速度で飛んでいるのです。そして、ミサイルが宇宙空間から落下するとUFOも見えなくなったといいます。」(佐藤守『実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』講談社, 2010, p.194-203)

総括:
 以上のように見て来ると、「エル・カンターレを擁する幸福の科学」は明らかに、「その徳性によって」、「プレアデス星人を含む惑星連合からの宇宙的防衛力による援護」を受ける約束を得ているから、その政治活動体としての「幸福実現党」が、何故、日本の国防力として、核兵器の装備(核武装)を主張するのか、平板な知性の目から見ると、理解しがたい点である。何故なら、他に例を見ない「幸福の科学教団独自の霊的な悪霊封鎖力」に加えて、UFOを主体とした友好的惑星連合の防衛力は、明らかに「核兵器を無力化し廃棄する能力」を持っていると思われるからである。その能力は、「打ち上げられて超高空を超高速で飛翔中のミサイルに並走してその核弾頭を無力化し廃棄する」ことさえ出来るほどのものである。つまり、現時点において、既に、日本は、「幸福の科学」を擁する国体として、事実上世界において不敗の防衛力を有しているのである。何故なら、米合衆国や中国も直接、宇宙人から軍事的技術を移転しつつある(大川隆法『神々が語るレムリアの真実』幸福の科学出版, 2010, p.143-149; 大川隆法『アトランティス文明の真相』幸福の科学出版, 2011, p.48-52; 大川隆法『中国「秘密軍事基地」の遠隔透視』幸福の科学出版, 2012, p.148-161参照)とはいえ、それはあくまでも彼ら地球人の制限された事実的受容の限界内にあるのに対して、「幸福の科学」の場合の宇宙協力は、そういう直接的技術移転ではなく、根本的に根本仏に対する深い信仰の一致に基づく「心意レベルの契約」であり、従って、いったんそれが発動されれば、危機の状況に対応可能ないかなる宇宙技術も行使される、という最高の優位性を保証されているからである。

他方、その力は、他国への侵略的攻撃力には絶対になり得ない。何故なら、幸福の科学は「人類の高度な徳化と世界平和の実現を熱望する宗教」であり、それに惑星連合が協力するのは「その基本路線に対する万一の受難的・危機的状況においてのみ」であり、侵略的方向での協力は約束外であるからである。

従って、日本は、現下の「尖閣諸島」などを巡る対中摩擦の激化、或いは一般に通常武力による外敵からの侵攻・テロのリスクに対処し得る通常的防衛力の整備・強化以外に、特別な国防強化を敢えて急ぐ必要はない、と考えるべきだろう。同時に、日米同盟の強化としての集団的自衛権も、日本が主体的に負い、且つ能動的に負うべき、領海・領土における、ないし「周辺事態」における一国独自防衛のなかで、同盟米軍が参加してくれる場合の国際常識的共同戦線の構築という目標に関して必要な程度のものであるべきだろう。

平板、且つ、現実的な知性の観点からは、日本の核武装論は、幸福実現党が言うような、「最も現実的な政策」ではなくて、国際的・政治的に最もデリケートな諸問題を孕み、最も実現困難な政策である。敢えて言えば、核武装の実現によって日本の防衛力が100パーセント確保される、と仮定しても、その実現に到る諸プロセスのなかに潜む諸々のリスクの総体は、日本の世界における地位の完全な失墜を99パーセント約束する程のものであろう。

では、何故に、「幸福の科学」の法旗の下にある筈の「幸福実現党」が、敢えて「日本の核武装」を極めて積極的に提言するのであろうか。勿論、大川隆法氏自身において、「幸福の科学総裁」「幸福実現党総裁」として、日本の核武装を唱える言説は皆無ではない(大川隆法『この国を守り抜け 中国の民主化と日本の使命』幸福の科学出版, 2010, p.174-176; 大川隆法『日本の誇りを取り戻す 国師・大川隆法街頭演説集2012』幸福実現党, 2013, p.37-38参照)。しかし、氏は、最も総合的な観点からは、「友好諸国連携の外交と通常兵力の充実的整備」を持論としているように見受けられる(大川隆法『平和への決断 国防なくして繁栄なし』幸福の科学出版, 2011, p.148; 大川隆法『中国「秘密軍事基地」の遠隔透視』 p.166-173; 大川隆法『ネバダ州米軍基地「エリア51」の遠隔透視』幸福の科学出版, 2012, p.97-108, 209-210, 216参照)。

この事は、逆に見ると、「何故、幸福の科学と幸福実現党は、宇宙的友好勢力との〝安保条約〟が現存しているのにもかかわらず、その事を強調大書して主張しようとはしないのか?」という疑問と表裏をなしている。

〝普通の教祖〟であるならば、これだけのメリット、つまり「友好的惑星連合からの援助の約束」があるならば、専らその点を自分らの教団の最大長所として確認し、主張し、教勢拡大の最大の〝売り〟とするのではないか。

ところが、「幸福の科学」も「幸福実現党」も、そういうやり方はしないで、むしろ反対に、一般国民の広範な反感を買うであろう様な「核武装論」を声高に叫んでいるのである。そして、その主張根拠として、中華人民共和国や朝鮮人民共和国の核武装を中核とした侵略的拡張の事態の切迫性をひっきりなしに説いている。そういうちぐはぐと映るやり方の原因は、やはり、「幸福の科学総裁」「幸福実現党総裁」たる大川隆法氏自身の思想と態度のなかにあると思われる。

何故なら、大川隆法氏自身が、そういうこと、つまり「主としてUFOなどの力に頼るポリシー」を余り好んでいないように見受けられるのである。それは、そういう約束が「実体がなく、虚構であり、保証の限りでない」という弱い論拠に基づくのではない。それは確かな約束であり、むしろ「エル・カンターレの分身であるリエント・アール・クラウド (RIENT ARL CROUD) が担当する宇宙の統治の領域において確保されている約束」であるから、微塵の疑いもある筈がないのである。その紛れもない証拠の一端として、「大川隆法氏は、自分が常に宇宙人たちから観られている」という事実を体験的に語っているのである:
C- もう一つ、お伺いしたいことがあります。私には今、ありがたいことに、大川総裁のお写真を撮らせていただく機会が数多くあるのですが、私が常に見られているとすると、その撮影の瞬間も、やはり、宇宙に放映されているのでしょうか。
大川隆法 私は、もう四六時中ずっと見られているので、カメラが何台入っているかは分からないような状態です。いろいろなところから見られていて、何が起きるか、どいういうふうになるか、あるいは、何か宇宙から介入しなければいけないような場面があるか、そういうことを見られている状態です。宇宙人たちは、今、地球が変わるか変わらないかを、ずっと見ている状況なのです。そして、彼らは、私の方に介入しなければいけないことが起きないかどうかを見ています。例えば、万一、私が暗殺されそうな事態が起きた場合には、「それを事前に止めよう」と思って見ているということですね。私の使命がまっとうできるようにしたいという気持ちで見ているようです。彼らは、時間を止めるような感じで、超高速で動けるのです。地球の時間で言えば、まるで時間が止まっているかのような状態で行動することが可能なのです。何か、特別に危険な状況が起きたときには、そのようにして、それを防ぐことができるのです。それで、宇宙からずっと見ているようです。」(大川隆法『宇宙人リーディング よみがえる宇宙人の記憶』幸福の科学出版, 2010, p.111-113)

それは、「エル・カンターレとしての徳治戦略上は、科学技術的力能を第一義として前面に立てることは許されない」という根本方針に基づく政策方針と見なければならないものであると思われる。そして、友好的惑星連合からの協力というものも、エル・カンターレの方から「頼み込んでやって貰う」ような形であってはならず、「エル・カンターレの神聖な徳に惹かれて自発的に協力する態度」から出た協力でなければならないのである。何故なら、その主従関係が逆転すると、最終的に、「神は悪魔にとって代わられる」という結果になってしまうだろうからである。

このように、「幸福の科学」と「幸福実現党」自体においては、その「宇宙的〝安保条約〟はクローズ・アップしない」という選択がなされるという教義的必然性が存在すると言えるのである。しかし、他方、少なくとも、大川隆法氏の公刊された諸々の著書を通して語られるのは、一般公衆、一般国民にも当然開かれた教えであり、その通路を通して、次のように言うことが許されるであろう。

〝取り分け日本の国民と国家の守護・防衛という神聖で大きな任務を負う自衛隊の諸子諸君は、心ある日本国民の皆さん方と一つの同じ祈りで繋がっていると固く信じつつ、常に自分の最善を尽くす努力のなかでも、圧倒的に手ごわい相手に遭遇したり、核兵器等による切迫した脅迫を受けるような国難の状況では、「リエント・アール・クラウドさま、助けたまえ、守りたまえ。フレンドリー・ユーフォーよ、助けたまえ、救いたまえ(Rient Arl Croud ! Help me ! Protect us ! Friendly UFOs ! Help me ! Help us !)」といった心からの祈りを心のなかでも、あるいは口に出しても唱えることによって、真摯に、熱烈に、助けを求めることを躊躇すべきではない。〟

他方、その「核武装論」というのは、「幸福実現党」にあっては、「幸福の科学的な言霊(ことだま)の働きの実践」であって、「教団独自の霊的な悪霊封鎖論」の一方式に他ならないというように理解するのが最適であると感じられる。それは、「現在の言説として霊的に既に有効な抑止力」であり、「日本人の魂の勇気と気概の籠った言霊(ことだま)の発出」なのであり、「現実の物理的実現工程」を俟たないし、また、待つ必要がない政策論である。何故なら、「幸福の科学第二世代」になるならば、事柄は新たな転調を迎え、「核武装論を超えた、真に宇宙論的な国防戦略」が登場し得るように思われるからである(大川隆法『「宇宙の法」入門 宇宙人とUFOの真実』幸福の科学出版, 2010, p.62-72;大川隆法『地球を守る「宇宙連合」とは何か 宇宙の正義と新時代ヘのシグナル』幸福の科学出版, 2011, p.87 以降;大川隆法『宇宙人による地球侵略はあるのか ホーキング博士「宇宙人脅威説」の真相』幸福の科学出版, 2011, p.139 以降;大川隆法『トーマス・エジソンの未来科学リーディング』幸福の科学出版, 2013, p.76-79; 大川隆法『ネバダ州米軍基地「エリア51」の遠隔透視』p.110-114, 141-143, 152, 162, 178-179参照)。

N.B. 大川隆法氏の街頭演説における不可解な発言を読み解く:
 「幸福の科学における宇宙的〝安保〟」に関して、以上のように考察を進めて来た結果、今、私は、幸福実現党総裁大川隆法氏が2012年(平成24年)年末の衆議院選挙の街頭演説の際に行なった「不可解な発言」の意味が、ようやく分かったように思う。その発言については、特に注目された訳ではないし、気付いた人がいても、その人が「幸福の科学」に同情的でない人であれば、「なんて幼稚な!」と一笑に付したであろう様な内容のものであった。その演説は、現在、書籍化されているので、それを忠実に引用してみよう。

1 国を守り、国民に希望を 2012年12月12日(水)東京都・経済産業省前にて 北朝鮮の弾道ミサイルを「迎撃できなかった」日本政府 みなさん、こんにちわ。寒いなか、ありがとうございます。今日は、みなさんもご存じかもしれませんけれども、十時前、九時五十二分に(注。当初の発表では九時五十二分だったが、その後、九時四十九分に訂正された)、北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、十時一分に沖縄上空を通過し、その数分後に、フィリピン沖に着弾いたしました。政府のほうは、パトリオットミサイル等での破壊措置命令を出していましたが、九分間では判断ができなかったようです。まことに残念なことであります。撃つのが分かっていて、撃ち落とせなかった。九分間で届いてくる間に、相談する相手がつかまらなかったに違いありません。それについて、NHKは、政府の見解として、「破壊はしなかった」と発表していました。嘘をつけ! 「できなかった」と言うべきでありましょう。」(大川隆法『日本の誇りを取り戻す 国師・大川隆法街頭演説集2012』幸福実現党, 2013, p.7-9 ; また同書p.34-36参照)。

この発言は、その文字通りの意味からすれば、「軍事的事項についても日頃研究している」とおっしゃっている大川隆法氏の見識の那辺にあるかを強く疑わせる内容であることは、日頃一般的事項の一つとして軍事情勢にも関心がある程度の私から見ても、容易に言えるのである。何故なら、政府の当初の対応策は、「北朝鮮が発射した弾道ミサイルが日本の領土・領海・領空に落下するような危険が生じた場合にはイージス艦やパトリオットで迎撃・破壊するべし」という内容のもの(仮定条件文)であって、「発射されたら必ずそれを破壊せよ」という定言的命法ではなかったからである。
従って、この場合は「破壊する必要条件が起らなかったから迎撃しなかった」というだけであって、大川隆法氏が極論するような政府の稟議体制や自衛隊の防備行動の無能・無力に依るものではない。

私は大川隆法氏を「エル・カンターレ」として心から信仰し、尊敬している者として、当初、「この発言は、やはり、本来偉大な霊能者、宗教者であっても、現実の具体的事項の細部に関しては、やはり疎い所があり、それはもっと下々の実務能力に長けた人々に委ねられるべきなのだ」といった感想で合理的理解欲を満足させていた。

実際、例えば、大川隆法氏が開宗初期の頃、一社会人時代のエピソードとして語っていた中に、「自分は車の運転免許を取る時、指導員から、二度とあなたの指導に当るのは勘弁願いたい、命が幾つあっても足りません、と言われたほど、実はブレーキとアクセルの踏み分け方もままならなかった」「自分は会社の忘年会などで余興に歌を唄う場合は、音楽的音程が全然取れない全くの音痴だったので、代りに歌詞だけは正確に覚えて、お経のような歌を披露した、そのため、余り歌の上手でない上司も私のすぐ後に登場すれば歌自慢に見えた」といった極め付きも含まれていた。つまり、このことからも、「大聖・大川隆法氏は、運動的な反応や音程調節といった、極めて肉体的、筋肉的、感覚的、反射神経的な、いわば最も知性の低い人類でも得意とするような領域では、逆に能力が低いのだ」という観察が可能となる。

また、つい最近出版された『トーマス・エジソン』(大川隆法『トーマス・エジソンの未来科学リーディング』幸福の科学出版, 2013, p.77-78)のなかにある次の一節も、この見方に関連するであろう:「エジソン 今、大川家の三男(大川裕太)が大学受験期に入ってしまったために、少し使えないけど、もうすぐ終わるから、仕事ができるようになると思うよ。彼はけっこう、乗り物に詳しいから、知っているんじゃないかね? うん。使えるんじゃないかな。大川隆法さんなんか、どうせ、新幹線の違いもろくに分からないだろうけど、彼だったら、全部、克明に乗り物の違いを説明してくれるからね。」

しかしながら、もし、大川隆法氏が、「北朝鮮の核ミサイルに対処するものとして、全く自然に、完全に実用的応用が効くものとして、「幸福の科学」の友好的UFOの超常的武器を明確に標準的にイメージしていた」のだとすれば、その発言の依って来る淵源がそこにあった、と考えることが出来るのである。つまり、彼にとっては「それが真の迎撃手段だ」という思考が日常的イメージとして習熟化しているので、当然そういうものを判断基準にして今回の政府・自衛隊の対応の外形的判定を行った、ということなのであろう、と思惟されるのである。

ここから翻って、我々は、

「「幸福の科学」と「幸福実現党」にあっては、明言もされず、宣伝もされていないけれども、友好的宇宙人との〝宇宙安保条約〟は、もうすでに、完全に、現在の営為として稼働している」

という事実をはっきりと読み取らなければならないのであり、この認識を我々の「ザ・ラースト・リゾート」として堅固に抱懐しながら、表舞台ではあくまでも理性的、現実的、協調的に理想の平和に向かって悠々と、堂々と歩を進める、という誇りある態度が求められるのである。

勿論、何時、如何なる状況で〝宇宙安保〟が発動されるか、発動できるか、といったことは、多分、「教義的機密」に属するだろうから、教団外の当局や当事者、また一般国民は、あくまでも「信仰の領域におけるザ・ラースト・リゾート」に留まるのだけれども、しかし、かえってその方が、この、本来的に宗教的な性格の安保条約に叶っているのである。

そして、もし人がこの「実利を伴う信仰」に真に立つならば、例えば外交交渉において、「圧倒的に優勢な中共の核ミサイルの照準が日本の主要都市の多くに向けられている」という状況の中でも、心の奥でパニックに陥ったり、「今のうちに亡命先を準備しておく」といった臆病風を吹かせたりすることがなく、強靭な気概と無敵の勇気を自己内奥から奮い立たせることができるであろう。

例えば、「国防 中国軍と自衛隊はどちらが優勢なのか? 実戦経験のあるアメリカの軍人はこう見ている
2013.10.10(木) 北村 淳 」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38879)のような、「もっともらしい最悪の想定」に対しても、「真の信仰者はうろたえたり、ビビったりしない」で居られるのである。


N.B.2 大川隆法氏街頭演説の霊的パワーについて:
のみならず、実は大川隆法氏の街頭演説という「氏自身の力強い発声を伴うパフォーマンス」には、既に、「強力な霊的パワー」が籠められており、その演説の語句の些少の知識的瑕疵を超克して余りある「悪霊悪魔撃退の霊力」がいかんなく発揮されているのである。このことは、上記書籍『日本の誇りを取り戻す 国師・大川隆法街頭演説集2012』に付属のDVDを視聴すれば、自らいくばくか霊的感応力を得ている人ならば、直ぐに気付かれることである。その意味で、少しでも「幸福実現党」の主張に共感を持つ人ならば、このDVDを、折に触れて視聴することは、俗世の汚辱にまみれたる自己自身の精神的浄化に役立つであろうし、同時に本人の環境の拡がりの中でも「気の世界が浄化され、ひいては、日本及び世界の悪化の阻止、その浄化・改善にも貢献する」のである。

大川隆法氏のこのような霊的パワーの発揮については、既にその活動初期の頃から顕著であった。
例えば、実際に弟子たちの「守護霊や指導霊」又は「憑依霊」を研修会の場で呼び出して、その地上生存者本人と対話させたり、守護霊の指導方針と本人の受け取り方のズレを指摘されたり、「憑依霊」が何故に他人に取り付いたりしたのか、又どうしたらそこから離れるのか、等々の具体的問題について、「完全に大所・高所から質問し、誘導し、説明し、差配し、指導し、アドバイスする」、或いは「憑依霊が人から離れる決心をしたら日蓮聖人や天台チギさんを呼んで霊界の修行場に連れて行ってもらう」等々の「霊的グランドマスターとしての水際立った、力強い言動」は、そのテープを聴く者にも、同時に「強い霊的パワーを吹き込んでくれ、心の浄化体験を得させ、明るく希望に満ちた解放感で満たしてくれる」ものである(大川隆法監修『霊道現象とは何か1 - 高橋信次救世の大復活 – ’88年幸福の科学木曜セミナー・現証篇』オーディオテープ第1巻、第2巻、幸福の科学出版、1989年、参照)。

従って、また、「生霊(いきりょう)封鎖」といった技も、大川隆法氏の霊的手法の一つである。
「私なんかも、随分、念は受けてます。やっぱり、夜、いろんな人の念(おも)いというのは、随分来ます。一定時間以上念われると、その人の顔が見えて来るんです。明らかに、生きている人でも見えてきます。だから、死んだ霊だけじゃなくて、生霊ですがね、いわゆる。生霊も随分いらっしゃいます。 来るんです、本当なんです。いろいろ悩んでる人とか、知ってる人なんか、悩んでると、顔が見えて来ます。それだけで悪い事じゃありませんが、それで積極的に害するようなあれがあると問題ですね。余り暴れている生霊というか、その人の念が、ね、非常に荒れ狂っているような場合だったら、私なんか、あの、封印することもあります。こう、輪を掛けちゃう、キューッと、ね。そしたら、本人知らないけど、急におとなしくなってるんですね。輪を掛けちゃうんです、キュッと。もう出すな、これ以上、って、やると、ウッとなって、なんか、おとなしくなってます。知らないでしょう(聴講者笑)。やってるんです、時々。時々やってるんです。やられてると思ってください、急に、何か、アレ、急に、何か、色々勢いよく言ってたのに、急に何か力抜けて来て、言う気無くなったな。どうしてかな。なーんて思ったら、やられたかも分からんと思って下さい。あのー、グワッと掛けるんです。そしたらおとなしくなっちゃうんです。」(同上、オーディオテープ第3巻)。
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§946, II-13: 「転生」を含意するノストラダムスの新たな「心身観」

大団円としての幸福の科学16 「転生」を含意するノストラダムスの新たな「心身観」

『預言集』全編の眼目と見なし得るその第10章72歌と75歌に深く関わる概念として、「再誕すなわち転生」という仏教的概念があるが、実はノストラダムスは既に、自らキリスト教的心身観を脱却して、仏教的輪廻転生を含意する新たな心身観に到達していたことが、第2章13歌の解釈から見て取ることができる。

第二サンチュリ第13詩 「転生」を含意するノストラダムスの新たな「心身観」: II-13 (§946).
魂なき身体はもはや神聖なものではなくなるだろう。
死亡の日に、魂は誕生へともたらされるのだから。
神霊が魂を至福にするだろう。
魂は永遠の相におけるコトバを観照する故に。


§946, II- 13: Transmigration theory of Nostradamus.
The body without soul shall be no more sacred.
On the day of death the soul given a new birth.
The divine spirit shall make happy the soul
who is contemplating the word in its eternity.


Le corps sans ame plus n’estre en sacrifice.
Jour de la mort mis en nativité.
L’esprit divin fera l’ame felice
Voiant le verbe en son eternité.    

神聖なもの」の原語は、sacrifice で、英語と同様、通義は「犠牲」であるが、その語源的意味は「神聖にする → 神聖にされたもの、L. sacrificium, sacred + make」(Obunsha)であるから、本詩文脈に適合し得るこの意味を採用した。

死亡の日に」の原句は、単に、jour de la mort, the day of death であるが、これは、当然、前置詞のない時の副詞句と取っていい。

 この一行目「魂なき身体はもはや神聖なものではなくなるだろう」という命題は、キリスト教的教義に合致しているか否かを問えば、信者であるなしに関せず、殆ど全員が、合致しているに決まっている、と答えるような気がする。しかし、時の限定がこの問題に深く関わっていることを忘れることは出来ない。つまり、一体どれ位の時間が経過すれば、死における心身の分離が完全なものになるのか?という問題が正しく答えられる必要があるのである。仏教的にはかなりはっきりしている。というのも所謂「お通夜」という習俗などからも推測されるように、およそ一昼夜程度の時間が経過すれば、心臓死から始まった死のプロセスが真の意味で完結し、身体と霊魂の分離が不可逆的に確定すると考えられるのである。従って哲学者・梅原猛氏等が強く主張する「脳死」=「生命」論は、本人の自発的意思に基づく自己生命体の犠牲的奉仕行為として臓器移植のための臓器提供を法的に認めるとの社会的譲歩を余儀なくされている点を除けば、仏教的真理の立場からは当然である(梅原猛・原秀男・光石忠敬・米本昌平「輝ける少数意見!それでも脳死は人の死ではない」月刊『諸君!』 文芸春秋社、1999年7月号、pp.174-184)。

 では、キリスト教的にはどうなのか。心身が実体としては別物である、と考えられているのは疑問の余地がないが、更に突っ込んで、では死において何時心身は完全に分離するのか?第一に典拠とすべき『聖書』に従ってこの問題を追及すると、意外な結論に到達せざるを得ないのである。それは「キリスト再臨問題」と深く関係する。即ち、キリスト再臨の教義支持の立場に立てば、

再臨
 →  復活 →  審判(より詳しくは、再臨 →  第一の復活 →  千年王国 →  第二の復活 →  最後の審判)

という人類史の終末のプロセスの中で、第一の復活に与かるキリスト教の聖人と殉教者を除く一般人は、第二の復活の時点到達以前は、「復活前状態としての死の状態」に留まっている。これは「ただ乾いた骨に化してしまっている者でも生前の肉体相において蘇る」復活を今か今かと待ち望んでいる状態であるから、その肉身蘇生という線上で推測すれば、「一片の白骨が復活の可能性を持つ」わけであって、その限りにおいて、この教義思想の中では、死者の屍体や遺体、遺骨の持つ意味は感覚的には極めて重く、「神聖なもの」としての価値を有するほどのものであろう。

また、キリスト教史的に見ても、特に聖職者や有力者の遺体の取扱いには、明らかに、「遺体神聖視」の感情が認められ、これは「イエス・キリストの磔刑とその無惨な肉体の栄光に満たされた蘇生」という復活の教義・信仰と不可分となっており、この<原復活>を典型にして、<第一の復活>も、<第二の復活>も思念されており、従って、一般信徒・俗人の死体についても、基本的に、同様の神聖感情が伴っていることは否定し難いところである。

そして、このような基本線の上に、前に取り上げた『預言集』第10章74歌 (§940,X-74) の四行目:
Que les entres sortiront de leur tombe. 中に入っていた者たちがその墓から出て来るであろう
を置く時、これが紛れもなく死者の復活として解釈されるのは、その限りにおいては当然である。

例えば、現代の最もポピュラーなノストラダムス研究者の一人であるフランスのジャン・シャルル・ド・フォンブリュヌは明確にこれを『ヨハネの黙示録』第20章に告げられている「第一の復活」と解釈している(Fontbrune,1980, pp.281-282)。只、その場合、アウグスチヌスの、

<イエス誕生 磔刑 復活 昇天[キリスト第一来臨]
 →  教会的キリスト信仰[第一の復活]の機会がある中間不定期間を象徴する千年王国 →  キリスト再臨・第二の復活・最後の審判>

という解釈(アウグスティヌス『神の国(五)』服部英次郎・藤本雄三訳、岩波文庫版, 1991, pp.134-165)に沿うカトリック的通念に従っているため、未来不定時の「キリスト再臨」の詩篇同定及び解釈が欠けているのは極めて不完全である。

それに、若し本当にアウグスチヌスの解釈に忠実であるならば、その「第一の復活」は「墓から出て来る」式の肉身蘇生ではなく、「恩寵の命を得させる洗礼」のことである(バルバロ訳『口語訳旧約新約聖書』ドン・ボスコ社, 東京, 1964, 「新約聖書」p.460 脚注参照)。そして、そこでも、終末における第二の復活は文字通りの肉身蘇生として以外には想定されていない。よって、この『預言集』第10章74歌の四行目は、フォンブリュヌのように文字通り「肉身蘇生としての復活」としてよりも、先に我々が行ったように、単に「諸故人の霊的顕現」として解釈した方が妥当であることが分って来る。

そして、これとの関連において、第2章13歌の解釈を位置づける時、以下のような考察が妥当性をもつことになるであろう。

即ち、このような「死体の神聖な運命」の可能性が純理論的には『聖書』の記述から引き出され得ると共に、同時に他方において、キリスト教的には「死者の霊魂の近未来的行方の不明性」が色濃く印象づけられている。つまり、仏教的輪廻転生観によれば、一度身体から死において分離した霊魂は、その期間は色々議論があるにしても、とにかく物質世界とは違う異次元世界(霊界)に赴く(仏教以前のウパニシャッドの或る思想家は、転生とはあたかも一匹の森の蛭が一枚の木の葉から別の木の葉に移るようなものと説き、敢えて異次元滞在を認めなかったが)ものと想定されるのであるが、この点、キリスト教的にはどうなのであろうか。

死者の霊魂も、例えカトリック的に洗礼による恩寵の命を、<その永遠の相のもとにある言葉>、即ち天国のキリストの傍らに限り無く近在せしめるとしても、最終的には、最後の審判までは、天国か地獄かの去就、又は、肉身蘇生が、確定し得ないこととなっているために、それ以前の状態については、はっきりしたイメージが描かれていないと言わざるを得ない。従ってそれは、「乾いた白骨の存在状態」と一体とも見なされるのであって、霊肉峻別の厳しい理念的思想とは裏腹に、現実のキリスト教的死生観は、生者も死者も、「霊肉一如・霊肉未分」という状態以外の姿を想像し得ないことになってしまっているのである。

ただし、ダンテの『神曲』には既に明確に描かれている、いわゆる「煉獄」の思想が、キリスト教社会に導入・浸透されて来た結果として、今度は死者の霊魂の最終運命の去就未定状態が、全面的に煉獄内滞留状態とほぼ完全にオーバーラップされ、且つ歴史的人物がもう地獄や天国に住んでいるという『神曲』の描写の強い印象が相伴って、理論的未決着問題を、いわば、うまくオブラートに包んでしまっており、聖人や殉教者たちは死後直ちに天国においてイエス・キリストの御許に赴くはずであるといったアウグスティヌス的解釈に依拠する希望的観測とも相乗されて、通用している如く、先の我々の問い:「魂から切り離された身体はもはや神聖なものではなくなっている。」という命題は、キリスト教的教義に合致しているか否か?という問い自体が全くのナンセンスであるかのような錯覚さえ生み出すという逆説的事態に立ち到っていると言わざるを得ない。

そして実際のところ、ダンテの『神曲』がキリスト教教義の天才霊感詩人による非教会的修正である(この点については、ジャック・ル・ゴッフ著、渡辺香根夫・内田洋訳『煉獄の誕生』法政大学出版局、1988、参照)とするならば、同様に、ノストラダムスの本四行詩第2章13歌も稀代の大預言者によるその基本的な理論修正であると言わなければならない。而して両者はほぼ同様の内容を持つわけである。「魂なき身体はもはや神聖なものではなくなるだろう。死亡の日に、魂は誕生へともたらされるのだから。」

これは、キリストの再臨問題を真剣には受け取らない、という恐るべき怠惰な信仰心の問題が未解決ではあるが、現在では既に事実的に常識となっているキリスト教的真理であると言えるであろう。つまり、ノストラダムスのこの詩は、単に事実的に通用して来ている習俗的信念を、真理命題として言明化したものである。何故なら、ここで言われている「誕生」というのは、輪廻転生論的な意味での「この世への再生」ではなくて、単に「往生」つまり、「あの世に往きてそこに新生する」ということだからである。

神霊が魂を至福にするだろう。魂は永遠の相におけるコトバを観照する故に。」

永遠の相におけるコトバ>とは、勿論、第一にイエス・キリストの霊界における曇り無き存在であるが、この点だけから見てもこの詩では第一の復活と第二の復活の区別が撤廃されており、更に、第一の復活もキリスト再臨を介在させずに想定されていることになる。この点までは、まさに、既に事実的に通用しているキリスト教的通俗信念の命題化以外のものではない。

 従ってそれは、もう一歩を理論的に徹底すれば、<最後の審判の結果の最後ではない実施>をも当然含意するであろう。

つまりこのように復活という<天国への往生>があれば、逆に<地獄への往生>もあるとしなければ均衡が取れないことになるはずである。結局、ノストラダムスはこのようにしてキリスト再臨問題を御破算にしようとしているものと推定し得る。

何故なら<死者達の復活を含意するキリスト再臨の約束>というのは、その歴史哲学的真理からすれば、<明言詳説はされずに単に緊急避難的に直観的に告知された転生システムの普遍性>以外のものではないからである。

そして、ノストラダムスの、このような、「非キリスト教化のプログラム」は、事実的キリスト教習俗信念の合理化を超えて、更に、一層先まで進み、紛う方なき仏教的輪廻転生観との合致にまで達するのである。事実、先に見た如く、大川隆法氏に関してではあるが、ノストラダムスは、明確に「ラ・ムーという古代霊の再誕」について語っていた。「往生」と「再生」を以て、一連の「輪廻転生」が完成する訳である。かくして、この詩は、ノストラダムスが古代ギリシアの哲学者プラトン等と同様、「霊眼」を以てする「霊界探訪」をして悟り得た「実相世界」についての「未来認識の地平へと投じられるべき先見的事実報告」であろう。
[初出:二瓶孝次「幸福の科学の仏教論的意義(10)」北海道教育大学紀要IA,vol.50-2, 2000, pp.1-3。一部改稿]
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§944, X-72 & §945, X-75: 再臨の債務と履行 (1999-2000)

大団円としての幸福の科学14-15

ここでは、あたかも『預言集』冒頭の二篇の四行詩が相伴う聯詩であった如く、これら同じ第十サンチュリで互いの至近に位置する二篇を、完全に相互に浸透しているペアと見なして解釈するのが最善の方法である。それは、解釈の結果によって御納得いただけると思う。

第十サンチュリ第72詩  キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7): X-72 (§944).
1999年に、7ヶ月経って、
天から一人の大王が「実費支払人」として到来するだろう、
そしてかの大王ダンゴルモアを再生させるだろう。
その前後、マルスは運良く支配するだろう。


§944, X-72: A great King Dangolmois (1999.7)
In the year nineteen ninety-nine seven months having elapsed,
From the heaven shall come a great King as defrayer
To resurrect the great King Dangolmois.
Before after Mars shall reign in luck.

            
L’an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roy deffraieur
Resusciter le grand Roy Dangolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.
                                                     
第十サンチュリ第75詩 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000): X-75 (§945). 
待望久しき人は、ヨーロッパの中へ
決して戻って来ないだろう。アジアに、
大ヘルメスの系譜の連盟の一人が出現するだろう。
そして東洋諸国の全ての王を凌駕するだろう。
     
§945, X-75: One great King of Asia issuing from Greece (2000)
A so expected shall never return
in Europe, in Asia shall appear
One of the ligue issuing from the Great Hermes,
And promote himself above all kings of oriental countries.


Tant attendu ne reviendra jamais
Dedans l’europe, en Asie apparoistra
Un de la ligue yssu du grand Hermes,
Et sur tous roys des orientz croistra.
 
このように和訳した場合、特に72詩は従来の大方の訳詩とは随分、面目を異にした感じがするだろうが、それは、第一に、テクストの採用に関して、ノストラダムス書誌学の最新の知見を取り入れた為であり、そした第二には、そのテクストについて入念な解釈を実行した為である。

テクストに関しては、ノストラダムス・テクストの書誌学的研究において当代随一の、フランス国パトリス・ギナールの研究成果(e.g. Patrice Guinard, Chronologie des éditions Benoist Rigaud de 1568, Corpus Nostradamus 40, 2006-2011; Id., Introduction à l’édition du second livre des Prophéties, Corpus Nostradamus 82, 2007-2011 )を活用した。それに拠って、私は、フランス国グラース図書館所蔵の「ブノワ・リゴー1568年版」(本研究テクスト・リスト№3)(Propheties On Line (http://www.propheties.it/), Digital Library: 1568-002)を、現在最も信頼性が高い本詩原文として採用した。

そこで、X-72詩に関し、従来のものと決定的に異なる点が二つある。いずれもアポストロフィーの有無に関するものである。

一つは、un grand Roy d’effraieur が、un grand Roy deffraieur となっている点。
もう一つは、le grand Roy d’Angolmois が、le grand Roy Dangolmois となっている点である。
(このグラース版テクストと同じものに、Stockholm 版(Propheties On Line (http://www.propheties.it/), Digital Library: 1568-003), Jaques Rousseau 版(Propheties On Line (http://www.propheties.it/), Digital Library: 1590-001)がある。又、パトリス・ギナールの「第十サンチュリ試版」(Corpus Nostradamus 83)もこれと軌を一にする。これは単なる印刷不明瞭の蓋然的判別の推定結果ではなく、決定的に明瞭な印字の確証である。)

その結果、第一点に関しては、「一人の恐怖の大王」という従来の読みが、「他の人に代って実費を支払う一人の大王」といった全く別の意味になる筈だ。何故ならdeffraieurというノストラダムスの表記は、「ゴドフロワ古仏辞彙」では「desfraieur」に該当し、「実費を支払う人 celui qui défraie, he who defrays 」(Godefroy)[défrayer (人の)費用を支弁する](Suzuki)「to defray〔費用・経費など〕を支払う (pay) 」(Obunsha) という意味だからである。

又、第二点に関しては、「かのアンゴルモアの大王」という読みが、新たに、「かの大王ダンゴルモア」と読むべき様になる。つまり、従来は「アンゴルモア(大文字のイニシャルA)」は大体「地名アングーモア」ないし「モンゴル系人」を表すと考えられていたが、「かの大王ダンゴルモア」となると、「ダンゴルモア(大文字のイニシャルD)」は「かの大王の名前・固有名詞」ということになる。

以上を前置きとして、以下、個別の事項の検討に入ろう。

 先ず、72歌一行目の、l’an mil neuf cens nonante neuf = the year thousand nine hundreds ninety nine は、前置詞の無い、「時の副詞句」であって、「1999年において, in the year 1999」という意味である。次の sept mois = seven months は、 mois が単複同形の複数であるから、「7ヶ月, seven months」ということであるが、これを「7ヶ月間, for seven months」と解すると文脈上適合しないので、sept mois passés または sept mois révolus の省略形と見て、「7ヶ月過ぎて」「7ヶ月経って」の意味と理解することにしたい。例えば、第1章48歌 (§941,I-48) の vingt ans …passés([月の支配の]20年が過ぎて)という表現、或いは第10章74歌 (§940,X-74) の、an révolu (一年が過ぎて)という表現を参考にして良いであろう。この読み方はイオネスク氏が提起している。しかし、前節で見たように、彼はこの年月(日)を「フランスの将来を担うべき大王の誕生日たる皆既日食の日(1999.8.11)」としており、「食」一般の凶性を説く『預言集』ノストラダムスの精神とは相容れない解釈となり、結果的に「悲惨な帰結に到った」から、その内容は採用できない。

では、何故「7ヶ月」なのかと言うと、多分、「1999年が半年経っても」「その半ばを過ぎても」というニュアンスの表現と思われる。フランス語で面白いのは「2週間」のことを14日ではなくて「15日quinze jours, fifteen days」と言うが、そのような感じで「半年」のことを6ヶ月ではなくて「7ヶ月」と言ったのであろう。

 次に、二行目と三行目であるが、原文を直訳すれば、「天から、実費を支払う一人の大王が到来して、かの大王、ダンゴルモア、を蘇生させるだろう。」となる。ここで先ず留意すべきなのは、二行目の un grand Roy, a great King 及び三行目の le grand Roy, the Great King を文字通り「大王、つまり一人の人間としての社会に於ける最高指導存在」として理解すべきであって、<人間以外の自然的ないし人工的存在や現象・事態>として解すべきではない、ということである。何故なら、ノストラダムス『預言集』に於ける un Roy (a King), le Roy (the King), des Roys (Kings), les Roys (the Kings), un roy (a king), le roy (the king), des roys (kings), les roys (the kings) 等の用例[全部で123 例]中に、人間存在以外のものを比喩的に表現しようとしている例は全く一つも存在していないからである(X-72詩の2例も含む)。つまりそれらの用語は必ず、文字通り「王、君主、主権者、支配者、実権所有者、最高指導者、最高権威保持者、王者的人物、等々」を指しているのである。そしてこのガイドラインに沿って解釈を進めて行くならば、解釈の達成は相当確実・容易となる。逆にそれを比喩と取って人間以外のものへと解釈対象を拡散してしまうと、「歴史的唯一性に焦点化したオートクチュール仮説(これは私が提起したもので、ノストラダムスの各預言詩は、あたかもオーダーメイド服が注文者に合うように、該当事件にピッタリ合うものだという考え方。これに対して、私が「プレタポルテ仮説」と呼ぶのは、ノストラダムスは全く出鱈目に作詩し、ただ極めてあいまい、且つ多義的な表現を用いた為、歴史上の様々な出来事の中で「的中したように見える」ものが偶々存在するだけ、というノストラダムス預言否定論者の理屈。)に基づく解決」は遠のくばかりになってしまうであろう。以下に、各用例の歴史的該当人物を掲げておきたい。

「王」の用例121例の分類
X-72詩には「王」(Roy = King) という語が二度出て来るが、ノストラダムス『預言集』の中では他に121回の使用が認められる。依って、合計123回の用例が存在することになる。そこで、X-72詩以外の121例について、それらが全て「人間としての王、君主又は王的指導者、元首等」を表す事、逆にいえば「飛行機のような物体」等を表す例は無い事を確認しよう。そのことから、X-72 詩についても全く合理的に同趣旨の事が言えると期待されるだろう。

1. アンリ2世(I-10, IV-34, IV-77, IV-87, VI-71, IX-22).
2. フランソワ2世(I-13, III-41).
3. シャルル9世(VIII-38, VIII-52, IX-81, XI-97).
4. アンリ3世(I-85, III-50, VI-94, X-28, X-44, XII-56).
5. アンリ4世(IV-57, VII-15, IX-36, IX-73, X-44, X-45, XII-56).
6. フェリペ2世(IX-22, X-95).
7. 1570年キリスト教連合艦隊司令長官ザンネ(III-89).
8. ルイ13世(IV-16, IV-86, VI-75, IX-73, X-80).
9. ルイ14世(I-97, II-7).
10. ルイ15世(VI-18).
11. チャールズ1世(VIII-37, IX-49, X-36).
12. クロムウェル護国卿(VIII-76).
13. ジェームズ2世(IV-89).
14. ウィリアム3世(IV-89).
15. ルイ16世(II-2, V-37, VI-23, VI-92, IX-21, IX-23, IX-77, X-16).
16. ルイ17世(X-9).
17. ロベスピエール公安委員(IX-17). 
18. カルロス3世(I-99).
19. カルロ・エマヌエレ4世(VIII-88).
20. ジョージ2世(III-78).
21. ジョゼ・マヌエル王(I-99).
22. シャー・アシュラフ(III-77).
23. ナポレオン・ボナパルト統領・王・皇帝(I-52, II-69, IV-22, IV-54, V-13, V-77, VI-46, VIII-32, VIII-62, IX-33, X-21, X-22, X-86, X-87).
24. ルイ18世(VI-1, X-22, X-86).
25. シャルル10世(IV-45, VI-84).
26. ルイ・フィリップフランス人の王(IV-64, V-6, VI-14, IX-7, IX-57bis).
27. マッツィーニローマ共和国臨時政府執政官(VIII-99).
28. サッフィローマ共和国臨時政府執政官(VIII-99).
29. カッターネオローマ共和国臨時政府執政官(VIII-99).
30. ルイ・ナポレオン大統領・皇帝(V-6).
31. マクマオン大統領(VI-53bis, VI-54).
32. グレヴィー大統領(V-97).
33. カルノー大統領(V-17bis).
34. シャンボール伯(III-91, IX-8).
35. フランツ・ヨゼフ1世( X-63).
36. ヴィットリオ・エマヌエレ2世(VIII-44).
37. アマデオ王(VI-51).
38. ヴィクトリア女王(IV-99).
39. ヴィルヘルム1世(IV-100, V-84).
40. ニコライ2世(V-54).
41. アマデオ戴冠式の外国君主代理者達(VI-51).
42. 1874年ミケーナイ出土古代黄金マスクが象徴する或る王(IX-84).
43. フランス共和国暫定政府(GPRF)首班ド・ゴール(VIII-90).
44. ヴィットリオ・エマヌエレ3世(II-71).
45. ウンベルト2世(VIII-66).
46. ムッソリーニ統領(IV-35, VI-31, VI-36).
47. ゲオルギオス2世(IV-38).
48. ヒンデンブルク大統領(X-66).
49. ヒトラー首相・総統(II-36).
50. ルーズヴェルト大統領(VI-15).
51. ニクソン大統領(VI-24).
52. ケネディ大統領(VIII-73, VIII-74).
53. レーニン人民委員会議長(V-52).
54. スターリン人民委員会議長(VIII-92, IX-90).
55. シャー・パーレヴィ(IX-92bis).
56.20世紀 諸国元首達(III-18, III-26, IX-90, X-75).
(「王」(king or kings) 一語が IX-22詩で2人、I-99詩で2人、VIII-99詩で3人に該当するため、挙掲詩延べ数は121+4=125になっている。)

従って、二行目の un grand Roy, a great King は単数不定冠詞付きとして文字通り「或る一人の大王」を意味するし、三行目の le grand Roy, the great King は、単数定冠詞付きだから、「かの大王、例の大王」と言った意味のものである。そして、それに「ダンゴルモア Dangolmois」という固有名詞が「同格に in apposition」置かれている。しかも両者の関係が resusciter という語によって示されている。resusciter は ressusciter であろうから「蘇生させる to resurrect、復活させる to revive」の意味である。従って、骨格的意味は、「或る一人の大王があの大王ダンゴルモアを蘇生させる」となる。ここで、「蘇生させる」とはいかなることであろうか。重要なのは、両者とも、具体的個別的人間存在であるということであり、しかも、後者は過去に名の知られた歴史的存在としての人間であるということであるから、可能な解釈としては、前者が後者の生まれ変わりという関係のみであろう。即ち、「或る一人の大王が、あのダンゴルモア大王の生まれ変わりとして出現するであろう」ということが語られていると解釈されるのである。

 では一体、「あのダンゴルモア大王」とは歴史上の誰なのか。また「或る一人の大王」が du ciel viendra, from Heaven shall come (天からやって来る)とはどういうことか。更に「或る一人の大王」と、これも矢張り、同格的位置にあって形容している語 desfraieur, defrayer ](実費を支払う人)とは何の意味なのであろうか。そしてまた、これらのことと、一行目の年月の規定とはどのように関わるのであろうか。

 これらの細部まで追求するためには、ペアのパートナーである75歌を参照し、肝胆相照らし、有無相通ずる妙手に訴えなければならない。即ち、第1章1歌と2歌のペアの場合は、事柄の記述の展開の総合といった形で両詩の一体化があったが、今回は、言わば完全なドッキングといった、より融合的な形の総合を案出すべきと考える。つまり、72歌と75歌とを並べた上で適合部分を横に繋げるのである。次のようにである。

L’an mil neuf cens nonante neuf sept mois tant attendu ne reviendra jamais dedans l’europe.
Du ciel viendra un grand Roy deffraieur resusciter le grand Roy Dangolmois;
En Asie apparoistra un de la ligue yssu du grand Hermes et sur tous roys des orientz croistra;
Avant apres Mars regner par bon heur.
 
In the year nineteen ninety-nine seven months having elapsed, a so expected shall never return in Europe,
From the heaven shall come a great King as defrayer to resurrect the great King Dangolmois.
In Asia shall appear one of the ligue issuing from the Great Hermes, and promote himself above all kings of oriental countries.
Before after Mars shall reign in luck.
                                       
1999年に、7ヶ月経って、待望久しき人は、ヨーロッパの中へ決して戻って来ないだろう。
天から一人の大王が「実費支払人」として到来するだろう、そしてかの大王ダンゴルモアを再生させるだろう。
アジアに大ヘルメスの系譜の連盟の一人が出現するだろう。そして東洋諸国の全ての王を凌駕するだろう。
その前後、マルスは運良く支配するだろう。
     

 そうすると、では、「待望久しき人」とは誰か。この場合tant attendu, so waitedを「待望久しき人(かくも待ち望まれている者)」と訳すのはtant attenduをun tant attendu, a so waited 又はle tant attendu, the so waited と見るからである[第5章96歌 (§158,V-96) にl’attendu, the waited (待ち望まれし者)とあり、16世紀フランス宗教戦争の終結を期待されたアンリ四世と解される (cf. Dufresne, 1995, p.258-259)]。

ノストラダムス時代のフランス語は未だ形成途上にあって、特に不定冠詞は常に使うとは限らず、例えば先に第1章1歌で見た secret estude の場合も冠詞が無く、また性の一致も厳密なものではない用例が時たま見られる。それだけでなく、tant attendu を名詞句と考えないと、ne reviendra jamais dedans l’europe の主語が他には見当たらないことになってしまうから、必ずこれは名詞相当句と取るべきである。そして、勿論我々はここで、ノストラダムス『預言集』の精神的背景を成すキリスト教的世界観・歴史観の中で「かくも待ち望まれている者」が誰であるかは、<再臨すべきイエス・キリスト>以外に候補は居ないと言わざるを得ない。

 先に我々は、ノストラダムスの大局的紀年法の体系構成においては「キリスト紀元(A.D.;ANNO DOMINI 主の年々)」が採用されていることを見た。実際、「アンリ2世への手紙」(1557年)の中でノストラダムスは、紀元前の年代特定を聖書の諸記事から求める試みを一通りしながらも、確実なことは言えないとしており、ただ「イエス・キリストの贖罪」を起点とする紀元後の年代だけが確実であると述べていた。そしてノストラダムスは大局的歴史記述者らしく、物事を1000年単位で区切って見ている。その中で、A.D.2000年間は第6千年紀第7千年紀と位置づけられており、来たるべき第8千年紀へとノストラダムスの視野は推移しつつあり、その境界地帯にいま彼の預言的精神が集中しているかのようである。ここにおいて、第7千年紀を印づける最も代表的な年号の一つである 1999 年という特定の年号がこの四行詩組の中で帯びる意味は甚だ重い。それは、より明確な言葉で焦点を絞りつつ「イエス・キリストの再臨問題」がここでのテーマであることを語っているのである。そしてなお驚くべきことは、その問題への回答が、否定的に与えられているということである。「1999年において、7ヶ月経っても、かくも待ち望まれている者は、ヨーロッパの内に決して戻っては来ないであろう。」とはっきり宣告されている。

reviendra (戻ってくるだろう)という正直な言葉遣いだけに、特に信者にとっては、その ne…jamais(決して…無い)という強い否定形はショッキングなものであろう。のみならず、「1999年において、7ヶ月経っても」という時間規定は、今後の将来的可能性をも残さない否定の意味の拡大であろうから、要するに、この否定は、「イエス・キリストの再臨の可能性の完全な決定的否定」ということになる。しかし、勿論これは『新約聖書』(e.g.『マルコ伝』XIV,62;『使徒行録』I,11)において、「雲に乗じて消え去ったイエス・キリストが、やがて、同じく雲に乗じて戻ってくるであろう」という態様の再度のイエスの到来を完全否定しているだけであって、それ以外のことには及んでいない。

そして、更に注意すべきは、dedans l’europe (ヨーロッパの内部には)という限定である。「ヨーロッパという限られた地域内には決して戻って来ない」ということから、何が帰結するか。勿論我々は何も材料を持たないが、詩文は明らかに語っている。即ち、

 「アジアに、大ヘルメスの系譜の連盟の一人が出現するであろう。そして、彼は、東洋の国々の全ての王の上に凌駕する者となるであろう。」と。

これは、「イエス・キリスト」ではないが、多分、イエス・キリストにも匹敵するような、即ち「メシア的権威を持つ人」が、アジアには出現するであろう、という神託であって、具体的には、「東洋の国々の全ての王の上に凌駕する者となるであろうような、大ヘルメスの系譜の連盟の一人」と言われている。ここで、「東洋の国々の全ての王の上に凌駕する者」という規定と、「イエス・キリストにも匹敵するような、メシア的権威を持つ人」という規定とを結合すれば、まさに「東洋における仏陀」の存在を想定せざるを得ないであろう。しかし、そういう「東洋的要素」に対して、「大ヘルメスの系譜の連盟の一人」という規定は矛盾するのではあるまいか。「ヘルメス」と言えば、ギリシアのオリンポス12神の一人として著名な神であり、ギリシアであるならば東洋(オリエント)、アジアということにはならないのである。そもそも「アジア」とか「オリエント」とかいう地域指定を行った張本人がギリシア文明に中心化した人々であって、ヨーロッパとはその直系であろう。

しかし、我々はここで、最もアジア的・仏教的な、「生まれ変わり」「転生」という存在生命システムの概念に訴えて、この矛盾を解消することが出来ると思われる。既に我々は72歌の解釈の中で、resusciter(ressusciter)「蘇生させる」を「生まれ変わり」の意味で押さえておいた。そして「天から一人の大王が到来するだろう、そしてかの大王ダンゴルモアを再生させるだろう。」と解しておいた。そこに照合すれば、「大ヘルメスの系譜の連盟の一人」というのは、「ギリシアにも転生したことのある魂の多くの転生経験の中の一転生としてのアジアにおける今回の出現」というように理解すれば、地域的矛盾は解消される。しかも、既に連綿として論考して来った我々の主テーマたる「幸福の科学」及び「その最高指導者大川隆法氏」との関連からこの点を追究すると、言わば、答えは向こうからやってくる程にも明快となる。そこで、大川隆法氏の割合最近の転生履歴は回顧的に辿ると、

 <大川隆法=エル・カンターレ[日本]← ゴータマ・ブッダ[インド]← ヘルメス[ギリシア]← オフェアリス[ギリシア]← リエント・アール・クラウド[インカ帝国]← トス[アトランティス大陸]← ラ・ムー[ムー大陸のムー帝国]>

というようになると言われる(大川隆法『太陽の法』pp358-359。なお、ヘルメス及びオフェアリスの実像については 大川隆法『愛から祈りへ-よみがえるヘルメスの光-』幸福の科学出版, 1997, 第4章参照)。

ここから我々は多くのことを理解することが出来る。先ず、75歌三行目の la ligue yssu du grand Hermes(大ヘルメスの系譜の連盟)という一見不可解な、取りつく洲もないような表現は、実は「転生して個体化した各魂経験のグループ」を意味しており、この場合は<大川隆法=エル・カンターレ、ゴータマ・ブッダ、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムー>という7者の集合を、その内の一人であるヘルメスを代表として、「大ヘルメスの系譜の連盟」と言っているのである。従って、今回アジアに出現するそのうちの一人とは、エル・カンターレ大川隆法氏ということになる。

では、いよいよ核心へと入って行くことになるが、そういう文脈に於いて、72歌二行目の un grand Roy deffraieur とは、大川隆法氏ということになる。すると、大川隆法氏がその再誕者とされる le grand Roy Dangolmois(かのダンゴルモア大王)とは誰なのであろうか。もしかして上記 ligue (リーグ、連盟)のなかに該当者は居るであろうか。

ここに我々は、ノストラダムス預言詩の最も華やかにして奥深い意義を蔵する役割を担う「アナグラム」の問題に直面するに至った。即ち、可能であるならば、Dangolmois (ダンゴルモア)を一個のアナグラム(字謎)と見て、その分析を果たすべき時に至ったのである。

もう既に音韻の微かな響きが聞こえているはずである。<ラ・ムー>というような音響が確かに<Dangolmois ダンゴルモワ>という音声連続の中に捻り入れられているような予感がある。ここで Dangolmois という字母を、アナグラム規則に則って、並べ変える工夫をすれば、signé la moo という字並びを得る確率は大きいが、これを、le grand Roy signé la moo と一連に並べ合わせると、「la moo(ラ・ムー) という署名がしてあるその大王、ラ・ムーの特徴が見られるその大王」と読めるのである。

何故なら、Dangolmois は、signd la moo という並びへと、単純変換できるが、ここで、「一字代替可能」という伝統的なアナグラム規則(cf. Torné-Chavigny, 1862, p.61; Leoni, 1982, p.113)に従い、d 字を、é 字で置換して、signé la moo (signed la moo) とすることが許されるからである。そうすると、それは、「la moo という署名が入った~、署名入りの~」という意味になる。また,延いては、比喩的に、「la moo という特徴が見られる~」という意味にもなる。

そして、この la moo については、「モア大陸。のちの名をムー大陸といいます。ムーは、太平洋上に浮かぶ大陸でした。ムー大陸が、その最盛期を迎えるのは、ラ・ムーの時代でした。ラ・ムーとは、何代か前の釈迦の過去世です。また、ラ・ムーとは、「ムーの光大王」という意味をもっています。ラ・ムーの時代に、ムー大陸は、巨大な大帝国となったのです。もともとは、モア大陸と呼ばれていたのですが、ラ・ムーの時代に、その名をとって、ムー大陸、ムー文明としました。」(大川隆法『太陽の法 エル・カンターレへの道』幸福の科学出版, 1997, PP.260-265)《 The name La Mu means,“the great king of the light of Mu.”Although the land was originally called the Moa continent, both the continent and its civilization came to be reffered to as Mu during the age of La Mu. 》(Ryuho Okawa, The Laws of the Sun, IRHpress, Tokyo, 1990, p.163) という大川隆法氏自身の霊感的書物の記述との合致を認めることが出来るのである。

即ち、la moo という綴りは、La Mu(ラ・ムー)及び Moa(モア)の両義を暗示しており、「もともとモアと呼ばれていた大陸の大王ラ・ムー」を意味する蓋然性が極めて大きく、その他の有意味な解釈は殆ど想像出来ない。

従って、この解釈によれば、「かのダンゴルモア大王」とは、「大川隆法氏の過去世の一人であるムー大陸の大王ラ・ムー」ということになる。

このように、詩の「 the great King Dangolmois 」という表現は、英文『太陽の法』の記述“ the great king of the light of Mu ” にほぼ正確に合致するものとなっていることが分る。

では、その転生者とされる un grand Roy deffraieur(実費を支払う一人の大王)とは、いかなる意味になるのであろうか。ここでは、就中、deffraieur(実費を支払う人)の意味が正確に把握されなければならない。この語は、後の版では d'effraieur (恐怖の)となっている例があり、「恐怖の大王」といった語句として多くの物議を醸して来ているが、公刊され一般にアクセス可能な最も古い版ではそうではなく、我々の取り扱う deffraieur(実費を支払う人)の形になっているのであり、これを正しく解読しなければならない。

この、deffraieur(実費を支払う人)という語の中心的意味は、「他人の分を代わって支払う」というものであって、元来自分の債務を支払うということではない点に注意しなければならない。では、この大王は、一体、他の誰の債務を代わって弁済すべく引き受けるのであろうか。それは当然、両詩を通じた主テーマ、つまり再臨問題の当事者であるイエス・キリスト以外には誰も居ない。では、イエス・キリストのいかなる債務がここで問題になっているのであろうか。

そもそも、先にも述べたように、再臨におけるイエスは、文字通り、「雲に乗じて、天から、戻って来る」と信者に期待されているから、それを背景にして、72歌二行目の du ciel viendra (天から到来するだろう)という表現が使われていると思惟される。つまり、この表現は、「『聖書』への言及による歴史的比喩の一種」であり、大川隆法氏が実際に「雲に乗って天からやって来る」ということを言おうとしたものではなく、「イエス・キリストの再臨にも似たメシアの到来が大川隆法氏において見られる」ことを言おうとしているのである。つまり、相詩75歌二行目に言われている apparoistra (この世に出現するであろう)という意味と同じであると理解されるのである。 

では、最後に残された問題として、イエス・キリストの残したその負債とは何であるのだろうか。そして大川隆法氏がイエスに代わって実際の支払いをするとはどういうことなのであろうか。答えは、勿論、これら二つの詩を貫く主題たる「キリストの再臨」問題の最終的解決以外には無いであろう。即ち、イエス・キリストへの帰依者達が待望するキリスト再臨の課題は、イエス・キリストが世界史に残した課題として、未決のままであったが、その中心的趣旨の実現が、東洋の精神的盟主たる仏陀の再来としての大川隆法氏の「幸福の科学」における宗教活動を通じて果たされようとしている、つまり、キリスト(ヨーロッパのメシア)の人類史的課題は、第8千年紀に向かっては、新たな仏陀としての大川隆法氏というアジア的メシアの出現を通じて遂行されつつあるということである。実際、既に見たように、『預言集』第5章53歌 (§942,V-53) においては、<大メシアの法>としての<太陽の法>が示されているが、『太陽の法』とは、「幸福の科学」総裁大川隆法氏の主著にほかならない。

「その時が到来したのだ。まだ気づかぬ多くの日本人へ、そして世界の人々に、本書を贈る。救世主は、仏陀滅後二千五百年を経て、この日本の地に再び姿を現したのだ。これだけ法が説かれて、肝心の日本人がまだ信ぜぬとは「情けない」の一言に尽きる。そしてこの「仏陀再誕」は、意味的に、「キリストの再臨」をも兼ねている。地球の危機を救い、未来の宇宙時代を切り拓きたいのだ。「慈悲と愛の時代」が再び、その到来を宣言されたのだ。」(大川隆法『救世の法』幸福の科学出版, 2011, まえがき)。

そして、大川隆法氏の、1999年7月時点におけるメッセージは、氏の7月7日の生誕日を記念した説法:「サクセス・マインド」として表明されている:

真実の世界認識とは いま、日本および世界において必要とされているものは、成功への大きなうねりであり、波動であると思います。そこで、「サクセス・マインド」という題で述べることにします。人生には不遇のときもあれば好調のときもあります。しかし、いったいどちらがほんとうの姿であるかということを、心に深く思ってみる必要があるのです。地上に生きているすべての人間は、霊天上界からこの世に生まれ変わってきた存在です。この世に生まれてくる前に、人間は天上界において、霊界の太陽である霊太陽の光を受け、調和とエネルギーに満ちた世界のなかで生活していたのです。人間は一人残らず、そうした天上界からこの世に生まれ変わってきているのです。この世を去った世界のなかには、地獄界という暗黒の世界もありますが、この世界は実体化した世界とは言えません。そして、地獄界からは、地上に生まれ変わることはできません。
 地獄界は、光を拒絶した人たちが巣くっている場所です。暗い世界を好む人たちが、そこに生息しているのです。それは、どんなに強い太陽の光線が当たろうとも、洞窟のなか、洞穴のなかには光が射さないことに似ています。彼らは、なぜ、そうした暗い世界に生息しているのでしょうか。それは、根本において考え方に誤りがあるからです。その誤りとはいったい何でしょうか。それは、「みずからもまた光の子である」ということを忘れ去った人生を生きたことです。
 地上での数十年のあいだ、みずからが光の子であるということ、仏の子であり、神の子であるという真実を忘れて生きたために、あの世に還ってから、天上界の光がまぶしくて、自分の住む場所を見つけることができずにいるのです。そのため、彼らは光をさえぎる「物質の砦」を欲します。あの世においては、悪想念の雲をつくって仏神の光をさえぎり、暗闇のなかで生活しています。そしてまた、この世に生きている人たちの心の闇のなかに巣くって、この世へ還ってこようとしています。これが真実の世界認識です。
 そうであるならば、私が語ろうとしている成功がいったい何であるかが、あなたがたにも分かるはずです。それは、この世的なる成功理論や、この世的なる栄達の理論ではありません。人間が光の子として本来の使命に目覚め、見事に今世の試練に打ち勝ち、光の仲間たちから「よくぞ使命を果たした」と言われるような生き方をするということです。そうした生き方が求められているのです。」(大川隆法『奇跡の法』幸福の科学出版, 2001, p.227-239)


なお、これと共に、イエス・キリストの世界史的負債の大川隆法氏による実費支払いの意味には、当然、「再臨」というキリスト教的通念に代わって、その真理としての幸福の科学的「転生」概念を定置するという理論的修復も含まれている(「転生」についてのノストラダムス預言詩第二章17歌は次節 (§946,II-17) で取り上げる予定)。

つまり、イエス・キリストは、人類の教師と呼ばれ得る十人の九次元大霊、即ち、釈迦(エル・カンターレ)、イエス・キリスト(アモール)、孔子(セラビム)、マヌ、マイトレーヤー、ニュートン、ゼウス、ゾロアスター、モーセ、エンリルといういわば「メシア集団」の一員として、人類史の流れの中で、他のメシアの方々の降臨と相互調整しつつ、基本的には2000年乃至3000年に一度は地上に肉体を持つという真実の転生を行っているのである(大川隆法『太陽の法』pp.231-236)。大川隆法氏は釈迦以来実に2600年振りの転生であり、同様にイエス・キリストの次回の転生、つまりその真の再臨はなお400 年後とされるから、実に2400年振りの受肉ということになるであろう(大川隆法『黄金の法 エル・カンターレの歴史観』幸福の科学出版, 1997, p.342 。なお、真実のイエス伝については 同書pp.286-293、そしてイエスの詳しい転生履歴については、大川隆法『神理文明の流転』幸福の科学出版, 1992, 第1章参照)。

このようにしてまた、キリスト教的再臨問題の混迷を生んだその個別霊魂の一時的創造と永遠性並びに直線的終末論的歴史観も、全霊魂の創造と輪廻転生を核心とする長久雄渾なる螺旋展開する新たな人類史概念の、その単なる一断面図に過ぎなかったことも判明する。[初出:二瓶孝次「幸福の科学の仏教論的意義(9)」北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』vol.31, 1999, pp.31-38。改稿:2013年8月16日。]


そして東洋諸国の全ての王を凌駕するだろう。
この場合も、我々は注意深く、「東洋諸国の全ての王を凌駕するだろう」という規定の中に、「覇王」ではなく「聖王」を理解すべきだろう。何故なら、「覇王」であれば、「単に凌駕するに留まらず、平らげる」のであろうが、ここでの「凌駕」にはそこまでのニュアンスはなく、「東洋諸国の諸王が健在なままに、彼らを超え導く哲人王として一頭他を抜きん出る」者としての存在感を横溢させる表現となっているからである。即ち、「凌駕する」の原文は、単に「他の上へと成長する・生長する croistre sur, to grow above 」であって、自己の生来の可能性のままに伸びてゆく、ということであって、他者を侵食し、犠牲にして肥え太るのとは明らかに異なっているからである。従って、大川隆法氏と幸福の科学を擁する日本国が真に友好的な「東洋の精神的な盟主」となる、というノストラダムスからの実に有難い託宣が、この簡単な一行の詩句の意味である。

その前後、マルスは運よく支配するだろう。
さて、X-72 詩の最後の行は、「その前後、軍神(マルス)は運よく統治する。」となっているので、少なくとも、「1999年とその前後」という形で、1999年の後の時期も間接的に意味されている。では、それは何時までのことか? 又、「軍神が運よく(幸運に)統治する」とは何の意味か?

そこで、第一に気付くのは、「軍神が幸運に統治する」という同一の表現が、1999年の前と後とで同様に妥当している、という見方が出来るということである。つまり、それら両時期には、或る「対称的な(シンメトリーな)事態」が見られる、ということである。そうすると誰でも思い浮かぶのは、1991年と2003年の二度の「湾岸戦争」であろう。両者は、最も関わりの深い当事者が、「合衆国のブッシュ大統領とイラクのフセイン大統領」ということで基本的に同じである。その場合、父ブッシュと子ブッシュの相違は、政策的継続性を勘案すれば、捨象してもいいだろう。

では、「軍神が幸運に統治する」というのはどういう意味なのか。

「軍神」というものが居るならば、その使命は、多分、一方では戦争遂行と勝利、他方では根源的な正義に基づく国家政策への寄与、ということに違いない。その両方の任務が達成出来れば彼は「幸運に仕事ができた」ので、幸福だろう。反対に、世界的視野に叶うような国家政策に対して否定的でそれを無視した単なる軍事的冒険や、逆の軍事的怠慢は、軍神には「不運」と感じられるに違いない。

ということは、この詩句は、どう見ても「勝利者」の視点に立った表現であることにならざるを得ない。何故なら、「軍神」にとっては、「敗戦が幸運と幸福に結び付く」という選択肢は無いだろうからである。そのような「幸福」は彼には「降伏」としか映らないだろう。

従って、湾岸戦争が2度とも合衆国の勝利に帰したことが現時点で認められるのであれば、ここに述べられているのは「合衆国に味方する軍神」である。もっとも、必ずしもそれに限定される訳ではない。もし、なお継続中のイラクの戦時的情勢が経年して、ついに合衆国の敗北として世界的に認められるようになる可能性も皆無ではない。

その場合は「イラクに味方する軍神」を読み込むことになる。ただし、予言はやはり、「年代限定性」を身上とするから、2003年の当初の戦闘における合衆国側の圧倒的優勢と勝利宣言を以って、シンメトリー的内容を持つこの詩の予言範囲とするのが自然であろう。このように理解すると、「1999年とその前後」という年代は確かに明確になった。

そして、この最後の一行の詩句の意味は、それが含まれる二つの預言詩全体の中にあっては、米国の軍事力が優位する状況が21世紀でも相当期間続き、日本国はその事を最大限に考慮するのが最上策である、という慧眼の預言者からのさりげないヒントであろう。最大限に考慮するとは、自助努力を最大限実行し、同盟国と同盟軍を最大限尊敬し信頼するということである。
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§943, V-41: 「黄金時代開鑿者」の誕生 (1956.7.7)

大団円としての幸福の科学13   「黄金時代開鑿者」の誕生: V-41.


第五サンチュリ第41詩  「黄金時代開鑿者」の誕生 (1956.7.7; 2000): V-41 (§943).
僻陬の地に、暗黒の時代に生まれ出たる人は、
支配の位に就き、至高の善意に満ちるだろう。
古代の骨壺のおのが血を再誕せしめるであろう。
而して青銅に替えて黄金の時代を再開するであろう。


§943,V-41: Birth of the founder of the golden age (1956.7.7).
A born in an out-of-way place and in a time of darkness
Shall be in reign and in sovereign goodness:
He shall cause his blood to be born again from the antique urn,
Renewing a golden age instead of a bronze one.


Nay soubz les umbres et jornee nocturne
Sera en regne et bonté souveraine:
Fera renaistre son sang de l'antique urne,
Renouvelant siecle d'or pour l'ærain.
 
 これは、これまで我々が集中的に追及して来たノストラダムス『預言集』における「幸福の科学」運動というテーマに沿って解釈すれば、その最高指導者・大川隆法氏の誕生とその使命を告げたものであることは一目瞭然である。何故なら、本詩に見られる「至高の善意」「黄金の時代を再開」といった表現は、これまで出会った「神託」(XII-71, III-4)「半神」(I-25)「」(I-17)「太陽の法」(V-53)「大メシア」(V-53)「聖職者」(I-25, IV-29)といった表現と同様、聖なる諸規定 (die heilige Bestimmungen, les identifications sacrées, the sacred qualifications)という特質を持ち、これらは全て「太陽的大メシア(エル・カンターレ)・大川隆法」幸福の科学総裁に直接関連しているからである。

先ず、「僻陬(へきすう)の地に soubs les umbres, in an out-of-way place」とは、大川隆法氏の生誕地が「徳島県麻植(おえ)郡川島町(現:吉野川市)」であることを考慮すれば、うなずける表現である。そもそも四国が全体として、日本国内では、例えば北海道の道東(私が現在住んでいる釧路を含む)・道北や、沖縄、山陰、東北の日本海側の諸地方と並んで、「僻陬の地(ひなびた地域)」と称しても、強ち単なる差別的表現とはならないであろうし、四国の中でも吉野川中流域が特に開けているというよりも、田舎田舎した地域であることは誰も否定しないであろう。

次に、「暗黒の時代に jornee nocturne, in a time of darkness」とは、『預言集』第1章17歌 (§938,I-17) にあったような「虹の見えない時代(昭和20年から60年までの40年間)」の只中の「昭和31年(1956年)」が大川隆法氏の生年であることを考慮すればうなずける表現である。「虹の見えない時代」とは、宗教的真理から遠ざけられた人々の心の乾いた時代であり、またそれは当然「太陽の光が射さない」時代として、「暗黒の時代」なのである。「暗黒の時代」を比喩的に表現しているその原語 jornee [= journée] nocturne (a nocturnal day) (この場合、時の前置詞が無いのは、無くても副詩句として通用するからである)とは、「一日24時間の内の夜の部分」を意味する。何故なら、フランス語 journée には、この場合、① 朝から夕刻までの昼間の一日; ② 24時間としての一日 (cf. Suzuki) という二義が可能で、且つ、フランス語 nocturne は、diurne (① 一日24時間の; ② nocturneの対語としての昼間の) の対語として、「昼間に対して夜間の」という意味となる (cf. Suzuki) から、結局「journée nocturne」とは「一日24時間の内、昼の部分を除いた夜の部分」 という意味になるからである。 つまり、全体として、人物の誕生を特定する「所 place」と「時 time」が、一行目で提示されているのである。因みに、冒頭の nay (born) は、名詞形 (a born) と取るのが適切で、それに「所と時の限定」が入り、全体として、sera (shall be) の主語になっているという構文である。

従って、イオネスク氏等がこれを「皆既日食中の薄明」といった意味に取るのは誤りである。しかも彼はその前にある「soubs les umbres, under the shades」という句(影 shadesは複数形)も、同じく「日食中の影ある状態」と解しているが、そのような同事反復は無用であるのみならず、そもそも「日食の影」は「一連のひとつのもの」であって、複数は存在しないから、原語に合致しない解釈である。

実際、イオネスク氏は本詩と第十章72歌 (X-72) をペアと見て、次のように訳している(和訳は竹本忠雄による)。
「   『諸世紀』第5章41歌
 (その人は)日の影と夜陰の一日のもとに生まれ、
 王侯にふさわしい善意をもって君臨するであろう。
 遠つ世の骨壺より尚き血筋をよみがえらせ、
 青銅の世紀のかわりに黄金の世紀をもって時代革新するであろう。

    『諸世紀』第10章72歌
 紀元一千九百九十九年七月(ななつき)に
 天から一人の恐怖の大王が到来するであろう。
 しかして、アンゴルモワの大王をよみがえらせ、
 (その到来の)前後に火星は幸いの時を君臨するであろう。


二つの四行詩をつうじて非常に大事なある事実が、おぼろめかした形で表現されている。皆既日食が起こるだろうということ、そしてその期日である。最初の四行詩の初句(第一行)で「日の影と夜陰の一日」les ombres et journee nocturneという言いかたで暗示され、二番目の四行詩の、これまた初句で、その期日が明瞭に示されている(どちらも初句において言われている点に留意されたい)。その期日が、いまや満天下に知れわたった「一千九百九十九年七月」なのである。しかし、西暦一九九九年はいいとして、「七月」のほうを「しちがつ」と読んでしまったのではすでにノストラダムスの術中にはまってしまうことになる。解読家のほとんどすべてがこれまで引っかかってきたこの誤読に、私は、注意せよと叫びたい。これは「しちがつ」ではない。「ななつき」なのである。つまり、「過ぐる七月(ななつき)のちに」の省略形なのだ。この期日の問題を、まず、究明しておこう。この点をいいかげんにしておいたのでは、近未来の解読はとうてい不可能だからだ。くりかえしいえば、ノストラダムスは「ななつき」sept mois と書いているのであって、「しちがつ」juillet と書いているのではない。そのわけは、ほかにも用例があるように、「ななつき過ぎて」sept mois revolus の省略形だからである。意味としては、したがって、「八月はじめに」といった感じになる。なぜ、このような言いかたをしたのかということは、じっさいに皆既日食がフランスにおいていつ起こるかという期日と照らしあわせてみて、初めて納得がいく。そこで、この点をまず天文学上から検討してみよう。
 今世紀において、太陽の本影(または、全影)がフランスの国土を通過した皆既日食は、一九九二年の現在までに、たった二度しか起こっていない。皆既日食とは、いうまでもなく、月が地球のまわりを回る軌道上でちょうど地球と太陽のあいだに来て太陽光を完全にさえぎったときの現象のことで、そのとき地球上に落とされる長円錐形の濃影、これが本影と呼ばれる。この長円錐の尖端がフランスの地表を滑っていく次の機会は、
① ユリウス暦による一九九九年七月二十九日か、
② グレゴリオ暦による一九九九年八月十一日か、
そのいずれかであることが判っている。現代のわれわれの暦は言うまでもなくグレゴリオ暦で、従って、これによる②の「一九九九年八月十一日」の皆既日食の期日を、あえてノストラダムスは「ななつき」という語法で言おうとしたと見ることができる。ローマ法王グレゴリオ十三世によってその名を冠した暦が施行されたのは一五八二年からで、これはノストラダムスの死後十六年目にあたる。しかし、その施行前から、天文学者のあいだではユリウス暦と現実の観測結果とのあいだには十日間のずれがあることは判っていたし、ノストラダムスもこのことは承知していたのだ。この知識にもとづいて、正確には「第八月の始め」を言おうとして、省略的に「七月ななつき(過ぎて)」という言いかたをとったものと考えられる。天文学上、この皆既日食は、獅子座十八度二十一分において太陽-月のあいだに起こる合(コンジャンクション)の現象である。正確には八月十一日の十一時九分の予定だが、では、占星術においてはこれがいかなる意味をもつかを考えてみなければならぬ。」(V.イオネスク『ノストラダムス・メッセージ II』竹本忠雄訳、角川書店、1993年、PP.132-135)。

しかし、原理的に見れば、イオネスク氏が「将来のフランス救国の大君候は日食の日に誕生する」という解釈(その骨格的構想は既に、Centurio, 1953, pp.226-227 で呈示されていた) を提起する時、彼は、「ノストラダムスにおける食(日食と月食)の否定的価値」を完全に無視している。何故なら、ノストラダムスは、「食」という現象については、その天文学的メカニスムを完全に理解していた(§681,V-93: 「月の丸い球の領地の下に [太陽が隠れて地上に食が起り]、水星が支配星となる時、云々...」参照: この日食は1869年8月7日の金環食 (Oppolzer №7334) で、本影がカナダを通過している。これは大英帝国がカナダ植民地を失うという凶事と重なる。)けれども、その人生論的・社会的価値については、伝統的な占星術師達と同様、「凶中の凶兆」と捉えていたから、「英雄的天子的君主たるを約束された人物がわざわざ日食の日に誕生する」などという「禍々しい予言」を行う筈はないと断言できる。ここで、ノストラダムスの「日食と月食」に関する見解を確認しておきたい。

ノストラダムスに於ける「食(日食・月食)」の否定的価値について。
A: 日食の凶性について。

これについて、ノストラダムスは「アンリ二世宛書簡」の中で、ロシア10月革命への予兆として語っている。そして、実は、イオネスク氏はその10月革命の個所は特筆大書して取り上げながら、その直前のこの日食関連個所は無視している。イオネスク著、竹本忠雄訳の10月革命論(a)を最初に引用し、次いで、本来それに先立つ日食関連個所(b)を掲げよう:

a: 「『アンリ二世王への書翰』第46-47節。そして「十月」に、なにか回天の大事件(十月革命)が起こり、その凄まじさは、重力とともに地球もその自然の運行を失って永遠の闇ふかくへ沈んでいくかと思われるほどのものでありましょう。それに先立って、春分の時期(三月)に、別の大変革(三月革命)がありましょう。こうしたことの結果、《大地震》(第一次大戦)によって、政府転覆のような極端な変化がぞくぞくと起こり、それとともに、最初のホロコースト(フランス革命)に輪を掛けておぞましいその惨めな娘、《新バビロン》が増殖するでありましょう。しかして、この(状態は)、きっかりと、七十三年と七ヵ月しか続かないでありましょう.... 」((V.イオネスク『ノストラダムス・メッセージ』竹本忠雄訳、角川書店、1991年、PP.283-284)。

b: 『アンリ二世王への書翰』第44-45節。「次いで、反キリストの大帝国勢がアッチラ圏とZERSES (**) の中へと極めて大量に侵入し始めて、ために、聖霊が出現して、反キリストを嫌って、48度以降から、追い遣り、移住を為さしめるでしょう。反キリストは、イエス・キリストの大いなる代理人たる王室に対して、またその教会に対して、その世俗的支配体制に対して、戦争を仕掛けるでしょう。- そして、その前に日食が先立って起りますが、それは、世界の創造からイエス・キリストの受難と死までで、且つ、その死から現在までで最も暗く、最も闇深い日食なのです。」(№10,p.160-161)

** Zerses は実在名ではない。唯一、レオニがヒントを与えてくれている。即ち、彼はこれを「the new Xerxes 新たなるクセルクセス」と英訳した (Leoni, 1982,p.333)。但し、これだけでは猶物足りなく、文脈に合わせて推測するならば、この近代のクセルクセスとは、話題がロシア革命で、革命によって崩壊した勢力に関わるようだから、さしずめ「帝政ロシア皇帝」と読めるのである。 その前の「アッチラ圏」は、勿論、当時のロシア帝国領に相当する。

つまり、この日食は、「その史上最も暗い食」という性格(自然的には日食の暗さは一定の限界内にあるから、この最大値は、来るべき事件の最大の凶性の象徴である)によって、来るべきロシア革命が史上最悪の事件である事を告げているのである。古今及び未来の日食と月食を網羅した「オポルツェル (Oppolzer) 著『食典』(B.C.13世紀~A.D.22世紀)」によれば、ロシア革命直前の日食に該当するのは、「Oppolzer №7446」で、ポーランドからロシア一帯で見られた部分日食である(1917年6月19日)。部分日食であるから、史上最も暗い、とは言えない訳だが、ロシア関連の予言として見た場合、その特定の「日食」が先行し、直ぐ後で「大革命」が起こる、という図式が現実のものとなったことになる。この図式に留意していたならば、「日食時誕生」⇒「将来の名君」といったイオネスク式のノストラダムス預言解釈は、基本的にナンセンスであることになる。

B: 月食の凶性について。
また、月食についても、ノストラダムスは、日食に関してと全く同様、否定的価値のものと見ている。「...1559年9月16日に起るでありましょう月食、これはその全ての悪しきアスペクトを、殆ど1560年の年の全体にまで及ぼすものでございますが、これに関してもっと広範に、そしてもっと明白に、来たるべき二年間が劣らず危険なものであることをお示しして、ご説明申し上げたいと存じます。と申しますのも、この食は、非常に長くて非常に深い拡がりのピラミッド形の一つの影 (un ombre, one shade) を伴っておりまして、劣らず危険性を有し、その危惧される威力たるや、実に、1559年の3月の初頭に増大を開始し、主に6月から年末まで拡大致します...。...もし、万有の上に立つ神が手を加えられない場合は、諸々の災難が、十分に、且つ、大いに、危惧されるのでございます。と言いますのも、私は、時間の観察に基づきまして、大いなる、且つ、多様な、諸々の裏切り、破滅、落胆、濫用、秘密分派を予言致すのでございます、又同様に、分派集団に依ります或る謀略の秘密を予言致します、そして又、その謀略が暴露され表面化されて阻止されるという事も予言するのでございます。... 次に、最も偉大な君主たち、権力者たち、王侯たちが、世俗と聖職とを問わず、全員、憂鬱にさせられることでしょう。そして、一般人民に対する圧制が甚だ大きいであろうことから、人民は逆に君主たちを窮地に追い込むでありましょう。だからしてこの月食は、第二ハウスに関して何らかの奇妙で意表を衝いた出来事を示しているのでございます。それは牛小屋、又は牛舎に関わっておりまして、主としては、馬どもに関しての或る大事件なのでございますが、とは申せ、しかじかの動物どもに関して、しかじかの出来事を個別的ケースとして完全に認識するなどという事は、全くの秘事に属するものであり、最高の禁句事項であるのですが、ただ、当該事件の期限は遠くは無いのでございます。...1559年と1560年の為に、1558年8月14日、サロンにてこれを著す。ミカエル・ノストラダムス。」(ノストラダムス『1560年全体まで悪影響を及ぼす1559年9月16日将来の食の諸々の意味について』in Chevignard, 1999,pp.445-460)

この月食(Oppolzer №4272に該当)の悪影響下に生じたと思われる出来事として、第一に、1559年6月30日に行なわれた相対する騎乗武者による「馬上槍試合」で重傷を負った国王アンリ二世が、10日後に死亡した大事件が思い浮かぶ(馬どもに関しての或る大事件)(§39,I-35;§40,II-42;§41,VII-38;§42,VI-71;§43,VII-7参照)。第二に、1560年3月に「その後を継いだ長男フランソワ二世の側近のカトリック、ギーズ公一派を排除して、自分たちプロテスタント勢力の方に王を奪取せんとしたコンデ公一派によるアンボワーズの陰謀」が露見し阻止された(分派集団に依ります或る謀略の秘密を予言致します、そして又、その謀略が暴露され表面化されて阻止されるという事も予言するのでございます)(§55,I-13;§56,VII-2;§57,II-20参照)。第三に、そのフランソワ二世が、その1560年の年末(12月5日)に若くして病死した(悪しきアスペクトを、殆ど1560年の年の全体にまで及ぼす)(§73,X-39参照)。

このようなノストラダムスの基本的立場を無視し、伝統的日食観念を踏みにじって、「日食時に産れた人物」に「英雄的天子的王者」を期待したイオネスク解釈は、案の定、途轍もなく悲惨な帰結に到達する事になった。何故なら、彼が、これと密接に関連するものと見立てた第4章86詩 (IV-86) の解釈によって導き出した「2023年に姿を表すという未来の理想的大君主」は、全く逆に、「凶王中の凶王として歴史に深く深く刻まれてしまったアドルフ・ヒトラー」についてのノストラダムス預言に他ならないからである。つまり、それは既に実現済みの四行詩であって(日本関連の預言詩3,IV-86詩:「嘱望の大君候」は凶王か?=§790,IV-86:ナチス独裁・フランス占領・ユダヤ人殲滅[1933-1945]参照)、それを、こともあろうに、この未来の理想的君主の到来と見なして希望的解釈を嬉々として展開しているのは、傲岸不遜な一面を強く持つ解釈家の悲惨の極みとしか言い様が無いのである(彼はそこで、驚くべき事に、「無辜の人を殺害するのも、その大君のあるべき所業」として認めているのだ!)。

しかも、この「月食論」でノストラダムスは明確に、「この食は、非常に長くて非常に深い拡がりのピラミッド形の一つの影 (un ombre, one shade) を伴っておりまして」と述べており、「影は一個」との認識を明示しており、この事は「日食」を含む「食一般」に当てはまるから、「複数の影les ombres, the shades」を「食影」と解釈するイオネスク解は妥当ではない。仮に、「本影」と「半影」を合して「影は複数」と計算する奇策に訴えるとしようとした所で、肝心要な事は「ピラミッド形、即ち円錐形の一つの本影」の事象に含まれているのだから、理論上その奇策は無効扱いしてよい。よって、それは「食影」以外の何かであるに違いない。

事実、ombre (shade) というフランス語には種々の意味がある。「陰、日陰、物陰、木陰(shade);影、投影(shadow)。vivre dans l’ombre ( to live in the shade) 世に埋もれている。rester dans l’ombre (to rest in the background) うだつが上がらない。」 (Suzuki) 「陰、[特に]日陰;(半影pénombre, penumbraと区別して)本影(umbra);[比喩的に]保護された(避けた)場所。無名(obscurity)、目立たない身分:sortir de l’ombre (to get out of the shadow)世に知られるようになる、無名の状態を脱する。sous ombre de qn [qc] (under shadow of ...)《廃》~という見せかけ〔口実〕のもとに:sous ombre d’amitié ( under shadow of friendship) 友情を装って。」 (Ibuki)

すると、本詩の複数形を用いた「sous les ombres 」というのは、その後に「de ~, of ~ 」を伴わないから、「見せかけ、口実」という意味ではない。やはり、最初に和訳したように「僻陬の地」、「保護された、避けた場所、目立たない状態、無名」という意味が一番適切だろう。その複数形は、例えば、「重なり連なる山々を背にした立地」といった状況に合致する。又、「soubz = sous (under) という前置詞」は、「~の内部に、~の状態で」というsousの意味からすれば全く問題ない用例である。そして、当の大川隆法氏自身も、自らの幼少時からの体験談で、「田舎育ちと平凡意識」という早生の自己認識を、平凡ならざる独自の観点から語っている:

「さて、この二十年間、自分の過去というものを振り返った時に、まったく亀の如き人生であったということを、つくづくと感じるわけです。『太陽の法』という書物にもすでに書いたことがありますが、私自身、四国の田舎に生まれ、そして平凡な子供として育てられたわけです。小・中学校を平凡な町立の学校で終え、やがて次第次第に自分というものに目覚めていったわけです。その頃、私の家には離れがありました。両親が生活の場としている家から、およそ二百メートルぐらい離れた所に離れの家があって、そこに私は通って勉強をしておりました。それは、まことに不思議な感覚ですが、小学校の高学年となって、自分のお城を与えられたようなものでした。夜、夕食が終わると、カバンを持って離れの家まで暗闇のなかを歩いていきました。そして階段を上がり、電球をつけて、そしてやがて自分の勉強部屋に入ったものです。この頃、まだ私も小さかったこともあって、闇というものに非常に怖い感じがありました。そして両親から離れて、離れの家に行くということが、とても怖く思いました。こうした離れにおいて、毎日一人で考えごとをしたり勉強したりしていたということが、後に長ずるにしたがって、私がもの思いに耽ったり、思索をしていくことの基礎になったのではないかと思います。十才にして、自ら一人でものを考えるという癖をつけ始めたということです。

その離れの家は大変古い建物であって、冬は隙間風がずぶん吹きました。また、その頃は暖房とてありませんでした。したがって、私は冬になるといつも腰にボロボロの毛布を巻き、そして手には手袋をはめて勉強していました。また、あまり寒いので、厚いジャンパーを着て、そして頭からすっぽりと帽子をかぶり、口にはマスクをして勉強していたのです。ところが手に非常に厚い革手袋をはめた場合に、鉛筆を持って字が書けないために大変苦労をしました。そうして白手袋を使うようになっていきました。薄い絹の白手袋です。ただ、それは寒さよけとしては十分なものではなかったために、私の手はいつも青くかじかんでいました。こうして、だいたい毎日、夜になると一人でその離れの家にこもり、夜中の十二 [十時?十二時?] 頃までいろんなことを勉強したり、考え事をしたりしていたように思います。その頃は、私は大変勉強の能率も悪かったのでしょうか。例えば社会科に関して言うならば、世界の地理とか歴史とかをまとめたそうした参考書、これを要点だけを読むというようなことをせず、ひとつひとつノートに丸写しをしていた自分を思い出します。それは後に学んだ勉強の方法からいえば、とてつもなく平凡な方法でありましたが、私は写経か何かをしているような気持で、その十才や十一才の頃、そうした参考書を夜な夜なノートに書き写していたのです。そうした自分に、今となっては何とも言えない懐かしさを感じています。

まだ自分の向かうべき方途は見ることができなかったわけですが、何かより高次なものへ、高尚なものへ向けて自分が努力をしているという感覚が、たまらなく好きだったのです。私はこの感覚を今も鮮やかに思い出すことができます。その頃、四才年上の兄がいたわけですが、兄は大変利発な方であって、すでに幼稚園、小学校の低学年の頃から、大変優秀な頭脳であることが証明されていました。そうした兄と自分とを、その歩みをひき較べるにつけても、自分の歩みはいかにものろいものだと感じたものでした。そうしたなかにおいて私が常に思っていたことは、「自分は平凡である。自分は頭がそれほどよくない。頭がよくなくても、しかし人が一時間やったことを自分が三時間、四時間すれば、なんとか追いついていけるのではないのか。人が一年で飽きてしまうようなことを四年、五年続ければ、きっと もの になるのではないか。平凡な自覚はあるけれども、しかし五年、十年、二十年と続けていくうちに、なんらか変わったものになっていくのではないか。自分の頭脳はとてつもなく平凡だけれども、蓄積ということ、継続ということにおいて努力していけば、やがてある時点で化学変化でも起きるように、大いなる飛躍を経験することもあるのではないか。」そうしたことを夢見て、白手袋に息を吹きかけながら、鉛筆を握っていた私の姿があったのです。

そうした少年時代を送っていたわけですが、私が日々心がけていたことが、ひとつだけあります。それは、どんな田舎に住んでいても、どんな小さな社会に生きていたとしても、そのなかで光ってくる人、この光がどれほどのものかはわからない、といった考えでした。それは、私の父もよく言ってくれたことです。小学校の五年、六年になって、ようやくクラスで一番をとれるぐらいの私となってきましたが、いかんせん草深い田舎のことですから、クラスで首席をとるということは、おそらく都会の学校で言えば平均か、平均を少し越える程度の学力であっただろうと思います。けれども、父はいつも私を励ましてくれました。「どんな田舎の学校であっても、どんな小さな学校であっても、一番だけは違うよ。全国比較しても、まったく違うところにいるかもしれないよ。どんな天才がいるかもわからないよ。どんな田舎においても、どんな小さな学校でも、どんな狭い地域社会においても、一番だけは値打ちがあるかもしれないよ。」そうしたことを、いつも父は言ってくれていました。私はその言葉が非常に支えになったと、今思い起こします。つまり、番号が一番であるか、二番であるかというようなことは、今の時点で振り返ったならば、たいしたことではありませんが、私がそこで学んだ心得というのは結局何かと言うと、どんな小さな場所においても、地域においても、立場においても、そのなかで非凡なる光を発しているということは、実はそれは思いもかけぬような価値を持っているかもしれない、という教訓であったと思います。長ずるにつれて、やがてこれが真実の言葉であるということが身にしみてわかってまいりました。たとえどのような環境に置かれても、人間は自らの置かれた場所にいてダイヤモンドの如く光っていれば、やがて新たな人生が展開してくる、新たな道が開けてくるということ。これが真実であるということを私は知るに至りました。」(『平凡からの出発』土屋書店,1988,p.14-21)。

かくして、その地、その時に生まれたこの人は、「ラ・ムー、釈迦牟尼」の再誕者として、「古代の骨壺のおのが血を再誕せしめ」ているわけである。そして、特にラ・ムーとしては宗教的大師であるとともに皇帝でもあったわけで、まさにその時代を文明文化の黄金時代たらしめた実績があり(ムー大陸及びラ・ムーについては、大川隆法『太陽の法 エル・カンターレへの道』幸福の科学出版, 1997, p.260-269参照)、今回は『預言集』第5章53歌 (§942,V-53) にあったように、まさにユダヤ・キリスト教的な「メシア(キリスト)」に該当し、「太陽の法」を携えて精神世界の一大革命を為し遂げ、世界史的に疲弊した人類生活を心の太陽発火により黄金の文明に輝かそう、との大志に邁進している。

従って、「彼は支配の位に就き、至高の善意に満ちるだろう」という第二行目の言葉は、このような大川隆法氏の宗教的使命を述べていると解釈されるのである。この点、原文が en regne et bonté souveraine (in reign and sovereign goodness) という風に「支配 regne, reign」と「善意或いは正義 bonté, goodness」とが、「至高の」という形容詞が付く・付かないで以て分けられているから、いわば、現代的な政教分離の原則に則った表現となっている点に留意しなければならない。

粗雑に取ると、この一人の人が「最高の政治的権力と最高の宗教的権力を一身に兼ね備える」者のように解釈される可能性がある。しかし、そうではないだろう。何故なら、先ず第一に、souveraine というフランス語形容詞は、「女性単数形」であるから、直前の bonté という「女性単数名詞」に係るが、その前の regne という「男性名詞」には係らない。souveraine という二行目末の語は、元来、四行目末の語 ærain と押韻すべきで、そうすれば男性形の souverain という形になる。そしてもしそれが、regne という単数男性名詞と bonté という単数女性名詞の両方に係るには、形容詞を「souverains という男性複数形」にするのがフランス語の規則である。しかし、そうなっていない以上、ノストラダムスは、ここに敢えて承知の上で「単数女性形」を置いたのであるから、その意味は深く考えてみなければならないだろう。

従って、第二に、regne に「souverain」という形容が付かないとすれば、どういう意味になるのか?ここで思い浮かぶのは、「The British queen does not rule but only reigns. 英国女王は統治せず君臨するのみ。」という英語の警句である。regne から、わざわざ「souverain」(最高実権者たる)という形容をノストラダムスが外した形跡が窺われるとすれば、こういった意味が強く推測されるのである。他方において、bonté souveraine(最高実権的善意)は、前者とは対照的に、「名実ともに宗教的最高指導者」(氏自身の自己規定では「主エル・カンターレ」)という意味に取っていいだろう。

とは言え、regne に souverain という形容詞が付かなくても、regne だけで既に「いわゆる政権」、即ち「帝政、王政、共和政等の如何を問わず、一国の最高政治権力、特に最高行政権」という意味が認定される。実際、ノストラダムス『預言集』に登場する regne (reign), regner (to reign), regnant (reigning) 等の用例全96例中、実に92例は明確にこの意味で使われている。他方、本詩を含む残り4例を見ると、以下の通りである。

1° 「金星の下の支配と法」(§935,V-24)
2° 「太陽による法と支配」(§935,V-24)
3° 「月の支配の20年」(§941,I-48)
4° 「僻陬の地に、暗黒の時代に生まれ出たる人は、支配の位に就き、至高の善意に満ちるだろう」(§943,V-41)

このうち前3例は既述事項であって、そして、1°と2°とは相対的に比較され、その「法と支配」とは、「世の中の、或いは世のなかにおける、一般的潮流としての、或いは際立った、意識、想念、思想、理論の勢力」といった意味であったから、いわゆる政権ではない。又、3°は「キリスト教が人々の精神生活を導く主流だった西暦2000年間」といった意味であった。それに対して、同詩で、「月の支配の二十年が過ぎたら、七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。」(大団円としての幸福の科学11参照)と詠われたその「君主政 monarchie, monarchy」とは、世俗的制度・政治体制ではなく、「仏典」や「聖書」や「コーラン」といった「聖典とその教え」全体の、この場合は「『太陽の法』を中核とする大川隆法氏の宗教思想を中心とした法体系」の支配的潮流の確保といった意味だろう。

故に、これらに連なる文脈上に位置する4°の場合も、その支配とは、矢張り、世俗的な政権の意味ではなくして、「精神的、思想的な圧倒的影響力の行使」という意味に違いない。そして、そこに、後続の「至高の善意」という規定が加わって、一層肯定的な「精神的支配」のイメージが増幅されるのである。

従って、イオネスク氏がこれを、「王侯にふさわしい善意をもって君臨する」として、「世俗的君主権」として解釈したのは、『預言集』全体の中でのその位置づけを欠いた短見に過ぎない。

但し、このような単純な「政教分離型解釈」は必ずしも「幸福の科学総裁並びに幸福実現党総裁(ないし創立者)大川隆法」氏には当てはまらないように見える。実際、氏はここ数年来、本気で政治的運動に「アンガジェ」(自己拘束、参加、挺身)しているように見えるのである。しかし、その本当の所は、氏は「あくまでも政治理論家」としての域をはみ出ないのであろう。或いは、氏自身がどんなに「政治の実際運動」に熱を挙げるように見えても、必ずそれは「本質的に理論的な活動の一環」であり続けるだろうし、そのように余儀なくされるだろう、ノストラダムスの正確無比な預言の数々を閲(けみ)して来た我々として、本詩二行目の意味を精細に検討した結果を踏まえるならば。

つまり、大川隆法氏が、「支配の位に就くだろう」というノストラダムスの表現と予言は、どんなに薄く見積もっても、如上の「精神論的解釈にも矢張り付随する形での」政治的色彩が伴なっているが、しかしそれはあくまでも、「マルクスの唯物論の世界的伝播に対抗し、それを無化する普遍的理想的政治理念の構築と伝播」というマルクスと同様の、しかしその対極に立つ「原理的理論家」として最高度の影響を世界に与える、という託宣なのである。言い換えれば、政治世界において、大川隆法氏は、「一人の現実の実権掌握・行使者」(a sovereign)として使命を帯びているのではなく、日本であれ、外国であれ、世の中の政治家たる者一般及び国民・市民一般に対して、プラトンが説いたような「哲学者たる君主」の政治学に類似の方向性を有つ《政治哲学理論》を、「最高度の宗教的覚醒感に裏打ちされた理念・構想・目的」として教示する立場(氏自身の自己規定では、「日本の国師」「世界教師」)を神与されているものと考えられるのである。

更に言いかえれば、要するに、その「支配 regne, reign」という言葉は、伝統的な「しろしめす」という大和言葉において理解すれば、大過ないであろう。何故なら、「しろしめす」とは、「し(知)りてし(領)らす」ということ(久松潜一監修『改訂新潮国語辞典 - 現代語・古語 - 』改訂第7刷、新潮社、東京,1980,参照)、即ち、「政治的領導の根本知識がある故にまつりごとを預かる」ということであるからであって、「単に先ず権力を掌握し、而してそれを行使する」という順序とは相いれない叡智の業であるからである。そして、これは、「知りて、自ら領らす」というよりも、「知りて、その知る所を現実の為政者等に伝える」という活動である。

我々はこの意味において、ここに「聖王」という概念を導入することにしたい。つまり、ここで我々が「聖王」と言うのは、「ブッダ、メシア、キリストに相当する宗教的大指導者に匹敵し、且つ、政治的認識においても打開性を有する人」のことである。そして同時にそれは、「特に政治的、軍事的に特化した指導者」としての「覇王」の概念との比較において、そして「覇王」から区別されるべきものとして確立される。

大川隆法氏自身、この事を「仏法(ぶっぽう)は王法(おうぼう)を超える」という箴言を用いて表現している(大川隆法『奇跡の法』幸福の科学出版, 2001, p.138-141)。

最後に、第四行目:「而して青銅に替えて黄金の時代を再開するであろう。」とは、、矢張り先の§941,I-48詩で見た次の章句:「月の支配の二十年が過ぎたら、七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。太陽がその[月の]倦まれし日々を自らの手にするだろう時、その時太陽は我が預言を完成し終わらせるのだ」(大団円としての幸福の科学11参照)との照応によって明らかな如く、「青銅の時代」=「月の支配の20年」(静かな鈍い光、幽かな輝き)VS. 「黄金の時代」=「太陽の支配の時代」(強い黄金の光)という図式で説明可能である。従って、その交代時期は、理念的には西暦2000年と言えるだろう。

強い黄金の光: 反省が完成したときには、全身から光が出ます。これをオーラということばで呼ぶこともありましょう。後光と言うこともありましょう。しかし、それは単に外面的なる後光ではなくて、霊的な目で見て、全身が金色の像になっていなければならないということです。そしてその内から、強烈な光が四方八方に散乱していなければならないのであります。ここに私は、祈りとは違った「光」が存在することを感じるのです。祈りの光は遥かなる上空から降ってきます。しかし、反省による光は自らの内より発するのです。これを見たときに、知ったときに、私たちは、『新・心の探究』その他の書物で説かれている心の構造論の意味がわかるのであります。私の理論書には、私たちの心は、玉葱型に幾重もの層からなっていて、一人ひとりの人間が心のなかに四次元領域、五次元領域、あるいは六次元、七次元、八次元、九次元、十次元という領域を玉葱状に持っていると書いてありますが、それがまさしく真実であるということを、みなさんは知るに至るのです。心の中核、中心の部分には、実相世界へと通じ、そしてさらには人霊を超えた世界に通じる「核の部分」があるのです。人格霊としては八次元、九次元が最高領域であるというような話もありますが、私たちのなかには、これを超えた十次元、十一次元、あるいはさらにそれ以上の光が注いでくる部分があるのです。その奥の奥の一点は、究極には大宇宙の遥かなる奥にいます神へと通じているのであります。この事実を知ったときに、我われは、内なる光を求めるという方法が存在していることを知らねばならないと思います。釈迦が説いた教えも、結局ここにポイントがあったのです [前節参照]。) [初出:『北海道教育大学紀要』IA, vol.50-2, 2000。改稿:2013年8月14日。]
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§942, V-53 : 「太陽の法」即ち「大メシアの法」

大団円としての幸福の科学12  太陽の法」即ち「大メシアの法」: V-53.

第五サンチュリ第53詩  「太陽の法」即ち「大メシアの法」: V-53 (§942).
太陽の法、而うして相競わんとするヴィーナス、
いずれも預言の精霊を占有しているが、
一方も他方も相聞き従わんとすることはないであろう。
太陽によって、大メシアの法が堅持されるであろう。


§942, V-53: The Laws of the Sun, i.e. The Laws of the Great Messiah.
The law of the Sun, and the contending Venus,
Appropriating the spirit of prophecy:
Neither one nor the other shall listen to each other,
By the Sun the law of the great Messiah subsist.


La loy du Sol, & Venus contendens,
Appropriant l'esprit de prophetie:
Ne l'un, ne l'autre ne seront entendens,
Par Sol tiendra la loy du grand Messie.
        
 ここで、従来の普通の読み方は、「太陽の法と金星(ヴィーナス)の法が競う」というように解釈するが、厳密に見ると、「金星」には「la loy 法 the law」は係っていないであろう。つまり、一行目では、la loy du Sol (太陽の法 the law of the Sun)と Venus contendens(相競わんとするヴィーナス the contending Venus)という二項が &(而うして and)によって並べられているのである。勿論第二項も純文法的には、la loy de la Venus(ヴィーナスの法 the law of Venus)として読めないことはない。しかし、ここで言われている ヴィーナス(金星 Venus)が何であるかを明らかにすれば、その内実から見て、そこに「法」と呼べるほどのものを認めることは困難である。

では、ヴィーナス(金星)とは何を指すのであろうか。第一項の la loy du Sol (太陽の法 the law of the Sun)が、「幸福の科学」総裁大川隆法氏の基本的理論書の首位に来る『太陽の法』(英訳タイトルは文字通り The Laws of the Sun である)を指し、且つ、同時に、氏の説き明かしている宗教的法体系全体を指すのだとすれば、第二項の Venus contendens(相競わんとするヴィーナス the contending Venus)としては、大川隆法氏ないし「幸福の科学」に対抗的に振る舞っている或る宗教的主張者が想定されるであろう。そして、「ヴィーナス」と称されている以上は、その人は男性ではなく、当然女性でなければなるまい。

思うに、このような立場の人が確かに居るし、大川隆法氏自身がセミナーで或る一人の幸福の科学会員からの質問に対して返答した中で、この人の存在を明らかにしてもいる (大川隆法『ノストラダムスの新予言 1989年幸福の科学特別セミナー』幸福の科学出版、1989年、カセットテープ第2巻参照)。それは、大川隆法氏の特に最初期の活動において霊天上界にあって重要な役割を演じた GLA 主宰者高橋信次氏という人があったが、彼の娘で、且つ、彼の没後 GLA の後継者となった高橋佳子氏である。
 
高橋佳子氏は GLA に於いて、大天使ミカエルの再誕者とされている。よって、彼女の著書等の霊的インスピレーションの源泉は大天使ミカエルとされる。従ってその限りにおいて、この四行詩二行目「預言の精霊を占有している」とのノストラダムスの言葉は妥当している。しかし大川隆法氏によれば、高橋佳子氏はミカエルの生まれ変わりではないし、ミカエルの霊的指導も受けてはいない。そもそも天使の中でも最も勇猛果断で最も男性的な徳に優れているとされるミカエルと、ひとりの日本女性との魂の繋がりは不自然であろうから、大川氏の判定は間違っていないだろう。

大川氏は更に彼女の魂の本当の経歴をも明示している。その父・高橋信次氏の魂の本当の転生経歴を、<高橋信次[日本、1927年~1976年]← 役小角 (えんのおづぬ)[日本、A.D.7世紀末]← 左慈 (さじ)[中国、A.D.2~3世紀]← サナト・クマーラ[北インド、B.C.8世紀頃]← ヤコブ・イスラエル[古代ユダヤ、B.C.1800年頃]← エンリル[古代シュメール、B.C.2800年頃]>、という系譜として明らかにした後、「ちなみに、長女、佳子(けいこ)の過去世は、明智光秀の娘、細川ガラシヤである。」としている (大川隆法『太陽の法 エル・カンターレへの道』pp.354-356)。

なお、大川隆法氏の雄渾な三部作『大天使ミカエルの降臨 1』『大天使ミカエルの降臨 2』『大天使ミカエルの降臨 3』(大川隆法『大天使ミカエルの降臨 1』土屋書店、1988年。同『大天使ミカエルの降 臨 2』同、1989年。同『大天使ミカエルの降臨 3』同、1989年)は、高橋佳子氏とは関係のない本物の大天使ミカエルの姿を余す所なく明らかにしている。故に、ノストラダムスの言う「預言の精霊を占有している」との指摘は、大川氏に関しては特にこの点を衝いているのだと受け取ってもよいであろう。要するに、当詩に言う l'esprit de prophetie (かの預言の精霊 the spirit of prophecy)とは、具体的には大天使ミカエルを指すのである。

そして、高橋佳子氏も既に多数の霊的内容に満ちた著書を公刊しているが、それら著書を読んで受ける感じから言うと、先に述べたように、それらを一貫し一括するような骨格的な思想体系といったもの、つまり「法」と言い得べきものは存在しない。そこに在るのは、極めてソフトな、確かに豊かな感受性を示しはするが、本質的に機会的(occasional)な思念、つまり偶感・所感の数々である (「幸福の科学」出現前の高橋佳子氏の著作『真創世記天上編』祥伝社,1977,等は、生前の高橋信次『心の原点』三宝出版,1973, 等の流れに棹さしている趣があるが、「幸福の科学」出現後の高橋佳子『ディスカバリー』三宝出版,1995, 等は、その趣をなくして、心象風景の叙情といった方向に入っている)。

 次に、三行目「一方も他方も相聞き従わんとすることはないであろう。」の解釈であるが、事実として、高橋佳子氏とその信奉者たちは、大川隆法氏とその「幸福の科学」の世界史的真理性に心を開こうとしてはいないのであろう。

他方、大川氏の方が相手側に何か聞き求め、聞き従って、価値あるものを得られる、と期待しているとも思われないのであるが、それは、「太陽によって、大メシアの法が堅持されるであろう。」とのノストラダムスの四行目の予知判断が即、大川氏の現実の堅忍不抜の自己確信となっているからであろう。

 このようにして本詩の趣旨は明瞭になったが、その詩的魅力はおそらく『預言集』の群詩中、最高ではないかと感じられるのは、等位的に相競う二項ではなく、太陽と金星として、空の天体としても、本来段違いの力量の二者が、なお浅からぬ因縁の流れの中で、図らずも表面上に呈する競合について、美しく流暢に語っている所から発し来るのであろう。

「浅からぬ因縁の流れ」とは、例えば、高橋佳子氏の誕生日は、大川隆法氏のそれと完全に同じく、1956年7月7日であるといった点にも認められるであろうし、勿論、その父高橋信次氏が、大川隆法氏の宗教家としての立ち上がり過程において、陰陽両面、プラスマイナス兼合で、深く影響しているという点にも認められるのである (大川隆法氏による高橋信次氏の最終的評価については、大川隆法『太陽の法』pp.351-361、及び大川隆法『黄金の法』pp.312-317参照)。

 ここで言われた意味での「金星」に限定されるわけではないが、「太陽と金星」のテーマは、他の幾つかの預言詩でも扱われていた(§935, V-24, §936, V-72)。

ここでは、「太陽の法」を構成する「太陽の真義」に関して、「月」の意味との関連で、大川隆法氏自身の説明を聴聞したいと思う。

」の意味と「太陽」の意味について

 先に論考した第1章48歌(§941: ノストラダムス大預言の完成と終了)では、「月の支配の2000年」と「太陽の支配の7000年」が交代継起するものとされていた。そこで「月の支配」とは、「イエス・キリストの贖罪を紀元原点とする紀年法」を内容とするものであった。従って「太陽の支配」というのは、それに準じて解釈すれば、「大川隆法=エル・カンターレの『太陽の法』を中心とする法体系の出現を紀元原点とする紀年法」ということになるであろう。その場合、重要なのは、「月」の意味及び「太陽」の意味を十分に明らかにすることである。即ち、何故イエス・キリストが la Lune (月 the Moon)の象徴で語られ、またエル・カンターレ(大川隆法氏)が le Soleil (太陽 the Sun)の象徴で語られるのか、という質問が当然提起されてこよう。実は、これについては大川隆法氏による明快な説明が存在する。

 「私は、『釈迦の本心』という著書のなかにおいて、今から二千六百年前のインドにおける釈迦の考えがいったい奈辺にあったのかということを明らかにしたつもりであります。その思想はきわめてわかりやすく語られていると思いすが、その骨格を成すものは仏教の精髄そのものであります。何万巻あるいはそれ以上の仏典を読んだとしても、『釈迦の本心』のなかに盛られている思想がわからなければ、仏教をわかったとは言えないのです。また、ことばを換えて言うとするならば、この一冊の書物のなかに、ゴータマ・ブッダ釈迦牟尼仏が、八十一年の生涯のなかにおいて説き来たり説き去った教えが、思想的骨格として凝集されているということであります。釈迦の全生涯そのものについては、いずれ改めてその全容を本にしていきたいと思っておりますが、まずは出発点として、その精髄を、骨格を、この『釈迦の本心』にてみなさまに明らかにしたわけであります。

では仏陀はいったい何を言いたかったのか。この一冊の書物に盛られた内容を、さらに一点に凝縮するならば、一点に集約したとするならば、それは「反省ということの意昧を知れ」ということであります。

何ゆえに、とみなさんは問うでありましょう。何ゆえの反省であるのか。それがよいことであるからするのか、はたまた、反省というその方法論のなかに今一段高い意味合いがあるのか。そこに、私たちが察知し得ていないなんらかの深い意味合いがあるのではないかということを、考えざるを得ないのであります。

私は、みなさんが見えないものを見、みなさんが聴けないものを聴き、みなさんが知らないものを知る、そのような運命の下に生まれた人間として、一つの重大な事実をみなさんにお教えしておかねばならないと思います。それはすなわち、みなさん一人ひとりは、ご自分が主体的なる人生を生きていると思っており、そして、その意思決定と行動の決定の九十九パーセント以上は、自ら為していると思っているとしても、実はそうではないところがあるということであります。みなさんの目に見えない世界のなかでは、さまざまな様相が展開されているのです。そして、そのなかで最も人間の幸・不幸を分けているものが、霊的なるものの影響であります。世界にはこれだけ多くの人びとが、およそ五十億もの人間がおりながら、自らがどのような影響下に今あるのかということを、知らないままに生きているという事実。この事実を、私はなんとも許しがたく感じるのです。みなさんは目覚めなければいけない。自らが自分の判断で生きていると思いながら、その実、単なる操り人形になっていることがあるという、その真実を知らなくてはならないということです。

さらに具体的に申し上げましょう。私が会う多くの人びとは、多かれ少なかれ霊的な影響を受けております。しかし、そのなかでよい影響、すなわち守護霊や指導霊といわれる者から直接に影響を受けている者はごく稀であって、その時間とその接触面積は人により違いはあれども、たいていは、一日のうちのどこかで悪しきものの波動を受けているというのが、万人共通の事実であると思うのです。それは、「神の子人間」として、見ていてまことに情けない状態であるのです。万物の霊長といわれる我われ人間が、動物霊や、あるいは迷っているものなどにさまざまに影響されて、彼らのそのまちがった意図のままに人生を流され、運命の淵のなかに沈んでいくのを見るときに、私は、断固としてこうしたものの影響を排除していきたいと思うのであります。そして、みなさん一人ひとりが、ほんとうに自分自身の人生を生ききったと言えるようなそういう毎日にしていきたいと思うのです。みなさんの多くは、まったく自分のものと思えないような人生を生きていて、その結果を享受し、その責任を負わされているという、このような運命の流れのなかにあるのです。けれども、あなたがたもほんとうに神の子であり、神仏の子であるとするならば、もはや目覚めねばならないと私は思うのです。そのようなものにいつまで惑わされているか。早く神の子としての自覚に目覚めよ。そして、本来の人間の誇り高き神性を光り輝かすべきである。その時が来ている。そう私は思うのであります。

そしてその方法として、ひじょうに簡単に思えるかもしれませんが、二千年前も、三千年前も、そしてそれより遙か昔からも、人間は「反省が大事である」ということを教わり続けてきたのです。

反省ということを、過去を振り返るのみと誤解している人が数多くおられますが、ほんとうの反省の目的は、その自分の思いと行ないを正すことによって、より積極的なる人生を展開するところにあるのです。これを単なる消極的行為ととらえてはならない。マイナスをプラス・マイナス・ゼロにすることのみととらえてはならない。反省の奥にあるものは、より積極的なる自己を展開し、神の心をこの地上において、ユートピア実現という名の下に成就していくことであります。反省には実は複雑な要素がつきまとっているのであります。たとえば反省の効果という点に関して、みなさんは残念ながら追体験できないでいることが多いだろうと思います。その反省の力というものがどのようなものであるか、実際に知っている人は少なかろうと思います。それは、霊的な目で見るとするならば、まさしく、みなさんが反省ということを始めたその瞬間から、みなさんにいろいろなかたちでとり憑いていた悪しき者たち、悪しき霊たちと言ってもよい、そうした想念の塊が、崖から堕ちるがごとく、ロープを切られたがごとく、次つぎとはがれ落ちてゆくのです。私はこれを見ているのであります。この反省というものの力の強さを知っていただきたいと思うのです。

そして私はここに、次なる事実をお教えしなければならないと思います。みなさんは、「光」というものは外から来るものである、他力によるものである、そのようにお考えであることが多いのではないでしょうか。高級霊の力によって光というものが与えられるのである。それによって救いも与えられるのである。このように考えがちでありましょうし、事実そうしたものもあります。『愛から祈りへ』という本のなかで、私は数々の祈りの方法を、また祈りのことばをお教えしております。そうした祈りのことばを口に出して読んでいるということは、みなさんがた一人ひとりが霊的震源地となり、霊的波動の発信地となって、高級霊界に黄金の橋が架かっていくことになるのです。それによって、いろいろな指導霊たちが力を加えてくることがあるでしょう。そのような経験をされることでしょう。

けれども敢えて私は、「祈りの原埋」に先立って「反省の原理」を説いた理由の一つとして、光は外から来るものだけではないということを言っておきたいのです。この、釈迦が説き来たった反省という教えの根本は「光は内から出てくる」という考えであり、このことを教えんとしてやっていたのであります。「幸福瞑想」というものを多少なりとも実習された方は、「満月瞑想」という修法を経験されたことがあると思います。この満月瞑想は、瞑想であって単なる瞑想ではないのであります。それはひとつの反省を突き詰めた姿であるということを、みなさんは知らねばなりません。私自身、自らを振り返るということがあります。自らを振り返り、自己の内を観ていったとき、心の奥に沈潜していったとき、そこに私は一つの自己像を見ます。その私は、肉体を持っている私ではありません。それは、ちょうど金色の仏像のごとく見えるのであります。そして、その金色の仏像は、その内から、ちょうど丹田といわれるあたりより、明らかに光を発しているのです。この満月瞑想の姿は、実は反省の完成された姿でもあるということを、みなさんに知っていただきたいのです。

すなわち、みなさんは心のなかに去来したいろいろな思いを、一つひとつ反省されていくことと思いますが、そうして定(じょう)に入っていったときに、このような自分の姿が見えてこなければその反省は完成していないということなのです。反省が完成したときには、全身から光が出ます。これをオーラということばで呼ぶこともありましょう。後光と言うこともありましょう。しかし、それは単に外面的なる後光ではなくて、霊的な目で見て、全身が金色の像になっていなければならないということです。そしてその内から、強烈な光が四方八方に散乱していなければならないのであります。ここに私は、祈りとは違った「光」が存在することを感じるのです。祈りの光は遥かなる上空から降ってきます。しかし、反省による光は自らの内より発するのです。これを見たときに、知ったときに、私たちは、『新・心の探究』その他の書物で説かれている心の構造論の意味がわかるのであります。私の理論書には、私たちの心は、玉葱型に幾重もの層からなっていて、一人ひとりの人間が心のなかに四次元領域、五次元領域、あるいは六次元、七次元、八次元、九次元、十次元という領域を玉葱状に持っていると書いてありますが、それがまさしく真実であるということを、みなさんは知るに至るのです。

心の中核、中心の部分には、実相世界へと通じ、そしてさらには人霊を超えた世界に通じる「核の部分」があるのです。人格霊としては八次元、九次元が最高領域であるというような話もありますが、私たちのなかには、これを超えた十次元、十一次元、あるいはさらにそれ以上の光が注いでくる部分があるのです。その奥の奥の一点は、究極には大宇宙の遥かなる奥にいます神へと通じているのであります。この事実を知ったときに、我われは、内なる光を求めるという方法が存在していることを知らねばならないと思います。釈迦が説いた教えも、結局ここにポイントがあったのです。

 釈迦とキリストという二大聖人を比較したときに明らかなる違いとして現われてくるのもこの点であります。

キリストは、自分を超える絶対者というものが遥かなる彼方にあるという認識を示しておりました。それを「父」と呼ぶこともありましたし「神」と呼ぶこともありましたが、「超越的なる存在が、肉体に包まれた霊的我をはるかに超えてある」という認識をし、それを説きました。これが他力信仰の出発点であると思います。

しかし釈迦は、このような他力を説かなかった。何ゆえに説かなかったかというと、地上にある人間を、肉体に宿れる魂を、弱小なる存在とは見ていなかったからであります。イエスの教えにおいては、まだ人間は弱く崩れやすい、ときに罪人のレッテルを貼られるがごとき、そのような弱き姿として浮かんでまいりますが、釈迦の目には、人間とは真に強きもの、その中心において強きものと見えていたのであります。もちろんその外面において、外見においては、人生の流れのなかで、運命の激流に流され、カルマの渦に巻き込まれ、そして翻弄されていく数々の人を見てはきたが、その意味においてはイエスと同じく弱い人間を数多く見てはきたが、しかし釈迦は、それぞれの人間の核の部分に、確かなる神の光を見いだしていたのです。それ故に、釈迦は敢えて信仰ということは説かなかった。信仰というものを、どこか彼方にあるものへの畏敬ととらえずに、「自らの内にあるこの核ともいうべき光の部分に目覚めよ。さすればそこにすべてがある、すべてが見えるすべての力が与えられる」。こう説いたのです。内的宇宙が外的宇宙をも包含するそういう世界観を観てとっていたのです。こうした見地において、信仰というものがさらに力を得て、強大なエネルギーへと転化していったのであります。

内なる自己と外なる超越意識があるというのではなくて、実は同じ一点を通過するエネルギーであり、根源において共通するものであるということをつかみきった人間は、非常に強く、逞しく、勇気を持って生きることができるのであります。

すなわち、弱者から逃避せんとして助けを求めるのではなく、「汝、弱者に非ず、汝のなかに神仏あり。その神仏を見よ、その神仏に目覚めよ。汝の心のなかにある仏性を顕現せよ」--仏教の教えはこの一点に集結していくのであります。この一点がわからなければ、道破できねば、仏教を学んだことにはらないし、知ったことにもならないのです。その内なる火を、炎を、光をどこまで観ることができるか、ここがみなさんがたに試されているのであります。
」(
大川隆法「反省の原理」(1988年第4回講演会)『ユートピアの原理 救世の悲願』 幸福の科学出版、1990年、pp.129-146)

 このような、「光は超越的神から来る」というキリスト教の他力信仰の立場を「月」によってノストラダムスは象徴化し、また「光は内部から発し来る」という仏教的自力開発の立場を「太陽」によって象徴化したことが明確となった。そして時代は大きく「月」から「太陽」へと転回するというのがノストラダムス大預言の強き声である。

即ち「罪人意識に閉じ籠りつつ、外部の高みに光を求める」依頼の姿勢を転じて、「自己の罪過を反省し浄化しつつ微かにも発光する内心の光を掻き立て増幅する」萌え揚がる自立の姿勢が新時代のものである

[初出:北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号,1999。一部改稿。]

太陽の法」という名前について:
「さて、このノストラダムスについてさらにお話しをしますと、「幸福の科学」との関係が明らかにあるのです。明らかにあるというのは、これは我田引水ではないかと思われては困るのですけれども、私は『太陽の法』という本を出しています。これは幸福の科学の基本書です。ただ、この『太陽の法』という本の題は、私が考えて決めた題ではないのです。この『太陽の法』という本を出さなければならないということはすでに決められていたのです。そういういきさつの本であります。そして出版しましたが、この『太陽の法』という教えが出るということは、ノストラダムスが一五〇〇年代にすでに予言しているのです。これはけっしてノストラダムスをまねして言ったわけではなく、実際その計画どおりのものが出たということなのです。これは会員のみなさんであれば『新・神霊界入門』という本をお読みかと思いますが、小桜姫という方からの通信で、一九八五、六年のころに自動書記で書いた文のなかに、この『太陽の法』という言葉が出てきているのです。そのときにはまだ私は『太陽の法』の構想も何もありませんでしたから、書く予定もなかったのですが、そのように書こうと思う前に出てきていたのです。」(大川隆法『ノストラダムスの新予言講義』幸福の科学事務総合本部,1989,p.29-31)

日本と神理(一九八六年五月二十日の霊訓) これから約百年の間、日本には、かつて地上になかったような、黄金の時代が訪れます。科学文明はもちろん世界一の発展をみ、日本から宇宙へと旅立つ人びともたくさん出てきます。が、一方、国際政治、経済でも、日本はまさしく世界のよきリーダーとなります。各国の政界、経済界の重鎮が、毎日のように日本を訪れ、東京は「外交の都」と呼ばれるようになります。他方、宗教のほうも、日本を核とした新たな明晰かつ合理的な教えが、ヨーロッパに、北米に、そして東南アジア、中国にと広がってゆきます。産業界でもトップの国が、宗教でもトップの国へと変貌してゆきます。こうして二十一世紀には、日本は「神と太陽の国」と呼ばれるようになりますでしょう。そしてあなた [自動書記者・大川隆法] が説かれた教えが、「太陽の法」として、諸外国に知られてゆきます。それはまさしく、日本の国の象徴が太陽であると共に、あなたの説かれる法が、太陽のごとく人びとに注ぎかけるときでもあるからです。」(大川隆法『新・神霊界入門 現代女性を幸福にする小桜姫の霊訓』幸福の科学出版,1990,p.128-130)

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§941 ノストラダムス大預言の完成と終了 (2000 -): I-48

大団円としての幸福の科学11  ノストラダムス大預言の完成と終了

第一サンチュリ第48詩 ノストラダムス大預言の完成と終了 (2000 -): I-48 (§941).
月の支配の二十年が過ぎたら、
七千年間、別のものが君主政を保持するだろう。
太陽がその[月の]倦まれし日々を自らの手にするだろう時、
その時太陽は我が預言を完成し終わらせるのだ。


§941: Nostradamus’ prophecies accomplished and finished (2000-): I-48.
Twenty years of the reign of the Moon past,
For seven thousand years the other shall hold the monarchy:,
When the Sun shall take its tired days,
Then it accomplishes and ends my prophecy.


Vingt ans du regne de la Lune passés,
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:
Quand le Soleil prendra ses jours lassés,
Lors accomplit & mine ma prophétie. (№2)

 ここには、ノストラダムスが、自分の大預言が遂に終了するその時を自ら示している。彼の預言は何時までの世界史の出来事を扱っているのか、研究者によって色々に解釈されているが、それを解決するにはまさにこの預言詩を正しく解釈出来なければならない。

そこで、先の事例(大団円としての幸福の科学7:§937,III-4: 神託の開始 (1981)「月的なものどもが欠如に近づくであろう時、一者と他者が互いに大きく離れておらず、境界帯には寒さ、乾き、危険、まさにそこに於いてこそ、その神託活動は始まったのだ。」参照)から推して、「[月とは]別のものの支配」、即ち三行目で明言されているように「太陽の支配」が開始されるであろうまさにその時こそがそれである。

そしてその時、太陽は、ノストラダムスの預言を「完成し終わらせる accomplit & mine,  accomplishes and ends」と明言されている。

この二つの動詞は、ノストラダムスの全予言詩の中では例が限られている「直説法現在時称の動詞」であり、この場合は単なる予言的性格を越えて「歴史的必然の事態」を語ろうとしていると考えられる。accomplit (it accomplishes) という動詞は、1555年版 (№1, №6, №7) では、accomplir (to accomplish) というように、未来意味を負わされた不定詞になっていたから、1557年版以降 (№2, №3, №9, №10)で、ノストラダムス自身が、accomplit と改定したことがわかる。しかも「太陽は」ノストラダムスの預言を完成し終了させるというのだから、極めて権威とパワーの高い神的存在であることになる。この「太陽」とは、既述のように、「太陽の法を掲げた大川隆法」幸福の科学総裁である。

 差し当たり、月の支配と太陽の支配の交代に関わる年代の特定に議論を集中したい。

 そこで、先の解釈に基づけば、「1981年(大川隆法氏における神託の開始)という年」は、「月の支配の最終期」に属する一年であるから、それとの関係から「太陽の支配の始まり」を知る手掛かりが得られると期待される。ここで既述事項から参考となることを取り上げると、第1章17歌において、虹の四十年にもわたる不出現(第二次大戦終了後の日本及び日本人の大多数の精神状況、いわゆる国家神道的日本民族固有信仰という精神的主柱の喪失。この場合、四十年は 1945 年(昭和 20 年)から数えると 1985年(昭和 60 年)にわたる。)の後の、昭和 60 年になっての「虹」の出現(「幸福の科学」の最高指導者・大川隆法氏が霊的世界からの通信に基づいて初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』を昭和60年8月15日に刊行。これは年度がピッタリ一致する上に、終戦記念日たる8月15日という日付までも一致するという驚異的符合さえ存在する。)という事柄を想起すると、「虹」が出るには空気中の適度の湿り気と共に「太陽の光」が不可欠であるから、ここにまさに「太陽の支配の時代の曙光、つまりその開始」を見て取ることが許されるであろう。

即ち、昭和 60 年[西暦 1985 年](8月15日)という日付(初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』の刊行年月日)が、まさに、「太陽の支配の時代の出発日」なのである。(ここに、「日蓮」つまり「太陽の蓮華」という美しい名前の人が関わっているのも偶然ではあるまい。)

 しかしここでまた細部に入るならば、「太陽がその [月の] 倦まれし日々を自らの手にするだろう時」という文学的表現は興味深い示唆を含んでいる。何故なら、「太陽が捉えたその日々は、月の日々であり、その最後の疲れ果てた日々」に他ならないというのは、その限りで確かに「太陽の日々」であるけれども、しかし同時に未だ月の支配下にも属する日々と考えてよいような、そういう二重国籍的な日々であろう。従って、「昭和 60 年[西暦 1985 年]8月15日という日付(初めての霊言集『日蓮聖人の霊言』の刊行年月日)がまさに太陽の支配の時代の出発日なのである」と言うことは可能であるが、他方、その日には既にもう月の支配は終わっているということでもない。つまり両者の交代は点的なものではなくて、重合的推移でしかない。換言すれば、月の支配の最終期と太陽の支配の最初期は二枚の向き合う対称的な楔が微妙に重なり合って凹凸を見せない感じで連結しているのであろう。従って、ノストラダムス大預言の終結もピンポイント的な時点ではなく、或る程度の幅を持った期間に於いて想定すべきである。それはとりもなおさず、月の支配の最終期と太陽の支配の最初期が二枚の向き合う対称的な楔の重合のように形成する推移期間である。

 他方、詩文中に見える月の支配の「20年」と、太陽の支配の「7000年」というのは、正確な根拠ある数というよりも、象徴的なものであり、月の支配よりも太陽の支配の期間が圧倒的に長期に及ぶというような理解で本詩内的には満足すべきだろう。しかしながら、別の関連詩(§940,X-74)を参照すると、月の支配のこの「20年」というのは、紛れもなく「2000年」のことであると理解される。つまりそれは西暦紀元2000年間を意味する。よって、先に述べたように月の支配の最終期と太陽の支配の最初期は事実上二枚の向き合う対称的な楔が微妙に重なり合って凹凸を見せない感じで連結しているのであるが、理念上は、西暦2000年を以て月の支配の期間が終わり、2001年を以て太陽の支配の期間が始まると考えられる。」[初出:二瓶孝次「『幸福の科学』の仏教論的意義(9)」北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号、1999年。一部改稿])

 なお、本詩の「月の支配の終了」と同じ趣旨を詠う他の四行詩が存在する。

 III-97詩(§860): オスマン帝国崩壊と中東諸国独立 (1920-1948)「新しい法が新たな地を占拠するだろう、シリア、ユダヤ、及びパレスチナ方面において。巨大な野蛮の帝国が潰えるだろう、フェベがその時代を締め括る前に。Collapse of the Ottoman Empire; Independent countries in the Middle East (1920 - 1948): III-97. The New law shall occupy the new territories, Towards Syria, Judea, & Palestine: The grand barbarous empire shall collapse, Before Phebe shall have finished its age. ( Nouvelle loy terre neufve occuper vers la Syrie, Judee, & Palestine: Le grand empire barbar, corruer,  Avant que Phebés son siecle determine.) 」「フェベがその時代を締め括る前に」という規定は、Phebés = 「 Phebeフェベ:(ギリシア神話) 月の女神としてのアルテミス (ダイアナ) 」(Obunsha) とすると(日付のある預言詩2(続) : VI-2(その2)参照)、「月の支配の二十年が過ぎたら」という本詩 (I-48, §941) の趣旨と重なる。

 I-25詩(§934):「月がその大循環を完了するより前に。Before the Moon finishes its grand cycle,  Ains que la lune acheve son grand cycle 」三行目「月がその大循環を完了する前に」とは、太陽の光で僅かに輝く月のような絶対他力的原理の宗教のイエス・キリストという基軸を巡って来た西暦2000年間の終末期ということ、換言すれば「太陽の時代の開始期」に相当し、キリスト再臨約束の実的履行者・再誕のブッダ大川隆法氏の<太陽の法旗>のはためき始めた年々ということになる。なお、「月がその大循環を完了する」という表現は、後で取り上げる予定の関連詩I-48(§941)との繋がりによって一層明白となる (大団円としての幸福の科学4参照)。

 さて、しかし、「太陽が我が預言を完成し終わらせる」という本詩の趣旨は、今述べたような、単なる「時期的な接続と継起」という意味だけに止まるとは思われず、そこには同時に、もっと内容的な大切な意味が込められていると思われる。何故なら、単なる「時期的な接続と継起」という意味だけであるならば、「終わらせる」という一語で足りるであろうからであって、そこに敢えて「完成する」というもう一つの他動詞が付け加わっているのは、「我が預言には、太陽に依って完成されるのを俟っている不足部分が有ります」ということを、本詩作者たるノストラダムスが告白している、と解釈されるからである。

こういう問題が出て来る所以は、我々が従来力説して来た「ノストラダムス預言西暦2000年終了説」だけでは律しきれない歴史と預言の幅のある持続ないし期間が実在し、それを無視する事が出来ないからである。つまり、ノストラダムス『預言集』のカバーする範囲が、原理的には、西暦2000年迄だとしても、ある特定の四行詩または「セザール宛序文」や「アンリ二世宛書簡」で取り上げられた事項が、主なテーマはなるほど例えば20世紀内の事だとしても、時間的にその先へと持続して行く要素がそこに必然的に含まれているならば、そしてそれが21世紀へと延伸されてゆく性質のものならば、21世紀に関する預言が避けられない場合もあり得るだろう。しかし、その預言を、他の2000年内に完遂される預言と同様に「本格的に扱っていたら切りが無くなる」から、ノストラダムスは、そういう点で「十分には預言事象の判断材料を提示しなかった」と考えることが許されるだろう。

 具体的問題に当てはめるなら、例えば、前節で取り上げた「21世紀初めからの世界平和」という問題は、実際、それ以上の説明材料がノストラダムスからは提供されていない。もし、本詩が云うように、「太陽が我が預言を完成する」というのであるならば、この問題についての十分な説明を提供し得るのは「太陽、即ち、幸福の科学総裁大川隆法氏」その人以外には存在しないのではあるまいか。

そして、西暦2013年8月11日(日曜日)の今現在、「世界平和」の問題を、理論的にも、実践的にも、主要な課題として自らに課し、日々敢闘している「不惜身命を地で行く人」として、我々は大川隆法氏自身を見出すのである。ここでは、氏の最近の著作『政治と宗教の大統合』(幸福の科学出版, 2012)の中から、関連する章句を引用しておきたい。

「唯物論・無神論」勢力には、断じて屈するわけにはいかない
 私たちは、「宗教的に見て正さなければいけない」と思う部分については、教義上の戦いを行います。いろいろな宗教に関して、「宗教的に間違っている」と思うものについては、批判し、修正を求めたいと思います。ただ、それはそれとして行いつつも、「宗教は要らない」とか、「唯物論・無神論の国が正しい」とかいう考え方には、断じて屈するわけにはいきません。なぜなら、そういう思想を信じたならば、その人は、将来、地獄に堕ちて苦しむことになるからです。それについては、「マルクスの霊言」などを読んで、彼が、今、どうなっているのかを知ってください(『マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ』〔幸福の科学出版刊〕参照)。あれだけ大きな影響力を持ち、共産主義者たちから神様のようにいわれていたマルクスが、地獄の無意識界で、自分が死んでいることさえ分からない状態になっているのです。また、「丸山眞男の霊言」も収録しました(「日米安保クライシス」〔幸福の科学出版刊〕第1章参照)。霊言収録の時点で、死後、十四年がたっていたのに(一九九六年没)、彼は、自分が死んでいることが分からずにいたのです。彼は、「体の具合が少し悪くて、まだ病院のベッドの上にいる」と思っており、死んだ時点で時間が止まっていました。質問者が、「今は、二〇一〇年です」と言っても、まったく信じず、まだ一九九六年だと思っていたのです。「体の具合が少し悪いので療養しているのだ」と言って、霊界の存在はまったく信じていませんでした。そういう人が、安保闘争のリーダーだったわけです。彼に引っ張られて大勢の人が安保反対の方向へ動いていきましたが、アメリカとの同盟に反対した「六十年安保」「七十年安保」のリーダーたちは、まだ政界でくすぶっています。そういう人たちが、今、この国を悪くしようとしているため、何とかして、これを浄化しなければいけません。」(p.86-88)。

ここで挙げられている「唯物論・無神論」勢力」というのは、ノストラダムスが、まさに、AZOARAINS(刹那的現代人たち)という独自の新造語で言い表わそうとした当の人々であるに違いない。

「よい国」と「悪い国」とを見分ける明確な基準
 アメリカは、確かに強大な軍事力を持っており、その軍事力を行使している部分をミクロ的に見れば、悲惨なこともたくさんあるだろうと思います。神仏は公平平等だから、どの国も同じように見ているかといえば、そのようなことはないのです。やはり、「どちらの国のほうが、人間がより幸福になるか」という観点から、はっきりと判定が下っているのです。私は、一九八〇年代に『ソクラテスの霊言』という霊言集を出しましたが、その中に収録されている「リンカンの霊言」で、リンカンの霊は、「神は、ソ連よりもアメリカのほうを愛している」と述べていました。当時は、ソ連という国がまだ存在していた時代ですが、このリンカンの言葉に対して、ある読者から、「そんなはずはない。神ならば、ソ連もアメリカも平等に愛しているはずだ」というような意見が来たことを覚えています。しかし、その数年後、ソ連邦は崩壊しました。ソ連邦崩壊後、蓋を開けてみたら、国のなかはひどい状態でした。国家が、外側をうまくごまかして、よい国であるかのように宣伝することはいくらでもできますが、やはり、「どちらが、よりよいか」という方向を指し示して、国をそちらのほうに変えていかなければいけません。もちろん、アメリカにも、病んでいる面はたくさんあります。しかし、私たちに、その病んでいる面を学ぶ必要はありません。立派なところだけを学び、日本型の素晴らしい国家モデルをつくって、それを世界に広めていくことが大事です。日本には、次の世界のリーダーになるべき使命があるのです。「アジアやアフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、これらをすべて結ぶ懸け橋になることが日本の役割である」と、私は信じてやみません。」(p.88-91)

東アジアにおける「最後の冷戦」を終わらせるために
 今、国際的、外交的な面で、私たちが立ち向かわなければならない大きな課題は、二つあります。一つは、この東アジアの地における「最後の冷戦」です。かつて、アメリカとソ連邦という二大陣営を中心とした冷戦がありましたが、中国や北朝鮮においては、今もまだ、政治的には共産主義体制が残っています。そして、今、「この極東アジアで、最後の冷戦が終わるかどうか」という局面に来ています。私は、この冷戦を終わらせ、世界の人々が同じ土俵で話し合いができるような世界に変えていきたいのです。価値観の相違や政治体制の違いによって、お互いに憎しみや不信感が生れ、そこから戦争が生まれてくるのであるならば、価値観を共有しうる一つの思想を宣べ伝え、広げることによって、平和を樹立しなければならないと思います。北朝鮮の九十九パーセントの国民は、「もっと幸福になりたい」と思っているはずです。わずか一パーセントの人たちが、権力を握って離さないだけなのです。私は、かの国を仮想敵国として見るのではなく、かの国の人たちも、自由に日本に来ることができ、ディズニーランドで遊んで帰ることができるようになる日が来ることを、夢見ています。近い将来、そういう日が来ることを、心より祈っています。
 また、中国は、自由主義経済を一部に取り入れて、経済的には西側寄りになりましたが、政治的には依然として共産主義の一党独裁体制を維持しています。しかし、これ以上、その体制を続けることは、十三億の国民を苦しめることになります。私は、中国に対し、『そういう現実を率直に認めて、価値観の転換を図るべきである』と提言したいと思います。今、この大国が、自由と民主主義の方向へと、大きく舵を切ることができたならば、世界は平和へと大きく前進します。そうなれば、次の大きな世界戦争は起きずにすみます。そちらの方向へ導いていきたいと、私は、強く強く願っていますし、できれば、私が生きている間に、この冷戦を終わらせたいと強く念じています。
 もう一つの問題は、宗教を中心とした戦いです。「キリスト教圏、プラス、ユダヤ教圏」と「イスラム教圏」との間には、思想的な違い、相互理解のなさによる戦争や、怒り、憎しみが続いています。この問題について、価値判断を間違えたならば、今後、百年、二百年、三百年と、戦いが続いていきかねません。私は、今、「キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の違いを乗り越えて、世界が、一つの神の名の下に、その思想の下に融合し、平和への道を拓いていく」という未来の構築を目指しています。世界が争いのなかにあるならば、宗教がその使命を果たしているとは言えません。教義や修行の方法、儀式や礼拝の仕方に違いはあるでしょう。しかし、そういう違いはいったん横に置き、「この地球に神なる存在があるとするならば、何を願っているか」ということを、全世界の人々に想像していただきたいのです。神が、民族間の戦争や憎しみ、怒りなどを願っているはずはありません。また、無神論、唯物論が世界を覆うことを望んでいるはずがありません。神は、正しい世界観の下に、人々が協調し、繁栄する世界をこそ願い、望んでいるはずなのです。」(p.114-118)

幸福実現党の使命
 私が二〇〇九年に幸福実現党を立党したのは、この日本のなかに小さな利益団体をつくり、自分たちの団体に有利になるような利益誘導がしたいためではありません。日本の国民を没落から救い、全世界の人々に、幸福への道しるべを指し示すために幸福実現党をつくったのです。幸福実現党を支持し、応援してくれている人々の声は、まだ小さいかもしれませんが、私は、その声をとても心強く感じています。私たちの政治活動の根本にあるものは、天上界からの強い強い願いです。私がスピーカーとなって、この天上界の願いを地上の人々に伝えているのです。私は、スピーカーとして声を伝えるしかありません。言葉として、思想として、訴えかける以外に方法はありません。しかし、あなたがたが、その足で、その手で、その口で、その目で、「人を愛し、幸福にする」という活動を日々実践していくならば、世の中は、毎日毎日、毎週毎週、毎月毎月、毎年毎年、変わり続けていきます。そして、その活動は、単に、「日本を救う」という小さな目標で終わってはなりません。私たちの目標は、世界の未来を指し示すことにあります。世界の人々に、向かうべき方途を指し示すことが、私たちの最終目標なのです。
 私は、千年、二千年の未来に向けて、人々を幸福に導く源流でありたいのです。
 そのための、愛の原点でありたいのです。
 そのための、悟りの出発点でありたいのです。
 そのための、勇気の原動力でありたいのです。
 それが、幸福の科学の目指すものであり、幸福実現党を立党した私が心底から願うものでもあります。」(p.119-121)

補論 第八千年紀(21世紀)初頭の世界平和実現について:

以上の、「幸福の科学」による補足を俟って、再度、前節の「第八千年紀初頭の世界平和」について考察を進めてみたい。先に見たように、「アンリ二世宛書簡」には次のような一節があった:

「偉大な法  [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINSが例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169)

さて、既述したように、この文章は「第七千年紀に近い時期」、つまり、「第六千年紀の終り頃か、第八千年紀の初め頃」の世界情勢の予言である。ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々…。」 (№1,p.42) と述べている所からすると、問題なのが「第六千年紀ではなくて、第八千年紀」であるのは明白である。言い換えれば、これは、大団円としての幸福の科学14-15: §944, X-72 キリスト再臨の「債務弁償者」ダンゴルモア大王(1999.7); §945, X-75 大ヘルメスの系譜に乗るアジアの大王(2000)において見るように、「イエス・キリストに代る天からの再臨者大川隆法氏」の登場という画期的事実を考慮しつつ解釈しなければならない、ということである。

そこで、文中の「イエス・キリスト」を「大川隆法氏」と読み換えてみると、以下の解釈が導き出される。

偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります [ソ連邦の終焉:1991年12月26日]。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様に大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるこれは、「tribulation 試練」という語が、「宗教的な苦悩、苦難」(Suzuki) という意味を主として持つので、「大川隆法氏の最初の配偶者が信仰逸脱によって惹き引き起こした諸々の法難(toute tribulation: あらゆる試練)から、その離婚(2012年)に依って解放された」という事実が当てはまる(大川隆法『現代の法難①』『現代の法難②』『現代の法難③』『現代の法難④』幸福の科学出版, 2011, 参照)。

** 大川隆法氏の聖域 [日本国] は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも、踏みにじられるような事にはならないここで「北方」とは、「21世紀初頭において旧ソ連になぞらえられる勢力」であるから、「日本国首都・東京より北の緯度にある北京を首都に持つ中華人民共和国、及び、〝北朝鮮〟と俗称される朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家」と比定してよい。

** AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: AZOARAINSとは、既述のように、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味の造語で、従って、それは「21世紀初めに於いて指導的宗教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になる。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものを指し、この場合は具体的に、「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」ということになる。そして、彼らが「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に混入しようとする「胆汁と疫病的誘惑の種」とは、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」であろう。

** 世界がある種の大きな紛争に陥らんとする時でも:「ある種の大きな紛争 (quelque grande conflagration, some large conflagration) 」という曖昧な表現は、「決して戦争には到らないような国際摩擦・地域紛争」と解される。しかも、原文は文字通りには「ある種の大きな紛争に近づくけれども」であるから、「実際に大紛争になることにはならない」という意味である。例えば、優れた国際政治学者・副島隆彦の近著『日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社、東京, 2015, p.145)は、国際紛争の諸段階を、①議論・対立・交渉(Argument)②軍事衝突(Military conflagration = Armed conflict)③事変・紛争(Military conflict)④戦争(Warfare)⑤和平交渉(Peace talks)⑥平和条約(Peace treaty)の6段階に分けて説明しているが、時代的性格を持つ用語をも見通していたノストラダムスの場合、その「Conflagration」というのは、副島氏の言う「警察公務員の5~10人程度の死亡を伴う第二段階の軍事衝突」というニュアンスで理解してよいだろう。或いは、「Large conflagration」として第三段階の「事変(両軍で各300人程度の死亡)」と見做すことも可能だろうが、いずれにしても、「そういう事態に近づく」だけということなら、殉死者が全く出ないか、あるいは出ても10人程度の小競り合いが預言されていると解される。

** そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そして大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです: 後半は「譲歩の従節」で、それが、前半の二つの主文に掛かっていると考えられる構文である。従って、これを分解すれば次の二項になる。

** 大川隆法氏の教会 [幸福の科学] は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: この場合のAZOARAINS(永遠の生命を信じる真の信仰を欠いた刹那主義者・現実主義者たち)は、「幸福の科学に法難をもたらした大川隆法氏の最初の配偶者及びその協力者」という意味で理解してよい。

** 人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、AZOARAINS が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしても: 「中華人民共和国及び朝鮮人民共和国という唯物論・共産主義国家の人々」が「蜂蜜」(上質甘美な日本の国体)の中に、「胆汁と疫病的誘惑の種」、つまり、、「日本の大東亜戦争の侵略責任等々の一方的な、史実に基づかない反日キャンペーン」を繰り広げても、「ある種の大紛争に近づく」だろうが、「決して本格的な大紛争や戦争」には到らず、全世界的平和が実現されるであろう。ここで、「平和 Paix」のフランス語原語は「大文字のイニシャル」となっているから、「強調された確固たる平和」の意味が込められていると解釈できる。従って、これは実に明確な「ノストラダムスの世界平和到来宣言」(21世紀初頭に立つ今現在、すでに実現しつつある預言)なのである。但し、「世界平和」と言っても、ノストラダムスの「諸世紀にわたる俯瞰の眼」からすれば、例えば第二次大戦後の長期の世界時期(1945年から、1991年の第一次湾岸戦争まで)が「長期の平和」と称された(§928,I-63: 第一次湾岸戦争 (1945-1991)参照)ように、或いは又、フランスの歴史において、多くの小規模な国境拡張対外戦争を仕掛けたルイ14世治下の長期の繁栄(1659 – 1715 の57年間)が「平和な年々」と称されたように(§320, X-89参照)、波乱一つない完全な凪状態ではなくて、世界が生きて動いている証拠とも言うべき「各地各期の小地域小摩擦」を含みながらも世界大戦には到らない静穏状態のことである。

 

なお、大川隆法氏を「第八千年紀のイエス・キリスト」に見立てる解釈には、氏が「イエス・キリストの再臨約束の債務弁償者である」という根拠が第一に想定され得るが、第二の強力な根拠が存在する。それは、霊天上界にあるイエス・キリストは、いわば「幸福の科学のCEO(最高経営責任者)」といった責務を負い、同教団の具体的な地上の宗教活動を指導する天上の最高責任者である、という体制である。このことは、「幸福の科学」の初期の段階でも明言され(下記A)、また最近においても同様に確言されている(下記B)。

A:  イエス・キリストは「幸福の科学」の最高指導霊である(1986)。
大川 - イエス様お出で下さい --。
イエス イエス・キリストであります ―。

善川 イエス様ですか。

イエス そうです。もう四年近く、私はあなた方と話をしておりませんが、いまこうして機会も熟し、あなた方とまた話しあえる機会ができたことを嬉しく思います。

善川 過去、お教え願って以来この方、私たちの「正法流布」の使命がどれ程もなされていないということを申し訳なく存じております。しかしながら、以来多くの諸如来、諸菩薩の方々から、正法、神理について、多方面、多角度からご指導をたまわり、「法」そのものを己れの血肉となし、生きていこうとする覚悟ができ、ささやかではありますが、各自の立場において世の人びとに語りかけることができかけておりますことを感謝いたしております。つきましてはこの機会に、イエス様から、大所高所から私たちにご指導のお言葉をたまわれば幸いと存じます。

イエス そのような格式張ったことは言わないようにして下さい。あなたは何か勘違いをされているようです。私はあなた方の指導霊なのです。だから、あなた方のできが悪いということは、私の指導が悪いということなのです。あなた方の学習、あなた方の行動、あなた方の「法」もそのでき具合は、私自身のでき具合とからんでいると思っていただきたいのです。あなた方を離れて、私があるわけではないのです。私はあなた方と一体です。そう思っていただきたいのです。全く別な人間であって、高所からあなたがたを見下ろしている人間だと思っていただきたくないのです。私もあなた方の仲間であります。あなた方を指導する霊たちの最高指導霊は私だということです。あなた方の今回の計画の、指導の最高責任者の立場にあるのは、この私であります。余り将来のこと、悪いことや、不自由なことばかり想像しないでください。私たちは大きな眼で見ていますが、もちろんあなた方にとって必要なものは、既に用意されているのです。あなた方が心の中に思い浮かべ、あなた方が希求し、要求する前に、私たちは、あなた方の必要なものは知っておるのです。既に用意しておるのです。その必要なものが、あなた方にとって、適切な時期に、その時機、その時機に与えられるようになっているのです。」(善川三朗『キリストの霊言 過去の教義を超えて』潮文社、東京、1986, p.42-45)。

 

B:イエス・キリストの「現在の仕事」(2013)。

「幸福の科学の世界宗教化」がメインの仕事

綾織 幸福の科学に対しては、このようなかたちでイエス様からメッセージを頂いているわけですが、普段、キリスト教世界の中で指導されている方はいらっしゃるのでしょうか。

イエス それは、いろいろと、導くべきところで、まめに働いてはおりますがね。いろいろな活動を世界各地でやっていますから、関係があるところには、多少なりとも霊的な力を加えようと努力していますけれども、今は、「幸福の科学が世界宗教になるように、その道をつくりたい」ということが、いちばんメインの関心事です。どのようなかたちで、キリスト教国にこの教えを広げていくか。あるいは、イスラム教との関係で、どのようにして広げていくか。そのへんを考えたりすることの方が、中心的な仕事にはなっていますね。ある程度、準備しなければいけないところがあるので、「大きくなればいい」というだけではないんですよ。つまり、急速に大きくなってきた場合に迫害が来ることは、歴史的に、繰り返し、いろいろなかたちで起きていますし、急速に広がるものは迫害を受ける可能性があるので、やはり、それを乗り切れるだけの準備が必要ではあります。その意味で、「急いではいるけれども、急いでいないところと両方ある」ということですね。」(大川隆法『イエス・キリストに聞く「同性婚問題」性と愛を巡って』幸福の科学出版、東京、2013, p.107-109)。
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§940: 墓から出た人々(霊人達)の出現: X-74 (1981-)

大団円としての幸福の科学10 墓から出た人々の出現

第十サンチュリ第74詩 墓から出た人々霊人達の出現 (1981-)X-74 (§940).
七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて

赤トンボの飛翔が次々と現われるであろう。
千番目の大きな年から離れていない頃、
中に入っていた者たちがその墓から出て来るであろう。

§940, X-74: Spiritual beings appear by turns (1981-).
Years of the seventh great number having passed one after another
Shall appear by turns the flights of Akatombo,
Not far from the thousandth great age,
When the enclosed shall come out of their tombs.

(An revolu du grand nombre septiesme
Apparoistra au temps Jeux d’Hacatombe,
Non eslongné du grand eage milliesme,
Que les entres sortiront de leur tombe.

 この詩の二行目と四行目は、夫々が特異な表現で同一の事態を語っていると思われる。それは、多分、大川隆法氏の霊言集の数々を意味しているであろう。そして、一行目と三行目も、矢張り異なる表現において、共に、或る同じ時期について語っている。『日蓮聖人の霊言』(1981) を嚆矢とする大川隆法氏の数々の霊言集は、日蓮のように既に過去の人となっている人々の現存する霊との対話集であるとされるから、「その墓から出て来た者たちの言葉」ということになろう。なお、先に「ノストラダムスは同じ四行詩の中で同一事項を繰り返し語ることはしない」という点を注意喚起したが(大団円としての幸福の科学9(続& 1/2§955-§956, I-1 & I-2 ノストラダムスの「発声的書記」参照)、それは「腰を掛けている」と「椅子に寄っている」というような「全く陳腐な表現の重複の無用性」を指摘したのであって、逆に「重要、且つ、解読困難な事態に関する多面的描写、複層的表現」は、ノストラダムス預言詩に固有の特質と見ることは、解釈者が身に着けるべき解読戦略の構成要素である。

 

ところで、土葬の墓であれば、そこからの復活は聖書に見られるように、身柄自体の蘇生という形が当然とされるであろう。これはいわゆるイエス・キリストの再臨と最後の審判における死者たちの復活において信者から期待されている形態であろうが、この詩での復活はどうもそうではない。それは単なる霊的復活である。そのことは二行目の注意深い解釈により判明する。

 

そこで問題なのは、Jeux d'Hacatombe (Actions of Hacatombe) の意味であり、「赤トンボの飛翔」といったような我々の解釈が可能かということである。Hacatombe Hécatombeの一字置換による変形と思われる。Hécatombe は「雄牛百頭を生けにえに捧げるギリシアの供儀」であり、それを僅かに変えてHacatombe としたのは、いつものノストラダムスの細工である(例えば、§352, VIII-24におけるParpignan§353, VIII-22における Parpignam参照)が、この細工にはどんな意味が隠されているのだろうか?

 

我々がそこに「赤トンボ」という意味を見るのは、勿論、この単語の発音に基づく。Hacatombe のフランス語の発音は「アカトンブ」であるが、tombe (トンブ、墓)と同義語の tombeau(トンボ、墓)を用いてHacatombeau にすると「アカトンボ」と読める(尤も、だからと言ってHécatombe -tombeが墓の意味という訳でない)。また、Hacatombe Hacaは、Hをアスピレ(有息)と考えると「ハカ」(墓)と読めないこともない。つまりここに我々はノストラダムスの語呂合わせに応じて、日本語的平面の語呂合わせを敢えて行う。そうすると、大川隆法氏がそこで産れた日本文化の中でのこの詩文の解釈が可能となる。このようなノストラダムスの「語呂合わせ手法」は、II-91 (§868)安芸の地に米国の原爆炸裂 (1945.8.6)」にも、極めて重要な実例が見られる。即ち、そこに出てくるフランス語のAquilon (アキロン)という単語で、これは本義が「北風」という事で、多くの研究者は「北方」「ロシア」等と解釈する。そうすると詩の他の部分が果たして原爆災害を述べているようでも、どうしてもこの語が整合的に解釈出来ない恨みが従来残ったが、全く観点を変えて、「アキロン」という音声に注目した時、「アキロ= 安芸路」という語呂合わせ的な解釈が浮かび出て来るのである。「安芸 アキ」は正に「広島地方」の古称であり、「安芸路 アキロ、アキジ」とすれば「安芸の地、安芸方面」という意味になる。フランス19世紀 (1835) の有名な地理事典 (MacCarthy) は「AKI, 北西を IVAMI (石見)、東をBINGO (備後)、南をSikoko [Sikoku] (四国) 水道、そして西南をSUVO (周防) の各国に囲まれた日本本島の西方の一国」として安芸を説明している。また、安芸を実際にAQUI, Aqui と表記した17世紀の古地図も存在するから、これなら、より一層、Aquilon というノストラダムスのテキストに近い(P.ブリエ作「日本図」1640年代刊、国際地学協会出版部編『総合世界/日本地図』(株)国際地学協会、東京、1989, 見返し参照)。

実際、トンボは神武天皇が日本の国土の形状を「蜻蛉の臀舐 あきづのとなめ」に似ていると評したことから日本国の古名となったように、我々には縁の深い昆虫であり、「民間では、初秋に突如として群れをなして飛来するところから、祖霊が姿をかえてやってくるとみてこれをとらえることを忌み、とらえると<盆と正月礼にこい>と唱えて放つ風習があった。」(千葉徳爾「トンボ」『平凡社大百科事典』1985年、第10巻、P.1137)。

つまり、日本では、トンボは「この世に戻って来た祖霊の姿」として表象される。日本的に考えると、死者の復活は肉身蘇生といった重厚なものではなくて、さわやかに飛ぶトンボのように軽快で、真に精霊的である。そして雄牛「百頭」の犠牲を意味するHécatombe の変形であるHacatombe にも、そういう多数という意味を含ませてよいから、Hacatombe は「多数の赤トンボ」の意味になる。そしてjeu (action, play, game) は、或るものの固有的活動・機能であって、トンボならさしずめ「飛翔」ということになろうが、ここでは昆虫自体ではなく、トンボに象徴される「霊人たち」が問題となっていて、そのあるべき活動としては、「人間との交流」が考えられよう。

従って、大川隆法氏との交流、及びそれに基づく霊言集の刊行ということは不可解ではない。そして、au tempsというのは、「元に戻って一斉に」体操するといった場合の整然とした動きの拍子のよさであり(cf. Ibuki; Thomas, s.v.temps)、従って「同様の事が次々と繰り返し起る」という情景を表すから、英語の by turns 代わる代わる、順番に)を当てることが出来る。また、apparoistra (shall appear) という動詞は単数形であるから、先の日興、日蓮二人の霊人の到来が単数形動詞surviendraによって個別分配的に表現されていたと同様、ここでもJeuxという複数形主語に対するこの単数形動詞は、個々のJeu が次々と拍子に乗って現れて来るとの分配的表現となっているのであろう。

なおJeux d'Hacatombeという頭文字の大文字表記は、日興、日蓮等の個人名を持つ霊人たちを意味するからと思われる。このようにして、日本において、日本語を用いて開始された大川隆法氏の霊言活動が、このノストラダムスのフランス語預言詩の中で捕えられるためには、幾つかの語句の含みが「日本文化的なもの」を暗示する必要が確かにあったのであり、そのことを作詩者ないし霊感能与者はあやまたず実行したとの深い感慨を禁じ得ない。

 では次に、一行目と三行目の検討に移ろう。「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて」と「千番目の大きな年から離れていない頃」とは、「同じ時期」を指していると思われる。先ず「七番目の大きな数le grand nombre septiesme the seventh great number」というのは、ノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)に記述されている「第七番目の千の数le septiesme nombre de mille the seventh number of thousand」のこととしてよい。そこでは「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々」と述べられている(№1, p.42)

これは、西暦紀元前と紀元後を通算してその全体の初年を1とした時、1乃至1000年を第一千年紀、1001乃至2000年を第二千年紀、2001乃至3000年を第三千年紀、3001乃至4000年を第四千年紀、4001乃至5000年を第五千年紀、5001乃至6000年を第六千年紀、6001乃至7000年を第七千年紀、7001乃至8000年を第八千年紀とする紀年体系である。「序文」にあるように、序文の日付としての1555年が第七千年紀に属するならば、第七千年紀の範囲は、理論上、1555年がその最終年の場合とその初年の場合の両極端の中間期間に合致することになる。つまり、1555年がその最終年の場合の第七千年紀の初年は556 年であり、1555年がその初年の場合の第七千年紀の最終年は2554年となる。従って差し当たり 556年乃至2554年の間の或る1000年間が第七千年紀の期間である。それを特定するためには第二の規定に頼らなければならない。

その第二の規定「千番目の大きな年le grand eage milliesme the thousandth great age」(eageâge (age), milliesme millième (thousandth) と読む)というのは、「単なる千番目の年が1000年を表す」のに対して、「千年ごとに現われて来る千番目の年」であって、つまりは1000, 2000, 3000, 4000, 5000, 6000, 7000, 8000, 9000というような年々であろう。するとこのような年を「 556年乃至2554年の間」に求めると、1000年と2000年の二つの場合が浮かび上がって来る。この二つのうち、問題とされるのは、例えば1985年(昭和60年)という「太陽の支配の時代の事実的開始」と同じ時期なのであるから、「2000年」という年のみが唯一の適合例として残ることになる。

そして、「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて Years of the seventh great number having passed one after another」と補足を入れて訳した原文 An revolu du grand nombre septiesme an (year) は無冠詞の単数であるから、その原義は「1001年乃至2000年の期間内の任意の一年が過ぎ去って An du grand nombre septiesme [étant] revolu」であるが、これも矢張り配分的に見て、「そういう同じ事態が次々と繰り返されて行って、遂には最終時期に到って」というニュアンスが文脈上汲み取れるのである。但し、それは文法上はあくまでも可塑的な表現であって、具体的には第三行目との結合によってのみそういうニュアンスが発生し得るのである。従って、信頼できるテキストを採用しながらも、Cheetham (1973, p.417-418)Hogue (1997, p.801) が、An revoluを、「第七番目の大きな数の最終の決定的な一年」と解釈しているのは、正鵠を射損なっている。

他方、An revoluという信頼できる諸版 (3, 10, 5) の原文テキストを、Au revolu (= à + le + révolu) と読み換えるLe Pelletier (Le Pelletier, II, p.311; Fontbrune, 1939, p.279; Leoni, (1961)1982, p.434; Ionescu, 1976, p.424; Brind’Amour, 1993, p.195; Guernon, 2000, p.178; Clébert, 2003, p.1141) の解釈について言えば、そもそも、révoluという形容詞が名詞として使われる例はない (cf. Littré; cf. Huguet) から、許容出来ないのである。それに対して、例えば、après l’an revolu (After the year passed, completed) という用例が、ノストラダムスと同時代のフランス16世紀の著者Jacques Amyot (Les vies des hommes illustres, Grecs et Romains, comparées l’une avec l’autre par Plutarque de Chæronee, Translatees premièrement de Grec en François par maistre Jaques Amyot lors Abbé de Bellozane, III. Vοlume, Vascosan Imprimeur du Roy, Paris, 1567, p.1525) には認められるから、我々の読み方はテキスト的にも語史的にも妥当と言える。

このようにして、「七番目の大きな数の年々が過ぎ行きて」、並びに「千番目の大きな年から離れていない頃」というのは、「西暦2000年を目前にした時期」ということになる。ここから逆に見れば「第七千年紀」としてノストラダムスが設定しているのは「西暦1001年から2000年までの千年間」なのであるということが改めて確認される。故にノストラダムスが自分の息子セザール・ノートルダムに宛てた『預言集』序文(1555年)で「我々は全てを完成する第七番目の千の数に猶も在るのではあるけれども、第八番目の千の数に近づきつつあって、云々 (№1,p.42) と述べているのは、1555年が第七千年紀の半ばを過ぎているから、正確な表現であることがわかる。

更に、先に(「日付のある預言詩1(1999年): その前後マルス(軍神)は幸運に統治するだろう(X-72)参照)預言詩第1章48 (§941, I-48参照) で「月の支配の20年」とあったのは、「20世紀」という表現が普通に存在する点から見ても、それは単なる20年というよりも、やはり2000年の暗号的表現である事が明確になったと言えるのである。よって、「月の支配の20年」とは「月の支配の2000年間」のことであり、つまりキリスト紀元元年から西暦2000年までの2000年間のことである。換言すればそれは、第六千年紀プラス第七千年紀のことである。

しかし、これはいわゆる紀元前の時代たる第一千年紀が確定された上での積み上げによって得られた年代ではなく、あくまでも紀元後の時代の方の確実性が先行しているのである。つまり、ノストラダムスの大局的紀年法の体系構成においては「キリスト紀元(A.D.ANNO DOMINI 主の年々)」が採用されていることがわかる。実際、「アンリ2世宛書簡」(1557年)の中の二箇所で、ノストラダムスは、紀元前の年代特定を聖書の諸記事から求める試みをわざわざ行いながらも、結局確実なことは言えないとしており、ただ「イエス・キリストの贖罪」を起点とする紀元後の年代[英句in the year of our redemption 参照。]だけが確実であると述べている。何故ならそれは、完全な一致を見ない世に知られた学者達の説に依るのではなく、我が諸々の預言の源泉と同じ「天文学的計算と伝家の預言本能」に基づく考え方であるからだ、と(№10, p.157, p.167)。因みにノストラダムスは、ここに、彼の用いた方法の適用の一例示として、諸天体の同時期の極めて複雑な運行のリストを掲げ (№10, p.167-168)、暗に「1606年」という年を提示しているが、「1606年」という年は、同じ「アンリ二世宛書簡」の先行箇所 (№10, p.155) に既出の年である(これに関しては、「フランス革命1、2、3」参照)。

 もっとも、それだからと云って、この紀年法では、矢張りどうしても、紀元前の全年次が「5000年」である、という仮定が必要である、ということに変りはない。そして、ノストラダムス自身もその年数を、議論の上では種々の案を提起しているが、その中に、「5000年説」も含まれているから、これが彼の本当の考えと見なし得るだろう(Brind’Amour, 1993, p.176-177参照)。

 なお、§944 - §945 では、『預言集』中で近年最も有名となっている四行詩第十サンチュリ第72歌 (§944, X-72) を取り上げる。これは内容的に、実に深く「イエス・キリストの贖罪」並びに「その再臨」という思想に関わっており、従ってまたその中に出てくる「1999年」という特定の年号も、本節で述べたような紀年法の脈絡の中に位置づけて解釈されるであろうことも当然である。また、これは直ぐ後に続く同第75歌 (§945, X-75) と本来的にペアを組んでおり、その全体の構造を解読すれば、丁度先に第一サンチュリ第1歌と同第2歌のペアを解決し得たと同様に、完全解決が達成されると予想されるので、二つの詩を一緒に考察することにしたい。[初出:北海道教育大学釧路校紀要『釧路論集』第31号, 1999, pp.23-45。一部改稿。]

 

第七千年紀 (le septiesme millenaire, the seventh millenary) について(補足)
「アンリ二世宛書簡」には、既出の「七番目の大きな数」「千番目の大きな年」「第七番目の千の数」に関連する「第七千年紀 (le septiesme millenaire, the seventh millenary)」という直接的表現が、以下の様に、二度出て来る。

「預言四行詩の大部分は極めて厄介な作品でして、解決の道は誰も示せない程ですし、誰も解釈が出来ない程ですけれども、それにも拘らず私はこの書物によって、大方の出来事が生起する年月や、都市や、地域を残しておきたいと希望しています。そこには、1585年及び1605年という年も刻印されておりまして、[この書簡をしたためております]1557年3月14日の今現在から始まって、遙かその先の先まで経過して、私の天文学的計算とその他の知識が及び得る限り深く算定された第七千年紀の初めに対して、後の方 [第七千年紀の終り頃] に生じるであろう大事件までこの時はイエス・キリストとその教会との敵共が非常な勢いで繁殖を開始するでしょうが - 私の力の及ぶ限り、全てが選り抜きの日時において構成され計算されて、そして見事に、且つ最も正当に配置されている、そういう書物を残して置きたいのです。」(№3, p.5; №10, p.155).

「偉大な法 [ロシア正教] を持つ帝国 [ロシア帝国] が非常に遠くまで拡張されるでしょう、そして、その頃及びそのちょっと後で、少しばかり秀でた知識人達 [ボルシェヴィキ] によって無辜の人々の血がおびただしく流されるでしょう。そこで大洪水 [内戦] のため、学問という知的道具に含まれていた事柄の記憶さえもが無数に失われるでしょう。この事は神の意志によって北方の人々の所で起るでしょう、そしてもう一度サタンは捕縛されることになります。そして人々の間に全世界的平和が成就されるでしょう、そしてイエス・キリストの教会は試練から解放されるでしょう、AZOARAINS(**) が例えどんなに蜂蜜の中に胆汁と疫病的誘惑の種を混入しようとしてもです。そしてそれは第七千年紀に近接しているでしょう、同様にイエス・キリストの聖域は、北方から不信仰者達がやって来て世界がある種の大きな紛争に接近するような時でも、踏みにじられるような事にはならないでしょう。本当は私の預言の計算は時間の流れのもっと遙か先までも届くのではありますが。」(№3,p.19; №10,p.169).

** この謎語は、未だ誰も十分に説明し切っていない。但し、フランス語古語に一縷の手掛りがある。即ち、Azoras Ar ないし Araという2語があり、いずれも「à présent 現在 At presentmaintenant Nowà l’instantただ今Just now」といった意味である (cf. P.R.Auguis, Les Poètes François depuis le XIIe siècle jusqu’à Malherbe, tome premier, Chapelet, Paris, 1824; Vocabulaire des mots du vieux langage qui se trouvent dans les deux premiers volumes des Poètes François  jusqu’à Malherbe, p.463; p.460)。するとles Azoarainsは、les(定冠詞複数)+ Azoras Ara ain(形容詞接尾語)+s(名詞複数語尾)といった語構成と考えられて、「今の今の人々 Those of present at present、現代的現代人達 The most contemporaries」といった意味になる。従って、それは「21世紀初めに於いてキリスト教と世界平和に敵対する同時代の勢力」という意味になるだろう。言い換えれば、それは、「長い歴史を持つ精神的伝統も知らず、将来の自己の霊魂の運命にも全く無関心な、今現在を只々刹那的に生きればよい、という考え方に囚われた唯物論信仰に陥った現代人達」というものだろう。

 
ここには、ノストラダムスの預言の二つの精髄が第七千年紀という時間軸との関連で語られている。第1文は、キリスト教会が弾圧迫害される「大事件」が、第七千年紀の終り頃に起ることを述べており(従ってこれは反キリスト教の性格を有し、20世紀に起ったロシア革命と見られる)、第2文は、第七千年紀に近接した時に、ということは、第六千年紀の終わりか、又は、第八千年紀の初めに、ということだが、第六千年紀はノストラダムス預言刊行前のこと故除外されて、残るは当然、第八千年紀の初めに、従って北方の人々であるロシア人達の20世紀の大革命とその結果の清算(ソ連邦の崩壊=サタンの捕縛)の後で、「世界平和」が実現するだろうという事を語っている(従ってこれは、21世紀に起ることだとして期待される)。

論証1:「第七千年紀の初めに対して、後の方 [第七千年紀の終り頃] に生じるであろう大事件」の文法的読みについて。

ここでのノストラダムスの文章は必ずしも理解容易なものではない:原文は、 « l’advenement [l’avènement] qui sera après au commencement du septiesme millenaire » となっていて、英語に直訳すれば、« the happening that shall be after in the beginning of the seventh millenary »となる。しかし、ここでのAFTER は前置詞ではなく副詞だから、それに直ぐ後続するフランス語前置詞àは、in the beginning of the seventh millenaryin に対応する意味のものではなく、「副詞又は形容詞に対して補語の役割を為す後続語の導入機能を持つ前置詞としてのà(要するに、比較対象を導入するàである」」(cf. Petit Robert) に対応する「~に比して、~に対して, against..., in comparison with..., toward...」でなければならない。つまり、「この出来事は、第七千年紀の初めに対しては、逆にその終りの方で起る」という意味が意図されていると考えられる表現である。

論証2:「それは第七千年紀に近接しているでしょう」の文法的読みについて。

上述のように、第七千年紀に近いのは、その外部に位置する第六千年紀の終り、又は、第八千年紀の初めということで、前者は1000年頃に当り、1555年以降の未来予言たる『預言集』には妥当しない。残るのは、従って、第八千年紀の初め、即ち2001年開始の21世紀の初めである。

ここにおいて、正確無比のノストラダムスの予言である以上、「21世紀初めからの世界平和」という託宣は、21世紀の世界の人々にとって、大きな希望の大きな光である。しかし、そこには何の人間的課題も無いのであろうか?我々は、ただ座していれば、世界平和を享受できるのであろうか?

ここで考慮しなければならないのは、矢張り、四行詩第一サンチュリ第48歌 (I-48, §941) の「太陽が、我が預言を完成し、且つ、終わらせる」という詩句の真意であるから、次に早速、その詩を研究することにしたい。(update: le 24 avril 2015)

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§954 -§955, I-1 & I-2: ノストラダムスの「発声的書記」(続)

 

大団円としての幸福の科学9(続& 2/2ノストラダムスの「発声的書記」(続)

A3.
恐れと声とが一つになって両袖口の辺りで顫動する。My fear and the voice in unanimity tremble about my cuffs. (Un peur & voix frémissent par les manches.)

先ず、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy = i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。そもそも第1詩の「微小火炎が語らしめる」という句が、第2詩における「声」の登場を必然的なものにしている。また、「恐れ」という語は、「神々しい輝き」「直ぐ側におわします神霊」に対する素直な人間的反応の一つである。

だが、ここでの文法的に重要な問題は、「恐れ」と「声」の両者が、「一つ」のもののようにして「顫動する」という表現の妥当性に存する。

Un peur & voix (One fear & voice) というのは、peur voix もフランス語では共に女性名詞ではあるが、「その二つが区別もつかず一体的に」振動する様子をunという形容詞(「一体をなす」という意味がある(Suzuki))で表している(その場合、その形容詞は副詞的に機能する)。しかし動詞が frémissent という複数形であるのは、実際は二つのものが別々のものであることを示している。つまり、ノストラダムスの両手の袖口あたりが顫動するのは、一つには彼自身のおそれおののく心の表れであり、と同時にそれは彼の身近かに神々しくも輝きとして臨在している神霊の意思に基づく「羽弁」が生じる声の響きの振動でもある。

では、 « 形容詞が副詞的に機能する » という点を、フランス語の歴史に照らして検証してみよう。

「或る種のフランス語形容詞は数世紀来、副詞として用いられている、clair (clear), droit (straight), ferme (firm), fort (strong) などがそうである。例えば、『chanter clair朗々と歌うto sing clear』『marcher droit直進するto march straight』『parler ferme断固たる口調で話すto speak firm』『crier fort激しく叫ぶto cry strong』」。マレルブ[1555-1628]はこれらの言い回しを採用している。 彼はそれらを使うのみならず、使うべきだとしている。 デポルトが『qui m'a coûté si chèrementそれは私には大変高価的についた。 It has costed me so dearly』と書くのを彼は認めない。 彼が云うには、『cela me coûte bien cherそれは私には大変高くつく。It costs me very dear』と云うべきであって、『bien chèrement大変高価的に so dearly』と云ってはならないのだ。但し、彼の真意としては、このように使われる形容詞は一個の本当の副詞と看做さねばならないものであって、それはどんな場合でも不変化詞invariableであるのだと。 この種の表現法はラテン語では全く常用のもので、フランス語に於ても未知のものではなく、既に15世紀の終り及び16世紀の初めの著者達に見出されるが、彼等は古代の著者達を模倣したのである。 ロンサールと彼の仲間達には沢山の用例があり、またデュ・ベレーはそれを強く推している:『副詞の代りに実詞 [形容実詞、今日の形容詞のこと] を使いなさい、例えば、『ils combattent obstinéement, 彼等は粘着的に戦う、they combat obstinately』の代りに、『ils combattent obstinez, 彼等は粘り強く戦う、they combat obstinate』と云い、『il vole legerement, 彼は軽快的に飛ぶ、he flies lightly』の代りに、『il vole leger, 彼は軽く飛ぶ、he flies light』と云いなさい。 マレルブの時代には、この種の表現法は古式言語のテキストに於てのみならず、レニエやベルトーのような全くの同時代人に於ても頻繁に使われている。」(F. Brunot, La doctrine de Malherbe d'après son commentaire sur Desportes, Armand Colin, Paris, 1969, p.359-361)

フランス語の歴史自体の中に市民権を持つこの種の表現法から云えば、«Un peur & voix frémissent» という文は、«Une peur & une voix frémissent un» という形に書き換えることが許されるだろう。そして、その « un » という語は、「副詞として用いられた性質形容詞」ということになろう。その辞書的定義は以下の通りである:「UnUne。(性質形容詞)。 諸部分を持たず、且つ、分割され得ないもの;諸部分を持つことが出来るけれども、矢張り一個の有機的全体を形成しているもの。 統一性のある、調和的な、一個の総体を構成しているもの。」(Petit Robert) つまり、「一つの振動する恐れ」と「一つの振動する声」とが、「あたかも一体的であるかのように一緒に振動している」状況を表現するのが、性質形容詞の副詞的用法としてのUNの文法的機能である。これは「副詞として不変化である」ので、主語 (peur, voix) がいずれも女性ジェンダーであるにも拘らず、un という原形が妥当するのである。

依って、我々の解釈は次のようになる:「一つの恐れと一つの声が、統合された一個のものとして、それら両者が同期した振動を持つが故に、揃って振動する。それは両者が共に同一の源泉を持つからである。その恐れは、傍らにおわします荘厳なる輝きの神霊に対する預言者の強い畏怖に由り振動し、その声は顫動を帯びたことばとして、大いなる永遠の神からの伝令に依って、羽弁に生じさせられるのです。」

フランス語規則のレパートリーの中にこの用法を見つけることが出来なかったブランダムール等は、このun という用語を処理するのに困惑して、19世紀の解釈者ビュジェ(Buget) に倣って、un peurvapeur(蒸気)という形に改竄して、「ブランクスの神殿の予言する巫女が吸い込む蒸気」(№8,p.47-50; ブランダムール著、高田勇・伊藤進編訳『ノストラダムス予言集』岩波書店, 1999, P.11-13)と同じものだと理解しようとしたが、徒労に終わった、と云うべきだろう。

次に、「voix, voice)」という問題について集中的に検討する必要があるだろう。というのも、従来、大方の研究者等は、その重要性、斬新性を見逃している憾みがあるからである。実際、ノストラダムス自身、「図らずも発声によって不意に襲われることを伴う発声的書記(pronouncing writing(№1, p.35)という一見奇妙な表現で、彼の預言詩作成の態様を説明している。

先に触れたように、「声」については、息子セザールへの序文の中では、「微小の炎に由り、lymbeに発せられる声 la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme 」と説明している。ここで「lymbe」というのは、当時の表記法でy = i だから、詩文の「limbe」と同語で、「羽弁」のことである。従って、「声」の発生場所が、具体的には「羽弁」であることが判明する。確かに、羽弁は振動しやすいから、響きを発生させることも「神霊」にとっては容易なのであろう。従って、また、羽根ペンを握るノストラダムスの手の袖口とも近い位置にあることになって、彼の手の震えと羽弁の発声的振動が一緒になることも理不尽ではない。

そして、この声は、書記の動きと一体的に生起する:「図々しい饒舌に構われる惧れなしに、発声的書記は、諸々の発声によって把捉されるのです。(aux prononciations étant surpris écrits prononçant sans crainte moins atteint d'invérécondieuse loquacité.)(id., p.35) 換言敷衍すれば「私の書記の作業は、諸々の発声によって捉えられているので、それ以上の事を無暗に書き足す必要がなく、まさに発声的書記(声の通りに書く)と云うべきものです。」ということになろう。ここで、フランス語原文の « être surpris à ...» は、« se laisser surprendre par ... » と同義で、「... につけこまれる」(cf. Suzuki) という意味だという。だとすれば、ここでは、「捉えられる」といった意味で十分解釈可能だろう。ということは、この書記とこの発声は、お互いに忠実に相手をなぞるような関係にある (l'écriture et la prononciation se moulent complètement l'une sur l'autre) と推測することが出来る。即ち、書記は、あたかも「口述筆記」のように声に合わせて書くのであり、声は声で、あたかも「読み取り読み上げ機械」のように、書記に合わせて発声するのである。

「全く変てこな預言作業だ」とノストラダムスをあてこすった所で、それを又聞いた彼は直ちに反論するだろう。「何を言うんだい?全ては、善きものすべての源泉である、永遠なる大御神様のみいつ(御稜威)から出てきたものなんだよ。」
« Mais quoy ? Tout procédait de la puissance divine du grand Dieu éternel, de qui toute bonté procède (id.)

ここに出て来たキーワード「諸々の発声」( prononciations )、「発音する」( prononceant ) について、ピエール・ブランダムールは「ノストラダムス的神秘的個性の抹消」へと趣向するいつもの彼の路線上で、「その第一の意味は、前に告げる (annoncer avant) (ラテン語のpronuntiare) という意味である」と解釈した (Brind’Amour, 1996, p.14)。但し、「前に pro-」という接頭辞には、「時間的前に」と「空間的前に」という異なる二つの基本義がありうる。彼はそれ以上明言していないけれども、釈文の中では具体的に、「prononciations (発声)」を「 prophétiser (to prophesy 予言すること)」、「